【排除】「分かり合えない相手」だけが「間違い」か?想像力の欠如が生む「無理解」と「対立」:『ミセス・ノイズィ』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:篠原ゆき子, 出演:大高洋子, 出演:長尾卓磨, 出演:新津ちせ, 出演:宮崎太一, 出演:米本来輝, 監督:天野千尋, プロデュース:井出清美, プロデュース:植村泰之, Writer:天野千尋
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

「ムカつく人」を理解できないのは、自分の「想像力の欠如」が原因かもしれない

犀川後藤

当たり前ですが、誰かを「間違っている」と判断する側が常に「正しい」わけではありません

この記事の3つの要点

  • 私は「想像力を失ってしまったらお終い」と思っている
  • 「共感」が強すぎると、他人への「想像力」が自然と欠落していく
  • 「正しい」「間違っている」という言葉は慎重に使う必要がある
犀川後藤

私は、「どんな人にもその人なりの理屈がある」と意識的に考えるようにしています

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

予想外に面白かった映画

「予想外」と言ってしまうのも申し訳ありませんが、この映画、なんとなく想像していたよりもずっと面白く、深く考えさせられる作品でした

犀川後藤

若干チープ感があったので、そんなに期待してなかったんですが、メチャクチャ面白かったです!

「布団叩きが騒音だ」と訴えられた女性(結構前の出来事ですが、当時はテレビで大きく取り上げられました)がモデルになっており、現実とは全然違うハチャメチャな展開を見せつつも、「物事を表層的に捉えることの怖さ」も感じさせる作品です。エンタメ作品としても社会派作品としても良くできていると感じました。

強すぎる「共感」と、失われる「想像力」

「想像力」を失いたくない

私はいつも、「想像力を無くしたら人間としてお終いだよなぁ」と思って生きています。誰とも関わらずに孤独に生きていくのならともかく、社会の中で他人と関わって生きていくことを選ぶならば、他人への想像力だけは捨ててはいけないよなぁ、と。

だから可能な限り、「相手には相手の理屈が必ずあるのだ」と考えるようにしています

いか

ま、イライラしないってわけじゃないよね

犀川後藤

もちろんするんだけど、「でも相手にも事情があるかも」って立ち止まるようにはしてる

もちろんこれは、かなり難しいことだと日々実感しています。自分の理屈に照らし合わせて「どう考えてもおかしいよなぁ」と思うことに遭遇すると、やはり「なんだコイツ」と感じてしまうし、あまりに考え方が違う人の場合、「何かあるんだとしても、相手の事情が想像できない」という状態に陥ってしまうのです。

また、「目の前にいる人と、どこで価値観が衝突するか」は、自分が「当たり前だ」と感じていることを話すまで表面化しないことも多いと思います。

例えば、「結婚したら自分の両親と同居するのが当然」と考えている男性がいるとして、その人にとってはその考えがあまりにも当たり前であるが故に、女性がプロポーズを受け入れた後で揉めるかもしれません。

「その人が、何を『当たり前』と感じているか」というのは、「差異が浮き彫りになる状況」が現れない限り気づかないことが多く、だからこそその違和感は常に唐突に現れることになります。「そんな価値観の人だとは思わなかった」という反応になってしまうということです。

いか

ホントに、普通の会話をしてる中で、唐突に相手の変な考え方を知って「えっ!」みたいになることはあるよね

犀川後藤

些細な話だけど、昔、「子どもの名付け本に書いてあること」を「中国4000年の歴史」だと思ってる人がいたなぁ

私が期せずして良かったと感じるのは、本を読んだり映画を観たりしていたことです。別にそういう意識があったわけではありませんが、結果として「世の中には多種多様な価値観が存在する」と認識することができました。その効用に気づいてからは、意識的に、「今の自分の価値観とは合わないかもしれないもの」にも手を伸ばすようにしています。「想像力」を失わないようにするためです。

「共感」が強すぎる世界

さて話は変わりますが、今の時代は「共感」の価値がとても強いと感じます。というか、「共感の価値が強い」という意識さえ持っている人は少ないかもしれません。というのも、「自分が心地よいと感じる情報」だけを選び取れる時代だからです。

好きなことをツイートする人をフォローする、好みの写真をアップする人をフォローする、自分が知りたい情報を登録してフィルタリングする……などなど、「欲しい情報」だけを手に入れることが出来ます。現代人の多くは、「自分の周りに好ましい情報しかない」という世界を生きているのではないでしょうか。

そして私は、そのことをとても怖いと感じます。何故ならそれは、「想像力」を遠ざける行為に感じられるからです。

犀川後藤

私は、「自分の好きなものを徹底的に突き詰めるオタク」を心底羨ましく感じているんですけど、同時にそうなりたくない怖さもあるのよ

いか

「好きなものだけ」に狭まってしまうことへの本能的な恐怖感みたいなのは、昔から結構強いよね

「共感」そのものは何も悪くありません。ただ、「共感」が強くなることで、「共感できないもの」がどんどんと排除されてしまうことが怖いと思います。

恐ろしいのは、「排除している」という意識さえ持てないことです。「この情報には共感できないから排除する」と意識的にやっているならまだしも、今の時代は、関心の持たれない情報はただ届かないだけなので、「共感できないもの」を「排除している」という感覚が持てません

「排除している」という感覚がなければ、「自分は正しく情報を集めている」と思い込んでしまうでしょう。「私は別に情報を排除してない。だから、自分のところには色んな情報が届いているはず」と無意識の内に感じてしまうということです。実際には、かなり偏った情報にしか接していないのに、世の中の情報に一通り触れているような気分になれる、というのが今の時代と言えるでしょう。

そしてだからこそ、「炎上」が起こるのだと私は思っています。

今の時代、私を含めた世の中のほとんどの人は、かなり偏った価値観・情報にしか触れていません。しかし一方で、「自分は情報を排除していないから、様々な情報が届いているはずだし、それを日々目にしている自分は、公正な判断ができる」と本人は考えているでしょう。だからこそ、「偏った価値観・情報を基に、相手を批判する」という行為が生まれることになると私は考えています。

これはまさに、「想像力の欠如」と言っていいでしょう。

いか

世の中の多数意見を反映した「炎上(真っ当な批判)」もあると思うけどね

犀川後藤

私もそのことは否定しないけど、でも大体の「炎上」は、文句言っている側の想像力が足りないだけだと思ってる

「共感」は、これからもますますその強さを増していくだろうと思います。そして、社会がそうなればなるほど、「想像力」は失われていくでしょう

今までは「世代間ギャップ」と呼ばれていたような価値観のズレが、今は同世代間でも顕著に見られるようになっていると思います。価値観が多様になることそのものは望ましいと思っていますが、それぞれの価値観が離れ小島のように点在しているだけでお互いの理解や交流が無いのであれば、せっかくの多様性も意味がないでしょう。そして私たちは、まっしぐらにそういう社会へ突き進んでいると感じています。

「間違っている」という言葉の難しさ

この映画では、状況をかなり極端に描き出すことによって対立や差異を浮き彫りにし、分かりやすい物語に仕上げています。しかしだからと言って、分かりやすすぎるわけでもありません。

映画の中である人物がこんなことを言います。

私、正しく生きてるわよね。世の中の方が、間違ってるのよね

この発言をする人物は、冒頭の印象からガラッとイメージが変わります。しかしだからといってこの人物が「間違っていない」「正しい」というわけではありません。なかなかにややこしい人物で、だからこそ「実際にいそうな雰囲気」を強く感じます。

私は、「物事は分かりにくくて当然」と考えていますが、今はどうもそれが当たり前だと思われていないように感じます

我々は「情報が多すぎる世の中」に生きており、だからこそ、一昔前と比べて「分かりやすさ」が求められがちです。「共感」が強くなったのも、「情報が多すぎて選べない」からという理由が背景にあるだろうし、多すぎる中から発信した情報に気づいてもらうために、「分かりやすさ」を前面に押し出すケースが多くなってしまうでしょう。

だから「白か黒か」「0か100か」「正しいか間違っているか」という情報が蔓延してしまうことになります。

いつの時代も様々なデマが出回るものですが、「科学的知識を要する情報」においても同様で、この文章を書いている現在の時点では、コロナワクチンへの様々なデマがネット上に出回っているようです。

「科学的知識を要する情報」にデマが出回るのはある意味当然ではあります。何故なら科学者は「白か黒か」という判断をしないからです。

真っ当な科学者であれば、「100%正しい/間違っている」という言い方はしません。それこそが科学的な態度だからです。しかしだからこそ、「100%正しい/間違っている」というデマに負けてしまいます。特に現代では、そういう傾向が強いと言えるでしょう。

犀川後藤

科学的知識に絡んだデマを見聞きする度に、「みんなもう少し科学リテラシーを持った方がいい」っていつも思う

いか

「100%安全、と言えないなら危険だ」みたいな主張をしている人を見かけると、クラクラするよね

私はなるべく、「絶対」「間違っている」「正しい」という言葉を安易に使わないようにしています。それらは、可能性を狭める言葉だと思うからです。使う場合も、「◯◯だとしたら間違っている/正しい」という風に条件をつけるようにしています。そういう風に意識しておかないと、それこそどんどん「間違った人間」になってしまう、という恐怖が私にはあるのです。

そして、「世の中はわかりにくい」ということを、これからも様々な形で実感していくつもりでいます。

この映画で描かれる「状況」は多少現実感を逸脱しているかもしれないけれど、実際に起こりうることでしょう。映画を見た人がどんな感想を抱くのか分かりませんが、「なるほど、どんな状況に対しても、初見とは違う見方ができるのかもしれない」と感じられるのではないかと私は思っています。

映画の内容紹介

吉岡真紀は、水沢玲というペンネームで小説を書いている職業作家だが、現在苦戦中だ。デビュー作こそ絶賛されたものの、その後スランプ続きで、今は6歳の娘と夫の3人で生活しながら、日々の合間を縫って小説を書いている。時には、娘を公園に連れていくという約束さえ破ってしまうほど、執筆に力を入れる毎日だ。

真紀はある日、謎の音を耳にする。それは、隣の家のおばさん(若田美和子)がベランダで布団をバシバシと叩く音だった。まだ朝の6時前。子育てと執筆で追い詰められている真紀は、この”騒音”にさらにイライラを募らせる。

また別の日のこと。家にいるはずの娘の姿が見えず心配していると、夜ひょっこりと帰ってきて、隣のおばさんと公園で遊んでいたというのだ。娘と一緒にいるなら一言声を掛けてくれてもいいのに……。

こんな風に真紀は、日増しに隣のおばさんへの苛立ちを募らせていく。ずっと家にいるわけじゃない夫に相談しても、あまり真剣に取り合ってもらえない。何故か隣のおばさんに懐いている娘に、おばさんと会っちゃダメと諭しても聞き入れない。出版社に送った原稿も、どうも良い反応を得られない。こういう状況を、彼女はすべて隣のおばさんのせいだと考えるようになっていく。

ある日真紀は弟から、「そんな面白い人がいるなら、その人をネタに小説を書けばいいじゃん」と言われる。乗り気ではなかったものの行き詰まっていた真紀はその提案に乗ることにした。タイトルは「ミセス・ノイズィ」。自分の苛立ちを小説に注ぎ込むからか、この原稿は編集部内でも評判となり、若者向け雑誌での連載が決まった。

しかしその一方で、真紀の知らないところで「小説家・水沢玲VS隣のおばさん」のバトルは話題になっており……。

映画の感想

冒頭でも書いたけれど、思っていたよりもずっと面白い作品でした。有名な俳優は出てこなかったと思うし、映画の公開規模も大きくなかったはずだが、もっと広く見られて良い映画だと感じます。

この記事の中ではあれこれと書きましたが、基本的には「ドタバタコメディ」という感じの作品で、ぶっ飛んだキャラとぶっ飛んだ展開を楽しむ映画として観るのがいいと思います。後半になると、その怒涛のテンションに圧倒されるような展開になっていって、「うわー、むちゃくちゃだけど、でも現代っぽいし、ありえないわけでもないよな」なんて思いながら楽しんで観ていました。

そして、そういう「面白い映画」としてだけではなく、「想像力ってやっぱり大事だな」と感じさせられる映画でもあります。「朝6時に大きな音で布団をはたくおばさん」を正当化する理屈などなかなかパッと思いつかないかもしれませんが、映画を観ると、「なるほど、上手い設定を考えたなぁ」と感じるでしょう。確かにこれは、「あり得ると言えばあり得る話」という感じがします。

この映画の展開は、「真紀が小説家だったから」こそ成り立つものですが、誰もが映画を観ながら、「自分がこのおばさんの隣に住んでいたらどうするだろうか」と考えてしまうでしょう。

犀川後藤

まあやっぱり、文句は言いたくなっちゃうだろうけどね

いか

ちょっと想像できるような事情じゃないからね

出演:篠原ゆき子, 出演:大高洋子, 出演:長尾卓磨, 出演:新津ちせ, 出演:宮崎太一, 出演:米本来輝, Writer:天野千尋, 監督:天野千尋, プロデュース:井出清美, プロデュース:植村泰之
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最後に

甘い考えかもしれませんが、私は「全員が少しずつ想像力を持ち寄れば、世界は大きく変わる」と考えています。一つ一つはほんの僅かな変化でも、それが幾重にも重なれば驚くような変化になると思っているのです。

世の中には悪意を持って他人に危害を加える人もいるし、そういう人は一刻も早く社会から排除されてほしいと思います。しかし、受け取り側の「想像力の欠如」のせいで、悪く言われるべきではない人が排除されてしまう世の中も嫌だなと感じます

そんなことを改めて感じさせてくれる作品でした。

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