【差別】才ある者の能力を正しく引き出す者こそ最も有能であり、偏見から能力を評価できない者は無能だ:映画『ドリーム』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:Taraji P. Henson, 出演:Octavia Spencer, 出演:Janelle Monáe, 監督:セオドア・メルフィ
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

他人を低く評価することでしか自分を有能に見せられない人はあまりにも無能だ

犀川後藤

そういう人間ほど、「自分は有能だ」と勘違いしているのでたちが悪い

この記事の3つの要点

  • 人種差別に限らずとも、「あいつは○○だからダメだ」みたいな判断をしてしまいがち
  • 全体の利益のために才能を適切に配置できる人こそ有能だ
  • 「偏見」は「受ける人が感じるもの」であり「与える人が認識できるもの」ではない
犀川後藤

一昔前よりマシになっているでしょうが、もっと平等な世の中になってほしいといつも感じます

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「偏見」のせいで「有能な人間」が活躍できない社会など早く終わってほしい

「無能な人間」とは、「他人の能力を活かせない人間」のことだ

日常生活の中で、「なんて無能なんだろう」と感じてしまうことはそれなりにあるでしょう。ただ私は、「何かができる/できない」でその人の能力をあまり判断しないようにしています。人それぞれ得意不得意は様々に違いますし、私も、一般的な人と比べて圧倒的に能力の低い領域がたくさんあるからです。「何かができない」というだけで「無能だ」と判断してしまうのは、自分の首も絞めることになってしまうと考えているのです。

いか

「他人の顔と名前を覚える」とか「電話を掛ける」とか、すげぇ苦手だもんね

犀川後藤

そう、その辺のことはもう諦めてる

では私は、どんな人を「無能」だと感じるのか。それは、「他人の能力を活かせない人間」です。「他人の能力」と言っても別に、「もの凄く絵が上手く描ける」とか「とんでもないプログラミングセンスを持っている」などである必要はありません。組織として集団で働く上で、様々な人が少しずつ協力し合ってビジネスなり課題なりに取り組んでいくわけですが、そういう中で欠かせない役割を担う人物は様々にいるはずです。

個々の特性を上手く捉え、適材適所に配置するというのもなかなか難しいとは思います。でも、ここで私が言いたいのはそういうことではなく、「嫉妬や偏見が理由で他人の才能を生かしきれない」という話です。

一昔前と比べればさすがに減ったでしょうが、今でもやはり、「女は黙ってろ」「偏差値の低い大学出身のくせに」みたいな主張で自分の優位さを打ち出そうとする人はいるでしょう。そしてそういう人の中には、自分こそが褒められたい、評価されたい、優越感を得たいという感覚から、能力のある者を活かそうとしない人もいると思います。あるいは、能力を活かしている風に見せつつ、最終的に成果をすべて奪い取るなんていう人もいるかもしれません。

ホントにこういう人間は「無能だ」と感じます。これまでの人生で、何人もこのような人間と関わる機会がありました。

犀川後藤

20代の頃は、ホントにそういう「アホ」と戦って時間を浪費したなぁ

いか

戦い続けた結果、「戦っても無駄だ」と理解できたことが唯一の利点かな

ややこしいのは、そういう人は自分のことを「有能だ」と考えている、という点です。私は、他人の有能さに気づくことこそ「有能」の証だと考えています。しかし上述のような人は、周りの人を「無能」だと思わせるぐらいしか、相対的に自分を「有能」に見せる手段がありません。まさに「無能の極み」という感じがします。

自分の役割が分かっているか? 皆を導く天才を見出すことだ。

これは、この映画に登場するある白人男性のセリフです。「黒人女性が虐げられている環境」において、この白人男性のスタンスはまさに「有能」そのものだと感じます。彼にとって最も大事なことは「プロジェクトの成功」であり、そのために最善を尽くすべきだと考えているのです。だから、嫉妬だの偏見だのと言ったものに囚われるはずもありません。

映画の中では、この白人男性がハンマーを振り下ろす場面が非常に印象的でした。言葉だけではなく態度でも自らのスタンスを明確に示すこのシーンは、時代を経た現代であっても、上に立つ人の模範になるものではないかと感じます。

「差別・偏見」をいかにして乗り越えていくか

この映画の舞台は、黒人に対する差別が目に見える形で残る時代のアメリカです。SDGsやLGBTQ、BLMなどの様々な考え・行動を経てある程度以上に認識が変化したはずの現代社会においても、未だに黒人に対する差別は残っています。それが公然とあからさまに行われていた時代が舞台であり、現代を生きる私たちが想像する以上に厳しい環境だったのです。

いか

主人公の黒人女性の1人は、「非白人用トイレ」まで毎日走ってるよね

犀川後藤

彼女が働く建物には「非白人用トイレ」が無いから、広い敷地をダッシュして別棟まで毎回行かなきゃいけない

現代の感覚からすれば、「非白人用トイレ」なんて存在そのものに驚かされてしまいますが、当時はそれが当たり前だったというわけです。

「人種の問題」となると、日本人の我々にはなかなかイメージしにくいですが(日本にもアイヌ民族がいますが、東京に住む私にはなかなか馴染みの存在ではありません)、この映画で描かれていることは、男女差別やLGBTQなど他の様々な差別・偏見に置き換えて捉えることができるでしょう。

映画の中で、非常に印象的なやり取りがありました。

「私は、偏見は持っていないのよ。」
「ええ、分かっています。そう思い込んでいることは。」

私自身も、様々な事柄に対する偏見は少ない方だと思っているのですが、このセリフを聞いてから、そういう自己認識の危うさを改めて自覚させられました。「偏見」は「受ける側が感じるもの」であり、「押し付ける側が認識できるもの」ではありません。だから、自分が「偏見を受ける側」でないのなら、常に、「意図せず『偏見』を押し付けてしまっている可能性」を自覚しなければなりませんし、「偏見を受ける側」の視点を常に捉えておく必要があるのです。

そういう意味でも本作のような映画は重要だと言えるでしょう。

犀川後藤

私のせいで誰かが苦しむ、という状況を、私自身が一番望んでないからなぁ

いか

ただ、自力でそれに気づくのは相当難しいから、「指摘してもらえる関係性」が大事だよね

この映画で興味深いのは、「アメリカの宇宙開発」という輝かしい面と、「黒人差別」というグロテスクな面を共に描いている点だと思います。そしてどちらについても、当時のアメリカの実際の映像が組み込まれ、「事実の強度」が高められるわけです。

世界は少しずつ良くなっているだろうと思います。しかし、「宇宙開発」という偉業の陰で人知れず苦しんでいた黒人女性がいたように、今もまだ、その辛さが知られないまま苦しんでいる人たちがどこかにたくさんいることでしょう。そのような想像力を改めて持とうと意識させられました。

映画の内容紹介

1961年、アメリカは有人飛行の実現に向けてソ連と激しい競争を繰り広げている真っ只中であり、NASAが国の威信を掛けてその競争の最前線に立っていた。一方でNASAの本拠地がある州は、「白人」と「非白人」の区別が色濃く残る地域でもあったのである。

そんなNASAで働く黒人女性たちが主役の物語だ

彼女たちの多くは「計算係」として働いている。コンピュータなど存在しない時代のこと。発射や着水など、打ち上げに関わる計算はすべて人力で行われていた。有人飛行のプロジェクトにおいて非常に重要な役割なのだが、彼女たちは「黒人」だという理由で不遇をかこつ日々を送っている

黒人女性たちを束ねるドロシーは、前任者が退職した後、ずっと「代行」という役職で責任のある仕事をさせられていた。彼女は黒人であることを理由に、正式には管理職になれないでいるのだ。

技術に対する造詣が深いメアリーは、同僚から技術者になるよう勧められていた。しかしメアリーにとって、それは不可能な選択でしかない。何故ならNASAの規定では、白人しか通えない学校の講義を受講していなければNASAの技術者プログラムを受けられないからだ。

誰よりも正確に完璧な計算をこなすキャサリンは、宇宙特別本部でロケット打ち上げに関する重要な計算を任されていた。しかし、同僚の白人男性たちから嫌がらせを受けるような日々を過ごしている。「非白人用トイレ」が建物内にないために敷地内をダッシュしているのもキャサリンだ。

彼女たちは、アメリカ国家のためにその能力をフル活用して貢献しようとしているのだが、組織の論理がなかなかそうさせてくれない

NASAは必死で奮闘するが、1961年4月12日、ついにソ連のガガーリンが有人宇宙飛行を成功させたと一報が入る。アメリカはソ連に敗北してしまったのである。

ソ連に遅れを取ってしまうにしても、NASAとしてはなんとしてでも有人宇宙飛行だけは成功させなければならない。しかしこの状況に追い込まれてもまだ、黒人に対する偏見が消えなかった。そんな差別を1つずつ打ち壊しながら、彼女たちはNASAに必要不可欠な存在となっていくのだが……

映画の感想

非常に良い映画でした。ドロシー、メアリー、キャサリンの3人は実在の人物であり、恐らくフィクションも織り交ぜつつでしょうが、映画の内容も実話をベースにしているのだろうと思います。NASAでさえこうだったのかと驚かされたし、アメリカという国の厳しさを改めて思い知らされました。

主人公の女性たちにはそれぞれ見せ場があります

ドロシーの場合は、図書館のシーンでしょう。未来を見通した上で、今自分が何をすべきなのかを考え実行に移すという行動力が素晴らしいと思います。さらにその行動が、後に上司からある打診を受けた際の返答にも関係することになるのです。見事な決断力でした。

メアリーの場合は、裁判所の場面です。彼女はある権利を勝ち取るため、判事に向かってスピーチをするのですが、これが実に素晴らしいものになっています。

だから私が前例となるしかないのです。

というセリフにはシビレました。

キャサリンは、この3人の中でも最も焦点が当たる人物で、だからこそ良いシーンも多いです。しかし私としては、その場にキャサリンがいなかった場面を挙げたいと思います。グレンという宇宙飛行士がキャサリンについて言及するシーンで、彼の言葉が、彼女のそれまでのマイナスすべてを吹き飛ばすような爽快感を抱かせてくれるのです。

三者三様の人生模様に注目して下さい。

ちょっと重苦しいテーマではありますが、この3人の黒人女性が役柄をかなりポップに演じるので、エンタメ作品としても非常に面白い内容に仕上がっていると思います。

出演:Taraji P. Henson, 出演:Octavia Spencer, 出演:Janelle Monáe, 監督:セオドア・メルフィ
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最後に

差別や偏見は、「差別や偏見を自覚すること」からしか変わらないと思っています。日常生活の中でも、実は自分が差別・偏見を押し付ける側だったと気付かされる機会があるかもしれません。

そんな風に、誰もが少しずつ痛みを覚えながら、ちょっとずつ「より良い社会」になればいいなといつも考えています。

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