【貢献】有名な科学者は、どんな派手な失敗をしてきたか?失敗が失敗でなかったアインシュタインも登場:『偉大なる失敗』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「既存の科学を揺さぶるような失敗」だからこそ、偉大な貢献をもたらすことにも繋がる
  • ダーウィン、ケルヴィン、ホイルなど、有名な天才が登場する
  • アインシュタインの「失敗」は、その華麗な復活劇も含めて非常に有名

「結果的に誤りだと判明した研究にも意味がある」と理解しておくことは、科学研究を捉える上で重要だ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

科学の進展に貢献した「偉大なる失敗」の歴史を紐解く

本書は「単なる失敗」を扱った作品ではない

「失敗は発明の母」など、「失敗」というのは「決して悪いだけのものではない」とされることも多いが、やはりその響きは決して良いものではないだろう。何か装飾語が付随しなければやはり、「失敗」という言葉にはマイナスのイメージがついてまわるはずだ。

だからこそ本書のタイトルは「”偉大なる”失敗」となっている。本書は、科学の世界で非常によく知られている「失敗」を取り上げながら、「実はその失敗が何かプラスの貢献をもたらしている」と明らかにする作品だ。

本書の冒頭には、こんなことが書かれている。

本書のテーマは重大な科学的過ちだ。私のいう「科学的過ち」とは特に、科学の理論や構想全体を台無しにしかねないような、または少なくとも原理的に科学の進歩を遅らせかねないような、深刻な考え方の誤りを意味している

つまり、本書で扱われている失敗は、「壮大な主張だが誤りだと判明したもの」というわけだ。既存の考え方を覆したり、ある方向への考え方を抑制してしまう影響力を持ちうるような理論を提唱したが、実際にそれは間違いであることが判明するのである。

しかしそういう「失敗」だからこそ、それは単なる失敗では終わらない。主張そのものは誤りでしかないが、その科学者がそのような主張を行ったことには意味があった、というようなニュアンスで捉えていいだろう。

それはある意味では間接的な貢献とも言える。例えば、ある科学者は間違った説を生涯唱え続けたが、そのお陰で結果的に科学界での議論を活発化させ、正しい理解に結びつくことに繋がった。あるいは、ある科学者の主張に初歩的なミスを発見した人物は、「本人がそのミスに気づかない内に、自分たちの理論をまとめて発表できるようにしよう」と考え、世紀の大発見を導いたのである。

大体の失敗は「単なる失敗」で終わってしまうだろう。しかし本書で取り上げられる科学者は、歴史的にも名を残す人物ばかりであり、その功績が高く評価されているからこそ、「失敗」さえも影響力を持つことになる。本書は、科学的な知見を紹介する内容の本だが、「偉大な科学者の偉大な失敗」を知ることで、失敗を恐れずに前進する勇気をもらえる人もいるのではないかと思う。

本書で取り上げられる科学者と、彼らの「失敗」がどんな分野で起こったのかを下にまとめておこう

  • ダーウィン 進化論
  • ケルヴィン 地球の年齢
  • ポーリング DNAのらせん構造
  • ホイル 定常宇宙論
  • アインシュタイン 宇宙定数

この中で、トップクラスに有名なのはやはりアインシュタインだろう。そして宇宙定数に関する「アインシュタインの失敗」もまた有名で科学史においては非常によく知られている。この顛末を知ると、名前が有名というだけではなく、やはりアインシュタインは科学者として別格なのだなぁと感じさせられるはずだ。

各科学者ごとに1章が割かれており、前半で「彼らがどんな偉大な功績を残したか」が、そして後半で「彼らの失敗」が語られる。それではここから、それぞれの科学者の失敗を見ていこう。

ダーウィン:進化論

本書で説明される「ダーウィンの失敗」は、少し説明しづらい。まずはざっくりと、「ダーウィンの失敗」がどのような効果をもたらしたのか書くと、

ダーウィンが自らの「失敗」に気づかなかったお陰で「進化論」という類まれな理論が生まれた

ということになる。では詳細を見ていこう。

ダーウィンの進化論の「核心」は、「自然選択」にある。「生存に有利な個体が生き残る」という「自然選択」の原理によって生命の進化が説明できる、というわけだ。ある個体に何か突然変異が起こり、それがその種全体の生存に有利なものである場合、その突然変異がしばらくして集団に浸透する。このようなメカニズムを明らかにしたのがダーウィンなのである。

この業績は当然素晴らしいものだが、しかし、ダーウィンが進化論を提唱した時代においては、ダーウィンの主張は成り立たないはずだった。何故なら、「メンデルの遺伝の法則」がまだ存在していなかったからだ。

というのも、メンデルが主張するような遺伝の仕組みでなければ、ダーウィンの「自然選択」は起こらないのである。

ダーウィンが生きていた時代に知られていたのは「融合遺伝」という仕組みだ。これは、ペンキを混ぜ合わせるようなものだとイメージすればいい。ダーウィンの時代には、遺伝を司るものは「液体」のようなものであり、それら液体が混ぜ合わさることで遺伝が起こると考えられていた。白と黒のペンキを混ぜれば灰色になるが、灰色の状態から白と黒に分離することはない。このように、一度融合してしまうと再び分かれることがない遺伝の仕組みを「融合遺伝」と呼ぶ。

そしてこの「融合遺伝」では、「自然選択」は起こらないことが分かっている。

「自然選択」が起こるのは、トランプをシャッフルするような仕組みである「メンデルの遺伝の法則」だ。トランプはどれだけ混ぜ合わせても、トランプ同士が融合して分離できない状態にはならない。同じように、遺伝を司る、「液体」ではないなんらかの物質(メンデルの時代には「DNA」の存在は知られていなかった)が、トランプをシャッフルするようにして混ざり合い遺伝が起こる、と考えるのがメンデルの遺伝の法則である。

そしてこのメンデルの遺伝の仕組みであれば「自然選択」が起こるというわけだ。

つまりダーウィンは、「進化の核心は自然選択である」という革命的な主張を行ったのだが、ダーウィンが生きていた当時の遺伝に関する常識に照らせば、この主張は誤りだったということになるのである。

しかしダーウィンは、「融合遺伝では自然選択は起こらない」ということに気づかなかった。このことを本書では「失敗」と呼んでいる。しかしそのお陰で、「進化論」という見事な理論が生まれることになった、というわけだ。

著者は進化論についてこんな風に書いている。

ダーウィンが遺伝学の初歩的な事実を誤解していたことを考えれば、彼の理論の大部分が正しかったことは、まさに驚きとしか言いようがない

まさにその通りだろう。これもまた、天才性が為せる業だろうか

ケルヴィン:地球の年齢

ケルヴィンも非常に有名な科学者である。科学では「絶対温度」を示す「K」という単位を非常によく目にするが、これはケルヴィンの名前から取られている。本書にも、ケルヴィンは伝記作家が絶賛するほどの偉大な成果を数々生み出し、人格的にも優れていたと書かれている。

しかし残念ながら、

最終的に科学界でのケルヴィンの名声が地に堕ちた

晩年のケルヴィンは、現代物理学の足手まといのような人物と称されるようになった

と言われてしまうようになる。一体どんなミスをしたというのだろうか?

ケルヴィン最大の失敗は、「地球の年齢の推定」に関係している。ケルヴィンは科学的な知見を総動員して緻密な計算を行い、地球の年齢の推定値を算出したのだ。

彼が導き出した結論は、「約1億歳」である。つまり地球が誕生してから1億年しか経っていないと推定したのだ。現在では46億年と知られているので、大間違いも良いところだろう。

何故これほどまでに盛大な間違いを犯してしまったのか。その理由は、「地球の熱伝導が一様だと仮定したこと」にある。

現在では、「地球内部のマントルが対流している」ことが知られている。大陸移動説(プレートテクトニクス理論)という、「大陸は少しずつ移動している」という話を聞いたことがある人もいるだろうが、これも「マントルの対流」によって起こっているのだ。

そしてケルヴィンの時代にも、「マントルが対流しているとすれば、地球の熱伝導が一様にはならない」と理解されていた。ケルヴィンの弟子は何度もそのことを指摘したそうだが、ケルヴィンは聞き入れなかったという。

というのも当時は、マントルが対流していることを示す証拠は存在しなかったのである。教え子も確信があったわけではなく、可能性を指摘しただけに過ぎない。そこでケルヴィンは、マントルは対流していない、だから熱伝導は一様だ、と考え地球の年齢を推定したのだ。

ケルヴィンの推定は、当時の地質学者などから批判されてしまう。ダーウィンも、「自然選択によって生物が進化したとするなら1億年は短い」と批判したそうだ。ケルヴィンのこの研究は、結果として彼の晩節を汚すことになってしまった。

しかし著者は、ケルヴィンの研究をこんな風に評価している。

ケルヴィンの地球の年齢の計算が誤りだったのは事実だが、私はそれでも彼の計算は実に見事だと思っている。ケルヴィンは、地質年代学をあいまいな憶測から、物理法則に基づくれっきとした科学へと変えたのだ

この指摘には、聖書が関係している

ケルヴィンが科学的な見地から地球の年齢を算出するまで、地球の年齢に関する議論は聖書を元に行われていたのである。我々からすれば驚くような話だが、当時の聖職者たちは真剣だったのだろう。そして、教会の権力が強い時代にあっては、「地球の年齢の推定は科学の領域ではない」と考えても仕方ないだろうと思う。

しかし結果的に誤りだったケルヴィンによる研究は、「地球の年齢は科学で扱える領域である」という認識をもたらしたと言える。この転換をもたらしたことは大きく評価されるべきではないか、というのが著者の理解なのだ。

ポーリング:DNAのらせん構造

本書の中で、一般への認知度が最も低いのではないかと感じるのが、このポーリングだ。私も本書を読むまで、この科学者の名前は聞いたことがなかったと思う。

もちろん彼は、偉大な功績を残した科学者である。ポーリングは、「細胞内のタンパク質がポリペプチドというアミノ酸の鎖からできている」と主張し、後に「αヘリックス」と呼ばれるようになるその正確な構造を発見した。その分野に詳しくない私にはこれがどれほどの業績なのか実感できないが、著者は、

生物学とは基本的に、進化の理論に裏打ちされた分子科学なのだということに初めて気づいた科学者のひとりだった

と評している。

当時のポーリングに対する評価は非常に高く、科学者の間で、「ポーリングが興味を持つ前に必死で研究しろ」と言われるほどだったという。つまり、自分の研究分野にポーリングが興味を持ったらあっさりと追い抜かれるから、ポーリングが興味を持つ前に結果を出せ、ということだ。その見識に対する信頼がとても高かった科学者だと言えるだろう。

だからこそ、ポーリングが「DNAの構造を発見した」と主張した時、誰もが先を越されたと感じた。ポーリングが興味を持ってしまったのだ。その研究結果は正しいに違いない、と誰もが考えた。

しかし、ポーリングが発表した「DNAの構造」は、信じられないぐらいお粗末なものだった。「DNA」というのは「核酸」、つまり「酸」の一種なのだが、ポーリングが示した構造は、とても「酸」と呼べるような代物ではなかったのである。「酸」ではないものが「DNAの構造」であるなどということはあり得ない。

科学界にその名が轟いていたポーリングは、化学の基礎中の基礎の部分でミスを犯していたのだ。

しかし、このポーリングの発表は、ある意味でプラスの効果をもたらした。DNA構造の発見者として知られるワトソンとクリックを急かすことになったのだ

彼らは、「ポーリングが、自分の初歩的なミスに気づいて修正する前に、一刻も早く成果を発表しよう」と考えた。そしてそれによって、世紀の大発見へと繋がっていくのである。

本書で取り上げられている事例の中で、このポーリングの失敗だけは、それがもたらしたプラスの貢献が個人にしか波及しなかったと言っていい。他の事例は、その失敗が結果として科学界全体に貢献した、という話なのだが、ポーリングの失敗は、ワトソンとクリックにしかプラスにならなかったと言っていいだろう。もちろんこれは、ポーリングが初歩的なミスをしなければ、彼自身がDNAの構造を発見していただろう、という考えを前提にした意見である。

ポーリングとしてはなかなかやりきれなかっただろう。

ホイル:定常宇宙論

ホイルという科学者は、「ビッグバン」の命名者として知られている。しかし彼は「ビッグバン理論」の支持者ではなかった。「宇宙が爆発(ビッグバン)なんかで始まったわけがないだろう」と揶揄する意味で使った言葉が広まった、とするのが定説だ。そして、「ビッグバン理論」と最後まで争った宇宙論の主導者として、彼は大きな失敗を犯すことになる。

その話の前にまず、ホイルが科学者としてどれほどの功績を残したのかを書いておこう。彼は、「元素表に載っている様々な元素がどのようにして作り出されたのか」という当時の大難問に長年挑み、そのすべてを明らかにするという大研究を成し遂げた人物なのである。

「ビッグバン理論」はその過激さゆえになかなか認められなかった理論だが、早い段階から、「ビッグバンが起こったとすれば、軽い元素が誕生した理由は説明できる」ことが分かっていた。我々が生きている宇宙では、最も軽い元素である水素だけで、全元素の90%を占めるという極端な比率になっているのだが、ビッグバン理論はそのような偏った存在比率になる理由を明らかにすることができたのである。

しかし「ビッグバン理論」では、重い元素がどのように生まれたのかを説明することができなかった。そしてそれを明らかにしたのがホイルなのだ。ホイルは、恒星内部で元素が作られ、それらが超新星爆発によって宇宙全体に拡散したと主張した。さらに、後に「人間原理」と呼ばれるようになるアクロバティックな理屈を用いてある予言をし、元素合成の最後の難問を解き明かしてもいる。

またホイルは、元素合成に限らず、天体核物理学の分野において多大なる成果を生み出した人物であり、著名な科学者の中でも群を抜いて業績を残していると言っていいだろう。

さてそんな人物の「失敗」として本書で取り上げられているのが、「ビッグバン理論」の対抗馬として長く人気を集めた「定常宇宙論」である。これは、「宇宙は、過去から現在、そして未来に至るまで変化せず、常に同じ状態で存在し続けている」という考え方だ。「ビッグバン」によって宇宙が始まったことを知っている我々からすれば奇妙な主張に感じられるが、観測による証拠がほとんどなかった当時は広く支持されていた。著者も、

定常宇宙論のアイデアそのものは、提唱された当時は抜群のアイデアだったと思っている

と書いている。

「ビッグバン理論」と「定常宇宙論」はどちらも、観測による証明がなかなか困難な理論であり、はっきりと決着がつくのに時間が掛かった。当初は、「宇宙は変化のない静的なものであってほしい」と考える科学者が多かったことから「定常宇宙論」が人気を博していたが、徐々に「ビッグバン」の証拠が積み上がり、少しずつではあるが「ビッグバン理論」の方が優勢になっていく。

そして最終的に、「宇宙背景放射」と呼ばれるものが観測されたことで、「ビッグバン理論」の正しさが立証された。「ビッグバン理論」がその存在を予測していた「宇宙背景放射」を、「定常宇宙論」では説明できないからだ。

しかしこのように「決定的な証拠」が見つかった後でさえホイルは、「ビッグバン理論」を認めなかったそうだ。ホイルは、死ぬまで「ビッグバン理論」を毛嫌いしていたことで知られている。

こんな風に、明らかに誤りだと分かってからも「定常宇宙論」に固辞し続けたことを著者は「失敗」と呼んでいるのだが、しかしホイルによる「ビッグバン理論批判」が無意味だったわけでは決してない

ホイルの理論は、たとえ結局は間違いだとわかったものであっても、常に刺激的であり、間違いなく分野全体を盛り上げ、新しい説の生まれる引き金になった

ライバルが存在するからお互いを高め合うことができるのと同じように、対抗する理論があり、両陣営が議論を尽くすことで物事は発展していくのだ。「ビッグバン理論」にしても、ホイルら「定常宇宙論」を主張する者からの攻撃によって洗練された。また論争が起こることで科学全体の注目を集めることにもなり、それによってさらに議論が活発になっていくというわけだ。

科学史の中でも、この「ビッグバン理論」と「定常宇宙論」の論争はかなり激しいものだったと思うが、そのような論争のもう一方の仕掛け人として、ホイルは重大な役割を果たした、というわけである。

アインシュタイン:宇宙定数

「アインシュタインの失敗」の話は非常に有名で、様々な本で紹介されることが多い。このブログでもすでにそれについて触れている記事があるので、詳しい話はそちらを読んでほしい。

概要をざっと書くと、

静的な宇宙を望んでいたアインシュタインは、自ら導き出した方程式に「宇宙項」と呼ばれる小細工を組み込んだが、後にそれを撤回した。しかしその「宇宙項」は、現在「宇宙定数」という名前で復活している

となる。

実はここには「2つの失敗」が含まれている。1つは、「方程式に宇宙項を加えたこと」だ。そしてさらにもう1つは、「方程式から宇宙項を取り去ったこと」である。

「アインシュタインが宇宙項を取り去ったことが誤りだったかもしれない」と判明したのは、アインシュタインの死後のことである。亡くなってからもなお、現代科学に影響を及ぼし続けているという意味で、アインシュタインの凄まじさが理解できる。

さて、上に挙げた記事の中で、「おそらくこのエピソードはガモフという科学者の創作だろうと考えられている」と書いた。そして、「ガモフの創作だろうと考え、調査を行った」のが、本書の著者である。少しその点に触れてこの記事を終えようと思う。

「アインシュタインが方程式に宇宙項を加えたこと」に関しては、撤回した後で「我が人生最大の過ち」と言ったとするエピソードが広く知られている。しかしこれは、ガモフという科学者の著作の中にしか出てこない。だから元々、「ガモフの創作だろう」と考える者もいた。ガモフというのはイタズラ好きで、そういうことをしそうな人物だったのだ。

そこで本書の著者は、「その発言をしたとされる時期に、アインシュタインはガモフと仲が良かったのか」について調べることにした。この発言はガモフの著作の中にしかない。つまり普通に考えれば、「ガモフにだけその発言をした」ということになる。これは、ガモフと仲が良くなければ考えにくいことだ。

そして著者は、様々な資料を渉猟し、「その時期、アインシュタインとガモフは大して仲が良くなかったはずだ」と結論した。これは決して、「ガモフの創作説」を裏付ける証拠ではないが、その可能性が高まったと考えていいだろう。

最後に

この記事で少しは、一流の科学者は「失敗」さえも一流だということが理解していただけただろうか。

少し現実的な話を書くが、現在日本の科学研究は「すぐに結果が出る、あるいはすぐに実用化できる研究」ばかりに予算が下りる状況になっているという話を耳にすることがある。もちろん、それはそれで大事だが、「やってみても、どんな結果が出てくるかさっぱり分からないし、意味のある結果は導き出せないかもしれない研究」だって、同じくらい重要なはずだ。

日本はノーベル賞を受賞する科学者が多いが、彼らの多くはいわゆる「基礎研究」と呼ばれる、実用的ではない分野での研究を行っている。結果として後に役立つ何かに転用されることはあっても、研究している時点ではそれが何になるのかさっぱり分からないようなものが多かったということだ。

「基礎研究」への予算が絞られていけば、日本の科学研究のレベルはどんどんと衰退していってしまうだろう

だからこそ、「科学における『失敗』がいかに重要か」を知り、科学研究を正しく評価できる社会になってほしいとも思う。

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