【驚異】ガイア理論の提唱者が未来の地球を語る。100歳の主張とは思えない超絶刺激に満ちた内容:『ノヴァセン』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

NHK出版
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 生命が存在できないはずの地球に生命が存在できているのは、そこに生命が存在しているからである
  • 「地球を冷涼に保つ」という共通目的がある以上、AIが人類を滅ぼすことはない
  • 知的生命体は地球でしか誕生しなかった

帯に落合陽一がコメントを寄せていなかったら手に取らなかった作品だが、刺激的な内容で、読めて良かった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

正直「物凄く胡散臭い」と感じた「ガイア理論」の話は、AIや地球外生命体の話にも繋がる超面白い話だった

とにかくこの本からは「胡散臭さ」しか感じられなかった

本書を手にとった理由は、帯のコメントを落合陽一が書いていたからだ。というか正直、落合陽一のコメントがなかったら絶対に読まなかったと言っていい。

落合陽一のコメントを除くと、帯にはこんな風に書かれている

<超知能>が地球を更新する

100歳の大家が放つ、衝撃の未来像。従来の生命感を覆す「ポスト・ガイア理論」!

なかなかの胡散臭さではないだろうか。正直、何の本だかさっぱり分からないし、『ノヴァセン』というタイトルも、この固有名詞を知らなければなんの情報も与えてくれない。

そして、中身も負けず劣らず胡散臭いのだ。日本語版解説を書いている佐倉統氏は、本書のテーマである「ガイア理論」をこんな風に要約している。

地球はひとつの巨大な自己調整システムであり、すなわち生命体のようなものだ

とても科学者の主張とは思えないだろう。本書に序文を寄せているブライアン・アップルヤードは、「著者が語るガイア理論を理解できなかった」と書いている。著者も、自身が提唱した「ガイア理論」について、

英語圏の地球科学や生命科学の専門家たちのほとんどに受け入れられなかったのは事実

と書いているほどだ。まあそうだろう。ちょっとまともな主張とは思えない

普通に考えれば相手にされるとは思えない理論のはずだが、「ガイア理論」は無視されずに済んだ。というのもこの著者、とんでもない経歴の持ち主なのである。

本書の著者ジェームズ・ラヴロックは何者なのか?

本書には、著者の功績を紹介するこんな文章がある。

英国王立教会フェローに選出された際、その理由として挙げられた彼の業績は呼吸器感染症に関する研究、空気滅菌、血液凝固、生細胞の凍結、人工授精、ガスクロマトグラフィーなど多岐にわたりました

研究者として様々な賞や学位を授与されているし、気候科学や地球外生命体の研究など、扱う対象も幅広い。

そう、とにかく凄まじい功績を持つ偉大な科学者であり、そんな科学者の主張だからこそ「ガイア理論」は無視されなかったのだ。現在では彼の発想は受け入れられているという

相当に著名な科学者なのだが、彼の凄まじい点は「研究による成果」だけに留まらない。その研究スタイルが、普通ではあり得ないものなのだ

それ以来わたしは、企業や政府機関からの依頼による仕事で得た収入と特許のロイヤリティによって生計を立ててきた

著者は、大学や研究所に所属しておらず、まったくの個人として研究を行っている。研究資金もすべて個人で集めたり稼いだりする、一匹狼の科学者なのだ。

SNSやクラウドファンディングなどが発達している現代であれば、このようなスタイルの研究も成立するかもしれない。しかし、この記事のタイトルでも触れたように、この著者、御年なんと100歳である。執筆時点で99歳であり、本書は100歳の誕生日に合わせて出版されたのだ。つまり、SNSもクラウドファンディングも、それこそインターネットも何もない時代から、個人で研究し続けているのである。

その事実も凄まじいし、何よりも、99歳で本書を執筆したという点に驚かされてしまう。解説の佐倉氏も、

著者名を知らずにこれが30代の新進気鋭の学者が書いたものだと言われたら、ぼくはなんの疑いもなく信じたと思う。

と書いているが、本当にその通りだ。100歳でもまだこれほど斬新な発想と思考を展開できるというのは、驚きでしかない

本書は、そんな超人的とも言える科学者が執筆した作品なのである。

「ガイア理論」が示す「自己調整システム」について

本書で著者は、AIについて非常に興味深い論考を展開させるのだが、それを理解するためにまず、「ガイア理論」の主張をざっと理解しておこう

先程「ガイア理論」について、「地球は巨大な自己調整システム」という要約を紹介したが、ここで出てくる「自己調整システム」について詳しく書いていこう。これは、地球の表面温度に関係する話である。

事実、これまでの35億年で太陽の熱の放射量は20パーセント増えた。これは地球の表面温度を50℃まで上げるのに相当する量で、そうなれば温室効果は上昇の一途をたどり、地球を不毛の地へと変えていたはずだ。だがそんなことは起こっていない。確かに温暖期があり氷河期があったものの、地球の表面全体の平均気温は現在の15℃から上下約5℃の変化しかなかったのだ。
これがガイアの働きだ。

著者が言う「ガイア」というのは、ざっくり「地球」のことだと思えばいい。著者は要するに、「普通なら、太陽の熱を取り込んだ地球はもっと熱くなるはずなのに、地球の表面温度は大して変化していない」と主張しているわけだ。そしてこのような仕組みのことを「自己調整システム」と呼んでいる。

では、この「自己調整システム」はどのように作動しているのだろうか。この点に関する著者の主張は非常に興味深い。なんと「自己調整システム」は、地球上に存在する「生命」のお陰で実現している、というのだ。

本当のところ、地球環境は居住可能性を維持するために大規模な適応を行ってきた。太陽からの熱をコントロールしてきたのは、生命なのだ。もし地球から生命を一掃したら、あまりにも地球が熱くなりすぎて、もはや居住は不可能だろう。

つまり、「生命がいるお陰で、地球は熱くならずに済んでいる」というわけである。

さてここで、少しだけ別の話をしよう。

宇宙科学の世界には、「ハビタブルゾーン」という概念がある。これは、「生命が存在可能な宇宙の領域」のことを指す。基本的には、「液体の水が天体表面に安定的に存在できる条件」から求められるそうだ。それは、恒星からの距離や惑星の質量、自転速度、自転軸の傾きなど様々な要素によって決まる。そして、もし地球外生命体が存在するならば、「ハビタブルゾーン」の条件を満たす領域に存在するはずだ、と考えられているという。

しかし著者は、この「ハビタブルゾーン」というアイデアには欠陥があると主張する。

そうした知的生命が人間とまったく同じこと、つまりハビタブルゾーンにある惑星を探しているとしよう。この地球外知的生命体は水星と金星は除外するだろう。明らかに太陽に近すぎるからだ。だが地球もまた、太陽に近すぎるとして除外されるだろう。火星こそが、唯一条件を満たす星だと結論づけるはずだ。
地球は並外れた量の熱を吸収して放出しているので、ハビタブルゾーンの内側にあるとは見なされないはずだ。地球外知的生命体の天文学者は太陽系を眺め、金星と比べて地球の表面温度があまりに特異であることに驚きを隠せないだろう。

もし宇宙のどこか遠くに存在する知的生命体が、我々同様、「自分たち以外に知的生命体がいるとしたらどこにいる可能性があるだろう?」と宇宙を観察しているとする。この場合、その知的生命体は、「地球」も候補から外すに違いない、というのだ。普通に考えれば、恒星(太陽)に近すぎて生命が存在できる環境ではないと判断するはずだと著者は語る。

「地球」は客観的にはそのような惑星だと判断されるというわけだ。

しかし実際に我々は地球に生きている。そして、「ハビタブルゾーン」という考え方からすれば除外されて然るべき地球に生命が存在できるのは、「生命が存在するから」なのだ。地球上に生命が存在し熱を吸収しているからこそ、「ハビタブルゾーン」から外れる条件にあるはずの地球に生命が存在できるのである

頭が混乱しそうな結論だが、著者は「ガイア理論」という考え方を元に、このような帰結を導き出すのだ。

「AIと人類の争いは起こらない」と著者が考える理由

これらを踏まえた上で「AI」に関する話を書いていくが、その前にまず、著者がイメージする未来の世界像に触れておこう。

サイボーグについて言えば、新しい電子的生物圏の住民は、ロボットやヒューマノイドだと考えるのは明らかな誤りだ。微生物から哺乳動物ほどの大きさまで幅広い生物が存在するひとつのエコシステムが形成される可能性もある。言い換えれば、わたしたちの生物圏とは別の、もうひとつの生物圏が共存することになるのだ。

本書の中で著者は、人類並かそれ以上の知能を持つ存在(超知能)を「サイボーグ」と呼んでいる。この記事の中では、より一般的にこれを「AI」と表記することにしよう。著者は要するに、「人間型のAIだけではなく、地球上に様々なサイズのAIが存在する未来がやってくる可能性もある」と指摘しているというわけだ。

さて、AIに関しては、「AIが人類を襲う」「AIと人類の戦争が引き起こされる」といったSF作品のような未来像が提示されることもある。そのような小説や映画に触れたことがあるという人もいるだろう。実際に、車椅子の物理学者として知られたホーキング博士や、有名な実業家であるイーロン・マスクなども、AIの危険性を訴えている

一方で著者は、こんな風に書く。

わたしたちの世界であるガイアを、AIによって拡がった生命体に少しばかり乗っ取られたからといって、いまのところそれは、SFで描かれるようなロボットやサイボーグ、ヒューマノイドとの戦いとはまったく別ものなのだ。だとしても、争いは不可避で、この惑星を懸けた地球規模の戦闘がすぐにでも始まるように思われるかもしれない。それが起こりそうにないとわたしが思うのは、誰もが十分に機能できるほど地球を冷涼に保ち続けるという共通のニーズがあるからだ。

しかし本当に、AIは人間と同じニーズを有しているのだろうか? 人間が「地球を冷涼に保ち続けたい」と考えるのは当然だが、AIも同じだと言えるだろうか? ロボットの方が、より厳しい環境でも生き続けられるはずだ。著者も本書で、理論上は200℃でも耐えられるだろうと書いている。

しかしだからといって地球の気温がどれだけ高まってもいいということにはならないと著者は言う。何故なら、地球の温度が50℃を超えると、地球そのものがもたないからだ。

だがこの海の惑星はそれだけの気温に達することは決してない。50℃を超えれば惑星全体が、徐々に破滅的な環境へと遷移するからだ。いずれにせよ、50℃を超えても生きようとするのは無駄だろう。これよりも高い気温では、地球の物理的条件が、極限環境生物やサイボーグを含むすべての生命にとって生きられないものになる。

AI自身が生き残れても、地球が壊滅すれば意味はない。つまりAIだって、地球を冷涼に保つ必要があるというわけだ。

そしてだからこそ著者は、「AIにとっても有機的生命(機械的生命ではない我々人間のような生命)は必要だ」と結論づける。

こうした考察から導き出される結論は、人類を引き継ぐ生命体がいかなるものであれ、それは50℃を充分下回る気温で安定状態を維持することに、責任をもつことになるということだ。
もしわたしのガイア仮説が正しく、地球が実際に自己調整システムだとすれば、人間という種がこのまま生き残るかどうかは、サイボーグがガイアを受け入れるかどうかにかかっている。サイボーグは自分たちのためにも、地球を冷涼に保つという人間のプロジェクトに加わらなければならないだろう。それに、これを達成するために使えるメカニズムは、有機的生命だということも理解するだろう。人間と機械との戦争が起こったり、単に人間がマシンによって滅ぼされるといったことが起こることはまずないと信じているのはこれが理由だ。

この結論は非常に面白いと感じた。今までもAIに関する本は時々読んできたが、このような理由から「AIが人類を襲うことはない」と主張するものに触れたことがなかったので、物凄いことを考えるものだなと驚かされた。

確かに、著者の「ガイア理論」が正しいとするなら、地球上に有機的生命が維持されることが重要だ。AIは「地球を冷涼に保つという人間のプロジェクト」に加わらなければならない。だから、AIがガイア理論を受け入れるならば、AIとの争いに発展することはない、という帰結になるのだ。

AIがもっと前に誕生していれば、人類と協力する必要はなかったかもしれない。しかし今となってはもう手遅れだという。なぜなら、地球の力が弱っているからだ。

200万年前、南太平洋に直径1kmの隕石が衝突したはずだ、という証拠が多数存在する。しかし、この隕石の衝突が生物圏に長期的なダメージを与えたという形跡を見つけることはできていないという。つまり、それほど巨大な隕石がぶつかっても、地球はびくともしないほど恒常性(ホメオスタシス)が強かった、というわけだ。

しかし、

温暖化した地球は、より脆弱な地球なのだ

と書いているように、現在の地球は200万年前と比べて遥かにホメオスタシスが弱まっている。200万年前であれば、人類と協力せずともAIだけで地球の自己調整システムを維持できたかもしれない。しかし、今の地球に大きな負荷を掛けると深刻な問題が起こりかねず、AIは人類と協力せざるを得ないという。

非常に面白い話だと感じた。

知的生命体は地球でしか誕生しなかった、という著者の論考

先程、「AIがもっと前に誕生していれば」と書いたが、著者はこの仮定を「無意味なもの」だと思っている。何故なら著者は、「電子的生命が誕生するためにはまず、有機的生命が存在しなければならない」と考えているからだ。これは当たり前の主張だと思うかもしれないが、そう感じるのは「有機的生命が電子的生命を生み出す」と仮定しているからだ。状況を具体的に想像することは難しいものの、「電子的生命が自然と生み出される」という可能性もゼロとは言えない。

しかしもしそうなら、どこか別の惑星で誕生した電子的生命が既に地球にやってきていないとおかしい、と著者は主張する。

電子的生命は進化が物凄く早い。それは有機的生命と比べ物にならないほどだ。だから万が一、有機的生命よりも前に電子的生命が誕生するようなことが、この宇宙全体のどこかで起こっていたとするならば、その凄まじい進化スピードによって、地球にまでたどり着くだけの文明を築いていておかしくない、というわけだ。

しかし実際にはそんなことは起こっていない。であれば、「電子的生命が自然と生み出される」という可能性は否定されると考えていいだろう。だからこそ「有機的生命が誕生してから電子的生命が生まれる」という順番になるはずだし、だからこそ「AIがもっと前に誕生していれば」という仮定など成り立たない、というわけである。

さて、このような話の流れの中で著者は、「有機的知的生命体は地球にしか誕生しなかったはずだ」という主張を展開していく。つまり、「地球外知的生命体はこの宇宙には存在しない」というわけだ。

知的生命体の存在を感知できる能力が人間にあるかどうかは別として、これだけ広い宇宙のどこかには知的生命体が「存在している or 存在していた or これから存在するだろう」と考えるのは自然だと思っていた。色んな本を読んでいても、「地球外知的生命体は存在するはずだ」という意見が大多数であるように思うので、著者の主張は非常に意外だ

著者は以下のように考えて「地球外知的生命体は存在しない」と結論づける(以下の引用中の「コスモス」は「宇宙」と言い換えても問題ない)。

最初の原始的な生命体から、コスモスを理解できる知能をもつ生命体へと進化するのには37億年――それはコスモスの歴史のほぼ3分の1だ――にわたる自然選択、つまり目をつぶって手探りをするような進化のプロセスが必要だった。さらに言えば、もし太陽系の進化が実際よりも10億年長くかかっていたら、コスモスについて語ることのできる生命はどこにも存在しないだろう。太陽が発する猛烈な熱に対処できるようなテクノロジーを手にするだけの時間がないだろうからだ。こうした観点から言えば、コスモスは古いとはいえ、知的生命を生み出すのに必要なとんでもなく長く複雑なプロセスが、一度ならず何度も起こるほどには古くないことは明らかだ。わたしたちの存在は、一回限りの奇遇な出来事なのだ。

著者のこの主張が、他の科学者からどのように受け取られているのか分からないが、少なくとも著者はこう考えているようだ。

さらに著者はここから、「人間原理」という考え方を援用する。「人間原理」については詳しく説明しないが、科学の世界でも毀誉褒貶の激しい、本当にそんな考え方を受け入れても大丈夫なのだろうか? と感じてしまうような理屈だ。「人間原理」の話、私は結構好きなのだが、科学者の中には「人間原理」という言葉を聞くだけで血圧が上がってしまうほど拒絶反応を示す人もいるという。

そんな「人間原理」を使って著者は、「『宇宙を理解できる知的生命体が生まれるような性質』を備えてこの宇宙は誕生した」という主張を展開する。ますますヤバい主張になってきた、と感じるだろう。

そして著者はこんな風に結論する。

おそらく、コスモスの人間原理が正しければ、サイボーグこそが、知的宇宙へと向かうプロセスの始まりとなるだろう。サイボーグを解き放つことで、宇宙の目的が何であれ、それを成就できるものへと進化させていくわずかなチャンスが生まれるかもしれない。

もはや何を言っているのやら、という主張だが、もう少し分かりやすく説明してみよう。著者の主張はこうだ。それが何であるかは分からないが、「宇宙が誕生したこと」に何らかの目的が存在するとして、「宇宙」を理解できる知的生命体が電子的生命を生み出して宇宙に解き放つことで、その成就の可能性が高まるのではないか

どう説明したところで意味不明ではあるのだが、私は面白いと感じたし、100年200年先の未来では、彼のこの主張が「まさに予言だ」という風に扱われるかもしれない。このような異端的で理解不能な主張の積み重ねによって科学が進化してきた歴史を知っているので、現在の科学の知見では捉えきれない話だとしても、それが間違いだとは言い切れないのである。

「ノヴァセン」とは、新たな地質年代の名前として著者が生み出した造語

最後に、本書のタイトルにもなっている「ノヴァセン」について説明しておこう。聞き覚えのない単語だと思ったら、著者の造語なのだそうだ。本書には同じく地質年代の名前として「アントロポセン」という単語も登場するが、どちらの概念も科学全体で受け入れられているものではないという。

一般的に地質年代は、「どんな生物が生存していたか」によって区分けされている。「先カンブリア代」「古生代」「中生代」「新生代」と大きく分類が存在し、さらにその中で細かく分けられている。千葉県の地層が名前の由来になった「チバニアン」という名前を耳にしたことがある人もいるだろう。

本書の中で著者は、「太陽光の活用の仕方」によって地球では3度の革命が起こったと主張している。そしてその内の2つに「アントロポセン」「ノヴァセン」という名前をつけているというわけだ。

地球では34億年前に、光合成を行うバクテリアが誕生した。これが第1の革命である。その後、1712年にニューコメンが蒸気機関を発明するのだが、著者はこれを「太陽光を動力に変換する機械」と捉え、第2の革命としている。そして現在我々は、太陽光(光子)を情報に変換して利用しており、これが第3の革命というわけだ。

第2の革命から第3の革命までの期間を「アントロポセン」と、そして現在を「ノヴァセン」と著者は定義している。我々は「ノヴァセン」の時代に生きており、それは電子的生命がまさに誕生しようとしている時代なのだ、と。

「太陽光の活用の仕方」で時代を区分するという発想も面白いし、また違った形で「地球」や「宇宙」を捉えることが出来るようにも感じられた。

著:ジェームズ・ラヴロック, 翻訳:松島 倫明, 監修:藤原 朝子
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最後に

本書の主張にはかなりぶっ飛んだものも多く、基本的にはまだ現在の科学界で当たり前のように受け入れられているものではない、と考えていいだろう。それを示唆するこんな文章が、本書の序文に書かれている。

彼は周りの人々が自分に同意すると、かえって「何かおかしいんじゃないか」とそれに疑念を抱きます。

常に異端的で時代の先を行く主張をし続けてきた著者だからこその感覚と言えるだろう。

未来の人類は、本書の著者ジェームズ・ラヴロックの主張を、どう受け取るだろうか。

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