目次
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 無名だったロバート・キャパを一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」は、銃撃された瞬間を撮ったとされる出世作
- 本物なら、タイミング良く銃撃の瞬間を撮れるのか。偽物なら、あんなに見事に転べるのか
- 沢木耕太郎は、「銃撃された瞬間を撮影したのか?」ではない、より本質的な「問い」を見つけ立証した
20年以上も心の奥底に渦巻いていた疑問に挑む沢木耕太郎の執念が凄まじい
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世界一有名な戦争写真「崩れ落ちる兵士」につきまとう謎に、沢木耕太郎が迫った『キャパの十字架』
「崩れ落ちる兵士」について
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本書は、「ここに一枚の写真がある」という書き出しで始まる。その写真とは、世界一有名とも言われる戦争写真「崩れ落ちる兵士」だ。戦争写真家として数々の傑作を残したロバート・キャパの作品である。
著者はこの作品について、
それは写真機というものが発明されて以来、最も有名になった写真の一枚でもある。中でも、写真が報道の主要な手段となってから発達した、いわゆるフォト・ジャーナリズムというジャンルにおいては、これ以上繰り返し印刷された写真はないように思われる。
と書いている。
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このブログに直接画像を載せると著作権的にマズいと思うので、「崩れ落ちる兵士」と検索して実際の写真を見てほしい。すぐに検索で引っかかるはずだ。
まずは、この写真が撮られた状況や、どんな「疑惑」が存在するのかに触れていこう。
この写真は、スペイン戦争時に撮られたものだ。共和国軍の兵士が、敵である反乱軍の銃弾を受けて倒れるまさにその瞬間を撮影したものだと、長いこと考えられてきた写真である。
実際に写真を見ると、そういう場面であるように見えるだろう。「崩れ落ちる兵士」というタイトルも、よりその印象を強める。この写真は、当時無名だったロバート・キャパを一躍有名にしたという意味でも、非常によく知られた作品である。
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しかし冷静に考えてみれば、「兵士が撃たれた瞬間など、撮影できるのか?」という疑問を持つだろう。同じように考える者は、以前から存在した。
この兵士が本当に銃弾を受けた直後なのだとすれば、キャパは敵に背を向けていないとおかしい。しかし果たして、実際にそんなことが可能だろうか? 仮にキャパがその勇敢さを示して敵に背を向けていたのだとしても、タイミング良く銃撃された瞬間をカメラに収められるだろうか? 当たり前だが当時は連射機能などなく、シャッターを切ったら一枚ずつフィルムを巻き上げないといけない。つまり、絶妙な一瞬を狙うしかないというわけだ。
もちろん、たまたま非常にタイミング良くこんな写真が撮れてしまった、という可能性だって無いわけではない。キャパがそう主張すれば、一応議論は終わるはずだ。しかしこの写真の真贋問題は、現在に至るまで長らく残っている。
何故だろうか? 撮影時キャパは22歳と若かったのだから、その後いくらでもこの写真について尋ねる機会はあったはずだ。キャパが、この写真をいつどこでどんな風に撮ったのか明らかにしていれば、その証言が正しくても嘘でも検証できる。
しかしキャパは生前、この写真について詳しく語ろうとしなかったという。この写真の謎に挑む者は、キャパ自身がこの写真について言及している記録の少なさに驚くことになる。
やはりそうなると、何かやましいこと、隠したいことがあるのではないかと疑われてしまっても仕方ないだろう。
このような理由から、「『崩れ落ちる兵士』は本当に銃撃された瞬間の写真なのか?」という真贋問題は、長らく未解決の問題として残り続けることになった。
そんな謎に、『深夜特急』『テロルの決算』『敗れざる者たち』などで知られるノンフィクション作家・沢木耕太郎が挑むことになる。
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「崩れ落ちる兵士」の謎に挑むきっかけ
沢木耕太郎はもちろん、以前から「崩れ落ちる兵士」という写真の存在を知っていた。しかし当初は、その写真に疑問を感じなかったという。では、どのようにしてこの謎に向き合うことになったのか?
本書には、こう書かれている。
この「崩れ落ちる兵士」の真贋問題について、私はリチャード・ウィーランの『ロバート・キャパ』を手にするまで、まったく疑問を抱いていなかった。しかし、『ロバート・キャパ』を訳していく過程で小さな疑問が芽生え、やがてそれはみるみる大きなものになっていった
このような小さな疑問を抱いたのは、なんと本書執筆の20年以上も前だという。それから沢木耕太郎は折りに触れこの疑問を意識に上らせることになる。
キャパが存命だった時点ですでに議論されていた謎なのだから、何らかの結論が出ていれば耳に入ってもおかしくはないが、そんな話が聞こえてくるわけでもない。キャパ自身はこの写真について語らなかったのだから、伝記を読んだり、あるいはキャパの他の写真を見ても分からない。
メディアでは時折、「崩れ落ちる兵士」の真贋問題の進展についてニュースが流れる。写真が撮られた場所が分かったとか、写真の人物の身元が判明した、などである。そういう情報に触れる度、彼は現地取材したいと考えるが、どうしても仕事が立て込んでいて叶わない。そしてそのまま、小さなトゲのように自分の内側にずっと残り続けていたのだった。
20年以上もそんな状態で過ごした上、未だに謎は解かれていないのだからと、満を持してこの謎に相対することに決めた、というわけである。
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著者は「崩れ落ちる兵士」の謎に挑む前に、問いを整理している。それは簡潔に、以下のようにまとめられている。
かりに「真」だとしても、あのように見事に撃たれた瞬間を撮れるものだろうか。同時に、もし「贋」だとするなら、あのように見事に倒れることができるだろうか、と
そう、問題は「写真の兵士は本当に撃たれたのか?」だけではない。仮にあの写真が何らかの嘘なりフェイクなりを含んでいるなら、「『撃たれた瞬間だと誤認させるほど上手く転ぶ』なんてことが出来るのだろうか」という疑問を解消する必要があるのだ。
ここが、この謎に挑む著者のスタート地点である。
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本書の構成・展開について
この記事では、当然だが、本書で示される結論については触れない。是非本書を読んでほしい。
沢木耕太郎の「謎解き」がどのように展開され、本書がどう構成されているのかについてここでは触れていこう。
まず冒頭では、ロバート・キャパという写真家や「崩れ落ちる兵士」という写真についての基本情報がまとめられている。要点をざっと整理すると、
- ロバート・キャパという写真家に関する基本情報
- キャパと共に戦場を駆け回ったゲルダ・タローという女性との関係
- 「崩れ落ちる兵士」の基本情報や評価
- 「崩れ落ちる兵士」の真贋問題に関して公に知られていたこと
となる。これらが冒頭でコンパクトにまとめられ、「調査開始時点で沢木耕太郎が理解していた様々な事実」を知ることができる。
そこから、沢木耕太郎自身による調査が始まる。どのようなきっかけからどんな調査を行い、その結果どのようなことが判明し、それを元にさらにどう調査を進めたのか、という報告がなされるのだ。
しかしこの調査は、想像している以上に困難である。というのも、「人物への取材はほぼ不可能」だからだ。
キャパを含め、この写真が撮影された当時のことを知る者は既に亡くなっている。「崩れ落ちる兵士」の撮影は1936年であり、80年以上も前のことなのだ。さらに、「崩れ落ちる兵士」の真贋問題に熱心に取り組んだ者さえ、存命ではないことの方が多い。つまり、「生きている人物から、それまで知られていなかった情報を聞き出す」という取材は叶わないのである。
沢木耕太郎が調査に使えるのは、「キャパが残した無数の写真」と「キャパに関する伝記・インタビュー」くらいである。あとは、写真に写っている場所だと推定される場所へ行き、その現地取材から何か見出せるかどうか。写真が撮られてから80年以上、無数の人の目にさらされてきた写真から何か分かるとは思えないし、キャパが撮った他の写真や、「崩れ落ちる兵士」にほとんど言及しなかったキャパの伝記・インタビューが参考になる気もしない。
しかし本書を読むと分かるが、沢木耕太郎はとんでもない執念で調査を行い、誰も想像しなかった地平へと読者を連れて行くのである。
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「調査を行う沢木耕太郎の執念
「崩れ落ちる兵士」に関する真贋問題がこれまでも議論されてきた、と書いたが、本書冒頭にまとまっているその調査は、私のような素人が見ても「憶測に憶測を重ねているだけ」に感じられた。
とはいえ、当たり前と言えば当たり前ではある。事情を一番知っているキャパは写真について語らないし、たった1枚の写真から分かる情報は少ない。物的証拠によって何かを明確に証明するなどほぼ不可能に思える状況であり、「謎解き」が憶測や推論によってしか行えないのも致し方ない部分はある。
一方で沢木耕太郎は、とにかく「憶測の精度をこれでもかというほどに高める」という点にこだわる。使える材料があまりに限られているため、どうしても「弱い憶測」に頼るしかない部分も出てくるが、それでも著者は、可能な限り「客観的な証拠によって事実を明らかにする」ことを目指す。
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彼は、「崩れ落ちる兵士」の写真とは直接的には関係ないとしか思えないような写真や書籍なども調べ尽くし、長い間思考を深めることで、誰も気づかなかったある着想を得る。そして、自身の頭に浮かんだ着想が事実だった可能性があるのかという検証を幾重にも行い、100%の確証は得られないまでも、「客観的・論理的に考えるとこれしかないのではないか」と感じさせる、とんでもない結論にたどり着く。
まさにそれは「とんでもない」と言っていい結論だ。何故なら沢木耕太郎は、「世界中の人はそもそもの『問い』を間違えていたのかもしれない」と明らかにしたからだ。
もちろん、「撃たれた兵士を撮影した写真なのか?」という「問い」が無くなるわけではないのだが、沢木耕太郎は、様々な調査を重ねる過程で、それよりもさらに重要かもしれない「問い」の存在に気づくことになる。そしてその「問い」に答えようと調査を進める過程で、本来の「問い」にも著者なりの結論を導き出せるようになるのだ。
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沢木耕太郎が、ある着想に至るきっかけとなった写真がある。<ルガール>誌に掲載された「突撃する兵士」だ。著者はキャパが残したあらゆる写真を四六時中眺め続けるが、その中でこの「突撃する兵士」からある仮説を閃くことになる。
本書を最後まで読めば、沢木耕太郎がこの時に着想した仮説には納得できるだろう。しかし、写真からこの仮説を導き出した時には、「まさかそんなわけないだろう」と思った。確かに、言われればそう見えなくもないが、それにしてもあまりに我田引水に過ぎるだろう、と思わざるを得ない仮説なのだ。
しかし著者は、自ら導き出した仮説を徹底的に検証し、恐らくこれが事実だったのではないか、というかなり確信めいたところまでたどり着いてしまう。ほとんど材料がない中で、徹底した写真の観察から「誰も思いつかなかったある仮説」に思い至り、それをほぼ立証するところまで調査してしまう辺り、恐ろしい執念を感じる。この作品は、現実を舞台にミステリ小説の謎解きを行っているようなスリリングさに溢れているのだ。
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著:沢木 耕太郎
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あとがきで沢木耕太郎はこんな風に書いている。
たぶん、これを読んでくれた方には理解してもらえるように思えるが、私のしようとしたこと、したかったことは、キャパの虚像を剥ぐというようなことではなかった。
ただ、本当のことを知りたかっただけなのだ。「崩れ落ちる兵士」は本当に撃たれているのか、本当に死んでいるのか。その問いがさらに大きな、別の謎を生み出すことになるなどとは、まったく思ってもいないことだった。
いまでも、「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎のひとつに答えが出たいまでも、私のキャパに対する親愛の情は変わらない。それは、伝記的事実から受けるキャパの印象が、どこか私に似ているように思えるからかもしれない。
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恐らくそんなスタンスを理解してもらえたのだろう。本書にはこんな一文もある。
ここに掲載したキャパの写真はすべて「マグナム」から借りている。その際、マグナムの日本支社から、「マグナムは必ずしも沢木氏の本の内容を認めているわけではない」との一文を入れてほしいという申し入れがあった。私は「喜んで」と応じた。
「マグナム」というのは、ロバート・キャパを始めとする4人の写真家が立ち上げた、写真家の権利を守るエージェントのような組織だ。当然だが、沢木耕太郎がキャパの評判を貶めようとしていると判断されていたら、「マグナム」から写真を借りることはできなかっただろう。
長年の謎にまったく違う光を当て、「真贋問題の意味合い」をも変えてしまった沢木耕太郎の執念には驚かされる。小説のようなスリリングな展開にワクワクさせられる作品だ。
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「俺が死ぬまで公開するな」という条件で撮影が許可された映画『バケモン』。コロナ禍で映画館が苦境に立たされなければ、公開はずっと先だっただろう。テレビで見るのとは違う「芸人・笑福亭鶴瓶」の凄みを、古典落語の名作と名高い「らくだ」の変遷と共に切り取る
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私は学生時代ずっと国語の授業が嫌いでしたが、それは「作品の解釈には正解がある」という決めつけが受け入れ難かったからです。しかし、詩人・渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』を読んで、詩に限らずどんな作品も、「解釈など不要」「理解できなければ分からないままでいい」と思えるようになりました
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「ホロコーストが起こったか否か」が、なんとイギリスの裁判で争われたことがある。その衝撃の実話を元にした『否定と肯定』では、「真実とは何か?」「情報をどう信じるべきか?」が問われる。「フェイクニュース」という言葉が当たり前に使われる世界に生きているからこそ知っておくべき事実
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現在では、人工知能を始め、我々の生活を便利にする様々なものに使われている「ベイズ推定」だが、その基本となるアイデアが生まれてから200年近く、科学の世界では毛嫌いされてきた。『異端の統計学ベイズ』は、そんな「ベイズ推定」の歴史を紐解く大興奮の1冊だ
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「生理は語ることすらタブー」という、21世紀とは思えない偏見が残るインドで、灰や汚れた布を使って経血を処理する妻のために「安価な生理用ナプキン」の開発に挑んだ実在の人物をモデルにした映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』から、「どう生きたいか」を考える
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歴史に詳しくない私は、「東京裁判では、戦勝国が理不尽な裁きを行ったのだろう」という漠然としたイメージを抱いていた。しかし、その印象はまったくの誤りだった。映画『東京裁判 4Kリマスター版』から東京裁判が、いかに公正に行われたのかを知る
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学校で数学を習うと、当然のように「証明」が登場する。しかしこの「証明」、実は古代ギリシャでしか発展しなかった、数学史においては非常に”異端”の考え方なのだ。『数学の想像力 正しさの深層に何があるのか』をベースに、ギリシャ人が恐れたものの正体を知る
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数学界には、「数学は神が作った派」と「数学は人間が作った派」が存在する。『神は数学者か?』をベースに、「数学は発見か、発明か」という議論を理解し、数学史においてそれぞれの認識がどのような転換点によって変わっていったのかを学ぶ
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タコなどの頭足類は、無脊椎動物で唯一「脳」を進化させた。まったく違う進化を辿りながら「タコに心を感じる」という著者は、「タコは地球外生命体に最も近い存在」と書く。『タコの心身問題』から、腕にも脳があるタコの進化の歴史と、「意識のあり方」を知る。
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「共感」が強すぎる世の中では、自然と「想像力」が失われてしまう。そうならないようにと意識して踏ん張らなければ、他人の価値観を正しく認めることができない人間になってしまうだろう。映画『ミセス・ノイズィ』から、多様な価値観を排除しない生き方を考える
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三権分立の一翼を担う裁判所のことを、私たちはよく知らない。元エリート裁判官・瀬木比呂志と事件記者・清水潔の対談本『裁判所の正体』をベースに、「裁判所による統制」と「権力との癒着」について書く。「中世レベル」とさえ言われる日本の司法制度の現実は、「裁判になんか関わることない」という人も無視できないはずだ
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