【狂気】異質なホラー映画『みなに幸あれ』(古川琴音主演)は古い因習に似せた「社会の異様さ」を描く

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:古川琴音, 出演:松大航也, 出演:犬山良子, 出演:西田優史, 出演:吉村志保, 出演:橋本和雄, 出演:野瀬恵子, 出演:有福正志, 監督:下津優太, プロデュース:清水崇, Writer:角田ルミ
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「祖父母が暮らす村で起こる異様な状況に主人公が巻き込まれていく」というとても王道的な展開の物語
  • 「『幸せ』は『犠牲』の上に成り立っている」という考えが、作品全体に通底している
  • 「恐怖を与える」ことを優先したためか、「思考を深める」ための手がかりがちょっと欠ける作品でもある

何にせよ、古川琴音が素晴らしかった。今後も追いかけたくなる役者である

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

古川琴音主演映画『みなに幸あれ』は、異質なホラー映画だった。ある種「シュールな怖さ」を描く物語は、我々が生きる世界の異様さを映し出してもいる

なかなかハチャメチャな物語だった。面白い作品だと思うし、個人的な満足度は高いのだが、作品全体に対する評価は「とにかくハチャメチャだった」に尽きると言っていい。「ムチャクチャ怖い」というわけではなく、描かれている世界観がぶっ飛んでいるという感じだった。

ただ後でも触れるが、本作は恐らく、私たちが生きている世界全体をある種”風刺”するような内容だと考えていいと思う。本作の設定は実に奇妙であり、シュールささえ感じさせるような異様さを放っているのだが、「でもそれって、私たちが生きている世界そのものだよね」という提示のされ方になっているのである。このように、色々深堀り出来る設定・展開だったことも、とても良い点だと思う。

それでは、さっそく内容の紹介から始めるが、1つだけ先に書いておきたいことがある。本作においては、登場人物に「名前」はない。公式HPでは、古川琴音の役は「孫」、松大航也の役は「幼馴染」という表記になっている。他の人物も、「おじいちゃん、おばあちゃん」「お父さん、お母さん」のように「関係性の名前」のみで呼ばれているのだ。はっきりした考察が出来ているわけではないが、記名を排した意図はあるはずだし、それが何であれ、作品全体の雰囲気にはとても合っていると感じた。

まずは内容紹介

「孫」の電話が鳴ったのは、荷造りの最中だった。両親からだ。祖父母の家で合流する予定になっているのだが、両親と弟の到着が遅れるという連絡だった。一人暮らしをして東京の看護学校に通っている「孫」は、1人で祖父母の家に行かなければならなくなってしまい、少し気が重い。というのも、子どもの頃に祖父母の家で、奇妙な物音を聞くなど嫌な経験をしたことがあるからだ。

しかし両親に押し切られる、「孫」はしばし1人で祖父母の家に泊まる覚悟をした。出迎えてくれた祖父母の印象は以前と変わらないように思えたが、しばらくすると奇妙な振る舞いが目に付くようになる。天井に視線を向けたまま放心状態で立ち尽くしていたり、「あなたのことは目に入れても痛くない」と言いながら「孫」の手を取り、その指を自身の目の中に突っ込もうとしたりするのだ。「孫」は祖父母の様子が明らかにおかしいことに気づいているが、家族が来るまでの辛抱だと、とにかくやり過ごすことだけを考えている

しんな滞在中、「孫」はばったり「幼馴染」と再会した。いじめられている少年を助けようと駆け寄ったその時、たまたま「幼馴染」がトラックで通りかかったのだ。自転車を田んぼに落とされた少年を車で学校に送り届けるついでに「孫」もトラックに乗せてもらい、そこで久々に「幼馴染」と会話を交わした。しかし、帰り際に「しばらくいるから、また遊んでよ」と声を掛けたものの、なんとも煮えきらない返事が返ってくる

さて、違和感に耐えつつしばらく1人で祖父母の家にいた「孫」は、ようやく、昼には両親と弟が到着するという日を迎えた。しかしその日の朝、「孫」は「違和感」なんて言葉では収まりきらない「決定的にヤバい状況」を目撃してしまう。「孫」は恐怖で顔が引き攣る……。

様々なことが謎めいたまま、物語は閉じる

正直なところ、本作の全体像を捉えることはとても難しい。というのも本作では、「何がどうなっているのか」という「観客向けの説明」が存在しないからだ。もちろん、観ていれば何となく状況や仕組みは理解できる。しかし本作の場合、ミステリ作品で言うところの「伏線」が冒頭から色々と提示されながら、それらがほぼ回収されないまま終わるのだ。「これは一体何を示唆している場面なんだろう?」と感じさせる状況に後から何らかの説明が付けば、それは「伏線回収」みたいな扱いになるだろうが、本作の場合、それに類するような描写は無い。そのため、「気になるなぁ」という部分がかなり残ったままになっているのである。

ただ、それが悪かったのかというと、決してそのような印象にはならなかった。恐らく、本作が「ホラー作品」だからだろう。最初からミステリ的な作品でないことは分かっていたので、「伏線」っぽく見えるものが回収されなくても「まあそんなものか」と感じられたのだろうと思う。あるいはもっとシンプルに、「説明せずに放ったらかす方が、怖さが増す」とも言えるだろう。「ホラー作品」なのだから、それで良いんじゃないかと思う。

また、「『理解できない』と感じてもらう意図があった」という解釈も可能だろう。本作は、「ある村で起こっている特異な出来事」を描いているように見せつつ、実は「私たちが生きている社会そのもの」を切り取ろうとしているのだと私は受け取った。そして、「作中世界に通底する『理屈』が理解できない」という点はそのまま、「私たちが生きる世界に通底する『理屈』が理解できない」ということに対応しているように思えるのだ。つまり、このような構成にしたことで、「そういえば、自分たちが生きている世界のことも、正直良く分かってないよなぁ」という気分にさせようという意図があるのではないかと感じたのだ。

しかし私の解釈が正しいとして、1つ気になる点がある。それは、「作中世界ではどうも、『孫』以外の人物は、『孫』が理解できていない『理屈』を知っているらしい」ということだ。作中で「孫」は何度か、「知らないの?」「まだ教えてもらってないんだ」みたいに言われていた。このことを踏まえれば、作中世界では恐らく「各家庭がその『理屈』を子どもに教えている」という設定なのだと思う。しかし何故か「孫」だけはそれを知らない(あるいは、「教わったが忘れている」「教わったが受け入れたくないため記憶から消している」)というわけだ。

もちろん、このような設定にすることで「村の存在そのもの」が「孫」にとっては恐怖の対象となるし、観客もその恐怖を体感できるようになると言える。つまり、「ホラー作品」としての存在感にはとても寄与する設定というわけだ。しかし、「作中世界」が「私たちが生きる世界」に対応しているという私の捉え方が正しい場合、「『孫』以外の全員が知っている」みたいな状況が、一体何と対応しているのかがイマイチピンと来ないこともまた確かである。

このように、私は本作について全然理解できていないのだが、それでも、捉えきれた範囲内で色々と書いていきたいと思う。

私たちの「幸せ」は、何かの「犠牲」の上に成り立っている

本作では本質的に、「私たちの『幸せ』は、何かの『犠牲』の上に成り立っている」という主張が展開されている。そして本作において最も興味深いのは、「その『犠牲』が『人間の形』をしている」という点だと思う。何を言っているのかよく分からないかもしれないが、分からないように書いているのでそれでいい。とにかく本作では、「『人間の形』をした『犠牲』が描かれている」という点が重要なのだ。

作中には、「あれが『人間』に見えるの?」と「孫」に問う人物が出てくる。決して、そう口にした人物だけがそのように認識しているのではない。その場にいる「孫」以外の全員が、同じ認識を共有しているのである。

しかし、その「犠牲」は間違いなく「人間」なのだ。それは、「孫」が村人から、「あなたは可愛いんだから、街にでも行って探してくればいいじゃない」と言われることからも理解できるだろう。何を探しに行くのかと言えば、それは明らかに、彼らが「人間」扱いしていない「犠牲」のことだ。つまり、「元々は『人間』だったが、『犠牲』になることで『人間ではないもの』として扱われる」というのが、この村における「正解」なのだろう。

ネタバレにならないように分かりづらく書いているので、状況をイメージするのは難しいだろうが、しかし、今私がした説明だけでも、とても「狂気的」な状況に感じられるのではないかと思う。「人間」を「犠牲」にすることで、村人が生き永らえているというのだから。しかし少し見方を変えると、私たちも実は同じことをしているのだと理解できるはずだ。

本作の冒頭、祖父母と3人での食事の中で「豚の角煮」(と思われるもの)を食べるシーンがあった。そしてその最中に、祖母が唐突に「豚は食べられるためだけに生まれてくる」みたいなことを口にする。その意見に対して、「孫」は「そんなことはないと思うけど」と弱く反論するのだが、祖母はちょっと語気を強めて自身の主張を押し通そうとしていた。

さて、なかなかそのような機会はないだろうが、私たちは「豚」を「同じ生き物」として可愛がれるはずだ。しかしその一方で、平気で「豚肉」を食べることも出来る。これはつまり、「豚」を「食べ物」と捉えているということだ。そして私は、「『生き物』として可愛がれる『豚』を、『食べ物』とみなして食べる」という行為を、本作中における、「元々は『人間』だった存在を、『犠牲』になったことで『人間ではないもの』として扱う」に対応させていると考えているのである。

本作『みなに幸あれ』を観た人はきっと、「この村人ヤベェな」と感じるはずだ。しかし見方を少し変えるだけで、「村人がしている行為」はそのまま、「私たちが罪悪感を抱かずにしている行為」と重なることになる。「非常に誇張された、ある意味でとてもシュールな恐怖」を描き出すことによって、「我々の日常的な行為を再考させる」ような構成になっていると私には感じられたというわけだ。

映画全体の感想

ただ、冒頭でも触れたが、全体的に「説明」が不足していることもあり、「深堀りしていく」のはちょっと難しい作品でもある。もちろん、提示される情報を頼りに何らかの解釈を導くことは可能だろう。しかしやはり個人的には、もう少し考えるためのヒントが欲しかったなと思う。「具体的に描かないことで『恐怖』を高めることを優先した」ということなのだろうし、そうだとすれば、「ホラー作品」としての方向性は正しいと感じる。しかし、なかなか魅力的な設定の物語だったので、もう少し「考察要素」を入れ込んでくれても良かったようにも思う。

物語のラストについて言えば、「社会の大きなシステムに、個人はどう立ち向かうべきか」みたいな物語の帰結としては「そんな風に畳むしかないだろうな」という感じの展開だった。作品の良し悪しとは別に、「そうなるしかないよな」みたいに感じたというわけだ。正直、物語の閉じ方に何かもっと独創性みたいなものがあれば、より高い評価になったのではないかという気もする。

ただ、そういう「作品の評価」とは関係なしに、「自分がもしもこの物語世界で生きているとしたら、どんな風に折り合いをつけるだろうか」とも感じさせられた。正直なところ、納得感のある結論を導き出すのは相当難しいように思う。そしてだからこそ、「作中世界と対応する世界に生きる私たちも、『見て見ぬふり』で状況に対峙するしかない」みたいなことになってしまうのだろう。

さて、演技の話で言えば、まずはやはり古川琴音が素晴らしかった。正直なところ、他の役者の演技があまり上手には見えなかったので、古川琴音だけ浮いているような印象にさえなってしまっていたように思う。特に、登場シーンの多い祖父母の演技がかなり拙いため、映画を観始めた時点では「これはちょっとどうなんだろう」と感じていたぐらいだ。

しかししばらく観ていく内に、「これはこれでアリなのか」という感覚に変わっていった。意図的だったのかは不明だが、「祖父母の演技があまり上手くない」ことによって、結果として「祖父母の振る舞いがもたらす違和感が強まる」という効果が生まれていたように思う。特に物語の前半、「孫」が祖父母に違和感を抱くシーンでは、「不穏な感じ」が強ければ強いほどいいわけで、「祖父母の演技があまり上手くない」という要素がその点を補強しているように感じられたというわけだ。

また本作中には、「怖い」というより「痛い」と感じさせるシーンが結構ある。そしてそれらに対しては「ホントにどうやって撮ってるんだろう」と感じさせられた。特に、「孫」が裁縫道具を取り出したシーンはかなりヤバくて、撮影の裏側を知りたいなと思う。

また作中には、「これ、笑うところだよなぁ」と感じるシーンも割とあったのだが、ホントに笑っていいのかどうかはよく分からなかった客席も反応に困っていたように思う。それぐらい、観ている側のテンションもちょっと歪んでいくような作品なのである。「自分は今、一体何を観ているんだろう?」みたいな感覚にさせられてしまう異様さに幻惑させられていくというわけだ。

「ホラー」と銘打たれた作品ではあるが、どちらかといえば「自分の内側が少しずつ腐っていく」みたいな感覚になる内容だった。そしてそれ故に、「この作品から離れれば『恐怖』からも遠ざかれる」とはならないわけで、この点が、一般的なホラー作品と大きく異なるのではないかと思う。観ながらずっと、脳内に異物を差し込まれたような違和感が残り続ける作品で、「その違和感を”溶かす”には、結局考え続けるしかない」みたいな感覚もまた異質と言えるだろう。

そんな、とても変な物語だったのである。

満員の観客は、一体どこからやってきたのだろうか?

私が観た回は、劇場が満員だった。そして、こんなことを言っては失礼かもしれないが、そのことが私にはとても意外に感じられたのである。

私は昔から、古川琴音のことが割と好きで、だから「古川琴音主演の映画」が公開されると知り、「ホラー作品は普段観ないが、古川琴音が出るなら観るか」と思って鑑賞することに決めた。ただ、確かに古川琴音は「若手注目株の女優」だとは思うが、それにしたってまだ、「誰もが知っている女優」みたいな感じではないと思う。旧ジャニーズや女性アイドルが出演しているならともかく、「『古川琴音目当ての客』だけで、割と広めの映画館が満員になることは、さすがにまだ無いのではないか」というのが私の感触である。

そして本作には、正直なところ古川琴音以外には名の知れた役者は出ていないと思う。「幼馴染」を演じた松大航也のことはほぼ初見だったので、どれぐらい知名度がある人なのかよく分からないが、2.5次元俳優というわけでもなさそうだし、「松大航也目当て」で満員になるというのもちょっと想像しにくい。そして、古川琴音と松大航也以外の出演者は、役者として世間に認知されているような人たちではないと思う

監督は、本作で商業映画デビューを果たしたようだ。となるとやはり、監督の知名度が集客に役立ったということもないだろう。また、本作の総合プロデュースには、ホラー界では重鎮だろう清水崇の名前がクレジットされているのだが、それだけが理由で観客がここまで動員されることも無いように思う。だから私には、チケットを取るのが危ぶまれるほど映画館が混雑していた理由が、まったく理解できなかった。よほどSNSなどでの宣伝が上手くいったのだろうか?

いずれにせよ、映画館で映画を観る派としては、映画館にお客さんがたくさんやってくる状況はとても望ましい。とにかくいつも、「『創作者』が報われる時代であってほしい」と願っているのである。

最後に

全編に渡って「お前の物語だからな」と突きつけられている感じがして、視覚的にも思索的にもゾワゾワさせられた作品である。あとはとにかく、古川琴音が大変良かった

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