【多様性】神童から引きこもりになり、なんとか脱出したお笑い芸人が望む、誰も責められない社会:『ヒキコモリ漂流記』(山田ルイ53世)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

KADOKAWA
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「うちの子は優等生だから」が一番怖い

犀川後藤

「神童」とまで言われていた著者が引きこもってしまった背景を知っておくことは大事でしょう

この記事の3つの要点

  • 「ただ生きているだけの人」も責められない社会を望んでいる
  • 引きこもっていた期間は無駄でしかなかった
  • 自分をなんとか支えるために、他人に酷い言動をしてしまうこともある
犀川後藤

私も引きこもっていた経験があるので、著者の感覚は凄く理解できてしまいます

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

ちゃんと生きてさえいればどんな人も許容される世の中であってほしい

本書は、とにかく面白いエッセイなのですが、ふと考えさせるような文章に溢れてもいます。そしてその中でも最も共感させられたものは、最後の最後に出てくるこの文章です。

殆どの人間は、ナンバーワンでもオンリーワンでもない。
本当は、何も取柄が無い人間だっている。
無駄や失敗に塗れた日々を過ごす人間も少なくない。
そんな人間が、ただ生きていても、責められることがない社会……それこそが正常だと僕は思うのだ

私も本当にそう感じます。社会に貢献できたり、誰かを癒せたり、大勢の人を率いたりできる人は、本当に素晴らしいです。私もそうなれるならそういう人生だったら良かったと思います。ただ、世の中のほとんどの人はそうはなれませんなんでもない存在として社会の片隅にいるだけです

そしてそういう人も等しく許容される世の中であってほしい、と私も著者と同じことを考えています。犯罪に手を染めたりするのはダメですが、働かなくても、引きこもっていても、何もやる気が起きなくても、”そういう存在”として許容されることこそが「多様性」なのではないかと、私は信じたいです。

引きこもり期間は無駄だった

本書は、お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世が、子どもの頃の6年間の引きこもり期間を経て、なんとか社会へと戻るまでの葛藤が描かれている作品です。成人式を迎える頃、「成人になってしまったら、二度と差を埋められなくなる」と恐怖してなんとか奮起、どうにか引きこもりから自力で抜け出したのだと言います

いか

そんな過去があった人には思えないよね

犀川後藤

だから、見た目の感じで中身を判断しないようにって、昔から思ってる

かつて引きこもっていた、ということを明かしたことで著者は、引きこもり時代について取材で聞かれるようになりますが、その度に違和感を覚えていたといいます。それは、「その6年間があったからこそ、今の山田さんがいるんですよね?」という類の質問に対してのものです。

そういう時に著者は、場の空気が悪くなることを理解しつつも、

あの6年は完全に無駄でしたね

と答えるといいます。

私も、短期間ですが引きこもっていた時期があるので、「無駄だった」という感覚は分かるつもりです。もちろん、あのしんどい時期があったからこそ分かったこと、感じられるようになったこともあると思います。自分がそういう経験をしたからこそ、周りで辛い経験をしている人の気持ちが少し分かったり、そういう人から話を聞きやすくなったりもしているでしょう。

でも、必要な経験だったかというと、そんなことはないと思います。避けられるなら、避けて通りたかったです。

自分の過去の経験が無駄だったとはできれば思いたくないので、何かと理屈をつけて正当化したくなりますが、そういう自分の虚飾を取り払って考えてみた時、やはり引きこもっていた経験は無駄でしかなかったんじゃないかと感じます。

一方で私は、「無駄だから経験すべきではない」と考えることもしません。「無駄かもしれない」と理解した上でその無駄を経験するのなら、それは本人の自由だと思うからです。

だからこそ、「引きこもるという選択肢」が、社会の中で悪く受け取られないといい、とも感じます。形はどうあれ、一定期間社会との関係性を断つと、学業や社会人としての評価に大きく響くでしょう。普通は、「引きこもるなんてダメなやつだ」と判断され、マイナス評価が下されてしまうはずです。

でも、世の中の全員が同じ歩幅で歩いていけると考える方が無理がある、と私は思います。社会のスピードについていけない人もいるでしょうし、休み休みでないと前に進めない人もいるはずです。そういう場合はしばらくお休みをして、落ち着いたらまた元の場所からリスタートできるような社会なら、誰にとっても穏やかなんだけどなぁと思います。

犀川後藤

大学まで通って、新卒で入社、その間に結婚して子どもをもうけて、定年までちゃんと働く、ってペースが標準って辛いよね

いか

すごろくの「1回休み」みたいなのがほしいってなっちゃうこと、みんなもあると思うんだけどなぁ

もし社会がそういう変化を望むのであれば、「引きこもりを経験し、今は社会に出てきている人」の経験は役立つでしょうし、そうなれば、「あの経験は有益だったな」と考えが変わるかもしれません。

まあでも、やはり、避けられるなら避けるに越したことはないでしょう。

私のひきこもり経験記

私は、大学3年生の春に引きこもり、そのまま3年目は1度も大学に行かずに退学しました。引きこもり期間は、2回に分けて合計半年間と、著者の6年間と比べれば全然短いです。

でも、その半年間は本当に大変でした

「神童だった」という著者ほどではありませんが、私も勉強は良くできて、割とみんなが名前を知るだろう大学に入学します。ただ私は、中学生の頃からずっと、「社会には出られないだろうなぁ」という気持ちを抱えてもいました。中学生の時点で既に、理由こそ明確に覚えていませんが「サラリーマンにはなれない」と思っていましたし、社会の中で働いてどうにか生きていくなんて自分には無理だろうと考えていたわけです。

ただ、勉強ができたお陰で、「社会に出られないだろう問題」はずっと先送りにできてしまいました。それで、ようやく就活が目の前にやってきた頃、さすがにもう先送りは無理だと考え、すべてから逃げ出すように引きこもるようになった、という感じです。

私は人生のほとんどの期間で本を読んできましたが、引きこもり期間中は本を読んでいた記憶がありません。とても読めるような精神状態ではなかったからです。常に頭の中では、「これからどうすればいいんだろう」という答えの出ない問いがぐるぐると渦巻いていたし、何もしたくないけれど何もしないわけにはいかないだろうという切迫感も感じていたと思います。

とにかく覚えていることは、起きている間中ずっとテレビをつけて、脳が溶けるんじゃないかっていうぐらいずっとテレビを見ていたことです。もちろん、頭の中はグルグルしているので、テレビの内容もさほど入ってはこないわけですが、そうやってなんとか時間を潰すぐらいしかやれることがありませんでした。

私が引きこもりから脱することができたのは、一人暮らしの状況から実家へと強制送還されたことです。私はとにかく実家が嫌いで、地元ではなく東京の大学を選んだのも実家から逃れるためでした。そんなわけで実家で生活することが、苦痛で苦痛で仕方なかったのです。だからなんとかこの状況を脱しようと考えて、バイトを探し、住む場所を見つけ、フリーターとして生きていくことになりました。

犀川後藤

実家の居心地がもし良かったら……と思うとぞっとするよ

いか

何が幸いするか分からないもんだね

「優等生」こそ危ない

私も子どもの頃「優等生」だったので、著者のこんな感覚が非常によく理解できます

中学受験はある日突然、ただの思いつきで僕が勝手にやると言いだし、勝手に勉強して、勝手に合格しただけのことだったし、入学後の学校での成績や生活態度もすこぶる良かった。そんなわけで親は安心しきっていたのである。僕のこと、その現状をまったく把握していなかった。
それが彼らにとっては仇となった。もっと手のかかる子供なら、何かにつけ知る機会も多かっただろうに……。

そう、「優等生」の方が危ないのです。

私は、家でも学校でも「優等生」でしたが、それは「他人からの干渉を避けるため」という理由が大きかったと思います。子どもの頃は特に、勉強ができて振る舞いも悪くない「優等生」なら、あまりウダウダめんどくさいことを言われずに済むでしょう。実際私は、親から勉強しろと言われたことはありませんし、ほとんど怒られた記憶もありません。妹と弟は親から怒られまくっていたので、そういう光景を見る度に、ああはなるまい、とも感じていました。

そして「優等生」として振る舞っていたからこそ、中学生ぐらいの頃から「社会には出られない」と考えていたことも、小学生ぐらいの頃から「両親が嫌い」だと感じていたことも、親は知る由もなかったわけです。

私が引きこもり始めても、親は大学の学費を払ってくれていました(そんなにお金のある家ではなかったはずなので大変だっただろうなぁ)。「優等生」の私しか知らないのだから、「今は何かちょっと調子が悪いだけで、すぐに復帰するだろう」ぐらいに考えていたのではないかと思います。

しかし私としては、長年先送りにしてきた問題がついに破裂した、という状況であり、とても大学に戻ろうなんて考えにはなりません。そして親は、私のこういう感覚についてまったく知らなかったわけです。

子ども時代の私は、ずっと「先送りにしている問題と直面する日までのカウントダウン」という感覚で日々を過ごしていましたが、親も周りの人間も当然そんなことに気づくはずがありません。つまり、「優等生」という見え方は、親にとっては安心材料かもしれませんが、子どもにとっては「都合のいい言い訳」でしかないかもしれないのです。

犀川後藤

自分がそんな感じだったから、今も、「元気そうに振る舞ってる人」を見ると「無理してないかな」と思っちゃう

いか

実際、そうやって無理してる系の人って、割と多いからねぇ

「優等生」こそ危ないのだと、本書を読んで是非実感してください

本の内容紹介

山田ルイ53世は、小学生の頃からなかなかの神童だったそうだ。勉強もスポーツもすこぶるできて、そのまま地元の名門中学に入学を果たす。

著者が自分で語る「クズエピソード」はなかなかのものだ。優秀作に選ばれると新聞に掲載される「国語の授業での詩の宿題」に、新聞に載ることを狙った詩を提出したり(実際に掲載された)、クラスメートたちを「主役」「脇役」「エキストラ」などに勝手に分類して捉えたりしていたという。著者は自分で、「嫌な人間だった」「救いようがない」「なかなかのクズ」と評しているが、しかし逆に言えば、そういうことができてしまうぐらいに有能だったということでもある。

さて、そんな彼は、ある日を境に突然引きこもってしまう。きっかけは、うんこを漏らしたことだ。しかしこれは、あくまでもきっかけにすぎない。

ただうんこを漏らしただけだったら、また学校に通えただろうと著者は語る。しかし彼は、様々な意味で限界を迎えていた。「優等生」として振る舞っていたが、実は無理を重ねてきたのだ。そしてうんこを漏らしたことで、その糸がふっと切れてしまった。

こうして彼は、6年間にも渡る引きこもり生活に突入することになる。

そんな著者自身の経験を描いたエッセイ。

本の感想

とにかく面白く読める作品です。お笑い芸人だから、ということもあるかもしれませんが、それ以上に、子どもの頃から難しい本を読んできたからだろう「教養」に裏打ちされていると感じる箇所が多く、ユーモアと教養が心地よく融合している作品だと思います。

例えば、引きこもることになった日の朝の描写がこんな感じです。

実際、その時の僕は「なんか俺、今、カフカっぽいな」などと、チェコの文豪の作品と自分を重ね合わせ、その類似性に、意味不明の高揚感を覚え、さらにはこのたぬき寝入りになんらかの「正当性」があるのではないかと文豪の権威を悪用してそう思い込もうとしていた

なかなか凄い感覚ではないでしょうか。

犀川後藤

私なんか、14歳の時にカフカの『変身』の存在を知ってたかどうかさえ怪しい

いか

昔から本は読んでたけど、文学とか古典とかは全然ダメだもんねぇ

こういう知性を感じさせる箇所が嫌味なく随所に散りばめられていて、「上質なエッセイを読んだ」という感覚になれると思います。

一方で、当時の気持ちや感覚を偽らずに書く、というスタンスも非常に好ましいです。先ほど触れたように、「自分の有能さを自覚しているが故のクズエピソード」を他にもいくつか書いています。

我が家は、学校や、彼らの自宅からはかなり遠い。にもかかわらず、わざわざ来てくれたのだから、あの人達は、本当に僕を心配してくれていた友人であり恩師だったに違いない。
しかし、当時の僕は、「なんや? あわれな同級生の見舞いに来て点とりか?」とか、「あーあー、来てどうすんの? 迷惑やわー! 笑いに来たか!」とか「そもそも、俺のこの現状を、何とかできると思ってる時点でおこがましいわ!」とか思っていた。なかなかのクズである。

そんな状況が続いて、屈辱に耐えきれなくなった僕はバイトをやめた。
親には、「ほんま続かんね~! 情けない!」、「もう学校も行ってないねんぞ? 働け! お前みたいなもんに飯くわせる義理ない!」などと言われたが、その時も、「こんなに優秀な俺に、ただただ働けて……もったいないと思わんのか? この才能を!……アホやな~……」とか思っていた。救いようがない

確かになかなかの酷さでしょう。一方で、このような感覚を抱いてしまう背景となる考えについても触れています。

「これはあくまで、世をしのぶ仮の姿だ。暴れん坊将軍とか、遠山の金さんとか水戸黄門とか、そんな感じなんや!」と思っていた。本気で例の着ぐるみを脱げたら……強くそう思った。
そうでも思わなければやってられなかった。この、思い込みの逃げ道がなければ、本当の話、死んでいたかもしれない。

補足すると、「例の着ぐるみ」というのは、「自分は着ぐるみを着ているだけであって、本当の自分はその「中の人」なのだ」という妄想として登場するものです。

「思い込みの逃げ道」という著者の捉え方は、凄く分かります。私も、「どうやってこの辛い状況を、『自分が悪いわけじゃない』という形に変えられるか」を真剣に考えていたはずです。正直、そうでもしなきゃやっていけませんでした。「自分が悪いんだ」と考えてしまったら、どんどんと追い込まれてしまうだけです。だからなんとかして、「今のこの辛さは自分が悪いのではない」と思いたかったし、そのためにムチャクチャな理屈を考え出していたと思います。

自分がそういう経験をしているからこそ、何か酷い言動をしている人に対して、「そうでもしないと自分を支えられないほどしんどい状況なのかもしれない」と一旦立ち止まるようにしているつもりです。皆さんにもそういう視点を持ってもらえると、苦しさを感じている人が少しは救われるかもしれません。

KADOKAWA
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最後に

著者は本書を、何かの警句や忠告として出版したわけではなく、楽しく読んでもらう読み物として書いたと思います。ただ、引きこもっている当人の気持ちを楽にしたり、「うちの子は優等生だから大丈夫」と安心している親の気を引き締めたりする作品でもあると言えるでしょう。

こういうややこしさを抱えた人間もいるのだ、と実感してもらう意味でも、多くの人に読んでほしいと思える作品です。

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