【誤解】世界的大ベストセラー『ファクトフルネス』の要約。我々はデータも世界も正しく捉えられない

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 世界は我々が思い込んでいる以上に良い方向へと改善している
  • 我々が世界を悪く捉えてしまうのは、マスコミや不勉強のせいではなく、脳の仕組みに原因がある
  • 「これまでの自分は間違っていた」と正しく理解し、新たな一歩を踏み出すきっかけにする

著者が「遺書」代わりに世に放った渾身の1冊は、まさに世界を変え得る力を持つ作品だと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

我々がいかに世界を「悪く」誤解しているのかを明らかにする世界的大ベストセラー

世界中で売れており、日本でも既に100万部を超えるベストセラーなので、今更私が紹介する必要もない本だろうとは思う。しかし、ベストセラーだからと言ってすべての本が良書というわけではない。さらに、書店員を長く経験した私の印象としては、良書なのにベストセラーになれない本も多数存在する。

本書は、ベストセラーであり良書でもあるというなかなか稀有な1冊であり、多くの人が読むべき本だと思う。「知る」だけで世界を変えられるなんてことはほとんどない。しかし本書は、「人類は様々な思い込みを持っている。しかもそれらは、世界を実際以上に『悪く』捉えるものだ。そういう認識を止めれば、世界を変えられる」と説く作品であり、珍しく、より多くの人が「知る」だけで世界を変え得る知識だと言えるのだ。

そういう意味でも、本書が世界的なベストセラーになったことは非常に喜ばしいことだと言えるだろう。

13の質問と、その質問が明らかにする「誤解」

本書の冒頭に、世界の現状に関する13の質問が載っている。この質問にはネット上で回答することも可能だ(質問数は違うが)。興味がある方は、以下のリンクから飛んで確かめてほしい。

まずは私の結果から書こう。本書冒頭にある13の質問の内、最初の12個はすべて不正解、最後の質問だけ正解する、という結果だった。

実は、世界中の人を対象に行った調査で、ほぼすべての人が私と同じような結果だったことが分かっている。2017年に、14ヶ国12000人に対して行われたオンライン調査では、最後の質問の正答率だけ突出して高く、最初の12個はほぼ不正解だった。私と同じように12問すべて不正解だったのは全体の15%、全体の平均正答数は12問中2問に過ぎなかったという。

この正答率が異常に低いことを理解してもらうために、チンパンジーに登場してもらおう。それぞれの設問は3択であり、チンパンジーが適当に答えても確率的に33%は正答するはずだ。実際、バナナをご褒美にチンパンジーにも回答してもらったことがあり、33%に近い正答率になったという

一方、12問中2問という人間の正答率は16.7%だ。つまり、チンパンジーに負けているというわけである。

この結果に対して、こんな風に勘ぐる人もいるだろう。世界中で行われているということは、知能の低い人も含めて調査されているはずだ。であれば、知能が高い人に限れば違う結果が出るのではないか、と。

しかしもちろんこの点についても調べられており、知能が高い人に限っても結果は変わらないことが分かっている。学歴が高い人や国際問題に関心がある人でも全体の平均とさほど変わらない結果であり、中には、一般人の正答率を下回る成績を出した医療関係者やノーベル賞受賞者もいたという。つまり、頭の良し悪しや関心の度合いの差ではない、ということだ。

この13の質問は、特定の機関が秘密裏に保管しているデータなどもちろん一切使っておらず、誰でもネットで確認できる公開情報しか使われていない。そういう意味で、すべての人が同じ土俵に立っているのであり、どんな立場の人にも関係する話なのである。

この13の質問こそが著者のスタート地点だった。著者は、まずは学生に、それから様々な機会を見つけては経営者や国のトップに同じ質問を投げかけ、その答えがことごとく間違っていることに気づくことになったのだ。ここから著者の奮闘が始まることとなる。

13の質問が明らかにした、「世界を実際よりも悪く捉えてしまう」という問題

13の質問内容は「世界の飢餓・医療・貧富の差などがどのような状況にあるか」を問うものだ。そして、最後の質問以外の12問すべてに不正解した私は、自分が世界を以下のように捉えていることを認識することとなった。

世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう。

どうだろう、あなたも同じように考えてはいないだろうか? 確かに、報道やネットニュースなどで伝えられる情報を様々に繋ぎ合わせると、このような世界像が立ち上がってくるような気がしてしまう。

著者はこのような世界の捉え方を「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼ぶ。そして、このように「実際以上に世界を悪く捉えてしまう」ことによって、様々な弊害が起こっているのではないかと本書は指摘するのだ。

ではそもそも、どうして我々はこのように世界を見てしまうのだろうか

著者は当初、「知識のアップデート不足」が原因だと考えていた。子どもの頃に、学校で知識を学ぶ。その知識が大人になってからも更新されないまま残り続けるが故に、世界を悪いまま捉えてしまっているのではないか、と。

しかし著者は、確かにそういう側面もゼロではないが、本質的な問題ではないということに徐々に気付いていく。そして最終的に著者は、「これは、人類の脳の問題なのだ」という結論にたどり着くのである。

人間の脳は、何百万年にもわたる進化の産物だ。わたしたちの先祖が、少人数で狩猟や採集をするために必要だった本能が、脳には組み込まれている。(中略)同じように、瞬時に何かを判断する本能と、ドラマチックな物語を求める本能が、「ドラマチックすぎる世界の見方」と、世界についての誤解を生んでいる。

つまり、「自分を取り巻く環境を悪く見積もっておくこと」は、人類にとって必要な能力だったというわけだ。確かに、太古の昔から人類の脳がそのような判断をしているのであれば説明はつくだろう。

そしてこのことを理解した著者はその後、この「ドラマチックすぎる世界の見方」と闘っていくことになる。しかしその話の前にまず、このような世界の見方が実際にどのようなマイナスを生んでいるのかについて触れておこう。

例えば本書では、「生理用ナプキン」の話が登場する。需要と供給の不一致の話だ。

本書では、レベル1からレベル4までの世界の貧困レベルの区分が紹介される。大雑把に言えば、レベル1は「最貧困層」であり、レベル2以降は「日常的に必要なものはある程度手に入る」という水準だ。レベル4でさえ「1日32ドル以上の生活」という程度であり、発展途上国の人々でもこのレベル4の水準に入る人はいるだろう。

さてここで生理用ナプキンが出てくる。レベル1の人は残念ながら生理用ナプキンにお金を掛ける余裕はないのだが、レベル2以降であれば充分可能なのだ。そしてここ数十年でレベル1からレベル2~3に脱することができた人は膨大な数に上る

つまり、レベル2~3の人たちからの生理用ナプキンの潜在的な需要は莫大なのだ

しかし世の中にはレベル4向けの生理用ナプキンしかない。レベル2~3の人たちが買いやすいと感じる生理用ナプキンがそもそも存在しないのだ。

何故存在しないのか。それは生理用品メーカーが「レベル1~3の生活水準」を大差ないものと捉えているからだ。レベル3までの人はどうせ生理用ナプキンを買えないだろうという思い込みから、レベル4の人にばかり生理用ナプキンを売ろうとする。

しかし本書によると、レベル4の生活をしている人が10億人なのに対して、レベル2~3の合計で50億人いるそうだ。レベル2~3の人たちを視野に入れるだけで、市場が5倍に広がるのである

「決して裕福とは言えない人たち向けの生理用ナプキンの開発」については、インドにもの凄い成功例があることをご存知だろうか。その実話が『パッドマン』という映画になっているので是非観てほしい。

本書に書かれている事例の中から「生理用ナプキン」の話を選んだのには理由がある。「日々ビジネスチャンスを血まなこになって探しているだろう営利企業が、『ドラマチックすぎる世界の見方』のせいで利益を失っている」という現実は問題をシンプルに伝えやすいと考えたのだ。

世界には貧困や飢餓など様々な問題があるが、その解決が進まない理由が「ドラマチックすぎる世界の見方」にあるなのか、あるいは「ただ関心がないだけ」なのかを区別するのは難しい。しかし、民間企業が関わる話であれば、「関心がない」という理由はありえない。だからこそ、生理用品メーカーが生理用ナプキンの市場を見逃していることは、純粋に「ドラマチックすぎる世界の見方」が原因なのだと判断しやすいと思う。

このように「ドラマチックすぎる世界の見方」は、ビジネスとも関わりがあるのだ

世界を実際より悪く”見せられている”のではなく、”見てしまっている”のだと知ることが大事

「ドラマチックすぎる世界の見方」は、マスコミの報じ方が原因ではないかと考える人もいるだろう。しかし著者は、当然そのような疑問が出ることも想定している。

メディアが嘘をついているとか(嘘をついているわけではない)、歪んだ世界観を植え付けようとしているとか(確かに歪んでいるかもしれないが、わざとではない)責めたくなっても、そんな衝動に負けてはいけない。専門家が自分の狭い分野や領域にとらわれすぎているとか、考え方が間違っているとか(間違うこともあるが、たいていは善意からだ)責めるのもやめよう。

本書では人間が陥りがちな「10の思い込み」が挙げられているのだが、その中の1つに「犯人捜し本能」がある。何かが起こった時に、その原因となる「犯人」を探し求めてしまう本能のことだ。しかし、この「ドラマチックすぎる世界の見方」に「犯人」はいない。メディア関係者や専門家にも同じ13の質問をぶつけることで、著者は、彼らもただ単に「知識不足」なだけ、と判断しているのだ。

著者の次のような指摘には、なるほどと感じさせられるのではないだろうか。

事実に基づいた世界の見方をメディアに教えてもらおうなどと考えるのは、友達の撮った写真をGPSの代わりにして外国を観光するようなものだ。

難民や戦争など、自分ではどうしても目にすることが難しく、メディアの力を借りなければ得られない情報ももちろんある。しかし基本的には、「自分で確かめる」というスタンスを持たなければならないというわけだ。当たり前の主張かもしれないが、現代社会に生きていると失念してしまいがちな視点だろう。

本書の巻末には、共著者の1人(主著者の娘)のこんな文章がある。

『ファクトフルネス』を通じて人々に伝えたいのは、情報を批判的に見ることも大事だけれど、自分自身を批判的に見ることも大事だということ。

私たちはどうしても、「自分は悪くない」というスタンスで様々な言動をしてしまいがちだ。しかし、世界を正しく捉えるためにはまず、「自分自身を批判的に見ること」が重要だという指摘は、本書の随所に登場する。

例えばこんな具合だ。

ただひとつの解にやみくもに賛成したり、どんなときでもかならず反対したりしていると、自分の見方に合わない情報から目を背けることになる。それでは現実を理解できない。
むしろ、自分が肩入れしている考え方の弱みをいつも探したほうがいい。これは自分の専門分野でも当てはまる。自分の意見に合わない新しい情報や、専門以外の情報を進んで仕入れよう。

私自身は普段からなるべくこういう意識を持つようにしているつもりだ。「自分にとって都合の悪い情報」の方にこそ価値がある、とさえ考えている。都合の良い情報を調べる方法はいくらでもあるが、都合の悪い情報は意識しなければ入手できないからだ。とはいえ、このように指摘されることで改めて、自分のスタンスを捉え直してみようと思わされた。

著者の訴えが真摯に耳に届く理由

著者は長い間「世界の見方を変えさせる闘い」に身を捧げ、その度に「あなたの物事の見方は間違っているかもしれない」と指摘し続けてきた。本書でもそのような指摘は繰り返される。読者としては耳の痛い話ではあるが、しかし彼の主張はスッと耳に入ってくるだろう。

その理由は、著者が随所で自らの「過ち」について告白していることにあると思う。それは、「世界の捉え方」を誤ったせいでどこかの誰かの命を奪っているかもしれない、という後悔だ。本書で著者は、35年間誰にも言うことができなかったという懺悔を告白してもいる。

彼が本書にここまで強い想いを込めている理由が当初は理解できなかったが、最後まで読んで理解できた。

父と私たち夫婦の3人で一緒に本を書こうと決めたのは、2015年9月のことだった。翌年の2月5日、父は末期のすい臓がんを宣告された。もう手の施しようがないほど進んでいた。余命はあと2ヶ月から3ヶ月。緩和治療が奇跡的にうまくいったとしても、1年ほどしか持たないだろうと診断された。

この文章を書いているのは主著者の娘であり、主著者のハンスは本書出版時点で既に亡くなっていたのである。

このことを知ると、冒頭でハンスが著す、

この本は、わたしにとって本当に最後の闘いだ。何かひとつ世界に残せるとしたら、人々の考えを変え、根拠のない恐怖を退治し、誰もがより生産的なことに情熱を傾けられるようにしたい。

という宣言中の「最後の闘い」の意味がようやく理解できるようになる。本書は著者にとって「遺書」のようなものなのだろうし、だからこそ、そこに込められたメッセージが一層力強く読者に届くことになるわけだ。

そんな想いの詰まった作品には、著者の様々なメッセージが込められており、正直、この記事で触れた内容など全体のほんの一部でしかない。書きたいことは山程あるが、この記事では最後に、「謙虚さ」と「好奇心」に関する著者の考え方に触れて終わろうと思う。

謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と「知りません」と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。謙虚になると、心が楽になる。何もかも知っていなくちゃならないというプレッシャーがなくなるし、いつも自分の意見を弁護しなければと感じなくていい。
好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。自分の考えに合わない事実を大切にし、その裏にある意味を理解しようと努めることだ。答えを間違っても恥とは思わず、間違いをきっかけに興味を持つことだ。「どうしてそんな事実も知らなかったんだろう? この間違いから何を学べるだろう? あの人たちはバカじゃないのに、どうしてこんなことをしているんだろう?」と考えてみることだ。好奇心を持つと心がワクワクする。好奇心があれば、いつも何か面白いことを発見し続けられる。

私は本や映画に触れることで、「自分がいかに何も知らないか」を知り、「世界では本当に様々な出来事が起こっている」と実感できるようになった。これからも「謙虚さ」と「好奇心」を忘れずに世界に触れていきたいと思う

最後に

本書は、「あなたはこれまで、間違ったレースに参加していた」と気づかせてくれる作品だと言っていいだろう。100メートル走の選手がやり投げのスタートラインに立っていたり、走り出す方向が逆だったりしていたようなイメージである。

つまり、本書を読むことは「正しいスタートラインに立つこと」でしかないのだ。本書を読んでから、「正しいレース」が始まる。そのレースにどう挑むかは、あなた次第だ。

これまでの自分は誤りだったと素直に認め、「世界を正しく捉える」ための正しい道への一歩を踏み出そう

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