【日記】友人のZINE『点点』(矢口莉子)が紡ぐ「恋愛できなさ」「生き方・働き方」への悩み

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「右往左往」「ぐるぐる」といったフレーズがしっくり来るような日々を丁寧に見つめて綴っているZINEです

犀川後藤

そして改めて「私には日記は書けないな」と実感させられもしました

この記事の3つの要点

  • 「口に出せないことを日記に書いて周りの人に読んでもらう」という著者の感覚
  • 唐突に立ち現れる「恋愛」に拒絶反応を示してしまいがちなあり方を見つめ直そうとする視点
  • 様々な失敗を繰り返しながら見定めようとする、自分が目指すべき働き方・生き方
犀川後藤

「『目の前の1日』を綴る日記」だからこそ浮き上がる「変化」が興味深く感じられるのではないかと思う

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

友人のZINE『点点』(矢口莉子)は、あちこちを”転々”としながら「恋愛の受け入れ難さ」「これからの生き方・働き方」に悩む日々を綴った日記である

『点点』のざっとした紹介

今のようにZINEが大流行りする前からずっとZINEを作り続けている友人が日記をまとめた『点点』を出版したので、その感想を書いてみようと思います。タイトルは、これで「てんふたつ」と読むようです。

犀川後藤

調べてみたら、「点点」で「ぼちぼち」とも読むらしい

いか

「ぼちぼち」に漢字があるとは思わなかったよね

というわけで、まずは『点点』についての説明を作中から抜き出しておくことにしましょう。

この本は不定期に発行しているZINE『点点』の1~5号に記載した内容を元に、加筆修正を行ったものを綴じている。
神奈川県の三崎、香川県の豊島を経て、現在は東京に拠点を移す。主にこの3箇所を行ったり来たりしている間に記した日記やエッセイだ。その時によって記録方法が異なるため、統一感はないがそのまま掲載する。

著者とは10年弱ぐらいかな、そこそこ長い付き合いで、なので、この『点点』の1~5号もリアルタイムで読んでいます。各号は単体で感想を書くほどの分量ではなかったので、これまで感想的なものは書いてこなかったのですが、今回5号までの合併号が出たので、このタイミングで感想を書いてみることにしました。

いか

最新の6号も発売になったみたいね

犀川後藤

こっちもその内読むつもり

著者・矢口莉子との関わりと、彼女が日記を書く理由

彼女とは、同じ書店で働く上司・部下という関係でした。その当時は、デザインの専門学校に通う学生だったかな。で、私が住んでいるところと彼女の実家がたまたま同じ地域(一応地名は伏せるけど、超巨大観光地)だったことが、飲みに行くようになるきっかけだったと思います。その後、書店の閉店に伴って仕事での関わりはなくなったのですが、それからも関係は続きました。少し前に私も初めてのZINE『ルシルナ 友情とか恋愛とかの話』を出してみたのですが、その装丁や文字組みなどを担当してくれたのも彼女です。この記事をUPする時点では、吉祥寺の「百年」という本屋さんで扱ってくれています(以下のリンクからオンラインでも買えるので覗いてみて下さい)。

いか

「百年」さんで結構売ってくれてて、ありがたいよね

犀川後藤

元書店員の感覚としても、ちょっと異常な売れ方で、「百年」さんと装丁が持つ力を感じてる

さて、彼女のZINEを読んでいてかなり意外に感じられたのが、「コミュニケーションが上手く出来ない」という自覚についてです。彼女は「そうでした、私は生まれた時からひどい人見知りなのでした」「この時既に微笑み人になっている私は、頭の中のほとんどを『帰りたい』が占めてしまう」みたいに書いているのですが、私には全然そんな風に見えていなかったので驚かされました。本作では、彼女のそういう感覚をベースにした話も色々と出てきます。あと、意外ついでに書いておくと、『点点』の中で「初めてタバコを吸った」みたいな記述もあったりして、直接会っていても分からない部分が見えてくるので面白いなと思います。

それで、本書で彼女は、「『ZINEを読んでもらうこと』によって自分を伝えようとしている」みたいに書いていました。

私が住んでいるこのまちの人や同じ職場で働いている人に、ZINEを読んでもらうことが、私にとって生きやすくなるなにか「手がかり」のようなものを、差し伸べてくれているような気がする。ぼんやりした印象の「リコちゃん」が作ったZINEを読んで、安心してくれる人、心配してくれる人がいて、今までとは違う影響が生まれてるなと思う。ZINEが私を知ってもらえるきっかけになる。

私も一丁前にさびしいとか思うのに口に出して言えない。

どうも「親しい人にも本心を打ち明けにくい」みたいな感覚があるようで、だから「日記に書いて読んでもらう」みたいな発想になるのだそです。そんなわけで、彼女のことを直接知っている人も本作を読むとまた違った一面が見えてくるだろうし、もちろん、直接の知り合いじゃない人が読んでも面白い内容になっていると思います。

いか

「ZINE(日記)も含めて私という人格」みたいな認識なのかもね

犀川後藤

そうだとしたら私とは大分違う感覚だなって思う

それで、『点点』に書かれている通り、その後彼女は三崎や豊島へと移り住んだので、機会を見つけて会いに行ったりしました。三崎では彼女が管理人を務めていた「泊まれるシェアハウス」みたいなところに宿泊したり、豊島では他人の家(おばあちゃんが運営する民泊)で家飲みみたいなことが出来たりして楽しかったです。また、私はアート的なことにも興味があるので、彼女が働いていた豊島美術館にも足を運んでみたのですが、思っていたよりも遥かに良い空間で、ホントに行って良かったなと思います。こういう機会でもない限り恐らく行くことはなかったと思うので、とても良い機会でした(その旅行記は以下にリンクしておきます。ついでに、金沢のアート旅と、アート集団Chim↑Pomの記事も)。

犀川後藤

ちなみに、『点点』中に私の名前もちょっと出てくる

いか

そういうのも、なんか凄く変な感じだよね

というわけで、本作はそんなかなり近い人が出したZINEであり、いつもとは大分勝手が違うのですが、なるべくいつも通りあれこれ書いてみようと思います。

『点点』を読んで感じた「私が日記を書くのが苦手な理由」

本作には「日記を書くこと」に関する言及がいくつかありました。なので、まずはその辺りの話に触れつつ、「私が日記を書けない理由はこの辺りにあるんだろう」みたいな話から始めることにしましょう。

装丁家さんと話している時、なぜ日記を書くのかと聞かれて、私は「自分を保つため」と答えた。

『点点』をなぜ作っているのか、日記をなぜ本にして売るのかいつもわからなくなる。なぜ朝までこうして文章を書いているのかも。「なぜ?」答えるなら「伝えたい」から。「なにを?」わからない。でも、何か伝えたいから言葉にするし、考えるために文章にして本にする。そのなにかを、日記を通してうにゃうにゃ話してる。日記は話しやすい。それだけなんだけど。

さて、私も死ぬほど文章を書いているので、彼女が言う「自分を保つために文章を書いている」という感覚は凄く理解できます。ただ、その書き方のスタンスに結構差があるんだろうなとも感じました。

犀川後藤

日記的なものは、一応書いてなくはないんだけど、でもホント「何があったか」の記録って感じでしかない

いか

それもちゃんと「日記」なんだろうけど、『点点』の感じとはやっぱ大分違うんだよね

私が感じたのは、「『日記を書くこと』は『写真を撮ること』に近いのかもしれない」ということです。普段スマホですらあまり写真を撮らないのでよく分かりませんが、写真は技術以上に「何を切り取るか」のセンスが重要な気がしています。つまり、「フレーム(枠)を自分で設定する」ということです。そして、写真を上手く撮れる人が、目の前の光景の中から切り取るべきフレームを”発見”してシャッターを切るように、日記を書ける人は、日常の時間の中から切り取るべきフレームを”発見”できるんだろうなと思っています。

そして私には、文章を書く時にそういう意識がありません。私の場合は、「◯◯(本)を読んだ」「◯◯(映画)を観た」「◯◯(美術展)に行った」などを起点に、「既に存在するフレーム(本・映画・美術展など)の内側であれこれ書く」というスタイルだからです。もちろん、どの本を読むのか、どの映画を観るのかみたいな選択は自分でしているわけですが、それは「既存のフレームをただ選び取っているだけ」でしかなくて、「フレームを自分で設定している」みたいな意識はありません。私はたぶん「フレームを自分で設定する」みたいなことは苦手で、だから日記って上手く書けないんだろうなと思います。

またもう1つ、より根本的な問題かもしれませんが、私はそもそも「生活」に全然力点を置いていなくて、「だから日記に書くようなことがない」とも言えるでしょう。衣食住にまったく興味がないし、「生活の快適さ」みたいなことにも全然関心がありません「知的好奇心」と「人間に対する興味」だけでほぼ生きているので、なかなか「日常」の中に「切り取るべき何か」を見出せず、だから日記が苦手なのかなと思います。

犀川後藤

特に違うのが「食への関心」かな

いか

彼女は「食べること」にかなり強いこだわりがあるよね

著者は「生活」を含む「自身を取り巻く環境」に普段から関心を抱いている

一方彼女は、「生活」を含めた「自身を取り巻く環境」に関心を抱いていると言っていいでしょう。そしてだからこそ、日常の時間の中から「切り取るべき何か」を見出せるのだと思います。本作でも、色んな形で彼女の関心が切り取られていました。

久しぶりの快晴。雨風と結露の日々から解放され、それだけで心晴れやか。美術館の清掃も、いつものように水を箒で掃いて雑巾でぬぐう作業がスムーズにできると、よどんでいたものが掃き出されていく気がする。自然環境と密接な職場にいると、変化に対応する大変さはあるけど、それ以上に自然からもらえるパワーがものすごくある。それに、自然の状況によって移ろいゆく作品だからこそ、それらが交わり合う美しさは何度みても飽きない。

欲のない生活がかつてないほどできているのは、思いのほか気持ちがいい。

飲食店もスーパーもコンビニもない島では、生活を外部委託することがかなわない。日々の営みを自分自身でやるよりほかないから、今まで目を背けていた生活と向き合わざるを得なくなったのは、私にはあまりに大きな変化。島に来てからもたらされる変化が本当にたくさんある。

(移住相談をした時のこと)話を聞きながら、三崎のことを思い出していた。若い人たちがお店を開き切磋琢磨しながらまちを活気づけようとしている、というよりは、自分のためにのびのびと楽しんでいる。移住者によって新しい動きが生まれつつある、そのムーブメントはきっと近いはずだと思った。相談に乗ってもらったあと、近くの古いビルに案内してもらう。そこにはいろいろなお店が入っていて、これからおもしろくなりそうな匂いがぷんぷんする。

お昼ご飯に、道中で気になってた山小屋風のご飯処へ行ってみることにした。チキン南蛮定食とおでんひとつ。小鉢なども丁寧に作られていておいしく、疲れた身体に沁みていくのを全身で感じる。地元のおかあさまたちによって守られている食堂、大好き。

いか

こういう「日々の生活に対する興味や実感」がホントに全然ないよね

犀川後藤

こういうことってホント、私の記憶にはまったく残らないから、「日記書くぞ」って時にはもう忘れてるんだよなぁ

そんなわけで、改めて「日記は書けないなぁ」と思ったわけですが、その一方で、「文章を書いている人」として共感できることもありました。

この頃の日記を読んでいると、そうだ、私はこの人たちのことをちゃんと好きで尊敬していたんだと思い出す。でも、かなしみが積み重なりすぎてしまった。

ふと思い立って一年前の日記を読んでいると、とてもつらそうな自分がそこにいた。心身ともに負った傷、近い人の別れ、恋愛という障壁、仕事の滞り。たった一年前なのかと呆気に取られる。

私も、本や映画の感想にかこつけて自分の話をぶわーっと書いたりしているので、「昔書いた文章を読み返して、『この頃はそんなことを考えていたのか』みたいに感じる」なんてことは結構あったりします。こういう感覚は確かに面白いし、文章を書いていて良かったなと感じる瞬間だと言ってもいいでしょう。また、直接的に「日記を書くこと」に言及した記述ではないのですが、「なんてことない日。でもこういう日が、思い返した時にちょっと戻りたくなるような日になる」という文章もあって、「そう思える日のことを保存する」なんて意味でも日記というのは面白いのかもしれないと感じたりもしました。

犀川後藤

ちょっと前にどこかで、「『手書きの日記の写真をインスタにアップする』のがブームになってる」みたいな話を聞いたなぁ

いか

それで、新潮文庫の『マイブック』の売れ行きが上がってるとかなんとかね

『点点』のメインテーマと言っていいだろう「恋愛の受け入れ難さ」と「生き方・働き方への悩み」について

本作では、日常で起こる様々な出来事や、日々考えていることなどについてあれこれ書いているのですが、その中でもメインと言っていいだろうテーマが2つあります。それが「恋愛の受け入れ難さ」と「生き方・働き方への悩み」です。というわけで、ここからはこの2点に絞って色々と書いていこうと思います。

「唐突な”告白”は意味が分からない」「みんなが恋愛したいわけじゃない」という感覚

『点点』の中に、「『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』という本に出会うべくして出会った」みたいな記述がありました。そしてそれに続けて、『ACE』の内容を踏まえた上での「アセクシュアル」の捉え方の変化について触れています。

「アセクシュアル*」は必ずしも「セックスが嫌いな人」「セックスしない人」のことではないらしい。そしてジャーナリストであり自身もアセクシュアルだと自認する著者はアセクシュアルを、「他者に対して性的に惹かれない人である」と文献を用いながら説明していた。アセクシュアルをまったく理解できていないことに気づいたのと同時に、どこか私の中にあるまだ言葉にできていない「なにか」に触れた気がした。気になりすぎてその夜から自分のセクシュアリティを見つめ直し始めた。


*性的感情を経験したことがない、誰にも性的に惹かれない人を指し、性的指向のひとつ。

犀川後藤

彼女自身は「アセクシュアル」ってわけではないみたいだけど

いか

作中で具体的に触れてないからここでも書かないけど、「近い何か」って感じみたいだよね

そしてそんな彼女は度々、「恋愛的なものへの違和感」「世間の無理解」などについて言及しています。

恋愛的に好きだという気持ちを一世一代みたいな感じで一方的に伝えるいわゆる”告白”というものがよくわからない。LINEなどで突発的にメッセージを送るみたいなのはとくに。人は対話できるんだから、すっ飛ばさないでちゃんと話そうよと思う。まったく理解ができなくてどうしたらいいのかわからず、極端な拒絶反応が出てしまう。それに伴う痛みが自分を病ませてしまうのは、もう本当にこりごりでアホらしい。べつに誰も悪いことはしてないはずなのに。私はこれをいつまで繰り返すのだろう。相手から告白されないようにする対策ばかり考えていても仕方がないし、自分から手繰り寄せていくことを知るべきなのかな。
はたから見たら、そこまで思い悩むことではないのに、なぜこんなに過剰に反応してしまうのか。恋愛目線での好意に気付くと気持ち悪さを感じてしまうってことは、人との関係を築く上で恋愛感情が最初に立ち現れることが理解できないんだと思う。目的もなく会えるような、ただそこに私はいていいんだと思えるような、「でもやっぱり特別だよ」と言えるような、そんな誰かがいてくれればとはずっと思ってるんだけど。そんな人との関わりの先に恋愛関係のようなものがあればきっと受け取れるし、なければそれはそれでいい。

セクシュアリティとロマンティックは別で存在すること、それぞれがスペクトラムに存在することだけでも、早く広く認識されてほしい。みんなが恋愛したいわけじゃないってことだけでもいい。

他にも色々とありますが、この辺りの記述が彼女のスタンスを明確に伝えるものだと言っていいでしょう。そして、私もまた違った理由で「恋愛とは距離をおこう」と考えているタイプだったりするので、彼女のこのような感覚はかなり理解できます

いか

彼女とは会うとよくこういう話になるよね

犀川後藤

もはや「共通言語」と言ってもいいぐらいだと思う

彼女は「私たちは恋愛が怖くてでも憧れている」とも書いていて、だから決して「恋愛を拒絶している」わけではありません。ただ、「えっ? いきなり恋愛が出てくるの?」みたいな部分に違和感を覚えることが多くて、それで振り回されてしまうのだと思います。そして、自分でもどうにも制御できないそういう感覚をどうにか見定めようとして、彼女は本を読んだり人と話したりするというわけです。

友人が書いた『ユーハブマイワード』というエッセイを今でもたびたび思い出す。彼女が「友だちと恋人ってなにが違うの?」と、恋人を持つ友人に問うと、その友人は「恋人は、やっぱりすごく特別だよ」と返すエピソードがある。お互いの特別を共有しているなんてすごい。奇跡みたいなことがそこらじゅうで起きている。なんだかおかしく思えてくる。

「クワロマンティックの実践」は続けたいとやっぱり思う。『現代思想』の「<友情>の現在」をやっと手に入れて読んでいるのだけど、クワロマンティックの話題に触れていて、やっぱり「重要な他者」を見つけていきたいと思った。恋人云々ではなく「重要な他者」を。おんなじところをずっとぐるぐるしている。でもそうやって少しずつよくしていくしかないか。

『ユーハブマイワード』も『現代思想 <友情>の現在』も彼女に教えてもらったもので、そしてどちらも私にぶっ刺さりまくりました。また、同じように彼女に教えてもらった『われわれなりのロマンティック』(いいへんじ)という演劇も超良くて同じものに結構同じように反応してるかなという感じです。私は今43歳ですが、正直なところ特にこういう話は同世代には通じなくて、私の主観では若い世代の方が話が合うなと思っています。彼女とも、12歳差だったと思いますが、年の差の割には近い目線で話が出来ているつもりです。

犀川後藤

割と真剣に「生まれる時代を間違えたのでは?」とか思ってるんだよなぁ

いか

同世代とはあまりにも話が合わないことが多くて、最近はホント喋る機会すらないもんね

”恋愛関係にしないふたり”という単位が楽で好きだしロマンティックだなと思う。クワロマンティック的なスタンスで生きることで、ひとまず自分を生きやすくすることができそうだと思ったのが一年くらい前。それができたような日だった。やっぱり私はこういうのを恋だの愛だので区別したくない。その間で揺れ動ける余地があるのを知れてうれしい。

自分の恋愛のできなさをセクシュアリティで立派な言い訳(盾)を
つくっているみたいな気持ちになるのなんなんだろう。
斜め上にいる自分による監視なのか。さいていだ!

重要な他者」とか「恋愛関係にしないふたり」みたいなことは本当に僕も望んでいて、冒頭で紹介した私のZINE『ルシルナ 友情とか恋愛とかの話』のテーマもまさにそんな感じだったりします。私は30歳になったぐらいのタイミングで、「異性とは恋愛ではなくて友達を目指そう」という意識に一気に切り替えたし、それ以降は「どうやったらそれが実現できるか?」みたいなことを考えて実践してきたつもりです。また私の感触では、若い世代の方がこういう感覚に親和性がある気がするので、彼女が続けてきた右往左往に自分を重ねながら読めたりもするんじゃないかと思います。

いか

「若い世代は恋愛しない」とか言われたりするけど、それって「相手が恋愛にしたいと思ってるか分かんない」みたいな感覚がより強くなってるからなのかもね

犀川後藤

私の世代なんかよりも遥かに想像力が高くて、配慮しようって意識も強いから、シンプルに「人付き合い大変そう」って感じたりもするわ

「他者と関わりたいけど関わりたくない/関われない」というジレンマ

さて、その一方で彼女は、「『恋愛』ではない他者との関わり」はかなり強く望んでいると言っていいでしょう。作中には、「だからまた心と心を突き合わせながら人と関われる場を作ることができたらいいのになと、漠然と考えている」「人を通して私を知りたい、みたいな執着が常にある」「私は一対一の会話が好きすぎる」「犬島に来て改めて思ったのは、私は人の痕跡のようなものに触れるのが好きなんだなということ」などなど、色んな場面・表現で「他者と関わること」への関心を示していました。

そしてだからこそ余計ややこしいとも言えるでしょう。

なにか新しい本が読みたくて、スマホで本を探す。植本さんと滝口さんの往復書簡『さびしさについて』のタイトルに惹かれる。ひとりが例えふたりになっても、さびしさはきっとなくならない。もしかすると、また違うさびしさと付き合っていかないといけないんじゃないか。なら、3人や4人でもいいのだろうか。人は、どうやってさびしさと向き合っているのだろう。誰にだってどうしようもなくさびしい瞬間があるはず。さびしいぜちくしょう! とか言いたいね、ちくしょう。

『さびしさについて』をゆっくり読んでいる。恋愛関係のある特別な人と一緒にいるのって、どういうことなんだろう? と思うけど、やっぱり怖いなと思う。ふたり、という単位には別れがあると思ってしまう。その別れのつらさはどうしたって特別なわけで、それがものすごく怖い。なぜ人はふたりを求めるのだろう。

犀川後藤

「ふたり、という単位には別れがあると思ってしまう」はホントその通りって感じ

いか

「どうして『いつか終わっちゃう可能性が高い関係性』を始めなきゃいけないんだ」って思っちゃうよね

勝手ながら彼女のこの感覚に補足するとすれば、恐らく「『さびしさを紛らわすような強い関係』って、どうしても『恋愛』みたいなことになっちゃう」みたいなジレンマがあるんだろうなと思います。彼女は他者と強く関わりたいと望んでいるし、それによって「さびしさ」が薄れることも期待したいのでしょうが、特に異性の場合は、強い関係を望もうとすれば恋愛に近づいてしまいがちです。そして、「そうじゃない関係があってもよくない?」みたいな気持ちをどうしても捨てられなくて、それでぐるぐるしているのだと思います。

これはなんとなく「ハリネズミのジレンマ」っぽくて、「相手の温もりを得ようと近づくと、自分も相手も傷ついてしまう」みたいな感覚が強いから、「他者と関わりたいけど関わりたくない/関われない」みたいになってしまうということなのでしょう。この辺りの感覚は本当に私が抱いているものともかなり近いものがあって、だからメチャクチャ理解できます。そういえば以前、何かの時に彼女が、「こういう話が出来る人は今はそれなりにいるけど、最初は犀川さんぐらいしかいなかった」みたいなことを言っていたりもしました。ホントに、こういう感覚が「(共感はしないけど)まあ別に普通だよね」ぐらいに扱われる世の中になってくれたらいいなと思っています。

いか

あと20年もすればそういう状況になりそうな予感はあるけどね

犀川後藤

今の若い世代が親になるぐらいの頃には、むしろ主流派みたいになるんじゃないかな

「どう働き、どう生きていくべきか」に悩み奔走する日々

ではもう一方の「生き方・働き方への悩み」に話を移しましょう。

私は『点点』に書かれていないことも直接彼女から色々聞いているので、様々な事情を知った上で本書を読めるわけですが、そうではない人には冒頭からしばらく、彼女の「悩み」の本質がズバッとは理解できないかもしれないので、私なりにその全体像をまとめておこうと思います。要約すると、「デザインを仕事にしたいけど、組織の中で働くのはどうも向いておらず、とはいえ、フリーランスとしてやっていく自信もまだない」という感じになるでしょうか。本作には「私は社会でうまく生きることができない自分をずっと恨んできて嫌ってきて、でもどうにかしなきゃ努力しなきゃ変わらなきゃと思い続けながら生きてきた」とも書かれていました。私も「社会でうまく生きることができない」という部分は同じなのですが、彼女とはタイプが違います私は「やりたいことなんて全然ないからどうにもならない」という感じなんですが、彼女は「やりたいことがメチャクチャちゃんとあるのに、どうにも上手く出来ない」のです。そして『点点』には、そんな右往左往っぷりも詰め込まれています。

知人が「他人のフィールドで働けない」と話していて、まさにそういうことだなと。「組織で働けない」と私は思っていたけど、というよりは「他人のフィールドで働くこと」が異常に下手くそだ。ベンチャーや小規模の会社って立ち上げた代表の思いが強いし近くにあるから、その人が作った小さな舞台上でともに働く意識=チーム感が一般的な組織より強い。だから、前の会社はことさらうまくいかなかったんだろうなと思う。
あるフェミニストが「組織とは半身で関わるぐらいが健全である」的な発言をしていたのを思い出す。私はそれを求めて動いているし、それがかなう働き方を少しずつ見つけ始めている。

犀川後藤

「組織とは半身で関わる」は、私もかなり実践してるかな

いか

最近の「ワークライフバランス」の話もまさにそういうことだろうし、そういう風潮が加速していけばいいなって思うよね

ずっとデザイナーとして生きていくことに恐れが付きまとっていて、それはただただ自信がないから。会社でうまく振る舞えない、デザインがうまくない、デザインの知識経験がない……。その「ない」は自分で付け足してるにすぎない。私にとってグラフィックデザインは、好きとか向いてるとかではなくて、おもしろくて私が探しているのはこれだ、と思ってる。橋のように、点と点を繋げられる仕事だと信じてる。だから、ずっと向き合っていきたいし、グラフィックデザインだけにとらわれない仕事にも出合っていきたい。

本当にあの島での暮らしはあったのだろうか。たしかにあったはずで、でもすでにすごく遠い。戻ってきてから些細だけど大きな変化を感じる。自分の生き方に自信がついた、のだと思う。これってすごいことで。これまでは組織やチームに「必要とされる」生き方を選択していた。やりたいことはそのあと、と思ってた。自分のエゴをそろそろ受け入れていいみたいだ、と気づけたのは島での生活があったからだ。ひとりで働くこと・上司の顔色をうかがわずに対面する人と誠実に関われる環境で働くこと・デザインの会社や事務所経験はなくてもフリーで仕事をもらっていくこと……。そういうわがままを、やっと認めて真剣にやってみようと思えている。「必要とされる生き方」の捉え方が変わったんだと思う。上司に、組織に、ではなくて、「目の前にいる大切な人たち」に必要とされる。興味のあることをやってもないのにできない、向いてない、と諦めるのが得意じゃない。だから頭で考えずにまずやってみようとするし、だから失敗も多くなる。

彼女は本作中で「宿の電子レンジを壊した」「借り物のヘルメットをどこかに置き忘れた」みたいな失敗についても書いていました。仕事以外でも「ちゃんとしたいし、しているつもりなのに、出来ない」みたいな経験が色々と多いようで、そういうこともあってなかなか自信が持てないようです。まあ人それぞれ得意不得意はあるし、不得意なことを伸ばそうとしても効率が悪いから、自分でも書いている通り「『やりたい!』と思えることを伸ばしていく」みたいな感じで進んでいくのがいいんだろうなと思います。

犀川後藤

私も、「社会人だったらそれぐらい出来るでしょ?」みたいなことが出来ない(やりたくない)ので、ホント大変

いか

中学生ぐらいの時にはもう「サラリーマンにはなれない」って明確に考えていたし、大人になって「やっぱり無理だわ」って改めて実感させられたよね

「生きていく上で大事なものは何か?」について考える

さて彼女は、「働き方」と並行して「生きていく上で大事にすべきもの」についても考え続けてきました

私はムダや不合理、わからなさを愛したいし、それをわかろうとしたい。なんでもない時間を大切にしたりしたい。それがなくなったら、多分だめな気がする。

私の内的欲求ってなんだろう。わからない。でも、私のままで、その私を認め認められて、愛を交換しながら人と関わり、見える世界をすこしでも広げていけたら。これから自分の内面とより向き合って、私の内的欲求である「私のまま」がなんなのかを見つけていきたい。

いつまで経ってもお金のことで悩んでいるけど、同時にお金がない→どうやったら稼げるか? という当たり前の考えに違和感も感じてて。お金に操られている感覚を捨てたい。

いか

こういうことについても、特に若い頃は結構考えたよね

犀川後藤

私の場合は「どうしたいか」より「どうしたくないか」について考えることが多かったけど

彼女は私なんかよりもずっと色んな壁にぶつかったり、しんどい目に遭ったりしているわけですが、そういう経験を経て「これは大事」「これはそうでもない」という見極めをしている感じもします。本作のどこかに「大分回り道をしている」みたいな記述があった気がするけど、まあ確かにそうかもしれません。でも、そういう頭の中だけで考えたわけじゃない「必要/不必要」みたいな感覚は、彼女を前に進ませる上で大事な指針になっている気がするし、そういう歩みを経て「どう生きるべきか?」の輪郭を形作っていくのも良いんじゃないかと思います。

ちなみに、共感ついでに、仕事の話ではありませんがこんな文章も紹介しておきましょう

結婚式を立派にあげて会社員で勤続5年、という社会的信頼が高い人と話すと、私はそこへの関心が本当に低いんだなと改めて思う。結婚育児マイホーム資産、遠く離れた惑星の話みたい。

ホント、分かるわぁ、って感じです。

何も考えてこなかった私には、彼女が持つ「人生に対する真剣さ」が羨ましく感じられる

さて、先程「『どうしたくないか』については結構考えてきた」と書いた通り、私は「どんな仕事をしたいか」「どんな風に生きたいか」みたいなことは全然考えてきませんでした仕事も住む場所も、そしてそれらに付随して発生する生活も、「自分の意志とはとても言えないようなもの」によって決まっていったという感じです。

いか

特に仕事なんて、自分で決めたことがほぼなかったからねぇ

犀川後藤

こんな行き当たりばったりのテキトーさでよくどうにかなったもんだとホントに思う

そんなわけで、彼女にとっての「日常」と言ってもいいだろう「生き方について考える」みたいな時間は私には全然ありません。だから「大変だな」と感じるのと同時に、「こんなにも人生に対して真剣になれること」に羨ましさを感じてしまう部分もあります。彼女が持っているような「真剣さ」が少しでも僕の中にあれば、もうちょっと違った人生を歩んでいた気もするんだけどなぁ、なんて思ったり。

さて、彼女はとにかく、人生に何か変化がある度に何らかの意味をそこに見出そうとします

今は「応えていく準備」をしているのかもしれない。他者や社会から与えられるものに応えていくために、まず個の生活や心身を育て整えているのだと思う。そして、その中で生まれてくる表現を通して、少しずつ、どう応えていけるのか探っていきたい。だから、まだもう少し時間はかかる。ゆっくり、ゆっくりでいい。

高校の部活動と、デザイナーとして最初に関わった会社での失敗は、多大なる迷惑をかけつつも今の自分に本当にたくさんの学びをもたらしてくれている。どちらにも共通しているのは、続けられなかったこと、愛を持てなかったこと、与えられたことに感謝できなかったこと。「愛を持って、続けてみること」をここで試されているんじゃないかなと思う。それは嫌な環境で意地でも続けてみるとかじゃなくて、デザインという続けたいと思えることをひとつ見つけられた気がするから、それを離さず、程よい距離に置いておくとかでもなくて、手繰り寄せて体温を伝わせながらやり続けてみることなんじゃないか。

いか

ただ彼女の場合、何かある度に誰かが助けてくれたり、新たな出会いがあったりするところもまた凄いよね

犀川後藤

「憧れの人と関われる機会」も結構あるみたいだし、悪いものだけじゃなく良いものを引き寄せる力も結構強い気がする

決して「順調」とは言えない歩みかもしれないけど、目の前の経験から着実に何かを掴み取ろうとしているし、「日記を書くこと」がその手段になってもいるのでしょう。そんなわけでこの『点点』は、進むべき道に悩んでいる人に何か新たな視野を与えてくれるような作品とも言えるかもしれません。

最後に

人は変わらないけど変わっていく。それは自分も、なのかもしれない。かつて私の中にあった人と今私の目の前にいる人。同じ人なのに変わっていく。

「日記」がそんな「変化」を可視化させている気がするし、本作『点点』からは「良い変化も悪い変化も前進するための糧にしていくんだ」という気概が浮かび上がってくる感じもします。私は「本人を知っている目線」でしか本書を読めませんが、恐らく、彼女のことを直接的に知らなくても、その右往左往やぐるぐるした感じを面白がれるはずです。機会があれば読んでみて下さい。

いか

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