【現実】映画『私のはなし 部落のはなし』で初めて同和・部落問題を考えた。差別はいかに生まれ、続くのか

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「私のはなし 部落のはなし」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事の3つの要点

  • 見た目では判断できない「部落出身」という性質が何故差別を生むのか、私にはまったく理解できなかった
  • 「部落解放運動」と「同和対策事業特別措置法」が、「部落差別」を別のステージへと引き上げることになった
  • 映画に登場する、「『部落』に住む様々な人たち」の体験談がとても興味深い

いずれにせよ、「自分も差別感情を抱いている」と自覚することが、すべての「差別」に向き合う第一歩なのだと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

私にはどうしても、同和・部落問題が理解出来ない。映画『私のはなし 部落のはなし』から、長く続く差別の実態を知る

「面白かった」という表現が適切ではないタイプの作品だと理解しているが、「興味深かった」という意味でとても面白い作品だった。上映時間は205分とかなり長く、観るのに少し躊躇したが、観て良かったと感じられた作品だ。

「私には理解不能としか言いようがない部落差別」とは、一体何なのだろうか?

「部落差別」や「被差別部落」という言葉を初めて知ったのがいつだったのか、正確には覚えていないが、恐らく最初は学校の授業だったんじゃないかと思う。そしてその時はたぶん、何も考えていなかった。というのも、私が知らないだけかもしれないが、私が生まれ育った地域には恐らく、そういう問題が存在しないはずだからだ。だからそもそも、問題そのものが上手くイメージ出来なかったのだと思う。その後現在に至るまで、どういう形で「部落差別」「被差別部落」という言葉に触れてきたのかも覚えていないのだが、断片的に何か新たな知識を得る度に、「意味不明な問題だな」と感じてきたのである。

映画を観る前の時点で私が知っていたのは、通り一遍の知識でしかない。江戸時代に「穢多非人」の身分だった人たちの子孫が今でも差別を受けていること。そういう方々がまとまって住む「部落」と呼ばれる地域があり、昔から屠殺や皮革業など、一般的に「誰もやりたくないと感じる仕事」を引き受けていた(押し付けられていた)こと。私が知っていたのはこの程度のことだ。

穢多非人の身分は、1871年(明治4年)に“表向き”廃止された250年以上も前のことである。もちろん、今まさに争いが激化しているイスラエルとパレスチナのように、どれだけ時間が経とうとも解決されない問題はあるわけで、経過した時間の長さなど関係ないと言えば関係ない。しかし正直なところ、私は部落差別に対して、「祖先が穢多非人だったから何なの?」みたいにしか感じられないため、そんな「差別」が現代に至るまで250年間も続いているという事実に、ちょっと驚愕させられてしまうのである。本当に、まったく意味が分からない

さて、私はそのような状態で本作『私のはなし 部落のはなし』を観た。そして、「納得」などという状態に達したわけではもちろんないものの、少なくとも「今まで理解できなかったこと」が少しは解消されたと言えるだろうと思う。私のような素人でも十分理解できるくらい、その背景的な部分がかなりきちんと描かれている作品だと感じた。

しかし、この記事を読んでいただく上で注意してもらいたいことが1つある。それは、「これから私が書く文章はあくまでも、『映画を観て私が解釈したこと』に過ぎない」ということだ。非常にセンシティブな問題であるし、また、「部落差別が未だに続いている」という事実を踏まえれば、「『そういう差別を良しとしている人』が世の中にはたくさんいる」と考えるのが妥当だろう。となれば、私とはまるで異なるものの見方をしているはずだ。そういう人には恐らく、この記事は馴染まないと思う。タイトルにある通り、この記事はあくまでも「私のはなし」でしかないのである。なので、「私が書いた文章」だけから映画『私のはなし 部落のはなし』の内容を判断することだけは止めてほしいと思う。

さて、映画の内容に触れる前に、私自身の「部落差別」に対するスタンスについてもう少し触れておくことにしよう。

まず私は、「目の前にいる人が『被差別部落出身』だと知ったとして、それだけを理由に差別感情を抱くことはない」と考えている。ただ、あくまでもこれは「予想」でしかない。というのも私はこれまで、「あの人は被差別部落出身だ」と誰かに言われたことも、「私は被差別部落出身です」と自ら口にする人と出会ったこともないからだ。それどころか、生まれ育った場所やその後住んだいくつかの地域を含め、誰かから「あの辺りは部落だ」みたいに聞かされたことさえない。だから、「実際にそういう人に出会った時にどういう反応になるかは正直分からない」というのが正直なところだ。ただ一方で、「何の知識も思い込みも先入観も無いのだから、差別感情を抱きようがない」とも考えているのである。

さてもう1つ。部落差別に限らない「差別」全般に関しての話にも触れておこう。

私は基本的に、「どういう人に対しても、特段『差別感情』を抱いていない」という自覚でいる。LGBTQや障害者など、一般的に「差別感情を向けられやすい人たち」に対しても、単に「LGBTQ/障害者だから」という理由で差別意識を持つことはないと考えているのだ。もちろん、個別に誰かを嫌いになったり疎ましく感じたりすることはあるが、それは別に「LGBTQだから」「障害者だから」というわけではない、という意味である。

ただ一方で、「『差別感情を抱いていない』という自覚」の恐ろしさについても認識しているつもりだ。「差別感情」は「本人が自覚できるもの」ではなく、「それを向けられた人が感じ取るもの」だと私は理解している。なので、私が「差別感情など抱いていない」と「自覚」していても、そんな私に対して「差別感情を抱いている」と感じる人がいてもおかしくはないと考えているのだ。

作中には、兵庫県の食肉センター長が、

差別意識を持っているという自覚を持つことが大事なんや。

と口にする場面があるのだが、まさにその通りだと思う。

そんなわけで私は、「差別感情を持ってはいないはず」と思いつつ、同時に、「必ずしも、他者からもそう見られているとは限らない」とも考えているというわけだ。これが、この記事を書いている私の「現在地」であり「大前提」である。この辺りのことを理解しつつ、この記事を読んでいただけるとありがたいと思う。

まずは問題を「差別する側の人間」の性質で分類する

さてまずは、「差別する側」の分類から始めたいと思う。これは、私が抱く「部落差別ってマジで意味が分からない」という感覚をより適切に理解してもらうために行うものだ。「差別する側」を分類することで、状況が少し見えやすくなるだろう。

「部落差別」に関して、「差別する側」が持ち得るだろう性質を、私は以下の3つに分類したいと思う。

  • そもそもあらゆることに対して「差別感情」を抱いている人(対象は「部落差別」に限らない)
  • 「人間という存在」に関して、「血の繋がり」を特段に重視している人
  • その他の人(①でも②でもない人)

そして私はこの記事において、①と②の人を除外して考えようと思う。ではこの辺りの話から始めていこう。

まず①の人について。彼らはとにかく、「理由に拘わらず、他人を差別したい」というマインドの人である。動機は様々だろう。「誰かを貶めること」によって「自身の全能感」みたいなものを感じたいのかもしれないし、あるいは、「誰かを貶めること」でしか自分を上手く肯定できないのかもしれない。こういう人にとっては、何か「それなりの人数が共感してくれるだろう理由」があれば、差別感情を向ける対象は誰だっていいのだろう。そして、こういう人のことを「部落差別」の問題と併せて議論するのは無駄なので、この記事では除外したいと思う。

②の人を除外する理由は、「時間の問題」だと考えているからだ。洋の東西を問わず、「血縁」は常に重視されてきたと思うが、昔と比べれば、今の日本ではそのような感覚はかなり薄れていると言えるのではないかと思う。もちろん、都市部と地方とではまだ大きな差はあるだろうし、あるいは、いわゆる「上流階級」みたいな世界ではまだまだ血縁が重視されている印象もある。ただやはり、「血の繋がりが云々」みたいに言っているのは主に年配の人だと思うし、若い世代になればなるほどそういう感覚を持つ人は少なくなるはずだと思う。

作中では、「結婚差別」について触れられる場面がある。本作には、実際に部落出身だという若者が顔出しで登場し様々な話をするのだが、彼らはやはり、恋愛や結婚に際して「部落出身」であることが障害になる経験を有している。ただその話をよく聞いてみると、「相手の親から反対された」という話ばかりで、「部落出身であることを理由に、付き合っている本人から拒絶された」という話はほとんどなかった。作中では1人だけ、撮影時50代だった女性が、自身が若い頃に付き合っていた人に「部落出身」だと告げたら、それを理由に恋愛を解消されたという話をしていたのだが、語られていたのはそれぐらいだったように思う。

結婚の際に「部落出身」かどうか気にするというのはやはり、「一族に部落の血が混ざること」を嫌悪していると考えていいだろう。そして、「相手の親が反対するだけで、付き合っている本人は部落出身であるかどうかなど気にしない」という状況の方が多いとすれば、時間経過と共に「結婚差別」は少なくなっていくはずだ。であれば、「血の繋がりが云々」みたいなことを言っている人たちについても、あまり深く考える必要はないだろうと私は判断した。

このように①②の人たちについては、「確かに問題ではあるが、考えても仕方がない」という意味で、議論の対象から外している。そして私がこの記事の中で議論したいのが、③の「その他の人」である。①②を除外しているのだから、この③の人たちというのは、「差別感情を基本的には抱くことがないし、『血の繋がり』を特に重視しているわけでもないが、『部落』だけは許容できない」タイプというわけだ。そして私には、こういう人たちが「部落」の一体何を忌避しているのか、どうしても理解できなかったのである。

私が抱く「理解できなさ」を、もう少し具体的に説明する

さて、この③の人に対する「理解できなさ」を、もう少し具体的に書いていくことにしよう。

本作に登場する80代ぐらいの男性が、かつて近隣の住民に次のような話をしたことがあると口にする場面がある。

俺の背中に「部落出身」って書いてあるか? ないじゃろ。だったらわからんじゃろ。

本当にその通りだと思う。私が抱く疑問は、主にこの点に集約されていると言っていい。

さて、この点を深堀りする前に、まずは映画を観る前の時点での私の認識に触れておこう。私は「『部落出身と見做されるか否か』は、『両親(のどちらか)が部落出身であるかどうか』で判断される」のだと思っていた。つまり「『血の繋がり』こそが『差別の対象か否か』を判断する要因」だと考えていたのである。

しかし映画を観ていて、どうもそうではなさそうだと感じる場面があった。大阪府箕面市には北芝という地域があり、そこはどうやら「部落」なのだそうだが、作中にはその北芝出身の若者3人が話す場面がある。そしてその内の1人が、

生まれたのは箕面市だけど、その後北芝に引っ越してきた。北芝に住んでいたことがあるから、自分も差別されるのかな、と。

みたいな発言をしていたのだ。彼は母親に「何故北芝に引っ越すことにしたのか」と聞いたことがあるそうだが、母親は「なんか便利だから」程度の返答だったという。それ以上詳しくは触れられなかったが、恐らく、「親族の誰かが北芝出身だったから」みたいなことではないのだと思う。しかしそれでも、「部落とされる場所に住んでいたことがある」という事実が「差別の対象になるかもしれない」という恐れを引き起こしているというわけだ。

さてそうだとすれば、「血の繋がり」の問題ではないことは明らかだろう。まあそれは、ちょっと考えてみれば当然の話ではある。「血の繋がり」など、外見から判断できるはずがないからだ。そしてだからこそ、「部落地域に住んでいるか(住んでいたか)」という、外から見て判断できる要素が「差別」の基準になっているということなのだと思う。

この辺りの話は、京都市の元職員の話からも理解できるだろう。

後で詳しく触れる話だが、「部落差別」の問題に対処するために政府は、1969年に「同和対策事業特別措置法」を制定した政府は「部落」を「同和地区」と言い換えたのだが、この法律は要するに「部落出身の人たちの生活改善の手助けをしよう」という目的で制定されたものである。制定後の33年間で、16兆円の公金が使われたそうだ。

さて、この事業において一番問題となったのは、「この法律が適用される『部落出身者』は、一体誰のことを指すのか?」である。作中では元職員が京都市の例を挙げていたのだが、同市では「属地属人」を基本方針としていたという。これは要するに、「同和地区に住んでいる(住んでいた)人」を「部落出身者」と認定したという意味である。より具体的には、

  • 世帯主の本籍が同和地区にある
  • 親戚の本籍が同和地区にある
  • 戦争以前から同和地区に住んでいる

ような条件で判断されたのだそうだ。

作中で語られていたのはあくまでも京都市の事例だけであり、全国の他の地域も同様だったのかについては映画の内容からは判断できない。ただネットで調べてみると、「部落解放同盟は、『属地属人』主義に反対していた」みたいな記述が出てくるので、恐らく全国的に採られたスタンスだったのではないかという気がする。要するに、「そういうやり方でしか『部落出身』かどうかを判定できなかった」ということなのだと思う。

その元職員は、

どこまでいったら部落民なのか分からない。だから逆に言ったら、差別される印も根拠も何も無いんですよね。

という言い方をしていた。本当にその通りだろう。「『住んでいる地域』でしか判別出来ないような理由で差別が起こっている状況」こそが最もおかしなことだと私には感じられてしまうのだ。

私が感じる「理解できなさ」は、まさにこの点にある。外見からは「部落民(ここでは「穢多非人の子孫」という意味)」かどうかを判断する方法は無い。だから最初は、「部落に住んでいる人は部落民である可能性が高いから遠ざけておこう」という程度の判断だったのだと思う。というか、そうとしか考えられない。そして、「その程度」でしかない差別が250年間も続いているのだ。これは本当に、私にはあまりにも理解不能な意味不明すぎる状況なのである。

「『部落差別』が問題になっていく過程」は、大きく2つの段階に分かれているのではないか

映画を観て私なりに、「『部落差別』の問題は、大きく2つの段階に分かれているのだろう」と理解した。

最初の段階は、鑑賞以前から理解していた通りの「穢多非人の流れ」である。恐らく当時は、特に「血の繋がり」が忌避されていたのだと思う。もちろん今でもそのような忌避感は残っているわけだが、本記事ではその点について取り上げないと決めたので触れはしない。

さて、この最初の段階における「部落民の扱い」については、ちょっと意外な話もあった。その話が出てくるのは、京都の六条河原について郷土史家が語る場面である。六条河原というのはかつて処刑場だった場所であり、穢多非人がその処刑を担当させられていたそうだ。そしてその話に続く形で、「彼らはきちんと社会参加をしていたし、発言権もあった」と説明されるのである。もちろん「部落民である」という「区別」はあったわけだが、「その実態はもしかしたら、『差別』というほどのものではなかったかもしれない」と示唆されるのだ。

あるいは、同じく京都の崇仁という部落の話も出てくる。戦後かなり厳しい生活環境に置かれていた地域だそうだが、商売をやっている者も多く、経済活動には関わっていたというのだ。私は何となく「村八分」的なイメージを持っていたこともあり、少し意外に感じた。もちろん、部落民に対して苛烈な差別を行う地域もあったとは思う。ただ、映画を観ながら私は、「完全に排除されていたわけでもないようだ」という印象を受けた。

歴史に「if」は無いと分かっているが、ただもしその状態が続いていれば、いつか「部落差別」は自然消滅していたかもしれない。そんな風にも思わされた。

ではその後、一体何が起こったのか1つのきっかけとなったと思われるのが、1922年の水平社宣言である。これによって「部落解放運動」が活発になった。部落解放運動というのは、「部落出身の人たちが、差別の撤廃を目指して行った様々な活動」のことを指す。そしてここから第2のフェーズに入っていったのではないかと私は感じた。

この点について明確に語っていたのが、示現舎という出版社の代表・宮部龍彦である。彼については後で詳しく触れるが、「部落」に関する、裁判にまで発展した本を出版した人物だ。後で触れるその本の内容を知ると、「部落に対して、かなり差別的な意識を持っている人物なのだろう」と感じるのではないかと思う。ただ、映画には彼に直接話を聞く場面もあるのだが、そこまでで提示される「宮部龍彦」に関する情報からすると、「思ったほど『話が通じない人間』なわけではない」とも感じた。

例えば、監督(なのか、撮影スタッフなのか)が彼に、「もし娘が、結婚相手として部落出身の人を連れてきたらどうしますか?」と質問する場面がある。これに対して宮部龍彦は、

どうもしませんよ。反対も賛成もしないと思います。

みたいな返答をしていた。かなりヤバい発言も躊躇せず口にする人物に見えたので、これも恐らく本心なのだろう。私には、「部落に対して強く思うところはあるが、それは決して感情的なものではない」みたいなスタンスを持っているように感じられた。彼の場合、「やっていることがかなりヤバい」のは間違いない。しかし、「考え方まで常軌を逸している」かと言えばそんなことはなさそうだったし、少なくとも「話は通じる人物」に思えた

そんな宮部龍彦が、「部落差別って結局、貧困問題だと思うんです」と語る場面がある。その上で彼は次のようにも語っていた。

差別が無くなったって貧乏な人は貧乏だと思いますよ。貧困の原因は階層化だから、差別が無くなっても、貧困は無くならない。

この指摘はその通りだと感じた。当然のことながら、「差別をいかに無くすか」という観点は忘れてはいけない。しかしそれ以上に、「貧困をどう脱するか」の方がより解決すべき問題であるように思う。そして宮部龍彦は、「『差別』に注目が集まることで、そのような視点が覆い隠されているのではないか」と指摘しているというわけだ。

さて、このようなスタンスの人物が、「部落差別」についてこんなことを言っている

部落差別の問題は、昭和に行政が作ったんだ。

要するに、「1969年に制定された同和対策事業特別措置法に問題がある」という主張なわけだ。さらに、「それはつまり、部落解放運動に対する忌避感ですか?」と問われた彼は、「そうだ」と返答している

映画を観ながら私も、「部落差別」の問題の根底には、まさにこの点が関係しているのだろうと感じた。というわけで、この辺りの話を少し掘り下げていこうと思う。

「部落に関わるとヤバい」という感覚こそが、問題に拍車をかけたのではないか

さて、先程の話には「部落解放運動」と「同和対策事業特別措置法」の2つが関係してくるわけだが、まずは「部落解放運動」の話から始めることにしよう。

先述した通り、1922年に水平社宣言が出された。これは「全国の部落出身者に対して共闘を呼びかける趣旨のもの」であり、この宣言をきっかけに「部落解放運動」が始まっていくことになる。

そしてどうやら、「部落解放同盟」の一部が、「部落解放運動」と称してかなり過激なことをやっていたようなのだ。例えば、少しでも「部落差別」を感じさせる言動をした者に対して、「徒党を組んで押しかける」「大勢で吊るし上げる」みたいな振る舞いをしていたのだという。

そうなれば当然、「部落民は怖い」という印象になるのも仕方ないだろう。本当は一部の者だけが過激なことをしているのだが、それが「部落出身者」全体に対するイメージになってしまうのだ。そうなれば当然、親だって子どもに、「部落の近くを通る時には気をつけなさい」と教えるしかなくなる。そしてこのような印象が蓄積されることで、「部落」が次第に「現実的な脅威」としての存在感を持ち始めたのではないかと私は感じた。

作中では、「過去に出版された様々な書籍の中の文章が朗読される場面」が度々挿入されるのだが、部落解放運動について書かれた本の中に、次のような記述がある。

部落解放同盟が語る要求は、誰も否定できない命題として機能する。それはトランプのジョーカーのようなもので、要求を受け入れざるを得ないのだ。

これこそが、問題の本質をシンプルに衝く指摘なのだろうと感じた。

部落出身の人からすれば、「自分たちはこれまで散々苦労してきた」という想いがあるだろう。だからその気持ちが、共に立ち上がった全国の仲間による「部落解放運動」で一気に解放されていったわけだ。もちろんそれは、致し方ないことだと感じる。

また、「部落解放運動」を眺める、あるいはその煽りを食った人たちにしたって、その多くは恐らく、「『差別を無くすべきだ』という部落解放同盟の主張は当然だ」と感じていただろうと思う。それにそもそも、先述した通り、「水平社宣言以前は、部落出身者に対する扱いにはかなりグラデーションがあった」という話もある。あくまで想像でしかないが、「部落出身だからといって別に気にしない」みたいな人だって結構な割合でいたのではないかと思う。だから、理想的すぎる捉え方かもしれないが、そのまま何もしなければ、部落差別は自然消滅したのではないかとさえ考えてしまう。

しかし「部落解放運動」が起こったことで、フラットな感覚を持っていただろう人たちに対してもマイナスな印象が植え付けられたのではないだろうか。つまり、「部落解放同盟の人たちには何を言ってもメチャクチャに反論されるから、彼らの主張はすべて受け入れざるを得ない」みたいな感覚に陥ったのかもしれないというわけだ。彼らの主張が正しいのは当然だと感じつつ、一方で「出来れば関わりたくない」という認識になってしまったのではないか。そして結果として、「差別」が助長されるという状況が生まれたように私には感じられた。

「一部の過激な者たちの行動がきっかけでもたらされた状況」という私の捉え方が正しいとして、このような展開は双方にとって不幸でしかないだろうと思う。

「同和対策事業」が抱えていた問題点

さて、そのような流れがあって、1969年に同和対策事業特別措置法が制定されたのである。この法律については、映画に登場するある人物が、

世界に冠たる福祉事業で、恩恵を受けた人はたくさんいる。

という言い方で評価していた(ただ、ちょっと記憶が曖昧なのだが、その人物にしても、「恩恵を受けた人はたくさんいるんだけどね」みたいな、含みのあるニュアンスだったような気もする)。もちろん、33年間で16兆円というなかなかの金額が使われたのだから、そりゃあ”恩恵”はあっただろう

しかし、前述した宮部龍彦は、この同和対策事業について「公金を掠め取る」みたいな表現をしていた。そして確かに、そう受け取られても仕方ないような事件が起こっている。部落解放同盟が、同和対策事業を悪用して大金を得ていたと新聞で報じられたのだ。これについても、悪用した一部の人間のせいだとはいえ、やはり「部落出身者」全体のイメージ悪化に繋がったに違いないと思う。

また、この同和対策事業は別の問題も引き起こしている。ある部落出身者が、かつて次のように言われたことがあると語っていたのだ。

部落の人はいいね。土地をもろて、家も建ててもろて。

これは要するに、「同和対策事業のお陰で、土地も家もタダだったんでしょう?」という妬みから来る発言である。しかし、それは間違った認識なのだそうだ。少なくともその人物の場合は、二重にも三重にも抵当を入れ、自身の金で土地と家を手に入れたのだという。しかし、同和対策事業に公金が流れたことで、「すべての部落出身者が、土地も家もタダで手に入れた」という風に見られ、「部落だけが良くなっている」と妬みの視線が向けられるようになったのだそうだ。

また宮部龍彦は、

同和事業では住宅改善が多く行われたが、住宅については同和事業でやらなくても何とかなったはず。

と語っていた。彼の主張は、「住宅改善などむしろやらない方が良かった」とまとめられる。「同和対策事業による住宅改善のせいで、一層の問題が引き起こされている」というのだ。その理由については、彼が「ライフワーク」にしている活動から理解できるだろう。

宮部龍彦は自身が代表を務める示現舎のHP上で、「部落探訪」という連載を続けている。名前から想像できる通り、様々な部落を巡っては写真を撮り、その様子をネット上にアップしているのだ。作中ではその取材の様子も映し出されるのだが、その中で、彼が部落に建つ建物を「ニコイチ」と呼ぶ場面がある。詳しい説明は無かったものの、恐らく「1軒の家を2家族が使えるように設計している」という意味なのだと思う。実際に、外側からもそんな風に見える画一的な住宅がたくさん並ぶ光景がカメラに映し出された。

同和対策事業において、どうして『ニコイチ』の建物がたくさん建てられたのか」についての説明はなかったが、普通に考えて、「狭い地域に出来るだけ多くの戸数を確保するための工夫」なのだと思う。しかし結果としてそのせいで、「ニコイチの建物がある地域は部落である」のだと容易に判断可能な状況が生まれてしまったのだ。真意こそ不明ながら、宮部龍彦はどうも「ニコイチのような”カッコいい”風景に興味がある」のだそうで、別に「部落を晒そう」という意図で「部落探訪」を連載しているわけではないようである。まあ、その動機はともかく、「結果として、見れば『部落であること』が分かってしまう状況」はやはり大きな問題だと感じられた。

さらに、同和対策事業がもたらした問題としては、次のような点も挙げられるだろう。

この地域の市営住宅は、「部落にルーツがある人」の入居に限っている。

ある人物がこのように語っているのだが、何が問題なのか分かるだろうか? ここで言及されている「市営住宅」は「同和対策事業で建てられた建物」であり、だとすれば「部落出身者に限る」という制約はあって当然だと感じるかもしれない。しかし一方で、そのような制約があるせいで「同地域に部落出身者ではない人が入って来にくくなる」という問題も生まれているのである。

部落差別は当然、「部落に住んでいるかどうか」なんてことを人々が気にしなくなればなるほど薄れるのだから、部落に外から新しい人が入ってくる方が問題の改善に進展がもたらされるはずだ。しかし、「部落出身者に限る」という制約があるため、たとえ部屋に空きがあっても、外部の人は入居出来ない。となれば結局、「部落出身者ばかりが住む地域」という状況は変わらないし、問題は何も解消されないことになる。このように、「部落出身者のために行っているはずの事業」が、問題の抜本的な解決の障害にもなってしまっているというわけだ。

同和対策事業に関してはこのように、特に住宅事業が問題視されていることもあり、「法律の制定によって一層差別が助長されたのではないか」と捉える人もいるのである。

「同和」という”言い換え”がもたらした問題と、国が「部落差別」を利用してきた歴史

「入居が部落出身者に限定されている」という問題を指摘した人物は、「そもそも『同和』という言葉に問題がある」という話もしていた。「同和」というのは、単に「部落」を言い換えた言葉に過ぎない。そしてこの話に触れた人物は、

「『同和地区』という言い方をすれば差別にならない」ってことになっている。

みたいな雰囲気を社会全体から感じるのだそうだ。その感覚は私も理解できる。「部落」という言葉からは、「部落差別」や「被差別部落」という単語がすぐに連想されることもあり、差別的な響きを免れない。しかし「同和」という言葉にはそういう響きを感じないだろう。そしてそれ故に、まったく同じことを表現しているにも拘わらず、「『同和』と表現すれば許される」みたいな感覚が生まれてしまうことになるのだ。「『そのような感覚が存在すること』こそが一番の『ガン』だ」とさえ言っていた。この点については、私自身も強く意識する必要があるだろうし、なるほどと感じさせられる指摘だったなと思う。

このような「国の責任」については、別の形でも指摘される。「国家の危機を乗り越えるために、国は度々部落差別を利用してきた」という話を部落差別の研究者がしていたのだ。その研究者は、1918年に富山で起こった米騒動の例を挙げている。

前年の1917年にロシア革命が起こったこともあり、政府は富山の米騒動に対して、ロシアの二の舞いになることを強く恐れていたのだそうだ。だから、「どうしてもこの大衆運動を抑えなければならない」と考えていたのである。しかし、米騒動には中心人物はおらず、自然発生的に起こった運動であるため、普通には沈静化させることが難しい。そこで政府は、「米騒動に参加しているのは部落出身の野蛮な連中であり、部落外の者は関わってはいけない」というような発言を公の場でしたそうだ。このように実態とは異なる説明をすることで問題を矮小化し、沈静化を図ったのである。

さらに政府は、米騒動に関わった者たちを処罰する際にも部落差別を利用した。実際には部落・部落外関係なく共闘していたのだが、政府は部落出身の者だけを断罪し、「部落外の人たちはお咎め無し」という采配をしたのだ。このときも、「部落出身者がいかに暴力的であるか」という見せしめを行うことで、危機を乗り越えようとしたのである。

その後、水平社宣言をきっかけとした「部落解放運動」によって、「部落の人は怖い」という印象が強まっていったわけだが、そもそもそのような印象操作を国が率先して行っていたというわけだ。というかむしろ、国家の都合で度々「部落差別」が利用されてきたことが「水平社宣言」へと繋がったとさえ言えるだろう。そして結果として、巡り巡って「部落出身者」のマイナスイメージが一層強化されることになったのだと思う。何とも不幸な歴史である。

さて、ここまでの話をまとめよう。

私はそもそも、「部落差別が存在すること自体が理解できない」と感じていた。「部落出身であるか否か」を外見から判断する方法など存在しないからである。そのため、「部落に住んでいるかどうか」で差別されることになるだが、そんな程度の差別が250年間も続いていること自体に違和感を覚えていたというわけだ。

この点に関しては、「部落差別には2つの段階が存在する」という可能性を知り、ようやく状況が把握できたように思う。最初は、「穢多非人」の流れから来る「血の繋がり」がベースの忌避感だったはずだ。その後、その差別感情を国家が便利に利用したことも要因の1つなのだろう、1922年に水平社宣言が出された。そして、これをきっかけにして巻き起こった「部落解放運動」が、「部落差別」を悪化させることに繋がったのだ。一部の者が過激な振る舞いをしたせいで、「部落民は怖い」というマイナスイメージが強化され、「部落には近づくな」と親から子へと伝えられるようになったのである。

そして、そのような状況を改善しようとして制定された「同和対策事業特別措置法」が、一層状況を悪化させていく。公金が流れたことで「部落出身者はお金がもらえて羨ましい」と妬まれるし、また、安易な住宅事業を行ったせいで、「見れば部落だと分かる」という状況も生まれてしまったのである。加えて、「部落」を「同和」と言い換えたことによって、「『同和』と表現すれば差別ではない」という正しくない風潮が定着することにもなったというわけだ。

「このような流れで『部落差別』という謎の現象が固定化されてしまった」というのが現時点での私の理解である。このような理解で正しいのか自信があるわけではないし、そもそも「部落差別」を一括りにして語るのも正しくないだろうとは思う。しかし少なくとも、本作を観てこのような理解に達したことで、「まったくの理解不能状態からは脱した」という感覚にはなれた。この点だけでも、本作を観た価値は十分にあるなと思う。

部落に住む者による様々な対話について

さてここまでは、「部落差別」の概略や歴史について触れてきたわけだが、ここからはもっと個別具体的な話について書いていきたいと思う。

先に少し触れたが、本作では、部落に住む様々な人たちが自身の経験について対話するシーンが映し出される。前述した北芝の若者たち京都の部落に住むお婆さん、あるいは部落に住んではいるが部落出身というわけではない主婦など、様々な人たちが作中に登場し、自身の経験を語っていく。

その中でもやはり、若い人たちの話が最も興味深かった。というのも、少し変な表現かもしれないが、「若者も『部落差別』の問題に直面せざるを得ないのだ」という事実を改めて理解出来たからである。

もちろん、映画を観る前の時点で、「部落出身者には『結婚差別』がつきまとうし、それは若い世代でも変わりないだろう」と思っていた。しかしそういうこととは関係ない部分でも、「『部落』に生まれ、今も住んでいるという事実」に対してあれこれ考えを巡らせなければならないのだと、本作を観て理解できたのである。

さてこれから、北芝の若者3人の話に触れるが、その前にまず、「北芝」という地域の特殊さについて触れておこう。北芝は90年代から、「同和対策事業に依存しないまちづくり」を積極的に行っており、今では「開かれた部落」とも呼ばれているのだそうだ。つまり、他と比べて「部落差別への意識が低い地域」だと言えるだろう。そのため、彼らの話を敷衍することはもしかしたら適切ではないかもしれない。この点は注意力が必要だろう。ただ、そういうことを抜きにしても、なかなか興味深い対話だったと思う。

北芝の若者3人の対話で特に印象的だったのは、「もしも差別的な言動に直面したらどうすべきか」に関する議論だった。

まずそもそもだが、彼ら3人は一様に、「日常生活の中で、部落であることを理由に差別的な扱いを受けることはない」と言っていたと思う。しかしその一方で、「そういう可能性は常に存在し得るのだから、そうなった場合の対処についてはあらかじめ考えておく必要がある」という感覚も持っているのだ。私にはまず、このような認識をしていること自体が印象的だった。

というのも、「具体的な差別感情に直面しての思考というわけではない」からだ。彼らがそれぞれ、何か差別的な言動に直接接したことがあるというなら、「そういう状況でどう振る舞うべきか」について思考を巡らしておくことは自然に思える。しかし実際にはそうではなく、「まだそのような状況になったことはないが、起こる可能性があるから先回りで考えておく」と彼らは言っているのだ。これは恐らく、「『部落に住んでいる』という事実が、何らかの形で彼らに影響を及ぼしている」という事実の表れなのだろう。そのような示唆がとても印象的だったのだ。

さて、3人の内の1人は、「どう対処すべきか」について、

相手を変えることは大事だけど、それよりも自分が変わった方が楽。

何か言われてもスルーできるような体力をつけておくことは大事。

みたいに言っていた。これはこれで真っ当な意見だろう。しかし別の考えを持つ者もいる。

流すんじゃなくて、相手に理解してほしいし、そのために闘いたい。

こう主張した人物は、次のような経験について語っていた。彼は「同窓会を開こう」というやり取りの中で偶然、「部落に対して差別意識を持っているかもしれない同級生」の存在を認識してしまったという。そして「その時に、理解してもらうための行動が取れなかったこと」を、今でも悔しいと感じているのだそうだ。

この点に関しては、北芝とは別の部落に住む主婦(嫁いできたので、彼女は部落出身ではない)が似たような話をしていた場面がある。彼女は思いがけず、「大親友が部落出身だと知る」という経験をした。そして、「『そんなことを知らずに、まったく悪意なく発した言葉』で、もしかしたら相手を傷つけてしまっていたかもしれない」と葛藤しているのだそうだ。部落差別の問題はこのような形で、部落出身ではない者にも影響を及ぼし得るのだと実感出来たのである。

また、京都の部落に住むお婆さんの話もとても興味深かった。彼女はそもそも、「自分が部落に住んでいる」という事実を、長い間知らなかったそうだ。実際のところ、道を挟んで反対側の住民との交流はまったくなかったのは確かだという。それを聞いた監督が「交流したいとは思わなかったんですか?」と聞くと、「どうしたらいいか分からん」みたいに答えていた。まあそれはそうだろう。相手が全然近づいて来ないのだから、「どう接していいのか分からなかった」という感覚になるのは自然だろうし、何も知らなければ、その状態に対して「部落だから」などと考えることも不可能だろうと思う。

外から人がまったくやって来なかったこともあり、その地域の住民は皆、パンツ一丁の裸同然で外を歩いていたという。また、当時住んでいた家には水道さえ引かれていないぐらい生活には苦労したようだが、それでも「楽しかった」という感覚の方が強いそうだ。市営住宅に住んでいる今も、「長屋時代の方が大変だったけど、楽しかった」みたいに語っていた。「部落」での生活の捉え方も、人それぞれである。

そんな彼女が「部落に住んでいる」という事実を理解したエピソードがとても興味深かった。1951年に起こった「オールロマンス事件」がきっかけだというのだ。「オールロマンス」という雑誌に当時、『特殊部落』という暴露小説が掲載されたのだが、なんとそれが、まさに彼女が住む地域を舞台にしていたのである。これをきっかけに彼女は「部落」というものを理解し、さらに、男性に混じって部落解放運動に参加するようになったのだそうだ。夫から苦言を呈されても彼女は活動を止めなかった。そして活動をしながら様々なことを理解していき、市役所に乗り込むなど積極的に「生活環境の改善」を訴えることで、少しずつ権利を勝ち取っていったという。

「部落差別」という大きな捉え方とはまた別に、このような個々の体験談みたいなものもとても印象的だった。やはり人それぞれ捉え方は異なるものだし、「部落差別」という大きな括りの中で理解しようとすることの限界を感じさせてくれる要素だと言えるだろう。

宮部龍彦が訴えられた裁判と、その驚きの顛末

さて最後に、「部落差別」そのものとはあまり関係ないのだが、先述の宮部龍彦が関わった裁判の話に触れてこの記事を終えようと思う。取り上げるのは、「『全国部落地名総鑑』復刻版出版事件」と呼ばれている問題である。

そもそもの発端は、1936年に発行された「全国部落地名総鑑」の復刻版を、宮部龍彦が代表を務める示現舎が出版したことだ。「全国部落地名総鑑」というのは、全国36都道府県の5367箇所に及ぶ部落について、地名・住所・人口などを網羅した本であり、出版される度に社会問題になっていた。一方で、かつてはなんと、一流企業が購入し、採用面接などの際に活用していたこともあるほど影響力を持つ本でもあったのだ。

そして、そのような本の復刻版を出版した宮部龍彦が、部落解放同盟と原告245名から訴えを起こされ、「出版の停止」「ウェブサイトの削除」「1人あたり100万円の賠償金」を求められたのがこの裁判というわけだ。

本作には、「全国部落地名総鑑」の出版について、宮部龍彦がどのような認識を抱いているのかが理解できる場面がある。映画に登場するある人物が宮部龍彦に、「この名簿で結婚が破談になる人がいたとして、あなたその責任が取れるんですか?」と問い詰めるのだが、これに対して宮部龍彦は、

それは差別した本人が悪いのであって、情報を載せた私が悪いわけではない。

と返すのだ。まあ、理屈としてはそうかもしれないが、納得し難い主張だとも思う。私としては個人的に、「全国部落地名総鑑」の出版には賛成し難い感覚がある。

では、この裁判はどのような展開を迎えたのか。どうやら今もまだ上告中のようなのだが、少なくとも一審判決は既に出ているのだと思う。結果は、原告側(部落解放同盟側)の勝訴となった。まあ、それ自体は喜ばしいことだと思う。しかし私は、この判決の内容にちょっと驚かされてしまった。作中ではあまり深掘りされなかったのだが、私にはどうにも信じがたい判断に感じられたのだ。

私が驚いたのは、「『原告となった者が属する6県』に関しては差し止めの判断が下らなかった」ことである。どうしてそんなことになったのか、理解できるだろうか?

作中には説明がなかったので、あくまでも私の想像に過ぎないが、恐らくこのような理屈なのだと思う。原告が属する6県については、「原告が裁判を起こしたこと」によって、「そこが部落であることが公の事実になった」と判断された。だから、「示現舎による復刻版の出版」によって害を被ったとは認定できない。一方で、原告が存在しない他の都道府県については、差し止めの判断を下すことで部落であることが公の事実にならずに済む。そのため差し止めが認められたということなのだろう。

確かに理屈はその通りかもしれない。しかしこれでは、「勇気を出して原告になった者がただ損をしただけ」みたいなことになってしまうだろう。作中では、彼らの弁護を担当している弁護士が、「原告になって訴えを起こしたかったが、子どものことを考えて泣く泣く諦めた人もいる」みたいな話をしていた。つまり、原告になった245名は相当に勇気を振り絞って提訴に踏み切ったというわけだ。しかし、先のような判断が下されるとすれば、今後同じような状況が繰り返された場合、「訴えを起こそうという気持ちになれない」という感覚になってしまうだろうと思う。そしてそれは、特に弱者の権利を守るべきルールの運用において誤りだと私には感じられる。

ネットでざっくり調べてみたのだが、この裁判がどのように決着したのかよく分からなかった。しかしとにかく、「立ち上がろうとする者の意気をくじくような風潮」だけは生まれてほしくないと願っている。

最後に

映画の冒頭で、現在でも「総人口の1.5%程度が部落出身者」だというデータが示された。ざっくり150万人ぐらいはいるということだろう。今もまだ、かなり多くの人たちにとっての「現実的な問題」として「部落差別」が存在するというわけだ。

部落問題には、「寝た子を起こすな」のような考え方もあるという。つまり、「問題として取り上げるよりも、注目を集めずに風化を待つ方が、結果的には早く問題が解決するのではないか」という発想だ。「部落解放運動」とは真逆の考え方と言っていいだろう。このように部落出身者の間でも考え方が異なっているため、なかなか共闘が難しいのだろうと感じた。

とても残念なことであるが、部落問題がどのような進展を見せたところで、「①そもそもあらゆることに対して『差別感情』を抱いている人」がいなくなることはまずないので、部落出身者が苦労せざるを得ない状況は続いてしまうだろうと思う。ただ一方で、部落問題が正しく認識されれば、逆に①の人たちが非難されるような状況に転じる可能性だってあるのではないかとも考えている。私としては、どうにかそういう方向に進んでほしいものだと思う。

ただ一方で、「関西在住60代女性」と表示される、顔出しせずにインタビューを受けていた女性は、

日本人がいる限り(部落差別が無くなることを期待するのは)難しいと思う。

と言っていた。この女性は、「普段は差別的な振る舞いはしていないんですよ」と口にしていたが、私には「差別意識を自覚できないタイプの典型」にしか思えなかったし、特に年配の人にはこういう感覚の人が多いんだろうなと思っている。であれば、一昔前の世代が一掃されないと、状況に劇的な変化は起こらないのかもしれない。

非常に難しい問題ではあるが、とにかく私は本作『私のはなし 部落のはなし』を観て、ようやく「部落差別の現在地」を理解できたように思う。そういう意味で、とても観て良かったと感じられる作品だった。

次にオススメの記事

この記事を読んでくれた方にオススメのタグページ

タグ一覧ページへのリンクも貼っておきます

シェアに値する記事でしょうか?
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次