【実像】ベートーヴェンの「有名なエピソード」をほぼ一人で捏造・創作した天才プロデューサーの実像:『ベートーヴェン捏造』(かげはら史帆)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:かげはら 史帆
¥1,870 (2021/12/13 06:18時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 耳が聞こえなかったベートーヴェンが筆談でやり取りしていた「会話帳」が現存している
  • シンドラーは「会話帳」を改ざんすることでベートーヴェンを神格化することに成功した
  • ベートーヴェンの実像は、女好きでDV疑惑もあるヤバい奴

名コピーライター・シンドラーが存在しなければ、ベートーヴェンの曲は歴史に残らなかったかもしれない

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

ベートーヴェンの「超有名エピソード」のほとんどを創作したとされる天才プロデューサーの実像を描き出す『ベートーヴェン捏造』

かの有名な「運命」に関するエピソード

クラシック音楽を聴かない人でも間違いなく知っているだろう、「ジャジャジャジャーン」という印象的な出だし。「運命」という名前で知られる曲だ。この曲について本書に、こんな文章がある。

世の中では大河的なベートーヴェン像が主流で、専門家やオタクはさておくとして、一般人はみな『交響曲第五番』を「運命」と呼び続けているじゃないか

意味が分かるだろうか? 実は「運命」という曲名は、ベートーヴェン本人による命名ではないと考えられているそうなのだ。

では何故この『交響曲第五番』は「運命」と呼ばれているのか。そこにはこんな理由がある。「ジャジャジャジャーンというモチーフ」について、『ベートーヴェン伝』という本に、「『このように運命が扉を叩くのだ』とベートーヴェン自身が語った」というエピソードが書かれているのだ。この記述を元に、「『運命』はベートーヴェンの命名」と考えられてきたわけである。

そしてこの『ベートーヴェン伝』を書いた人物こそ、本書の主人公だ。アントン・フェリックス・シンドラーは、ベートーヴェンを伝説的な存在にまで引き上げることに成功した、天才的な“嘘つき”プロデューサーなのである。

本書は小説仕立てでシンドラーの生涯を追う作品である。まったく知らなかった話が満載で、非常に興味深く読んだ。

本書を読めば、ベートーヴェンに関するありとあらゆるエピソードが、実はシンドラーによる創作だったと理解できるだろう。

シンドラーが注目した「会話帳」

さて、この作品に関して理解しておくべき重要な要素がある。それは「会話帳」と呼ばれるものだ。

ベートーヴェンはよく知られている通り、耳が聞こえなかったので、「ベートーヴェンは言葉を発し、相手は紙に書く」というスタイルで会話が行われた。この「ベートーヴェンとの会話が書き込まれた紙」が「会話帳」である。

そして、この「会話帳」に誰よりも早く目をつけ、これを利用することでベートーヴェンを神格化させることに成功したのがシンドラーであり、さらに彼自身の名声をも高めようと試みたのだ。本書はその知られざる歴史を紐解く作品である。

現在では、この「会話帳」は非常に重要な資料として認識されているが、それは次のような理由からだ。

「<会話帳>の最大の価値は、そこに書き留められた日々の苦労、ゴシップ、悪意やユーモアなど、些末なことにあるように思われる」――音楽研究者ニコラス・マーストンはそう言った。衣食住から人間関係のごたごたまで、くだけた会話帳で記録されているさまはまるで二百年前のSNSだ

二百年前のSNS」という表現は非常に分かりやすいだろう。確かにこのような「当時の風俗」を伝えるという意味で価値があるという説明は理解しやすい。もちろん「ベートーヴェン研究」という意味でも重要なのだが、この点については”シンドラーのせい”で疑問符がつきまとうことになってしまった。その理由は後述しよう。

一方ベートーヴェンの死後しばらくの間、この「会話帳」の価値に気づく者はほとんどいなかった。確かに一面的な見方をすれば、それも正しい。何故なら、

ベルリンの識者の中には、会話帳を「文学的珍品」と評した人もいた。はっきりいって皮肉である。どれほど言葉を尽くして説明しても、彼らにはいまいちピンと来ないようだった。だってこれ、ぜんぶベートーヴェンの直筆ならまだしも、ほとんどがそうじゃないんでしょ? 言うほどの価値があるとは思えませんけどねえ?

というわけだ。確かに、ベートーヴェン自身の言葉ではないのだから、その価値を上手く認識できないのも無理はなかっただろう。

しかし、天才プロデューサーであるシンドラーは、その利用価値を十分に理解していた。シンドラーが「会話帳」の価値に気づいた際の内面描写はこんな具合である。

いや……。
ある。あるぞ。手つかずの膨大な資料が。
あの筆談用の「ノート」だ。
誰も思い出しもしまい。それどころか、保管されている事実すら知るまい。そもそも、あれに価値があると思ってはいまい。ベートーヴェン本人のセリフがたくさんあるならまだしも、ほとんどが、ベートーヴェンの取り巻きどもの雑多な書き込みにすぎないのだから。
わかっているのは、おそらく自分だけだ。あのノートが、捨てられずにほとんどすべて残っていることを。ベートーヴェンの言葉が存在しないという欠点こそあれど、彼の人生をたどる上で、ある程度の状況証拠として使いようがあることを

彼が「使いよう」と表現しているように、まさにシンドラーはこの「会話帳」を利用した。もっと言えば「改ざん」したのだ。この事実が発覚したことで、ベートーヴェン研究における「会話帳」の価値には疑問符がつくことになる

その嘘は、1977年に明らかになった

「会話帳の改ざん」という衝撃の研究発表

1977年、ベートーヴェン没後150年というアニバーサリー・イヤーに衝撃の研究が報告された。東ベルリンで開催された「国際ベートーヴェン学会」において、「ドイツ国立図書館版・会話帳チーム」のメンバー2人が、音楽界に激震を与えるある発表を行ったのだ。それは、

われわれが編纂している会話帳のなかに、ベートーヴェンの死後、故意に言葉が書き足されている形跡を発見した、と。

というものだった。

彼女たちの報告は、まさに想像を絶すると言っていいだろう。現存する「会話帳」は139冊あるが、その内の64冊、246ページに「改ざん」の痕跡があるというのだ。しかも驚くのはまだ早い。彼女たちは、

リストに挙がった箇所の多くが、これまで、研究者や伝記作家らが重要な史実の証拠として引用してきた一次ソースだったのだ

と指摘したのである。

つまりこういうことだ。これまでベートーヴェンに関する研究や伝記執筆は「シンドラーの著作」をベースに行われていた。そのシンドラーは「会話帳」を元にベートーヴェンの姿を描き出していたわけだが、しかし同時に「会話帳」そのものを改ざんしていたのだ。そして、まさに「会話帳に記載されているから真実である」と研究者や伝記作家が判断してきた箇所こそ、手が加えられていたのである。

当然だが、私たちが知っているベートーヴェンに関するエピソードは、研究者や伝記作家が発表したものがベースになっている。つまり、世の中に存在するあらゆるベートーヴェンのエピソードは、シンドラーによる創作の可能性がある、というわけなのだ。

「会話帳に改ざんの痕跡があるエピソードは嘘だと判定すればいい」と思うかもしれないが、そう簡単な話でもない。事実を基にシンドラーが改ざんを行った、という可能性もゼロではないからだ。シンドラーによる完全な創作ももちろんあるだろう。しかし、「会話帳」を改ざんすることで「証拠は存在しないが実際にあった出来事」の信憑性を高めた、という可能性も捨てきれない。そして、それを検証する手立てなど存在しないのである。

ここまでの説明で、シンドラーが「会話帳」のどこに価値を見出したのか理解していただけただろう。彼は「会話帳の改ざん」という行為によって「ベートーヴェンという天才」を後世に残すことに成功したのだ。そしてそれだけではなく、そんな天才を献身的に支えた存在として、シンドラー自身の評価も高めることができる。

まさに「名プロデューサー」と言っていいだろう

「名コピーライター」が「ベートーヴェンの実像」を覆い隠した

こんな”プロデュース”が可能だったのも、シンドラーが「名コピーライター」だったからだ。本書には、こんな文章がある。

ヨーロッパ文化史研究者の小宮正安は、『音楽史・影の仕掛け人』(2013年刊)で、音楽史を動かした「仕掛人」のひとりとしてシンドラーを取り上げ、こう言う。

「シンドラーは、ベートーヴェンの伝説の形成にあたって欠かすことのできない名コピーライターだった。(……)ベートーヴェンの作品に関する特別な逸話がなければ、あるいはそれを基にした呼称が生まれなければ……。それらが現在のような超有名作品になりえていたかどうかは、誰にも分からないのである。」

不朽のベートーヴェン伝説を生み出した、音楽史上屈指の功労者。
それこそが、アントン・フェリックス・シンドラーの正体だ。音楽ビジネスの世界で生きた男に対して、嘘つきとか食わせ者とか、そんな文句こそが野暮ったいのではないか。いつの世も、名プロデューサーは嘘をつく

つまり、「シンドラーが名コピーライターとしての天才性を発揮したからこそ、ベートーヴェンの作品が名作という評価を得られたのではないか」という捉え方である。これだけ聞くと「ホントかよ」と感じるかもしれないが、本書を読んでいると「確かに」と思わされる部分もある。

特別な名前やキャッチコピーを付けるのは、シンドラーがもっとも得意とするブランディング戦略だった。『交響曲第五番』は「運命は扉を叩く」、シューベルトの音楽は「神のごとき火花」、そして自分自身は「無給の秘書」。シンドラーの著した『ベートーヴェン伝』が長年にわたって読みつがれた最大の理由は、この命名のインパクトにあったといってもいいだろう。いち市民音楽家の人生が、ただならぬ神話のように見えてくるマジックだ

「ビジュアル」の力が強い現代ではこうはいかないかもしれないが、シンドラーの時代であれば今以上に「言葉」によるイメージ戦略は重要だっただろう。まさにシンドラーは、短くインパクトのあるフレーズによってベートーヴェンその人や生み出した曲を印象づけることに成功し、そのお陰で「後世に残る偉大な音楽家」が誕生したとも言えるだろう。

では、実際のベートーヴェンはどのような人物だったのか

本書では、ベートーヴェンの銅像がお披露目される式典の描写が登場する。これは「当時のベートーヴェンの捉えられ方」を理解する上でうってつけの場面と言っていいだろう。

まず、式典のいち参加者としてその銅像を見たシンドラーの感想はこうだ。

彼自身もよく知る本物のベートーヴェンにそっくりだった

※「本物の」に傍点が打たれている

また、他の式典参加者の反応をシンドラーはこんな風に受け取る。

人びとの間には、しらけたような空気が漂っていた。大衆は早くも夢から醒めはじめている。シンドラーはそのムードを察した。それもこれも、広場に突っ立っている、あの本物に似すぎたベートーヴェン像のせいだ

つまり、「本物そっくりの銅像を作ったせいで白けた雰囲気になっている」とシンドラーは感じているわけだ。

では、”本物そっくり”だというベートーヴェンの銅像はどんな姿をしているのか

ずんぐりした体型。四角くがっちりした顎。もじゃもじゃと渦を巻いた髪。上着もズボンも、首に巻かれたクラヴァットも、二十年前の市民の平服そのものだ

とても「偉大」と呼べるような風貌ではなかったようだ。

また本書では、甥のカールとのあるエピソードも語られる。ベートーヴェンの性格の悪さが露わになった事件だ。確かに、ベートーヴェンの振る舞いは相当に酷い。

そしてこの「ベートーヴェンは酷い男である」という事実こそが、改ざんを行ったシンドラーの大いなる動機だと本書では捉えている。

シンドラーが改ざん・捏造を行った動機

本書では、ベートーヴェンの人間的な酷さが理解できる様々なエピソードが紹介されている。恐らくそれらは、実際にあったことだろう。少なくともシンドラーによる捏造ではない、というのが本書の立場である。

というのも、シンドラーは「ベートーヴェンの悪行を隠し、エピソードを捏造することで、ベートーヴェンを神格化すること」に命を掛けていた、というのが本書の解釈だからだ。

シンドラーにとって、嘘とは、ベートーヴェンに関するあらゆる「現実」を「理想」に変えるための魔法だった。悪友どもと繰り広げたお下品なやりとりは抹消して、純愛ドラマで塗りつぶしてしまう。内情は決して見せてはいけない。それがシンドラーの秘めたるポリシーだったと考えられないだろうか

しかし、何故そんなことをする必要があったのだろうか? 本書ではその理由を、「『ベートーヴェンに献身した男』としての自分自身の価値を高めるため」と考えている。

本書では、シンドラーがベートーヴェンから嫌われていたことを示す記述が多数登場する。

シンドラーというこの押し付けがましい盲腸野郎は、あなたもヘッツェンドルフでお気づきだったでしょうが、もうずっと私には鼻つまみものなのです

友人などに宛てた手紙には、こんな酷い記述がかなり散見される。それだけではなく、シンドラー本人に対しても、手紙で酷い言い方をするほどだ。

きみのような凡庸な人間が、どうやって非凡な人間を理解しようというのか!? 手短に言おう。俺は自分の自由をとても愛しているのだ。きみに来てもらいたい機会もないではないが、いつもとはいかない。俺は生活のペースを乱したくないのだ

散々な言われようである。このままであれば、「ベートーヴェンに嫌われた男」というだけで終わってしまう

しかし「会話帳」を改ざんし、存在しない(かもしれない)エピソードをでっち上げることで、まずベートーヴェン自身を神格化する。さらにそんなベートーヴェンに献身したシンドラー自身も凄い人物だと思わせる、というのがシンドラーの動機だったのだろう。

そしてその目論見は大成功を収めた。ベートーヴェンは音楽史上に残る天才として名を刻み、シンドラーはそんなベートーヴェンを語る者として記憶されることになったのだ。見事なブランディングだったと言えるだろう。本書はそんな「シンドラーの嘘」を暴く作品だ。

しかし本書で著者は、シンドラーの行為の是非について議論したいわけではない。本書を執筆した動機をこんな風に書いている。

本書は、シンドラーを肯定するためのものではない。あくまでもシンドラーのまなざしに憑依して、「現実」から「嘘」が生まれた瞬間を見きわめようとした本だ

著者は、シンドラーに関する集められるだけの資料を集め、その中からなんとか使えるものを選り抜き、無謀とも言える「シンドラー目線での小説」を仕上げた。ベートーヴェンのエピソードの真偽が不明なように、シンドラーのエピソードもどこまで事実なのか分からない部分はあるだろうが、半分ノンフィクション、半分小説のような捉え方で本書は楽しめるのではないかと思う。

著:かげはら史帆
¥1,777 (2022/01/29 20:48時点 | Amazon調べ)

最後に

非常にライトな文章で展開される作品で、音楽や歴史にさほど興味がなくてもスイスイ読まされてしまうだろう。どこまで史実なのかは分からないものの、「ベートーヴェンの有名エピソードはほとんど嘘である可能性がある」という点は間違いないわけだし、そのことが実感できるという意味でも非常に面白い。

女好きでDV疑惑まである市民音楽家を、音楽史に残る天才にまで昇華させることに成功したシンドラーという名プロデューサーの奮闘と生涯を、本書で体感してほしい。

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