【実話】「家族とうまくいかない現実」に正解はあるか?選択肢が無いと感じる時、何を”選ぶ”べきか?:映画『MOTHER/マザー』(大森立嗣)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:長澤まさみ, 出演:奥平大兼, 出演:夏帆, 出演:皆川猿時, 出演:仲野太賀, 出演:土村芳, 出演:荒巻全紀, 出演:大西信満, 出演:木野花, 出演:阿部サダヲ, Writer:大森立嗣, Writer:港岳彦, 監督:大森立嗣
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

目の前の選択肢に「正解」があっても、それを選べるかどうかはまた別の問題だ

犀川後藤

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この記事の3つの要点

  • 実話がベースになっている、少年の壮絶な生き様と顛末
  • 我々には「不正解」にしか見えない選択肢を、少年は「正解」だと思って選び続ける
  • 子どもをもうけた後で「親の適性がない」ことが分かったら、どうすればいいのか?
犀川後藤

意味のない「家族幻想」を捨て、子どもや子育ての選択肢を増やすことが、結果的に虐待を減らすことに繋がると思う

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『MOTHER/マザー』が突きつける、「『正解が存在しない人生』をどう生きるべきか?」という難しい問い

主人公の少年は、「正解」を選べない人生を生きるしかなかった

若い世代ほど、「自己責任感が強い」という話を聞いたことがある。就職が上手くいかない、家族と折り合いがつかない、友達がいない、そういう「厳しい現実」に対して、「自分が悪いんだから仕方ない」と感じる人が若い世代には多いというのだ。

その感覚は、私にも理解できる気がする。私は既に「若い」と言えるような年齢ではなくなっているが、彼らと同じように、自分の人生は自分の選択の結果であり自分に責任がある、という風に感じている

この感覚は決して間違っているわけではないが、注意しなければいけない点がある。それは、「目の前に存在する選択肢に、ちゃんと『正解』はあるのか?」ということだ。この点を無視して議論を進めることはできない。

選択肢の中にきちんと「正解」が存在し、それが選べる状態になっているのであれば、確かに「選択の結果は自己責任だ」と言えるだろう。しかしそういう状況ばかりでは決してないはずだ。目の前にある選択肢の中に「正解」が存在しない、あるいは「正解」が存在してもそれを選べない、ということだっていくらでも起こり得る。

その場合、「選んだお前が悪い」という批判には、待ったを掛けなければならないだろう。

主人公の少年の人生には、傍から見れば「目の前にあるそれが『正解』だぞ」と言いたくなる瞬間がたくさんあった。厳しい環境で生きざるを得なかった少年だが、「正解」に見放されていたわけでは決してない

しかし彼は、その「正解」を選べない状況にいた。というかもっと言えば、我々には「正解」に見えているその選択肢が、彼には「不正解」にしか見えていなかったのだ。

全部ダメですよ。生まれてきてからずっと

少年はこう言った後で、さらに言葉を足す。このセリフの後に続く彼の思いには、打ちひしがれるような感覚を抱いた。そしてこれこそが、どれだけ目の前に「正解」があってもそれに手を伸ばさなかった理由であり、我々には「正解」に見える選択肢が「不正解」でしかなかった事情である。

いか

こんな風に考えざるを得ない人生があるのだと知って驚かされた

犀川後藤

しかも、こういう状況にいる子どもって、きっとたくさんいるんだろうしね

映画を観ながら観客は、「なんでそこでそんな選択をするんだ」「そうじゃない選択はいくらでも出来ただろう」と感じてしまうだろうと思う。その気持ちもよく分かる。明らかに少年は、客観的に見て真っ当な判断をしていない

しかし彼は彼なりに、自分が信じる世界の中で、常に「正解」を選んでいるつもりなのだ。そう、非常に難しいことだが、彼は目の前の選択肢の中から「正解」を選んでいるつもりなのである

彼の生き方は、見ていてとても悲しくなる。しかし、手を差し伸べられるかと言えば、難しいだろう。何故なら彼は、「自分の選択は正しかった」と考えているからだ。

たとえそれが、殺人を犯すことに繋がったとしても

少年は恐らく、自分の人生の絶望的な状況を理解していたはずだ。つまり、「自分が選んだ『正解』が、社会的には『不正解』でしかなく、それどころか『圧倒的な不正解』である」ことを、分かっていたと思う。彼はとても聡明であるように感じられるし、特殊な環境にいるとはいえ、自分の頭できちんと思考できる人だと思う。

そんな彼が、社会と齟齬を来すことが分かっていながら、これしかないと思って選んだ選択肢なのだ。私たちは軽々しく、それを「不正解」だと言ってはいけない気がする

犀川後藤

自分の誤りに気づいていないならともかく、彼は恐らく、それを理解しているからね

いか

「自分は他人から見れば間違った選択をしている」ことをきちんと理解した上で、自分の行動を「正解」と思い込むしかないって、ホントに辛い人生だと思う

誰もが同じように考えるだろうが、いずれにせよ100%悪いのは母親だ。少年は、行為としては酷いことをしたが、彼に責任があるとは思いたくない。

しかし100%母親が悪いのだとして、じゃあ少年はどう行動すべきなのだろう? 「お前の母親は悪い奴だ。だから離れた方がいい」と言われて、「はいそうですか」と簡単に返事できるはずもない。少年は、私たちとはまったく違う世界線で生きている。私たちと彼とでは「正解」はまったく違うのだから、私たちの「正解」を押し付けたところでなんの意味もない

少年や、少年と同じ立場にいる子どもたちが、彼らが生きる世界の理屈の中で「救われる道」があるのかを考えなければならないし、その視点が社会の側に足りないのだと突きつけられているように感じられた。

親にならなければ「親の適性」があるかどうか分からない

私は「親」になったことがない。なので、これから書く「親の立場」視点の考えは、すべて的外れかもしれない。「親」になればそれまでとはまったく違う世界が見えるのだろうし、「親」になってみなければ理解できない苦労や辛さもあるはずだと思っている。

その上でやはり思う。この母親は、息子を愛しているようには思えないし、そもそも「人間扱い」しているようにも見えない

最もそう感じさせる、母親が頻繁に口にする象徴的な言葉が、「自分の子どもなんだから、どんな風に育てたって勝手でしょ」だ。この母親の「親」としてのスタンスが、この言葉にすべて詰まっていると思う。彼女にとって子どもは自分の手足のようなもので、そこに人格があると考えていないように感じられる。彼女は彼女の理屈の中で子どもを愛しているつもりなのかもしれないが、彼女がどう主張したところで、そんな話は受け入れられないだろう。

客観的に判断して、この母親は「親」としての適性がないと感じる。だからこそその子どもたちはとても苦労するわけだが、難しいのは、「親」になってみなければ「親の適性」があるかどうか分からない、ということだ。

私は結婚していないし、子どももいないが、自分では「親に向いていない」と思っている。子どものことは好きじゃないし、「自分よりも守るべき存在だ」なんて思える気がしない。

そんな話を誰かにしてみると、時々、「自分の子どもだったら全然違うよ」「親になってみないと分からないじゃん」みたいに言われることがある。「自分の子どもなら違う」のかは分からないが、論理的には確かに、親になってみなければ実際のところは分からない、というのは正しいだろう。

しかし、じゃあ実際に親になってみて、やっぱり向いてなかったと分かったら、一体どうすればいいのだろうか? それが常に疑問だ。

犀川後藤

どうしても、「親になれば、親としてのスイッチが”必ず”入る」みたいな幻想を持っている人が多い気がする

いか

本当にそうなら、世の中にこんなに虐待が存在するはずないと思うけどね

私のように、「経験はないが、きっと親には向いていない」と思っている人はいるだろう。そういう人は、子どもを持つという選択を避けるだろうから、実際に「親の適性」がないのだとしても、子どもを巻き込む問題が生じることはない。

しかし、「自分は親になれるだろう」と思って子どもをもうけたのに、実際には親に向いていなかった、という現実に直面する人もいるはずだ。しかしそうだとしても、「子どもを育てる」以外の選択肢は存在しない。親には、子どもを養育する義務があり、子どもを好きになれなくても、親としての適性がなくても、自分の子であれば関わり続けるしかないのだ。

だからこそ虐待や暴力が起こると私は考えている。

子どもへの虐待や暴力は最悪だと思っているし、撲滅すべきだ。しかしそのためには、「親に向いていないことが分かった人への別の選択肢」が用意されているべきではないか、とも感じる。私のように、元から「親に向いていない」と思っていれば踏み出すことはないが、そんな疑念を微塵も抱いたことのない人が「親としての適性のなさ」を自覚させられた場合、「他に選択肢がない」という絶望が虐待や暴力に向かわせている、という側面はきっとあるはずだ。

外国の状況については知らないが、日本はどうもまだ「家族幻想」が強い。夫婦別姓の議論が進まないのも、「夫婦の姓が異なると、家族としての一体感が失われる」という、私にはまったく何を言っているのか分からない理由も大きいようだ。何にせよ日本ではまだ、「家族というのは一緒にいて、お互い支え合って共に生活をしていくべきだ」という考えが強く、それ故、「自分の子は自分で育てるべきだ」という圧力が増してしまうのだと思う

養子縁組などの仕組みはもちろん存在するが、やはり主流とは言えないだろう。詳しくは知らないが、今はまだ「子どもを産むことが叶わない人の次善の選択肢」という位置づけでしかないと感じている。つまり、「望まない出産をした人」と「望んでも出産が叶わなかった人」のやり取りに留まっている、ということだ。

しかし、もっと可能性が広がってもいいのではないかと思う。虐待で子どもが亡くなったり辛い境遇に置かれるよりはずっとマシだ

犀川後藤

私は、かつて議論を巻き起こした「赤ちゃんポスト」は、1つの「正解」だと思ってる

いか

「赤ちゃんポスト」という”逃げ道”があるだけで、選択や行動が変わったりするだろうしね

虐待や暴力をゼロにすることは出来ない。だったら、子育てにおける「可能な選択肢」を広げるしかないだろう。「家族幻想」を捨て、「結果的に親に向いてないと分かった人」が取れる新たな選択肢を社会がどれだけ用意できるかが、結果的に虐待を減らすことに繋がるのではないか、と思っている。

しかし、仮にそういう世の中になっていたとしても、この母子の着地点は変わらなかっただろう。何故ならこの母親は、どんな理由があろうが我が子を手放すつもりはなかっただろうからだ。

「母親(Mother)」があらゆる場面で繰り返す「私の子だよ!」という言葉は、私には「怪物(Monster)」の叫びにも聞こえた。子どもを産んだ自分が「Mother」になれるのか「Monster」になってしまうのかも分からないし、自分の親が「Mother」なのか「Monster」なのかは子どもには選べない

だからこそ究極的には、「Monster」から子どもを引き剥がす方法を社会は考えなければならないのではないか、とも考えさせられた。

映画『MOTHER/マザー』の内容紹介

劇中では表記されなかったが、この映画は、実際に起こった事件を元にした映画だ。シングルマザーの子として厳しい環境で生きてきた少年が、祖父母を殺害して金を奪った実話がベースになっている。

秋子は周平という息子と2人暮らし。秋子はロクに働きもせずパチンコ三昧の日々で、金がなくなれば両親や妹から”借りる”。もちろん、返したことなど一度もない。周平も、学校で友達と上手くいっていないのか、働いていない母親と一緒にいることが多く、そんな周平に母親は、祖父母(秋子の両親)に金の無心に行かせたりもする。娘には厳しくても、孫には甘くなると分かっているからだ。

周平は、自らの意思を持っているのかどうか分からない乏しい表情で、ほとんど喋らずに過ごしている。母親の命令に逆らうことはほとんどなく、言われればその通り行動するだけだ。

秋子はある日、ゲームセンターで知り合ったホストのリョウと意気投合し、2人は付き合い始める。知り合いの善良な市役所職員に周平を預け、自分はリョウと遊び呆けた挙げ句、難癖をつけて市役所職員から金を脅し取ろうとする信じがたい行動に出るが、思いがけず状況が悪化し、彼らは逃亡する。周平は、男からの暴力に耐え、相変わらずパチンコばかりの母親と共に生活費もままならない日々を過ごす。当然学校には通っておらず、生活能力皆無の母親に諾々と付き従っているだけだ。

しかし、秋子の妊娠が判明したことで事態は大きく変わっていき……。

映画『MOTHER/マザー』の感想

実話をベースにしているとはいえ、どこまで事実なのかは分からない。しかし、秋子と周平の現実が実際にどうだったとしても、彼らのような境遇に置かれている人は、日本にたくさん存在するのだろうとも思う。

とにかく秋子には、苛立ちしか覚えなかった

この映画を観る前にたまたま、秋子を演じた長澤まさみのインタビュー記事の見出しが目に入った。記事全体をちゃんと読んだわけではないが、長澤まさみが「秋子にはまったく共感できなかった」と語っていて、まあそうだろうと感じた。

物語の中で「悪い人」が出てくる場合、それが主人公クラスの存在であればあるほど、「実は良い面もある」という描かれ方をすることが多いと思う。しかしこの映画では、そういう要素はほぼ無かったと言っていい。とにかく、一切の共感を廃するような役柄だと感じたし、長澤まさみもそれを理解して、自身の「共感できなかった」という感想そのままに、共感を寄せ付けない演技をしたのだろうと思う。

そしてだからこそ、秋子という存在に「Mother」と「Monster」が二重写しになり、その狂気が、映画の主題を浮き上がらせているのだと感じた。

観客からすれば「Monster」でしかない秋子は、周平にとってはどこまでも「Mother」である。この絶望的な食い違いが、消化不能なモヤモヤとして、映画を観終えた後もずっと重苦しく残り続ける。

秋子を「Monster」ではなく「Mother」としか捉えることができない周平に、どんな「正解」が存在しただろうか? 私たちは、周平のような子どもに、納得感のある「正解」を提示できるだろうか?

母親と社会が抱える矛盾のすべてを一手に引き受けることになった少年の奮闘に、我々は何か応えるべきなのではないか、と感じさせられた。

出演:長澤まさみ, 出演:奥平大兼, 出演:夏帆, 出演:皆川猿時, 出演:仲野太賀, 出演:土村芳, 出演:荒巻全紀, 出演:大西信満, 出演:木野花, 出演:阿部サダヲ, Writer:大森立嗣, Writer:港岳彦, 監督:大森立嗣
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最後に

周平が抱える問題を、「周平個人の問題」と捉えていては、何も変わらないだろう。これは「社会の問題」なのだ、という視点の転換ができるかどうかが問われていると感じた。

これが「周平個人の問題」であるなら、彼は「強盗殺人」の罪を一手に背負わなければならない。しかし映画を観れば、彼にそのすべての罪を課すのはあまりに酷だと感じるだろう。だとすればこれは「周平個人の問題」ではないのだ。

今もどこかで、周平のような状況に置かれている子どもが苦しんでいるだろう。私としては、なんとか救われてほしいと願うばかりだ。

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