【斬新】フィクション?ドキュメンタリー?驚きの手法で撮られた、現実と虚構が入り混じる映画:『最悪な子どもたち』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:マロリー・ワネック, 出演:ティメオ・マオー, 出演:ヨハン・ヘルデンベルグ, 出演:ロイック・ペッシュ, 出演:メリーナ・ファンデルプランケ, 監督:リーズ・アコカ, 監督:ロマーヌ・ゲレ, Writer:リーズ・アコカ, Writer:ロマーヌ・ゲレ
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「フィクション」だと思って観に行ったが、冒頭で「ドキュメンタリー」だと思い直し、しかし観ていく内に結局どちらか分からなくなっていった
  • 作中作である映画『北風に逆らえば』が組み込まれる作品で、そのような構成によって、現実と虚構の区別が曖昧になっていく
  • 特に印象的だった2人の登場人物人と、その「変化」が実感できた興味深いラストシーン

観ても結局、どのように作られたのかはよく分からなかったのだが、そういう部分も含めてとても印象的な作品だった

自己紹介記事

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映画『最悪な子どもたち』は、現実と虚構の境界が曖昧な、フィクションともドキュメンタリーとも言えそうな奇妙な作品だった

映画を観ながらずっと、「これはフィクションなのか? ドキュメンタリーなのか?」と考え続けていた

ある意味で、他に類を見ない凄まじい映画だと思う。なにせ私は、映画を最後の最後まで観ても、「フィクション」なのか「ドキュメンタリー」なのか明確には判断できなかったのだ。

私は常に、これから観る映画の内容や評価を極力知らない状態で映画館に行くようにしている。本作でも、それは同じだ。ただなんとなく、「フィクションなんだろうな」という漠然としたイメージは持っていた。メインビジュアルなどの印象から、「ドキュメンタリー」には思えなかったからだ。

しかし本作は、粗っぽい映像による「オーディション」らしき場面から始まった。それを観て私は、「あぁそうか、実はドキュメンタリーだったのか」と考え直すことになる。本作の始まり方は、間違いなく「ドキュメンタリー」だと言えるだろう。

ただその後は、「フィクション」のように物語が展開していく。どうやら、冒頭で映し出されたオーディションで選ばれた子どもがメインの役どころを演じているようだ。となれば、「全体としてはフィクションだが、冒頭にイレギュラー的にオーディションのシーンを組み込んだ」と考えるのが自然だろう。

しかし、そうではないことが明らかになる。ある場面で突然、「カット!」という声が上がるからだ。そしてその後、「映画を撮影している様子」がカメラに収められていく映画のメイキング映像みたいな感じをイメージしてもらえばいいだろう。映像の雰囲気的には決して「ドキュメンタリー」っぽくはないのだが、ただここには「ドキュメンタリーっぽい」と思わせる要素が含まれていることが段々分かってくる。

というのも、作中で撮影している映画は『北風に逆らえば』というタイトルなのだが、それはどうやら「主演を務める4人の少年少女それぞれの『実際の人生』を取り込んだ物語」になっているようなのだ。4人の少年少女にはそれぞれ「普段の日常」があり、そしてその「普段の日常」の延長線上にあるような物語として映画『北風に逆らえば』の撮影が行われているのである。

だから、前言を撤回する形にはなるが、「映画のメイキング映像」みたいな感じではやはりない。単に「役者の撮影風景を外側から捉えている」みたいなものではなく、「『ほぼ本人役』みたいな役柄を演じている撮影現場と、そんな彼らが過ごす普段の日常との境界が曖昧になっていく」みたいな映像になっているというわけだ。

このような作品だったこともあり、結局最後の最後まで、「フィクション」なのか「ドキュメンタリー」なのか分からないまま映画が終わった普段なら鑑賞の途中でどちらかの確信が持てるのだが、そうはならなかった「かなり稀有な作品」である。

鑑賞中に検討していた複数の仮説について

さて、詳しいことを知らずに映画を観ると、答えを知る前に色々と検討してみることが出来る。というわけで、映画を観ながら私が考えていたいくつかの仮説について触れておこうと思う。

まず、本作『最悪な子どもたち』を構成する要素を3つに分解してみよう

  • 冒頭で流れるオーディションシーン
  • 映画『北風に逆らえば』の本編映像
  • 映画『北風に逆らえば』の撮影風景を映した映像

それでは、この①~③の要素を踏まえた上で、考え得る可能性について検討したいと思う。恐らく可能性は、以下の3つに絞られるだろう。

  • 可能性A:オーディションを含め、映画『最悪な子どもたち』で描かれていることはすべてフィクション
  • 可能性B:オーディションだけがドキュメンタリーであり、②③はすべてフィクション
  • 可能性C:①③がドキュメンタリー、②がフィクション。つまり、実際にオーディションを行って映画『北風に逆らえば』を撮影しており、その様子をドキュメンタリー的に撮影してもいる

何を知らずに本作を観た場合、この3つの選択肢からどれかに絞ることはなかなか難しいだろうと思う。実際のところ、③の映像はかなりフィクションっぽい感じがするので、③がドキュメンタリーである可能性は低いだろうと考えてはいた。ただ、可能性がゼロということもないだろう。そして結局、映画を最後まで観てもよく分からなかったので、公式HPを見てみることにした。

正直なところ、公式HPを読んでもイマイチよく分からないのだが、恐らく「可能性B」と捉えるのが正解なのだと思う。ただ、オーディションは「演技未経験者」を対象に行われたそうなので、③を完全にフィクションだとみなすのも正しくないのかもしれない。「可能性B」と「可能性C」の中間辺りというのが実際のところなのだろう。

このように本作は、少なくとも私が今まで経験したことのないタイプの感覚をもたらす作品だった。「物語がもの凄く面白い」とか「役者の演技に惹き込まれる」みたいな映画ではないのだが、「マジで何なんこの映画?」という感覚が最後の最後まで継続するという意味では類を見ない作品と言っていいと思う。なかなかこのような鑑賞体験は味わえないだろう。

ただ公式HPによると、「映画『北風に逆らえば』の監督」役を演じたのがヨハン・ヘルデンベルグという有名な役者らしいので、この役者のことを知っている人であれば、「全体としてフィクション寄りの作品なのだろう」と受け取れたに違いない。しかし私は、当然その役者のことなど知らず、普通に「映画『最悪な子どもたち』の監督」なのだろうと思っていた。このように、自分なりの受け取り方で鑑賞することが大事だと考えているので、やはり「情報をあまり知らずに映画を観る」というスタイルは手放せない

特に印象的だった登場人物

メインとなる4人の少年少女の中でも特に印象的だったのは、映画のメインビジュアルとしても使われている少年ライアンと、映画『北風に逆らえば』において彼の姉役を演じているリリの2人である。先述した通り、映画『北風に逆らえば』の人物設定は、演じる少年少女の性格や人生をかなり反映しているようだ。この点も踏まえて考えると、ライアンはまず、「衝動をコントロールするのが困難」という性質を有しているように見える。ADHDやそれに類する何かなのだと思う。家庭環境も複雑なようで、「夫に捨てられ精神を病んでしまった母親」の元を離れ、今は姉と2人で生活しているそうだ。オーディションでは、「相手が挑発してくるから喧嘩になるのに、いつも僕が悪かったことにされる」と不満をもらしていた

一方リリは「ビッチ」とあだ名されており、「男関係が盛んだ」という噂が立っている。しかし本人としては、どうしてそんな話になっているのか理解できないぐらい、実態とは異なるのだそうだ。そして、そういう噂ばかりを信じ、「ビッチ」としてしか自分のことを見ない周囲の人間に苛立ちを覚えている。とても可愛らしい女の子なので、そこには同世代の同性からのある種の「妬み」も要素も大きいのだろうと思う。しかし、本作『最悪な子どもたち』の撮影が行われたピカソ地区が「荒れた地域」として知られていることもまた、リリの苦悩に拍車を掛けているのだろうとも感じた。

映画全体としては、この2人に特に強く焦点が当たると言っていいだろう。そして、その「変化」もまたとても興味深いものだった。特にそれが強く感じられたのは映画の最後、まさにラストシーンでのことだ。ラストシーンではまず、映画『北風に逆らえば』のワンシーンが流れる。そして「カット」がかかった後、演者から1人の少年に戻ったライアンが発する言葉が、実に印象深かったのだ。その言葉を具体的に書くことはしないが、私の予想では、これは「用意されていたセリフ」ではなく、「ライアンの口から思わず出た実感」だったのではないかと思う。つまり、少なくともこのシーンだけは、ライアンの「リアル」を捉えているのではないかと考えているのだ。あくまでも私の想像に過ぎないので、確証は無いのだが。

そんなわけでとにかく、全体的に実に奇妙な感覚がもたらされる「普通ではない映画」だった。

出演:マロリー・ワネック, 出演:ティメオ・マオー, 出演:ヨハン・ヘルデンベルグ, 出演:ロイック・ペッシュ, 出演:メリーナ・ファンデルプランケ, 監督:リーズ・アコカ, 監督:ロマーヌ・ゲレ, Writer:リーズ・アコカ, Writer:ロマーヌ・ゲレ
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最後に

色々と書いてはみたものの、私が書いた文章を読んでもきっと、どんな作品なのかイメージ出来ないだろう。しかしかと言って、観れば分かるのかというとそんなこともない

ただ私は、そういう作品に触れることも大事だと思っている「分かるもの」だけに触れていたら、自分の世界はいつまでも広がらないままだからだ。また、私はそもそも、「理解」とか「共感」などをさほど重視していない。むしろ「理解できないもの」「共感できないもの」の方に強く惹かれることだってあるはずだ。

そんなわけで、本作ではとにかく、「一般的な作品からは感じられない、名付けることも難しい感覚」が得られるし、そのことにこそ最大の価値があると考えていいのではないかと思う。

しかし本当に変な作品だったなとしみじみ感じる。大げさに言えば、「映画の可能性」をほんの僅かでも広げた作品なのかもしれない。

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