【あらすじ】子どもは大人よりずっと大人だ。「子ども扱い」するから、「子どもの枠」から抜け出せない:『ソロモンの偽証』(宮部みゆき)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「子どもの問題」を「大人の問題」にすり替えてしまうのは双方にとってマイナスでしかない

犀川後藤

大人が子どもを子ども扱いすることで、子どもたちの世界は歪んでしまいます

この記事の3つの要点

  • 検事・弁護士・判事・陪審員をすべて中学生が担う「学校内裁判」という特異な設定
  • 「学校」という特殊な世界で子どもたちが感じる違和感
  • 「真実を明らかにするための裁判」が「誰かを肯定する」という役割を担うことにもなる
犀川後藤

現実的にはあり得ないだろう設定を成立させる「大人びた中学生」たちの姿に感動させられます

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

信じられないくらい長い物語なのに、「読み終わりたくない」と感じた

『ソロモンの偽証』という作品は、とんでもなく長い作品です。書店で目にしたことがある人はその長さを知っているでしょう。私は単行本で読みましたが、文庫だと全6巻、1巻あたりのページ数もかなりのもので、私がこれまで読んできた本の中でも最上位と言っていいほど長い物語です

「長い物語」に対しては、「そりゃあこれだけ分量を使えれば、どんな展開だってできるし、なんだって書ける。『長い物語を書くことができる』という点は凄いと思うけど、なんかズルい気もする」という感覚を抱いてしまうこともあります。しかしこの『ソロモンの偽証』については、「なるほど、『中学生が自分たちで裁判を行う』という設定をリアルに描くには、これだけの枚数が必要だったのか」と納得させられてしまいました。

どんな内容なのかについてはすぐ触れますが、この小説は、「校内で生徒が亡くなったという事件」に関して、警察や司法とは無関係に、中学生が課外活動として「裁判」を開く、という物語です。この小説に出てくる大人も、「裁判」に関わらないと決めた生徒も、「いやいや、そんなこと無理でしょう」と感じます。本書未読の方も同様でしょう。

だからこそ、そこに「圧倒的なリアリティ」を付与する必要があるし、それを実現するためのこの分量が必要だ、ということです。

いか

宮部みゆきって確か、物語の展開とか結末とかを考えずに書き始めるって聞いたことある

犀川後藤

しかも雑誌連載だからね。バケモンみたいな構成力だよなぁ

まず長さに怯んでしまうという人も多いでしょうが、普通には体感できない「濃密さ」を味わうことができる1冊です。勇気を出して踏み出してみてください。

注意としては、1巻目はちょっとだけ我慢して読んでください、という感じでしょうか。別に1巻がつまらないわけではありません。ただ、この長い物語を成立させるための設定・紹介を詰め込まなければならないので、どうしても説明的な描写が増えてしまいます。そこを乗り越えれば、「終わってほしくない」という感覚に浸れることでしょう。

本の内容紹介

1990年12月25日にその「事件」は発覚した。

前夜から降り続いた雪が辺りを白く染める中、城東第三中学校2年の野田健一は遅刻しかけていた。正門からでは間に合わないと判断し、遅刻者や学校を抜け出す者がよく使う通用門に回ってこっそり学校に入ろうと考えた。

そこで彼は死体を見つける。顔を見た瞬間にクラスメートの柏木卓也だと分かった。しかし今は不登校中のはずだ。どうしてこいつが学校にいるのだろう?

もちろん学校は大騒ぎになった。しかし柏木卓也は、学校内で存在感の強い生徒ではなかった。後々、彼であるになっていることさえ知らない生徒もいた」というほど、印象に残らない生徒だった。発見者である野田健一にしても、顔こそ知っていたが、特に詳しく知っているわけではない。

柏木卓也の両親は葬儀の場で、「息子は自殺したのだと思う」と発言する。警察も、他殺を強く疑うような根拠を見いだせない。そのような状況から、「柏木卓也は自殺したのだろう」という見解で一致しようとしていた

しかし、根拠のない噂も流れ始める。城東第三中学校の札付きのワルとして知られる大出俊次とその取り巻きである橋田祐太郎・井口充が何らかの形で関わっているのではないか、というものだった。3人の素行はあまりに悪く、教師でさえ手を焼く存在だ。何かの形で彼らから被害を受けた者は、学校内に限らずあちこちに存在している。

疑われても仕方のない状況ではあった。

そしてそんな中で、学校中を揺るがすとんでもないものが出てきてしまう。告発状だ。

匿名の告発状には、大出俊次ら3人が柏木卓也を突き落とすのを目撃したと書かれていた。

これが、この学校で開かれる「裁判」で扱われる「事件」だ。そして、社会的には「自殺」として処理されたこの「事件」を、検事・弁護士・裁判官・陪審員をすべて中学生が自ら行う「裁判」によって、真相を明らかにしようというのがこの物語の骨子である。

子どもは大人が思っている以上に大人である

この記事では、作品そのものの内容にはあまり触れません。長大な物語なので語るべきポイントが多すぎるし、読む人によって注目する点も変わるでしょう。とにかく、読んでその濃密さを体感してほしい、と思います。

私はこの小説から、「子どもは大人が思っている以上に大人である」と感じさせられることが多かったので、この記事ではその点に焦点を当てようと考えています。

「学校」は「大人が子どもを見定める場」

野田健一が「学校」についてこんな風に言う場面があります。

僕は、学校は世渡りを学ぶ場だと思っています。自分がどの程度の人間で、どの程度まで行かれそうなのかを計る場です。先生たちは、先生たちの物差しでそれを計って、僕らにそれを納得させようとします。だけど納得させられちゃったら、たいていは負け犬にされます。先生たちが「勝ち組」に選びたがる生徒は、とてもとても数が少ないから

なるほどなぁ、と感じました。これは「学校」という場で何らかの違和感を覚えてきた人には共感できる話ではないかと思います。

いか

先生は、生徒のことは平等に扱ってる、ってもちろん思ってるだろうけどね

犀川後藤

ただ先生だって人間だからどうしても好き嫌いは出てくるし、そういう視線に子どもは敏感だからね

また、作中では柏木卓也が不登校になった理由も明かされていきますが、彼は「学校に通う意味がない」と感じており、その失望ゆえに学校に行かなくなってしまいます。

私も、学生時代には色んな違和感を飲み込みながら学校に通っていた記憶がありますが、その中には、「教師という存在への失望」みたいなものもあったと思います。たぶん、「教師が、子どもたちを何らかの枠組みの中にはめ込もうとしている感じ」が嫌だったはずです。

もちろんそれは「教師個人」ではなく「学校というシステム」の問題なのでしょうが、当時はそんなことまできちんと理解できていなかったので、やはり苛立ちは「教師個人」に向いてしまいます

「学校というシステム」が用意している「枠組み」や与えようとしている「価値観」に違和感を覚えずに済む人にとっては、「学校」という環境はとても快適でしょう。そしてそういう人は、社会に出ても上手くやっていけるのだと思います。ただ、そうは振る舞えない人もたくさんいて、どうしても「枠組み」や「価値観」から落ちこぼれてしまうのです。

犀川後藤

「そこはかとなく正しさを押し付けられている感じ」がなんかずっと嫌だったなぁ、って思う

いか

「『正しい』以外の選択肢」が許容されていない、っていう感じが窮屈だよね

またこれは「学校」だけの問題ではもちろんなくて、「家庭」も同じです。これは「家庭」ごとに大きく差があって、「親ガチャ」という言葉が使われるようにまさに運次第というところですが、親が与えようとする「枠組み」や「価値観」に合わないと感じる場合、やはりその「環境」は苦しく感じられてしまいます

そして結局のところ、そうした違和感というのは、「大人が子どもを子ども扱いする」せいだろう、と感じました。

なぜ大人は、子どもを子ども扱いしてしまうのか

私には昔からずっと不思議だったことがあります。

誰もが「子ども」だったことがあって、そして子どもの頃「大人から子ども扱いされることが嫌だった」という記憶は、誰にでも一定程度あるはずです。もちろん世の中には、そんな感覚まったく抱いたことがない、という人もいるかもしれませんが、私はそんな人は超少数派だと思っています。

それなのに、大人になると何故か大人は子どもを子ども扱いするようになってしまうのです。

未だにこれが不思議でなりません。どうしてそんな振る舞いになってしまうのでしょうか?

犀川後藤

私は、メチャクチャ意識して、子どもを子ども扱いしないようにしてる

いか

目の前にいるのが「25歳ぐらいの若者」だと思って接するぐらいがちょうどいいよね

この物語の中で、中学生たちが自前の裁判を開こうとするのも、この「子ども扱い」への反抗と言っていいのではないかと思います。

柏木卓也が校内で亡くなっていたという「事件」は、様々な意味で同じ学校に通う生徒たち自身に直結する問題です。もし大出俊次らが関わっているとするなら、その被害者は他にもたくさんいるのだし、仮に関わっていないとしても、「学校というシステム」に対して不満を抱いていた柏木卓也が抱える問題は、他の生徒にとっても現実的な悩みだと言っていいでしょう。

しかし一方で、「柏木卓也の死亡」は徹頭徹尾、子どもたちを排除したまま処理されてしまうのです。事件か否かを判定するのは警察だし、親や教師は「子どもを守る」という名目で生徒たちを関わらせません。本当は「子どもの問題」であるはずの事柄を「大人の問題」にすり替え、「あなたたちは気にしなくていい」というメッセージを暗に伝えようとします

これが「子ども扱い」でなくて何でしょうか

このような大人の対応に明白に違和感を抱いた生徒はごく僅かなのですが、きちんと言語化できないにせよ「なんかモヤモヤする」と思っている人はきっと多かったでしょう。そして、明白に違和感を覚えた生徒が主導し、モヤモヤを抱えた生徒を焚きつけることで、大人たちに「これは子どもの問題だ」と突きつけるための「裁判」を開くに至った、というわけです。

現実の世界では「中学生が自分たちで裁判を開く」という形に結実することはほぼあり得ないでしょうが、様々な場面で「『子どもの問題』を大人が横取りする」という違和感を抱く子どもはいるだろうし、その感覚を「裁判を開く」という物語として昇華する展開は見事だと感じました。

犀川後藤

私も昔、「合唱コンクールの選曲を担任が勝手に決めたこと」にムカついて、みんなで選び直そうって話に持ってったことがあるなぁ

いか

でも結局、担任が選んだのと同じ曲に落ち着いたんだよね(笑)

そして、「子どもを子ども扱いする大人への違和感」から生まれる「裁判」であるが故に、中学生たち自身による「裁判」で展開される「人間力」は見事なものがあると感じました。リアリティーという点では「中学生らしくない」という批判の対象として受け取られる部分かもしれませんが、私としては「子どもを子ども扱いする大人へのアンチテーゼ」として、異常に大人びた存在でも許容される物語だと思っています。

学校内裁判を成立させた立役者3人の素晴らしさ

学校内裁判に関わる者はたくさんいるのですが、中でも、検事・藤野涼子判事・井上康夫弁護士・神原和彦の3人は別格と言っていい見事さがあると感じました。この3人がいなければ、学校内裁判はまず実現しなかったでしょう。そして彼らの決断や行動は、子どもか大人かということに関係なしに、人間力の高さを感じさせられます

検事の藤野涼子は「熱意」の人です。学校内裁判を開くことを主張し、ムチャクチャなことを様々に繰り広げながらどうにか開廷にまでこぎつけた立役者と言っていいでしょう。

当初彼女が想定していたものとは違う展開に苦しさを覚えることもあるわけですが、そのことによって同時に、「なぜこの裁判を開かなければならないのか」も明白になっていきます。「勝ち負けを争う場」ではなく「真実を明らかにする場」なのだ、という信念を貫き通したからこそ、諦めずに前進することができたのです。

それでもこの開廷に至るまでには辛いことが多くありました

彼女はクラス委員であり、元々どんな子とも仲良くできる性格の人間でした。成績も優秀で、誰からも慕われるタイプなのですが、しかし、裁判を開くことを提案して実行のために動く過程で、「本当の自分の評価」を知ってしまうことになります。

いか

「学校」を舞台にした物語だと当然こういう展開は避けられないよね

犀川後藤

現実の世界はもっと厳しいって分かってるけど、ホントこういうのは嫌だなぁ

「実は自分は嫌われているのだ」と認識してしまっても、彼女は前進を止めません。これが本当に素晴らしいと感じました。自分が開こうとしている「裁判」は絶対にやらなければならないことだし、その実現のためだったらあらゆる困難をなぎ倒していくのだ、という覚悟のようなものには感動させられます。

判事の井上康夫は、「風格」の人です。学年トップの秀才であり、クラスの副委員でもあり、藤野も井上康夫の佇まいに絶大な信頼を置いています。

藤野がやろうとしている「裁判」に、井上康夫は必要不可欠だったでしょう。なぜなら彼は、一言で言ってしまうなら「杓子定規」というタイプの性格だからです。フェアでありかつ風格もあるという井上康夫の存在なしには成立しなかったでしょう。

基本的にルールに厳しく、ある意味では融通が利かないという捉え方にもなります。それはたとえ相手が教師であっても揺らぐことはなく、ルールに則っていないのならば認められないという主張を真っ直ぐ貫くことが出来るのです。ただし、筋さえ通すなら、それがどんな状況であっても受け入れるだけの度量も持ち合わせています。「裁判の公正さ」を一手に引き受ける存在であり、異例づくしと言える「裁判」を乗り切れたのも、彼の手腕あってのものと言えるでしょう。

しかしやはり中学生であり、正しくない判断をしてしまうこともあるわけで、そういう点もまた人間らしさとして非常に面白いと感じます。

そして、『ソロモンの偽証』という物語を格段に面白くする存在として必要不可欠と言えるのが、弁護士の神原和彦です。恐ろしいほどの切れ者で、裁判開廷以前からのその能力は遺憾なく発揮されていたのですが、裁判が始まってからの振る舞いには何度も驚かされました。

いか

これ、「中学生による裁判」かどうかに関係なく凄いよね

犀川後藤

実際の裁判の中で展開されてもおかしくないものもあるし、驚くと思う

神原和彦の法廷戦術には、何度も驚愕しました。どうやったってひっくり返せないだろうと思われる状況を好転させたり、誰も予想だにしていなかった度肝を抜く展開に持ち込んだりと、あらゆる手段を駆使して被疑者の弁護に回ります。何度となく「そう来るか!」と感心させられてしまいました

藤野涼子も井上康夫も、とても中学生とは思えないような弁論を繰り広げるわけですが、どちらにしても、神原和彦が持つような「不気味さ」はありません。神原和彦には、「次に何をするのか分からない」という怖さが常につきまとっていて、それが法廷を支配する雰囲気として常に漂っている感じが良かったと思います。常に緊迫感に包まれていて、「中学生による裁判」という言葉からイメージされる「ヌルさ」をまったく感じさせません

このような「役者」が揃っていたからこそ、「学校内裁判」というあり得ない展開が現出するわけです。そういう意味でこの物語には「リアリティーは存在しない」と言えるのですが、しかし読んでいると、とてもフィクションとは感じられないような雰囲気に浸ることができます。

設定からはリアリティーを感じられないのに、物語全体からはひしひしとリアリティーが染み出してくる、という構成が見事です。

「裁判」が果たす「肯定する」という役割

この裁判は、「真実を明らかにするため」に開かれることになりました。しかし、裁判が進むに連れて、少しずつ違う目的が付与されるようになっていきます。

それが、「肯定してあげること」です。「裁判の本質的な役割が変わっていく」というこの展開も、本作の見事な点だと私は思います。

というのも、この作品の中では、裁判を通じて様々な人間の「弱さ」が炙り出されていくからです。柏木卓也が亡くなるという「事件」が様々な余波を生み出すことになり、それがまた、柏木卓也の「裁判」に反映されていくという展開の中で、「真実を明らかにする」という目的の「裁判」に、「誰かを肯定してあげること」という役割を付け加えることができるという雰囲気が醸成されていきます。

逆に言えば、それほどに俊次が、「君は濡れ衣を着せられているんだ」という言葉に飢えていたのだということにならないか

順風満帆に見える人でも、全然順調でなかったりすることはよくあって、辛さを内側に抱えながら必死に頑張っていたりします。そういう時、誰かがちゃんと見てくれていたり、その頑張りを認めてくれるだけで、ちょっと救われたり、もう一歩前に足を踏み出せたりするようになるでしょう。

犀川後藤

できればいつも、「誰かを肯定する人間」でいたいなとは思うんだけど

いか

それを自然に伝えるのって結構難しいし、それができる人は凄いなっていつも思うよね

それを彼らは、「裁判」の場で行おうとするのです。これはかなり難題だと言っていいでしょう。何故なら「裁判」というのはその性質上、「相手を否定する場」だからです。

しかし、この「裁判」の関係者たちは、「真実を明らかにする」という目的には不必要と思える議論を展開することで、「裁判」に関わる誰かを肯定しようと試みます。そんな構成もまた非常に素敵だと感じますし、一般的な「裁判小説」ではまず感じることが出来ないような感情を得られるでしょう。

最後に

「中学生が自前で裁判を行うという物語をどう終わらせるのか」は気になるところでしょう。物語の展開を追うごとに、知的なやり取りや人間ドラマなどに打たれ、ラストの着地がどうだろうと凄いと感じていましたが、しかしやはり、「こんな物語をどうやって閉じるつもりなんだろうなぁ」と思いながら読んでいました。

そして私としては、見事なラストを迎えたと感じます。「裁判を開く」という決断をしなければ辿り着けなかった地点へと行き着き、中学生たちの真剣さと熱意がなければ明かされなかった真実にたどり着く展開は、素晴らしいと思いました。

もの凄く長い物語で、なかなか手を出すのに勇気がいるでしょう。しかし、「長い」というだけの理由で手を出さないとしたら、それはあまりにももったいないです。物語としてとんでもなく面白いですし、読む人によって、様々に考えさせるポイントのある作品だとも思います。

長い休みなどに一気読みする候補として、是非検討してみてください。

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いか

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