【性加害】映画『SHE SAID その名を暴け』を観てくれ。#MeToo運動を生んだ報道の舞台裏(出演:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:キャリー・マリガン, 出演:ゾーイ・カザン, 出演:アンドレ・ブラウアー, 出演:サマンサ・モートン, 出演:ジェニファー・イーリー, Writer:レベッカ・レンキェヴィチ, 監督:マリア・シュラーダー, プロデュース:デデ・ガードナー, プロデュース:ジェレミー・クライナー, プロデュース:レクシー・バルタ
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

この記事の3つの要点

  • ハーヴェイ・ワインスタインとジャニー喜多川には共通項が多く、この映画で描かれるのは、まさに今私たちが直面している現実と同じだと言える
  • 性加害を行った個人に非があるのは当然だが、それだけではなく「システム」にも問題があり、その改善こそが重要
  • 「見て見ぬふりをしないこと」は非常に困難であり、だからこそ「知ってて何もしなかった人たち」を非難するだけでは何も変わらない

アメリカはハリウッドの問題を自国で炙り出したが、日本は外圧があるまでジャニー喜多川の問題を取り上げられなかった。この違いは、とても大きいと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

ハリウッド最大の性加害問題を明らかにし、#MeToo運動のさきがけとなった女性記者を描く映画『SHE SAID』の凄まじいリアル

ジャニー喜多川の性加害問題に揺れる今の日本において、映画『SHE SAID』の存在は非常に重要だと言えるだろう

この記事を書く数日前、ジャニーズ事務所が記者会見を行い、創業者・ジャニー喜多川による性加害を認め、謝罪した。それ以降、テレビやSNSなどでは、この問題が大きく取り上げられている。そしてこの問題はまさに、本作で扱われる事件と酷似しているのだ。

映画『SHE SAID』の背景にあるのは、ハリウッドで絶大な影響力を持った映画プロダクション「ミラマックス」の創業者ハーヴェイ・ワインスタインによる、女優らに対する性加害問題である。ハーヴェイ・ワインスタインが主役というわけではなく、彼を追い詰めたニューヨーク・タイムズの女性記者2人の物語だ。彼女たちの報道により、世界中で「#MeToo運動」が広がり、様々な業界における性被害の実態が表に出てくるようになった。そのきっかけとなった報道に焦点を当てた作品である。

ジャニー喜多川の問題は、マスコミの問題であるとも言われる。ジャニー喜多川による性加害を知りながらそれを取り上げず、問題にもしなかったからだ。さらに、そんな性加害を行っている人物が作った事務所のアイドルを優遇し、テレビ番組でその人気を利用していた。ジャニー喜多川による性加害問題を調べた特別委員会も、「『マスコミの沈黙』にも大きな問題があった」と指摘していたはずだ。

『SHE SAID』は、社会がどんな状況にあろうがすべての人が観るべき映画だと私は感じるが、しかし、ジャニー喜多川による性加害問題がこれほど世の中を激震させている今こそ、まさに観るべき作品だと言えるだろう。ハーヴェイ・ワインスタインは、自国の報道機関であるニューヨーク・タイムズによって追い詰められた。しかし、日本におけるジャニー喜多川の性加害問題は、イギリスBBCの報道をきっかけにしなければ恐らくここまで大きな問題にはならなかったはずだ。これは端的に、「日本では、マスコミによる自浄作用が働いていない」ことの証であると言っていいだろうと思う。

ハーヴェイ・ワインスタインと違うのは、ジャニー喜多川はもう亡くなっているということだ。最大の加害者であり、最も責められるべき人物は、もういない。もちろん、加害者が亡くなろうが被害者がいなくなるわけではないので、その被害認定や補償などの問題は残り続ける。しかし、ジャニー喜多川が既に亡くなっている以上、日本は「何を最終目標としてジャニー喜多川の問題を取り上げるか」を考えなければならないだろう。

そしてその最大の焦点となるべきは、間違いなく「『第2のジャニー喜多川』そして『性加害による新たな被害者』を、いかに出さないようにするか」しかないはずだ。

ハリウッドの場合、当然ハーヴェイ・ワインスタインに最大の問題があるのだが、それと同時に『SHE SAID』では、法システムにも問題があると指摘される。つまり、「ハーヴェイ・ワインスタインを退場させたとしても、彼が悪用した法システムが残るのなら、また同じことが起こり得る」ということだ。

日本でも今、「ジャニー喜多川という性加害者」以外にも様々な問題が指摘されている。しかし今、私が報道やSNSをざっくり見ている限りでは、「ジャニー喜多川は最低だ」「ジャニーズ事務所は解体しろ」みたいな論調のまま進んでしまいそうな怖さを感じる。もちろん、その批判の手を緩めろなどと言っているわけではない。そうではなく、「ジャニー喜多川やジャニーズ事務所以外の『問題』にも目を向けなければ、結局『第2のジャニー喜多川』の登場を防げないだろう」と主張しているのだ。

そのようなことを改めて認識する意味でも、『SHE SAID』は観ておくべき映画だと私は思う。

「法システムにこそ問題がある」という、『SHE SAID』で描かれる問題の本質

映画では、2人の女性記者がハーヴェイ・ワインスタインの性加害問題を追っていく。1人は出産を経てから合流するので、最初は女性記者1人での取材だった。

彼女は、ハーヴェイ・ワインスタインに性加害を受けたかもしれない人物、あるいは当時彼と一緒に働いていた人物など、かなりの人数の関係者に話を聞きに行くのだが、そのほとんどが「彼の話は出来ません」という反応になる。断り方は様々だが、「弁護士に関わるなと言われている」「協力は出来ないけど、幸運を祈ってる」「誰も話したがらないでしょうね」みたいな反応ばかりが返ってくるというわけだ。

もちろん中には、「ニューヨーク・タイムズにはこれまで酷い扱いを受けてきた」と語る人もいたし、あるいは、「これまでずっと声を上げ続けてきたのに、誰も聞いてくれなかった」と恨み節を返す人もいた。このように、「あなたには話したくない」という反応になることも多少はあるのだが、しかしこれはほとんど例外と言っていい。大体の人が、「話せない」という言い方になるのだ。

彼らは決して、「話したいけど、勇気が出なくて話せない」のではない。この「話せない」は、「話したいけど、理由があって話せない」という意味なのだ。性被害はセンシティブな問題なので、「話す勇気が出ない」という反応になる方がまだ理解できるように思う。しかしそうではなく、「勇気とは関係のない別の理由から話せない」というのだ。その背景が理解できるだろうか?

その理由が「示談」である。単なる示談ではない。「秘密保持契約」を含んだ示談なのだ。そして、その契約の条項に従うと、「話せない」ということになってしまうのである。

ハーヴェイ・ワインスタインを取材する女性記者2人が直面した最大の問題こそ、この「秘密保持契約」だった。彼女たちが話を聞きたいと考えたそのほとんどの人が秘密保持契約を結んでおり、「協力したくても出来ない」という状況に置かれていたのである。

「示談などせず闘えばいいじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、話はそう単純ではない。そもそも、弁護士に相談するとほぼ確実に「示談」を勧められてしまう。本人が法廷で争いたいと望んでいたとしても、弁護士が積極的に示談を勧めてくるのだ。それはある意味で当然だろう。弁護士は、示談金の40%の報酬を手に出来るからだ。法廷で争うような面倒なことをするより、示談で済ませる方が弁護士としては「コスパが良い」のだろう。

また、ハーヴェイ・ワインスタインが狙うのが、社会に出て間もない若い女性ばかりだということも大きい。自身の身に起こった性被害に対して、若い女性ほどどう対処したらいいか分からないものだろう。そして、そんな状況で弁護士に相談すれば、積極的に示談を勧められるのだ。そうなるとなかなか、「示談は嫌です。法廷で争います」などとは言えないだろう。もちろん、ハーヴェイ・ワインスタインはそのような状況を理解しつつ性加害を行っていたのだ。

また、被害女性の中には、示談を選ぶことで「勝った」というような感覚を得る者もいたそうだ。何故なら、示談にするということは、「私は性加害を行いました」とハーヴェイ・ワインスタインに認めさせることになるからである。確かに、その事実だけを捉えれば「勝った」と言えるかもしれない。しかし結局は、「秘密保持契約」を結ばされ、外部に一切この話をしてはいけないと「沈黙」を強いられることになってしまうのだ。示談を済ませた後、状況を正しく理解できるようになると、「勝った」という感覚からは遠ざかってしまうだろう

そして何よりもやはり、示談を選ばざるを得ない最大の要因は、ハーヴェイ・ワインスタインがハリウッドの「絶対権力者」だったという事実にある。ハリウッドで仕事をしたければ、彼に嫌われるわけにはいかないのだ。法廷で争って勝てたとしても、ハリウッドでは完全に干される。女優であれ映画制作者であれ、自身が夢見てきた世界をすべて諦めなければならないのだ。一方で、示談にすればハリウッドに残れる。加害者と同じ業界にいなければならないが、「それでも夢を諦めたくない」という人たちは、示談以外に選択肢はないと考えたのだと思う。

取材を続けていく中で記者は、このような「システム」の存在を理解していったのである。

何故「ハリウッド女優の性被害問題」を新聞で取り上げることにしたのか?

映画『SHE SAID』は先述した通り、2人の女性記者がハーヴェイ・ワインスタインの性加害問題を追う物語だ。元々1人で取材を行っていたのがジョディ・カンター。そして出産後に合流したのが同僚のミーガン・トゥーイーである。ミーガンはトランプ元大統領の性加害問題を記事にした記者としても知られていた。つまり彼女は既に、被害女性たちから話を聞き、その声を紙面に載せることに成功していたのだ。だからジョディは、ハーヴェイ・ワインスタインの被害者たちから話が聞けない状況に困り果てていたこともあり、ミーガンに相談に乗ってもらっていた。そして出産を経て、2人はタッグを組んで取材に当たることになったというわけだ。

映画の中で、ミーガンがジョディに質問する場面が描かれる。彼女が、ジョディと共にハーヴェイ・ワインスタインを追おうと決断する、まさにその状況でのことだ。ミーガンは、「何故ハリウッド女優を取り上げるのか」と問い質した女優たちは、一般人以上に発言する場がある。SNSなどでも大きな影響力を発揮することが出来るはずだ。しかし世の中には、自身の窮状を訴えることさえ出来ない人たちがたくさんいる新聞は、そういう「名もなき人々」を取り上げるべきなのではないか。そう聞いているのだ。

それに対してジョディは、「ハリウッドの女優ですら沈黙させられている。だったら一般の女性は?」と返す。実際ハーヴェイ・ワインスタインは、女優だけではなく、自身の会社であるミラマックスの従業員にも手を出していた。被害者は女優だけではないというわけだ。そのやり取りを経て、ミーガンは決意を固めたのである。

そしてその後、ハーヴェイ・ワインスタインによる性加害の「システム」が明らかになるにつれて、「これは、ハーヴェイ・ワインスタイン個人や、ハリウッドという特殊な業界に限る問題ではない」という認識に変わっていった。こうして一層、新聞が取り上げるべき問題だという理解が広がっていくことになったのである。

ジャニー喜多川の問題も、人によってはもしかしたら、「華々しい世界を目指す人たち、あるいはテレビという特殊な業界に関わる人たちの問題」という風に矮小化して捉えていたりするかもしれない。しかし決してそうではないだろう。少なくともジャニー喜多川の問題は、「男性の性被害」に大きく焦点を当てたと言っていいはずだ。ジャニー喜多川の性加害を伝えるニュース番組の中でも、学校で性被害を受けた人物のインタビューを流しているのを見たことがある。彼は、「その時は、自分が性被害者だという自覚さえなく、その後そのような認識を得られたので病院やカウンセリングに足を運んだが、『男性の性被害』に対する理解が無さすぎて追い返された」みたいな話をしていた。ジャニー喜多川の性加害問題は決して限定された問題などではなく、「『男性の性被害』を訴えにくかった社会」という、より広い問題をも炙り出したと言っていいはずだ。

このような視点で状況を捉えることはとても重要である。

さて、映画のタイトルである『SHE SAID』の「SHE」には、様々な含みがあるだろうと思う。ニューヨーク・タイムズの女性記者が話を聞こうとした女性たちや、彼女たちの記事が世に出て以降、世界中で巻き起こった「#MeToo運動」で被害を告発した女性たちのことも含んでいるだろう。

しかし映画の中には、まさに「She said ◯◯.」というセリフが出てくる場面がある。つまり、ある意味でこの「SHE」は特定の女性を指しているとも言えるのだ。そして、私にとってそのセリフが出てくる場面は、映画の中で最も感動的なシーンだったと言っていい。さすがにこのセリフの直後は、号泣させられてしまった

誰もが「傍観者」になり得る社会で、「見て見ぬふり」をせずに行動を起こすことの難しさ

映画の中で、「ハーヴェイ・ワインスタインの示談金は、ミラマックス社が支払っていた」という話が出てくる。これはなかなか異常な話と言っていいだろう。示談金の額もとんでもなく、1度の額が100万ドルを超えることもあったそうだ。

しかし問題なのは金額ではない。より重要なのは、「社長の性加害を、少なくとも財務担当は知っていた」という事実の方である。これはあくまでも「『多くの人が見て見ぬふりをしていたこと』を客観的に示せる事実」として取り上げたにすぎず、実際のところ、ハーヴェイ・ワインスタインによる性加害は、ハリウッドでは有名だったそうだ。「公然の秘密」というわけである。

この点も、まさにジャニー喜多川の問題と相似形を成すと言っていいだろう。

今の若い世代はどうか知らないが、この記事を書いている時点で40歳の私は、昔からなんとなく「ジャニー喜多川による性加害」を認識していた。いつどこで知ったのかは覚えていない。人生のどこかで、ジャニーズ事務所の暴露本や、あるいはそれらを取り上げた週刊誌記事などを目にしたことがあったのだと思う。

なんとなくだとはいえ、私でも知っていたということは、当然、テレビや芸能の世界では「公然の秘密」だったと言っていいだろう。先日のジャニーズ事務所の会見では、井ノ原快彦がとにかく見事な存在感を放っていたが(この記事の本題とはまったく関係ないが、彼は「本当のことを喋っていると感じさせる力」が尋常ではなく高いと思う)、彼が会見の中で「ジャニー喜多川の性加害について知っていたか」と問われた際、「言い訳になるかも知れませんけども、何だか得体の知れないそれには、触れてはいけないという空気がありました」と答えていたのが印象的だった。ジャニー喜多川やジャニーズ事務所に近い関係の人であればあるほど、同じような感覚を抱いていたと考えるのが自然だろう。

つまりこれは、「多くの人による『見て見ぬふり』によって成立した犯罪」と言ってもいいのだと思う。

さて、私は決して、「『見て見ぬふり』をしていた奴らはけしからん」などと批判したいわけではない。そのことを示すためにまず、少し前に私が経験したある出来事について触れておこう。まさに私自身が「見て見ぬふり」の当事者になってしまった経験である。

ある朝、出勤するのに電車に乗ったところ、私が乗り込んだドアのすぐ近くで女性が床に倒れていたのだが、その倒れ方がなかなか異様だった。片膝を折り曲げた状態で仰向けになっていたのだ。確かに、「酔っ払って床に倒れた」とギリギリ解釈出来なくもない状況ではあったが、しかし普通に考えれば「何かマズイことが置きている」と感じさせるような状態だったと言っていいだろう。

もちろん私は、電車に乗ってすぐに女性が倒れていることに気づいたし、普通の倒れ方ではないということも理解できた。しかしそれでも私は、駅員や救急車を呼ぶなどといった行動を一切取らなかったのだ。理由は明確にある。その女性は明らかに、私が電車に乗り込む前に倒れていたのだから、同じ車両にいた誰かが「倒れた場面」を目撃したはずだと考えたのだ。

私が乗る電車は都心に向かうのとは逆方向なので、通勤時でもかなり空いているのだが、それでも、座席がすべて埋まる程度には乗客がいる。だから、「その中の誰かが『倒れた場面』を見たはずだし、その上で何の行動も起こしていないのであれば、きっと大きな問題はないのだろう」と考えたのだ。

私以外の乗客がどう考えていたのかは分からないが、結局女性が異様な格好で倒れたままの状態で電車は動き出した誰も何もしようとしない。1人、確か私と同じ駅で乗った女性だったと思うが、彼女が倒れた女性に少し声を掛けている様子が横目で見えた。しかし彼女もやはり、私と同じような思考だったのだろう。それ以上の行動を取ることはなかった。

その後、2つ先の駅で乗ってきた女性が勇敢にも行動を起こす。電車内から救急車を呼んだのだ。次の駅で電車は長めに停まり、倒れていた女性は運ばれていった。その後については知らない。

私はこの時、心理学の世界で非常に有名な「キティ・ジェノヴィーズ事件」のことを思い出していた。「傍観者効果」を説明する際に必ず引き合いに出される事件である。1964年にニューヨークで起こった、女性が夜大声で助けを求めたがその後亡くなってしまったという殺人事件だ。その後の調べで、その女性の叫び声を聞いていた者が38名いたことが明らかになった。しかしその誰もが「自分以外の誰かが行動を起こすだろう」と考え、通報など自発的な行動を取らなかったのだ。このような人間心理には、「傍観者効果」という名前が付けられている。

私は、ノンフィクションやドキュメンタリー映画が好きでよく触れているし、世の中に存在する不正義みたいなものに抗いたいという気持ちを持っているとも思っていた。気分的には「正義の味方」のつもりだったのである。しかし、電車で倒れた女性に対して何も出来なかったという経験を経て、「何か不正義が行われていても、それに抗うような行動を取れないかもしれない」と自信を無くしてしまった。明らかに異常を感じさせる形で倒れている女性に対してさえ、何も行動出来なかったのだ。そんな自分が不正義に対して声を上げることなど出来るのか、分からなくなってしまったのである。

ハーヴェイ・ワインスタインの悪行は、多くの人が知る「公然の秘密」だった。ジャニー喜多川による性加害も恐らく同様だろう。しかしそれでも、何十年にも渡って誰も声を上げなかった。確かにその状況は常軌を逸しているし、明らかに間違っているとも思う。しかし同時に、「じゃあ、自分がそれを知る立場にいたとして、何か出来ただろうか?」と考えると、何も言えなくなってしまう。

「知っていたけれど何もしなかった人たち」のことを悪く言うのは簡単だ。しかし、そうやって批判できるのは、「たまたま自分がそこにいなかった」からに過ぎない。「自分がその場にいたら、絶対に声を上げていた」と断言できる人など、世の中にどれぐらいいるのだろうか。

世論が味方についているだろう今は、ジャニー喜多川の性加害問題について発言するハードルは以前より大幅に下がっていると言えると思う。しかしそこに至るまでの過程においては、「声を上げたのに黙殺された」「声を上げようとしたら圧力を掛けられた」みたいな事例は様々にあったのだろうし、そういう状況を知れば知るほど「沈黙せざるを得ない」と感じてしまったはずだ。また、私が電車内で経験したように、「自分以外の誰かが適切な対応を取っているはずだ」と考え、「自分は何もしない」という選択をした人たちだってたくさんいるだろう。

「目の前の問題に見て見ぬふりをせず行動しよう!」と言うのはあまりに簡単だ。しかし、は必ずしも常にそのようなスタンスで行動できるとは限らない。だからこそ、「法律やシステム」もセットで整えなければならないのである。人間の良心や正義感に依存した仕組みではなく、それらとは関係なしに自然と自浄作用が働くような状況を作り出さなければならないというわけだ。

この映画は、そのような認識をもたらす作品でもあると言えるだろう。

取材の凄まじい困難さと、記者たちのあまりに大変な奮闘

さて、ここまで説明してきたような状況下にあるハーヴェイ・ワインスタインの性加害問題については、誰も何も語りたがらない。話をしてくれる人もいるが、「オフレコで」と言われてしまうので記事には使えないのだ。これでは、ハーヴェイ・ワインスタインを追い詰めることなど出来ない。

映画はひたすら、2人の女性記者の視点で描かれていく。彼女たちは、それまで知らずにいた現実を理解して絶望し、しかし一方で、聞いた話を記事に出来ない状況に悩む。取材を続けていく中で様々な人物の名前が挙がりはするが、結局誰に話を聞いたところで口が重いことに変わりはない。彼女たちも取材の過程で、「秘密保持契約」にこそ問題があると理解していった。だからこそ、被害女性たちに無理強いするわけにもいかない。そのような状況の中で、取材を続けなければならないのだ。

私は以前、『ニューヨーク・タイムズを守った男』という本を読んだことがある。ニューヨーク・タイムズの社内弁護士だった人物が著したノンフィクションだ。多くの新聞社では社内弁護士が、記者が持ってきたテーマについて、「法的に訴えられる可能性があるから取り上げるのを止めよう」と提言することが多い。しかし著者は、ニューヨーク・タイムズにおいては、「この件を報じるために、どうやって法的なリスクをクリアすればいいのか」という観点からアドバイスすることに注力していたそうだ。

メディアには「権力の監視」という重大な役割があり、それはつまり「権力者の不正や悪事を告発すること」を意味する。しかし一方で、彼ら権力者にも当然、「その報道は誤りだ」と法的に訴える権利があるのだ。訴訟大国アメリカでは、日本人が想像する以上にそのリスクが高いと言えるだろう。

だからこそ、ハーヴェイ・ワインスタインを追う女性記者たちには、「書類」と「検証」が求められた。要は「客観的にチェック可能な確実な証拠」が必要というわけだ。それが無ければ、どんな不正も報じることが難しくなる。

しかし一般的に、性被害は証拠が残りづらい。そのため、他の犯罪と比べてその取材は格段に難しくなると言える。

映画の中で、恐らく実際に録音されたのだろう、ハーヴェイ・ワインスタインがある女性とやり取りする音声が流れた。女性をホテルに呼び、どうにか上手いこと言いくるめて手籠めにしてやろうという思惑が詰まったやり取りだ。この音声は「警察が仕掛けたおとり捜査」によって録音されたものだそうで、警察はこの録音データから「事件性がある」と判断した。しかし検察は、「この音声テープは、犯罪の証拠にならない」と見做し、起訴が取り下げられたようだ。

確かにその音声には、「性加害そのもの」の状況が記録されているわけではない。しかし、「性加害そのもの」の証拠を掴むなど、相当に困難だろう。この音声データが「証拠にならない」と判断されるのであれば、性被害における「証拠集め」は相当に難しいと考えざるを得ない。

あるいは、映画ではこんな状況も描かれていた。ある女性は、香港で働いている時にハーヴェイ・ワインスタインから性被害を受けた。恐らく元々はイギリスに住んでいたのだろうその女性は、香港からイギリスに戻った後、イギリスで彼の性加害を訴えようと思い立つ。しかしイギリスの警察から、「あなたは香港で通報していない。だから性被害の証拠がない」と言われ、そもそも訴えを起こすことが出来なかったのである。

このように、被害を受けた当事者でさえ「確実な証拠」を手にするのが困難なのだ。であれば、その調査を行っている記者が「確実な証拠」を手に入れるのは一層難しいと容易に想像が出来るだろう。映画を観て何よりもまず、このような困難な取材をやり切ったという事実を称賛したいと感じた。

また、映画を観ながら印象的だったのが、取材に当たる女性記者2人の昼夜問わずの電話対応だ。もちろん、自ら出向いて様々な人に話を聞いてもいるのだが、それだけではなく、あらゆる時間に電話が掛かってもくるのである。もちろん休日でもお構いなしだ。家族で公園で遊んでいたり、寝ている時でさえ、取材に関わる電話が常にやってくる。プライベートなんてほとんどないような状況だっただろう。

特に、出産を経て復帰したミーガンの大変さは想像に余りある。生まれたばかりの赤ちゃんの子育てをしながら、取材対応に当たらなければならないのだ。ミーガン自身は上司との面談で、「仕事に復帰することで気が紛れる」みたいなことも言ってはいる。産後鬱みたいな状態がかなりしんどかったからだそうだ。しかし仮にそうなのだとしても、出産直後の復帰戦としてはあまりにも忙しすぎるのではないかと思う。

映画の中では、そんな彼女たちの忙しさをユーモラスに描く場面があり、とても印象的だった。ジョディがキッチンでパソコンを眺めていて、その向かいで夫が食事をしている場面だ。夫は彼女に色々と話しかけるのだが、彼女はほとんど聞いていないような生返事を返しながら調べ物に熱中している

そんな彼女に夫が、「実は浮気してるんだ」と声を掛けるのだ。これはもちろん、「ちょっと手を止めて飯でも食いなよ」と妻を案じるセリフである。そして彼女も、夫の気遣いを理解しパソコンを閉じた。まさにこの場面は、そんな言い方でもしなければ妻の意識を引き戻せないほど取材にのめり込んでいたことが伝わるシーンだと言えるだろう。

本当に、よくもまあそんな取材を走り抜けたものだと思う彼女たちの報道をきっかけに「#MeToo」運動が世界的に盛り上がったのだから、その苦労が報われたと言えるのではないかと思う。

出演:キャリー・マリガン, 出演:ゾーイ・カザン, 出演:アンドレ・ブラウアー, 出演:サマンサ・モートン, 出演:ジェニファー・イーリー, Writer:レベッカ・レンキェヴィチ, 監督:マリア・シュラーダー, プロデュース:デデ・ガードナー, プロデュース:ジェレミー・クライナー, プロデュース:レクシー・バルタ
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最後に

本当に観て良かったあまりに胸糞悪い現実が描き出される作品だが、そんな現実に立ち向かい、社会に一石を投じる取材を行った女性記者たちのお陰で、世の中は少しはマシなものになったのではないかと思う。

この記事の中で何度も触れたが、日本は今、ジャニー喜多川の性加害問題で大いに揺れている。まさに映画『SHE SAID』で描かれているのと重なるような状況にあると言っていいだろう。そして、これから重要になってくるのは、「未来にどう変化をもたらしていくか」である。日本の現実とこれからの未来を知る上でも、この映画の存在はとても重要だと感じさせられた。

最後に。ミーガン役の女優に見覚えがあると思ったら、後で調べて、映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』の主演の人だと分かった全然印象が違う。そのことにももの凄く驚かされた。

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