【驚異】「持続可能な社会」での「豊かな生活」とは?「くじら漁の村」で生きる人々を描く映画:『くじらびと LAMAFA』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:エーメン, 出演:イナ, 出演:ピスドニ, 出演:アガタ, 出演:フレドス, 出演:イグナシウス, 出演:デモ, 出演:伝説のラマファハリ, 監督:石川梵, プロデュース:広井王⼦
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

「貨幣経済における豊かさ」だけが唯一の「豊かさ」なわけではない

犀川後藤

現代に残る、「共同体全員で生き延びる」という生活のあり方が、今の時代には新鮮だ

この記事の3つの要点

  • ラマレラ村の住民は、「文明から取り残された人々」ではない
  • 撮影期間中に死者も出たほど、危険なクジラ漁
  • クジラ漁用の舟は、単なる乗り物ではなく、魂が宿る「拠り所」である
犀川後藤

「自分の人生に必要なものが何であるか正しく理解している人たち」の生き様がとても清々しい

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

手作りの舟と銛1本でクジラを仕留めるインドネシアのラマレラ村の生活から、”豊かさ”について考える

銛1本でクジラを獲るなんてことが想像できるでしょうか? そんな生活を長年続けているのが、インドネシアのラマレラ村です。

彼らの生活を知ると、「『豊かさ』って何だっけ?」と改めて感じさせられます。

私は、お金や地位などはほとんど求めていませんが、「文明的な刺激」はどうしても必要だと感じてしまうので、彼らのような暮らしは出来ません。美術館に行ったり、映画館で映画を観たりする時間が、私にはどうしても必要だからです。

ただ一方で、彼らのような生活を羨ましく感じてしまう自分もいます。「文明的な刺激」のことさえ無視できるなら、彼らのような生活を望んでしまうかもしれないというわけです。

犀川後藤

なんか凄く「生きてる!」って感じの生活に見えるんだよなぁ

いか

あんたはどっちかっていうと、「死んでるみたいに生きてる」って感じだからねぇ

ラマレラ村の住民は「文明から取り残された人たち」ではない

まずは、観る前の先入観から誤解していた点に触れたいと思います。それは、「ラマレラ村の人々は文明から取り残されているわけではない」ということです。

「手作りの舟と銛1本でクジラを仕留める」という内容しか知らずに映画を観たので、「太古の昔からそのような生活を続けてきた少数民族」みたいなイメージを持っていました。しかし、全然そんなことはありません。住民の中には、こんな人もいるほどです。

バリ島で働いたこともあるし、確かにあそこは結構稼げる。でもお金に追われる生活だった。
ここでは、お金がなくてもなんとか生きていける。

現代的な仕事にも従事していたし、貨幣経済の中で生活をしていたこともある、というわけです。とても意外に感じました。そして、そういう「文明生活」を経た上で、自らの選択としてこの村にやってきたのです。

また、村の生活も決して、文明から隔絶されているわけではありません。そもそも、浜辺でクジラが解体されている様子を「スマホ」で撮影していたりします。村では、危険を冒してクジラを獲る者や、船外機を所有している者などがより多くの分け前を得られる決まりになっているので、スマホを所有しているのはそういう一部の家族だけかもしれません。しかしいずれにせよ、村に電波も届くことは間違いないようです。

いか

しかしホント、今の時代スマホはどこにでもあるね

犀川後藤

ちょっと前に見た、少数民族の生活に密着したドキュメンタリー映画でも、スマホが出てきたな

こんな場面もありました。映画では主人公的に映し出される船員の息子エーメンが、親から将来何になりたいのか聞かれた時に「海で働きたい」と答えます。それに対して父親が、

お金はなんとかするから、学校に行きなさい。

と返すのです。村での生活にはほぼお金は必要ないように見えましたが、貨幣経済とまったく接点がないわけではないのでしょう。住民の中にはもしかしたら、貧困などを理由に貨幣経済の世界では生きていけなかった人もいるのかもしれませんが、基本的に彼らのことは、「ラマレラ村での生活を自ら選んだ人たち」だと認識すべきなのです。

この認識は、映画を捉える上で重要だと感じます。昔から連綿と受け継がれている生活を漫然と継承しているのではなく、外の世界を知った上で意思を持って人生を選び取っているからです。

「文明から外れた生活をする”可哀想”な人たち」のような捉え方ではなく、「自分の人生に必要なものが何であるのか正しく理解している人たち」という視点でこの映画を観るのが正しいのだと思います。

いか

日本で田舎暮らしを選ぶみたいな感じ?

犀川後藤

うーん、ちょっとニュアンスが違うかなぁ

クジラ漁の危険さ

人口約1500人を擁するラマレラ村は、火山灰の地層に覆われているため作物が育ちません。だから、生活の糧をクジラに頼るしかないわけです。ラマレラ村では週に1度市が立ち、「山の幸」と「海の幸」の物々交換が行われるのですが、そこでクジラ肉は一番人気だそうで、たった1切れでバナナ12本と交換できます。

突き漁でマンタやジンベイザメなども獲ることはあるのですが、やはりメインはクジラです。年に10頭のクジラが獲れれば村人全員を食べさせていけるのですが、1ヶ月漁に出て1頭も獲れないことがあるという厳しい世界でもあります。

映画の中で様々な人が、何度も「クジラ獲りは命がけ」と口にします。10人ほどが乗れる舟は、クジラの尾びれで攻撃されればひとたまりもないので、乗員の誰もが等しく危険だと言っていいでしょう。しかしやはり、その中でも「ラマファ」と呼ばれる銛打ちが多くの危険を負っています。舟から銛を投げたところで、クジラに刺さるはずもありません。だからラマファは、銛の先端を下に向けたままクジラの頭めがけて飛び込み、自らの体重で銛を頭に突き刺すのです。

ラマファには代々、心得が伝えられる。銛を打つ時に、頭を見てはいけない、と。特に目を見てはダメだ。その目を見てしまったら、怖くなるから。(ラマファに)成り立ての頃は、特に怖く感じるものだ。

この言葉だけでも、それがどれほどの恐怖をもたらす行為なのか、そして、頭を見ずに飛び込んで頭に銛を突き刺すことがどれほど難しいか、想像できるでしょう

いか

この映画は、「とどめを刺されて息絶える時、クジラは目をつむる。目をつむる”魚”はクジラだけだ」って語りで始まるよね

犀川後藤

印象的な始まり方だし、「目をつむるのはクジラだけ」って事実も初めて知った

また「ラマファ」には、単に「クジラを獲る人」というだけではない意味合いがあります。

人々はラマファに希望を抱いている。だから技術だけではダメで、強い気持ちを持つことが大事なのだ。それを見て、人々は勇気を得ることができる。
ラマファは、ひとりでその重圧に耐えなければならないのだ。

「ラマファに抱いている希望」とは、次のようなことを指すのでしょう

クジラ漁は常に危険と隣り合わせだ。でも、村人全員が食べていくためには、クジラを獲るしかない。

普通、「仕事をする人」の肩に乗っているのは「家族」ぐらいでしょうが、ラマレラ村のラマファの肩には、「村人全員」が乗っています。先述したエーメンも「ラマファになりたい」と口にするぐらい、村では憧れられる存在ではありますが、同時に、自分の働き次第で村人の命運が決まってしまうという重圧にも耐えなければならないのです。

犀川後藤

私なら絶対無理だなぁ……

いか

誰の期待も背負いたくないよねぇ

そういう「プレッシャーの掛かる立場」だという点も大変なのですが、やはり「命がけ」である点こそ強調されるべきでしょう。映画撮影期間中も、若きラマファであるベンジャミンが命を落としました。彼はクジラではなく、マンタを獲ろうとして亡くなってしまいます。ベンジャミンの亡骸は結局見つかりませんでした。

ベンジャミンの死を受けて、父親が舟に乗りホラ貝を海に浮かべます。別の舟が回収したそのホラ貝をベンジャミンの「亡骸」として葬儀が執り行われるというのが、昔からの伝統なのです

村には昔から、「クジラ漁の期間中に夫婦喧嘩をしてはいけない」という掟があります。漁に必ず悪影響を及ぼすことが知られているからです。ベンジャミンは実は、命を落とす前日に妻と喧嘩をしていました。そのことで未亡人は長い間自分を責め続け、笑顔を見せることがなかったそうです。実際に喧嘩の後で夫が亡くなってしまったとしたら、自分を責めてしまうのも無理はないと感じます

彼らの生活は「命懸け」なのです

クジラが支える村の生活

映画では、恐らくドローンを使っているのでしょう、上空からクジラ漁の様子を撮影する場面もあります。変な表現になりますが、「CGなんじゃないかと思うくらい迫力のある映像」でした。銛を突き立てられたクジラの周囲は血で真っ赤に染まります。しかしそれでもクジラは最後のあがきとしてその巨体を動かし続けるのです。

いか

クジラは、自分の危機を音で仲間に知らせるみたいね

犀川後藤

そうやって集まってくる仲間のクジラも捕まえようと待ち構えてるわけだ

捕らえたクジラは浜辺まで運ばれ、そこで解体されます。興味深いのは、誰がどの部位を手に入れるのかが厳密に定められているということです。「ラマファ」「船外機の所有者」「舟の所有者」「精霊を呼び込んでくれた先住民」などに対し、それぞれどの部位を渡すのかが決まっています。「渡し間違えたらクジラが獲れなくなる」とさえ言われているそうです。個人的には、「たまには違う部位が欲しい」とかならないのかなと余計なことを考えてしまいました。

また他にも、様々なルールがあります。未亡人や貧しい者は優先的に肉が分配されるとか、漁に出ていない家族でも「脳油」だけは分けてもらえるなど、「村全体で生きる」という仕組みが成立していると感じました。

貨幣経済においては、「貨幣」が「価値を保存できるもの」として機能するために「個人が価値を溜め込む」という行動が生まれがちです。しかし、「クジラ」という「腐敗するため価値の保存が難しいもの」によって成り立っている村では、「価値が目減りする前に村人でシェアする」という発想になるのでしょう。クジラという、獲れるかどうか確証の持てない海の恵みに頼らざるを得ない生活だからこその工夫なのだと思います。

「貨幣経済」がもたらす「豊かさ」も良いですが、「みんなで生き延びるというスタイル」が生み出す「豊かさ」もまた良いものなのかもしれないと感じました。あまりに貨幣経済の世界に慣れているので、実際にラマレラ村で生活をしたらどう感じるのか分かりませんが、貨幣経済の中で疲弊している人には、こういう「豊かさ」もあるのだと気づくきっかけになるかもしれません

犀川後藤

ただ私は、なんだかんだ「退屈」って感じちゃいそうな気がするんだよねぇ

いか

今だって、死ぬほど退屈だもんねぇ

クジラ漁専用の「舟」作り

この映画では、クジラ漁用の舟作りの様子についてもかなり映し出されます。なんとすべてが手作りです。クジラ漁用の舟は「テナ」と、そして「テナ」を作る技術を持つ者は「アタモラ」と呼ばれています。凄まじいことに、テナの製作には設計図もなければ、物差しさえも使いません。道具は鍬とノミだけ。そして勘と経験だけを頼りにクジラと闘う舟を作り上げてしまうのです。

村一番のアタモラは、マンタ漁で命を落としたベンジャミンの父・イグナシウス。彼は映画の中で、テナについて様々な表現をします。

テナは生きている。私たちを守ってくれるのだ。

テナから離れたら、それは死を意味する。

これらはまだ、「乗っている者を守る」という、「舟が本来的に持つべき機能」について言及していると言えますが、彼はこんな発言もしています。

テナには目が描かれている。テナも獲物を探している。私たちよりも先にクジラを見つけるのだ。

テナは漁の司令塔だ。狩りまで指揮し、村人を食わせてくれる。

まるでテナに人格でも宿っているかのような言い方です。というか彼らは本当にそう考えており、「魂が宿るものだから、テナに鉄の釘は打てない」とさえ語っています。普通なら釘で固定すべき箇所は、木の棒を差し込んだ後で綿を詰め込むのだそうです。

犀川後藤

設計図がないってのはやっぱり凄いよなぁ

いか

アタモラになるには「見て覚えなきゃいけない」ってことでしょ。絶対無理だね

私自身は「宗教的な考え方」があまり好きになれず、それがどんなものであれ「信仰」的なものからは距離を置きたいと考えてしまうタイプです。でも確かに、あれだけ巨大なクジラに小舟で立ち向かおうというのだから、何か「拠り所」みたいなものを求めてしまいたくなる気持ちも分からなくはありません。そしてそう考えた時、「必ず使わなければならない『道具』に、『拠り所』としての要素を重ねる」というやり方は、とても合理的だと感じます。

そもそも「道具」として「絶対に壊れるべきではない」のですが、逆に「『絶対に壊れない(と皆が信じている)』からこそそれが『拠り所』として機能する」という側面もあるわけで、この仕組はよく出来ていると感じました。

そしてそう考えた時、イグナシウスがこんな風に言う場面がとても印象的に思えてくるでしょう。

新しい舟は、クジラの攻撃を受けて初めて完成したと言える。クジラは最高のアタモラなのだ。

この言葉は、普通に捉えても意味が分からないだろうと思います。補足として、映画の冒頭で語られたこんな言葉も紹介しましょう。

クジラは、作ったばかりのクジラ舟を見分けて、その弱点を攻撃してくる。とても賢い生き物なのだ。

つまり、「テナ」が本当の意味で完成するのは、「弱点を的確につくクジラの攻撃に耐えられた瞬間」であり、だからこそ「クジラは最高のアタモラ」ということになるわけです。とても良い表現だと感じました。

いか

「俺がこの舟を作ったんだぞ、凄いだろ」みたいな感じがないんだよね

犀川後藤

そういう振る舞いが「当たり前」なんだろうね、この村では

テナはまた、「共同体の中心」としても機能しています。基本的にテナは女人禁制なのですが、新造船の進水式だけは例外で、村の女性も乗せて「渡来伝説」を再現するのです。また普段は舟に乗れない子どもたちも、新造船に限ってはラマファのように銛打ちの練習ができることになっています。

クジラによって支えられている村ではありますが、村人全員がクジラ獲りに関わっているわけではありません。しかし、「テナ」を中心に据えることで、村人全員がクジラと関わることができ、共同体としてのまとまりを感じられるようになっているというわけです。これもまた、彼らの生活の知恵と言えるのかもしれません。

出演:エーメン, 出演:イナ, 出演:ピスドニ, 出演:アガタ, 出演:フレドス, 出演:イグナシウス, 出演:デモ, 出演:伝説のラマファハリ, 監督:石川梵, プロデュース:広井王⼦
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最後に

映画の最後の方で、こんなことを口にする人がいました。

世の中が変わっても、くじらびとの伝統は親から子へと受け継がれる。そしてこのクジラ漁によって、先祖と繋がることができる。

日本でも、代々受け継がれる農家などでは同じような感覚を持つ人もいるはずですが、やはり現代人にとっては、普段の生活の中でなかなか実感しにくい感覚だと思います。どちらの生活がいいのか、一概には言えませんが、彼らのような「豊かさ」にも一度触れてみるのがいいのではないかと感じました。

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