【衝撃】壮絶な戦争映画。最愛の娘を「産んで後悔している」と呟く母らは、正義のために戦場に留まる:映画『娘は戦場で生まれた』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ワアド・アルカティーブ, 出演:サマ・アルカティーブ, 出演:ハムザ・アルカティーブ, 監督:ワアド・アルカティーブ, 監督:エドワード・ワッツ
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 革命のリーダー・ハムザと、戦場を記録し続けるワアド、そしてその娘サマ
  • 爆撃の続く街に「無抵抗のまま普通に生活する」という革命
  • 自分だったら正義のために命を投げ出せるだろうか、と考えてしまう

情報を「選ぶ」時代に、「知らなかった」で済ませてしまうのは、たぶんとても恥ずかしいことだ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『娘は戦場で生まれた』は、「今まで見た中で一番凄まじかった」と言っていいくらいあまりに衝撃的なドキュメンタリー映画だった

本でも映画でも、「これまでのベストは?」みたいに聞かれることは得意じゃない。自分がどういう状態でその作品に触れたのかなどによって受け取り方が大きく変わるので、「作品そのものを純粋に客観的に判断してランク付けする」ことなんてできない。また、「そんな客観性はいいから、あなたのベストが知りたいんだ」ということだとしても、そう聞かれた時の気分でもまた、答えは変わるだろう。

だから、基本的にはそういう質問には答えないし、自分でも、ランキングや星の数で作品を評価したりはしない。

ただ、この映画は正直、これまで見た中でダントツの作品だと感じた。これ以上の映画がこれから生まれ得るんだろうか、と考えてしまうほど衝撃を受けた。

そんな状況に人間が置かれてしまうことなどあるのかと嘆息するような、とてもドキュメンタリーだとは思えない世界に、観ている間、何度も頭を殴られたような衝撃を受けた

「娘を産んだことを後悔している」と言わざるを得ない状況にいる母親

この映画を撮影しているのは、一児の母だ。そして彼女は、映画の中でこう話す。

今はあなたを産んで後悔している。
パパと会ったことも。
実家から出たことも悔やんだ

もちろん、本心ではない。彼女にとって娘は最愛の存在だ。映画を観れば、彼女がどれほど娘を愛しているのか伝わる。

しかし、そんな娘を産んだことを「後悔」していると彼女は言う

まあ、無理もない。自らの意思で残っているとはいえ、いつ爆撃で命を落としてもおかしくない場所で生活をしているのだから。

彼女は、娘のために映画を撮る。

サマ、これはあなたのために撮った。
父と母がした選択を、
そして、私たちがなんのために戦ったのかを伝えるために

この映画は、人生を賭けた壮大なラブレターでもあるのだ。

本作『娘は戦場で生まれた』は、母・ワアドと父・ハムザの壮絶な決意から生まれた

最愛の娘・サマの両親であるワアドとハムザは、ワアドがアレッポ大学の学生だった頃に出会った。

2012年、ワアドが4年生の時に民衆が蜂起した。シリアという国家は、アサド政権が独裁を敷いたことで、腐敗と不正と抑圧に沈んでいた。その現状に対抗しようとデモ活動が活発化する。ワアドは元々ジャーナリストに憧れており、スマホで身の回りの様子を撮影し始める。

ワアドは、医師で活動家でもある親友・ハムザに密着しながら、シリアの現状を撮影することに決める。デモを主導する者たちは、勝利を疑わなかった。しかし予想に反し、政権は強硬に抵抗する。内戦は悪化の一途を辿り、ハムザは革命のために残るか、奥さんと共に逃げるかという決断を強いられることになった

そう、ハムザは当時、結婚していたのだ。

ハムザは、革命を選び、妻とは別れた。彼は東アレッポに残り、学校や病院がまったく機能していない環境で、どうにか診療所の運営を始める。ワアドも革命のために残り、東アレッポの現実を撮影し続けた。

革命のリーダーと、現状を世界に発信するジャーナリストは、結婚した。そして、妊娠が判明する。二人は、アラビア語で「空」を意味する「サマ」という名前をつけた。空軍も爆弾も存在しない、雲だけが広がる青い「空」が再び戻ることを祈って。

彼らはそれぞれの方法で、シリアの現実を世界に訴えた。

ハムザはニュースで何度も話した。
私の写真は、数千万人の人の目に触れた。
それでも、誰も政権を止めない。
味方は私たちだけ

彼らは何故、日々爆撃に見舞われるアレッポに残ったのか?

ハムザたちは、あちこちの建物が倒壊し、日々爆撃に見舞われる東アレッポに残った。何故だか分かるだろうか? 彼らは、武器を携行していない。政権軍と戦闘を行うために最前線にいる、というわけではないのだ。

その答えはこうである。

ここで普通に生活することが、政権への抵抗だ

そう、彼らは、「ただそこで生活をし続ける」ことに、革命を見出している

アレッポは、政権反対派が多く住む地域だ。だから、ここの住民が爆撃から逃げず、それまでと変わらない生活をそのまま続けることが、政権に対する明確なメッセージとなる。

武器を使うだけが革命ではない。彼らは、ひたすら耐えることによって主張する

爆撃によって多くの人が死傷する。塩素ガスに苦しめられる。しかしそれでも、彼らは武力を使わず、ただただ当たり前の生活を維持することによって、ひたすらに耐えることによって政権へ「NO」を突きつけるのだ。

革命家から母親になったワアドが過ごす壮絶すぎる日々

アレッポに残った時はまだ、ワアドは母親ではなかった。ハムザらと志を共にする革命家だった。その後、彼女は母親になる。

その運命は、想像しきれないほど過酷だ。

これが僕らの道だ。
長い道で、危険と恐怖が待っている。
でも、最後に自由が待っている。
行こう。一緒に歩こう

結婚式でハムザがワアドに贈った言葉だ。彼らには、アレッポから退避するという選択肢はない。革命への意思は強靭だ。

しかしだからといって、生まれたばかりの赤ちゃんと共に爆撃の激しい地区に残り続けるという選択は、容易なはずがない。

映画の中でワアドは、繰り返し不安を口にする。当然だろう。しかし彼女は、生まれたばかり娘を置いて、アレッポの街を撮影しに出かける。

母親として可能な限りの愛情は注ぐ。しかし同時に、この現実を記録できるのは自分しかいないという使命感にも駆られている。

まったく凄いもんだ。

フィクションとしか思えない、まるでお膳立てされたかのようなワアドとハムザの関係にも衝撃を受けた。元々は親友だった。ハムザには妻がいた。しかし、革命のためにハムザは最初の妻と別れた。ハムザは革命のリーダー。そしてワアドはアレッポの現実を伝えるジャーナリスト。そんな、まさに革命の中心にいる二人が、爆撃の止まない街で結婚し、その街で娘を産む。

フィクションだってなかなかこんな都合の良い設定は作れないだろう、と感じてしまうほど、出来すぎた関係だ

彼らは、戦場に残るという決断をするまでに、無数の選択肢を通り抜けてきた。その結果こそが、この作品だ。だからこそ、普通にはありえないほどの強靭さが付与され、そのお陰で、より強いメッセージを内包する物語として世界中に配信されているのだと思う。

「娘を連れて戦場に戻る」という信じがたい選択

ワアドとハムザは、一度アレッポを出てトルコに入国したことがある。ハムザの両親に娘を会わせるためだ。

しかし戻ろうとした彼らは、アレッポに通ずる道がほぼすべて封鎖されていることに気づく。安全にアレッポに戻れるルートはない(そもそもアレッポが安全ではないわけだが)。

さて彼らはどうしたか。

なんと、前線ギリギリの危険地帯を娘とともに通り抜け、無理やりアレッポまで戻ったのだ。

誰も理解しなかった。
ハムザの両親は、サマだけでも残すように言った。
両親が正しいのは分かっていた。
でも、心はあなたを離せなかった。
私たちにも分からない。
今もあの行動が信じられない

まったく、凄いものだ。彼らの行動が正解かどうかは何とも言えないが、凄い行動だということは分かる

ワアドはハムザにカメラを向けながら、「何故戻るの?」と聞く。彼女は当然、不安や迷いを感じていただろうが、その時は何よりも、夫の意思を確認したかったのではないかと思う。

僕たちは5年も戦ってきた。
抑圧に対する正義のために。
ここでは、一人ひとりが大事な役割を担っているんだ。
この娘にも、大事な役割があるんだぞ

彼らのような勇気はなかなか持つことができないだろう。

あまりに酷い戦場にはしかし、笑顔が溢れている

不思議なことに、この映画は笑顔に満ちている

それは、彼らの強い意思の現れなのだと思う。

街が突然戦場と化せば、悲壮な顔が溢れることになるだろう。しかしアレッポの住民は、自らの意思でここにいる。明日死んでしまうかもしれないと分かっていながら、それでも、自分がここで生活することで何かが変わるという信念と共に残っている

だから、笑えるのだと思う。

ワアドは、親友一家をよく撮影する。両親と3人の子どもが残っている。驚いたことに、この一家がアレッポに残っているのは子どもの意思だという。恐らく長男のはずだが、「家族全員アレッポからいなくなっても、自分はここに残る」と言っていた。そんな子どもの意思を尊重して、全員で残っているのだ。

アレッポの街での生活は、当たり前のように悲惨だ。なにせ、日々爆撃がある。また、それまでは外部との出入りが可能だったが、包囲攻撃がなされるようになってからは物資も不足していく。それでも彼らは、笑顔を絶やさない。

この映画の何もかもが、本当に凄いと感じさせられる。

我々はこのような現実にも目を向けなければならない

他の住民と共に、自らの命を賭してアレッポの街に残るワアドは、普通のジャーナリストなら撮れないかもしれないものにもカメラを向ける。撮る側と撮られる側が同志だからこそ、そこにタブーはない。血まみれの床、腕の折れた少年、家族を失った子ども、帝王切開で引き出された灰色の胎児……。彼女はあらゆるものを記録する。

こういう現実があることから目を背けてはいけない。そんな風に突きつけられているように感じられた。

現代は、情報を「選ぶ」時代だ。様々なフィルタリング機能によって、「ほしい情報」だけを手に入れられるようになっている。便利だ。しかし、そんな世の中であればあるほど、戦場の現実は多くの人に届かなくなるだろう。「ほしい情報」ではないからだ。

そして私たちは、「知らなかった」で便利に済ませる。本当は、自ら積極的に情報を取りに行かなかっただけなのに、あたかも、情報が入ってこなかったから仕方ないとでもいうような態度でスルーしてしまえる。

気をつけないと、誰もが当たり前のようにこんな振る舞いをしてしまうことだろう。

世の中のすべてを知ることはできない。全部を把握するのは無理だ。しかし、多くの人が「知る」ことで、現実が大きく動く状況も多く存在する。戦争は、まさにその一つだろう。

「知る」ためには、関心を持つしかない

360度どこを向いても「悲惨さ」しか映らない日常。自らの意思とはいえ、そんな環境で生活することを選んだ者たちがいる。あるいは世界には、同じくらいの悲惨さに直面している無数の人たちがきっとどこかに存在しているはずだ。

よほど金があるとか、よほど行動力があるとかでもない限り、基本的に人間は無力だ。多少の人数が雁首をそろえたって、大したことはできやしない。しかし、「知ること」の力は、結構大きい。多くの人が知って関心を持つことが、状況を動かしていくことは大いにある。

普通の子のように泣かない。
それが私には辛い

サマは、爆撃の衝撃音が響く中でも、声を上げて泣くことはない

そんな現実から、目を背けないでおこう。

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最後に

アレッポに残り革命を志した者たちは、最終的にアレッポを脱した。ワアドとハムザは、ロンドンに逃れた。映像も無事だ。

しかし、映画作りは、ワアドを苦しめた。公式HPには、こう書かれている。

映画を作ることは、アレッポでの数年間と同じくらい大変でした。すべてを何度も追体験しなければならなかったのです。

「娘は戦場で生まれた」公式HP

しかし先述した通り、ワアドは娘のためにこの映画を完成させる。

映画の中でも、力強くこう語っていた。

時間を巻き戻せても、私は同じことをする。
心の傷が癒えなくても、何も後悔しない

あまりに陳腐だが、こういう表現にならざるを得ない。あまりに奇跡的な作品だ、と。こんな映画、二度と出てこないんじゃないかと思ってしまう。

彼女たちの凄まじい現実を知るために。そして、「世界を知る」という関心の扉を開くために。この映画は、可能な限り多くの人の目に触れるべきだと思う

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