【抵抗】西加奈子のおすすめ小説『円卓』。「当たり前」と折り合いをつけられない生きづらさに超共感

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

小学3年生にして自分が望むものを的確に捉え、その達成のために猛進する姿が素晴しい

犀川後藤

「常識」や「当たり前」が障害になればぶっ壊してでも突き進んでいきます

この記事の3つの要点

  • 空気など一切読まず、自分の感覚に正直に突っ走るこっこの爽快さ
  • 「なんとなく」に突っかかり、激しく抵抗を続けるこっこのパワフルさ
  • 「価値観の押し付け」に苛立ちを隠さないこっこの強さ
犀川後藤

子どもの頃、こんな風に振る舞えたら人生違っていただろうなと羨ましさすら感じます

この記事で取り上げる本

文藝春秋
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「常識」「当たり前」に躓き、立ち止まり、苛立ちを露わにする少女の純粋な”怒り”にワクワクする

なかなか衝撃的でした。「世間とのズレ」みたいなものをずっと感じてきた私には、実に爽快な気分になれる作品です。主人公の「こっこ」が、とにかく「社会の当たり前」にいちいち突っかかっていきます。その姿は滑稽ではあるのですが、しかし、ある意味では「私たちがいかに何も考えていないか」を指摘する鋭さも持っているわけです。

いか

とにかく「こっこ」が素晴らしいよね

犀川後藤

子どもの頃、理想的には「こっこ」のように振る舞いたかったから、羨ましいなって気持ちも強い

物語性と呼べるものはこの作品にはほとんどありませんが、しかしそれでも、圧倒的な魅力で一気に読ませてしまう作品だと思います。

まずは内容紹介

主人公は渦原琴子。こっこと呼ばれている小学3年生

彼女は、「孤独」を何よりも愛している小学3年生にして恐ろしく達観しているのだ。孤独に浸り、一人涙したいと本気で思っている。しかし、彼女の生活環境がそれを許さない。

三つ子の姉と両親、祖父母と暮らす大家族だからだ。みんなで食事が出来るようにと、居間には中華料理屋からもらってきたでっかい円卓がある。邪魔でしょうがない。

こっこは、「人と違うこと」にも憧れる。だから、「ものもらい」のせいで「眼帯」をして学校にやってきた香田めぐみに憧れてしまう。ベトナム人の両親が「なんみん」で、名前がなんと3つに分かれているグウェン・ヴァン・ゴック(通称グックん)にも憧れる。吃音が激しくて吃った声でしか喋れない幼なじみのぽっさんに憧れ、クラス会の途中に「不整脈」で倒れた朴さんにも憧れてしまうのである。

そして、「人と違うこと」に憧れる気持ちは、「平凡な姉たち」に対する怒りとしても発露する。美人で三つ子なら、どれだけ「人と違う」人生を歩めることか。しかし彼女たちには、そんな発想が浮かばないようだ。いかにも平凡でイライラする

両親も祖母もまったく面白くない。家族のほとんどがこっこの琴線に触れないのだ。唯一、祖父の石太だけは評価してやってもいいと思っている。まだ話せる相手だ。

こっこの日常は、なかなかに忙しい。興味関心の赴くままにあれこれ首を突っ込んでいく。こっこの唐突な行動は、周囲を怯えさせてしまうことも多い。しかし、彼女はそんなこと気にしない。凡人にどう思われたって平気だ

こっこは今日も、日常を爆進する

こっこの「世界との折り合いのつけられなさ」への共感

内容をちょっと知っただけでも、いかにこっこがぶっ飛んだ存在かが理解できるでしょう。とにかく彼女は、「自分が何に惹かれるのか」を明確に意識しているし、どうにかして「惹かれるもの」と関わろうと日々奮闘しています。私は、そんなこっこのスタンスがとても羨ましく感じられます。

いか

子どもの頃は「優等生」っていう枠からはみ出ることが出来なかったからねぇ

犀川後藤

自分を抑え込んでる自覚はあったけど、どうしたらいいか分かんなかったんだよね

本書は、こっこの主観で物語が展開していくのですが、客観的にこっこを捉えた場合、恐らく「世界と折り合いをつけられない子」という見え方になるでしょう。社会の中で生きていく上で、みんながなんとなく守っているルールや、気をつけている行いは、たとえ小学生だとしてもある程度身につくものだと思います。しかしこっこは、とにかくそんな風には考えません。「自分のテンションが上がるか否か」ですべての物事を判断しており、それ以外のどんな規範も基本的には無視して生きているのです。

そんなこっこが羨ましく感じられます

まず素晴らしいのはやはり、小学3年生にして、「自分が何に惹かれるのか」を明確に理解しているという点です。私は子どもの頃、「周りとどうも合わない」という感覚は持っていましたが、「自分がどう振る舞えば、あるいは、どういう世界に行けば穏やかでいられるのか」は正直よく分かっていませんでした。しかしこっこは、「孤独」や「人と違うこと」を強烈に愛し、さらにそれをハッキリ自覚しているのです。この点がまず、何よりも素晴らしいと感じました。

いか

テンションが上がるものを明確に掴めるようになったのは、たぶん、大人になってからだよね

犀川後藤

結局「『面白いと感じる人』と話すこと」に一番惹かれるってちゃんと理解できたのは20代後半じゃないかなぁ

さらにこっこは、「惹かれること」と関わるためなら躊躇しません彼女の「世界への対峙の仕方」や「有り余るパワー」は見ていて爽快で、素敵だと感じました。こっこはとにかく、周囲の人間を巻き込んだり、状況を混乱させたり、関わる人を不思議がらせたりします。そして、相手の反応などお構いなしに、自分の欲求だけに忠実に前進していくのです。

とにかく、こっこのその「生きるスタンス」にメチャクチャ惹かれました。

「なんとなく」が通用しないこっこの見事なスタンス

本書で一番好きなのは、「イマジン」に関するくだりです。まさにこっこの本領発揮という感じでしょうか。幼なじみのぽっさんと祖父の石太の3人の会話によって、こっこに対しては「なんとなく」が一切通用しないのだとシンプルに明確になるシーンです。

この3人が話している内容を具体的に紹介することは難しいのでここでは触れません。とにかく「イマジン」についての話です。さて、その話の流れでこっこは、「『こっこには理解不能な理由』によって、自身の行動が制約されてしまう」という状況に陥ります。ぽっさんと石太がこっこを説得しようとするのですが、こっこは自分の内側から湧き上がってくる「そんなのおかしい」という感覚に従って抵抗を続けます

いか

子どもなりの視点と言えばそうかもしれないけど、やっぱりこっこの特殊さが滲み出てる場面って感じするね

犀川後藤

こっこがとにかく納得しないで抵抗し続ける感じが凄いと思う

皆さんが読んでどう感じるか分かりませんが、私はこっこ寄りの人間なので、こっこの主張に賛同してしまいます。というか、こっこの視点に立てば、間違いなくこっこが正しいと言っていいでしょう。こっこは、「自分の主張は間違っているかもしれない」という躊躇など一切見せずに、彼女のこれまでの言動と一貫した主張を繰り出します。彼女の主張をどう受け止めるかは様々な意見があるでしょうが、一理あると感じる人もきっといるでしょう。

そんなこっこの反論に、普段であれば彼女を諭す役割であるぽっさんも言葉を詰まらせてしまうのです

常識的な判断をすれば、ぽっさんや石太の主張の方が真っ当ということになるでしょう。だから、こっこが猛反発したこのような制約を課すことは、社会では普通問題にはなりません

しかし一方で、こっこが猛烈に反対し続けたことで、ぽっさんも石太も、「その制約についてこれまで『なんとなく』しか考えてこなかった」と悟らされただろうと思います。一般的には、ぽっさんと石太の方が”正しい”とされているわけですが、どんな理屈で”正しい”とされているのかなど普段考えたりしないものです。こっこはそんな、「”正しい”とされていること」が基本的に全部気に食わず、抵抗してしまいます。

犀川後藤

大人になった私は、社会とそこそこ折り合いをつけつつ、可能な範囲で抵抗を続けてるって感じ

いか

やっぱり、こっこのようにはなれないよねぇ

こっこがいかに「常識」「当たり前」に違和感を覚えてしまうのか、非常にインパクトのある形で理解できる場面だと感じました。

「価値観の押し付け」に対するこっこの苛立ち

こっこの振る舞いで共感してしまったのは、「価値観の押し付け」に対して抱いてしまう違和感です。

ある日こっこは、妹か弟が出来ると聞かされます。三つ子の姉はもの凄く喜んでおり、祖母は当然こっこもそう感じるだろうと話を振りました。しかしこっこは、その嬉しさがさっぱり理解できず、祖母にもそう伝えます。すると祖母は、「こっこが嫉妬している」と受け取ったのでしょう、「弟か妹出来てもな、こっこが可愛いのんは、変わらんのやで」と彼女に声を掛けるのです。

しかしそう言われたこっこは、内心こんな風に反発します

ちがう!
そんなことはどうでもいいのだ。弟や妹に嫉妬をしているのではない。ただ、家族が増えることは、手放しで喜ぶべきことである、という、決められた反応が気色悪いのだ。

あー、メチャクチャ分かると感じました。

犀川後藤

私もこういう「当然そう感じるよね」「当たり前にこう考えるよね」っていうやり取りにイライラしちゃう

いか

そういう人のことは、基本的に諦めちゃうよね

以前、作家の森博嗣が何かの本で、「南向きの窓が良いなんて誰が決めたんだ」みたいなことを書いていたことを思い出しました。これも同じような「価値観の押し付け」でしょう。ちょっと薄暗い部屋の方が好きだという人もいるはずですが、何故か世間では、全員当たり前にそう感じると決まっているかのように「家族が増えたら嬉しい」「南向きの窓は好ましい」という意見が出てくるのです。

そういう状況に置かれた時、私もこっこと同じように絶望的にイライラしてしまいます。しかも、私のこれまでの経験上、こういう感覚が伝わらない人には、どうやっても永遠に伝わりません。「お前が何を言っているのかさっぱり理解できない」という反応になるのです。だから、共通理解を諦めざるを得なくなってしまいます。

このような「無言の圧力」が世の中に多すぎないでしょうか? 多数派の意見に違和感を覚えずに済むマジョリティには理解できない感覚でしょうが、こっこや私のような人間は一定数いますし、「そういう人もいるんだ」程度の認識でいいので、理解の一端を垣間見せてくれるとありがたいと感じます。

文藝春秋
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最後に

とにかく、こっこが素晴らしい作品です。言動だけを客観的に捉えれば「子どもっぽい」かもしれませんが、こっこはとにかくメチャクチャ考えて行動しています自分の中の物差しと社会のルールのズレの中で、自分なりの尺度で突き進んでいくことを諦めない姿がとても素敵だと思います。

小学生のこっこが、中学生、高校生と成長していくにつれて、どう変わっていくのか、その姿も見てみたいと感じました。

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