【危険】遺伝子組換え作物の問題点と、「食の安全」を守るために我々ができることを正しく理解しよう:『食の安全を守る人々』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「食の安全を守る人々」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPの上映情報を御覧ください

この記事の3つの要点

  • 「モンサント社」を訴えて320億円の賠償金を勝ち取った男性
  • 「ラウンドアップ」に含まれる「グリホサート」は我々の体内に蓄積されている
  • 「遺伝子組み換え作物」の危険性を理解するための「抗生物質耐性遺伝子」の話

知らなかった話が満載であり、とても勉強になった。子育てしている人には無視できない話も多い

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「相関関係」と「因果関係」の違いについて

この記事では「食の安全」について書いていくが、科学も絡む議論を正しく理解するために知っておくべき知識がある。それが「相関関係」と「因果関係」だ。非常に間違いやすい考え方なので、この点についてあらかじめ整理しておこうと思う。もちろん、十分理解しているという方は読み飛ばしてもらって構わない。

この映画においても、図などを示して「『何か』と『何か』に関連性がある」と指摘する場面が出てくる。重要なのは、「『関連性がある』からと言って『原因と結果の関係にあるわけではない』」という点を正しく理解することだ。

映画では例えば、「農薬・ネオニコチノイドの使用量」と「発達障害の児童数」が比較される。ネオニコチノイドが使用される農場近くで、どれだけ児童の発達障害が見られるのかを示すデータだ。そのグラフを見ると確かに、「ネオニコチノイドの使用量」と「発達障害の児童数」には何か関係がありそうに見える

しかしだからと言って、「ネオニコチノイドの使用によって児童が発達障害に陥った」と結論するのは誤りなのだ。何故だろうか。

この説明のために、以前実際に行われたらしい「朝食を食べようキャンペーン」(キャンペーン名はうろ覚えである)の話をしよう。そのキャンペーンを行った団体は、「朝食を食べる子どもは学校での成績が良い」というデータを示し、「だから子どもに朝食を食べさせよう」とアピールした。実際に、「朝食を食べる子どもは学校での成績が良い」ことを示す科学的なデータが存在するのである。

しかしこのデータは、「朝食を食べたから学校の成績が良くなった」ことを示すものではない。正しくは、「『学校の成績が良いこと』と『朝食を食べること』は同じ原因から発生している」ことになる。

意味が分かるだろうか?

つまりこういうことだ。学校での成績がいい子どもの家は、家庭環境が良好なケースが多い。そしてそういう家では自宅での学習もきちんとしているからこそ、学校の成績が良いというわけだ。さらに、家庭環境が良い家の場合、朝食が出てくることが多い。これは裏返すと、家庭環境が良くないと朝食が出ないことも多い、という示唆でもある。

つまり、「家庭環境が良い」から「学校での成績が良いし、朝食も出てくる」というわけだ。決して、「朝食を食べるから学校の成績が良い」わけではない(もちろん、その可能性が否定されたわけでもないのだが)。

なんらかのデータを理解しようとする際、この点は非常に間違えやすいので注意が必要だ

複数のデータに何か関連性がある場合、「相関関係がある」という表現をする。しかしこれは「ただ関連がある」という意味でしかなく、必ずしも「因果関係」、つまり「原因」と「結果」の関係とは限らない。そこに「因果関係」が存在すると示すためには、正しく設計された科学的な実験を行わなければならないというわけだ。

「ネオニコチノイド」と「発達障害」のデータにも、確かに「相関関係」はある。しかし、ただ2つのデータを比較しただけでは、そこに「因果関係」が存在する証拠とは言えないのだ。「相関関係」と「因果関係」を正しく認識していないと、データに騙される可能性が高まるので、気をつけていただくといいと思う。

もちろん、「因果関係が存在すること」を証明するのは非常に大きな苦労が伴うし、時間も掛かる。だから、「因果関係が証明されるまで何もしない」という考えも正しいとは言えないだろう。「相関関係」があるなら「因果関係」かもしれないと疑って行動することも大事な場面はある。決して「相関関係の段階で物事を判断するな」などと主張したいわけではないと言っておくべきだろう。

いずれにしても、この映画を観る時だけでなく、何らかの客観的なデータに触れる際には、「『因果関係』に注意すべし」という私のアドバイスを思い出していただけたら嬉しい

「遺伝子組み換え作物」の話を中心に、「食の安全」をいかに守るべきかを皆で考えよう

私は以前、『モンサントの不自然な食べもの』という映画を観たことがある。

モンサント社は、「GMO」とも表記される遺伝子組み換え作物において、重要な役割を担う世界的大企業だ。そしてそのモンサント社の危険性を告発するのが『モンサントの不自然な食べもの』である。

この映画を観ていたこともあり、『食の安全を守る人々』も興味深く観ることができたし、『食の安全を守る人々』を観るだけではちょっと理解が及ばないかもしれない点についてもきちんと掬えているはずだ。この記事では、『モンサントの不自然な食べもの』を観て知った情報も適宜織り混ぜながら、我々が直面している「食の安全」の現状について様々な指摘をしていきたいと思う。

映画では、子育てや学校給食の話なども取り上げられる。非常に重要な問題を多く含んでいるので、多くの人が理解し、皆で議論していくべきだと実感させられた。

まずは基本情報の整理から

まず、この映画を観るにあたって整理しておいた方がいいだろう情報についてあらかじめまとめておこうと思う。特にこの情報の整理に際しては、『モンサントの不自然な食べもの』から得た事実を多く流用する。

『食の安全を守る人々』では、「『ラウンドアップ』という商品名の除草剤」と「遺伝子組み換え作物」が扱われる。映画でもこれらについて説明されるのだが、映画の中で示される情報だけでは正しい理解が難しいと思うので、私なりにまとめてみようと思う。

まずは「ラウンドアップ」から。これは、先ほど紹介したモンサント社の主力商品だ(ただし、モンサント社はバイエル社に買収されたため、「モンサント社」という社名は現在恐らく無くなっている)。日本でもテレビCMを時々見るので、知っている方も多いだろう。雑草などを枯らすいわゆる「除草剤」であり、「グリホサート」という成分が含まれている。そして映画では、この「グリホサート」が人体に良くない影響を及ぼすのではないかと指摘されるのだ。

さて、ここからがややこしいので頑張ってついてきてほしい。

モンサント社は、「ラウンドアップ」だけではなく、「ラウンドアップに強い遺伝子組み換え作物」(以下「ラウンドアップ耐性作物」と表記する)も販売しており、同じく主力商品の1つである。この「ラウンドアップ耐性作物」、農家にとっては非常に便利であり、だからこそ需要が大きいのだが、まずはなぜ便利なのかを説明していこう。

「ラウンドアップ」は除草剤なので、あらゆる作物を枯らせてしまう。もちろん、栽培している作物もだ。だから農家は「ラウンドアップ」を散布する際、「育てている作物には掛からず、雑草だけに掛かるように撒く」必要がある。しかし容易に想像できる通り、これはとても面倒くさい。農家としては、「全体的にラウンドアップを撒いて、雑草だけ枯れてくれたらいいのに」と考えたくもなるだろう

そしてそんな望みを叶えるのが「ラウンドアップ耐性作物」である。その名の通りこの作物は、「ラウンドアップ」を散布しても枯れない。そうなるように遺伝子が組み換えられているのである。つまり、この「ラウンドアップ耐性作物」を栽培すれば、農家は「ラウンドアップ」を雑に散布するだけで、「育てている作物は枯れず、雑草だけが枯れる」という理想的な状態を実現できるのだ。

素晴らしい、と感じるだろう。しかしここに大きな問題がある

「ラウンドアップ」を雑草だけに掛かるよう慎重に散布していた時は、当然、栽培している作物に「ラウンドアップ」が付着することは少なかったし、仮に付着したとしても枯れてしまう。だから、「ラウンドアップが付着した作物」が食卓に届く機会は少なかっただろう。しかし「ラウンドアップ耐性作物」が登場したことで、私たちは、「ラウンドアップが大量に付着した作物」を口にすることになってしまったのだ。

モンサント社は否定しているが、先述したように、「ラウンドアップ」に含まれる「グリホサート」という成分が、人体に悪影響をもたらすのではないか、と考えられている。つまり、「ラウンドアップ耐性作物が登場したことで、グリホサートが人体に取り込まれる機会が増えたこと」が問題視されている、というわけだ。

さて、このように丁寧に情報を整理することで理解してほしいことがある。それは、「少なくとも『ラウンドアップ』の問題については、悪影響をもたらしているのは『グリホサート』であり、『遺伝子組み換え作物』ではない」ということだ。

この映画では、「遺伝子組み換え作物の危険性」についても触れられている。しかし、「ラウンドアップ」に限って言えば、重要なのは「ラウンドアップに含まれるグリホサートという成分」であり、「遺伝子組み換え作物であるラウンドアップ耐性作物」ではない。この点を正しく理解しておくことはとても重要だ。

映画を観ているとなんとなく、「モンサント社が作る遺伝子組み換え作物が悪者だ」と感じられてしまうかもしれないが、それは正しい理解ではない。「ラウンドアップ耐性作物が登場したことで、体内にグリホサートが取り込まれる可能性が増えたこと」こそが問題なのである。

この点は映画を観ているだけではスパッと理解できないと思うので、正しく把握しておこう。

またもう1つ、あまり重要ではないが触れておいた方がいいかもしれない話がある。この話もややこしくなかなかイメージしにくいが、先ほどの「ラウンドアップ」の話よりは重要度が低い。だから別に理解しなければならないわけではないので飛ばしてもいい。

映画では、「遺伝子組み換え」と「ゲノム編集」という2種類の名称が登場し、基本的には異なるものを指している。まずこの違いに触れておこう。

冒頭で「GMO」という表記を紹介したが、元々「遺伝子組み換え」という技術が先に存在しており、「遺伝子組み換え」によって生まれた作物が「GMO」と呼ばれていた。しかしその後「ゲノム編集」という新たな技術が登場したことで、前者によって作られたものが「OldGMO」と、後者によって作られたものが「NewGMO」と呼ばれるようになったそうだ。

両者の基本的な差異を説明すると、「遺伝子組み換えは、元々存在しなかった遺伝子を新たに組み込む技術」「ゲノム編集は、元々ある遺伝子を改変する技術」となる。つまり、「遺伝子組み換えは、自然界では起こり得ない変化を人為的に生み出す技術」「ゲノム編集は、自然界でも起こり得る変化を人為的に生み出す技術」となるわけだ。

「ゲノム編集」は、人類が長年行ってきた、「様々な植物を掛け合わせることによる品種改良」に近いと言っていい。あらゆる生命の遺伝子情報は常に突然変異を起こし得るし、そのような突然変異の積み重ねによって進化・退化が繰り返されてきた。自然界では、どんな変異が起こるのか誰も予測できないが、狙った変異をピンポイントで発生させられるのが「ゲノム編集」というわけだ。

一方「遺伝子組み換え」は、普通には入り込むはずがない遺伝子情報を人為的に組み込むことを意味する。つまり、自然界では起こり得ない変異というわけだ。

両者の違いがなんとなく理解できただろうか? 自然界では起こり得ないことを人為的に発生させているか、自然界でも起こり得ることを人為的に起こしているかという違いであり、この差は非常に大きいと言える。正直、まったく別の技術と言っていいだろう。映画でも、そう主張する科学者が登場する。

しかしヨーロッパでは、「遺伝子組み換え作物」と「ゲノム編集作物」は同等に扱われることが決まったという。

元々、「遺伝子組み換え作物」を規制するルールが存在した。これは「自然界では起こらない変異を含んだ作物」であり、確かに規制が必要だろう。しかしその後開発された「ゲノム編集」技術によって生まれた作物にも、「遺伝子組み換え作物」と同等の規制が加えられることになったのだ。本質的にまったく異なる技術を同じように扱うことに対して、科学者からは疑問の声が上がっているという。

「遺伝子組み換え作物は危険だ」という話を聞く機会はあるだろうと思う。そして、「遺伝子組み換え」と「ゲノム編集」の区別がついていない場合、「ゲノム編集作物も危険だ」と感じてしまうに違いない。ヨーロッパが同等の規制を課したというならなおさらだ。しかし、この両者は別物であり、「遺伝子組み換え作物」が危険だとしても「ゲノム編集作物」が危険とは限らない、という点は正しく理解しておく必要があると私は思っている。

さてもう1つ、「モンサント社」に関する知識に触れてから次に進もう。

「モンサント社」に聞き覚えがなくても、「ベトちゃんドクちゃん」の名前は知っている方も多いのではないだろうか。ベトナム戦争で使用された「枯葉剤」の影響で身体がくっついたまま生まれてしまった双子の赤ちゃんだ。そして私は知らなかったが、その「枯葉剤」を作っていたのが「モンサント社」なのである。

また、戦後日本では、シラミ除去の目的で人体に直接「DDT」という薬剤が掛けられたことも有名だが、この「DDT」を製造していたのも「モンサント社」だ。こちらも知らなかったのだが、レイチェル・カーソンの有名な『沈黙の春』は、この「DDT」の危険性について警鐘を鳴らす作品なのである。

著:レイチェル・カーソン, 翻訳:青樹 簗一
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「モンサント社」は圧力を掛けてレイチェル・カーソンを潰そうとしたそうだが、ケネディ大統領がこの問題を調査、『沈黙の春』の記述がすべて正しいことを確認し、1973年に「DDT」の製造が禁止されたのだそうだ。この映画には、ケネディ大統領の甥だという弁護士が当時の状況について話をしており、非常に興味深かった。

このように「モンサント社」は、かなり以前から問題視されていた企業なのだと理解しておくことは重要だと思う。

さて、前置きが長くなりすぎた。それではここからようやく、映画『食の安全を守る人々』の内容に触れていこうと思う。

モンサント社は訴えられ、多額の賠償金の支払いが命じられた。しかし日本ではほとんど報道されていない

映画には、アメリカのとある学校で働く用務員が登場する。彼はモンサント社に対して裁判を起こし、日本円にしてなんと320億円という巨額の賠償金を勝ち取った

しかしそれは、決して喜ばしい話ではない。というのもこの男性、肌が恐ろしい状態になっていたのだ。こんな言い方をして申し訳ないが、とても人間の肌とは思えないような質感と色をしていた。肌そのものがデコボコしており、その色も緑や黒など普通にはありえない変色を見せている。彼の腕を表現するなら、「苔まみれのゴツゴツした大木」となるだろうか。医師から「T細胞リンパ腫(悪性リンパ腫)」と診断され、また末期がんでもあるという

そして、その原因こそ「ラウンドアップ(グリホサート)」であり、彼の健康被害に対してモンサント社の責任が認められた、というわけだ。

映画公開時点では、モンサント社との裁判に3名が勝訴しており、いずれも「320億円」「87億円」「2200億円」と日本では考えられない額の賠償金支払いが命じられた。そして係争中の裁判が12万件も控えているそうだ。

そして、こんなニュースに触れた記憶がないということにも驚かされた。モンサント社に初めて勝訴し、320億円の賠償金を勝ち取ったニュースは、世界中でトップニュースとして扱われたそうだ。であれば、日本の報道機関でも記憶に残るほど大々的に報じられていてもおかしくはない。映画を観た後でネットで調べるとヤフーニュースの記事が見つかったので、まったく報じられなかったわけではないのだろう。しかし少なくとも、トップニュースという扱いではなかったはずだ。

これは私の勝手な憶測だが、テレビCMを出稿してくれる大手企業だから、少なくともテレビでは扱いが小さくなったということではないだろうか。もちろん実際のところは分からないが、そう邪推してしまうほど、このニュースは世界的に大きく報じられたのだそうだ。

さて、裁判の話に戻そう。被害者が訴えを起こし勝訴できている現状はとても良いのだが、ここまで来るのには非常に時間が掛かった。そこには、アメリカでの裁判の難しさが関係するという。この点については、先ほど紹介したケネディ大統領の甥の弁護士が説明していた。

アメリカの裁判では、「科学的に証明されていないものは証拠として提示することができない」と決まっているという。つまり、「科学的な証拠」が無ければそもそも訴えることもできないというわけだ。そして、「科学的に証明される」とは、1件2件の事例を取り上げるだけでは不十分で、大規模な研究によってその正しさが示されなければならない。

つまり、「ラウンドアップ」による健康被害を訴える者がどれだけたくさんいたとしても、「ラウンドアップによって健康被害を受けたこと」が科学的に証明されていない内は、そもそも「訴えを起こすことができない」のだ。「訴えたところで負ける」という意味ではなく、そもそも裁判を開けないのである。

しかし2015年に状況が大きく変わった。アメリカのどこかの機関が、

動物実験においては、ラウンドアップによって確実にガンになることが判明している。だから、人間においても同じだろう。

という内容の発表を行ったのだ。これは決して、ラウンドアップによる人体への健康被害を直接証明する研究ではないものの、裁判所が門戸を開くきっかけにはなった。そしてこの発表を契機に次々と訴えが起こされ、勝訴する人物が出てきているというわけだ。

また、賠償金額が巨額になったのにも理由がある。裁判で「モンサント社の内部資料」が提出され、「ラウンドアップの危険性を認識していたにも関わらず、それを隠蔽していた」ことが示されたのだ。陪審員がこの点に怒りを覚え、「懲罰的損害賠償金」が大きく上乗せされることとなったのである。

このように、少なくともアメリカでは、「ラウンドアップは人体への健康被害を引き起こすこと」が認定されているというわけだ。この事実は重く受け止める必要があるだろうと思う。

アメリカからの日本への圧力?

「ラウンドアップ」の危険性が認識され始め、その成分である「グリホサート」は世界中で規制強化の動きが進んでいる。多くの国で、「グリホサート」の残留値基準の引き下げが行われているというのだ。つまり、これまで以上に「グリホサート」の残留値の基準を厳しくし、危険な食品を輸入しないよう対策を取っているのである。

しかし日本だけは逆に、「グリホサート」の残留値基準が引き上げられているという。以前よりも多くの「グリホサート」が残っていても輸入を認める、というわけだ。これは明らかに世界の潮流から逆行していると言っていい。

あくまで推測だが、その理由については、「アメリカから規制緩和への圧力が掛かっている」と考えるのが自然ではないだろうか。モンサント社はアメリカ企業であり、政府もその存在を無視できないということなのだろう。日本はアメリカに逆らえないのだなと改めて感じさせられた。

さて、「アメリカからの圧力」については、「食品表示」の話に最も驚かされたと言っていい。これは、映画を観ながら頭のなかに「?」がたくさん浮かぶ、実に奇妙な話だった。以下では、一旦「ラウンドアップ」から離れ、「遺伝子組み換え作物」についての話をしていこう。

日本では、「遺伝子組み換え作物に関する表示義務」が2023年から変わるという。どう変わるのか。まず現在のルールを確認すると、「『遺伝子組み換え作物の割合が5%以下』であれば『遺伝子組み換え作物を使用していません』と表示することが可能」という内容である。しかし2023年からは、「『遺伝子組み換え作物の割合が0%』の場合”のみ”、『遺伝子組み換え作物を使用していません』という表示が可能」となる

意味が分かるだろうか? 今までは、多少遺伝子組み換え作物が含まれていても、「遺伝子組み換え作物を使用していません」と表示できたが、2023年以降は、「遺伝子組み換え作物の割合が0%」でなければその表示ができなくなるのだ。

このままでは、何が問題なのか理解できない人もいるかもしれない。ちょっとでも入っているなら「使用していない」わけではないのだし、「遺伝子組み換え作物を使用していません」と表示したいなら、一切使用しないように努力すればいいのではないか、と感じる人もいるだろう。

しかしそういう問題ではない。何故なら、原材料を調達する段階で、「遺伝子組み換え作物の混入がまったく起こっていない」と証明することは不可能だからだ。つまり、「5%以下であれば」という現行のルールは、「予期せぬ混入があっても許容できるバッファ」なのである。しかしそのバッファが、2023年からは無くなってしまう。「遺伝子組み換え作物を使用していません」と表示するためには、原材料の調達時点で遺伝子組み換え作物の混入が一切起こっていないと証明しなければならないのである。

そしてそれは現実的ではない。なので2023年以降、「遺伝子組み換え作物を使用していません」と表示する企業は恐らく無くなるだろう、と考えられているという。

つまり、「遺伝子組み換え作物を100%使用した商品」も「遺伝子組み換え作物を使ってはいないが、原材料調達の段階で混入の可能性が0とは言えない商品」も、区別がつかない状態で店頭に並ぶことになるのである。

ルールをこのように改変するのは当然、「遺伝子組み換え作物をより広範に使用してもらうため」としか考えられない。そしてそうだとすれば、遺伝子組み換え作物を扱うバイオ企業を多数有するアメリカからの”圧力”があったと考えるのが自然ではないかと思う。

現行のルールでは、「遺伝子組み換え作物を”まったく”あるいは”ほとんど”使っていない商品」を選んで買うことができる。しかし2023年以降は恐らくそれができなくなるだろう。「遺伝子組み換え作物が危険かどうか」に関わらず、少なくとも、「消費者が選択して購入できる環境」は残っているべきではないかと思う。しかし、我々消費者から、その権利は奪われてしまうのだ。

このような事実は、より広く知られ、議論されるべきではないかと感じた。

「グリホサート」の危険性について

さて、再び「ラウンドアップ」の話に戻そう。

「ラウンドアップ」を製造するモンサント社は、「グリホサートは人体に蓄積せず、悪影響を及ぼすことはない」と主張し続けきた。そして、その主張を覆そうと、映画の中である調査の場面が映し出される。

「ラウンドアップ」の問題に取り組む国会議員23名を含む、計28名の毛髪を採取し、検査が行われた。すると、28人中19人の頭髪から「グリホサート」が検出されたのだ。これはつまり、我々が普段食べている作物から「グリホサート」を摂取していることを示している。

もちろん、その「グリホサート」が「ラウンドアップ」由来なのだと証明しなければモンサント社の主張を崩せない。しかし、映画の中でそう説明されるわけではないが、「体内に『グリホサート』が取り込まれる可能性は、除草剤由来しか考えられない」「『グリホサートを使用した除草剤』はモンサント社がトップシェアを誇る」のような理屈が恐らく存在するのだと思う。だから、「体内(毛髪)から『グリホサート』が検出されたこと」は、「モンサント社の問題」と直結するということなのだろう。

また「グリホサート」に関しては、非常に興味深い研究結果が示されていた。それは、「摂取した本人やその子どもに影響は出ないが、孫・ひ孫の世代に影響が現れる」というものだ。映画の中で、ラットを使った実験結果を発表する科学者が映し出される場面があり、孫・ひ孫世代のラットに様々な疾患が現れたと報告していた。

恐らくまだ、そこまで広範な実験が行われているわけではないのだろう。映画で紹介された研究成果だけでから「孫・ひ孫世代に影響が出る」と断言できるわけではなさそうだ。「因果関係が証明されているわけではない」というわけである。

しかし、まさにこれは、「因果関係が証明されるのを待ってはいられない問題」とも言えるはずだ。孫・ひ孫世代に影響が出るということは、今摂取した「グリホサート」の影響が分かるのは半世紀以上先ということになる。「実際に人体に悪影響が出ること」を確認してから対策するのでは遅すぎるだろう

また別の場面で、「『グリホサート』に限らず、農薬に含まれる化学物質が、脳にどのような影響を与えるかを調べるのは難しい」という話が出てくる。身体の他の臓器はともかく、脳の中を調べることはできないからだ。つまり、脳内で起こっていることについて、「科学的に因果関係を証明すること」は非常に困難だということになる。

しかし、だからと言って何もしないわけにはいかない。専門家は、「『ある化学物質が脳にも入り込むこと』、そして『その化学物質が脳内で悪影響を及ぼすこと』の2つが科学的に分かっているのであれば、『その化学物質を含む農薬が脳に悪影響をを及ぼすこと』もまた疑ってかかるべきだ」と映画の中で主張していた。その通りだと思う。

またそもそも、科学的知識を一定以上持っているだろう医師・専門家が、「科学的な証明なんか待っていられない」と主張していること自体に、状況の逼迫さを感じる。彼らは特に、子どもへの悪影響を懸念していた。子どもはほとんどの場合、食べるものを自分の意思で選択できない。親や学校の選択に委ねるしかないのだ。早い段階で大人が行動を起こさなければ、子どもへの悪影響が蓄積されてしまうだろう。特に子どもは、悪いものが脳へと入っていきやすいという。だから余計に注意が必要なのだ。

また映画では、学校給食の話題も取り上げられている。その話は、「グリホサートの残留値基準」に関する議論が行われる何かの専門部会の場で語られるのだが、そこで「輸入小麦は輸入米と比べて残留値基準が緩い」という指摘がなされていた。

映画の中でもその「残留値基準」の数字が説明されていたし、私もメモしたのだが、やり取りが早くて理解が追いつかなかったので、この記事では、以下の厚生労働省の資料の数字を基にしようと思う。

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/1225-2.pdf

そもそも、「グリホサート」を含む様々な農薬の「残留値基準」が2017年に改正されたそうだ。「輸入米」については改正前後で基準値は変わらず、「0.1ppm」のままである。これは、「0.1ppm以上のグリホサートが残留していたら、その米は輸入しない」という意味だ。

では小麦はどうか。改正前の数字で「5ppm」だった。既にこの段階で、米の50倍も許容されている。さらに2017年の改正でこれが「30ppm」に引き上げられたのだ。米と比べて、300倍多く残留していても輸入が認められるのである

この改正については、「世界の基準に合わせただけだ」という説明をネットで見かけた

上の記事を読めば、「小麦の基準を引き上げたこと」そのものを問題視するほどではないとも感じるが、この辺りの判断はなかなか難しい。特に小麦は、国内消費の80%以上を輸入に頼っている。だからこそ「国際基準に合わせなければ輸入に支障が生じる」わけだが、一方で、恐らく輸入小麦で作られている給食のパンや麺が子どもにどんな影響を与えるのか分からない怖さも感じるだろう

なにしろ先述した通り、「グリホサート」は摂取した本人ではなく、その孫・ひ孫に影響を及ぼす可能性が指摘されているのだ。給食のパンや麺経由で「グリホサート」を摂取することがどんな影響に繋がるか分かったものではない。もちろん、「グリホサート」が残留している可能性がある作物は小麦に限らない。2017年の改正では、とうもろこしやそばの基準も緩められた。給食以外の食事からも「グリホサート」を摂取しているだろうし、「食」全体を総合的に捉えなければ解決しないと思う。

ちなみに映画では、韓国の給食事情についても触れられていた。なんとは既に、学校給食はすべてオーガニック野菜を使用する形に変わっているらしい。一気に変わったわけではなく、「オーガニック野菜を教育現場に無償提供する」という条例を制定する市が出てきたことなどにより加速していったそうだ。映画では、千葉県いすみ市も取り上げられおり、給食には無農薬の米しか出さないと決まっているという。

「食」全体を考えなければならない問題であるとはいえ、まずは影響が大きいだろう「子どもの食」から手をつけることは有効だと思う。また、否が応でも食料を輸入に頼らざるを得ない日本だからこそ、改善可能な部分から手をつけていく必要があるとも言えるだろう。

「GMO」における「抗生物質耐性遺伝子」の問題

さて最後に、「遺伝子組み換え作物の危険性」について、この映画を観て私の意見が変わった点について書こうと思う。

「遺伝子組み換え作物」について私は元々、「安全かどうかはともかく、危険ではない」と考えており、その考えは、映画『モンサントの不自然な食べもの』を観た後も変わらなかった。モンサント社の問題は「ラウンドアップ(グリホサート)」であり、「遺伝子組み換え作物」そのものではないからだ。

また、『食の安全を守る人々』を観るまで、「遺伝子組み換え」と「ゲノム編集」の区別を正しくつけられていなかったこともあり、「どんな生物・植物でも、遺伝子の変異は常に起こっているのだし、それが人為的に行われたところで大した影響はないのではないか」とも感じていた。実際には冒頭で書いた通り、「ゲノム編集」は「自然界で起こり得る変異を人為的に起こすもの」だが、「遺伝子組み換え」は「自然界では起こり得ない変異を人為的に起こすもの」であり、技術として違いがある。ただその点を理解した後も、そこまで「遺伝子組み換え作物」に対する危険性の認識に対して変化はなかったのだ。

しかし『食の安全を守る人々』の中で「抗生物質耐性遺伝子」について説明がなされ、その話を理解したことで考えが変わった。ここではこの「抗生物質耐性遺伝子」について触れていこうと思う。また以下の文章では、「遺伝子組み換え作物」と「ゲノム編集作物」を特に区別する必要がない場合は「GMO」と表記することにする。

私はこれまで、「GMO」がどのように作成されるのかきちんと理解していなかった。この映画では、「遺伝子組み換え」や「ゲノム編集」に詳しい人物がその説明をしてくれる。私なりに理解した内容をまとめてみよう。

「GMO」を作成する場合に問題なのが、「操作が行われた細胞の一部しか遺伝子が改変されない」という点だ。例えば1000個の細胞に対して遺伝子の操作を行い、確率的にその内の500個の細胞で遺伝子改変が起こる場合について考えよう。当然だが、操作が行われた後、遺伝子が改変されたかどうか目で見て判別ができるわけではない。1000個の細胞の内、どの500個が「遺伝子改変に成功した細胞」で、どの500個が「遺伝子改変に失敗した細胞」なのか、見て判別する方法はないのだ。

ではどうすればいいのか。最もシンプルなのは、「遺伝子改変に失敗した細胞が死滅する」というやり方だろう。つまり、「生き残った細胞はすべて遺伝子改変に成功した」と判断できるわけだ。そして実際に、それが実現するような手法が取られている。

遺伝子操作というのは、ざっくり説明すると次のような感じで行われる。「ABCDE」という文字列がある場合に、「『C』を『Z』に変換しろ」という指令を行うことで「ABZDE」に変わる、というようなイメージだ。実際の操作では、「指令」はベクターという容れ物に入れられて細胞まで届けられる。そして、このベクターを取り込んだ細胞では遺伝子改変が行われ、ベクターを取り込まなかった細胞では遺伝子改変が行われない、となるわけだ

さらにこのベクターの中に、「指令」と一緒に「抗生物質耐性遺伝子」も入れておく。これはその名の通り、「抗生物質に耐性を持つ遺伝子」のことである。つまり、抗生物質にさらされても死滅しないというわけだ。

さて、「遺伝子改変に成功する」というのは、「ベクターが細胞内に取り込まれた」ことを意味する。つまり「遺伝子改変が成功した細胞内には、抗生物質耐性遺伝子も取り込まれている」というわけだ。

これで、「遺伝子改変に失敗した細胞が死滅する仕組み」を説明する準備が整った。流れはこうだ。「1000個の細胞」と、「『指令』と『抗生物質耐性遺伝子』を含んだベクター」を一緒にする。しばらくすると、一部のベクターが細胞内に入り、遺伝子を改変させるだろう。その後、この1000個の細胞すべてを抗生物質にさらす。すると、ベクターを取り込めなかった細胞だけが死滅するはずだ。このようにして、「遺伝子改変に成功した細胞」だけが残る、という仕組みである。

さて当然のことながら、このようなやり方で作られた「GMO」には「抗生物質耐性遺伝子」が取り込まれたままだ。つまり「GMOを摂取する」と必然的に「抗生物質耐性遺伝子も摂取する」ことになる

ではこの「抗生物質耐性遺伝子」は安全なのだろうか

正確には記憶していないが、映画の中で、「アメリカでは抗生物質耐性遺伝子によって年間35000人以上が亡くなっている」「日本では抗生物質耐性遺伝子によって年間8000人が亡くなっている」と説明されていた。しかも、アメリカでの調査では29種類の抗生物質耐性遺伝子が調べられたが、日本の調査ではたった2種類のみだったそうだ。映画に登場した専門家は、「コロナウイルスで大騒ぎしているが、この抗生物質耐性遺伝子も結構危険だと思う」というような言い方をしていた。

ただ、映画を観た後ネットで調べてみると、恐らくだが、「抗生物質耐性遺伝子が体内に取り込まれることで死亡している」わけではないようだ。先述した通り、「抗生物質耐性遺伝子」というのは「抗生物質が効かない遺伝子」という意味である。そして「抗生物質」は感染症の特効薬として使用されることが多い。つまり、「抗生物質が効かない遺伝子」が世に放たれることで、「抗生物質が効かない感染症」が生まれる危険性が高まり、その「抗生物質が効かない感染症」によって死亡する人間が毎年いる、ということのようである。

いずれにせよ、問題であることには変わりない。WHO(世界保健機関)も、「GMOの作成段階で抗生物質耐性遺伝子を使用すべきではない」と勧告していると映画では紹介されていた。

「抗生物質耐性遺伝子」を理解したことで、私はようやく「GMO」の問題を正しく捉えられるようになったと思う。

やはり、「遺伝子組み換え」や「ゲノム編集」と言った技術そのものが危険というわけではないのだ。もし、「『抗生物質耐性遺伝子』を使用しないGMOの作り方」が一般的になれば、問題はなくなるのだと思う。また、「抗生物質耐性遺伝子」も、それ単体で人体に悪影響を及ぼすわけではないのである。ただし、「抗生物質耐性遺伝子」を多用することで、「人類が太刀打ち不可能な感染症」が生み出されてしまう可能性は捨てきれないし、やはりそれは大きな問題だ。

「GMO」についてここまでの理解は及んでいなかったので、この映画で勉強できてとても良かった

「遺伝子組み換え」という言葉だけで忌避感を抱いてしまう人も多いかもしれないが、それは正しい感覚ではない。やはり問題は正しく理解しなければならないと改めて感じさせられる作品でもあった。

最後に

さて最後に、映画そのものへの不満を2つ挙げて終わりにしようと思う。

まず、「何故もっと画質の良いカメラで撮らないのか」と感じた。いまどきYouTuberだってもっとキレイな映像を撮ると思う。ドキュメンタリー映画には機動力が必要だろうが、小型のカメラだって今は性能が良いものがあるはずだ。広く作品を観てほしいと望むなら、もう少し頑張った方が良かったのではないかと思う。僕はさほど映像のキレイさにこだわるタイプではないが、「画質が悪い」というだけで観るのを止める人がいると思うので、もったいないと感じた

また、この映画では女優の杉本彩がナレーションを務めているのだが、個人的な意見では、ちゃんとナレーションのプロフェッショナルに頼んだ方が良かったのではないかという気がしている。杉本彩を起用したこには何らかの意図はあるのだとは思うが、映画のクオリティという意味ではちょっとマイナスになってしまっているように思う。

学びの多い良い映画だったが、この2点はどうしても気になってしまった。ちょっともったいないと思う。

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