【感想】これはドキュメンタリー(実話)なのか?映画『女神の継承』が突きつける土着的恐怖

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ナリルヤ・グルモンコルペチ, 出演:サワニー・ウトーンマ, 出演:シラニ・ヤンキッティカン, 出演:ブンソン・ナークプー, Writer:バンジョン・ピサンタナクーン, 監督:バンジョン・ピサンタナクーン
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • フィクションだと思って観に行ったが、冒頭の展開から「ドキュメンタリーだったのか」と感じた
  • タイ東北部の村に住む、ニムという巫女(霊媒師)に密着する作品
  • 映像から伝わる、その圧倒的なリアリティに驚かされた

映画のラストに挿入されるニムのインタビューが、作品全体を根底から揺るがすようなものになっており、その点もまた実に興味深いと感じた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

ドキュメンタリーなのかフィクションなのか混乱させられた映画『女神の継承』が描く、巫女として生きる女性の葛藤と、継承の凄まじい恐怖

なかなか衝撃的な作品だった。とにかく映画を観ながら、しばらくの間混乱していたと言っていい。

フィクションなのかドキュメンタリーなのか判断がつかなかった

最も混乱させられたのが、「フィクションなのかドキュメンタリーなのか分からない」という点だ。私の場合、観る前の時点で映画についての情報を極力調べないようにしているので、余計こういうことになる。

観る前はフィクションなのだろうと思っていた。というのも私は以前、『哭声』という映画を観たことがあるのだが、『女神の継承』のプロデューサーが『哭声』と同じナ・ホンジンだという事実だけは知っていたからだ。というか。ほぼそれぐらいの情報しか持っていなかったので、なんとなく漠然と「フィクションなんだろう」と思って観に行ったという感じである。

しかし映画が始まってすぐ、「なんだ、ドキュメンタリーだったのか」と思った。映画はニムという名の霊媒師(巫女)をカメラが追う形で始まる。そしてその状況説明として、

2018年にドキュメンタリー映画の撮影でタイの霊媒師を取材し、その中でニムに密着することに決めた。

という字幕が表示されるのだ。これを目にして私は、「なるほど、フィクションだと勘違いしていたが、実はドキュメンタリーだったのか」と思うようになった。

しかし話が進むにつれて、時々、「こんな状況、ドキュメンタリーであり得るだろうか?」と感じるような映像が時々流れるのだ。しかし、そういう場面も目にしてもなかなか確証は持てなかった。というのも、「ドキュメンタリーだと言われれば納得出来る範囲内の映像」だったからだ。映し出されているものが「事実」であるようには思えないシーンも出てくるのだが、しかし「これはすべて事実である」と言われれば、「そうか世の中にはそういうこともあるよな」と納得してしまうような、そういう展開が続くのである。

だからしばらくの間、「この映画はフィクションなんだろうか、それともドキュメンタリーなんだろうか」という点にかなり悩まされた。

さて、この答えについては後でこの記事でも触れるが、今はその真相を書かないでおいておく。知らないまま観たいという方は、ここでこの記事を読むのを止めていただくのがいいだろう

映画『女神の継承』の内容紹介

舞台となるタイでは、「精霊(ピー)」の存在が信じられているという。それは、「宗教」よりもさらに古いものとして知られる存在だ。またタイの中でも、東北部では特に「精霊」の扱われ方が別格である。他の地域以上に、リアルな存在として認識されているというわけだ。

彼らは、「自然を超越したもの」すべてを「精霊」と捉えている。「死んだ人間の霊」だけを指すのではない。精霊はありとあらゆるものに宿り、森、山、木々、水田、家々など、どこにでもいると信じられている。そして、そのような共通理解を強く持つある村に焦点が当てられるというわけだ。

この村には、「女神バヤンの巫女」として知られるニムがいる。カメラが密着すると決めた相手だ。しかし巫女といっても、「霊を下ろして違う声色で喋る」「霊に取り憑かれたように身体が揺れる」のような、よくある霊媒師のイメージを彼女はきっぱりと否定する。インタービューアーを「テレビの見すぎよ」とたしなめるほどだ。また、病気を治す力を持っていることは確かだが、ガン患者がやってきたら病院に行くように伝える。彼女が治せるのはあくまでも、「見えない力」が原因の病気だけというわけだ。

彼女は「女神バヤンの巫女」として村の人々を守っている。日々祈りを捧げたり、村の祭事に関わったりすることで、その存在感を発揮しているのだ。ではそもそも、彼女はいかにして「巫女」になったのだろうか

なんと、「女神バヤン」によって「巫女になるべき者」が選ばれ、その役目が継承されていくのだ。

代々、ニムの家系に連なる女性たちが「巫女」として選ばれてきた。ニムが知る中で一番古い巫女は祖母であり、その後叔母に継承される。それからニムが選ばれたのだが、本来であれば、ニムの姉であるノイが巫女を継承するはずだった。

しかしノイは、巫女になることを全力で拒んだ。そのため、ニムが巫女を引き継ぐと決めたのである。彼女も昔は巫女になりたくないと考えていたのだが、今となってはどうしてあんなに嫌がっていたのか思い出せないと語っていた。

「巫女の継承」は、身体の変化として明確に現れる。その変化は最初、ノイの元にやってきた。女神バヤンに選ばれた証拠だ。体調が悪化し、生理が5ヶ月も続いた。しかしノイは、不屈の精神でバヤンを拒む。その後、ニムの身体に同じような変化が現れた。ニムは巫女になる覚悟を固め、代替わりの儀式を行ってもらう。それ以来ニムは、ずっと巫女として生きている。

ニムは今、ノイの夫の葬儀に参列するために車を走らせているところだ。ノイの夫の家系であるヤサンティア家の者たちは、何故か不慮の死を遂げることが多い。ノイの夫の父親は、経営していた紡績工場に保険金目当てで放火し、その後獄中で死亡した。ノイの息子マックは、バイク事故で亡くなっている。未亡人となったノイは娘のミンと共に、彼女たちの長兄夫婦と生活することが決まった。

葬儀の場でニムは、姪のミンの様子がおかしことに気がつく。気になって彼女の部屋に押し入ると、ウコンで作られたお守りのようなものが掛けられていた。ニムはミンを問い詰める。最近、誰かに話しかけられなかったかと……。

映画『女神の継承』の感想

冒頭で「ドキュメンタリーだったのか」と感じてから、さらにしばらくの間はドキュメンタリーだと思い込んでいた。しかし、さすがに後半まで話が進めば、フィクションであることが理解できる。とにかく、2時間強ある映画の半分過ぎぐらいまで、フィクションなのかドキュメンタリーなのか判別できずにいたことにはドキドキさせられた。今の時代、それが何であっても「先に内容や評価を知りたい」という人の方が多い印象があるが、私としてはやはり、このような経験が出来るからこそ、「何も知らずに観る」というスタイルは止められないなと思う。

この映画の凄い点は、「ドキュメンタリーではないと分かって以降も、そのリアリティや面白さが減じなかったこと」にあると感じた。

私はドキュメンタリーもよく観るのだが、フィクションの映画と比べた場合はやはり、「これが本当に起こったことなのか」という衝撃が作品の評価としてプラスされる。フィクションはフィクションでもちろん面白い。しかしドキュメンタリーや実話を元にした物語の場合、フィクションの場合には評価として存在し得ない「実話であることの凄まじさ」も乗っかってくることになるのだ。どれだけ衝撃的なフィクションも、私には「こんなことが実際に起こったのだ」という感覚とセットで凄まじさを体感できるドキュメンタリーの方がより魅力的に映ることが多い

さて、このような私の感覚を理解してもらえれば、「『ドキュメンタリーだと思っていたものが、実はフィクションだった』と判明した時点で、その評価が少しマイナスの方向にズレてもおかしくない」と感じていただけるのではないかと思う。「これが実話なのか」という、ドキュメンタリーであればプラスで乗っかる評価が無くなるわけなので、普通なら相対的に「評価が下がる」という状態になるはずなのだ。

しかし映画『女神の継承』についてはそのような感覚にはならず、私としてはかなり意外だった。どうしてなのかについてはなかなか上手く思考がまとまらないが、1つには映像の力が挙げられるだろう。

「明らかにドキュメンタリーではない」と分かって以降も、映像は「どう観てもドキュメンタリーでしかない」という作りになっていた。映画の最後まで徹底して「ドキュメンタリー風に撮る」という姿勢を貫いていたのだ。また、私は恐らく、この作品で初めて「モキュメンタリー」という言葉を知ったと思う。「疑似ドキュメンタリー」みたいな意味である。そのようなジャンルがあることを知らなかったということも大きな要素だったと言えるかもしれない。要するに「目の前で展開されている出来事は現実に起こったことではない」と頭では理解できていても、映像が持つ力によって錯覚させられていたのだと思う。

あるいは、映画『女神の継承』が「タイの映画」だったことも大きかっただろう。つまり、「私が顔を認識しているような役者が出てこなかった」という意味だ。もし1人でも顔を知っている役者が出ていれば、その瞬間に明らかにフィクションだと判断できてしまう。タイの人がこの映画を観てどう感じるのかはなんとも分からないが、外国人にとっては、「役者が無名である」という点はプラスに働いたと言っていいと思う。

とにかく、映画全体としてはリアリティが圧倒的だった。「本当に巫女の儀式を撮影している」と信じられるようなクオリティなのだ。中でもリアリティを高めるのに役立っていたのは、「特段説明を加えない」というスタンスだろう。特に、「最後の儀式」など意味不明なことしか起こらないし、そこに至るまでの過程でも理解不能な状況は多々現出する。しかし映画では、それらについて事細かに説明をしない。「何か奇妙なことが目の前で起こっており、それをカメラに収めているだけだ」というスタンスが徹底して貫かれているのだ。そのような作りなので、ストーリーは正直意味不明なものになってしまうが、それと引き換えにリアリティが格段に高まっていると言っていいと思う。

あと、役者の話で言えば、悪霊に取り憑かれたミンの演技が凄まじかった。まるで人間ではないかのような動きは実に圧巻だったと言っるだろう。

さて、映画は全体として「ドキュメンタリー風のホラー映画」というテイストなのだが、グチャグチャと奇っ怪なことが山ほど起こった後、映画の最後にニムのインタビューが挿入される。そしてこのインタビューの中で、映画の「前提」を根底からひっくり返すような、ある意味でとても”深い”問いが投げかけられるのだ。このラストのインタビューもまた、非常に「ドキュメンタリー」的だったと言えるだろう。

映画は、冒頭からしばらくニムが主役として映し出されるが、途中からミンの方に焦点が当てられる。しかし、最後にニムのインタビューが挿入されることで、『女神の継承』はやはりニムの物語だったと改めて実感できるというわけだ。

インタビューでニムが語る内容を踏まえると、ニムがある場面で「代替わりの儀式は出来ない」と口にしたことについても考えさせられるだろう。これは要するに、「ある種の『優しさ』の発露だった」という解釈でいいのだろうか? 「因習は絶たれるべき」という彼女の決意の現れだったのだろうか? 最後に、それまでのすべての描写をひっくり返すような構成になっている点もまた、興味深いと言っていいだろう。

出演:ナリルヤ・グルモンコルペチ, 出演:サワニー・ウトーンマ, 出演:シラニ・ヤンキッティカン, 出演:ブンソン・ナークプー, Writer:バンジョン・ピサンタナクーン, 監督:バンジョン・ピサンタナクーン
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最後に

とにかく、「とんでもない作品を観た」という感覚に強烈に支配される鑑賞体験だった。「土着」という言葉が最もしっくり来るような非常にアジア的な世界観の中で、異様なまでにリアリティを高めつつ、「すべて悪霊が悪いんだ」というエクスキューズを盾に凄まじく混沌とした展開をぶち込む物語は、「ヤバいものに触れてしまった」という感覚を強烈に呼び覚ますことだろう。

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