【非努力】頑張らない働き方・生き方のための考え方。「◯◯しなきゃ」のほとんどは諦めても問題ない:『ゆるく考えよう』(ちきりん)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「自分がどんな固定観念に囚われているか」を理解することが何よりも大事

犀川後藤

自分の価値観は当たり前過ぎて気づきにくいので、思考力を高める必要がある

この記事の3つの要点

  • 頑張らなければできないことは、最初からやらなくていい
  • もっと早く色んなことを諦めた方がいい
  • あなたが感じる「欲しい」という欲望は、ニセモノの欲望ではないだろうか?
犀川後藤

「誰かの当たり前」は「あなたの当たり前」と違って当然だから気にするな

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「頑張らないこと」を頑張るために必要な考え方

著者のちきりんは「考える人」

本書は、ブロガーである著者が、自身のブログに書いた記事から選り抜き、加筆修正してまとめた作品です。

私はとにかく、「考える人」が好きです。思考によって深いところにまで到達できる人、自分の頭の中を的確に言語化できる人、物事の本質的な部分に触れられる人、そういう人の存在を知ると、話をしてみたくなるし仲良くなりたいと思います。

いか

「頭が良い」っていうのとはちょっと違うんだよね

犀川後藤

頭が良い人はもちろん好きだけど、頭が良くないからダメってわけでもないんだよなぁ

ちきりんはまさに「考える人」であり、本書にはその思考がふんだんに詰まっています。主張1つ1つを取り上げれば、自分とは相容れないものももちろん出てきますが、私は全体的に、ちきりんの考え方に非常に納得できるし、似たようなことを考えていたと感じます。こんな風に考えられる人になりたいと思う人です。

今の世の中には、「プチ教祖」みたいな人たちがたくさんいます。書籍やYoutubeなどで自らの主張を発信し、その考えに共感する者を囲い込んで、一種の信仰状態にするような人たちのことです。

それ自体は別にいいのですが、そういう世の中で生きていると、「自分の頭で考えること」を疎かにしがちです。「あの人が言っているから正しい」という判断基準でしか物事を捉えられないとしたら、いつまで経っても思考は深まらないし、自力で本質的な部分にたどり着くこともできなくなってしまうでしょう。

犀川後藤

主張の論理に納得するんじゃなくて、「誰が主張しているか」で物事を判断するのはマジで危険

いか

でもホント、そういう人、増えてる気がするよねぇ

ちきりんは、「私の言っていることを信じてついてきて!」というタイプではまったくありません。そうではなく、「私はこう考える。あなたはどう考える?」と問うようなスタンスで様々な話を展開していくのです。

本書を含め、ちきりんの本には、人生で一度も考えたことのない問いがたくさん出てきます。それらに対して、自分だったらどういう理屈や思考でどんな結論にたどり着くのか、是非とも考えてみてください。

そういう繰り返しによって、「他人の思考に依存する」という生き方から脱し、「自分の思考で自分なりの『本質』を見出していく」という生き方を踏み出すことができるでしょう。

自分がどんな「固定観念」に縛られているのかを見つめてみる

冒頭で、本書全体を貫くテーマについて、こんな風に書かれています。

日本社会には「社会のため全体のために、個を抑制し我慢すること」を美徳とする考えが蔓延しています。この本では、それらの社会が押しつけるガチガチの固定観念に縛られず、自由に楽しく自分らしく生きるためには、生活の様々な面でもう少し「ゆるく」、たとえばこんなふうに考えればいいのじゃないかな、とちきりんが感じたことをまとめています

あなたは人生をトコトン楽しんでいますか? 仕事、趣味や遊び、家族や友人とのつきあいはもちろん、食べること、眠ること、ボーっとする時間まで含め、楽しみながらストレスなく快適に過ごしているでしょうか?
「人生を楽しく、ラクに過ごすためには、もうちょっとゆるく考えたほうがいいよね」――ちきりんがそう考えはじめたのは、失われた10年が20年になり、明らかに時代が変わりつつあるにもかかわらず、今までと同じように「とにかく頑張る式」のやり方を続けることが、あまりにも非生産的に思えたからです

本書は10年近く前に出版された本です。10年経った今、「とにかく頑張る式のやり方」をやらないと決めている人は、おそらく以前より多くなっているでしょう。世の中は少しずつ「もうちょっと緩くてもいいよね」という方向に進んでいる気がしますし、私はその傾向を良いことだと感じています。

ただ、まだまだ「昔ながらの”当たり前”」に囚われている人も多くいるでしょう。

形式的に自分を縛るもの、たとえば家族のために働く必要があるとか、介護や育児をしなければならないというわかりやすい縛りがあると、まるで自分はその縛りがなければ自由になれるかのような幻想に浸ることができます。高校生のちきりんが「経済力さえあれば自由になれる」と信じていたように、です。けれど、そういった「安直な言い訳」から解放されると、人は本当に自分を縛っているものと対峙することになります

私は子どもの頃に、「今自分は子どもだから生きていくのが大変なんだ。大人になれば変わるはず」と思い込んで子ども時代をやり過ごしていた記憶があります。でも、結局大人になっても、生きづらいことには変わりありませんでした。

そしてそんな風に、「安直な言い訳」に頼ることができない状況に追い込まれて初めて、「自分は一体何に生きづらさを感じているのだろうか?」と考えるようになったわけです。

犀川後藤

25歳前後かな。そこから、「当たり前とされていること」から少しずつ抜け出そうと思えるようになった

いか

その時にちゃんと考え方を転換できて、ホントに良かったよね

自分が何に縛られているのかを理解するのはなかなか難しいでしょう。社会の中にある「”普通”という圧力」がとても強いからです。

社会の中で特に不満もなく生きていられるならなんの問題もありませんが、どうにも解消しがたいモヤモヤを抱えているのであれば、自分を縛るものの正体に思い巡らせてみるべきでしょう。

「どうしたら頑張らずに済むか」を頑張って考える

本書を読む限り、ちきりんという人はかなり有能で、社会人スキルが高い人に思えます。社会の中では、「とてつもなく仕事ができる人」という括りに入る方なんだろうなぁ、という印象です。

だからこそ、こんな風に書かれていることが意外に感じられました。

まじめな人は、いったん高い目標を立てると最後まで頑張ってしまいます。適当に済ませることができず、「できなくてもいいや、仕方がない」と思えません。「なんとかしてやり遂げないといけない」と自分を追い込んでしまうのです。
そうなることが目に見えているので、ちきりんは最初から「頑張らなくてもできそうなこと」を目標にします

これはもの凄く共感できる話で、私も実践しています。私は、そこまでべらぼうに有能というわけではありませんが、人並みにはいろいろできますし、割と「有能な人」に見られることもあるわけです。だからなんとなく周囲の期待を感じたりもするのですが、できるだけそういう期待から逃げるようにしてきました。「なんとかしてやり遂げないといけない」と追い込んでしまうからです。

仕事においては、「頑張ったらできるかもしれないこと」はそれなりにあります。でも、頑張っても上手くいかないかもしれないし、それでも周囲の期待に応えて何らかの成果は出さないといけません。そういうループに囚われるとしんどいだけなので、そういう生き方を端から諦めることにしたわけです。

「大丈夫かな」と思ってやりはじめたことでも、「あっ、これはかなりの努力をしないと無理だ」とわかった時点でやめます。「お前ならできるはず」などと、おだてられてやる気になったりしないよう気をつけています

これも理解できる話です。私の場合はそもそも、「ちょっとやってみようかな」という感じで何かを始めることがあまりありません。例えばそれが、何かを習得しようとするものであるなら、継続して時間を取り続けなければ絶対に習熟しないでしょう。だから新しいことを始めるかどうか考える際は、「それを毎日少しずつでもやる時間をきちんと捻出できるか」を自分に確認します。そして、無理だなと思ったらやりません。

犀川後藤

ある若手女優が、「何かを始めるなら、それを継続することを自分に約束してからじゃないとダメ」と、まったく同じ話をしてて嬉しかった

いか

聞き手は、「変わってますねぇ」みたいな反応だったけどね

こういうことは、一般的な自己啓発本にはなかなか書かれないでしょう。「こうすれば成長する」「こうすればもっと人脈が増える」など、いかにして自分を高めていくかについて書かれている本は多くありますが、ちきりんはそういうスタンスに対しても非常に鋭くばっさりと斬り込んでいきます。

「成長したい!」という人に「成長して、何がやりたいの?」と聞くと、「えっ?」と怪訝な顔をされることがあります。「成長して◯◯ができるようになりたい」ということがあって初めて、成長することは意味を持つのです

本当はわざわざ特別な会に行かなくても、日常で会う人と積極的に話していれば、世界はどんどん広がります。人脈をつくるために、日常以外の特別なイベントが必要なわけではありません。
本当は人脈が多いことより、本人が魅力的であるほうがよほど意味があるはずです。魅力的な人の周りには自然に人が集まるので、人脈なんて簡単につくれるからです。「自分が知っている人が多い」状態ではなく、「自分を知っている人が多い」状態のほうが効率がよいですよね

こうして言語化してもらえると、「確かにそれは当たり前のことだよなぁ」と感じると思います。ただ、「成長」や「人脈」という言葉だけをなんとなく捉えていると、「それって正しいの?」と感じてしまうような状況に陥ってしまうわけです。

また、いわゆる「意識高い系」でない人にも突き刺さるだろう、こんな文章もあります。

「朝から運動して一汗流し、午後から映画を見に行って、夕食は◯◯会で大いに飲み大いに笑って、夜はベストセラー本を読む」という日曜日が、「昼頃に起きてラーメンを食ってボーっとしている間に暗くなり、夕方からテレビを見ながらビールを飲んでいたら、また眠くなって寝てしまった」という日曜日より、「充実した日曜日である」と感じる人は、みんな何かに洗脳されています

何に充足感を抱くかは人それぞれなので、私は別に前者を「充実した日曜日」だと感じたっていいと思いますが、「前者のような日曜日を過ごさなきゃダメだ」と考えているならマズいでしょう。望んでそうしているならどう過ごそうが自由ですが、「こんな風に過ごさなければならない」という思考に囚われているのであれば、それは間違った状況にいると言っていいだろうと思います。

犀川後藤

私は、ダラけると元に戻れない恐怖があって、休日もあんまりダラダラできないんだよなぁ

いか

ただそんな休日に不満を感じてるわけじゃないし、別にいいよね

頑張らないために、ちきりんはこんな提案をします

ちきりんは高すぎる目標を持たないようにいつも気をつけています。今までの人生において、達成が不可能に思えるような高い目標を掲げたことがありません。それどころか、「達成が困難そうなこと」や「多大な努力が必要と思えること」も目標にはしてきませんでした。そんな高いところを目指すより、少し手を延ばせば届く範囲のことで人生を楽しめばいいと思っているからです

たいていの人にとって「成長」とはスキルが向上したり、知識が増えたり、判断力に磨きがかかったりすることを意味するのでしょうが、私にとっての成長とは「できるだけ鈍感になること」「あまり考えこまないようになること」であり、振り返ればそのための「性格改造」こそが成長の目的であり軌跡であったと思います

ちきりんは、日本人は他の国の人より全体的に「諦めるのが遅いのではないか?」と感じています。そしてそれが不幸の元だと思っています。多くの人は、もっと早めにいろいろ諦めたほうが楽に生きられるはずです

特に最後の、「早めにいろいろ諦める」という話は、まさに私が20代の頃から実践してきたことです。本書を読んで、自分がやってきたことが認められたような感じがしてちょっと嬉しく思います。「諦めたらそこで終了だよ」という言葉が有名な名言としてよく登場しますが、私は、諦めたところから始まることも多々ある、と考えています。

そもそも「欲望」ってなんだっけ?

私は「欲しいモノ」がほとんどないので、私自身の実感としてはよく分からないのですが、本書のこんな文章にハッとさせられる人も多いのではないかと思います。

けれど最近は、「自分はニセモノの欲望を押しつけられているのではないか」と感じることがあります。企業はよく「隠れたニーズを掘り起こす」といういい方をしますが、実際には潜在的な欲望が発掘されているのではなく、たいしてほしくもなかったモノを、マーケティングや広告、もしくは「売れている」「みんなが熱狂している」という話に惑わされて「ほしいような気持ち」にさせられていると感じるのです。しかも今はご丁寧に、クレジットカードからキャッシングまで用意されており、なんでもごく簡単に手に入ります。
けれど、欲望とは「モノ」のことではなく、「何かを心からほしくなる気持ち」のことです。私たちは、モノを簡単に手に入れる代わりに、「欲望」を取り上げられてしまっているとはいえないでしょうか。

この「ニセモノの欲望」の話は、「モノを売る立場」として非常に良く理解できます。私は長いこと書店で働いており、「本当にこの本が欲しいと思ってみんな買っているのだろうか?」と感じることはよくありました。売る側としては売上になるのでありがたいのですが、正直に言って、「こんな本が売れてしまうのか……」と感じるような、価値があるとは思いにくい本も多くあります。

書店員時代によく考えていたことは、「今の時代は、『参加チケット』としてモノが売れる」ということです。モノそのものへの価値評価ではなく、「多くの人がそれを話題にしており、自分もその話題に乗るために買う必要がある」という消費のされ方がどんどん目立つようになったと感じます。

例えば食べ物にしても「インスタ映え」のことばかり考えることで、「味」や「食事をする際の雰囲気」など、食べるという行為に関してより本質的であるはずの部分への感覚が衰えてしまうでしょう。何に価値を感じるのかは人それぞれだし、「映え」こそが重要だというならそれでいいとは思いますが、結局それは「私は食べ物の味を評価する能力がありません」という意思表示でしかない、とも感じてしまいます。

犀川後藤

「美味しくはないけど映えるモノ」が流行っても別にいいけど、「映えないけど美味しいもの」が淘汰されるのはもったいないって思っちゃう

いか

今の時代の雰囲気では、「映えないけど美味しいもの」は生き残りにくいよね

最近ちきりんは、「外から押しつけられる過剰な欲望を排して、自分のピュアな欲望を取り戻したい」と強く思うようになりました。物欲を捨てて仙人のように暮らしたいわけではありません。そうではなく「自分のオリジナルな欲望」と「つくられて付着させられているニセモノの欲望」を区別したいのです。そうしないと、ほしいモノをすべて手に入れておきながら、なぜか家の中には不要なモノが溢れているように感じるという、矛盾した状況から逃げだせません

「自分はそれを本当にほしいと思っているだろうか」と立ち止まる時間が、最近はあまりないのかもしれません。どこにでもコンビニがあり、ネットで数回クリックすれば買い物ができます。「気に入らなければメルカリで売ればいいや」という購買意識も当たり前になったでしょう。だから、「これを買うかどうか」と立ち止まる状況にならないのだと思います。

そして意識しなければならないのは、「社会のこの変化は、売る側の都合だ」ということです。売る側からすれば、「買うかどうか悩む時間」が短ければ短いほど都合がいいでしょう。そして、社会はまさにそういう売る側の都合に合わせた変化を続けています。

それこそ「外から押しつけられる過剰な欲望」だと思うし、実際は大して欲しいと思ってはいないものを買ってしまう要因なのでしょう。

またこんな文章もあります。

今や公務員や一流企業の社員であっても、35年先まで安定して給与が上がっていくとはいいがたい時代です。最長でも10年程度のローンで払える範囲のものしか買わない、というまっとうな判断に戻るべきときではないでしょうか。

これは本当にその通りだなぁ、と感じています。私はそもそも、家がほしいと思ったことはありませんが、もしそう思っていても、35年のローンを組んだりはしないでしょう。現金で買えるなら買うかもしれませんが、借金してまで買おうとは思いません。

高度経済成長期には、「将来的に安定して給料は上がる」と信じていられたでしょうし、それを前提に人生設計ができたでしょうが、今の時代にそんな想定は無謀だと思います。それなのに、35年ローンというシステムだけが残っていて、そしてその仕組みを未だに使う人がいるということが、私にはちょっと驚きです。

犀川後藤

「持ち家が無いことのリスク」も当然あると思うけど、私は「長期ローンで持ち家を購入するリスク」の方が大きいと思ってる

いか

ま、この記事の趣旨とはまったく関係ないけどね

本当に「欲しい」のか、あるいは「欲しいと思わされている」だけなのか、少し考えてみる時間を取ることは大事かもしれません。

多様性の時代にも無くならない「常識の押し付け」

まず理解しがたいのは、他のことに関しては「多様な生き方が認められるべきだ」と主張する(一見)リベラルな人まで、こと結婚や子供を持つことに関しては「結婚してあたりまえ」「子供がほしくないなんておかしい。こんなにかわいいのに」などと、恥ずかしげもなく、「特定の生き方」を押しつけてくることです

結婚や子どもを持つことについても、時代の雰囲気は変わりつつあると感じますが、それでもまだ旧来の考え方が根強く存在するでしょう。政治の世界で「夫婦別姓」が議論されても、「家族としての一体感が損なわれる」みたいな謎の理由で進展しない状況は、いつの時代なのかと目眩がします。

もちろんこういう話は、結婚だけに留まりません

世の中で多くの人がやっていることをやらないと、「なぜ?」と聞かれます。定職についていないと「なぜ?」、40歳で結婚していないと「なぜ?」、結婚5年目で子どもがいなくて「なぜ?」と問われる人も多いでしょう。
この「なぜ?」は、正確にいえば「なぜ多くの人がやっていることを、あなたはやらないのか?」という質問です。ですが質問者はたいてい思考停止状態なので、その質問の裏側に、「なぜみんなと同じことをする必要があるのか?」という問いも成り立ちうると気がついていません

今の時代はSNSなどによって、「これが当たり前だ」というある種の世論が形成されることが多々あります。ネットから生まれたそういう世論が、実際の社会の雰囲気を反映しているのかどうかは分かりませんが、そういう時代に生きていると、「これが当たり前なんだ」「その当たり前からはみ出すと炎上する」というような感覚を抱いてしまうでしょう。

私は、それが犯罪行為や、他人の健康・財産を害するような行為でないなら、何をしたって自由だと考えています。しかし、「他人を貶めることでしか自分の正しさを主張できないというタイプの人」が、「自分以外の正しさを否定するという行動」をすることで、世の中はどんどんと窮屈になってしまいます

犀川後藤

ネットを炎上させてる人って、そのほとんどが「おまえ部外者だろ」としか感じられないんだよなぁ

いか

不倫とか特にね。文句言ってる人には、「自分はできないから僻んでるんだろうか」と思っちゃう

ちきりんが言う、「『なぜみんなと同じことをする必要があるのか?』という問いも成り立ちうる」という話は、常に意識すべきでしょう。あなたの当たり前が、別の誰かの当たり前と重なる可能性はほとんどない、と思っておく方が、誰にとっても穏やかな社会が実現するのではないかと思っています。

最後に

本書は基本的には、「頑張らないための頑張り方」という内容で、「なんとなく頑張って生きてしまっている人」がメインのターゲットだと思います。ただ、もっと広く、「思考力を深めたい」「物事の見方を多様化したい」と思う人にもオススメできる作品です。

書かれていることを鵜呑みにするのではなく、本書で提示される「問い」に対して、自分だったらどんな考えを持つだろうかということを、是非考えてみてほしいと思います。

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いか

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