【アート】「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(森美術館)と「美術手帖 Chim↑Pom特集」の衝撃から「公共」を考える

目次

はじめに

この記事で取り上げる美術展・本

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この美術展・本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 森美術館の展示で私が凄まじいと感じた2つのプロジェクト
  • Chim↑Pomがテーマに掲げる「公共」について
  • Chim↑Pomとはそもそも何者か?

これまで足を運んだ美術展で、ずば抜けて過去イチ衝撃を受けた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「Chim↑Pom」のことを碌に知らずに観に行った森美術館の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」が凄すぎた

2022年2月18日から同年5月29日の予定で、「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(森美術館)が行われている。

先日観に行ったのだが、脳みそをこれでもかと刺激される衝撃的な展示に、大興奮させられた。私は美術やアートに疎いながらも、美術展に時折足を運ぶ。そう多くはないものの、これまでそこそこ色んな美術展を観てきたが、その中でずば抜けてこの「Chim↑Pom展」が良かった。過去イチと断言できるほどだ。

これまで私は、美術展についてレビュー記事などの文章を書いたことがない。本・映画については必ず何か文章を書くと決めているのだが、美術展では書けなかった。美術展の多くは、当然ながら「視覚」を刺激するものが多く、私の中でそれを上手く「言語化」できずにいたからだ。

しかし「Chim↑Pom展」では、とにかく「思考」を刺激され続けた。だからこそ、いつもとは違い「言語化」できるのである。

私が「Chim↑Pom展」を観に行った直後、「美術手帖 2022年4月号」でChim↑Pomの特集が組まれることを知ったので、初めて「美術手帖」を購入した。そして隅々まで熟読することで、それまでまったく知らずにいた「Chim↑Pom」について、自分の中でそれなりに整理ができたように思う。

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そこでこの記事では、森美術館での展示と「美術手帖」の記述を元に、Chim↑Pomがテーマに掲げることの多い「公共」を軸にした文章を展開していきたいと思う。

「美術手帖」には、Chim↑Pomの制作にオーガナイザー(外部協力者)として携わった経験を持つ様々な人物のインタビューも掲載されているのだが、その1人であるキュレーターの田附那菜はこんな風に語っている。

Chim↑Pomのプロジェクト全体のダイナミズムは、とても持続可能なものだと思います。たんに社会現象からインスピレーションを受けて、それに関連した作品をつくるのではなく、作品のコンセプトを現実の社会と結びつけ、作家自身がそこに物理的に介入しています。彼らは実際に私たちが生活している社会を出発点にし、自分たちがいる場所とつなげながら、その先に続く「道」を見出そうとしているのです。社会的な問題に言及しながらも、時には皮肉なかたちでユーモラスに表現している点が非常に面白いと思います。(田附那菜)

タブーと言われている領域を開拓していく役割も果たしている。(中略)既成の枠組みに対して問いかけ、高尚な美術と言われているものとパブリックを引き合わせるという意味で、あいだをつなぐ存在だと思います。(田附那菜)

芸術が『社会問題』をあぶり出す役割を担うことがある」という事実は一般的にも認識されているように思うが、Chim↑Pomはさらにそこに「『公共/パブリック』に対する問いかけ」を振りかけるのである。森美術館の展示でも、私が最も衝撃を受けた作品はまさにこの「公共」の意味・意義について核心を衝くようなもので、そのシンプルで鮮やかな発想に恐れ入った

決して美術に限る話ではないが、世の中にある様々なモノ・価値観に触れることの価値の1つは、「普段考えないことについて思考する」という点にあると思っている。権力や法律に抵触でもしない限り「公共」について考えることなどまずないが、Chim↑Pomの作品に触れることで、頭の中に自然と「問い」が生まれることだろう。「アート作品としての存在感」と「社会問題を問いかける鮮やかさ」が見事に同居すると感じたし、アートではない自分が得意な領域においてChim↑Pomのようなスタンスを実践したいと考えさせるような展示だった。

まさに、「日常生活に不可欠だが、日常生活からは得られない価値観・感覚」に溢れた、刺激的すぎる美術展だと言える。

それではまず、森美術館の「Chim↑Pom展」で私が衝撃を受けた2展示について、「美術手帖」の記述も踏まえながら見ていくことにしよう。

(2022年4月20日 追記)

Chim↑Pomは、4月27日をもって「Chim↑Pom from Smappa!Group」に改名すると発表した。

詳しい経緯などは上の公式HPを読んでほしいが、非常にChim↑Pomらしい、正面から喧嘩を売るようなやり方でとても面白い

ポイントは2点ある。

  • 森美術館での展示「ハッピースプリング」の設営費などを賄うため、森美術館側から要請を受けて、資金を作家側で集めることになった。
  • ・集めた1000万円の資金の内、「Smappa!Group」からの申し出のみが拒否された。

そして、森美術館側の判断に異を唱えるために改名したという経緯である。

森美術館が「Smappa!Group」の申し出を断ったのは、「Smappa!Group」が「水商売の会社」だからだという回答があったという。しかし、Chim↑Pomというアート集団を正しく理解していれば、彼らと「Smappa!Group」との深い繋がりを理解していないはずがない。その関係についてはこの記事内の別の箇所に追記するが、「Chim↑Pomの展示を行う」という決断をした時点で、森美術館側も「Chim↑Pomの『ある種健全な危うさ』」が持ち込まれることを理解する必要があったと思うし、その点について大いに見誤ったというのが私の考えだ。

Chim↑Pomは、改名を伝える文面の中でこう書いている。

今後、Chim↑Pomとのお付き合いを望まれる全ての団体におかれましては、私どもが際どい社会人であることを改めてお見知りおき頂き、間違ってもただの「健全」なグループだと勘違いなされませんよう、深くお願い申し上げます。

Chim↑Pom公式サイト

見事な宣言である。私も、できれば「際どい社会人」としてこの世の中に存在したいと思ってはいるので、それを正面切って主張できるChim↑Pomに羨ましさを感じてしまう。

国立台湾美術館の「内」と「外」を「アスファルトの道」で繋ぐ《道》の衝撃

「Chim↑Pom展」は、森美術館の「周回可能な構造」を生かし、右回り・左回りどちらからでも観られると案内がなされる。基本的には、森美術館の通常ルートで観る人の方が多いだろうが、その場合に最初に現れるのが、工事現場にあるような足組みが組まれた、天井が低い空間だ。「森美術館」というハイソサエティな空間に、まったく異質な「工事現場の足組み」が存在するという出だしから、もうワクワクさせられてしまう。

そこでは、過去にChim↑Pomが行った様々なプロジェクトの中から、「街」や「公共」をテーマ・背景に持つものが多く展示されており、その中で、国立台湾美術館で半年近くに渡って行われた《道》というプロジェクトも紹介されている。

この《道》には、本当に衝撃を受けた

シンプルに展示作品を紹介するなら「アスファルトの道」と書くしかない。美術館の前を走る公道から、美術館の駐車場を通り、館内エントランスまでを1本の「アスファルトの道」で繋ぐ、というただそれだけのものだ

この何が凄いのか。それは、「美術館内の公共性」と「公道の公共性」について問いかけるアートになっている点だ。

「公共の空間」と言っても様々なものがある。マンションの共有部分、図書館、市役所や公民館、神社仏閣、病院などなど、「公共の場」と呼んでいいと感じる空間は様々に思い浮かぶだろう。しかし、それぞれの場所で「ここまでは許される」「ここからは許されない」というルールのイメージは異なるはずだ。しかしそのようなルールは、なんとなく当然のように共有されているものであり、「そういうものなんだ」と当たり前に受け容れているが故に、私たちはそれについて意識することがない。

Chim↑Pomは「アスファルトの道を敷く」というシンプルすぎるやり方で、その「公共性の違い」を具体的に顕現させたのだ

この展示によって観客に突きつけられるのは、以下のような「問い」である。

「美術館で行えること」と「美術館内に存在する『公道』上で行えること」に差はあるのか?

この点をよりよく理解するために、「美術手帖」に書かれている《道》の説明文を引用しよう。

同じパブリックスペースでも、公道と美術館内ではそれぞれにルールが異なる。Chim↑Pomは、そのあいだをつなぐ《道》にも、そこにのみ適用される「レギュレーション(規定)」を設定した。館との交渉を重ね、《道》の上で行われることはすべて作品の一部と定義することで、通常は禁止されている落書き、飲食を許可。デモも、Chim↑Pomが主催するものにかぎり行うことができる。また暴力行為や公然猥褻はNGだが、「ロマンティックで愛がある行為」は自由とした。

当然のように、落書きや飲食は「美術館で行えること」ではない。しかし、「公道」では認められ得るだろう(「落書き」はかなりグレーだが)。だったら「美術館内に存在する『公道』」ではどうなのか? これはまさに、これまで誰も考えたことのない「問い」だろう。そんなことを考える必然性がないのだから。しかしこの展示によって、普段まったく意識せずに受け容れている「公共性の違い」を認識することができるというわけだ。

私もまさに、この《道》の展示(の説明)に触れることで、「公共性の違い」について考えさせられた。普段疑問を抱くことなどない領域に目を向けさせられたのである。

またこの展示は、国の文化的な差異をも浮き彫りにすることになった。

道の占拠ひとつとっても、日本と台湾には大きな文化的差異がある。じつは台湾では、冠婚葬祭や廟会(縁日)のために公道が一時的に占拠されることがよくある。(中略)
いっぽうで台湾の人々は、路上での宗教活動や宴席には慣れているが、テクノ・ミュージックやパーティには拒絶反応を見せ、明らかなダブルスタンダードがある。「(中略)パーティも社会構造の一部で、まるで鏡のように、いまの社会を映し出すんです」。

日本でも、祭りなどで公道が封鎖されることはあるが、冠婚葬祭ではあまり聞かないように思う。「公道を占拠する」という点では、台湾の方が許容度が高いと言えるのかもしれない。しかしそんな台湾でも、「パーティ」となると許容されないというわけだ。確かにこれは「ダブルスタンダード」と言わざるを得ないだろう。「公共性の違い」に目を向けさせることで、このような社会の在り方にも目が向くことになる。

「美術手帖」内で「公共」について対談するパートで、Chim↑Pomの卯城竜太がこんな発言をしていた。

内田樹さんが指摘していたのですが、西洋では、公共物は財産だという考え方がある。みんなが私権を制限して自分たちの財産を少しずつ持ち寄ってつくるものだから、そこに当事者意識が生まれてくる。いっぽう日本では、公共は野や海のようにそこにあるものとして受け止められている。だから、利用はするけれども当事者意識はない。(Chim↑Pom 卯城)

《道》の展示は、日本と同じアジア圏の台湾で行われた。もし同じ展示を欧米で行えば、また違った反応になるのかもしれない。このように、「アスファルトの道を敷く」という非常にシンプルな手法によって、普段意識されない様々な価値観が浮かび上がるというわけだ。この《道》の存在を知ることができただけでも、私は「Chim↑Pom展」を観て良かったと感じる

先程、「台湾の公道では『パーティ』は難色を示される」という話に触れたが、台湾の美術館では、展示期間中に《道》の上で実際にパーティが行われた。その「《道》上のパーティ」のキュレーションに関わったベティ・アップルはこんな風に語っている。

最大の困難は、飲食、とくにアルコールの提供だったという。「パーティには『大はしゃぎ』という面があります。演劇にも似た要素がありますが、これはたんなる現実逃避とは違い、『芸術と自由の関係』を体現するものです。そのためにはお酒も必要だと思うのですが、そこが今回、いちばん難しかったところでした。Chim↑Pomを中心に美術館と粘り強く交渉を続けて、飲食は作品の一部として認めてもらったんですが、アルコールはどうしても無理でした」。最後まで許可が下りなかったので、彼らは基本的に、屋外の芝生まで行って飲んでは、屋内に戻って踊るということを繰り返していたという。「ほかにも、苦情が来たと言って急に音量を勝手に絞られたり。もう中止するしかないと思った瞬間もありました」。その都度交渉を繰り返し、パーティーは無事、大成功に終わった。

「美術館内でパーティを行うこと」は普通ならあり得ないが、「公道」という要素を1つ加えることで、現実解として存在し得るものとなった。このような発想は、「これ以上はもう無理」という地点に行き着いてしまった様々な状況における、打開策の1つとしても参考になるだろう。普通にはあり得ないことを「あり得る」に変える魔法は存在するのである。

ベティ・アップルは、

Chim↑Pomの活動について、もともと報道などを通して強い関心を持っていた。とくに共感したのが、2012年に台北のギャラリーで展示された原発事故に関する作品群だった。(ベティ・アップル)

そうで、その後台湾で「ひまわり学生運動」というデモに参加したことがきっかけとなり、Chim↑Pomと《道》でタッグを組むことになったそうだ。

Chim↑Pomとは、「公共の領域で、身体を開放する」という理念を共有できると感じました。(ベティ・アップル)

私もChim↑Pomも、アーティストとしてパーティの持つ意味を考えてきました。Chim↑Pomがすごいなと思うのは、これを社会構造とつなげて、非常に明確な論点を持っていることです。(ベティ・アップル)

彼女はこのように語っているが、私も同感だ。Chim↑Pomには、《ヒロシマの空をピカッとさせる》や《LEVEL7 feat.『明日の神話』》など、結果として(あるいは意図的に)世間をザワつかせることになった“代表作”が存在する。しかし私は、シンプルさと鮮やかさという点で、この《道》こそがChim↑Pomの代表作と言っていいのではないかとさえ感じた。

「Chim↑Pom展」の初っ端からこのような凄まじい展示があり、頭をガツンと殴られる。この《道》は、今までほとんど知らずにいた「Chim↑Pom」の存在に改めて焦点を当てるきっかけになったと言っていいだろう。

帰還困難区域での展示ゆえに誰も観ることができない《Don’t Follow the Wind》の衝撃

工事現場の足組みパートが終わると、続いて《Don’t Follow the Wind》の展示が始まる。しかしこれは正確な表現ではない。正しくは、「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」が展示されている

何を言っているのか理解不能だと思うが、「福島県内の帰還困難区域で行われている」という情報を加えることで一気に理解が広がるだろう。

まずは、森美術館内で展示されている「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」についてもう少し詳しく説明しておこうと思う。この展示室には、ノートパソコンが1台置かれているだけだ。壁には《Don’t Follow the Wind》の開催概要が貼られ、後はループで繰り返される音声がずっと流れている。ただそれだけの空間だ。たった1枚の写真もなければ、当然、作品に関するキャプションもない

音声には、Chim↑Pomを始め、《Don’t Follow the Wind》に携わった幾人かのメンバーと、作品展示のために帰還困難区域の自宅を提供した住民のやり取りが収録されている。音声によって、「《Don’t Follow the Wind》でどのような展示がなされ、現状どのようになっているのか」が語られるのだが、具体的な作品についてはイメージしようがない

これが、「森美術館内の展示の全貌」である。この「『展示室内に何も存在しない』ことによって『《Don’t Follow the Wind》の存在意義』を鮮やかに理解させる展示」には衝撃を受けた。

《Don’t Follow the Wind》そのものについても、「美術手帖」の文章を引用する形で紹介しておこう。

「Don’t Follow the Wind」は、企画の趣旨に賛同してくれた地元住民らが所有する敷地や建物を借り受け会場としている。厳しい立入規制により、観客が訪れることが難しく、実質「見ることができない展覧会」となっている

東京電力福島第一原子力発電所事故の4年後、2015年3月11日にスタートした「Don’t Follow the Wind」(以下、DFW)は、放射能汚染により帰還困難区域に指定された地域で開かれているChim↑Pom立案の展覧会。

よくもまあこんなことを思いつき実現させたものだと感じさせられる、異次元の”美術展”である

流れている音声で非常に印象的だったのが、住居を提供した住民が「自宅の解体を決めた」と話していたことだ。当然だが、解体と同時に展示物も失われ、もう観ることが不可能になっている。私たちがこの展示を観られるのは、帰還困難区域の指定が解除された後だが、その時点でこの展示がどうなっているのか分からない。そして、まさにこの点こそ、《Don’t Follow the Wind》の核心なのだ。同展のキュレーションに参加した1人であるエヴァ&フランコ・マッテスへのインタビュー記事にはこう書かれている。

長年、オンラインでのコミュニケーションから生じる倫理やモラルの問題をテーマにしてきたマッテスたちにとって、この点は重要だった。「企画側にとっては、訪れることが困難な場所に行くこと、現地の人に出会うこと、情報を集め事実確認すること、大災害のあった場所で展示を行うことに、この展覧会の意義がありました」。その成果物である展示を、安易にネットに載せないことは、大事なコンセプトとなった。「観客の大半は、口コミなどで間接的にこの展覧会を経験することになると思います。ネット上で本展の写真がいくつか出回っていますが、現地の様子を正確に伝えられているとは言えません」。人がいなくなった現地では、自然が侵食し、展示物はつねに変化にさらされている。野生のイノシシが家屋の扉を食い破って作品を破壊したこともあったという。

森美術館の展示で、作品の写真を掲示することはもちろんできただろう。しかし「どんな作品が展示されているのかを示すこと」に本質的な意味はない。《Don’t Follow the Wind》の最大の価値は、「観られないこと」「観られない間に展示物が朽ちていくこと」にこそある。それはまさに、芸術に限らずありとあらゆるものが「消費」されていく現代社会へのアンチテーゼでもあるというわけだ。

本展の最大の特徴であり最大のチャレンジは、「観客が見ることができない」ということだった。少なくとも最初の数年は、観客に来てもらえない状況で、この展覧会をどのように伝えるかという問題があった。「情報を出さないといけない反面、出しすぎると展覧会が瞬く間に『消費』されてしまう心配がありました。今日、展覧会の企画・準備にあたり、ヴィデオ会議などオンラインツールは必要不可欠です。ただこのオンライン化が浸透するあまり、ソーシャルメディアで展覧会の写真を拡散すること自体が目的化してしまう状況も増えているように思えるのです」。

「見せない」という点に圧倒的な必然性を持たせつつ、「見せない」ことによるメッセージを明確に有しているというわけだ。さらにこの《Don’t Follow the Wind》には、こんな意図もあったという。

アーティスト、キュレーター、そして観客をも『安全圏』から引きずり出したいというのがプロジェクトの動機にありました。安全を含め、通常のアートイベントで当然のように確保されているものすべてを見直そうと思ったのです。(エヴァ&フランコ・マッテス)

まさに「既存の美術」の枠組みから完全に逸脱していると言っていいだろう。凄まじい発想力だと感じた。

この展示の準備は相当大変だったそうだ。そもそもだが、

マッテスたちは展覧会の準備で、数回福島を訪れているが、帰還困難区域への立入許可を得るのは容易ではなかったという。やっと区域にはいれても、電気、水道、トイレ、食料がなく、一度に最大5時間しか滞在できない。

という、「帰還困難区域内に入り、活動すること」の困難さがまず立ち現れる。その上で、

展示会場としては、住民が貸してくれた4つの家屋が使われた。その空間は、無菌で個性のない「ホワイトキューブ」の対極にあるものだった。「放射能汚染が懸念された会場には、個人の思い出が染み込んだ、家具、服、写真、本などが散乱していました。こうした物を尊重し、持ち主たちの気持ちを損なうことなく作品を展示しようと、設置時にはかなり神経を使いました」。

と、普通の美術展ではあり得ない特殊な困難さに向き合うことになった。しかし、準備段階では楽しさもあったそうだ。

不謹慎に聞こえるかもしれませんが、ある住民のおかげで、実際のところ私たちは現地でとても楽しい時間を過ごしました。彼は、私たちを飲みに連れ出し、おいしい物を食べさせてくれ、歌ったり冗談を言いながら、とことんもてなしてくれました。彼は「可哀想な被災者」だと見られたくなかったのだと思います。どんなに悲惨な状況にあっても、人生を思い切り楽しむことができるのだと身をもって教えてくれ、その姿に非常に心を動かされました。(エヴァ&フランコ・マッテス)

Chim↑Pomの作品・制作過程にはどこかしら「必然性」みたいなものが存在し、そのことが彼らの行為の意味をさらに高めていると感じる。そしてそのような「必然性」を感じるからこそ、Chim↑Pomに関わる人々もまた、「芸術家」「アーティスト」と向き合うではない接し方になるのだろうと、特に「美術手帖」の様々な記述を読んで実感した。また、Chim↑Pomは「身体性」を1つのテーマに据えているのだが、それ故に作品が単なる「作品」として存在するのではなく、有機的に何かしらと接続し、その意味をさらに深めることになるのだとも思う。そのような「繋がり」を生み出すという点も、Chim↑Pomの特異性だと言っていいだろう。

さて、森美術館での「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」に話を戻そう。この展示についてはもう1つ特徴がある。それは、「窓の向こうに東京の街が一望できる展示室で行われている」という点だ。

先述した通りこの展示は、パソコン1台置かれているだけの非常に空虚な空間として(恐らく意図的に)作り上げられている。さらにそこで紹介されているのは、現実に目にすることは叶わないものの、明らかに「荒廃しているだろう」と想像される町で行われている美術展だ。

一方、そんな「空虚」「荒廃」というキーワードが前面に出る展示が行われているのは、六本木ヒルズの53階という「大都会の中の大都会たる空間」であり、さらにそこから、大都会・東京の街並みが一望できるのである。

この「あまりに寒々しい対比」も非常に印象的だった。森美術館でも「美術手帖」でも特に言及はなかったが、この対比も明らかに意図的なものだろう。「何もかもが無さすぎる、朽ちていく町」で行われている展示を、「何もかもが有りすぎる、発展が行き着いた街」で観る(想像する)という経験は、何かザワザワさせる問いが突きつけられているような感覚になる。「今ここに、今この状態で存在している自分自身」に対するある種の「罰」のような感じもして、「何も存在しない単なる空間」を”展示”することで、そんな感覚を呼び覚ます発想にも感心させられた。

Chim↑Pomが「森美術館」での展示に対して考えていたこと

ここまでで紹介した2点以外にも様々な展示が存在するが、それらについてはまた後ほど、「Chim↑Pomが過去に行ったプロジェクト」という形で紹介するつもりだ。ここでは、森美術館の展示に関する言及として、「ハッピースプリング」展をChim↑Pomがどう捉えているのかについて、「美術手帖」の記述を踏まえつつ触れていこうと思う。

これまで様々な形で「都市」や「公共」をテーマに据えてきた彼らは、「『六本木』という都市の『森美術館』という公共空間で展示を行うこと」についても思案を重ねていた。しかし、森美術館側とどうも話が噛み合わなかったそうだ。その点について、卯城竜太は、小田原のどかとの対談の中でこう語っていた。

卯城  六本木ヒルズという「街」と、僕らが歌舞伎町などでプロジェクトをやりながら考えている「街」は違う、森ビルの都市論の公共性と僕らの都市論の公共性は違うという話しをしたら、「森ビルの都市論に公共性はない」と言われたんです。ずっとズレを感じていたんだけれど、「あ、これか!」と思って。ブランドとしての都市があるだけで、公共について考えているわけではないんだと。


小田原  だからこそChim↑Pomに声をかけたというのもあるんでしょうね。自分たちとは違う価値観を美術館から発信していくために。だからこそ、こちらもそれを利用する。

この発言を正しく理解できているか自信はない。森美術館は自分たちのことを「公共空間」だとは認識していない、だから「『公共空間』ごとの公共性」をテーマに据えようと考えているChim↑Pomと会話が噛み合っていなかった、と私は理解した。

ただこの点は、展示を行うにあたって問題にはならなかっただろう。森美術館が自身を「公共空間」だと認識していようがいまいが、美術館は客観的に「公共空間」だと認識され得るだろうし、Chim↑Pomは「森美術館という公共性の中で何をやるか」を考えればいいからだ。

現実的な問題は他にあった。その点については、Chim↑Pomの林靖高が、台湾の美術館の《道》との比較でこう語っている。

いま考えると、台湾での交渉は大変だったけど、すごくわかりやすかったと思う。つまり、法律とアートが基準だったから、ルールの共有ができた。けれど今回は高層ビルの最上階という条件や企業の論理が基準なので、思いもよらない制約があったりする。(Chim↑Pom 林)

台湾の美術館で「『公道』と『美術館』の『公共性の差異』」を可視化した際には、「法律をクリアできるか」「アートであるか否か」だけを考えればよかった。だから大変ではあったが、シンプル故に困難ではなかったというわけだ。しかし森美術館で展示を行う際には、「ビルの最上階で展示を行うという条件」や「私企業独自の倫理規定」などがクリアすべき条件として立ちはだかった。だからまったくシンプルではなかった、という指摘である。

そして実際に、「卯城竜太がすべての会議を1ヶ月ほどボイコットする」という形で納得できなさを示すほどの問題が発生した。

Chim↑Pomの初期作品に、渋谷のネズミを捕まえる《スーパーラット》というプロジェクトがあるのだが、そのラットを「ピカチュウ」に置き換えた「ピカチュウバージョンのスーパーラット」という作品も存在する。そしてこの「ピカチュウバージョンのスーパーラット」の展示にNGが出たのだ。その顛末について、卯城の発言を引用してみよう。

PARCOはじめChim↑Pomの特徴は、ある施設や機関の限界を高め合うところにあるから。というのも、じつは美術館内でピカチュウバージョンの《スーパーラット》を展示することにNGが出ました。最初は美術館側もどうにか展示出来るよう全力で頑張ってくれたんですが、組織としては美術館も森ビルの一部署であり、最終的には社として作品が引用しているデザインの著作権者に配慮するかたちで、やむなく館外での展示になりました。館から最初の代替案は、「第2会場で見せるのはどうか」というものでした。彼ら的には「見せ方」を変えることで表現の自由と知る権利を守るというスタンスでしたが、僕は当初それを検閲だろうと拒否し、すべての会議を1ヶ月ほどボイコットしました。しかし、それから約1年の美術館の努力は相当でしたし、著作権法的にも専門家の意見が分かれるところで、展示することに明らかな問題はないとなった。それでも最終的には53階で映像ですら黄色いラットはダメだというまでになり、もっと言えば展覧会ごと危ぶまれるまでになった。最終決定を彼らも無念だと感じていたことは長い対話から十分理解しました。ならば、それまでの蓄積を活かすこともできる。作家としては表現の自由が損なわれたと考えていますが、ではどうしたら美術機関はこれから美術の独立性や自律性を持ちうるのか、それを《スーパーラット》が追いやられた第2会場で美術館と協働して模索するプロジェクトを展開しませんか、と僕らから逆に提案しました。(Chim↑Pom 卯城)

私は「Chim↑Pom展」について詳しく調べずに足を運んでしまったこともあり、「第2会場」は見れていない。森美術館の展示の最後に「第2会場」についての案内が掲示されていたのだが、よく読まず、「第2会場があるなら別日に行こう」と考えて帰ってしまったのだ。後で調べると、「Chim↑Pom展」を観た当日、森美術館で予約しないと「第2会場」には入れないようで、だから私は「ピカチュウバージョンのスーパーラット」を観れていない。残念だ。しかし、あまりにも「Chim↑Pom展」が良かったので、会期中にもう一度行くかもしれない。その際は満を持して「第2会場」も観てこようと思う。

さてこのように、Chim↑Pomは森美術館が有する様々な「ルール」を乗り越える闘いを繰り広げてきたというわけだ。

また、「Chim↑Pom展」には、「アスファルトの道」が敷かれている。それがどこにどんな風に存在するのかは実際に行って観てほしいが、この「道」の上には最小限の展示物しか置かれていない。そこにも意図があるそうだ。

この森美術館の「道」には、路上やスラムで活動し、都市開発もテーマにしてきたChim↑Pomにとって、大手ディベロッパーが運営する美術館に、今度は自分たちが工事を持ち込むというサイトスペシフィックな必然性もある。そしてまた、「道」の上では会期中に様々な出来事が起こる予定だという。「ただアスファルトを敷いただけでは道にはならなくて、『道を育てる』作業が必要」と林。場所の文脈を利用した大胆なプロジェクトや、作品展示と出来事を併置する手法は、Chim↑Pomの得意技だ。

「道を育てる」という発想を、私は当然持ったことはないが、Chim↑Pomが行ってきた様々なプロジェクトに触れることで、その意味はなんとなく理解できていると思う。「道」は「物質」ではなく「現象」だということだろう。それは、上野千鶴子と対談したChim↑Pomのエリイのこんな発言からも推察できる。

上野千鶴子  私は、現代美術に対しては偏見があるんです。現代美術とはコンセプチュアル・アートであり、コンセプチュアルというのは、言語的ということですよね。私は社会学者としてものすごく言語に偏した人間だから、言語が達成できないことをやってくれないと、アートじゃないと思っている。「なんのためにアートをやっているんだ、非言語でしか表現できないものを見せてくれ」って。それで「ハッピースプリング」展を見て、「フェミニズム」展と決定的に違うと思ったのは、身体性、そして場所性があるということですね。


エリイ  Chim↑Pomの強みの「まず行動する」という姿勢は身体を通して身に付いています。今回の展示で《道》の上に作品を置いていないのも、そこで期間中にイベントをやりたいと思っているから。生身や現在、生きているという状況の面白さの活用ですね。

上野千鶴子の「Chim↑Pom展」評も興味深いが、エリイの主張する「身体性」の話も面白い。「場・空間」と「現象」を同時に有機的に発生させることによって、それらを「アート」や「社会問題の提起」として昇華させる手法の鮮やかさみたいなものを実感させられた。

エリイは森美術館での展示を行うことについて、こんな風に語っている

今回やってみて「森美術館で個展をやるとオワコン」みたいになるのは、相手に呑まれるからだと思いました。作家の真髄が発揮できないまま、展覧会が始まって終わっていくから。でも今回、うちらは確信をもってやれている。だからこの展示が終わっても、いつもとそんなに変わらないかな。(Chim↑Pom エリイ)

森美術館で個展をやるとオワコン」という主張が存在することさえ初めて知ったが、要するにそれは、「世間に知られれば知られるほど単に『消費』されるだけだし、森美術館はその権化だ」という発想に基づくものなのだろうと思う。しかしChim↑Pomが行うプロジェクトは、「道を育てる」という主張になぞらえれば、「多くの人に知られることで育つ」とも言えるだろう。「芸術性」と「社会問題」を絶妙なバランスで融合させる特異な手法は、「他者の視線」に晒されることでより輪郭がくっきりすると感じるからだ。

この点についても、「美術手帖」の中に面白い言及がある。卯城竜太と共に「WHITE HOUSE」というコミュニティを運営している涌井智仁の発言だ。

閉じた空間の中で何が行われているか、非会員の人に想像してもらうことは重要です。もっと言えば、会員の人にそういう視線が外部にあると認識してもらうことが重要。そういう人たちが集まる空間だからこそ成熟が起こり得る。近年は安易に開こう、対話しようという人たちが多くて、そのせいで失うものがたくさんある。誰にでも伝わるようにすると説明の機会になっちゃうから。(涌井智仁)

これに対して卯城は、

誰にでも伝わるようにわかりやすく開こうと考えすぎて、逆に作品が閉ざされていくという現象が起きてている。(Chim↑Pom 卯城)

と返している。この「開く/閉じる」の話も「美術手帖」の中で幾度か言及があり興味深いのだが、それについては後で触れることにしよう。

森美術館の展示は決して「閉じている」わけではないが、「視線の存在を認識する」という話は共通するだろうし、その視線によって「成熟」が促され得るという指摘も同じだと思う。議論を引き起こさずにいられないChim↑Pomの作品・プロジェクトは、さらに広く視線に晒されることで一層「社会問題」を浮き彫りにし、議論が議論を呼ぶ状況を生み出すはずだ

そしてそのことを、私はとても「健全」だと感じるのである。

さて、森美術館の「Chim↑Pom展」では、入り口くぐる前から非常に印象的だったという話に触れてこの項を終わりにしよう。エントランスに「託児所」が設置されているのだ。その託児所にも《くらいんぐみゅーじあむ》という作品名がつけられ、ある意味で展示の1つとなっている。

子育て中の人が公共空間に入ることの困難さを解消し、「美術館は静謐であるべきだ」という常識をも覆すこの託児所兼展示も、非常にChim↑Pomらしさを感じさせるものと言っていいだろう。

Chim↑Pomが語る「公共」について

森美術館での展示の話から一旦離れ、ここからはChim↑Pomがテーマとして据えることの多い「公共」についてさらに掘り下げていこう。まずは、「美術手帖」内で行われた「公共」をテーマにした対談に触れ、それから、Chim↑Pomがこれまで行ってきた様々なプロジェクトについて、「公共」という観点にも触れつつ紹介していきたいと思う。

「美術手帖」内の対談「『公共』と美術を問い直す」について

「美術手帖」では、「公共」に関する対談が収録されている。『公の時代』という共著書を持つChim↑Pomの卯城竜太と、「公共彫刻」をテーマに制作・執筆を行ってきたアーティストの小田原のどかによるものだ。

対談は、「公共空間にアートが存在することの意味」や、「公共空間に置かれるアートの選定プロセスの非民主性」など、「公共とアートの関係性」について語ることで、「公共」の本質を明らかにするような内容になっている。

さて、この対談の中で、最も本質的でズバッと核心を衝いていると感じた発言をまず取り上げたい。卯城竜太が、過去にエリイが口にした発言を紹介する形で出てきたものだ。

《LEVEL7 feat.『明日の神話』》(2011)について取材を受けたとき、エリイが「《明日の神話》は私のだから」って言ったんです。公共は誰のものかという設問のひとつの究極的な答えだなあとそのとき感じましたが、そのパブリックアートのとらえ方は、BLMの例と本質的には接触する。(Chim↑Pom 卯城)

エリイの「《明日の神話》は私のだから」という発言を正しく理解するために、まず《LEVEL7 feat.『明日の神話』》というChim↑Pomの作品に触れることにしよう。

渋谷駅に、岡本太郎作《明日の神話》という巨大な絵が掲げられている。そしてこの作品には、広島・長崎の原爆や、第五福竜丸の水爆事故などの問題が背景として存在するという。そもそもその事実を私は知らなかった。以下に岡本太郎記念館のリンクを貼っておくので、どんな作品なのかはそちらで見てほしい。

この絵が飾られている壁には、右下の部分に、絵が存在しない空白部分がある。2011年4月30日、Chim↑Pomは《明日の神話》と違和感なく接続できるように福島第一原発事故を描いた絵を、無許可でゲリラ的にこの空白部分に貼り付けた。《LEVEL7 feat.『明日の神話』》は、この貼り付けた絵を指している。この絵は翌日には撤去されてしまい、さらに刑事事件にまで発展することとなった。

当時の世間の反応について、「美術手帖」にはこう書かれている。

2011年に渋谷駅で起きた岡本太郎の《明日の神話》(1969)への作品付け足し事件は、マスメディアでも取り上げられ、一般の人を含め多くの議論を呼んだが、アート関係者の多くはこの表現行為に肯定的だったように思う。とくにこの時期は、東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所事故に対して多くの関係者が文化・芸術の持つ力について自問自答していた頃。福島の事故を岡本太郎の作品に結び付けることで、日本の核の歴史を、公共の場で現代に更新する行為は、Chim↑Pomにしかできない鮮やかな手口と言えるものだった。のちに、この作品設置が事件として立件された際に刑事弁護を担当する弁護士の水野祐もまた同様に感じていたという。「事件を知ったときは、世間と同じく誰の行為か知らなかったのですが、当時の日本にとってクリティカルな表現だと思いました」。

なんとなくでしかないが、私はこの騒動のことを覚えている。そして当時たぶん、「鮮やかな手口」に似た感想を抱いたように思う。2022年の今、こうして改めて《LEVEL7 feat.『明日の神話』》について知ると、「天才的」だと感じる。「美術手帖」でエリイと対談した上野千鶴子も、Chim↑Pomのプロジェクトとして有名な《ヒロシマの空をピカッとさせる》なども含め、

例えば、広島や福島についての作品は、よくこんなことを思いつくなと思いました。(上野千鶴子)

と感心していたが、私も本当にそう感じた。「渋谷駅に岡本太郎の絵があること」や「その絵が被爆・被曝の歴史を描いていること」を知識として知っていたとしても、東日本大震災の直後にゲリラ的に《LEVEL7 feat.『明日の神話』》を仕掛けるなど、普通思いつけることではないと思う。シンプルさや鮮やかさという意味で、台湾の美術館の《道》に匹敵すると私は感じるし、世間にクリティカルにインパクトを与えたという意味では最上位ではないだろうか。

さて、Chim↑Pomのこの行為は軽犯罪法違反と捉えられ、書類送検されてしまった。「美術手帖」には、この時にChim↑Pomの弁護を担当した弁護士・水野祐のインタビューが載っているが、彼はこんな風に言っている。

しかし、これらの軽犯罪法違反は1人当たり1万円未満の科料と30日未満の勾留が定められている軽微な罪なので、科料を払って終わらせることもできたという。
「最初は、彼らに『さっさと払って終わらせちゃえば』と言ったと思います。弁護士費用のほうが高くなっちゃうよ、と(苦笑)。でも、彼らは行為の正当性を信じていて、それはしたくないし、表現行為だと真正面から主張したいと。そこで、作品の意図や行為の詳細を聞きながら、犯罪行為とされてしまうことによる表現や芸術の自由に対する萎縮効果などを主張する意見書を検事に提出することで、不起訴処分を目指すことにしました」。

水野祐は、自身がアートに造形があったこともあり、Chim↑Pomの行為が法に触れるものではないことを説明する47枚にも及ぶ意見書を作成し、提出した。「この意見書のお陰だったかは正直分からない」としながらも、結果的にChim↑Pomは不起訴処分が決まる。科料を払わず闘ったChim↑Pomは見事だったし、法の裁きを受ける結果にならずに本当に良かったと思う

水野祐がChim↑Pomの印象を語る中で、こんな発言をしていた。

しかし、じつのところその印象は最初に会ったときと変わっていないという。
「彼らはイメージと違い、いつでも愚直なまでに真面目というか、あらゆる可能性を議論していて、用意周到というか。実際最初の相談のときから『この絵が岡本太郎記念館に収蔵されることが最終的なゴール』って言ってましたしね。本当にそうなったわって感じです(笑)。『戦略』というほど洗練されてたものでもないですが、ある意味預言者的なところもありますね」。

そう、Chim↑Pomの《LEVEL7 feat.『明日の神話』》は、様々な物議を醸したわけだが、結果として岡本太郎記念館に収蔵されたのだ。見事と言っていいだろうし、Chim↑Pomの行為が正しく認められたということだと思う。

長くなったが、これがエリイの「《明日の神話》は私のだから」という発言の背後にあるものということになる。つまり、「渋谷駅という公共空間に飾られている岡本太郎の絵はみんなのものなのだから、私のものでもある」というわけだ。

これが「公共」に対する唯一解だとは思わないが、少なくとも「不正解とは言えない」という主張は理解してもらえるだろう。「公共」を捉える1つの視点として存在し得るはずだ

さて、対談の中で卯城竜太は、

いまの日本では公と個の関係が麻痺しています。(Chim↑Pom 卯城)

と言っている。これは、この発言に至るまでの文脈を考えると、「『公共』の捉え方に幅がなくなった」という風に捉えればいいだろう。「なぜ公共空間にアートが存在するのか」に対する答えは様々にあっていいし、それに対するアクションも多様に許容されるべきだと、卯城竜太も小田原のどかも考えている。例えば、彫像が破壊・破損されるような状況も想定されるわけだが、

そういうことを受け止めるのも公共空間に作品がある意味なので、必然性があるならばどんどん上書きしていったらいい。批判を覚悟で言いますが、そういう状態がいちばん輝いていると思いますけどね。体制や管理側との関係は、つねに緊張状態でいいんです。(小田原のどか)

というスタンスなのだ。もちろんそこには、ゲリラ的に行った《LEVEL7 feat.『明日の神話』》プロジェクトの考え方も含まれていると言えるだろう。

「『公共』と『アート』は、これまでそのような『緊張状態』を保てていた」という前提あっての話の展開だと思うが、現在はそのような「緊張状態」は存在しない。そこには様々な理由が存在するのだろうが、対談では「合意形成」「歴史化」に関する問題が指摘されている

モニュメントをつくると、誰がどの立場からどういうお金を使って、どのような名目で建てるかが問われます。行政にせよ民間にせよ、私費でも公費でも、ある種の合意を形成して、起きた出来事を歴史化しないとつくれない。歴史化ということでは、震災から10年が経って無数のモニュメントができましたが、私はあまりにも早すぎる気がしています。(小田原のどか)

ウポポイには僕も小田原さんのレビューを読んで行ったのですが、先ほどの津山の話の真逆というか、博物館ができたことによって過去になったように見えてしまうと感じました。『公の時代』でもふれたように、日本に加害の博物館がないことは、日本人にとってある意味戦争が終わっていないということだと思っていて。広島や長崎は、博物館があることで「過去を学ぼう」という未来志向になれるけれど、加害の歴史についてはまだ未来どころか現在すらも把握できていないんですよね。(Chim↑Pom 卯城)

そして、公共彫刻とは真逆の実例として卯城竜太が挙げているのが、引用中に「津山の話」として登場する「津山三十人殺し」である。

数年前、「津山三十人殺し」が起きた岡山県の津山に行きました。(中略)でも、現地に行って、「これは『モニュメントがない』事件なんだ」と思いました。(Chim↑Pom 卯城)

卯城竜太の話をまとめるとこうなる。「モニュメントを建てるという行為」は「事件を過去にすること」だが、事件はまだ過去になっていない。事件を起こした犯人の墓には、被害者の心情に配慮して、親族が川から拾ってきた丸い石が置かれているだけ。1938年に起こった事件によって、現在もなお「村八分」が継続しているのだ。そしてそれ故に、「モニュメントを建てて過去の出来事にすること」ができないでいる。「津山三十人殺し」とはそのような事件なのだ、と。

そしてこのようなものこそ、本来「アート」が担っていた役割なのではないかと指摘する。

行政主導で安易に総括されてしまいますよね。トップダウンなモニュメントよりも、津山のように自然発生した石ひとつが事件に対する真の気持ちを伝えうるならば、アート作品のように表象する必要性自体を根底から揺るがすし。(Chim↑Pom 卯城)

「何を置くか」以前に、「『そこに何かを置く』という行為そのもの」による意味が生じてしまう。その意味合いを正しく捉えずに、「『何を置くか』によるメッセージ性」だけがポツンと浮かび上がることで、結局何も伝わらなくなる、ということだと私は理解した。

日本は災害が多い場所なので、どのようなモニュメントがふさわしいのか、そもそもなぜ造形物で代替させるのかということも、もっと話し合われたほうがよいと思いますが、そういう議論が聞かれることがあまりない。(小田原のどか)

そしてこのような話の流れの中で、卯城竜太がこんな発言をする。

ボイスがヴィルヘルム・レームブルックという彫刻家について語った講演で、彼は彫刻のことを「尺度に対する尺度だ」と言った。空間にものを置くことで空間が見えてくるということです。(Chim↑Pom 卯城)

この主張は、私が森美術館の「Chim↑Pom展」を観た際に感じたことと重なるので、少し脱線になるが説明したいと思う。

私は「Chim↑Pom展」を観て、「何もない空間にドーナツが置かれることで、そこに『ドーナツの穴』という意味を持つ空間が生み出される」という感覚を抱いた。我々が「ドーナツの穴」と呼ぶ部分は、もしドーナツがなければ「何もない空間」に戻ってしまう。「ドーナツの穴」は、「ドーナツ」の存在に完全に依存した、「ドーナツ」がなければ可視化されないものというわけだ。

そして「Chim↑Pomのアート」と「社会問題」の関係性も、これにとても近いように感じた

私たちは「社会」と呼ばれるもの中に生きていて、当然その中で「社会問題」と常時”繋がっている”。しかし、「社会」の中に生きていると、自分のいる環境こそが「当たり前」だと感じられ、「社会問題と”繋がっている”」という感覚を抱けないだろうと思う。それは、台湾の美術館の《道》が提示した、「『公道』と『美術館』の『公共性の違い』」みたいなものだ。《道》が展示される以前から、それは私たちの目の前に存在していたが、視界には入っていなかったのだ。

しかしそこにChim↑Pomが、何らかのアートを提示する。これが「ドーナツ」だ。するとそれによって、「社会問題(ドーナツの穴)」が可視化される。そしてまさにこれこそが「Chim↑Pomのアート」が持つ存在感・役割だと感じるのだ。それは、先程引用した「空間にものを置くことで空間が見えてくる」という感覚にも近いだろう。

「公共空間におけるアート」も本来はこれと同じ役割を持つべきなのだが、決定プロセスを含めて様々な機能障害が存在するために、正しく存在感を発揮できていないのである。

だから卯城竜太は、

いまの日本では公と個の関係が麻痺しています。そういう状況では、個の身体として公に介入するよりも、公のようなものを自分で運営して実践してみるほうがいい。(Chim↑Pom 卯城)

と発言している。この転換も非常に鮮やかだと言っていいだろう。

「公のようなものを自分で運営して実践してみる」について、偶然興味深い話を知ったので紹介したいと思う。この記事を書いている前日、私はTBSドキュメンタリー映画祭で上映された『日の丸 それは今なのかもしれない』というドキュメンタリー映画を観た。この作品の内容には触れないが、その中で、寺山修司の劇団「天井桟敷」が行った「市街劇 人力飛行機ソロモン」について説明される箇所がある。

これがもの凄く面白かった

「市街劇」と銘打たれている通り、寺山修司はこの演劇を実際の市街で行ったそうだ。彼は、「1メートル四方1時間国家」という非常にインパクトのある言い方で、演劇が行われる市街(公共空間)を「国家」と表現した

この演劇は、1メートル四方からスタートし、1時間ごとに「領土」が倍になっていくという。劇自体は12時間以上上演するので、最終的にその「領土」はかなり広くなる

この「市街劇 人力飛行機ソロモン」の記者発表の場で、寺山修司はこんなことを言っていた。「領土」が広がってくると、例えばその「領土」内に車が停まっているという状況もあるかもしれない。しかしそこは私たちの「領土」なのだから、演劇の流れの中でその車を壊してしまう、そういうことも起こり得ると。

これは凄い話だと感じた。実際に「『領土』内に停まっている車を壊す」みたいな演出があったかどうかは知らない。しかし、寺山修司がそのような可能性を示唆したというだけで十分驚きだ。車を停めた側は、そこを「単なる公共空間」だと認識しているのだが、別のレイヤーではそこは「天井桟敷の演劇上の『領土』」なのである。理屈はムチャクチャだが、敢えてその主張をフラットに捉えるならば、ここには「複数の公共性が重なっている」ことになるのだ。まさに台湾の美術館の《道》と同じような状況と言えるだろう。

卯城竜太の主張する「公の運営」とどの程度重なる部分があるのか分からないが、寺山修司のこの演劇もまた、「公の運営」の一形態だと言っていいのではないかと思う。非常に興味深い話だった。

卯城竜太の「公の運営」のキーワードの1つは、「開く/閉じる」だろう。この点については既に、「森美術館で個展をやるとオワコン」という話の流れで一度触れたが、この対談の中でもこんな発言をしている。

最近はみんな「開く」ことを意識しているけれど、それでできなくなることはたくさんあると思うんです。一般に配慮して自己規制し、黒塗りされた表現を見せられる結果になるというか、「閉じている公」を開いて見せているだけな感じがして、違和感を持っていました。(Chim↑Pom 卯城)

この感覚は、私もよく分かる気がする。アートの話ではないが、卑近な例で言えば、テレビのバラエティ番組のテロップで当然のように表示される「後でスタッフが美味しく食べました」みたいなものを挙げればいいだろう。「批判をあらかじめ回避した形」でなければ創作を行えない環境を「公」と呼ぶのではないかという倒錯した感覚さえ抱いてしまう。

そんな「制約塗れの開かれた公」よりも「制約の少ない閉じられた公」の方にこそ可能性があるのではないか。おそらく卯城竜太はそのように考えているのだろうし、彼が「公」を運営するなら、そういうスタンスが取り込まれることになるのだろう。

既に引用した箇所を含むが、卯城竜太は、内田樹の「公共」に関する考えを引きながらこう主張している

内田樹さんが指摘していたのですが、西洋では、公共物は財産だという考え方がある。みんなが私権を制限して自分たちの財産を少しずつ持ち寄ってつくるものだから、そこに当事者意識が生まれてくる。いっぽう日本では、公共は野や海のようにそこにあるものとして受け止められている。だから、利用はするけれども当事者意識はない。僕はそれを読んで、しかし公共が野や海のようなものだとしたら、ポテンシャルもあるんじゃないかと思ったんです。問題はそれをどう運営するかというところに尽きる。(Chim↑Pom 卯城)

これから「公の運営」が、Chim↑Pomのテーマの1つとして組み込まれていくのだと思う

これまでChim↑Pomが行ってきた、その他の様々なプロジェクト

ここからは、ここまでで紹介したもの以外で、Chim↑Pomがこれまで制作してきた様々なアート、プロジェクトについて触れていこうと思う。「公共」というテーマは意識しながら、そうではない部分についても触れていくつもりだ。

Chim↑Pomと言えばやはり、既に名前を出している《ヒロシマの空をピカッとさせる》が有名だろう。私が森美術館の「Chim↑Pom展」を観る以前に、なんとなくでもChim↑Pomのことを知っていたのは、この《ヒロシマの空をピカッとさせる》があったからだと思う。これは2008年に行われた、「飛行機雲で広島の空に『ピカッ』の文字を描く」というプロジェクトだ。容易に想像できるかもしれないが、当時相当な非難にさらされたという。

しかし、Chim↑Pomの師と言っていい会田誠が、

とくに広島の「ピカッ」の大きな騒動のあとの粘り腰には、目を見張るものがあった。(会田誠)

と語るほど、Chim↑Pomは広島の人たちと向き合った。バッシングのため、直後に予定されていた広島市現代美術館ミュージアムスタジオでの個展は中止となってしまったが、

バッシングに負けず、いくつもの被爆者団体を訪れて対話を続けたChim↑Pomは、和解どころか、応援してもらうまでに至ったということである。
こうして、Chim↑Pomのライフワークとも言うべき「広島!プロジェクト」は始まった。(中略)原爆美術の系譜に最新の足跡を残したと言えよう。

という地点まで歩みを進めてしまう。これはなかなかに凄まじいことだろう。森美術館には、批判・バッシングにChim↑Pomがどう応えてきたのかを示す年表が掲示されていたが、とにかく生半可なものではなかったことが伝わってくる。しかし、「作品を見て、真意をわかってほしい」という熱意を伝え、新たな「広島!プロジェクト」のスタートにまで繋げてしまうのだ。

「広島!プロジェクト」のオーガナイザーとして携わったギャラリースタッフの松波静香はインタビューでこう答えている。

Chim↑Pomが広島で現地制作した「平和の日」シリーズ(2011/13)が、理解を得た市内各所で販売され、売り上げは旧日銀での展示資金となった。「平和の日」とは、大小のパネルに絵を描いて「原爆の残り火」で着火し、すすなどが画面を構成する数百点の作品群である。「広島の方がかなり買ってくださった。『準備展!』の時点で、怒っている人より興味を持っている人が多い印象でした」。

さらに「広島!プロジェクト」は、原爆を投下した国アメリカへも上陸し、「ニューヨークのアートシーンに一撃を与えた」そうである。美術界の外側も外側にいる私にまで聞こえてきたぐらいの壮絶なバッシングから目を背けず、最終的にニューヨークまで至る展開を生み出してしまうChim↑Pomの凄まじさが実感できるプロジェクトだと思う。

この「広島!プロジェクト」には、大量の千羽鶴を広島市から借用し、高さ7メートルのドーム状に造形した《PAVILION》も展示された。この折り鶴にまつわるエピソードも素晴らしい

上野千鶴子  「全国から送られてきた折り鶴を使おう」とか、最初にアイデアを出すのは誰?


エリイ  広島で地元の人たちから話を聞いたり、体感として入ってくるなかで、「じゃあ、みんなで見に行ってみよう」ということになるんです。だいたい断られますけど、それはもう大前提で、交渉します。


上野千鶴子  交渉力もすごいと思います。折り鶴の保管を知っている人はいるだろうけど、それを作品に使おうというアイデアは空前絶後でしょう。巻き込み力、コミュニケーション力があるよね。

Chim↑Pomは、全国から送られてくる折り鶴の保管に広島市が頭を悩ませていることを知った。そこで、その折り鶴を使って何かアートを制作できないかと発想、交渉の末実現させてしまう。

さらに彼らは、「折り鶴を開いて折り紙の状態に戻し、改めてそれを折り鶴として折る」というプロジェクトを始めることで、「折り鶴を折るという行為は継続させながら、これ以上折り鶴の総数を増やさない」という提案も行った。森美術館の展示でも、折り鶴の折り跡が残る四角い紙が入った箱が置かれ、「この紙で自由に折り鶴を折って下さい」と案内が置かれている。

私も折ろうと思ったのだが、不覚にも鶴の折り方を完全に失念しており、断念した。まさか鶴の折り方を忘れているとは思わなかったので驚いたが、何にせよこの鮮やかな発想は見事だと感じる。社会の中におけるアートの存在価値を如実に示す数々のアイデアに感服した

2016年に新宿で行われた《また明日も観てくれるかな?》というプロジェクトは、規格外の規模だったという。解体が決まったビル1棟を丸ごと使用し、1階から4階までのフロアの中央部分をくり抜いた。その残骸は、家具などと併せてモニュメントのような形で1階に鎮座する。2週間の期間中様々な形で展示が行われ、2日間はイベントも行われた。そのイベントには小室哲哉も参加したという。最終的にビルは、展示物もろとも解体された

このイベントにオーガナイザーとして深く関わったのが、歌舞伎町でホストクラブなどを経営する手塚マキだ。彼がChim↑Pomに「このビル、展覧会で使えるよ」と声を掛けたことで、この無謀とも思えるイベントがスタートすることになった。しかし、準備には相当苦労が伴ったという。

ただ、展覧会実現までの道のりは決して平坦なものではなかったそうだ。「最初はなかなか現代美術の意義が理解されなかった」と手塚は語る。
「組合の人たちは『共存はするけど共生はしない』とよく言うんですよ。営利団体じゃないから、展覧会開催を力強く応援する人も、逆に強く反対する人も出ない。”のれんに腕押し”状態だった。でも、当時専務理事だった杉山元茂さんが企画に協力的で、組織内の交渉を担ってくれました。最終的にはなんとか消防法もクリアして、組合の人たちやビルの解体業者さんを納得させることができたんです。」

「会期中は注意されないように、よくお巡りさんと話して安心してもらっていました。とにかくこのイベントを何事もなく終わらせることが自分の役目だと思っていたんです」と手塚は振り返る。

このイベントでは、「公共」よりもむしろ「街・都市」自体がテーマになっている。渋谷でスーパーラットを捕まえたり、六本木ヒルズで展示を行ったりと、都市ごとに様々なプロジェクトを行ってきたChim↑Pomらしい、「新宿ならではのアプローチ」と言えるだろう。

手塚によれば、そもそも歌舞伎町は「世界のどの都市とも違う、オリジナリティがあるユニークな街」。誰かがコントロールしたわけではないのに、街全体がひとつの生き物のようでもある。そこにあるのは意図された多様性ではなく、「あれだけ自由にやらせてたら、そりゃ多様になるよね」という結果的な多様性だ。

森美術館にも、当時1階に置かれていたという「瓦礫の山」の再現レプリカが置かれていたが、「これが新宿の雑居ビルにあった」と想像しても違和感がないと思えるような、そんな街だと感じる。まさに新宿・歌舞伎町だからこそ成し得たイベントだったと言えるだろう。

さて、手塚マキとChim↑Pomの関係は実はもっと遡る。エリイの夫が手塚マキであり、Chim↑Pomは2014年にウェディングデモと称して《LOVE IS OVER》を行っているのだ。これも、発想はシンプルながら、これまで恐らく誰も思いつかなかっただろう、見事なイベントだと言っていい。

エリイと手塚マキの結婚披露パーティー終了後、彼らは「街頭デモ」を実施した。事前に警察に申請を出し、新宿・歌舞伎町から歩き始め、西新宿にあるロバート・インディアナのパブリック・アート《LOVE》まで「デモ行進」を行ったのだ。しかしそのデモで主張されるのは、「LOVE」や「おめでとう」ばかり。「デモ」という名を借りた「公共空間での結婚パーティー」というわけだ。通常なら大金を掛けなければ不可能なことを、彼らは警察への届け出だけで、タダで行ってしまったのである。

この時の様子は有名写真家が撮影しており、後に『エリイはいつも気持ち悪い』という写真集として出版された

著:Chim↑Pom, 監修:Chim↑Pom, 編集:Chim↑Pom
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《また明日も観てくれるかな?》期間中のエリイの様子について、手塚マキはこんな風に語っている。

展示期間中、エリイが毎日「穴から人が落ちて死んだらどうしようと思うと眠れない」って言ってたんです。寝ても人が死ぬ夢を見て起きちゃう、と。もちろん、僕らは事故が起きないように万全のリスク管理をしていましたよ。でも、その話を聞いたとき「ああ、彼らは真剣にやってるんだな」と思ったんです。(手塚マキ)

失礼な話だが、私にとってもこの話は意外だった。確かに森美術館の展示を見て、彼らが真剣にアートと向き合っているのだと理解していたつもりではある。しかしやはり、どこか巫山戯たようなイメージで見ている部分も自分の中にあったのだろう。きっと、「ああ、彼らは真剣にやってるんだな」と感じた手塚マキも同じような印象を抱いていたのだと思う。だからこそエリイが、イベントで人が死ぬ不安について真剣に案じている様子はなんとなく意外に感じてしまったし、このエピソードを知って、彼らの真剣さをより正しく理解できたような気がする

(2022年4月20日 追記)

Chim↑Pomが「Chim↑Pom from Smappa!Group」に改名するという話を冒頭に追記したが、その関係についてここに書いておこう

「Smappa!Group」の代表は手塚マキなのである。つまり森美術館は、エリイの夫であり、これまでに様々なChim↑Pom作品に携わってきた手塚マキの資金を「水商売だから」という理由で断ったのだ。

Chim↑Pomは改名を伝える文章の中で様々な理由を挙げ、説明を述べているが、しかしやはりシンプルに「そりゃないだろ」という感覚なのだと思う。私もそう感じる。Chim↑Pomは作品ごとに、「外部の協力者」と呼ぶべき存在にかなり助けられているが、その中でも手塚マキはChim↑Pomを語る上で欠かせない「外部の協力者」の1人と言っていいだろう。

森美術館側にも様々な主張はあるのだろうが、私は感覚的に、Chim↑Pomの肩を持ちたいと感じてしまった

さて、そんな《また明日も観てくれるかな?》は、そのまま別のプロジェクトにシームレスに接続されていく。高円寺にある「キタコレビル」で行われた《Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける》展で、歌舞伎町のビルの残骸を使用した「舗装道路」が敷かれたのだ。「Chim↑Pom通り」と名づけたその私道を公道のごとく開放し、公衆トイレや防犯カメラなども設置、様々な展示品が散りばめられた。

当初は「歌舞伎町のビルの残骸を使ってキタコレビルで何かをする」ぐらいの漠然としたアイデアしかなかったそうだが、オーガナイザーとして関わった建築家の周防貴之を含めた様々なディスカッションを経て、

それらを一気に解決できるやり方として、キタコレの敷地内に「道」をつくろうという流れになったような気がします。壊れた都市の一部が違う場所に持ち込まれ、その場所自体になるというアイデアです。(周防貴之)

という話になっていったという。「道」というアイデアについても、決して唐突に生まれたわけではなく

Chim↑Pomのメンバーは、周辺住民からキタコレの構造の経緯を聞き取りした。(中略)
「(中略)キタコレの敷地内にはもともと私道があったことがわかりました。そこを復活させ、公道に接続しようということになったのです。(中略)そこに振興組合ビルなど都市の瓦礫を使用したら、『壊れた都市が礎となり、新しい都市の公共空間をつくる』ことになる……と、点だった意味が線につながっていきました」。

というような流れで出てきたのだ。場所ごとの背景をきちんと活かそうとするChim↑Pomらしい関わり方だと言える。

さらに周防は、

歌舞伎町から持ってきたものを材料として使うだけでなく、道を通して「場所」そのものをつくらないといけないと考えていたので、「道を育てる」ということにつながっていきました。(周防貴之)

と語っている。当然想像できると思うが、《Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける》展で生まれたこの「道を育てる」という発想が、後に台湾の美術館の《道》へと繋がっていったのだ。このように、Chim↑Pomのプロジェクトは、プロジェクト同士でも様々に有機的な繋がりを見出すことができる。

Chim↑Pomと関わった周防自身も「公共」に対する考えを持っており

場所自体をつくれたなら、都市の公共性を問いかけることができる。周防は、道とはインフラであり、周辺の建物も含めた地形そのものであると考えており、その地形が持つ個性がその場での人たちの振る舞いにも影響を与えると考える。
「僕たち日本人のメンタリティーとして、公共空間は『使わせてもらっている』という認識が少なからずある気がしていて。個々が当事者として公共空間に関われるような場所の、これまでと違った在り方を表現できるのではないか、と。」

と語っている。このように、Chim↑Pomのスタンスに呼応できるオーガナイザーとプロジェクトごとに関われているということも、Chim↑Pomの強みであり特徴であると言っていいだろう。

さて、また新宿へと戻ることにしよう。2018年、再び新宿でビルの取り壊しが決まり、そのビルを借りていたのが手塚マキだったこともあり、解体前に《にんげんレストラン》というイベントが2週間開催された。このイベントに携わったアーティストの松田修が、

このイベントの全体像は誰も把握できていないと思います。それでも、僕がいちばん詳しいのは間違いない。10日間ずっと会場にいましたから。(松田修)

と語るほど、誰がどこで何をしていたのか誰も捉えきれていないカオスなイベントだったという。コンセプトは、「人間のポテンシャルをめぐる様々な身体パフォーマンスや生体展示」であり、会期中イベントとは無関係に歌舞伎町で飛び降り自殺が多発したことを即座に取り込むなど、生き物のように変化するイベントだったそうだ。

《にんげんレストラン》には「公共」に対する問題意識が明確に存在したという。

そもそも「にんげんレストラン」のコンセプトの背景にあったのは、Chim↑Pomが当時抱いていた「公」概念への違和感だ。詳細は卯城竜太と松田の共著『公の時代』(朝日出版社、2019)に譲るが、違和は基本的に2つの面を持つ。松田が説明する。
「ひとつは、東京オリンピックに向けて再開発が進む都市空間のあり方に対しての違和感。例えば近年の公園は有料化したり綺麗になったりして、万人に開かれた『公』園というより多数派に向けた『マジョリティ』園になり、個の多様性が排除されている。もうひとつ、キュレーターの描いた物語のうえで作品が『挿絵的』に使われることで、アーティストの持つ『エクストリームな個』って側面が蔑ろにされている美術への疑問もありました。キュレーションが主役の言語的なアートの現状を見て、『アーティストってそういう存在なんだっけ?』と。そういうふうに『個』よりも『公』が重視される時代へのアンチテーゼとして、むき出しの『にんげん』を提示するのが、ここでの狙いだと思いますね」。

もし実際に《にんげんレストラン》のイベントを自分の目で見ていたとして、このような背景を想像できるか自信はないが、言葉で説明してもらえるととても納得感がある。確かに、「多様性」という言葉を使いながら、「あなたが言う『多様性』には、『◯◯のような人』は含まれていませんよね?」と感じるケースは多い。本来は「あらゆる個」が許容されるべきなのに、無意識的に「ある特定の個」が排除されてしまう状況に私も違和感を覚えることは多いし、そのアンチテーゼとしてアート的な何かを対置するという発想はとても興味深いと感じる。

また、Chim↑Pomと松田修が、

ある理念のもとでトップダウンに管理されるアートの場ではなく、有象無象が集まることで誰も全体が把握できないようなボトムアップの場をつくりたい――。

と考えて《にんげんレストラン》を企画したことは、卯城竜太が言う「公の運営」の一形態と捉えることもできるだろう。先述した通り、卯城竜太は「制約塗れの開かれた公」に対する違和感を持っており、それに対して「制約の少ない閉じられた公」をイメージしていたわけだが、この《にんげんレストラン》は逆に、「開かれすぎたことで制約しようがない公」と表現できるように思う。いずれにしても「いかに制約を取り払うか」いう運営手法の違いであり、志向するものは同じだと感じた。

《A Drunk Pandemic》も非常に興味深いプロジェクトだ。どんなものなのか、「美術手帖」の記述を引用する形で紹介しよう。

これは産業革命期にコレラで亡くなった人々が埋葬されたというマンチェスター・ヴィクトリア駅地下のトンネル廃墟にビール工場を設置し、そこで醸造したビールを、下水道でつながったトンネル外のバー「Pub Pandemic」で提供、バー併設のトイレから排泄された汚水を、今度はトンネル内につくった工場「Piss Building」でれんがの生成に利用するというプロジェクトです。

どうやったらこんなアイデアが出てくるのか、本当に不思議でしょうがないが、ここにもやはり必然性がある。コレラ禍においては、煮沸して作られるビールは生水よりも安全だとみなされており、そこから着想を得ているのだ。

Chim↑Pomはつねにローカルな要素を可視化する存在だと思います。観客の尿が混じった「Piss Brick(尿のれんが)」は物議を醸すアイデアでしたが、話し合っていたテーマをまさに体現するものでした。(グラニエ・フリン)

と、この展示のキュレーションに関わったグラニエ・フリンは語っている。「C↑P」と書かれた「Piss Brick」は実際に、ノーザン・クォーターにある建物に使用されているのだ。やはりChim↑Pomの作品は、アートの枠組みを超えて社会へと侵食していくのである。

彼はまた、

Chim↑Pomはどの場所においてもその地域のコミュニティや歴史に深い関心を持って活動しています。(グラニエ・フリン)

とも発言しており、Chim↑Pomの核となる部分を的確に理解していると言っていいだろう。

しかしそれにしても、「ビールを飲ませて出てきた尿でレンガを作る」という発想は、やはり異常だ。「テーマを体現する」ものであれば物議を醸すことなど厭わない、Chim↑Pomらしさが見事に発揮されたプロジェクトだと感じた。

最後に、《気合い100連発》を紹介して終わろう。「あいちトリエンナーレ」のいち企画「表現の不自由展・その後」に出品したもので、私は知らなかったのだが、かなり炎上したそうだ

《気合い100連発》は、

2011年5月、東日本大震災の被災地である福島県相馬市で知り合った若者たちと円陣を組み、100回連続で気合いを入れる様子を収めた映像作品

である。森美術館でもその映像は流れていたが、内容を思い返してみても、私にはそれがどうして炎上したのかよく分からない。映像を全部見たわけではなかったこともあり、「美術手帖」の記述を読んでようやく理解できた

僕的には《気合い100連発》が炎上したのが本当に嫌でした。あの作品では福島の地元の子たちによる「被爆最高!」という叫びがあります。その言葉が「福島ヘイトだ」と言われた責任は、自分たちにあるじゃないですか。彼らのことを思うと辛かった。(Chim↑Pom 卯城)

理解はできたが、やはり不思議だ。実際に被災した福島の子どもたちが「被曝最高!」と口にすることの、一体何が悪いのだろうか? もちろん同じことを、被災者でもない、福島ともなんの関係もない人が言えば問題だと私も思う。しかし、その発言は当事者によるものだ。私には、Chim↑Pomの稲岡求が次のように語っている感覚の方が真っ当に感じられる

《気合い100連発》でも《ヒロシマの空をピカッとさせる》でもそうだけど、当事者たちは自分の体験を咀嚼して前に進もうとしているからか「もっとやっちゃえよ」と言ってくれたりする。でも別の世代や別の場所にいた人たちは、過剰に彼らを守ろうとする。俺は「不自由展」が展示中止になったとき、高山明さんが企画した「Jアートコールセンター」で、苦情の電話をかけてくる人たちの対応をしたんです。そのとき、《気合い100連発》を「福島ヘイトだ」と言う人たちと話しました。俺は「被災した本人たちはあの瞬間、気持ちをうまく言葉にできず、ああ言うしかなかった。それでもヘイトと言うんですか」と訴えたけど、一生わかり合えない感じがしましたね。(Chim↑Pom 稲岡)

Chim↑Pomの手法に賛否が出るのは当然だし、そのこと自体は健全だと思う。しかし客観的に比較して、「広島や福島の社会問題に直接関わっているChim↑Pom」と、「どこに住んでいる誰なのかは分からないが、恐らく広島や福島に対して特に何もしていないだろう名もなき個人」だったら、どう考えてもChim↑Pomに軍配が上がるだろう。しかし社会ではどうも、「『正義』の仮面を被った『偽善』」の方が支持されてしまうことがある

そのような状況に対しては、非常に不健全だと感じてしまう。Chim↑Pomには、そういうクソどうでもいい批判は無視して、賛否を巻き起こしながら、彼ら自身で「正しい」と信じる道を突き進んでほしいと改めて感じた。

「Chim↑Pom」とは何か?

Chim↑Pomは2005年に結成され、今年で17年目を迎える。卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀という6人が、結成以来メンバーを変えることなく現在まで続くアート集団だエリイ以外は美大出身ではなく美学校で講師をしていた現代美術家・会田誠の元に屯していた面々で結成されたという、なかなか特異なグループである。

そんなChim↑Pomについて、「美術手帖」内で言及されている様々な言葉を引き合いに出しながら触れていきたいと思う。以下では「Chim↑Pom全体」と「エリイという個人」に分けて記事を書いていくChim↑Pomにとってエリイの存在は、その根幹に関わると言っていいほど軸となる存在であるようで、だからこそエリイについては別途言及したいと思う。

Chim↑Pom全体について

「会田さ~ん、今度オレらグループを作ることにしたんスよ~」。卯城は確かそんな軽い言い方をしたと思う。2005年、場所は当時の我が家、西荻窪の古い一軒家のリビング。「ふーん、まあがんばって」。僕もそんな調子だったと思う。なんにもやらないよりは、なんかやってみたほうがいいだろうからね、くらいの反応で。
(中略)そんないつものけだるい(たぶん日曜の)朝に、卯城のくだんのセリフ――Chim↑Pom結成の報告――を聞いたのだった。(会田誠)

「Chim↑Pomの師」として知られる会田誠は、こんな風に書いている。結成当初は、「なんにもやらないよりは、なんかやってみたほうがいいだろう」ぐらいの捉え方だった会田誠だが、すぐに、

リーダーの卯城は高校中退、全体的にも非美大出身的なChim↑Pomを、旧弊な美大ワールドに早くぶつけたかったのだ。(会田誠)

と、その見方を変えたという。《ERIGERO》と題された、エリイがピンク色のゲロを吐くだけの、2005年発表のChim↑Pom第1作を見てそう考えたというのだから、さすが会田誠といったところだろう。森美術館には、この《ERIGERO》の映像も流されている。説明書きを読んだ上で映像を見れば、確かに「社会批評」を備えたものだと分かるが、単に映像だけ見れば「なんじゃこりゃ?」と感じるものでしかないと思う。

しかし同時に、《ERIGERO》には確かに、現在にも通じる「Chim↑Pomらしさ」が凝縮しているとも感じた。

会田誠は、Chim↑Pomにアドバイスなどしたことはないと言うが、常に動向は追っており、彼らの歩みを、

無免許でいきなり高難易度のオフロードに挑み、車をボコボコにしながらスペシャルな運転テクを磨いていったようなイメージを、僕は彼らに抱いている。(会田誠)

と評している。「無免許」というのは「非美大出身者が多い」ということを意味するのだろうし、「車をボコボコにしながら」というのは、時に物議を醸しながらも存在感を示し続けたChim↑Pomらしさを見事に言い得ていると思う。

「美術手帖」には、様々な形でChim↑Pomと関わってきたオーガナイザーたちが、彼らをどのように捉えているのかというコメントも多数収録されている。多いのは、

めちゃくちゃ仲悪いじゃんと思うこともあれば、じつはお互いすごく心配していたりして、家族兄妹のように見えることもあります。個々は強烈にバラバラでも集団になるとChim↑Pomというひとつの人格のようなものもあって、なんだか不思議。(松波静香)

Chim↑Pomは6人の個性が重なり合うことなく、ふだんはお互いに立ち入らない感じですけど、作品やプロジェクトをつくろうとするときには、お互いが触媒みたいになりながら反応が加速していく。制作プロセスを通して、アートに対する誠実さという彼らの根っこの部分が共通しているのを感じました。(周防貴之)

のような、「個々人の調和は無いが、集団としてのまとまりはある」というような捉え方だ。エリイも、

Chim↑Pomがなければ絶対にふれ合うことのなかった人間とチームを組んでいるので、これが社会なんだなと思います。(Chim↑Pom エリイ)

と語っており、個人個人としてはまったく重なる部分がないという意味だろうと思う。しかしこの6人が集まると、「Chim↑Pom」という個性が発揮されるのだ。

Chim↑Pomの特徴は、過去15年以上にわたって6人の固定メンバーで構成されているところ。彼らはメンバーとして活動するいっぽう、個人のキュレーションや執筆活動、テレビ出演など、外ではそれぞれ自分のやりたいことをやっています。でも、作品をつくるときはつねに集団的な作家性を持っている。それぞれの考えや欲求を探ったり、意見を交換したり、6人のなかに「小さな社会」があるんです。それが、彼らの多様な視点や作品のダイナミズムを生み出しているのだと思います。(水野響)

Chim↑Pomは結成以来、毎週「Chim↑Pom会議」と呼ぶ話し合いを続けている。この話し合いの中で、何をどのように制作していくのか意見を出し合い、方向性を決めていくというわけだ。この会議について林靖高は、

コンセプトは重要だけど、それを言葉で説明しきれる作品はつまらない。言葉でわかる部分と、ものに落とし込む制作の感覚のバランスが大事で、どちらかに偏ることなく綱引きしていると、自分たちでもわからないいびつなものができる。そのほうが自分たちらしい作品になるし、その引っ張り合いがChim↑Pom会議なのかもしれないですね。(Chim↑Pom 林)

と語り、稲岡求は、

みんなまとまりがないのは大前提で、卯城くんが意見を吸い上げてまとめ上げてくれないと、てんでバラバラ。だから「リーダーを辞めた」とか言うても、と。卯城くんがいないChim↑PomはChim↑Pomにあらず。(Chim↑Pom 稲岡)

と言っている。元々Chim↑Pomは卯城竜太をリーダーとしていたが、彼が唐突に「リーダーを辞める」と決めたことで、現在は「リーダーはいない」ということになっているそうだ。

実質的にはともかく、表向きにはリーダー不在であるChim↑Pomは、

Chim↑Pomは共通の強い指針があって始めたものではないので、内部での揉め事も多くて。(Chim↑Pom 卯城)

という状態だそうだが、一方で、

でもChim↑Pomの需要と、メンバーの1人ひとりが望んでいる活動がずれるときもあるじゃないですか。というか、ずれていかないと面白くない。結局ヴィジョンなんて決めても意味ないな、もういいやって。(Chim↑Pom 卯城)

とも感じており、そのことが彼らの面白さに繋がっていると言えるだろう。2019年の年始1発目の会議では、

「Chim↑Pomにはおそらくヴィジョンや統一した目標も趣味の一致もない」「今後はここの活動でそれぞれのChim↑Pom像が出てくればいい」と。これからも続くのだとしたら、そうなっていけばいいと思っています。(Chim↑Pom 卯城)

という共通理解を確認したそうだ。そしてそんなスタンスだからこそ、

アートの文脈のなかだけで通じる作品をつくるのではなく、アートの形式を用いて社会や政治や哲学を語っていて、それが即興的であるというところも好きです。また、自分たちの人生がつねに作品に表れていて、作品と人生が互いに行き来するような関係にある。(ベティ・アップル)

という雰囲気を生み出すことにも繋がっているのだと思う。また、エリイと上野千鶴子の対談で出てきた「互助会」というキーワードも、Chim↑Pomらしさを表していると言っていいかもしれない。

上野千鶴子  それで17年もよく続いていますね。バンドなんかでも、解散したり、独立したい人が出ていったり、出入りがあるものだけれど。


エリイ  みんな気がいいからですかね。それから、全員とにかくやる気がないというか(笑)。6人でなんとかずるずるやって、生きることをしのいでいるような。ただ、「どうせやるんだったら面白いことや、心が動くようなことをやって生きていこう」という感じはあります。Chim↑Pomをやるというのが、いちばん楽しく楽に生きられる方法のひとつかもしれないですね。


上野千鶴子  おもしろい! 互助会なのですね。

正直、そのような感覚を共有できる仲間がいることは羨ましいと感じる。

エリイが言う、「生きることをしのぐ」「どうせやるなら面白いことを」という感覚は私の中にもあるが、そのような感覚だけでは社会の中で生きていくのは難しい。一方、Chim↑Pomという集団の場合は、その活動が「『心の豊かさ』と『社会での生活』を両立する手段」として機能している。そのことは正直、とても羨ましい。もちろん、山ほど大変なことも経験しているだろうし、「楽に生きられる」というほど楽ではないはずだ。しかし、「Chim↑Pom以外の人生はもっと大変」という感覚もあるのだろうし、やはり彼らは正しく人生を選んだということなのだと思う。素晴らしい「互助会」だ。

プロジェクトや制作については、エリイと林靖高がそれぞれ次のように語っている

展覧会の話がきたときは、その場所に「すごく行きたい」かどうかが大きいです。自分たちでプロジェクトをやるときは、震災発生など「何かやらなきゃ」と思ったとき。何もないときは「金を稼ぎたい」。この3点だと思います。(Chim↑Pom エリイ)

制作する際に自分たちで完全につくるときも、無茶振りのようにまるっと誰かに任せたほうがいい場合もある。どちらの場合も、そのほうがChim↑Pomとしてうまくいくという判断をしているから、自分たちにとっては「制作」している感覚なんです。そういう判断こそChim↑Pomの核で、僕自身のセンスを見せようとすることはChim↑Pomのカラーではない。そういうことです、Chim↑Pomの制作って。(Chim↑Pom 林)

これらは「集団」だからこその判断であるように感じられる。エリイの発言は、まったくバラバラの個性を持つ6人だからこそ、シンプルな基準を決めておかなければ話が前に進まない、という意味ではないだろうか。また林の発言は、「個人の色ではなくChim↑Pomのカラーを出すことにこそ意味がある」という主張であり、これもまた、Chim↑Pomが「『Chim↑Pom』という記名性を持つ集団」であることの重要性を示唆しているものだと思う。

そんな彼らも、スランプを経験しているそうだ。17年もやっていれば当然だろう。しかしそのことが、次の前進にも繋がっているのだという。

―活動を続けるなかで、スランプに陥った経験はありますか?


卯城  2回くらい「無」になりました。最初のスランプは震災が起きる前ですね。
(中略)
それでビエンナーレ後、「このままじゃ国際展に出ても踊らされるだけだ、ヤバい」「うちらが何をしたいのかありきでないと」と初めて反省会をしました。だから2011年に東日本大震災が起きたときには「こういうことをやればいい」という下地ができていた。

彼らは東日本大震災を背景にした制作を直後から数多く発表しているが、そんなことができたのも、スランプへの危機感から「Chim↑Pomはどうあるべきか」というスタンスを改めて共有していたからなのだ。彼らはなんと、福島の原子力発電所の動向がまったく見通せていないタイミングで防護服を着て現地入りし、制作を行っている。その行為には賛否あるだろうが、いずれにしてもそのような俊敏性を発揮できたのは、スランプのお陰もあったというわけだ。

ではChim↑Pomは、集団ゆえの難しさにどう対処しているのだろうか

福島を扱ったアートもそうだが、Chim↑Pomは様々な形で議論を巻き起こす制作を行っている。個人のアーティストなら、自分の感覚で良し悪しを決すればいいが、Chim↑Pomは集団だからこそ、「Chim↑Pomとしての判断」を下すことが難しい局面にもぶち当たるだろう。上野千鶴子も同じように考え、エリイに質問している。

上野千鶴子  そういう境界の線引きについては、どう考えている?


エリイ  私たちは、アートとして成立するかどうか、ということから考えるのが基本ですね。


上野千鶴子  (前略)その経路があるから、渋谷駅に設置した《LEVEL7 feat.『明日の神話』》も、原爆と3.11がすぐに結びついたんですね。


エリイ  そうですね。毎週やっているChim↑Pom会議で、メンバーが「これから50年、100年経ったとき、3.11のときに芸術家たちは何もしなかった、というのは違うんじゃないか」と言ったのがきっかけで、「いま、この時に何ができるか」を考えました。

「アートとして成立するか」「いま、この時に何ができるか」という線引きもなかなか容易ではないと思うが、まずは、言語化することによってメンバー同士で共有できているという点が大きいと思う。これもやはり、集団として物事を決していくために必要な仕組みなのだろうし、あるいは、Chim↑Pomは集団だからこそその強烈な個性を発揮できている、とも言えるかもしれない。

「美術手帖」には、《Don’t Follow the Wind》でキュレーターを務めたジェイソン・ウェイトによる、「協働(コレクティブ)への回帰」に関する論考も掲載されている。2つだけ、文章を引用してみよう。

そういうわけで私たちは、「アートとは単独のアーティストがつくるもの」という見方を刷り込まれ、アーティストを、たった1人でキャンパスや絵具だけを携えてスタジオに閉じこもり、懊悩しつつも創造性あふれる精神の持ち主ととらえる紋切り型に慣れっこになっている。(ジェイソン・ウェイト)

現代美術がいまコレクティブへの転回を経験しつつあることは明らかだ。直近の事例として、2021年のターナー賞では5つのコレクティブがノミネートされた。(ジェイソン・ウェイト)

Chim↑Pomの「コレクティブ」としての在り方に興味がある方は、是非この論考を読んでみてほしい。

さて、そんな集団としての個性を発揮するChim↑Pomだが、やはりエリイの存在を外しては語れない

いまは、今日当たり前だと思っていることが、明日にはもうみんなのコモンセンスではなくなる時代。そのなかで新たな表現をやっていくのが楽しみですね。私が街で遊んだり、いろんな人に会ったり、変な路地に入っていったりすることは、これからも全部Chim↑Pomの活動に返っていくのかなと思います。(Chim↑Pom エリイ)

Chim↑Pomは集団としての個性を持ちつつも、なんだかんだ「エリイの個性」を起点にすることも多いそうだ。そんなわけで最後に、エリイに関する言及を紹介して、長々と書いてきたこの記事を終えようと思う。

エリイについて

卯城  まあでも最初にしっくりきたのは、エリイちゃんがピンクのゲロを吐き続ける《ERIGERO》というパフォーマンス。


岡田  俺が最初に誘われたとき、すでにその構想を聞いてて「面白そうだな」と思いました。エリイちゃんを起点にするあたりにChim↑Pomがやりたい方向性は、当時からなんとなくあった気がしますね。

2人が話している通り、Chim↑Pomは「エリイありき」で様々な物事が動く印象の強い集団だ。実際、森美術館でも、先述した《ERIGERO》や《LOVE IS OVER》、あるいは、カンボジアの地雷で爆破させたエリイの私物をオークションに出品して寄付を行う《アイムボカン》など、エリイが起点・中心となっているものが多く展示される。メキシコの国境沿いのスラム地域にツリーハウスを制作した《U.S.A. Visitor Center》も、「エリイがアメリカへの入国が制限されている」という事情から制作が始まっているのだ。

Chim↑Pomの活動は、エリイちゃんの人生の歩みと直接つながっていたりするよね。とてもほかのメンバーじゃ考えられないけど、ご家族含め関わりある人たちの「エリイちゃんのやることならしょうがない」って感じの理解があって、表現の適用範囲がすごく広まっていく感じがあるし。(Chim↑Pom 岡田)

先程、「自分たちの人生がつねに作品に表れていて、作品と人生が互いに行き来するような関係にある」というベティ・アップルの言葉を引用したが、この捉え方は、「Chim↑Pomにはエリイの人生が如実に反映されている」という意味合いが大きいと思う。エリイだけが美大出身であること、エリイだけが女性であることも決して無視はできないとは思うが、しかしそれ以上に、「エリイという『エクストリームな個』が存在することにこそChim↑Pomの核心があり、メンバー全員がそのことを理解している」という点こそが決定的に重要だと感じる。

またそれは、「成果物であるアートあるいはプロジェクトの中に『エリイの要素』が色濃く含まれる」という理解に留まるものではない。制作プロセスそのものにも、エリイの存在は欠かせないのだ

―Chim↑Pomのプロジェクトではこれに限らず、外部のキーパーソンとの出会いがプロジェクトを大きく推進させる要因になっているように見えます。


岡田  エリイちゃんが謎のコミュニケーション能力を発揮するんですよ。出会った人たちを魅了して、めちゃくちゃ難しいプロジェクトの目途が立ったり。 

ここまで記事を読んでくれた方には容易に理解してもらえるだろうが、Chim↑Pomの制作・プロジェクトには、「そもそもそんなこと可能なのか?」と感じるものが多数存在する。議論を呼ぶ呼ばないは別として、技術面の話だけなら、例えば《ヒロシマの空をピカッとさせる》はそう難しいものではないだろう。しかし、「解体が決まった新宿のビルで、解体作業まで含めてアートにする」というプロジェクトは相当に困難を伴う。実際、《にんげんレストラン》の際には、

林  歌舞伎町を仕切っているガチの解体業者とコミットできたからやれたところはあるよね。
(中略)
卯城  あのプロジェクトでは、鉄道系企業の人が陰で動いてくれたのも大きい。

など、人との出会いが決定的に重要だったそうだ。

そしてそこで重要になるのが「エリイの謎のコミュニケーション能力」である。つまり、プロジェクトそのものだけではなく、その準備段階においても、エリイの存在は欠かせないのだ。

さて、上野千鶴子との対談中に、そんなエリイの特殊性の一端が垣間見える箇所がある。

Chim↑Pomは2005年に結成して、17年ぐらい経つんですけれど、やっぱり当初から社会批評性はあった。というのも、私の場合、ミッション系の一貫校に幼稚園から高校まで14年間通っていて、そこで平和教育、水俣病などの公害やエイズの問題についてかなり叩き込まれたのが大きいと思います。あとは、実際の社会がどうなっているんだろうっていうことを知りたくて、7歳頃からよくテレクラに、当時は公衆電話で、かけていたんですよ。(Chim↑Pom エリイ)

私はChim↑Pomについてほぼ知らず、エリイの存在も認識していなかったので、森美術館の展示を観てもなお、エリイに対して「渋谷とか原宿で遊んでそうなギャル」という先入観を持ってしまう。もちろん、本人が敢えてそういう見せ方をしている部分はあるはずだが、「美術手帖」の対談を読んで、外見と中身のギャップにかなり驚かされた。対談をしていく中で上野千鶴子も、

あなたのなかには旧約聖書の教養が相当に入っていて、身体化されているなと感じました。(中略)
キリスト教が習俗として身に付いているというのは、あなたの強みだと思う。(上野千鶴子)

と語っており、「直感」や「インスピレーション」といった感覚的なものだけではない、素養に裏打ちされたエリイの在り方に感心していた

人生丸ごとChim↑Pomにぶっ込める異常性」や「強敵をあっさりなぎ倒すコミュニケーション能力」だけでも十分凄いが、さらに「多様な教養に裏打ちされた強靭な下地」を持っていることは相当な強みだと言っていいだろう。エリイはChim↑Pomの制作について、「アートとして成立するかどうか」が基準になっていると語っていたが、やはりそこには、「過去連綿と続くアートの系譜の中でどう位置づけられ得るか」「アートが持つ社会批評性として許容範囲内か」などの判断もつきまとうはずだ。そしてその判断に「教養」は欠かせない。プロジェクトそのものにも制作プロセスにも中心軸として存在するエリイが、積み上げた「教養」を背景にその判断を自ら行えるという事実は、Chim↑Pomのバランス感覚を語る上で外せない要素だと感じた

「美術手帖」の記述は、あらゆる面で興味深かったが、「エリイのバックグラウンド」を知れたことが一番大きな収穫だったかもしれない。

さて、フェミニズムの第一人者としても認知されているだろう上野千鶴子は、こんな質問もエリイに突きつける。

それから、出産なさったのはおめでたいけれど、あなたが結婚したのが理解できなくて。自由のなかでも性的自由ってとても大事なものですよね。あなたのように自由な人が、これからも排他的契約を続けるの?(上野千鶴子)

これに対するエリイの答えも、なかなか興味深い

自分でもなんで結婚したのかなと思うこともあるんですけど、当時のことを考えると、「好きな人いるの?」「結婚するの?」とか聞かれるのが時間の無駄で嫌でした。デートに行ったり、好きって言ったり言われたりするのも面倒くさい。そう考えると結婚するのが私には得策だった。後ろ向きの理由ですけれど、ほかの男性と関わるのも楽になるという。あとは、やったことがないことをやってみたかった。(Chim↑Pom エリイ)

なんとなくだが、エリイのこの発想そのものが、「Chim↑Pomがアートによって社会問題を提起する手法」に通ずるようにも思う。「結婚」という、人間の営みとして当たり前のように行われてきた「行為」を、本来の目的とはまったく異なる文脈の中に置き、「『エリイという個』が抱えている、あるいは捉えている問題を解決するための『手段』」として変換してしまうという鮮やかさがここにはあるが、Chim↑Pomも基本的に同じことをしていると感じるのだ。

ここに、エリイ的なものがChim↑Pom的なものとなり、また、Chim↑Pom的なものがエリイ的なものとして再び戻ってくるという再帰的な関係性が見えてくるだろう。

いずれにせよ、「エリイ」と「Chim↑Pom」の不可分性みたいなものを改めて感じさせられた。「元から存在する何か」を使って「物議を醸しながら『当たり前』を鮮やかに飛び越えていく」というスタイルが、個に適用されると「エリイ」になり、集団に適用されると「Chim↑Pom」になる、というわけだ。個と集団の関係性としても非常に面白いし、ますます興味深い存在だと感じられるようになった。

さて、上野千鶴子は、エリイの「言語能力の高さ」にも言及している。

新刊『はい、こんにちは―Chim↑Pomエリイの生活と意見―』(新潮社)を読んで、エリイさんの言語能力の高さに驚きました。非言語で表現する人は、言語表現が苦手か、それを選ばない人だと思っていたので、両方できるとは、今後が楽しみです。言語脳は使い始めたばかりなの?(上野千鶴子)

これに対してエリイは、

本を読むのが大好きな子どもだったので、自分のなかに文体のようなものがある、という感覚はありました。(Chim↑Pom エリイ)

と答えている。私はエリイの本を読んだことはないが、言語能力の高い人はとても好き(というか、そういう人にしか興味が持てない)なので、いずれ読んでみたいと思う。非言語的にあれだけ縦横無尽に暴れまわることができて、さらに言語能力も高いとなれば、向かうところ敵なしだろう

ますますChim↑Pomが、そしてエリイがどうなっていくのか楽しみだ

著:美術手帖編集部
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最後に

思った以上に長い文章になった。別に長く書こうと考えているわけではない。書きたいと思ったことを書き連ねていたらこんな長さになってしまった。

私には、「頭の中にある文章を取り出して文字に定着させる」という感覚があまりない。むしろ、「キーボードを打ちながら同時並行で思考している」という認識だ。そしてだからこそ、「思考を刺激する存在」に出会えるか否かで、出力される文章の内容や分量に差が出てくることになる。

私は普段、本や映画など「言語的なもの」に触れなければ思考が起動しない。非言語的なものではどうしても、言語的なものと同じようには思考が刺激されないのだ

だから、Chim↑Pomの作品に触れたことは私にとって、人生で初めて「非言語的なもので思考が起動した事例」ではないかと思う。森美術館で展示を観ている最中から、脳汁がビシャビシャ出まくるぐらい頭の中が沸騰していたので、今回このような形で思考を定着させることができてとてもよかった。

引用含めて4万字弱もあるこんな長い文章を最後まで読んでくれる人がいるとはとても思わないが、もしそんな奇特な方がいたらとてもありがたい。そして私の文章を通じて、「Chim↑Pomがあなたの思考を刺激できた」とすれば、これほど嬉しいことはない

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