【居場所】菊地凛子主演映画『658km、陽子の旅』(熊切和嘉)は、引きこもりロードムービーの傑作

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:菊地凛子, 出演:竹原ピストル, 出演:黒沢あすか, 出演:オダギリジョー, Writer:室井孝介, 監督:熊切和嘉
いか

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この記事で伝えたいこと

主人公である工藤陽子のような女性が、それなりに穏やかに生きていける世の中であってほしいと思う

犀川後藤

社会への適応度が高い人だけが快適に生きていけるような社会は、とても寂しく感じられる

この記事の3つの要点

  • ほぼ部屋から出ず、他人と関わらずに生きている女性の雰囲気を、菊地凛子が見事に醸し出している
  • 引きこもりの女性がヒッチハイクせざるを得なくなる設定・展開が非常に絶妙
  • 陽子のような「どうしても上手く出来ない人」が、もっと穏やかに生きられる世の中の方が、きっと豊かだと思う
犀川後藤

東京に戻った工藤陽子の日常が、以前より少しでも明るいものであってほしいと願わずにはいられなかった

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

引きこもり女性が否応なしにロードムービーに連れ出される映画『658km、陽子の旅』は、「社会における居場所探し」の難しさを突きつける

主演を務めた菊地凛子の存在感がとにかく素晴らしい作品

映画を観て何よりも圧倒されたのは、菊地凛子の存在感でした。

彼女が演じたのは、父親の反対を押し切って20年以上前に東京に出てきたはいいものの、望んだ夢は叶わず、そのままずるずると引きこもりのような生活を続けている工藤陽子という女性です。映画の冒頭はこんなシーンで始まります。陽子がいるのは薄暗い部屋の中。彼女はノートパソコンで何か文字を打ち込んでいます。恐らく仕事なのでしょう、彼女がしているのは「オンラインカスタマーサービスの回答」で、その合間に、レンジでチンしたイカスミパスタを食べるという感じです。生活に必要なものは恐らくすべてネットで注文していて、普段家から出ることはないのでしょう。仕事以外の時間は、テレビやネットで動画を観て時間を潰すような、そんな生活をしています。

いか

ネットがある時代に生きてると、そこそこ社会と関わりを持ちながら引きこもるってことが結構出来ちゃうんだよね

犀川後藤

多少経験があるけど、「他人との関わりを断つ」と決意しても、都会にいればそれなりになんとかはなっちゃうんだよなぁ

そんな引きこもり女性の雰囲気を、菊地凛子が見事に醸し出しています。彼女の振る舞いを見ていると、本当に「ずっと引きこもっていて、他人とのコミュニケーションに難ありの人物なんだろうなぁ」という風に見えてくるから凄いものだと感じました。物語は基本的に、「陽子の動向を追う」というスタイルになっているのですが、劇中で陽子が喋るシーンはほとんどありません。どんな状況においても、とにかく「最小限の会話」だけで済まそうとするのです。となると、表情や振る舞いなどで「工藤陽子」という女性を表現しなければならないわけですが、菊地凛子はそれを見事に体現していると感じました。

ロードムービーの過程で描かれる、一人の女性の変化

さて、この映画では、そんな引きこもりの女性が、弘前まで何故かヒッチハイクで向かわなければならなくなります。普通に考えれば、そんな状況は想像出来ないでしょう。ただこの物語では、「陽子が何故ヒッチハイクで弘前を目指さなければならないのか」という点をかなり上手く設定しており、あり得ない状況を自然に現出させています。「確かにその状況であれば、ヒッチハイクも選択肢の1つだよな」と思わせる説得力があるというわけです。

いか

ただ、たらればの話だけど、「もうちょっと焦らずにいればねぇ」って言いたくなる展開が描かれるんだよね

犀川後藤

工藤陽子の気持ちも分からんではないけど、ちょっと性急すぎたって感じもするかな

映画は、冒頭で「工藤陽子という女性の紹介」がなされ、その後早い段階で陽子は「ヒッチハイクせざるを得ない状況」に置かれます。そしてそれ以降は、陽子がヒッチハイクの過程で様々な人と出会いながら弘前を目指す「ロードムービー」的な展開になるというわけです。

設定も展開も非常にシンプルなのですが、ヒッチハイクの過程で様々な人間ドラマが描かれ、またそれぞれの人間ドラマがかなりリアルで深みのあるものに感じられます。その辺りの構成がとても上手い作品だと感じました。「そもそも引きこもりにヒッチハイクなんか出来るのか?」みたいな点も蔑ろにせずに組み込み、「弘前まで行かなければならない」という物語上の都合と、「工藤陽子という女性のリアリティ」とをかなり上手くすり合わせていると言えるでしょう。そしてその上で、「ロードムービーの最中、陽子がどのような変化を遂げるのか」にきちんと焦点が当てられていくというわけです。

犀川後藤

さすがにこれはネタバレにはならないと思うから書くけど、陽子はよく弘前までたどり着けたものだなと思う

いか

「この感じじゃちょっと厳しいだろうなぁ」みたいな状況は結構あったからね

物語は、変な表現ですが、「途中から始まり、途中までを描いている」という感じがします。工藤陽子という女性については、「引きこもり的な生活をしている」以外の生活実態や過去の来歴などはまったく描かれません。また、ある目的を持って弘前を目指しているわけですが、弘前にたどり着いた後どうなったのかについても描かれないのです。

ただ、様々な葛藤を抱きながらヒッチハイクを続ける彼女を見ていると、ほとんど喋らないにも拘らず、彼女の「途中前」や「途中後」の姿が浮かんでくるような感じもありました。やはりそれも、菊地凛子の存在感のなせる技だったように思います。

すべての人が「穏やかにいられる居場所」を持てる世の中であってほしいと思う

陽子の葛藤まみれの旅路を見ながら私が考えていたことは、「彼女のような人が、それなりにでいいから穏やかに生きられる世の中であってほしい」ということでした。

犀川後藤

資本主義社会って、みんながちょっとずつ気を抜くだけで、すぐに「寛容さ」が失われちゃう感じする

いか

っていうか「『寛容さ』を無視する方向に突き進める人間だけが資本主義社会で成功できる」ってことなのかもね

今からする話は、「出来るけどやらない人」と「どうしても出来ない人」の区別がとても難しいので、なかなか説得力を持たせにくいのですが、ただ世の中にはやはり、陽子のような「どうしても出来ない人」もいます。そして私は、そういう人たちが「出来る人たち」の世界に混じって苦しい思いをしなければならない理由などはないと考えているのです。「出来るけどやらない人」との区別が難しいので社会に実装するのは困難かもしれませんが、ただ、陽子のような存在がもう少し社会の中で許容されてもいいんじゃないかと私は思っています。

別に「積極的に支援しろ」などと言っているつもりはありません。そうではなくて、「『出来ない』ことにマイナスの感情を抱かずに済む、もう少し社会と関われる居場所」みたいなものがあってもいいんじゃないかと考えているのです。陽子のような引きこもりの人にとって、「居場所」は自分の家・部屋しかないわけで、先述したような空間がもう少し社会の中に点在していてもいいように思います。

例えば今の時代は、特に地方で顕著でしょうが、公園や図書館などの公共の空間に大の大人がずっといると、「働きもしないで」みたいな見られ方になってしまうかもしれません。平日の昼間に大人がずっと気兼ねなく居続けられる場所って、今どこかにあるんでしょうか? 新宿・歌舞伎町の「トー横キッズ」が度々ニュースなどで取り上げられますが、あんな風に子どもたちが一箇所に集まってくるのは、「自分たちがいられる居場所を求めている」ということだろうし、それは裏を返せば、「自分たちがいられる居場所が社会の中にない」ということを示唆してもいるのだろうと思っています。

犀川後藤

結局これって、「都会にも居場所はない」ってことの表れでもあるからなぁ

いか

マジョリティ以外は、どこに行っても排除されちゃう世の中なんだろうね

トー横キッズの場合は、近所迷惑や犯罪の温床など別の問題も引き起こしているので、その存在をそのまま許容するのは難しいでしょう。しかし、要するに私は、「『健全なトー横』をどれだけ社会の中に用意できるかが、『社会の豊かさのバロメーター』のようなものになっていくのではないか」と考えているというわけです。

弘前にたどり着いた陽子が、東京に戻った後の日常生活の中に「居場所」を見つけられるかどうか、それは分かりません。しかし、否応なしに柄でもないヒッチハイクをせざるを得なくなった陽子は、結果として、「自分のような存在が受け入れられる『余白』は、社会の中にまだあるのかもしれない」という可能性を感じられたのではないかとも思います。

その感覚は、ほんの僅かなものかもしれませんが、工藤陽子という人間を「前進」させる力になったと言えるのかもしれません。そうであればいい、と願わずにはいられませんでした。

出演:菊地凛子, 出演:竹原ピストル, 出演:黒沢あすか, 出演:オダギリジョー, Writer:室井孝介, 監督:熊切和嘉

最後に

映画では、「陽子がこれまでに抱き続けてきたすべての後悔」が、「父親の姿」となってまとわりついてくるような演出がなされます。まさにそれは、「彼女の『前進』を阻むもの」として描かれると言えるでしょう。そんな強烈な「重り」をずっと抱えながら旅を続けざるを得ない陽子が見せる微かな変化は、観客の目に「勇敢」なものに映るのではないかと思います。

大胆な旅路を成し遂げた陽子ですが、しかし、彼女の未来は決して明るいとは言えないでしょう。弘前までの道中で通り過ぎた「灰色の海」の如く、ぼんやりと塗り込められた日々に戻っていくことになるのだと思います。そんな彼女の日常に、どうにか「希望」が滲み出てくれることを祈らずにはいられませんでした

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