【あらすじ】死刑囚を救い出す実話を基にした映画『黒い司法』が指摘する、死刑制度の問題と黒人差別の現実

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:マイケル・B・ジョーダン, 出演:ジェイミー・フォックス, 出演:ブリー・ラーソン, Writer:デスティン・ダニエル・クレットン, Writer:アンドリュー・ランハム, 監督:デスティン・ダニエル・クレットン
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • アメリカでは、「黒人を力で抑圧するための手段」として「死刑制度」が使われてきた
  • 「死刑存置州では殺人事件の発生率が上昇する」という驚くべきデータ
  • 困難をなぎ倒しながら、「困っている人のための役に立ちたい」という信念を貫き通した若者の奮闘

「司法による人種差別」が全米で最も酷いとされるアラバマ州の現実には驚かされた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

アメリカの「死刑制度」と「黒人差別」は繋がっている。死刑囚を救い出す団体の創設者の実話を基にした映画『黒い司法 0%からの奇跡』

映画『黒い司法 0%からの奇跡』の主人公ブライアン・スティーブンソンは実在の人物であり、「EJI(Equal Justice Initiative)」という団体を立ち上げた人物だ。「EJI」は、「死刑囚の救済」に特化した団体である。死刑囚を弁護し冤罪を証明したり、出所した元囚人を支援したりするのは当然のこと、「死刑が求刑されるかもしれない事件を担当する弁護士のためのマニュアル作成」なども行っているという。現在でこそ、年間予算3700万ドル(約40億円)、150名以上のスタッフを擁する大所帯となっているが、当初はブライアンと死刑囚支援に熱心な白人女性の2人しかおらず、死刑囚の弁護を担当するだけでも一苦労だった

そんなブライアンが、どのようにして死刑囚支援の道を志し、いかにして無実の死刑確定囚を獄中から救い出し、さらに「EJI」を設立するに至ったのか。その実話を基にした物語だ

しかし、映画の内容に触れる前にまず、上映後に行われたトークイベントの内容に触れたいと思う。映画の内容を補完するものであり、アメリカにおける「死刑制度」が「黒人差別」と結びついていることを指摘する、非常に衝撃的な話だった。

アメリカでは、「死刑制度」と「黒人差別」は密接に結びついている

私が映画『黒い司法 0%からの奇跡』を観たのは、ユーロスペースで行われた「第11回死刑映画週間」というイベントでのことだ。死刑に関する映画が上映された後で、関連するトークイベントが行われるという趣向で、『黒い司法』では庄司香氏が登壇した。学習院大学でアメリカ政治を研究している方だそうだ。

大学の授業で出てくるようなスライドを利用した、かなり本格的な「講義」といった雰囲気で、「映画の内容を補完する」という役割などなくても、それ単体で非常に面白い内容だった。調べてみると、そのトークイベントの動画がYouTubeにアップされていたので、興味がある方はそちらを見てほしい。

それでは、トークイベントで語られた内容に触れていこう

ご存知のようにアメリカでは、かつて黒人は奴隷として使役されていた。奴隷制度が撤廃され、「白人と黒人は同じ権利を有する」と定まってからも、当然だが、白人側の意識がすぐに変わったはずがない。そもそも当初は、「ジム・クロウ法」と呼ばれる、「あからさまに白人を優遇する法律」さえ存在していた。黒人には入ることが許されない施設が存在したり、公共バスでも前の方には白人しか座れないなど、白人優位の振る舞いが法律上も認められていたのだ。

とはいえ、白人優位の状況が当然のように実現したわけではない。奴隷でなくなった黒人は、同じ権利を持つはずの白人から虐げられ、不満を溜め込んでいく。そして、黒人の不満がいつ暴発するか分からないと白人は考える。そこで白人は、「暴力」や「恐怖」によって黒人を支配することにした。

それがいわゆる「リンチ」と呼ばれるものだ。日本語の「リンチ」は、「集団で個人に暴力を振るう」ぐらいの意味だろうが、アメリカでは明確に「白人が法的根拠なく黒人を暴力的に支配する行為」のことを指す言葉として使われる。アメリカではこれまで、様々な「リンチ事件」が発生し、白人の暴力によって多数の黒人の命が奪われてきた

しかし、あまりにも過激になっていった「リンチ」は、次第に白人の間でも問題視されるようになっていく。そのため、「リンチ」ではない別の手段が求められるようになっていった。そしてその手段こそが、なんと「死刑」だったのである。「リンチ」を行えなくなった白人が、黒人を逮捕・起訴し、死刑判決を下すことで、「リンチ」の代わりとして機能させるようになったのだ。

決してそれだけが理由ではないのだが、アメリカの刑務所にはとにかく黒人の囚人が多い。「アメリカに住む黒人男性の3人に1人が、生涯で少なくとも1度は刑務所に入る」というデータが存在するほどだ。確かにこの数字は白人と比べて圧倒的に高いが、しかし一方で、アメリカの白人にも囚人は多い。「白人男性の17人に1人は、生涯で少なくとも1度は刑務所に入る」とも言われている。1クラス35人の教室に、刑務所入りする者が2人もいると考えると、かなりの数だと感じるだろう。

そう、そもそもアメリカは囚人の数が多すぎるのだ。その数全米で220万人。日本の囚人は約5万人であり、日本よりアメリカの方が3倍ほど人口が多いとはいえ、220万人というのは異常な数字と言える。アメリカ人は、世界人口のたった5%に過ぎないが、世界中の囚人にアメリカ人が占める割合は25%にも上り、アメリカで刑務所に使われる予算は870億ドル(約10兆円)にも上るという。

このように「黒人の問題」に限らずとも、アメリカにはそもそも「囚人に関わる様々な問題」が存在するのである。

さて、映画の舞台はアラバマ州なのだが、ここは全米の中でも、人口比で死刑執行率が最も高い州だという。さらに、司法における人種差別が激しいことでも知られている全米で、最も司法制度に問題がある州だと言っていいだろう。囚人に関する様々な問題を抱えるアメリカという国において、その問題が凝縮されているのがアラバマ州だというわけだ。

ちなみに、州によって法律が異なるアメリカでは、死刑制度に対するスタンスも異なっている全米で、23の州が死刑制度を廃止した。残りの27州の内、6州は死刑執行の停止(モラトリアム)を宣言、8州はモラトリアムの宣言こそしていないが近年死刑執行を行っていない。よって、今も定期的に死刑が執行されるのは、全米で13州に限られているのだという。

「死刑制度」には具体的なメリットは存在するのか?

州ごとに法律が異なるという点を利用して、「死刑制度」に関して次のような問いを投げかけることができる。「死刑制度は果たして、犯罪抑止に役立っているのか」だ。

ここまで見てきた通り、アメリカにおいて「死刑制度」は、「黒人差別の新たな形」として利用されてきた経緯がある。しかし一般的には、「死刑制度」は「犯罪抑止」を期待して導入されるはずだ日本も、先進国としては珍しく死刑存置国である。個々人は様々な価値観で「死刑制度」を捉えるだろうが、国家としては、やはり「死刑という最高刑が存在することで犯罪抑止に繋がっている」というのが建前だろう。

ではアメリカにおいてどのような結果になっているのだろうか。なんと、「死刑存置州の方が殺人事件の発生率が高い」ことが明らかになっているのだ。また、30年間に及ぶ様々な研究を総合してみても、「死刑には、社会の安全に対する抑止効果はない」と結論付けられているという。

こうなってくると、「死刑制度をリンチの代わりに利用しているアメリカ」だけではなく、死刑存置国である私たち日本にも関わる問題だと言えるだろう。「死刑に犯罪抑止効果がない」ならば、どのような理屈で死刑制度を継続し得るのか。私たち自身も考えなければならない。

アメリカでは今、死刑判決も死刑執行も減少傾向にあるという。陪審員も検事も死刑を避けたいと思っているし、「仮釈放なしの終身刑」という選択肢が生まれたことで、益々その流れに拍車が掛かっているのである。死刑判決が下された者に対しても、その執行が先延ばしになっているのが現状だ。アメリカは少しずつ変わり始めているのかもしれない。

また、コスト面からも死刑制度への疑問が突きつけられている

日本ではどうか知らないが、アメリカでは「死刑は不可逆的なプロセスなので、誤りを排除するためにすべてのステップが慎重に進められるように設計されている」のだという。もちろん、この映画の舞台である1987年当時は違ったはずで、徐々にそういう仕組みが作られていったということだろう。そんなわけで「死刑裁判」は、期間は通常の4倍、費用は通常より1億円も多く必要になるそうだ。

死刑制度が存在しても殺人事件は減らず、税金はより多く使われる。果たして、そんな制度を維持する価値など本当に存在するのだろうか? アメリカでは既にそのような議論が生まれているそうだ。今後、死刑を存置している州でも何か動きがあるかもしれない。

このようなアメリカの死刑制度に関する話が、上映後1時間近くに渡って説明された。映画を観ただけでは理解できない現実に触れられている非常に濃密な内容であり、私としては非常にためになる時間だった。

そしてこの映画は、そんなアメリカで死刑囚支援に全力を費やす若者の奮闘が描かれる物語である。

映画の内容紹介

映画が始まって、ものの1分もしない内に、ウォルター・マクシミリアン(通称ジョニー・D)は逮捕から死刑宣告までを経験する。まったく身に覚えのない、クリーニング店で18歳の少女ロンダが殺害された事件の犯人としてだ。この事件は、アラバマ州モンロー郡史上最も凶悪な事件の1つとして認識されており、住民を恐怖させていた。しかし、事件発生から1年が経っても、警察は容疑者を検挙できないでいたのだ。警察には恐らく、そんな焦りもあったのだろう。ジョニー・Dが犯人であることを示す物証など何もなかったが、警察は白人の重罪犯を脅して虚偽の証言をでっち上げ、黒人のジョニー・Dを逮捕したのである。それからは流れ作業のように、死刑判決まで一直線だ。

もちろん彼は、判決が出てからも無実を訴えた。しかし、住民を恐怖させ続けた事件ということもあり、誰もこの件に関わりたがらない。住民としては、「ジョニー・Dが犯人だ」と考えて安心したいのである。それ故、彼を助けようという者はなかなか現れなかった。

そんな火中の栗を拾う決断をしたのがブライアンだ。ハーバード大学を卒業した秀才でありながら、「困っている人の役に立ちたい」と心の底から考える人物であり、わざわざ別の州からアラバマへと引っ越してまで、無実の死刑囚の支援を行うと決めた。

その決断の背景には、学生時代の経験も関係している。彼には、囚人弁護委員会の使いとして同い年の黒人死刑囚と話をした経験があった。そして、自分と同じような境遇で生まれ育った人物が、理不尽な形で囚われの身になっている現実をなんとかしたいと感じたのだ。

ブライアンを支援してくれたのは、同じく死刑囚の救済活動を行っている白人女性だけだった。しかし彼らは、最初から躓いてしまう。彼女が2年間の賃貸契約を交わした物件の使用が突如拒否されたのだ。貸主は、「死刑囚の相談のためなんかに使われるなんて聞いてない」とご立腹だ。その後もブライアンは、「ジョニー・Dの件から手を引け」と脅迫を受けるなど、困難な状況下で支援を行わなければならなくなってしまう。

しかし、最大の問題はジョニー・D本人だったブライアンが差し出す支援の手を掴もうとしないのだ。しかしそれも無理はない。これまでも彼の元には、力になると言う弁護人がたくさんやってきた。しかし、どいつもこいつも何をするわけでもない。ブライアン、お前はあいつらと何が違うんだ? ジョニー・Dはそんな不信感にさいなまれていたのである。

そんな、まさに「孤軍奮闘」と言う他ない状況で、ブライアンはその第一歩を踏み出す

まずはなんにせよ、「再審請求」を通さなければ話が始まらない。しかしなんと「警察の妨害」に遭ってしまう。「再審請求」に必要不可欠な証言を行えるはずの人物を、警察が「偽証罪」で逮捕したのだ……。

映画の感想

映画のあらゆる描写に驚かされたが、やはり最も凄まじいと感じたのは、モンロー郡の人々の様々な言動だろう。

私は、一般市民に対しても違和感を抱いてしまったが、しかし仕方のない反応であるとも思う。犯人が捕まっていない状態は不安だし、犯人が捕まったとなれば安心できるという気持ちは当然の感覚だろう。住民からすれば、「警察が犯人だと言うなら犯人なのだろう」と考えるしかない。実際には、ジョニー・Dは犯人ではないので、彼を拘束したところで、クリーニング店の事件を起こした真犯人は野放しのままだ。ただ、一般市民の感覚としては理解できないでもない。

また、ブライアンが様々な人物に協力を求める中で、「遺族のためなら協力するが、死刑囚のためには何もしたくない」という反応が多数向けられる。この感覚も、仕方ないものかもしれないと思う。

ただ、保安官や警察、検事はどんな風に感じているのだろうかと考えてしまった。彼らは、ジョニー・Dが犯人でないことをほぼ間違いなく知っている。「容疑者を逮捕できない無能な警察」という評価を回避するために、無実の人間を無理やり犯人に仕立て上げているからだ。

そのことに、彼らの良心は一切痛まないのだろうか? その辺りのことが、私には上手く想像できない。

ブライアンが面会した死刑囚たちは、自身に「死刑判決」を下した裁判について口々に語る

「犯罪者は死刑でいい」と判事は笑っていた。

「有罪かどうかは顔で分かる」(と言われた)

裁判はたった45分で終わった。

証言する機会も与えられなかった。

その中でも、最も凄まじいと感じたのがこの言葉だ

犯人はニガーだ。だから、お前が無実でも、ダチのために犠牲になれ。

こんなことがまかり通っていいはずがないだろう

ほんの一瞬しか描かれなかったが、白人の中には良心に従った行動を取った者もいる。事件現場であるクリーニング店に最初に駆けつけた警察官は、後に「死体の状態について虚偽の証言をしろ」と命じられたそうだが、それを拒否した。素晴らしい。しかしその後彼は、警察を辞めさせられてしまった

このような圧力の存在を知ってしまえば、良心に沿った行動を取ることも難しくなるだろう。改めて、アメリカ社会における差別の問題の根深さを実感させられた。

映画『黒い司法 0%からの奇跡』の原題は『JUST MERSY』である。トークイベントでは「公正な慈悲」と直訳されていた。この原題には、「たとえ死刑囚であっても、『公正な慈悲』は与えられるべきだ」という意味が込められている。そしてブライアンは、その実現のために奮闘した。

そんな困難に立ち向かった1人の男の、信念と希望の物語である

出演:マイケル・B・ジョーダン, 出演:ジェイミー・フォックス, 出演:ブリー・ラーソン, Writer:デスティン・ダニエル・クレットン, Writer:アンドリュー・ランハム, 監督:デスティン・ダニエル・クレットン
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最後に

色んな意味で「死刑制度」には問題がある。そのことを強く実感させる映画だった。繰り返すが、日本は先進国の中でも珍しい死刑存置国である。そして、民主主義国家である以上、「私たち国民の意志が死刑を存続させている」と考えるべきだ。「死刑制度」は決して、私たちと無関係な問題ではないのである。

「自分は死刑判決が下るような罪を犯さないから関係ない」という態度では、社会は何も変わらない。「死刑を存続させること」に価値があるのかどうか正しく議論をし、社会で結論を導くべきだろう

そのためのきっかけになる作品だと感じた。

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