【感想】実業之日本社『少女の友』をモデルに伊吹有喜『彼方の友へ』が描く、出版に懸ける戦時下の人々

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:伊吹 有喜
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

それがなんであれ、「人生を支えてくれる」と感じさせてくれるものなら、それは「不要不急」ではない

犀川後藤

コロナ禍と戦時下は、少し共通項があると言っていいかもしれません

この記事の3つの要点

  • 「戦争」ではなく「『日常』を失わせるもの」と捉えてみると、見え方が少し変わってくる
  • 「失われゆく『日常』を堰き止めるもの」として「少女雑誌」が描かれる
  • 「これを必要とする人は必ずいる」という「信念」を起点にモノづくりに携われる幸せ
犀川後藤

本書の出版元である実業之日本社が物語の舞台であるという点も、リアリティを高めていると言えるでしょう

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

実業之日本社をモデルに、戦時中も雑誌を出版するために奮闘し続けた者たちを描く『彼方の友へ』(伊吹有喜)

とても素敵な作品でした「戦争」を背景にした物語は、どうしても重苦しい雰囲気になりがちですが、『彼方の友へ』からは随所にキラキラした雰囲気を感じます。描かれているのは、少女雑誌「乙女の友」を全身全霊で出版し続けようとする者たち。彼らは戦時下に生きており、そういう世界においては真っ先に「不要不急」と判断されてしまうだろうモノを作り続けようとするのです。世の中の風潮的に「最も不要」と判断され得るモノを、それでも「必要な人は必ずいる」と信じて奮闘する者たちの姿からは、どんな仕事・創作にも通ずる「芯」みたいなものを強く実感させられました。

いか

こういう「私はどうしてもこれがやりたいんだ」みたいな強い気持ちを持てるのっていいよね

犀川後藤

そしてそれが、「仕事」だったり「求められること」だったりに繋がっていくなら、より素晴らしいよなぁ

本書は「大和之興行社」という出版社を舞台に展開される物語ですが、そこにはモデルがあります。それが、本書『彼方の友へ』を出版する実業之日本社です。作中人物たちが出版を目指す雑誌「乙女の友」は、実業之日本社がかつて発行していた伝説の雑誌「少女の友」がモデルなのだといいます。モデルになっている出版社から小説が発売されているという点で、作品のリアリティはかなり高いはずだと感じるでしょう。どこまで「リアル」を取り込んでいる作品なのか、私には判断できませんが、「かつてこういう時代があったのだろう」という雰囲気は、作中に漂っているように感じました。

「戦争」という言葉で捉えてしまうと、どうしても遠いものに感じられてしまう

私たちは様々な形で「戦争」に触れる機会があります。歴史の授業や物語、あるいはニュース映像などです。そして多くの人が、それらに触れることで、「戦争の悲惨さ」を理解し、「戦争を止めよう」という意識を持つようになるでしょう。それによって世界が平和になっていくというのはその通りだとも思います。

ただやはり、「戦争」という言葉で括られると、どうしても「今の自分には遠い世界」に感じられてしまいもするはずです。

犀川後藤

ロシアによるウクライナ侵攻が起こって、最初はメチャクチャ驚いたけど、結局今は「遠い世界」みたいに感じちゃってるもんなぁ

いか

知らなくていいはずないんだけど、「自分にも関係がある出来事だ」って捉えるのは結構難しいよね

そういう意味で本書は、私たちに違った感覚を与えてくれる作品だと言っていいでしょう。

『彼方の友へ』は先程も少し触れた通り、「戦時下において『出版』に奮闘する者たち」が描かれる物語です。つまり、「戦争そのもの」が直接的に描かれるわけではありません。もちろん、「戦争」は背景として非常に重要なものですが、しかしある意味では「日常を構成する要素の1つに過ぎない」と言うことも可能なのです。

そしてそういう物語に触れることで、「戦争」の捉え方が少し変わってくるだろうと思います。「日常の喪失」という見方です。「戦争」というのは結局のところ、「当たり前の『日常』を失ってしまうこと」なのだと改めて感じました。

いか

「まずはこんな風に捉えるところから始めてみないと」って感じるくらい「戦争」って遠いよね

犀川後藤

「平和ボケしてる」って言われたらそれまでだし、そこは反省せざるを得ないけど

私たちは普段、「日常」に対して「そこにある」という感覚すら抱くことはないと思います。空気のようなもので、あるかどうかなど考える余地もないほど、そこにあって当然みたいに感じているはずです。「戦争」が起これば、そんな当たり前のものが、突如奪われてしまいます

そして『彼方の友へ』においては、そんな「日常」の象徴が「少女雑誌」だというわけです。

(雑誌の付録である)小道具の外国趣味もほどほどに。現実から目をそむけて、叙情的なものに溺れるのは読者の心を脆弱にする。

ねえ、間違っていてよ。あなた方の誰も、お父様やお兄様が戦地に行っていないの? 恥ずかしいと思わなくって? 自分の身を飾ることばかり考えて。

犀川後藤

戦争に限らない話だけどさ、ホント、こういうこと言ってくる奴って腹立つよなぁ

いか

これって結局、「他人を貶めることで、自分の優位性を確認する行為」でしかないからね

「戦時下」を経験したことがないので想像するしかありませんが、戦争中は総力戦だろうし、いわゆる「贅沢は敵だ」という考え方が優位になってしまうものでしょう。何を以って「贅沢」なのかはその時々で変わるでしょうが、「少女雑誌」は恐らく、どんな時代のどんな戦時下においても「贅沢」と判断され得るものだと思います。

そしてだからこそ、逆の発想をすれば、「『少女雑誌』が残っていれば、まだ『日常』は完全には失われていない」という受け取り方も出来るかもしれません。もちろん、別に「少女雑誌」じゃなくてもいいでしょう。人それぞれ、何に「日常」を感じるかは違うはずだからです。大事なのは、「『日常』が失われていく大きな流れの中にあって、小さくてもいいから堰のような役割を果たす何かが身近に存在するかどうか」だと思っています。

そして、こういう捉え方をすることで、どうしても遠い存在に感じられてしまう「戦争」が、少しは身近なものに感じられるかもしれません。何故なら、私たちは「未来に希望を抱けない世界」に生きているからです。「戦争」と同列に扱うなと怒られるかもしれませんが、私は「『戦争』を経験してないんだから仕方ない」と開き直りたいと思います。なかなか明るい未来を描きにくくなっているだろう今の日本で生きることは、ごく一部の人を除いて「じわじわと『日常』が失われていく」のに近いかもしれません。そしてだからこそ、「堰のような何か」を求める気持ちを多くの人が持っているのではないかとも思うのです。

犀川後藤

「SNSをチェックして、YouTubeを観たら、1日が終わる」みたいな、最近の若者の実態に触れたネット記事をちょっと前に読んだなぁ

いか

「不満はないけど楽しくもない」みたいな感覚って、割と同時代の人たちの共通の感覚な気がするよね

戦時下と現代とでは状況はまったく異なりますが、それでも、「『少女雑誌』のような何か」を求める気持ちは共通していると言えるのではないかと思います。

「失われゆく日常」を堰き止める存在として「少女雑誌」が描かれる

希望です。新しい靴や服がなくても、ひもじくても、そこに読み物や絵があれば、少しは気持ちもなぐさめられる。明日へ向かう元気もわいてきます。

先程、「少女雑誌」を「現実から目をそむけて」「自分の身を飾ることばかり」と非難する文章を引用しましたが、やはりそれは短絡的な捉え方だと言わざるを得ないでしょう。それがどんなものであれ、「沈んだ気持ちを慰めてくれるもの」であれば、それは「単なるモノ」でも「贅沢」でもなく、「生きるために必要不可欠なもの」と言っていいはずです。

犀川後藤

このブログの色んな記事で書いてるけど、「生きていくのに必要なものは人それぞれ違う」っていつも思ってる

いか

能年玲奈監督・主演の映画『Ribbon』の記事とかね

どれほど現実が冷たくとも、誌面を眺めるひとときだけは温かい夢を。
そうした思いが許されない時代が来たのかもしれない。

それが旅行なのか、食べ物なのか、芸術なのか、推しなのか分かりませんが、人それぞれ、「これさえあれば生き延びられる」「これ無しでは生きていけない」みたいに感じるものがあるでしょう。私は正直、あまりそういうものを持っておらず、だからこその生き辛さもあったりするわけですが、私のことはともかく、多くの人がそういう何かを支えにしながら生きているはずだと思っています。

犀川後藤

ホントに、「これがあれば生き延びられる」って強く思えるものが欲しかったなぁって思う

いか

ただ、「何かに依存すること」を「怖い」って感じるタイプだから、意識的に避けてきたんだろうけどね

私たちの「日常」は、そういう「何か」によって形作られていると言っていいでしょう。そして、それらが何らかの理由で奪われてしまう世界を想像してみてください。まさにその状況こそが「戦争」なのだし、そうイメージすることで、少しは「戦争」を捉えやすくなるだろうと思います。

そして、そういう「何か」を必死で残そうと奮闘する者たちが、この物語では描かれていくというわけです。

子どもから大人になるわずかな期間、美しい夢や理想の世界に心を遊ばせる。やがて清濁併せ呑まねばならぬ大人になったとき、その美しい思い出はどれほど心をなぐさめ、気持ちを支えることだろうか。そうした思いをもとにこの雑誌は続いてきたはずだ。

「だけど僕らは切腹も殉死もしない。生き残ることを選ぶ。なぜならこの雑誌は少女、乙女の友だからだ。たとえ荒廃した大地に置かれようと、女性はそれに絶望して死にはしない。一粒の麦、一握の希望、わずかな希望でもそこに命脈がある限り……女たちはそれをはぐくみ、つなげていく。」
はいつくばろう、ぶざまであろうと、有賀がつぶやいた。
「未来へつなげていくことに光を見出す。それが女性たちの力だ。僕らは男だけれど、女性にはそうした力があることを今だから声を大にして伝えなければいけない。なぜなら彼女たちの声は今はあまりに小さく、あまりにか細い。この時代のなかで簡単に潰されてしまうから」

犀川後藤

コロナ禍で「不要不急」って言葉の力がホントに強くなりすぎたと思うけど、みんなが少しずつ想像力を失ってるように感じてた

いか

仕方ない場面もあるとは言え、やっぱり「不要不急かどうか」って他人に決められるようなものじゃないよね

何度も繰り返しますが、「日常」はあっさりと失われてしまいます。そして私たちはその事実を、「日常」の中にいる時にはなかなか意識できません。『彼方の友へ』のような物語を読むことで、そういう現実への想像力を発揮する機会が得られるでしょうし、また、そういう感覚が「日常」をより大事にする気持ちに繋がっていくのではないかとも思います。

伊吹有喜『彼方の友へ』の内容紹介

佐倉波津子の本名は「ハツ」だ。しかし、その名前が嫌いで、自分で書く時は「波津子」と記すようにしている。今は老人施設で寝起きする日々。夢と現実の狭間で生きているような、現在と過去の記憶が入り混じっていくような、そんな毎日を過ごしている。

来客は断ってほしいとお願いしているが、誰かが来たという事実は教えてくれる。たまに奇特な人がいるものだ。ある日彼女は、「フローラ・ゲーム」の限定バージョンを受け取った。懐かしい。そのことがきっかけで、佐倉の意識は17歳の頃へと戻り、当時の生活がバーっと思い出されていく

舞台は昭和12年。裕福な家庭に生まれた佐倉だったが、父親が帰って来なくなったのを機に生活環境が一変する。彼女は進学を諦めざるを得なかった。椎名音楽学院の内弟子として働きつつ、時折マダムに歌の稽古をつけてもらう日々が始まったのだが、その後マダムが、戦争が終わるまで関西の田舎に引きこもると決めたため、佐倉は行き場を失ってしまう

辛い日々を支えてくれたのは、印刷所の息子であり幼なじみでもある春山慎だ。彼は時々、試し刷りをした少女雑誌「乙女の友」をくれた。佐倉は、画家の長谷川純司と主筆で詩人の有賀憲一郎のコンビが大好きで、いつも心をときめかせながら読んでいる

やがて彼女は、ひょんなことから「乙女の友」を発行する大和之興行社で働くことになった。なんと主筆である有賀氏の下で働けるという。喜び勇んだのも束の間、彼女は自分がお荷物だと気付かされてしまう。有賀氏は実は少年の働き手がほしかったそうで、当てが外れたからか、佐倉は何を任されるでもなく、時々頼まれる雑用をこなしながら、いつも会社の端っこにいた。それでも、憧れの人の近くにいられる日々は、彼女の心を浮つかせる

戦争の気配は次第に色濃くなっていった。社員や友人が徴兵されたり、連載を持っていた作家が突如逮捕されたせいで原稿を落としたりするようなことが続いていく。そんな大きく変わっていく状況の中で、佐倉は少しずつ存在感を出せるようになり、誌面づくりにおいても活躍し始める

出版社らしく、周りの社員たちは女性も含めて皆大学出ばかり。小学校しか出ていない佐倉は常に引け目を感じていたが、モノづくりに真摯に取り組む人たちの中で揉まれる中で、彼女は次第に強くなっていき……

伊吹有喜『彼方の友へ』の感想

「戦争」に絡めた話は冒頭でかなり触れたので、ここからは違う話をしましょう

『彼方の友へ』を読んでいて印象的だったのは、「反響を適切に把握する手段が無い中でのモノづくりの困難さ」が描かれているという点です。今の時代ならネットであらゆる評判を知ることが出来るし、一昔前なら読者ハガキなどでそれを知れたでしょう。しかし、「戦時下」においては、それは簡単なことではありません

犀川後藤

ある意味では、「読者の反応を知り得ないからこそ、純粋なモノづくりが出来た」と言えるのかもしれないけど

いか

「需要に応える」のも大事だけど、それだけがモノづくりなはずないしね

読者の反応どころか、「自分たちが作っているものを待ってくれている人がいるかどうか」さえはっきりと自信を持つことが難しい状況です。そんな中でモノづくりを行うには、「これを必要とする人は絶対にいる」という、ある種の信念を持ち続けていないとなかなか難しいでしょう。今の時代の場合、「マーケティング」やら「需要予測」やらを駆使して様々なデータを引っ張りだして、「需要があるから売れます」みたいな根拠を示さなければなかなかモノづくりが出来ない印象があります。なのでもしかしたら、「マーケティング」「需要予測」が不可能だったからこその、「信仰」とでも呼ぶべき何かに支えられたモノづくりに羨ましさを感じてしまう人も多いかもしれません

この雑誌の読者は、この雑誌を毎月買える裕福な家の子女だけかい? 大人の庇護を受けている子女だけが友なのか。僕はそうは思わない。美しい物が好きならば、男も女も、年も身分も国籍も関係ない。

このような信念を元にした、「とにかく良いモノを作るんだ」と奮闘する者たちの姿は、特に創作やクリエイティブの世界にいる人たちには眩しく映るかもしれません。『彼方の友へ』で描かれるのは「良いモノを作れば売れる時代」だと思いますが、現代ではなかなかそうもいかないでしょう。どれだけ良いモノを作っても、その存在が様々な情報に埋もれてしまうことはよくあることだし、逆に、大したモノではないのにSNSでバズったりすることで大きく売れたりもします。今の時代には、今の時代に合ったクリエイターがいるのでしょうが、やはり「良いモノを作れば売れる」と純粋に信じられる時代に憧れてしまう人も多いのではないかと感じました。

いか

ただ、世の中の風潮が少しずつ「良いモノを作れば売れる」に変わりつつある気はしてるけどね

犀川後藤

っていうか「本物しか生き残れない世界になった」っていう感覚の方が強いかな

佐倉が共に働くことになる面々は、なかなか個性豊かです。先に名前を出した長谷川純司と有賀憲一郎も有能でユーモラスな人物なのですが、他にも面白い人物はたくさんいます。科学をベースにして空想小説を書く空井量太郎。憲一郎の従姉妹である佐藤史絵里。有能ではあるのだが少女雑誌にはさほど興味を持てないでいる編集長・上里善啓。読者からの人気が高い翻訳詩人・霧島美蘭。こういった多様な面々が「乙女の友」の編集部にはいます

そんな中で佐倉には、これといって誇れるような強い個性はありません。唯一あるとすれば、「『乙女の友』が大好きで、敬愛していると言っていいほどに愛していること」ぐらい。それほどの深い愛情が佐倉の人生を前進させるわけですが、一方で悩ませることにもなってしまいます。「働く」という観点からもかなり面白く読める作品だと言えるでしょう。

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最後に

「色恋は扱わない」という方針で作られる「乙女の友」ですが、その編集部内では様々な人間模様が錯綜します。「創作への熱意」と「恋心」が入り混じり、本人でもその区別がつけられなくなっていくような熱狂と苦しみは、「戦時下」であっても現代であっても変わることはないのでしょう。

「失われる『日常』」として「少女雑誌」を描き、その喪失の予感を通じて遠景である「戦争」を強く意識させる構成の物語は、どうしても遠い存在に感じられてしまう「戦争」を少しは近いものに感じさせてくれるだろうと思います。彼女たちにとっての「少女雑誌」は、自分にとっての何だろうかと想像しながら、それが少しずつ失われてしまう世界に思いを馳せてみて下さい。

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