【信念】水俣病の真実を世界に伝えた写真家ユージン・スミスを描く映画。真実とは「痛みへの共感」だ:映画『MINAMATA―ミナマタ―』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ジョニー・デップ, 出演:真田広之, 出演:國村隼, 出演:美波, 出演:加瀬亮, 出演:浅野忠信, 出演:岩瀬晶子, 出演:ビル・ナイ, Writer:デヴィッド・ケスラー, 監督:アンドリュー・レヴィタス, クリエイター:ジョニー・デップ
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今どこで観れるのか?

この記事の3つの要点

  • 福島第一原発事故も含め、「公害」はいつの時代でも起こりうる
  • 何もしなければ、「事実」が「真実」に変わることはない
  • 水俣病患者を「被写体」としか思っていなかったユージン・スミスは、いかにして「フォトジャーナリズム史に残る傑作」の撮影に至ったのか

「水俣病を世界に伝えた」という評価からは想像し難い「ダメ人間っぷり」が非常に興味深い存在だと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

水俣病を世界に伝えた写真家ユージン・スミスの生き様から、「事実」が「真実」に変わる瞬間を知る

私はそもそも、「水俣病が世界に知られる上で大きな役割を果たしたアメリカ人写真家」の存在さえ知らなかったので、映画を観てまずその点に驚かされた。一応、ユージン・スミスの最高傑作の1つである「入浴する智子と母」は、以前どこかで目にしたような記憶がある。美しさもさることながら、その写真1枚で現実の悲惨さを如実に伝える力を併せ持つ作品だと感じた。

この映画では、水俣病そのものについては詳しく描かれない。基本的にはユージン・スミスについての物語だ。ただ、水俣病を引き起こしたチッソ株式会社についてはかなり描かれる。どうやら、ユージン・スミスが来日した時点で、既に国内では問題視されていたようだ。裁判も開かれ、市民による反対運動も行われていた。しかしチッソ株式会社は、そんな動きなどどこ吹く風、「賠償金を払えばいいんだろ」という態度で操業を続けている。なんと、水俣病が初めて確認されてから15年間も、なんの改善もしないままだったという。

今の時代なら考えられないだろう。そして、当時それが可能だった理由の1つが、「水俣病が世界の注目を集められなかった」ことにある。国内では知られた問題だったが、諸外国にまで情報が届いておらず、それを良いことにやりたい放題やっていたというわけだ。

そういう意味でも、ユージン・スミスの関わりは非常に重要だったと言えるだろう

現代では、「SDGs」や「ESG投資」などの呼びかけにより、環境問題や社会課題を無視した経営が非常に難しくなっている。水俣病の頃と比べれば大分マシになっていると言えるだろう。しかしそうだとしても、「公害」がゼロになることはない。福島第一原発事故も、「人災による公害」と言っていいだろうし、この映画のエンドロールでは、世界中でかつて引き起こされた公害の実例が写真つきで紹介されてもいた。

水俣病のような公害は今後も起こりうる。そう考えて、社会や企業に向ける目を厳しくしていくべきだろう。

ユージン・スミスは、いかにして「事実」を「真実」に変えたのか

この映画では、ユージン・スミスの「報道写真家」としてのスタンスの変化が、「水俣病」が世界に知られるまでの軌跡と連動している点が非常に面白いと思う。

今は大分変わっただろうが、一昔前の「報道」は、被害者さえも問答無用で傷つけていくようなものだった。「報道被害」などという言葉が生まれるほど、「被害を伝えるはずの報道」が「被害を生む側」になってしまっているという矛盾を内包するものだったと思う。

ユージン・スミスの「報道」に対する当初のスタンスも、近いものがあると感じた。彼が写真を撮る際の哲学について具体的に触れる場面は少ないが、

アメリカの先住民族は、カメラは被写体の魂を奪うと信じていた。
しかし、実際はそれだけじゃない。カメラは、撮る者の魂の一部も奪い取るのだ。
撮る側も、無傷ではいられない。

感情に支配されるな。
そうしないと負けだ。命さえ落としかねない。
何を撮るか、何を伝えるのかに、ちゃんと集中しろ。

みたいなことを映画の中では口にしている。これらの言葉は、

「写真を撮るという行為」は、自分自身も傷つける。しかしそれでも、撮るべきものを撮れ。

と要約できる。もっと言えば、「”痛み”に鈍感になって被写体を追え」ということだろう。

実際、冒頭からしばらくの間、ユージン・スミスはそのようなスタンスでカメラを向けていた。それを察した、ユージン・スミスの通訳を務めるアイリーンが、「あなたも共感を示して」と注意するほどだ。つまりユージン・スミスは、「水俣病に苦しむ人々」を単なる「被写体」としか捉えていなかったのである。

しかし映画では、明確にある瞬間を境にして、彼のスタンスが劇的に変わっていく「”痛み”に寄り添いながらシャッターを切る」という方向へと舵を切ったのだ。そのことが、後に「フォトジャーナリズム史に残る傑作」と評される写真に繋がっていくことになる。

ユージン・スミスの時代と比べると、現代は遥かに「カメラを向けることで、目の前の人・現実を『被写体』にする行為」が容易になった。誰もがスマホを持ち、何かにカメラを向け、様々な物事を記録していく。

しかし、シャッターを押して記録されたものがすべて「真実」になるわけではない。基本的に、カメラに記録されたものは、単なる「事実」でしかないのだ。

私が思う「事実」と「真実」の違いは、「『事実』は認めるもの」「『真実』は信じるもの」という点にある。リンゴを撮ったとして、「そこにリンゴがある」というのが「事実」、「このリンゴは農家によって大切に育てられた」というのが「真実」だ。だから、事実は基本的にたった1つだが、真実は人の数だけ存在すると考えている。

写真で撮るだけでは、それはただの「事実」に過ぎない。それが「真実」に変わるためには、「信じたい」という気持ちを湧き起こさなければならないし、そのためには撮る側が「これを伝えたい」という気持ちを強く持っていなければならないだろう

膨大な写真の洪水の中に生きる私たちは、以前にも増して「真実」に出会うのが難しくなったと思う。確かに、写真は決して、「『真実』を伝える」ためだけのツールではない。気楽なコミュニケーションにも、便利なメモにも、視覚情報を共有するためのツールにもなる。しかしやはり、「『真実』を伝える」という写真の役割は非常に強力だと言えるだろう。

誰もが、次のユージン・スミスになり得る時代だ。だからこそ、「『伝えたい』という思いを乗せてこそ『真実』になり得る」という実感を得ておくことは重要ではないかと思う。

映画の内容紹介

周りから「ジーン」と呼ばれているユージン・スミスは、LIFE誌の専属カメラマンとして長く活躍した。沖縄戦の取材で日本を訪れたこともある。しかし今は、ニューヨークの片隅で朽ち果てようとしていた。酒浸りのため身体は思うように動かず、家賃を払うお金にも事欠いて滞納し続けている始末だ。どうやら、子どもたちとも音信不通のようである。もはやどうにもならないと、残った機材をすべて売り払い、せめて子どもたちに金を残そうと考えた。

そんなタイミングで、富士フィルムのCM撮影クルーがジーンの元にやってくる。アポイントがあったことをすっかり忘れていた。そのクルーの通訳としてやってきたアイリーンが、CM撮影終了後にジーンに話しかける。別件で頼みたいことがあるというのだ。それが「水俣病」の報道だった。

「日本の熊本に、水銀中毒で苦しんでいる人たちがいる」とアイリーンは訴える。世界の注目をどうしても集めたい、だから日本に来てその現実を撮ってくれないか、と。ジーンは、機材を売り払ってしまったし、何よりも沖縄戦の取材で大変な目に遭ったから日本には行きたくないと断る。アイリーンは、水俣病について伝える記事を彼に渡し、連絡してほしいと言って日本へ戻った。

記事を読んだジーンは、LIFE誌の編集部へと乗り込んだ。彼が詰め寄ったのは、LIFE誌のトップであり、LIFE誌を一流誌へと押し上げた立役者のボブである。ジーンはボブに、「水俣病を撮ればピュリッツァー賞は間違いない」と熱弁した。しかし経営難に喘ぎ、紙面全体の67%を広告にせざるを得ないほど追い詰められているボブからすれば、ジーンの相手をしている暇などない。それでも、LIFE誌の若手編集部員の後押しもあり、ジーンはどうにか水俣病撮影のGOサインをもぎとることができた。

熊本へとやってきたジーンは、アイリーンと共にこの地で暮らしながら住民の撮影を行うことに決める。しかし、周辺に住む人々は、ジーンを不審そうに眺めるばかりこれまでに散々反対運動を行ってきたものの成果はなく、さらに様々な取材にさらされて疲弊していたのだ。だから、ジーンが住民にカメラを向けただけで、顔を隠す仕草をしてしまう。

それでも彼は、熊本に住む人々が置かれている状況や水俣病の現状を理解し、少しずつ住民に歩み寄っていく……。

映画の感想

この映画については、「水俣病を世界に広めた写真家がいた」というぐらいの情報しか知らず、「素晴らしい人物がいるものだ」みたいに考えていたのだが、映画を観て、ユージン・スミスが思ったよりもずっとダメな人間だったのが物語としては非常に面白いと感じた。

水俣病の撮影を引き受ける前であれば、アル中だろうがなんだろうが別に構わないが、水俣病の撮影を引き受けて以降も、ユージン・スミスは結構ダメダメな感じのまま突き進んでいく。恐らく「野心」は強く持っていただろうし、「写真を撮る」という行為に対する熱量みたいなものも強かったはずだ。しかし全体的には、「社会人として失格」と判断されてしまうだろう人物である。「水俣病」という、視覚的に明らかにその酷さが実感できる公害の現実を目の当たりにしても、どこか他人事でしかいられないなど、「水俣病を世界に伝えた」という評価からイメージする人物像とはかけ離れた存在感に驚かされた。

こんなダメダメな人物が、いかにして『入浴する智子と母』を撮影するに至ったのか」という興味が、「水俣病」とはまた別の軸としてこの映画には存在するというわけだ。「水俣病」という現実だけでも映画としては全然成立するように思うが、そこに「ユージン・スミスのダメさ加減」がプラスされることで、物語の厚みが増していると思う。

また、日本人役者の英語の発音が上手くて驚いた。別に私は、英語をちゃんと聞き取れるような人間ではないのだが、いわゆる「日本人が喋るような英語」なら、大体何を言っているのか聞き取れると思っている。しかしこの映画に出てくる日本人俳優は、まるでネイティブみたいな発音で、つまり、「私には聞き取れないような発音」でセリフを口にしていたのだ。アイリーン役の女優は元々英語が堪能なようだが、加瀬亮も國村隼も非常に上手かった。加瀬亮など、登場シーンで口にしていた英語が上手すぎて、加瀬亮だとは気づかなかったほどだ。そのシーンにだけ登場するエキストラ的な人だとばかり思っていた。

また、英語の発音以上に驚かされたのが青木柚である

映画には、ユージン・スミスからカメラを借りて写真を撮る水俣病患者が出てくるのだが、この役者がなんと青木柚だったのだ。私は、『サクリファイス』『うみべの女の子』と、青木柚が出演する映画を観ており、彼の存在を知っていた。にも拘わらず、映画を観ている時には、あの水俣病患者が青木柚だとは気づかなかったのだ

なぜ気づかなかったのかと言えば、「ユージン・スミスからカメラを借りる少年は、『本当の水俣病患者が演じている』と思っていた」からだ。まさか「水俣病患者のような動きを俳優が演じている」などとはまったく想像もしなかった。私は別に水俣病患者について見知っているわけではないのだが、なんとなくイメージしていた水俣病患者の雰囲気を非常にリアルに醸し出していたので、本当の水俣病患者だと信じて疑いもしなかったのだ。

青木柚という俳優の凄まじさを改めて実感させられた映画でもあった

出演:ジョニー・デップ, 出演:真田広之, 出演:國村隼, 出演:美波, 出演:加瀬亮, 出演:浅野忠信, 出演:岩瀬晶子, 出演:ビル・ナイ, Writer:デヴィッド・ケスラー, 監督:アンドリュー・レヴィタス, クリエイター:ジョニー・デップ
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最後に

先述した通り、映画『MINAMATA―ミナマタ―』では水俣病について詳しい描写がなされるわけではない。だから、この映画だけを観て水俣病について何かを判断することは正しくないだろう。知識については別途何らかの方法で仕入れる必要がある。

しかし、「『水俣病を世界に伝える』ために、どれだけ多くの人が奮闘したのか」については、この映画から伝わるだろうと思う。皆が知っていた「事実」を、誰もが知る「真実」へと変えたユージン・スミスの功績を、是非知ってほしい

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