【天才】諦めない人は何が違う?「努力を努力だと思わない」という才能こそが、未来への道を開く:『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:アレシャンドリ・ネロ, 出演:ダヴィ・カンポロンゴ, 出演:アリンニ・モラエス, 監督:マウロ・リマ, Writer:マウロ・リマ
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

「努力している」と考えてしまう時点で、その分野ではきっと闘えない

犀川後藤

結局、努力を努力だと感じない人間には敵わない

この記事の3つの要点

  • 「天賦の才能」を羨んでも仕方ないし、「天賦の才能」だけあっても闘えない
  • 自分が努力だと感じずにやり続けられる分野を探さなければならない
  • 進むべき道が閉ざされたと感じても、「努力できる才能」を鍛えていれば前に進んでいける
犀川後藤

「ピアノさえ弾ければ十分」と考えている人間の指が麻痺してしまうという物語から、「努力とは何か?」を考える

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

努力を努力だと思わない人間だけが、何かを成し遂げられる

「天賦の才能」より「努力できる才能」

「生まれ持っての才能」に憧れてしまうことは、やっぱりあります。どんなジャンルであれ、一流と呼ばれる人たちは、生まれつき何かが違ったとしか思えないような、とんでもない人たちにしか見えません。そして、自分には生まれつきの才能などないから仕方ないと言い訳して、様々なことを諦めることになります。

しかし、本当でしょうか? 「生まれ持っての才能」だけで、トップランナーはトップに居続けられているのでしょうか

世の中のトップランナーと関わる機会はないので、あくまで想像に過ぎませんが、そんなわけはないだろうと思います。

もちろん、生まれつきの才能だけではなく、家にお金があるか、自由な教育環境であるかなど、本人とは関係ない部分での外的要因も絡んでくることが多いでしょう。他にももっと様々な要素が絡まり合っているでしょうが、やはり私は、「努力できる才能」こそが一番重要だ、と考えています。

いか

「努力する天才には勝てない」って良く言うもんな

犀川後藤

その格言ってやっぱり、「天才」より「努力」の方に比重があるよね

歴史上の人物でも、アスリート・芸能人でもなんでもいいですが、「天賦の才能」を過信して努力せず、結果的に大成できなかった人は多くいるだろうと思います。「天賦の才能」のお陰で瞬間的に頂点に上り詰めることが出来たとしても、努力をしなければすぐに追い落とされてしまいます。

「天賦の才能」があるというのは、「スタートラインが大分ゴールに近い場所にある」という意味でとてもラッキーだと言えるでしょうが、しかしそのスタートラインに立ち止まったままならいつか必ず後続に追い越されます

今は流行や話題のサイクルがあまりにも早く、1年前に注目された人もどんどんと忘れ去られていく世の中です。SNSなどの普及によって、「最初のチャンスを手にするハードル」は大分低くなったと言えるでしょうが、それによってスタートラインに並ぶ者が膨大な数になり、結果として「運」や「天賦の才能」だけでは生き残れない時代になっていると感じています。

いか

順調に見える人でも、スキャンダルや炎上があれば一瞬で退場せざるを得ない世の中だしね

犀川後藤

うん、確かにそうなんだけど、それは今回の話にはちょっと関係ないかな

そういう中で、なんだかんだ結局生き残るのは、「努力できる才能」を持つ人間だと感じています。

「努力できる才能」を持つ人間は、「努力を努力だと思っていない」

まず、私自身の話を書きましょう。私には「天賦の才能」はありませんが、「努力できる才能」を持っていると自分では考えています。

この「ルシルナ」というサイトでも、本・映画の感想を日々アップしていますが、こういうことを始めたのは15年ぐらい前からです。その頃から、「本を読み終わったら、あるいは映画を観たら、必ず感想を書く」というルールを課していました。「課していた」というか、感想を書くことを含めて「読書」「映画鑑賞」だと考えていました。

その時々で違いますが、どんなに少なくても2000字、多い時には10000字以上の文章を、本を読む度、映画を観る度に書いています。というような話を誰かにすると、「よくそんなこと続けられてるね」と言われるのですが、私としては無理やり頑張ってるわけではありません。確かに、若干無理してる部分はありますが、それでも、「辛い、止めたい、でも頑張らなきゃ」なんてまったく感じてはいません。

普通の人からすれば、平均で5000字程度の文章を日々書いているというのは常軌を逸しているでしょうし、「努力しても無理」と感じる人もいるでしょう。でも私からすれば、「努力だと思っていたら、こんなの続けられない」という感覚の方が強いです。自分では別に「努力」だと思っていないからこそ、15年近く続けることができています。

いか

2年ぐらいブログ更新してなかった時期なかった?

犀川後藤

あったねぇ。その時期は、「1年で何個資格が取れるか」と「TOEICの勉強をせずにTOEICの点数を何点上げられるか」って実験をしてたわ

あるいは、「努力」について考える時、よくYoutuberのことが頭に浮かびます。私は、Youtubeをほとんど観ませんし(音楽を聴く時にたまにアクセスするぐらい)、Youtuberのことも特に知りません。それに正直に言えば、「Youtuber」という職業は、ちょっと受け入れがたいなぁ、とさえ感じています(その理由は本題から外れるのでここでは書きません)。

ただし、やはりトップで活躍し続けているYoutuberというのは、「努力のかたまり」のような人たちなのでしょう。一度も動画を観たことがないのでよく知りませんが、有名なヒカキンは、寝る間を惜しんで撮影・動画編集をしている、と聞いたことがあります。他のトップYoutuberもそうでしょう。

そして彼らもまた、「努力しているつもりなどないのだろう」と感じます。そうじゃなければ、毎日動画を投稿するなんて常軌を逸した行動を続けられるはずがありません。

そしてこれからの時代は益々、「好きだからこそ続けられる(=努力だと感じない)」という領域で闘うしか生き残れなくなっていると感じています。だから、今していることが「努力」だと感じられるのであれば、その領域は諦めた方がいいと私は思っていますし、「お金を稼ぐためにやること」と割り切った方がいいでしょう。

指が動かなくなった天才ピアニストはどう生きていくのか?

さて、ようやく映画の内容に関係する話をしますが、この映画では、幼い頃から神童と言われ、とにかくピアノさえ弾ければあとはどうでもいいと考える天才の指が動かなくなる、という展開が描かれます。ピアニストにとって指は命のようなもの。そんな命を奪われたピアニストがどんな決断をするのか、という物語です。

ちなみに、実話を元にしています。この映画にはモデルとなる人物がおり、彼の生涯を映画にしているのです。

いか

これが実話っていうのが、ちょっと衝撃的だよね

犀川後藤

モデルの人物を知っている人からすれば、映画のラストは既知だっただろうけど、私は衝撃だったな(この記事では、ラストの展開には触れません)

彼もまた、子どもの頃から、「ピアノを弾くこと」を「努力だと感じない」人物だったことでしょう。とにかく弾いて弾いて弾きまくっていて、だからこそ、若くして信じがたいほどの評価を手にします。

Youtuberなど、それまで無かった新しい分野であれば、ある程度「先行者利益」で勝ち逃げできる部分もあるでしょう。ある種の「運」と「決断」で、普通ならあり得ない高みにたどり着くことが、立ち上がったばかりの新しい分野でなら可能だと思います。しかしピアノというのは、連綿と歴史が続く古典的な分野です。その中で若くして圧倒的な評価を得るというのは、当然「天賦の才能」も必要でしょうが、「狂気と隣合わせの努力」も欠かせないでしょう

そしてその「努力できる才能」が、指が動かなくなった後の彼の人生を救うことになります。

「いや、受け入れるしかない。二度と音楽は出来ないのだと」
「お医者さんはそんなことは言わなかったわ」
「じゃあなんて言ったんだ」
「二度とピアノは弾けない、と」

非常に印象的な場面で、妻とのこのやり取りから、主人公は一筋の光を見出すことになります。そして、信じがたいほどの努力を重ねることで、あり得ない地点へとたどり着くことになるわけです。

もし彼が「天賦の才能」だけに依存していれば、もちろんピアニストとしても大成しなかったでしょうが、それ以上に、指が動かなくなった後の人生を絶望のまま過ごすしかなかっただろうと思います。しかし彼には「努力できる才能」がありました。そのお陰で、絶望の淵にいてもなんとか前進することができたのです

「天賦の才能」がないことを嘆いても仕方ありません。それよりは、自分の中の「努力できる才能」を探し出してみた方がいいでしょう。もしかしたら、あなたが努力し続けられる分野と、まだ出会えていないだけかもしれません。だからこそ、先入観を持たず、何かきっかけがあれば新しいことにチャレンジしてみることも大事だと思います。

犀川後藤

そして、親は「子どもの熱中」を止めないようにするのが大事だと思う

いか

それがゲームでも漫画でもYoutubeでも、「暇つぶし」ではなく「熱狂」しているなら、止めない方がいいよね

映画の内容紹介

ここで改めて映画の内容を紹介します。

ブラジルに住むジョアン少年は、幼い頃からピアノの才能を遺憾なく発揮する。最初に習った先生は、少し彼を教えただけで、「この子はもうすぐ、私より上手くなる」と言って、すぐに別の先生を紹介した。父親の仕事の都合でレッスン代を払えるか常にギリギリの状況ではあったが、彼の天才性と努力は報われる。20歳という若さで、クラシック音楽の殿堂として知られるカーネギーホールで演奏デビューを飾るというこれ以上ないスタートを切り、「20世紀で最も偉大なバッハの奏者」として世界的にその名が知られることになったのだ。

しかしある時彼は、ちょっとした不注意から腕を負傷してしまい、そのせいで右手の3本の指に麻痺が残ってしまう。指専用のギプスをはめ、鍵盤を血で染めながら演奏を続けるのだが、やはりかつてのような演奏ができなくなっている。やがて彼は、ピアノの演奏を諦めてしまうのだが……。

映画の感想

この映画はとにかく、ジョアンという一人の天才を幼少期から最晩年まで一気に描き出します。だからこそ、いつの間にか結婚していたりと、合間合間をすっ飛ばすような構成になっていますが、「クラシック音楽」という古典的な対象をモチーフにしながら、スピーディーに展開する構成にしたのは良かったと思います。

ジョアンは、確かに「ピアノさえ弾ければいい」という人物で、お金や名誉には執着しなかったのですが、唯一ピアノ以外で関心を強く持ったのが女性です。とにかく彼は、女性絡みで度々問題を起こします。銃で撃たれたり(幸い当たらなかったけれど)、コンサートに遅刻しそうになったり、頭を殴られたり。女性との関わりによって、頻繁に大きなトラブルが発生します。

映画全体としては、やはりどうしても重苦しくなりがちなテーマではあるのですが、ジョアンの女性問題の場面がかなりコミカルに描かれるので、バランス良く構成されていると感じました。

いか

なんだかんだ常に周りに色んな女性がいたよね

犀川後藤

女性の扱いが上手いってことなんだろうけど、結婚生活は上手く行かなかったみたいね

映画を観ていて、途中から疑問を抱くようになったのは、映画で使われているピアノ音源は、一体誰が弾いているんだろう? ということです。

普通ならこんなことは疑問に思いません。モデルの人物が生きているなら弾いてもらえばいいし、そうでなくても誰か弾ける人間を探せばいいでしょう。

しかし、ジョアンの弾いている曲は、生半可な難しさではありません

こんな場面がありました。あるピアニストが公演をキャンセルしたとかで、代わりにとジョアンに白羽の矢が立ちます。なぜピアニストはキャンセルしたのか? それは、楽譜があまりに難しすぎるからです。元のピアニストは、公演まで4週間しかないのに仕上げるのは不可能、と言って断るのですが、ジョアンは3週間切っていたのに引き受け、成功させてしまいます。

他にも、「幾多の名演奏家がチャレンジし挫折してきた曲にジョアンが挑戦すると発表した」という場面もあります。つまり、ジョアンが弾いている曲は「普通の演奏家には弾きこなせないほど難しい」というわけです。

そんな曲を弾ける代役など、探せるのでしょうか?

これは、映画を最後まで観て解決しました。ピアノの音源はすべて、ジョアンの実際の演奏を録音したものが使われている、とのことでした。なるほど。

犀川後藤

まあでもホント、ド素人が聴いても、なんじゃこりゃっていう感じの曲だよね

いか

クラシックの作曲家ってのは、人間の指が8本ぐらいあるとでも思ってたのかな?(笑)

しかしまだ問題はあります。運指です。

普通、ピアニストを役者が演じる場合、「顔を映すカット」と「手を映すカット」を分けて、演奏している風に映すでしょう。役者に、ごく一部分だけ実際の運指を覚えてもらい、弾いている感じを強める、ぐらいのことはあると思います。

でもこの映画では、幼少期・青年期・それ以降と、ジョアンを演じる3人の役者が登場し、その全員が、顔が映った状態で運指もしている、という場面がとても多いのです。適当に鍵盤を押さえているなんてことはないだろう(そんなことをすれば、ピアノを弾ける観客にすぐ指摘されてしまう)から、「超絶難しいピアノ曲の運指」を役者が頑張って覚えた、としか考えられません(CGの可能性もあるのかな?)。

私はピアノを弾けるわけではなく、クラシック音楽も嗜まないので分かりませんが、音源や運指のことも考えると、音楽映画としてもかなりレベルが高いといえるのではないかと思います。

出演:アレシャンドリ・ネロ, 出演:ダヴィ・カンポロンゴ, 出演:アリンニ・モラエス, 監督:マウロ・リマ, Writer:マウロ・リマ
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最後に

自分にも「努力できる才能」はあると思っていますが、映画を観て、彼ほどには努力できないなぁ、とも感じさせられました。やはり、どこにでも化け物のような人間はいて、狂気としか言いようのない努力によって不可能の扉をこじ開けていくのだなと思わされます。

自分が進むべきだと信じていた道が閉ざされてしまっても、まだ何かあると信じられるような映画です

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