目次
はじめに
この記事で取り上げる映画

「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」HP
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この記事の3つの要点
- 「謝罪」という行為に、意味などあるのか?
- 「安易に謝罪しない」という決断の方がよほど誠実に感じられる
- 監督はなぜ、荒木浩に謝罪させようとしたのか?
互いの誠実さがにじみ出る、この監督にしか撮ることが出来ないドキュメンタリー映画だと思います
自己紹介記事
ルシルナ
はじめまして | ルシルナ
ブログ「ルシルナ」の犀川後藤の自己紹介記事です。ここでは、「これまでのこと」「本のこと」「映画のこと」に分けて書いています。
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どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください
記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」とはどんな映画か?
非常にインパクトのある舞台が整えられた映画だ。この映画では、
「地下鉄サリン事件の直接の被害者である監督・さかはらあつし」
と
「地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教にかつて所属しており、今は後継団体・アレフの広報部長である荒木浩」
が旅をする。言い方が下品だと分かっているが、この設定だけで「勝ち」だと思えるような、圧倒的なパワーを持つ作品だ。
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さかはらあつしは、サリンが撒かれた電車に乗っており、今も辛い後遺症に苦しめられている。映画を観終わった後、監督によるトークショーが行われたが、そこで、
人前では無理して頑張るけど、人前じゃなくなったら急に体力がゼロになる。ストレスを感じると手足が痺れる
というような発言をしていた。事件から26年が経過してもなお、相当重度な後遺症に悩まされているということだ。
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さて、この2人の背景から、映画が「厳しい雰囲気」になると予測する人もいるだろう。しかし、そうではない。最初こそぎこちなさはあるが、2人は「昔からの友人」のような雰囲気で旅を続けるのだ。
個人的に、とても印象的な場面があった。薄着のままやってきた荒木浩をユニクロに連れて行く場面があるのだが、その前の段階で監督が、「(こんな薄着で旅をさせるなんて)俺がいじめてるみたいやろ」と発言する。そしてそれを受けて荒木浩はこう返すのだ。
それはそうでしょう 笑
これはとても刺さる場面だった。映画の撮影前にどれだけのやり取りがあったのか分からないが、ある程度以上の信頼関係がなければ、この場面で「それはそうでしょう」とは、笑いながらだとしても言えないだろう。この場面で私は、「荒木浩はさかはらあつしという人物を根底の部分で信頼している」と理解したし、それ以降の彼の発言を、彼の発言通りに受け取る用意ができたと思えた。
その上で彼らの旅は、「贖罪とは一体なにか?」を考えさせる、実に濃密な対話だと感じさせられた。
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「贖罪」「謝罪」には意味があるのだろうか? 意味があるとすれば、どんな意味だろうか?
「謝罪」に対する私の考え方
私は、「謝罪」をするのもされるのも得意ではない。する側になることも、される側になることも、できれば避けていたい人間だ。
この点を、少し詳しく掘り下げていこうと思う。
私は、「謝罪」には「過去向きのベクトル」と「未来向きのベクトル」があると考えている。具体的に言えば、「過去向きのベクトル」というのは、「あんなことをしてしまって申し訳ありませんでした」と過去の行為を詫びること、そして「未来向きのベクトル」というのは、「二度と同じことはしません」という未来への決意表明である。
そして私は、この両方を無意味だと感じている。
「過去向きのベクトル」は、必要性が理解できない。これは、自分が謝られる側でも同じだ。過去の行為について詫びられても、私には何の変化もない。一応、「なるほど、この人はきちんと、自らの過去の行為を『悪いことだった』と理解しているのだな」ということは伝わるが、それ自体さほど重要な情報ではない。
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もちろん、「何を悪いと感じるか」という点でお互いの認識に齟齬がある場合には「認識に差があった」ことを理解し合う必要があると思う。しかしそういう場合でも私は、その認識をすり合わせるための会話や議論をすればいい、と感じてしまう。「認識がズレていた」ということであれば、それは必ずしも謝罪する側だけに非があるわけではない、と思うからだ。そういう意味でも、「過去向きのベクトル」はどうでもいいと感じる。
「未来向きのベクトル」に関しても同じような考えを持っている。確かに私は、何かトラブルが起こった際、「そのトラブルが二度と起こらないこと」を一番重視する。しかし、それを示すために「謝罪」が必要だろうか?
私は、自分が謝罪される側だとしても、「改善案」を示してくれればいいと感じてしまう。「謝罪」などなくても、「今後こういう風に改善します。だから同じトラブルは二度と起こりません」と言ってくれれば、それで十分だ。
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逆に言えば、「改善案」を出さないのに「謝罪」だけされてもムカついてしまうだろう。「謝罪」なんかどうでもいいから、「改善案」を出してくれ、と思ってしまう。
というような理由から、私は、「謝罪」に意味を感じることができない。
しかし一方で、世の中的には「謝罪」がとても重視されているように思う。その雰囲気は、テレビやSNSなどから強く感じる。
著名人がトラブルなどを起こした際に、何故か「世間に対する謝罪」が要求される雰囲気がある。そういうトラブルの場合、「直接の被害者」がいるはずで、「世間」は特段の被害を受けていないのだから、そもそも「謝罪」が必要とされる風潮そのものが謎でしかない。それなのに「謝罪」の圧を強く出す世の中を見ていると、「やっぱり何かトラブルがあった時には謝罪しなければいけないんだなぁ」と感じさせられてしまう。
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どうも世間は、「謝罪する=反省の意を示す」と理解するようだが、私にはこの理屈はよく分からない。「謝罪すること」と「反省していること」に相関関係があるとは思えないのだが、何故か世間は、一旦はそれで納得したいようだ。そして、「ま、謝罪したからいいでしょ」というような、これで一旦区切りですね、みたいな雰囲気が作られることになる。
その辺りの理屈が、私にはいつまで経っても理解できないままだ。
荒木浩の「謝罪しないという誠実さ」
この映画で非常に良かったと感じる点は、荒木浩が「安易な謝罪」をしないことだ。ここに私は、非常に大きな誠実さを感じた。
繰り返すが、共に旅をしているさかはらあつしは、地下鉄サリン事件で直接の被害を受け、今も後遺症に苦しんでいる人物だ。
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そして荒木浩は、地下鉄サリン事件を起こす10ヶ月前にオウム真理教に入信し、地下鉄サリン事件の際には信者の一人であり、事件後にオウム真理教の広報部長となり、その後もアレフで広報部長を継続している人物である。
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「明確な主義主張を持たない人間」なら、こんな状況では「安易な謝罪」に逃げてしまうだろう。その方が分かりやすいからだ。「自分が直接やったことではないが、所属していた団体が大きな事件を起こし、あなたは被害を受けた。そのことは申し訳ない」とでも言ってしまえば、今の日本社会では、「ま、謝罪したからいいでしょ」という空気に移行する可能性はある。その方が楽だと考える人はきっとたくさんいるはずだ。
もちろん、荒木浩は今アレフの広報部長であり、アレフという組織を背負った人物である。だから個人の意見はどうあれ、軽々しいことは言えない、という側面ももちろんあるとは思う。しかし、映画を見た限りにおける私の個人的な判断でしかないが、荒木浩が「安易な謝罪をしない」のは、組織を背負っているからではなく、彼自身の「『どういう状況なら謝罪すべきか』という基準」に則った判断であるように感じられた。そしてその態度を見て私は、彼を誠実だと感じたのだ。
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荒木浩は、こんな風に言っている。
もし私が、地下鉄サリン事件を起こしたメンバーらと普段から考えを共にしていたとするならば、自分の考えとしてこの事件に関してお伝えをすることができます。しかし私は、当時尊師から教わった考え方からは、どうして尊師や幹部があのようなことをしたとされているのか理解できないのです
いくらでも曲解できる発言だろうが、この発言を言葉通りに受け取れば、「確かにそれは当然の話だ」と感じるのではないだろうか。
当時、実行犯と接触があったり、彼らの考えを耳にしていれば、「このような発言を聞いたことがあるので、彼らはきっとこういう考えであの事件を起こしたのだろうと推察できます」ぐらいのことは言えるだろう。しかし荒木浩は、そんな状態にさえいなかった。
そして地下鉄サリン事件を実行に移した者たちの考えが理解できないのだから、それを理解しないまま形だけ謝罪するのはむしろ不誠実だ。恐らく荒木浩はそんな風に考えているのではないだろうか。
また、別の場面でこんな発言もしている。さかはらあつしが、「今でも麻原彰晃を信じているのか」と聞く場面で彼は、
誰かを師と定めるとはそういうことです
と答えている。
この点に関しては、非難があっても当然かもしれないと思う。私としても、未曾有と呼ばれた事件を引き起こした団体のトップをまだ信じている、という状況に違和感を抱く気持ちがある。
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しかし一旦その感情は脇に置き、荒木浩の視点で物事を捉えてみよう。彼は、オウム真理教に入信した時点から現在に至るまで、一貫して麻原彰晃の教えを信じている。そして、先の発言では、「尊師から教わった考えと、地下鉄サリン事件は結びつかない」と主張している。
荒木浩は恐らく、「当時の麻原彰晃の教えが、地下鉄サリン事件に繋がるものを含んでいたとするなら、麻原彰晃の教えは間違っていたと判断するしかないし、自分が謝罪するのも当然だ」という風に考えているのではないかと私は勝手に予想している。そしてそうだとすれば、これもまた誠実な態度だと言えるだろう。
彼はつまり、「麻原彰晃の教えと地下鉄サリン事件は繋がらないのだから、地下鉄サリン事件が麻原彰晃の指示によるものではない可能性もあるのではないか」と考えているはずだし、確かに論理的に考えればその通りだと思う。
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とはいえ映画には、さかはらあつしが問いかけをするこんな場面もある。
仮定の質問だけど、もし教祖が(地下鉄サリン事件を)やったんだとしたら、教祖の価値はなくなるのか? あるいは、人間だから過ちを犯すこともあるのか、と考えて、それでも受け入れるのか?
それに対して荒木浩は答えない。
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裁判では結局、麻原彰晃の証言は一切得られなかった。そのまま死刑が執行されたので、「麻原彰晃が直接的に関与したのか」を証明する手段は永遠に無くなったと言っていい。
だから荒木浩はこの場面で、躊躇なくどちらかの返答をしても良かったはずだ。しかしそうはしない。その態度は間接的に、「やはり麻原彰晃が指示した可能性が高い」と彼が考えていることを示唆しているように感じられた。
いずれにせよ、この映画を観て感じることは、荒木浩は「自分やオウム真理教は悪くない。だから謝罪しない」などという態度を取っているのではなく、「謝罪すべきと判断できるならするが、今の所、そう判断できる状況にはない」と考えていることが伝わってくる。そして、「謝罪すればいいよね」という安易な風潮がまかり通っているように感じられる現代において、この態度は、私には誠実に感じられるということだ。
その上で、さかはらあつしはなぜ「謝罪」を求めようとするのか?
映画の中でさかはらあつしは決して、被害者という立場を笠に着て荒木浩を追い詰めるようなことはしない。その上で彼は、荒木浩からどうにか「謝罪」を引き出そうとする。映画を観ているだけではその意図を正確には理解できなかったのだが、鑑賞後のトークショーでその真意が分かった。
監督に対して、「荒木浩に怒りを感じないのか?」と質問した人がいて、それに彼はこう答えていた。
僕が闘ってたのは荒木さんじゃなくて、荒木さんの中に巣食ってるものだから
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なるほど、と感じた同じくトークの中で、より具体的にこうも言っていた。
僕は彼に謝罪させたかった。何故なら、彼が謝ることで、彼が信じるもの、つまりオウム真理教だけど、それが崩れるから。それを期待していた
つまりさかはらあつしは、荒木浩自身のために謝罪をさせようとしていたということだ。そう言われてみて、確かに「謝罪」には「信じているものを崩壊させる効果」が期待できる、と感じた。
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人間は、信じているものから離れることがとても難しい生き物だ。これは決して、宗教だけのことを言っているのではない。「マスコミが流している情報はウソだ」「世界を支配する組織が存在し、トランプ大統領はそれと果敢に闘っている」「猿から人間が進化したなんて信じない」など、人間は様々な場面で「自分が信じるもの(あるいは、信じないもの)」を決める。そして、その枠組の外側に出ることはどうしても難しくなる。
信じていても特に害がないなら問題ないが、信じることが本人や周囲、あるいは社会にとっての害になるものも存在する。しかし、それを信じている人はその内側からしか物事を捉えられなくなり、外側から批判されればされるほど、余計に自分が信じているものに固執してしまうことになる。
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また、自分が信じているものを自ら否定してしまうと、それまでに費やしてきた時間や過去の自分そのものまですべて間違っていたと否定することになる辛さも生まれる。
だから「信じているもの」を捨てることは、とても難しい。
映画の中で荒木浩は、なぜオウム真理教に入信したのか、そのきっかけを語っている。それは本当に、とても些細なものだ。
子どもの頃に欲しくて買ってもらった筆箱があったのだけれど、ある日その輝きが消えてしまった
弟が骨肉腫かもしれないと診断された時に、自分がそれまで考えていたことがすべて崩れたような気がした
という話をしており、このような土台があった上で、当時通っていた京都大学でオウム真理教の存在を知り、入信を決めたのだという。
彼の入信のきっかけを知ると、誰だってオウム真理教に入る可能性があっただろうと感じてしまう。オウム真理教に限らず、結果的に信じるべきではないと後から分かるような何かにのめり込んでしまうきっかけは、誰の日常の中にも転がっているのだとも思った。
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信じる気持ちを崩すことはとても難しいし、マニュアルがあるわけでもない。ただ、「謝罪させることによって信仰を崩す」というさかはらあつしのスタンスは、私は非常に合理的だと感じた。そして、「謝罪」という行為に意味のある機能を見出すとするなら、この点しかないのかもしれない、とも考えさせられた。
「謝罪させる」という形以外で、さかはらあつしが荒木浩の信仰をなんとか崩そうとしていると感じられる場面があった。
例えば荒木浩が、「オウム真理教に出家すると決めた」と語るシーン。それは家族と縁を切ることだが、実際には、十二指腸潰瘍になった時に一ヶ月ほど療養として実家に戻っている。さかはらあつしは、
家族との縁を切れないんだったら、出家だとか偉そうなこと言うなよ
と強い口調で指摘する。そして、自分でも理屈が通っていないことを理解した荒木浩は、
確かにその点については自分には発言権は無い
と白旗を上げて降参する。
この話など、地下鉄サリン事件の被害者が加害者団体に所属していた人間を責めている構図として捉えると不自然だろう。事件とは全然関係のない話をしているからだ。ここでもさかはらあつしは、「お前は理屈に合わない行動を取っている」と自覚させることで信仰を崩そうとしているように見えた。
さかはらあつしもまた、誠実な人なのだと感じさせられるのである。
最後に
私はこの映画を、期せずして3月20日に観た。地下鉄サリン事件が起こってちょうど26年後だ。
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実は、その日に映画を観に行ったのはたまたまだった。地下鉄サリン事件そのものは忘れたことはないが、3月20日という日付は忘れていた。映画館に入るとマスコミのカメラがあったが、公開日初日だから取材が入っているのかなと思った程度だった。その日が地下鉄サリン事件の発生日だと気づいたのは、帰りの電車の中でニュース映像を見た時だ。
やはりこうして、少しずつ記憶が薄れてしまうのだな、と改めて感じさせられた。すべてを覚えておくことはできないとはいえ、日本社会や時代の空気を大きく変えたこの事件は、やはり風化させてはいけないよなぁ、と感じている。
この監督にしか撮れない設定で、お互いの誠実さを見事に映し出している映画だと思う。「贖罪」や「謝罪」が安易に求めたり求められたりされがちな世の中だが、私はこの映画に「『謝罪すること』は本当に誠実か?」と問われていると感じたし、そういう意味でこの映画は、地下鉄サリン事件やオウム真理教とは関係ない文脈としても観られるべきだと思う。
決して、「被害者は謝罪を求めるな」「加害者は謝罪するな」などと言いたいわけではない。そうではなく、「謝罪」とはどういう行為であり、「贖罪」とは一体なんであるのかを、個人個人がもう少し突き詰めて考えた方がいいのではないか、と思っている。
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世界的文学者であり、「紙の本」を偏愛するウンベルト・エーコが語る、「忘却という機能があるから書物に価値がある」という主張は実にスリリングだ。『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』での対談から、「忘却しない電子データ」のデメリットと「本」の可能性を知る
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【おすすめ】濱口竜介監督の映画『親密さ』は、「映像」よりも「言葉」が前面に来る衝撃の4時間だった
専門学校の卒業制作として濱口竜介が撮った映画『親密さ』は、2時間10分の劇中劇を組み込んだ意欲作。「映像」でありながら「言葉の力」が前面に押し出される作品で、映画や劇中劇の随所で放たれる「言葉」に圧倒される。4時間と非常に長いが、観て良かった
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【あらすじ】濱口竜介監督『偶然と想像』は、「脚本」と「役者」のみで成り立つ凄まじい映画。天才だと思う
「映画」というメディアを構成する要素は多々あるはずだが、濱口竜介監督作『偶然と想像』は、「脚本」と「役者」だけで狂気・感動・爆笑を生み出してしまう驚異の作品だ。まったく異なる3話オムニバス作品で、どの話も「ずっと観ていられる」と感じるほど素敵だった
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【傑作】濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』(原作:村上春樹)は「自然な不自然さ」が見事な作品
村上春樹の短編小説を原作にした映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)は、村上春樹の小説の雰囲気に似た「自然な不自然さ」を醸し出す。「不自然」でしかない世界をいかにして「自然」に見せているのか、そして「自然な不自然さ」は作品全体にどんな影響を与えているのか
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どんな理由があれ、法を犯した者は罰せられるべきだと思っている。しかしそれは、善悪の判断とは関係ない。映画『万引き家族』(是枝裕和監督)から、「国民の気分」によって「善悪」が決まる社会の是非と、「善悪の判断を保留する勇気」を持つ生き方について考える
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たった30年前の韓国で、これほど恐ろしい出来事が起こっていたとは。「正義の実現」のために苛烈な「スパイ狩り」を行う秘密警察の横暴をきっかけに民主化運動が激化し、独裁政権が打倒された史実を描く『1987、ある闘いの真実』から、「正義」について考える
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【矛盾】死刑囚を「教誨師」視点で描く映画。理解が及ばない”死刑という現実”が突きつけられる
先進国では数少なくなった「死刑存置国」である日本。社会が人間の命を奪うことを許容する制度は、果たして矛盾なく存在し得るのだろうか?死刑確定囚と対話する教誨師を主人公に、死刑制度の実状をあぶり出す映画『教誨師』から、死刑という現実を理解する
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【実話】障害者との接し方を考えさせる映画『こんな夜更けにバナナかよ』から”対等な関係”の大事さを知る
「障害者だから◯◯だ」という決まりきった捉え方をどうしてもしてしまいがちですが、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の主人公・鹿野靖明の生き様を知れば、少しは考え方が変わるかもしれません。筋ジストロフィーのまま病院・家族から離れて“自活”する決断をした驚異の人生
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「理不尽だなー」と感じてしまうことはよくあります。クレームや怒りなど、悪意や無理解から責められることもあるでしょうし、多数派や常識的な考え方に合わせられないとい…
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