【発想力】「集中力が続かない」と悩むことはない。「集中しない思考」こそAI時代に必要だ:『集中力はいらない』(森博嗣)

目次

はじめに

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この記事で伝えたいこと

AIが苦手な領域で闘うために、「集中」は手放すべき

犀川後藤

「集中力」では、AIに勝てませんからね……

この記事の3つの要点

  • 「集中思考」とは、好きなものを決めつけて、視野が狭くなっている状態
  • 「発想」は「集中」している時には生まれない
  • 「情報に反応している」に過ぎず、「思考する力」が失われている
犀川後藤

「分散思考」も「情報の加工」もすぐには成果は出ませんが、地道にやっていくしかありません

この記事で取り上げる本

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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

激変するだろう未来社会に「集中力」は必要なのか?森博嗣『集中力はいらない』からこの問いについて考える

これから時代は大きく変わっていく

誰もがなんとなくイメージできていることでしょうが、これからAIが社会にどんどん組み込まれていくと思います。そうなれば、それまでの生活とは大きく変わっていくでしょう。

そういう時代において、果たして「集中力」は必要なのか? 本書ではまずこの観点から問いがなされます。

しかし、集中するような作業の多くは、今やコンピュータが担ってくれる。その割合はどんどん増加している。人間の仕事としては、より発散型の思考へとシフトし、ときどき発想し、全然関係ないものに着想し、試したり、やり直してみたりすること、あるいは、より多数の視点からの目配りができることなどの能力が、これからは求められるようになるだろう。
これらのシフトは、仕事以外、つまり個人の生活でも、まったく同じ状況といえる

犀川後藤

確かに、「集中力」でAIに勝てる気はしない

いか

そこで勝負しても無意味だよね

AIがどんな風に社会を変えていくのかは、誰も想像ができないでしょう。しかし、一つ確かに言えることは、「AIの方が上手くやれ仕事なら、それを人間が行う必要はなくなる」ということです。

犀川後藤

将棋の場合、もうAIの方が強いけど、人間同士の対局は「ミスをする可能性がある」から面白いって話を聞いたことがある

いか

確かに、AI同士の対局とか見てても、理解不能でつまんなそうだしね

だからこそ本書では、「集中するのはコンピュータの方が得意なのだから、人間は逆を行った方がいい」と主張するのです。

「集中力」とはそもそも何か?

本書で著者は、「集中力」を全否定するつもりはないが、みんなが思っているほど素晴らしいものではない、という言い方をしています。そしてその上で本書は、「集中思考」と「分散思考」を対比させながら、「分散思考」の方がより重要ではないか、と主張します。

まず著者が、「集中思考」をどう捉えているか抜き出しましょう。

集中思考をしている人は、自分の好きなものを決めつけ、そればかりを探しているから、どんどん見える範囲が狭くなっていく。

本書では、「集中」をこう捉えています。イメージと少し違う、と感じる方もいるかもしれません。「集中力」というのはもっと、「勉強に集中する」というような、「他の思考に邪魔されずに何かに一身に打ち込む」というような捉え方の人もいるでしょう。

ただどちらにしても、大枠では同じです。それが好きかどうかはともかく、「自分は今これに焦点を当てている」と対象を狭めているという意味では変わりないでしょう。

そして確かに今の時代は、「好きなものを決めつけて、見る範囲が狭くなっている人」が多いと感じます。情報が溢れている時代だから仕方ないとはいえ、自分がほしい情報だけを集めて、それ以外には目を向けない、というスタンスが当たり前になっているのではないでしょうか。

犀川後藤

私はそれを怖いと思うから、なるべくネットを見ないで、色んなところから情報を得るようにしてるつもり

いか

本とか映画も、趣味・娯楽っていうより、情報収集の一環みたいなところあるしね

一方、「分散思考」についてはこう書かれています。

分散思考をしている人は、できるだけ対象から離れようとする本能的な方向性を持つようになる。これが発散思考と呼べるだろう。どうしてそうなるかといえば、分散思考をしているうちに発想したものが、まるで違う分野、遠い場所からヒントを見つけた結果であり、思わぬ得をした経験が重なるためである。だから、今まで自分が見ていない領域へ足を踏み入れようとする。まだ新しいものがあるはずだ、と常に探している。自分の好き嫌いに関係はないし、また自分の願望あるいは意見にも関わらない。そうではなく、自分が持っている信念を打ち砕くようなものに出会いたいと思っているからだ。

この、「自分が持っている信念を打ち砕くようなものに出会いたいと思っている」という感覚は、私の中にもずっとあります。だから、本や映画も、先に評価をチェックするようなことはしないし、「明らかに面白い」と分かるものには手を出さないことが多いです。昔からそうだったので、私は「分散思考」に元々向いているということかなと思います。

だから、本書の記述にはもの凄く共感できました。

と書いています。確かにその通りで、「誰かがこう言っていたから」という理由で何かを始めても、そのやり方が合っていない場合もあるし、仮に合っていても長期的に継続するには向かないやり方かもしれません。だからこそ、「自分で上手いやり方を見つけていくしかない」というのはその通りだし、試行錯誤したそのプロセスさえもプラスになると考えるしかないだろうと思います。

いか

そもそも、著者の森博嗣のことが好きだしね

犀川後藤

こんな風に思考できる人になりたい、って思える存在だね

「分散思考」から「発想」が生まれる

本書では、「分散思考」の重要さが様々に語られますが、その中で私が最も重要だと感じるのが、

一つだけ言えることがあるとしたら、発想は、集中している時間には生まれないということである

という主張です。

これは私も、非常に実感を持って賛同できます。

私は書店員として、ちょっと奇抜なアイデアを様々に実行したことがあり、その内のいくつかは大きく取り上げてもらえました。散々色んなことをやりましたが、どのアイデアも、「それについて考える時間」を特別に設けたことがありません。「よし、今から集中してアイデアを考えるぞ」という時間を確保したことはないのです。

私の場合は、朝雑誌を出している時や風呂に入っている時、自転車に乗っている時など、ちょっとした瞬間に少しずつ思考を巡らせ、ある時一気にひらめいて形になる、ということがほとんどでした。

私の感触としては恐らく、常に頭のどこかではそのアイデアについてなんとなく考えているのだと思います。ただそれは、非常にぼんやりとした思考で、あまり意識には上りません。とはいえ、頭の中で考えてはいるので、見ているもの・聞こえてくること・嗅いでいることなど五感から入った情報が、何かのきっかけでその思考と結びついたりするのだと思います。そしてそういう時に、発想というのは生まれるのでしょう

犀川後藤

「何か考えて」って言われて出すアイデアなんて、大したものじゃないし

いか

「発想」に関わらない人ほど、そういう言い方をするよね

私は、自分の実感としてこう感じているので、「分散思考」でしか「アイデア」は生まれない、という著者の主張には非常に納得できます

「分散思考」だけでは「発想」はできない

そして著者は、「いかに発想するか」という点をさらに掘り下げていきます。なぜなら、まさに「発想」こそ、AIには難しい領域だからです。どれだけAIが社会に実装されるようになっても、「人間の発想」がなければ物事は動いていかないでしょう。「AIが発想する時代」もいつかやってくるのかもしれませんが、私の感触ではまだまだ先のことだと思っています。

著者自身も、小説家であり、またかつては大学の助教授として研究職に就いていました。まさに「発想」が問われる世界にずっと身を置いていた人物であり、だからこそその主張には説得力があります

そして著者は、「発想」のためには「材料」がなければいけない、とも書きます。これも、考えてみれば当たり前のことなのですが、案外見落とされがちです。

例えば、「自分には料理の才能がない」と嘆いている人がいるとしましょう。しかしその人の家には、調理器具も調味料もなく、冷蔵庫も空っぽだとします。これは、料理の才能があるかどうか以前の問題だと言えます。材料が何もないのだから、料理を作りようがありません。

材料や器具があり、実際に料理してみて上手くいかないのであれば「才能がない」と言ってもいいかもしれませんが、まだそのレベルにさえ達していない、ということです。

そして世の中の「アイデアが思いつかない」と言っている人にも、同じ状況の人が結構いるのではないか、と思っています。そりゃあ、あなたの頭の中に材料がないんだから、発想なんか出てくるわけないでしょう、と。

犀川後藤

料理の場合は、「冷蔵庫に何も入ってないじゃん!」ってすぐ指摘できるけど……

いか

頭の中は見れないから、なかなか難しいよね

いやいや、SNSやニュースなんかを見て、常に情報はチェックしています、という人もいるでしょう。しかし、ただ情報に触れればいいわけではありません

情報というのは、思考するための「材料」です。材料を加工することが、思考という作業です。加工しないでアウトプットする人は、ただ、情報に反応しているだけです

リツイートする、「いいね!」を押す、といった行為は、「情報に反応している」だけだといえるでしょう。それはただ、情報に触れているだけであり、思考の材料にするためには、きちんと加工しなければならないのです。

かつて大学で若者を指導していた著者は、この点における彼らの能力不足をこのように指摘します。

今の若者に多いのは、まず「考えよう」として、頭で問題を思い浮かべるものの、すぐに「分からない」という結論になる。頭に思い浮かべているだけであり、ぼうっとしているのと変わらない状態である。そして、わからないのは、自分がこの問題を「知らない」からだ、とすぐに結論を出す。では、「知る」ためにどうすれば良いかといえば、調べる、検索する、誰かに教えてもらう、という行動しかない。今は、調べるのも、検索するのも、教えてもらうのも、とても手軽にいつでもできるようになったから、すぐにそこに飛びつく。
これらが簡単にできない時代の子供たちはどうしていたかというと、しかたがないから、自分で考えたのだ

この言葉に、グサリとくる人は結構いるのではないでしょうか。今は、「ググればなんでも分かるのに、どうして暗記なんかしなきゃいけないの?」という主張が、正しいものであるかのように広まることもありますが、著者のこの考え方から、頭の中に知識を取り込むことの重要性を理解できる部分もあるのではないかと思います。

犀川後藤

私の場合は、本や映画の感想を書くことで、自分なりに加工して頭に取り込んでいるつもり

いか

特に深い考えもなく始めたことだけど、続けてきて良かったね

いずれにしても、雑多な情報の中から何を選ぶのか、という問題ではなく、その情報をどう加工して自分の頭に入れるのか、というところが肝心だと思う。
どう加工するのかとは、つまり自分が持っている知識や理屈と照らし合わせて、フィルタリングしたり、あるいは推測を行ったりする、ということであって、まずは、自分の知識と理屈を持っている必要がある。そして、この知識と理屈は、そうやって加工された入力によって築かれていくのだから、短時間に出来上がるものではない

また加工する情報も、本や映画に限らないでしょう。例えば、「どうぶつの森」というゲームでは、植物の生育の仕組みが生物学の知見に基づいて設計されていたり、世界中の名画が見られる美術館があったりするそうです(私はゲームをほとんどやらないので詳しくありませんが)。「ゲームだからダメ」ということはなく、それがどんなものであっても、「そこからどんな情報を取り出し、自分なりにどう加工して頭に入れるか」を考えるかどうかが重要になる、ということです。

「いかに集中しない」か、そして「いかに情報を加工する」かで「発想」できるかどうかが左右され、それによってAIが実装される社会で生き残れるかどうかが変わる、という考え方は、今の時代に持っておくべきものではないかと思います。

「まず何をすればいいのか?」を提示することはなかなか難しい

しかし、こんな風に言われても、「とりあえずまず何からしたらいいの?」と感じる人も多いでしょう。「分散思考」や「情報の加工」は、言葉としてはシンプルですが、実践するにはなかなか難しいものがあります。どちらも時間をかけて取り組む必要があり、なかなかすぐ成果が出ないという辛さもあります。

著者も、

ただし、僕は自分の頭しか持ったことがないし、六十年間の試行錯誤の結果であったとしても、これが大勢の人の頭に適用できるとはとうてい考えられない。そこまでの自信はまったくない。したがって、各自が自分に当てはめて、これはできそうだと思うものを試していただきたい。そんなことをするうちに、自分に適したやり方が見つかるのではないか、とも期待するところである

犀川後藤

「凄い人のやり方」って、その人が「凄い」からできるのであって、自分には適してないことも多いしね

いか

「イチローのやり方」を知っても、じゃあそれを実践できるかは別問題、ってことね

ただ、ざっくりとした指針は示してくれます。

もっと簡単に言うと、まず変えるべきものは「習慣」だろうと思う。こつこつと、少しずついろいろやることを「習慣」にする、という意味だ。そうすることで、考える習慣ができる。周囲を気にする時間、周囲とのつながりを確認する時間は、今の半分にして、その分を「考える」そして「作る」ために使うことである。こうした習慣こそが、さらに分散思考の頭を少しずつ耕してくれるだろう

これも当たり前のことではありますが、しかし当たり前であるが故に難しいことでもあります。誰もが「習慣にすることは大事」と分かっていながら、そうすることができないでいるでしょう。継続できないから苦労してるんだ、と感じる人もいるかもしれません。

ただ、時間がかかることであればあるほど、結局のところ、毎日少しずつでもやり続けられるかが重要です。そこから目を逸らさずに、「どうやったら習慣化できるか?」を真剣に考えてみる必要があるかもしれません。

著:森 博嗣
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最後に

『集中力はいらない』というタイトルから想像される内容とは違ったかもしれませんが、考えもしなかった思考に触れることができる作品だと感じます。

人間にしかできないことを突き詰めるために、「分散思考」と「情報の加工」をいかに習慣化していくかを考えるきっかけにしてください。

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