【不謹慎】コンプライアンス無視の『テレビで会えない芸人』松元ヒロを追う映画から芸と憲法を考える

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「テレビで会えない芸人」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPに自主上映会の案内があります

この記事の3つの要点

  • 「お笑いスター誕生!!」でダウンタウンを抑えて優勝し、立川談志から激賞された「本物の芸人」
  • 「『声を上げにくい人』の声」を拾いたいと考える、少数派に向けられた眼差し
  • 永六輔から「憲法」を託され、20年以上「憲法」のネタをやり続けている理由

映画を観るまでまったく知らなかった存在ですが、「こんな凄い人がいたのか」と衝撃を受けた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

コンプライアンスが厳しいテレビには”出演できない”芸人・松元ヒロを追う映画は、とにかく面白かった!

メチャクチャ面白い映画である。私はそもそも、「松元ヒロ」という芸人の存在を知らなかった。テレビには一切出ず、舞台だけで生計を成り立たせている人物だ。芸人以外の収入は恐らくないはずで、その上で結婚して子どもも育てている。吉本興業など大手の事務所に所属していれば、所有する劇場に出演できるのだろうが、松元ヒロは、様々な会場を借りて自前で公演を行うスタイルでやっているのだ。それでよくも生活を成り立たせるだけの収入が得られるものだと感心してしまった。

松元ヒロは、コンプライアンスの厳しいテレビではやれないネタばかりやるため、舞台に生きることに決める。しかし、上映中に観客が一番爆笑していたのは、テレビでも全然話せるようなものだ。つまり、話芸がもともと達者なのである。文字で書いても面白さは伝わりにくいかもしれないが、その話を紹介したいと思う。

5つ年上の奥さんと電車に乗った時のこと。2人は、中学生ぐらいの女の子とその父親らしき人物が優先席に座っているのを見かける。さらに女の子は、恐らく母親だろう相手に電話を掛けていたという。それを見た妻は、「あんた、ここ優先席なんだから、電話切りなさいよ」と強い口調で指摘した。ざわつく車内。そこで松元ヒロが口を開く。

いやー、皆さん、今怖かったよねぇ。今のこの5分でもさ、十分怖かったじゃない。でも私は、一生この人の隣にいるの。

それを聞いた乗客は爆笑、車内の空気は一瞬で変わった。2人が電車を降りる際、松元ヒロが乗客に手を振ると、さらに爆笑が起こった、というエピソードである。

どれだけ面白さが伝わったか心許ないが、とにかく松元ヒロは、「不謹慎なことを言うから面白い」のではなく、優れた話芸を持つ人物なのだと感じた。あの立川談志も絶賛したというのだから、凄い実力者なのだろう。

立川談志が激賞した芸人・松元ヒロの来歴

今でこそ、松元ヒロをテレビで観ることはないわけだが、彼は元々テレビを主戦場に大活躍をしていた人物だった。

そもそもデビューは「お笑いスター誕生!!」であり、そこでダウンタウンらを打ち破って優勝したというのだから、これだけでも相当なエピソードだろう。さらにその後、政治家や著名人などを風刺するネタを行うコント集団「ザ・ニュースペーパー」で大ブレイク、その当時のテレビの世界を席巻するほどの人気者になっていく。映画には当時の映像も流れるが、確かに、現代ではなかなかやれないかもしれない、政治家を揶揄して笑うみたいなブラックなネタをテレビでバンバンやっていた

しかし、その後彼は「ザ・ニュースペーパー」を脱退する。そして、年間120公演をこなす「テレビで会えない芸人」になったというわけだ。

映画には、「すわ親治」という人物も登場する。かつてコメディアンをしており、ドリフターズのコントに出演したこともあるそうだ。志村けんは兄弟子だという。松元ヒロはすわ親治のことを、「ドリフターズのコントにも出演している雲の上の人」だと思っていた。しかし、テレビで松元ヒロを見たというすわ親治から連絡があり、後に「ザ・ニュースペーパー」で一緒にコントをやる関係になったというのだから、人生何が起こるか分からない。実は2人は、鹿児島実業高校の同級生だったのだ。

そんなすわ親治が、「ザ・ニュースペーパー」時代について語る場面がある。テレビだから、どうしてもスポンサーの存在は無視できない。だから、彼らのコントにもあれこれ注文がついたそうだ。「金丸を銀丸にしろ」とか「竹下を松下に変えろ」などだ。現在の感覚で言えば、「岸田を西田に変えろ」みたいな注文だと思えばいいだろう。そしてすわ親治は、「牙を抜かれたコブラみたいなもん」だと感じてしまう状況に嫌気が差し、辞めてしまったのだ。その話を受けて、松元ヒロがさらに自身のエピソードを語ることはなかったが、きっと彼も同じ想いだったのだと思う。別の場面での描写だが、「ザ・ニュースペーパー」の生みの親である松浦正士の死の報に際し、松元ヒロが「喧嘩別れのように辞めた」みたいに話していた。やはり、納得の行かないことがあったのだろう

松元ヒロが、「ザ・ニュースペーパー」を脱退した理由について明確に語る場面もある。

当時小学生だった息子に、妻が「テレビに出ている父親を見ないの?」みたいなことを聞いてみた。すると息子は、「いい、同じことやってるだけだもん」と答えたのだという。それを受けて松元ヒロは、

息子に胸を張れない仕事は良くないな、と。

と、自身の生き方について考え直したと言っていた。恐らくこれが、脱退の直接の理由なのだろう。しかしだとしても、テレビの仕事をスパッと辞め、成り立つかどうかも分からない「舞台だけでお金を稼ぐ芸人」として生きる決断をするのだから、それもまた凄まじい話だと思う。

映画には、撮影当時39歳の、高校教師の職に就いた息子本人も出てくる。舞台が始まる前に楽屋で父親と話をする場面で、息子は、

父親の仕事の説明は難しいですよね。他に(こういうタイプの芸人が)いないから。ただ、そこらのお笑い芸人なんかよりも、全然誇れますよね。

と語っていた。彼の選択は正解だったと言っていいだろう。

さてそんな松元ヒロのエピソードで印象的だったのが、落語家・立川談志との関わりだ。ある日突然、松元ヒロの舞台終了直後に壇上へと上がり、観客に向かってこう言ったそうだ。

あなたがたが松元ヒロという芸人を育ててくれたお陰で、彼はここまでの芸人になれました。皆様に変わって感謝申し上げます。

恐らくだが、立川談志はあちこちの芸人にこんなことを言ってまわっていたわけではないだろう。つまり松元ヒロは、その存在が別格に認められていたということになる。さらにその後、松元ヒロは立川談志からこんな言葉をもらったと語っていた。

俺はテレビに出てる芸人を「サラリーマン芸人」って呼んでるんだ。クビにならないように気をつけながら喋ってるだけ。
芸人は、他の奴が言えないようなことを口にするような人間のことを言うんだ。
俺はお前を、「芸人」と呼ぶ。

かなり痺れる、凄まじい称賛と言っていいだろう。松元ヒロも、「嬉しかった」と語っていた。このエピソードだけでも、なかなか興味深い芸人だということが伝わるのではないだろうか。

「『声を上げにくい人』の声」を拾いたい

さてここからは、松元ヒロの話から少し離れ、爆笑問題の太田光の話をすることにしよう。

日曜日の初耳学』(TBS系)の企画で以前、太田光が林修と対談していた。ご存知のように太田光も際どいネタで知られる芸人であり、爆笑問題もかつてテレビに出られなかった時期があるのだそうだ。そして彼らは、その名が広く知られるようになった現在でも、テレビで際どいネタをやるそんなネタを何故今でも続けるのかという点について、太田光はざっくり次のようなことを語っていた。

何か大きな出来事が起こった時に、僕たちがネタの中で触れなかったら、「爆笑問題でさえ触れられないほどヤバいのか」と思われてしまうかもしれない。そうはなりたくなくて、無理矢理にでも笑いに変えているんだ。

太田光は今でも「テレビで会える芸人」だが、コンプライアンスが一層厳しくなるテレビの世界において、「ギリギリ成立し得る最大限の際どさ」に常に挑戦しているというわけだ。

一方、松元ヒロが「テレビ」に対して次のような言及をする場面があった。松元ヒロに密着する撮影スタッフに対して彼は、「好きなように撮って、もし後で使えないものがあればうんぬんかんぬん」みたいなことを言う。つまり、「何を撮っても自由だよ。勝手にやって。そっちの都合で使えないものがあれば編集して」と許可を与えているのだ。それを受けて撮影スタッフが、「使っちゃダメな部分ってあると思いますか?」と質問する。編集作業を行う上で、あらかじめ確認しておきたかったのだろう。すると対して松元ヒロは、

それを考えながらテレビに出たくないんですよ。

と返すのである。

質問と回答が合っていないが、つまりこの返答は、「あれこれ考えないと出られないテレビには興味がない。おたくらは映画だからテレビより自由にやれるんでしょ? 任せたよ」みたいな意味に受け取ればいいのだと思う。

この発言は、普通に受け取れば「テレビに対する諦め」でしかないが、しかし同時に、「テレビに対する誠実さ」だとも言えるだろう。どんな場でも、自分が一番面白いと思うものを見てもらいたい。現状ではそれが実現できないテレビに出るつもりはないが、「テレビだからダメ」と考えているわけでもない。松元ヒロはそのようなスタンスでいるのだと思う。彼なりに、「テレビ」というものに対して真摯なスタンスを持っているように感じられたし、そしてそれは、テレビ側にいる太田光のあり方とそう遠くはないとも感じさせられた。

さらに、太田光と松元ヒロに共通すると感じられたのが、「小さな声を拾いたい」というスタンスだ。

太田光は『日曜日の初耳学』の中で、ざっくり次のような話をしていた。

高校時代1人の友だちもできず、何か言いたいことがあっても言えなかった。だから、今こうやって自分が「発信する側」に立ってみて思うのは、昔の自分のような「何も喋れなかった奴」が救われるようなことを言いたいってこと。

一方の松元ヒロも、似たようなことを言っていた

多数派の人っていうのは、黙ってたって普通に生きてる。しわ寄せを食らうのはいつだって少数派ですよ。その人たちはどうなってもいいのかって言いたいよね。

(元号が平成から令和に変わったって)俺には関係ねぇよ、明日の仕事がねぇんだよ、みたいな人っていると思うんですよ。
だから誰かが水をささないといけないんです。
そんな騒ぐなよ、何も変わってないよ、って。

彼がテレビではできないネタをやるのは、それが「少数派の代弁」になると考えているからだ。ただ不謹慎なことを言って笑いを取ろうと思っているわけではない。そういうスタンスが明確に打ち出されているからこそ、彼は多くの支持を集めているのだと思う。

映画の冒頭は非常に印象的だった。渋谷のスクランブル交差点でカメラに向かって喋っている最中、松元ヒロは突然「お手伝いしましょうか?」と言って、インタビューを中断し通行人に話しかけたのだ。白杖を持った視覚障害者が困っているのが視界に入ったのである。松元ヒロは最初彼女に、駅までの道順を伝えようとした。しかし、一緒に行った方が早いと判断したのだろう、そのまま女性と一緒に歩き始めたのだ。映画の撮影など二の次である。

しかも、ただ駅まで案内しただけではない。一緒に電車に乗り、彼女が目的地とする駅までついていったのだ。その道中、松元ヒロは気さくに話しかけ、「普段は付き添いの人がいるのだけれど、今日は自分が遅刻してしまったせいで合流できなかった」と、事情を聞き出したりもしていた。

映画の撮影のあるなしに関係なく、ここまでの対応が出来る人はそう多くないだろう。しかもそれを、まさに自身にカメラが密着し、インタビューを撮っている最中に行うのである。彼の振る舞いは、「普段からやり慣れている」ことが分かるような自然なもので、「カメラの前だからいきってやってみた」ということでもなさそうだ。

それはつまり、「ナチュラルに、視線が『少数派』に向いている」ということなのだろう。「なんとかしたい」という気持ちをきちんと行動に移しているし、どんな場面でも常にニコニコしているし、周りにも感謝を伝えている。「ホントに良い人なんだろうなぁ」ということがビンビン伝わってくる人物だ。だからこそ、どれだけ過激なネタをやっても、許容されるのだろうと思う。

永六輔から託された「憲法」

松元ヒロには、20年以上も続けているネタがある。しかしその話をする前に、永六輔との関わりに触れておこう

松元ヒロは公演の前には必ず、渋谷にある理容室「ウッセロ」に行く。そこは、故・永六輔が通っていた理容室であり、公演への気合を入れるために必ず訪れることに決めているのだそうだ。松元ヒロは、テレビ創成期から活躍していた永六輔に見出され、番組に呼んでもらったりしたことがブレイクのきっかけにもなったそうで、今でも感謝し続けているという。

そんな松元ヒロは、永六輔から「憲法」を託された。正確には理解できなかったが、恐らく「入院中の永六輔の代わりに、ラジオ番組のMCを引き受けた」ことがあったのだと思う。その際松元ヒロは、病室の永六輔から、「9条をよろしく」というメッセージをもらったのだ。もちろんこれは憲法9条のことであり、この点もまた、同じく憲法問題について自説を発している太田光との共通項を感じさせる部分でもある。

松元ヒロには、「憲法くん」というタイトルのネタがある。これは、「松元ヒロが『擬人化した憲法』になりきって、舞台上でその『憲法くん』を演じる」という演目だ。20年以上続けているのだから、近年の憲法改正の議論に合わせて始めたものではないということになる。そして恐らく、永六輔はこの「憲法くん」というネタのことを知っていたのだろう。「日本の平和のために憲法9条を守ってくれ」と松元ヒロに託したというわけだ。

映画では、「憲法くん」のネタの一部も流れるのだが、その中に「なるほど」と感じさせる箇所があった。それは次のような内容である。

そろそろ私はクビかもしれないんです。どうしてです? と聞いたら、現実に合わないからっていうんです。
でも、そもそも私って「理想」だったはずじゃないですか。普通は、理想と現実に差があったら、頑張って現実を理想の方に近づけると思うんです。
でも今の時代は、理想と現実に差がある場合、理想の方を現実に合うように下げていくんですね。

これはとても分かりやすい説明であり、皮肉であると感じた。確かにその通りだ。憲法は「理想」として誕生したのだから、誰もがその「理想」に「現実」を合わせる努力をすべきだろう。しかし今は、「『理想』が『現実』に合わなくなったから『理想』の方を変えよう」という議論がなされているのである。

これは実に奇妙な話と言えるだろう。まさに、「憲法改正の議論のおかしさ」が一発で伝わる、見事な説明でもあると感じた。

もちろん、「憲法改正」に対しては人それぞれ様々な意見があり、私自身はその深い議論にあまりついていけてはいない。しかし、「物事を一度シンプルに捉えてみる」ことによって見え方も変わってくるだろうし、そういう意味で、松元ヒロのこの「単純化」は、非常に興味深いものだと感じさせられた。

最後に

さて、ここまで触れて来なかったが、この映画は鹿児島テレビが制作している。つまり、松元ヒロがカメラに向けて発する言葉はすべて、「テレビ」という存在に対して向けられたものであるとも言えるのだ。それを踏まえた上で、彼のこんな言葉を紹介して記事を終えようと思う。

空気を読むんじゃなくて、「何かおかしいんじゃないか」と言うべきなんじゃないでしょうかね。
(自分を撮ってる)このカメラだって、本当はそういうものを映し出すべきなんですよね。

彼がそれを望んでいるかはともかく、「松元ヒロがテレビの世界で求められる」ようになれば、少しはマシな世の中になったと言えるのかもしれない。個人的には、そういう「好転」を気長に待ちたいと思う。

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