【感想】湯浅政明監督アニメ映画『犬王』は、実在した能楽師を”異形”として描くスペクタクル平家物語

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「犬王」公式HP

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この記事の3つの要点

  • 公開最終週にたまたま観たのだが、映画館で観られて本当に良かった
  • 声優を務めたアーティストの圧倒的な歌唱力によって、映画は凄まじい「ライブ映像」になっている
  • 犬王は実在し、室町の人々を熱狂させたそうだが、その作品が一切現代に伝わっていないという事実の悲哀

理解できたかどうかで言えばまったく理解できていないのだが、久々に心浮き立つような鑑賞体験だった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

天才が結集した驚愕の「変な話」!観るつもりのなかった『犬王』に、頭をぶん殴られたような衝撃を受けた

映画『犬王』を元々観るつもりはなかった。湯浅政明監督作だとは知っていたし、映画『夜は短し歩けよ乙女』の人だとも知っていたから、公開を待ちわびていてもよかったはずだと思う。ただ、観る予定になかったのは、テーマが「平家物語」だったからだ。「平家物語かよ」と思っていた。劇場で予告映像を観ても、特別惹かれるポイントがない。鑑賞前に評価を調べる習慣がないので、この映画の評判が物凄く良いという情報も、私のところには届いていなかった。そんなわけで、「別に観なくていいか」とずっと思っていたのだ。

観ることに決めたのは、ホントにたまたまだった。「平日の夜、仕事終わりに1本観ようと思ってるのに、上映スケジュールがまったく合わない」と思っていた時に、映画館のサイトをうろうろしながら『犬王』を見つけたのだ。素晴らしいことに、仕事終わりで観るにはピッタリの開始時間だった。これだな。私は、特段期待もせずに、映画館へと向かった

ヤバッ。なにこれまじで。私はこんな傑作を見逃すところだったのか。危なかった。ってか天才やん、この映画。なんなんマジで。

ってなった。

家に帰って、『犬王』について調べてみて驚いた。原作が、あの古川日出男だったのだ。マジか。そりゃあ、古川日出男が描く物語なら、ぶっ飛んだ話になるよなぁ。しかも「犬王」って、実在した能楽師なのかよ。まあもちろん、この映画で描かれるような”異形”じゃないだろうけど、にしたって、実在の人物をベースにここまで面白い物語を作れるものなのか。さすが古川日出男。ってか、原作が古川日出男だって知ってたらもっと早く観てたよなぁ。

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他にも、キャラクター原案は松本大洋脚本は野木亜紀子音楽は大友良英と、私でも知っている作品を手掛ける超一流のクリエイターが集結した、とんでもないモンスターアニメーションだったのだ。

マジで観てよかった。ホントに、ちょうど公開最終週に観たのだ。危ない危ない。こんなとんでもない傑作を、しかも、まさに映画館で観るしかないと感じさせる「音楽映画」を観ないまま死ぬところだった

大げさではなく、ホントに私はそのぐらい衝撃を受けたし、感動させられてしまったのである。

「音楽映画」としての特徴と、ざっくりとした内容紹介

『犬王』はアニメ映画だが、その半分以上は「音楽映画」と言えるだろう。最近では、アーティストのライブが配信でも観られると思うが、まさに「映画館でアーティストのライブ配信を観ている」ような鑑賞体験だと言っていい。「犬王」の歌がメチャクチャ上手いのだが、本職の歌手が声優をやっているのだから当然である。バンド「女王蜂」のアヴちゃんというアーティストだそうだ。その人のことは知らなかったが、歌唱は圧巻だった。

古川日出男の原作は読んでいないので、あくまで想像にすぎないが、映画は「音楽」の部分をかなり広げたのではないかと思う。小説では音を伝えることは出来ないが、映画でならそれが出来るからだ。古川日出男のことだから、とんでもない設定と、長大な文章で、異次元の世界観を作り上げているはずだが、映画では、その原作の中から、「音楽パートとして増幅させられる箇所」を抽出して作品に仕立てているのではないかと私は思う。実際のところ、原作はどんな物語になっているのだろうか?

映画の物語は、「友魚(ともな)」という少年を起点にして始まる。彼の生家の生業は、壇ノ浦に眠る平家の沈没船から「お宝」をかすめ取る仕事だ。そんな彼らの元にある日、京の都から大金を携えた男たちがやってくる。なんでも、彼らが持参した地図が示す場所に「三種の神器」の1つが眠っているから探し出せ、というのだ。

当時の日本は、北朝と南朝の2つに朝廷が分裂していた。そして北朝は、その権威の象徴として、「三種の神器」を1つでもいいからどうしても手に入れたいと考えていたのだ。男たちと話をする友魚の父は、「長年ここにいるが、そんなものは見たこともねぇ」と断ろうとするのだが、家の外から友魚がこっそり送る指示に従い、男たちの依頼を引き受けることにした。

彼らはそれを見つける。探し当てたのは剣だった。父がその剣を鞘から抜くと、まさにその一閃によって父は命を落とし、友魚は失明してしまう

盲(めしい)となった友魚は、父の仇を打つと決意して村を出た。その旅の道中、彼は「平家の物語を歌に乗せて語る者」に出くわす。琵琶法師である。友魚は、偶然出会った琵琶法師を「兄者」と呼んで慕い、共に旅をしながら琵琶の実力を磨くことにした。

長年の放浪の末、「兄者」にとって14年ぶりだという京の都へと辿り着く。そこで友魚は、琵琶法師の巧者集団の仲間入りを果たし、それを機に自らの名を「友一」と変えた

一方、そんな京の都を、瓢箪のお面を被った、片腕が異様に長い男が疾走している。彼は一体何者なのか。

彼は、猿楽の伝統を受け継ぐ「比叡座」の生まれである。しかし、その恐ろしい”異形”ゆえ、「猿楽を継承する者」として扱われはしない。「比叡座」では、その”異形”以外の息子たちに猿楽を叩き込もうとする。しかし、父が望むようなレベルにはまったく到達しない。

琵琶法師・友一と謎の”異形”は、ある火事の夜、たまたま橋の上で遭遇を果たす。”異形”は時々お面を取り、その恐ろしい風貌で人々を恐れさせて面白がっているわけだが、目の見えない友一は、素顔を見せられたところで驚きもない。”異形”は琵琶の存在に気づく。「弾けるのか?」と問い、「当然だ」と答えた友一が琵琶をかき鳴らす。その音に乗せて、”異形”の即興の舞いも橋の上で展開される

友一は”異形”に名を聞いた。「名前はない」と答えた”異形”は、しかしすぐに「もう決めてある」とも口にする。

そう、この”異形”こそ、後に京の都の人々を熱狂の渦に巻き込む「犬王」である

とにかく「ライブ感」が最高な映画

映画『犬王』は、ストーリーももちろん興味深い。しかし、先程触れた通り、半分以上は「音楽映画」だと思っていいし、まさにライブ映像を観ているような感覚になれるのがとても良かった。といっても私は、音楽ライブにもフェスにもまったく縁のない人間で、「音楽を体感することでテンションが上がる」みたいなタイプではまったくない。しかしそれでも、この映画を観ながら、自分のテンションがズイズイっと上がっていくのが感じられた

面白いのは、友一や犬王が生きていた時代には恐らく「オーバーテクノロジー」であるはずの「演出」が組み込まれていることだ。言葉で説明して伝わるか分からないが、例えばこんな感じ。大量の白布を貼り付けたようなスクリーンを垂直に立て、そこにクジラの影絵のようなものを映し出し、さらにロープで上から吊るされた犬王が、クジラの影絵と格闘するかの如くそのスクリーン上を縦横無尽に動き回る、みたいな。このように、かなり現代的な発想による演出が随所に取り入れられているのだ。

「犬王」は実在の人物だが、その名声や作品は現在には残っていない。恐らく、何かの書物の中に「平安の人々を熱狂させた」みたいな記述はあるのだと思うが、犬王がどのような演目・演出で人々を湧かせたのかという記録は、残っていないのだろう。なので、この映画の「音楽映画」の部分は、ほぼ創作だと考えていいと思う。なにせ、映画『犬王』の制作陣が明らかに”遊んでいる”と感じられる場面も多々あるのだ。

例えば、犬王や観客が「ブレイクダンス」にしか見えない踊りを踊っていたり、あるいは、Queen「We Will Rock You」でお馴染みの「ズッズッチャ! ズッズッチャ!」というリズムの手拍子・足踏みが出てきたりする。やりたい放題だ。恐らく、音楽に疎い私には気づけなかった要素が、他にもたくさん散りばめられているのだろう

このような描写からは、「そもそも史実が残ってないんだし、やりたい放題やっちゃう?」みたいな制作陣の遊び心が垣間見える。そして、だからこそ「音楽映画」の部分が物凄く楽しいのだと思う。絵面は平安時代っぽく古臭いテイストなのだが、琵琶の音に乗せて届く音楽と”ライブ演出”はまさに現代のテイストであり、その異様なギャップが物凄く新鮮なのだ。

また、冒頭で少し触れた通り、「犬王」役のアヴちゃんがとても素晴らしかった。圧倒的な歌唱力で「ライブ」を盛り上げる凄さはもちろんだが、声優としても「犬王」という役にハマっていたように思う。登場した瞬間から、まったく謎すぎる存在感を放つこの”異形”に、アヴちゃんの声が「リアリティ」を吹き込んでいるように私には感じられた。エンドロールを見るまでアヴちゃんの存在自体知らなかったが、後で調べてみると「性別非公表」なのだそうだ。そんなアヴちゃん本人の強烈な存在感もまた、「犬王」の輪郭をくっきりさせる要素になっていたのかもしれないと感じた。

劇場公開のタイミングがコロナ禍でなければ、「観客も一緒に歌ってOKな上映」とかやったら盛り上がるだろうなと思う。観客が鑑賞前に練習できるようにYouTubeであらかじめ歌唱部分は公開し、さらに琵琶を含め楽器持ち込み可とかにしたらメチャクチャ面白そうだ。『犬王』の企画がいつから始まったのか知らないが、恐らくコロナ前だろうし、間違いなくそういうアイデアも出ていただろうコロナ禍ゆえにこのアイデアが実現不可能であることがとても残念に感じられる

作品が時代を超えるか超えないか

映画の最後の方で、こんな表記がなされる

こうして「犬王」は、室町の人々を熱狂させたが、その名は現在には伝わっておらず、楽曲も残っていない。一方の「藤若」は、後に「世阿弥」と名を変え、猿楽を大成させた。

映画のストーリーにおいては、先述した「比叡座」と、私たちがよく知る「世阿弥(藤若)」がそれぞれ、朝廷に取り入ろうとして奮闘している。映画の描写だけから状況を正しく受け取るのは難しいが、恐らく最初は、「比叡座」の方が優勢だったのだろう。父の方は実力者であり、朝廷からも評価されていたからだ。しかし犬王を除く息子たちは、父の期待に沿う猿楽を舞えない。一方の「世阿弥(藤若)」は、結果として調停に気に入られて「比叡座」を追い越し、現在にまで名前が残る存在として大成した。要するに、時の権力者との関わりが、芸術の命運を決する時代だった、というわけだ。

一方、犬王はというと、朝廷のことなど関係なしに、一般大衆に向けてエンターテイメントを提供した。映画でもそう描かれるし、恐らくそう記録にも残っているのだろう。犬王は室町の人々を熱狂させた。しかし結果として、犬王のエンターテイメントは時代を超えられなかったのである。

犬王のエンタメが時代を超えられなかった理由の1つは明白だ。犬王が舞うための音楽は友一がかき鳴らすものであり、琵琶法師である友一は「平家」について語っている。琵琶法師とは「歌に乗せて平家の物語を語る存在」だからだ。しかし朝廷は、「平家の物語が勝手に創作され、広まること」を許容したくない。それ故、彼らのエンタメは規制されてしまうことになる。これでは時代を超えることは難しい。また、もちろんのことながら、芸術が生き残るためには、金持ちのパトロンや権威の後ろ盾を必要とした時代だったことも、犬王のエンタメが残らなかった理由だろう。

そんなわけで、「犬王のエンタメが時代を超えられなかったこと」には、時代の様々な要因が絡まり合っていたと考えるべきである。

しかし、そういうことは一旦無視して、「かつて人々を熱狂させたエンタメが、時代を超えられなかった」という事実について考えてみるのは興味深いことだと思う。

私が20代の頃、同じ本屋で働いていた東京工業大学の学生は、「死んだ小説家の作品しか読みません」と言っていた。「『時の試練を乗り越えた作品』にこそ真理がある」という考えを明確に持っていたのだ。何に価値を見出すかは人それぞれだが、彼のように、「時代を超えること」を「作品そのものの価値」と捉える考え方もある。

一方、ムロツヨシ主演の映画『神は見返りを求める』の中で、YouTubeについて面白い言及がされていたことも思い出された。『神は見返りを求める』は、底辺YouTuberだった女性が一躍人気者になっていく過程における様々な人間模様が描かれる物語だ。そして映画のなかで、その人気者になった女性がサイン会の場で、ファンに対して「映画や音楽みたいに時代を超えて残るものじゃないから寂しい」みたいに言う場面がある。それを受けてファンが、「残るものって、そんなに偉いんですか?」「私は日々、○○さんの動画に救われてるんで、それだけで十分です」と返すのだ。

これもまた1つの考え方だろう。私自身は、YouTubeをまったくと言っていいほど見ないし、YouTubeを映画や音楽などとは同列に扱いたくないと考えてしまうタイプだ。しかし、現にYouTubeのコンテンツは同時代の人々に一定以上の影響力を与える存在になっている。恐らくYouTubeの動画は「時代を超えるエンタメ」にはなり得ないだろうが、それだけを理由にYouTubeのコンテンツを「程度の低いもの」と捉える態度もまた正しくないだろう

犬王が室町の人々をどのくらい熱狂させていたのか、それさえも判然としないので、なかなか思考の端緒を掴むのが難しい話ではあるのだが、「『時代を超えること』の価値」とは一体なんだろうかと考えさせられる物語でもあった。

最後に

本当に、心の底から「観て良かった」と感じた。映画鑑賞後に抱く感情は作品によって様々だが、これほどまでに心浮き立つような気分になれた映画は久しぶりだと思う。

正直、「なんのこっちゃ分からん」と感じるシーンが多く、私の中では、どちらかと言えば「意味不明」寄りの作品だと言っていい。それなのに、こんなに楽しい気分になれたことが、自分でも不思議で仕方ない。「とんでもないものに触れてしまった」という感触がビシバシと押し寄せてくる、凄まじい鑑賞体験だった

ほぼノーマークの、期待値ゼロに近い状態でこの映画に触れられたことも奇跡だったと言っていい。私としては、最良の作品に最良の形で出会うことができたと断言できる、素晴らしい映画体験だった。

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