目次
はじめに
この記事で取り上げる映画・コミック
出演:石川瑠華, 出演:青木柚, 出演:前田旺志郎, 出演:中田青渚, Writer:ウエダアツシ, 監督:ウエダアツシ
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この映画・コミックをガイドにしながら記事を書いていくようだよ
今どこで観れるのか?
この記事で伝えたいこと
すべての「虚飾」を剥ぎ取って、色んな意味で”裸”で関われる関係性は羨ましい
「嘘のない言葉が言葉通りに伝わる関係性」であることがとても素敵
この記事の3つの要点
- 「名前の付く関係性」が苦手だからこそ、小梅・磯辺の関係がとても羨ましく感じられる
- セックスからすべてが始まるからこそ、余計な虚飾をまとわずに済むという設定の見事さ
- 普通には到達できない地点に辿り着いてしまったからこその「行き止まり」と「すれ違い」がとても悲しい
色んな意味で、石川瑠華・青木柚という配役も完璧だった、見事すぎる作品
自己紹介記事
ルシルナ
はじめまして | ルシルナ
ブログ「ルシルナ」の犀川後藤の自己紹介記事です。ここでは、「これまでのこと」「本のこと」「映画のこと」に分けて書いています。
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どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください
記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
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『うみべの女の子』の映画、素晴らしかったです。元々、浅野いにおの原作コミックを読んでいて、「とんでもない作品だ」と感じてはいました。その世界観を映画で見事に描き出していると言っていいでしょう。
原作を読んだのは大分前なので正確には覚えていませんが、原作と映画は大体同じような内容・展開のはずです。そこでこの記事では、基本的に映画の感想を書くことにします。「中学生がセックスを起点に関係性を深めていく」という、「テーマ」としても「映画化する」という意味でも非常にハードルの高い作品は、どうしても「中学生のセックス」という部分に目が行きがちですが、私は、人間関係のより深い部分に触れるような感覚を与えてくれる作品だと感じました。
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「名前が付く関係性」がどうにも苦手
ここ何年か、数ヶ月に1度電話で4時間ぐらい話すようになった女友達がいます。以前地方に住んでいた時に知り合った人です。今はお互いかなり距離の離れた場所に住んでいるので、直接会う機会はありません。彼女は10歳ぐらい年下で、共通の趣味があるわけではなく、電話する以外の時にはやり取りはほとんどない、みたいな関係です。
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そんな女友達と話している時に、「犀川さんと話すのは、健康のために良いですね」と言われたことがあります。
これ以降は、「健康のためにまた話しましょう」が合言葉みたいになったし
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これは、「お互い日常生活の中で話の合う人がいないので、話したいと思うことが身体の内側に溜まって不健康になる。それを喋ってすっきりさせましょう」という意味です。私自身の感覚としてももの凄くピッタリの言葉で、「確かにこの会話は『健康のため』だなぁ」と感じています。ある意味でそれは「点滴」のようなものと言えるでしょう。
この女友達の話を紹介したのは、「彼女との関係性には『特別な名前』がつかない」と感じているからです。もちろん「恋人」ではありませんし、性別も年齢も趣味もまったく異なるので「友達」という言い方も上手くハマらない気がしています。もちろん、少なくとも私の方は彼女に対して「人間的な興味」を持っているので、広く括れば「好き」という感情になりますが、それ以上に、「あー、ちょっと点滴打ちたい」というのに近い欲求の方が強いという感じです。
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そして私は、こんな風に「関係性を上手く言葉に出来ない人間関係」に惹かれます。というか、「分かりやすい名前が付く人間関係」は苦手で、出来れば遠ざけておきたいと考えてしまうのです。
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ある時点から「恋愛は向いてない」って判断して、恋愛的な方向に進もうとするのを止めたよね
それから異性に対しては、「どうやって友達になるか」が大きなテーマになったかなぁ
「名前が付く関係性」に対してはどうしても、「『関係性の名前』の方が強くなってしまう」という感覚が私の中にはあります。世の中には、「彼女がいるのに女と2人で飲みに行くなんてサイテー」「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」「先輩の命令は絶対」のような、「関係性に名前が存在するが故の制約」が当たり前のように存在するでしょう。私はどんな相手とも、「私とその人」という個人の関わりをしたいと思っているのですが、関係性に名前が付いてしまうと、どうしても「その関係性に相応しい言動」しか許容されない気がしてしまいます。
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どんな理由があれ、法を犯した者は罰せられるべきだと思っている。しかしそれは、善悪の判断とは関係ない。映画『万引き家族』(是枝裕和監督)から、「国民の気分」によって「善悪」が決まる社会の是非と、「善悪の判断を保留する勇気」を持つ生き方について考える
そういう状況に疲れを感じることが多く、私は「名前が付く関係性」を諦めてしまいがちです。「家族」に対する親密さを感じることもなく、「恋人」を作りたいという気持ちもなく、「上下関係」みたいなものからは一刻も早く逃げ出したいと考えてしまいます。
私のこの感覚は少数派だとは思っていますが、周りの人からも聞くことがあるので、共感してくれる人もいるはずです。あるいはこの記事を読んで、「今までそんなこと考えたこともなかったけれど、『名前が付く関係性』が苦手だから人間関係で上手くやれないのか」と気づいたなんていう方もいるかもしれません。
ただやはり世間的には、「名前が付く関係性」を求める気持ちの方が強いだろうと思います。「名前が付く関係性」から意識的に離れてみた私なりに、どうして「名前が付くこと」を求めてしまうのか改めて考えてみました。
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【死】映画『湯を沸かすほどの熱い愛』に号泣。「家族とは?」を問う物語と、タイトル通りのラストが見事
「死は特別なもの」と捉えてしまうが故に「日常感」が失われ、普段の生活から「排除」されているように感じてしまうのは私だけではないはずだ。『湯を沸かすほどの熱い愛』は、「死を日常に組み込む」ことを当たり前に許容する「家族」が、「家族」の枠組みを問い直す映画である
私の予想に過ぎませんが、「『関係性』は『善悪の判断基準』だから」ではないかと思います。
私が「嫌だな」って感じるポイントがまさにそこなんだけどね
ただまあ、「善悪がはっきりする」ことの分かりやすさを求めてしまう気持ちも分からないでもない
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例えば、「1万円札」というただの紙切れに「価値を感じる」のは、社会の構成員が同じ「共同幻想」の中に生きているからだ。リドリー・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』は、「強姦では妊娠しない」「裁判の勝者を決闘で決する」という社会通念と、現代にも通じる「共同幻想」の強さを描き出す
「誰かとセックスをすること」は、行為自体は悪くはありません。しかし、「恋人」のいる人が別の異性とセックスすると、それは「悪いこと」と認定されてしまうのです。これは、関係性に名前が付いているからだと言えるでしょう。「恋人」という関係性があるかないかで、「異性とのセックス」の良し悪しの判断が変わるというわけです。
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【感想】映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』は、「リアル」と「漫画」の境界の消失が絶妙
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このように、「関係性に名前が付いていること」はそのまま、「何が良くて何が悪いかの『判断基準』」になることを意味します。そして、「何かあった時に『良い』『悪い』が評価できること」にメリットや安心感を感じる人が多い、ということなのでしょう。
「相手が間違っている」とか「自分は正しい」と主張するためには、どうしても「判断基準」が必要になります。「判断基準」がないまま良い悪いの議論をしても不毛でしかありません。そして誰もが、「自分は正しい言動をしている」という確証がほしくて、「名前が付く関係性」を求めてしまうのではないかと私は考えています。
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【正義】「正しさとは何か」を考えさせる映画『スリー・ビルボード』は、正しさの対立を絶妙に描く
「正しい」と主張するためには「正しさの基準」が必要だが、それでも「規制されていないことなら何でもしていいのか」は問題になる。3枚の立て看板というアナログなツールを使って現代のネット社会の現実をあぶり出す映画『スリー・ビルボード』から、「『正しさ』の難しさ」を考える
そしてそうだとするなら、やっぱり私は、そのような「判断基準」のある関係性はめんどくさいと感じてしまうのです。
磯辺と小梅の関係は、「セックス」から始まっていく
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【無知】映画『生理ちゃん』で理解した気になってはいけないが、男(私)にも苦労が伝わるコメディだ
男である私にはどうしても理解が及ばない領域ではあるが、女友達から「生理」の話を聞く機会があったり、映画『生理ちゃん』で視覚的に「生理」の辛さが示されることで、ちょっとは分かったつもりになっている。しかし男が「生理」を理解するのはやっぱり難しい
物語は、こんな風に始まります。1年生の時に同級生の磯辺恵介に告白された佐藤小梅は、2年生になってから唐突に「私とセックスしたい?」と磯辺に持ちかけました。小梅が自分のことを好きになってくれたわけではないと分かっていた磯辺は、「それならセックスしたってしょうがない」と思います。しかしその後、家や学校でひたすらセックスをし続ける生活が始まるというわけです。
冒頭、海辺で「私とセックスしたい?」というやり取りを交わして以降しばらくは、基本的にずっとセックスをしています。しかもその行為はお互いにとって、「セックスのためのセックス」みたいなものであると伝え合うのです。
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【漫画原作】映画『窮鼠はチーズの夢を見る』を異性愛者の男性(私)はこう観た。原作も読んでいます
私は「腐男子」というわけでは決してないのですが、周りにいる腐女子の方に教えを請いながら、多少BL作品に触れたことがあります。その中でもダントツに素晴らしかったのが、水城せとな『窮鼠はチーズの夢を見る』です。その映画と原作の感想を書きます
上半身はどうでもいいけど、磯辺の下半身がなくなっちゃうのは寂しい。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
佐藤は穴がついてればそれでいいから。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
2人共とにかく、「そこに性器があるから」ぐらいのテンションの低さで、ひたすらにセックスを繰り返します。磯辺は小梅のことが好きだったけれど、今はそういう感情は排して「セックスの相手」としか見ていません。そして小梅の方は、磯辺のことはなんとも思っていないけどとりあえずセックスをしたい、というスタンスで関わっていくのです。
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【感想】綿矢りさ原作の映画『ひらいて』は、溢れる”狂気”を山田杏奈の”見た目”が絶妙に中和する
「片想いの相手には近づけないから、その恋人を”奪おう”」と考える主人公・木村愛の「狂気」を描く、綿矢りさ原作の映画『ひらいて』。木村愛を演じる山田杏奈の「顔」が、木村愛の狂気を絶妙に中和する見事な配役により、「狂気の境界線」をあっさり飛び越える木村愛がリアルに立ち上がる
彼らの関係にも、なかなか名前が付かないだろうなぁ、と感じます。どう見ても、「友達」でも「恋人」でもありません。確かに「セフレ」という言葉はあります。ただ彼らの関係にはそぐわないでしょう。なぜなら2人とも、「セックスそのものにさほど執着しているようには感じられない」からです。「お互いにセックスを希求していて、その欲望にちょうどよい存在がたまたまいた」というのではなく、「セックスそのものにもさほど強い思い入れはないのだけれど、お互い暇だしやろう」みたいなテンションの低さがずっと続いていきます。だから「セフレ」というのもちょっと違う気がするのです。
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【あらすじ】濱口竜介監督『偶然と想像』は、「脚本」と「役者」のみで成り立つ凄まじい映画。天才だと思う
「映画」というメディアを構成する要素は多々あるはずだが、濱口竜介監督作『偶然と想像』は、「脚本」と「役者」だけで狂気・感動・爆笑を生み出してしまう驚異の作品だ。まったく異なる3話オムニバス作品で、どの話も「ずっと観ていられる」と感じるほど素敵だった
小梅は、「こんな子がいたら男としては都合が良い」というステレオタイプの極みみたいな存在だからなぁ
小梅がどうして磯辺にセックスを持ちかけたのか、一応その理由となるっぽい描写もあるのですが、この物語では「どうしてそんな関係が始まったのか」はさほど重要ではありません。大事なのは、「そんな風にして始まった2人の関係がどうなっていくのか」でしょう。
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小梅の提案に乗ることで磯辺は最初、「小梅と恋愛関係になれる」と期待していました。これは男性的には割と自然な感覚でしょう。自分が好きだと感じていた女の子から「セックスしよう」なんて言われれば、「いずれ自分と付き合ってくれる」と考えてもおかしくないはずです。
ただ、磯辺が小梅にキスしようとすると、「磯辺のことは好きじゃない」と拒まれてしまいます。そして改めて、
磯辺のチンチンの方がごちゃごちゃ言わないから好き。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
と、セックスにしか関心がないと伝えるわけです。磯辺としては、さすがに諦めるしかないでしょう。そんなわけで彼は、小梅との恋愛を諦め、セックスに終止することになるわけです。
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「こじらせ」って感覚は、伝わらない人には全然伝わりません。だからこそ余計に、自分が感じている「生きづらさ」が理解されないことにもどかしさを覚えます。AVライターに行き着いた著者の『女子をこじらせて』をベースに、ややこしさを抱えた仲間の生き方を知る
映画を最後まで観た上で改めて、この場面における小梅の気持ちを理解してみようと思うのですが、正直なところなかなか難しいと感じます。小梅は、決して「恋愛に興味がないタイプ」ではありません。周りから「面食い」と言われており、また意中の先輩に告白して玉砕してもいます。彼女自身もまた「誰かと恋愛関係になりたい」という気持ちを持っているわけです。それでも、磯辺に対しては積極的に「恋愛」ではない関わり方をしていきます。
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素直に観察できる通り、小梅はやはりこの時点では磯辺に恋愛感情を抱いていなかったのか。あるいは、恋愛感情を認識しながらなんらかの理由でそれを磯辺に伝えないことに決めたのか。その辺りのことは私にはなかなか想像が難しいところです。
ただ、後で詳しく触れる通り、小梅は「『学校で見せている自分』ではない自分」をどこかに作りたかったのかもしれない、とも感じます。そして、それには磯辺が適任だったというわけです。実際小梅は、磯辺に対してかなりフラットに自分をさらけ出すような振る舞いをします。ある意味それは当然でしょう。既にセックスをしている関係なのだから、何も隠し立てすることはない、という感覚でいるはずです。
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そしてそれ故に、小梅はある場面で磯辺の「地雷」を踏んでしまうことになります。この場面は、物語を一気に変転させる力を持つ、磯辺の「狂気」が一気に吹き出すようなシーンです。「物語はここから何か変わる」と直感させる場面でした。
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さて、「名前が付かない関係性」であることが、この時の磯辺の振る舞いとして如実に現れていると思います。先程私は、「関係性に名前が付かないことで『善悪の判断基準』が存在しない」と書きました。そしてそれ故に、この場面をきっかけに磯辺は小梅と距離を取ろうしたのだと思うのです。彼の元々の性格も無関係ではないとは思います。ただこの場面では、「『判断基準』がない関係だから、『それはルール違反だ』と言えない」みたいに考えていると私は感じました。そしてだからこそ、「距離を取る」というやり方でしか解決できないと判断したのだと思います。
そのままひたすらセックスするだけの関係のままだったら、彼らがその後どうなっていたのか分かりません。しかし、小梅の取ったある行動が磯辺の「許容」の範囲を無意識的に超えてしまい、そのことが彼らの関係性を不安定にさせることになるのです。なんの抵抗もないかのごとく当たり前のようにセックスをしまくっていた時期がどれほど「奇跡的」だったのかと、特に小梅は感じたのではないでしょうか。
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テンション低く、動物的にセックスばかりしている冒頭部分から、この唐突な「変転」を経たことで、彼らの関係性がどう変わっていくのかも、映画の見どころだと感じます。
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その感覚は、有名な「吊り橋効果」の逆だと考えれば分かりやすいかもしれません。「吊り橋効果」というのは、「『吊り橋を歩いている時のドキドキ』を、『一緒に歩いている異性への恋心』と勘違いする効果」のことを指します。一方、小梅が感じていたのは、「セックスをしちゃってるのにこれほどテンションが上がらない状況」に対するある種の感動だったのではないかと私は想像しています。
そんな風に考える理由は、「学校にいる時の小梅」と「磯辺といる時の小梅」がかなり違うからです。
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「リア充感」が滲み出ているのに「生きづらさ」を感じてしまう人に、私はこれまでたくさん会ってきた。見た目では「生きづらさ」は伝わらない。24年間「リアル彼氏」なし、「脳内彼氏」との妄想の中に生き続ける主人公を描く映画『勝手にふるえてろ』から「こじらせ」を知る
学校にいる時の小梅は、「適度なリア充」という雰囲気の女の子で、仲の良い女友達とワーキャー騒いだり、「私楽しんでますよ~」という雰囲気を分かりやすく出したりしています。ただ恐らくですが、学校にいる時の小梅は「頑張ってテンション高く振る舞っている」という感じなのでしょう。というか、「小梅自身が『普段の自分』と認識しているスタンス」とは違った面を意識的に見せているのだと思います。そしてそれは、世の中の多くの人が処世術としてやっている行為でもあると言えるでしょう。
一方、磯辺といる時の小梅は、言葉を取り繕わず、テンションも上げず、なんならちょっとつまらなそうな雰囲気さえ出しています。恐らくこちらの方が「素」なのでしょう。そう感じる理由の1つには、小梅の幼なじみである鹿島との関係を挙げられると思います。鹿島は時折、小梅に対して「熱量の高い振る舞い」を取るのですが、小梅はそれを嫌がる素振りを見せるのです。幼なじみに対してだからこそ嘘のない反応ができるのだと考えると、小梅は「テンションの高い感じ」が基本的には好きではないのだろうと判断できます。
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私としても、取り繕ってる感がないように感じられる「磯辺といる時の小梅」の方が好きだな
そして、磯辺と思いがけずそんなフラットな関係性になれたことが、小梅にとってはとても大きな出来事に感じられたのでしょう。初めこそ「磯辺の下半身がなくなっちゃうのは寂しい」と、セックスさえ出来ればいいと考えていた小梅でしたが、次第に、虚飾をまとわずに済む磯辺との関係が非常に大事なものに感じられるようになったのだと思います。見栄を張ることも、綺麗で嘘に塗れた言葉を重ねる必要もなく、お互いに罵り馬鹿にし合いながら「嘘のない真っ直ぐな言葉」を投げ合える関係性に、愛おしさみたいなものを抱くようになっていったはずです。
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セックスから始まったことで、このような地平にあっさりとたどり着いた彼らの関係性に、私はとても羨ましさを感じてしまいます。もちろんこれはフィクションで、実際にはほぼ起こり得ない展開でしょう。しかし、スピード感はともかくとして、彼らがたどり着いた地点そのものは、私たちが生きるこの世界にも存在し得ると感じます。とてつもなく不安定で、微妙なバランスの上に成り立っている、だからこそ逆説的にとても価値を感じられるような地点に、私もいつか誰かとたどり着けるといいなぁ、と感じてしまいました。
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さて、一方の磯辺はというと、結果的に「セックスに追い詰められる」ことになってしまいます。その理由は断片的にしか語られませんが、磯辺が世界に対して「抑えようのない憎悪」を抱いていることに関係があるのです。
「磯辺の複雑さ」があるからこそ、この作品は「ただエロいだけの物語」に留まらないんだよね
初めは「小梅の方がぶっ飛んでるのかな」って感じるんだけど、実は磯辺の方がヤバいんだよなぁ
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空気を読んで摩擦を減らす方が、集団の中では大体穏やかにいられます。この記事では、様々な理由からそんな選択をしない/できない、『私を知らないで』に登場する中学生の生き方から、厳しい現実といかにして向き合うかというスタンスを学びます
最初は磯辺にとっても、小梅との関係は僥倖だったでしょう。というのも、この記事の冒頭で書いた私自身の話と同じく、磯辺もまた「話が通じる相手」に巡り会えない難しさを抱えているからです。
磯辺の内面はとにかく、世界に対する憎悪に満ち溢れていると言っていいでしょう。その直接的な原因は物語の中盤まで進まないと明らかにされないのですが、序盤でも、彼がこの町に引っ越してきたことや、家族との特殊な関わり方などから断片的に示唆されていきます。「なんだか分からないけれど、磯辺はこの世界に対して言い知れぬ怒りを抱いているのだな」ということが、なんとなく彼の振る舞いから分かるのです。
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「実は私は、恋愛的な関係を求めているわけじゃないかもしれない」と気づいた著者ムラタエリコが、自身の日常や専門学校でも学んだ写真との関わりを基に、「自分に相応しい関係性」や「社会の暴力性」について思考するエッセイ。久々に心にズバズバ刺さった、私にはとても刺激的な1冊だった。
磯辺にとって「世界」とは「ロクでもないものの集積」でしかなく、そこに存在する自分自身に対しても「どうでもいい」という感覚を抱いてしまっているのだと思います。一方で、形の定まらない対象に向けたどす黒い憎悪に囚われて、窒息しそうな状態でもあるのです。吸っても吸っても酸素を取り入れられないような、常に緩く首を締め付けられ続けているような、そんな不快さの中にいつもいる感じなのでしょう。
俺は、自分の欲望のために他人の内面に土足で踏み込んでくるやつが嫌いなんだよ。生きてるだけで苦しいって人間の気持ちなんて、わかんねーだろ。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
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子どもの頃、周りと馴染めない感覚がとても強くて苦労しました。ただし、「普通」から意識的に外れる決断をしたことで、自分が持っている価値観を言葉で下支えすることができたとも感じています。「普通」に馴染めず、自分がダメだと感じてしまう人へ。
そんな磯辺にとって小梅は、「自分の言葉が届く相手」だったのだと思います。小梅に告白した1年生の頃にはきっと、そんな風には考えていなかったでしょう。学校での小梅を見て、「可愛い女の子」として好きになったのだと思います。しかし、思いがけずセックスから関係がスタートし、それによって小梅の虚飾が剥ぎ取られたお陰で、「取り繕わなくても、発した言葉がそのまま相手に伝わる」と感じられる会話が出来るようになったわけです。そのこと自体は、磯辺にとって、ある種の「救い」と言ってもいいものだったと私は考えています。
「こういう言い方をしたら相手がどう受け取るだろう」とか考えなくても会話が成立する相手ってホントに貴重だと思う
「セックスからスタートすることで、一気にそういう関係になる」って設定は、絶妙だなって感じだよね
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ただ、セックスによってそんな地平に辿り着くことが出来たのに、結果的に磯辺はそのセックスによって内側から崩壊してしまうのです。
セックスする度、もうセックスしないって神様に誓うんだけど。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
磯辺が小梅に対してこんな風に言う場面があります。これは、「バカみたいに性欲に絡め取られている自分が嫌いだから止めたい」みたいな意味ではないはずです。もちろん、「小梅のことが好きだから、こんなセックスだけの関係なんて嫌だ」という気持ちも当然あるだろうとは思います。ただそれ以上に、「こんなにもあっさりと『セックス』と関われてしまっている自分」に対しての苛立ちみたいなものが間違いなくあるはずです。
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自分はセックスなんてしていい人間じゃないんだ。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
彼はこんな風にも言うのですが、このような発言の背景には、兄の存在が関係しています。磯辺を取り巻く様々な事柄が、最終的には兄に行き着くと言っていいでしょう。そして「『兄がいないクソみたいな世界』で『兄が出来なかったこと』を今自分は当たり前のようにしている」という事実そのものに、磯辺は自分を許せないような感覚を抱いてしまうのだろうと思います。
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正直なところ、こういう発言をしている時の磯辺の気持ちは、はっきりとは分からないんだけどね
たぶん磯辺自身でさえも正しく捉えきれていないだろうし、そのことも含めて「中学生なりの若さの表出」って感じがする
彼らの関係については、「セックスから始まった」という表現も出来るわけですが、一方で、「セックスで行き止まった」とも言えるだろうと思います。つまり、始まったと同時に行き止まってしまった、というわけです。行き止まった地点は当初、2人にとって思いがけず心地よい世界だったはずですが、磯辺が抱える事情によって、その行き止まりは「解消されるべきもの」になってしまったのだと感じます。
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私は、「人間関係に『正しい形』など存在しない」と考えていますが、それでも彼らの関係は「歪」と呼んでいいものでしょう。歪なまま関係性を維持することはやはり難しく、奇跡的なことなのだと改めて実感させられました。
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「うみべの女の子」には本当に会ったのだろうか?
冒頭で小梅と磯辺が海辺で話していることもあり、「うみべの女の子」は小梅のことだと考えてしまうかもしれませんが、そうではありません。作中で「うみべの女の子」と呼ばれるべき存在は別にいるのです。
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映画では、磯辺が「うみべの女の子」と会うシーンも描かれます。しかし、実はそんな出来事は存在しなかったのではないかと、映画を最後まで観て感じました。
ちゃんとは覚えてないけど、原作を読んだ時にはそんな風には感じなかったはずなんだよね
でも、その捉え方のままだと、磯辺がマジで「ただのヤバい奴」ってことになっちゃうよね
なぜそう考えるに至ったのか、説明したいと思います。
磯辺が最後に映し出される場面で、彼は泣いているのですが、そこに至るまでの過程をシンプルに捉えると、この涙には違和感があるでしょう。どちらかと言えば、泣きたいのは小梅の方であるはずだからです。
「磯辺が泣いていた」という事実を踏まえると、「その直前の場面で磯辺が口にしたことはすべて嘘だったのかもしれない」とも想像できるでしょう。つまり、「嘘をついて小梅を遠ざけた」というわけです。
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そんなことをしなければならない動機についてはこの記事では触れませんが、確かに彼には「そうせざるを得ない事情」があります。磯辺なりに自身の結末を予期していたとすれば、小梅に対する態度も理解できますし、となれば、「うみべの女の子」と会ったという話も嘘だった可能性が出てくる、というわけです。
「うみべの女の子」に会ったかどうかは大した問題ではありませんが、磯辺が小梅に対して嘘をついていたとすれば、物語の様相はガラリと変わると言えるでしょう。なぜなら、2人の最後のやり取りの印象とは異なり、磯辺にとって小梅は「非常に大事な存在」ということになるからです。何かが少し違っていれば、2人の結末はまったく違ったものになっていたかもしれません。
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ただ磯辺にとっては、小梅以上に優先すべき存在が兄でした。そして、兄のあれこれがなければ磯辺は世界への憎悪を抱かず、というかこの町に引っ越してくることもないわけで、だから小梅と出会うこともなかったでしょう。だから、そんな「もしも」には意味がありません。
ただ、「もしも兄の存在に囚われていない磯辺が小梅に出会っていたらどうだっただろう」とも考えてしまうのです。でも、うーん、それでも素敵な形としては成立しなかったかもしれません。結局、抱えきれないほどの「空虚」が磯辺の内側に巣食っていたからこそ、結果として「セックスから始まる関係」が心地良さに変わっていったわけですから。
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どうあっても、磯辺と小梅は上手くいかない運命だったのかもしれません。だからこそ、「たとえ一瞬でも奇跡のような関係性が成り立っていた」という事実に美しさを感じるべきなのでしょう。
彼らが、「服」という物理的なものも含めてすべての「虚飾」を剥ぎ取って関わる場面はやっぱ羨ましい
「服」はともかく、年齢・性別・容姿・仕事みたいな様々な「虚飾」を外して繋がれる人ってホント少ないからね
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映画の感想
磯辺役の青木柚の”狂気”
この映画は、小梅役の石川瑠華もとても良かったのですが、何よりも磯辺役の青木柚が見事だったと思います。
そもそも私は青木柚という役者を、『サクリファイス』という映画で知りました。立教大学の学生が撮った映画で、その主演を務めていたのが青木柚だったのです。
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『サクリファイス』での沖田という役も、かなり狂気を孕んだ役柄で、青木柚はそういう「『普通』の枠組みをあっさり超えてしまえるような存在」を演じるのがとても上手いのだと思います。『サクリファイス』の沖田も『うみべの女の子』の磯辺も共に、無表情で感情らしい感情を表に出していない時点から、どことなく狂気が内包されていると感じる部分があって、その絶妙な「ヤバさ」が、物語において非常に重要な要素になっているとも感じました。
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この作品においては、小梅も磯辺もなかなか行動原理が謎なのですが、小梅の「私とセックスしたい?」という提案は、私にとってはまだ理解の範囲内だと言えます。これは「小梅の気持ちが分かる」ということではなく、単に「男の願望として『そんなことがあったら素敵だよな』という感覚と共に受け入れてしまえる」ぐらいの意味です。小梅の言動が女性からどう判断されるのか分かりませんが、少なくとも男性は、小梅の言動をあっさり受け入れてしまえるでしょう。
ただ、磯辺はそうではありません。彼は「何を考えているのか」「何を感じているのか」がまったく理解できないタイプであり、かなり「不可解」に映る存在だと思います。ただ、「磯辺が狂気を内包する存在」だと理解できることで、「磯辺ならやるだろう」「磯辺なら仕方ない」という感覚も生まれるわけです。この感覚は、「ともすれば『共感』からは程遠いかもしれない、『距離感』さえ与えかねない『うみべの女の子』という作品」を、「理解可能な範疇」に押し留めるために非常に重要な要素だと思っています。
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そしてだからこそ、磯辺を演じる役者は、体中から「そこはかとない狂気」を染み出させるような人間でなければならないのです。
性描写がある作品だから、磯辺・小梅役は「中学生に見える成人」でなきゃいけないって制約がそもそもあるんだよね
さらにその上で、「狂気を滲ませる役者」じゃなきゃいけないんだから、よく青木柚を見つけたものだと思う
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そしてその難しい要請を、青木柚は見事に成し遂げていると思います。物語全体の流れとは大きく絡まない場面ですが、磯辺が抑え込んでいた狂気のリミッターを外し、
やりたきゃやれよ。それがお前らの理屈なら。俺は俺の理屈でお前らの内蔵を並べて死に様を晒してやる。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
と凄むシーンなど、圧巻だったと感じました。
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また、配役の話で言えば、石川瑠華も青木柚も共に、「美男美女なのに『イケてない感』も出せる」という点が素晴らしかったと思います。
ドラマや映画などで、「『イケてない役』のはずなのに、美男美女の俳優が演じるから『イケてない感』が全然出ておらず、作品として成立していない」みたいな感想になることもあるでしょう。しかし『うみべの女の子』では、共に美男美女でありながら、2人からは「不自然ではない『イケてない感』」も滲み出ていて、作品として非常に見事に成立していると感じました。「学校でのヒエラルキーが決して高くない、むしろ低いと言っていい小梅と磯辺が関わりを持つ」という点こそが作品にとって重要なので、配役ではこの点も見事にクリアされていると思います。
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そういう意味で、石川瑠華・青木柚というセレクトは、絶妙としか言いようがないのではないかと感じます。
小梅・磯辺の絶妙なすれ違い
最後に、小梅と磯辺が悲しくもすれ違っていってしまう、その後半の展開の転換点となったのではないかと感じた場面に触れて終わろうと思います。
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それは、小梅と磯辺が向き合って寝転びながら、お互いの内面を吐露する場面です。床に寝転ぶ2人を天井のアングルから撮り続けるシーンで、映像的にも美しいと言えるでしょう。
この場面で小梅が、磯辺に対して「好きな人はいないの?」と聞くのですが、この質問こそが、ある意味で「最後のボタンの掛け違い」なのかもしれないと感じました。
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最初からずっと「磯辺のことは好きじゃない」と言い続けてきた小梅ですが、どこかの段階で、小梅は間違いなく「磯辺のことが好きだ」と自覚したはずです。そしてそう考えた時、小梅のこのセリフは、「自分のことを『好き』だと言わせようとした」と考えるのが自然な気がします。磯辺が小梅を好きなことはあらかじめ分かっているのですから、小梅は、「好きな人はいないの?」と聞けば、「俺が好きなのは小梅だよ」みたいな返答が返ってくると想定していたのではないかと思うのです。
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ただ一方で、このセリフを磯辺の立場になって聞いた場合、まったく違った意味に聞こえるでしょう。恐らく磯辺は、「(私はあなたのことが好きじゃないけど、誰か)好きな人はいないの?」と受け取ったのだと思います。小梅はずっと「磯辺のことは好きじゃない」と言っていたのだから、磯辺の視点で考えれば、そう解釈する方が自然でしょう。
つまり、「私はあなたのことが好きだよ」と伝えたつもりだった小梅のセリフが、磯辺には「やっぱり私はあなたのことが好きじゃないよ」と、まったく真逆の言葉に聞こえてしまっていたのではないか、と感じたのです。これはあくまで私の想像に過ぎませんが、そこまで大きくは外してもいないだろうと思っています。
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また、「やっぱり俺のことは好きじゃないよな」と受け取った磯辺が、その夜にあの決断を下したと考えるのも、流れとしては不自然ではないような気もします。そして、磯辺のその決断がなければ、ラスト付近で小梅が磯辺に放つ、
怖いよ。変わりすぎだよ。そんな楽しそうな磯辺、見たくなかった。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
というセリフも存在しなかったかもしれないのです。
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この言葉には、小梅の失望が如実に表れています。
映画は最終的に、小梅が高校生になり、彼氏とデートする展開になるのですが、そのデートの最中、小梅はまったく楽しそうではありません。その理由について小梅は明確な主張をしませんが、観客の視点からすれば明らかに「磯辺と比較している」からだと分かります。磯辺とはあんなに楽しかった、魂に触れたような時間を過ごせた、でも今は全然そんな風には感じられない、そんな物足りなさを感じているのだろうと理解できるのです。
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ただ、小梅は勇敢にそんな現実を受け止め、しかし一縷の望みを懸けてこんなことを磯辺に言います。
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じゃあキスしてもらってもいいですか? そしたら全部忘れるから。
「うみべの女の子」(監督:ウエダアツシ、主演:石川瑠華、青木柚)
小梅はこの時、号泣しています。小梅としてはもちろん「全部忘れる」なんて嘘でしょう。「キスしてもらっていいですか?」は、「磯辺のことは好きじゃないからキスできない」と言ってきたこれまでのやり取りを踏まえた上で、あの時点の小梅が口に出来る言葉の組み合わせで、どうにかして「私はあなたのことが好きです」と伝えようとした、その必死さの塊のようなセリフのはずです。
小梅には「磯辺の邪魔にはなりたくない」って気持ちもあるはずだし、だからあの場面で「好き」って言葉は使えないよね
たぶん、「磯辺のことは好きじゃない」って口にした過去を後悔してもいただろうなぁ
もちろん、磯辺もその必死さを理解したでしょう。それは、その後のシーンで磯辺が号泣していることからも推察できます。
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ただし磯辺は、「キスしてもらっていいですか?」に反応するのではなく、「そしたら全部忘れるから」に対して「ホントに?」と返すことで小梅への答えを示すのです。この場面もまさに、磯辺の狂気を如実に示すシーンとして非常に印象的でした。号泣しながら、「昔の磯辺に戻ってほしい」と最後の可能性に賭けて必死に言葉を発した小梅に対して、無慈悲に「キスしたらホントに忘れてくれるの?」と返す磯辺の異常さと、しかしそんな異常さを内に秘めていたからこその奇跡的な関係だったのだという想いが入り混じって、なんだかとても悲しくなりました。
「青春の甘酸っぱさ」なんて言葉では括れない、複雑でどす黒い感情が渦巻く、非常に印象的なシーンです。
出演:石川瑠華, 出演:青木柚, 出演:前田旺志郎, 出演:中田青渚, Writer:ウエダアツシ, 監督:ウエダアツシ
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最後に
これだけ長々と文章を費やして感想を書いているのに、小梅・磯辺のクラスメートである鹿島と桂子についてはほぼ触れられませんでした。桂子は特にかなり好きなキャラクターで、友達になれそうだなと思います。
凄く良い映画でした。原作もいずれ読み返したいと思います。
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