【幻想】超ひも理論って何?一般相対性理論と量子力学を繋ぐかもしれないぶっ飛んだ仮説:『大栗先生の超弦理論入門』(大栗博司)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:大栗博司
¥1,078 (2021/11/22 06:24時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「超弦理論」は「一般相対性理論」と「量子力学」を融合する可能性の1つとして注目されている
  • 「空間は幻想かもしれない」とはどういう意味か?
  • 「超弦理論」は「9次元空間」でしか適用できない理論

「我々はなぜ『3次元空間』に生きているのか」という謎に迫れるかもしれない理論でもある

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「超弦理論」の大家が描く「空間は幻想かもしれない」という衝撃

本書の内容とこの記事の構成

本書は、「超弦理論」と呼ばれる最先端理論を研究する科学者による、「超弦理論とは何か?」をまとめた作品だ。ちなみに「超弦理論」には他にも「超ひも理論」という表記も存在し、両者は同じ理論を指している。

この「超弦理論」、現時点ではまだ正しさは認められていない。というか、「超弦理論」に批判的な立場の科学者の中には、「実験的な検証が不可能なのだから、仮説の域を出ない」と語る者もいるという。「超弦理論」は、あまりにミクロな領域に関する話であり、人類が作る実験装置では「超弦理論」が示唆する様々な予測を検証することなどできないのではないか、という見方も存在するというわけだ。

しかしその一方で「超弦理論」は、科学者が大いに待ち望むある実現のために不可欠な理論かもしれない、とも期待されている。それは「一般相対性理論」と「量子力学」の融合だ。

両者は共に、20世紀物理学の至宝と呼ばれる素晴らしい理論だ。一般相対性理論は「天体など非常に大きなもの(=重力がもの凄く大きい環境)」に対して、そして「量子力学」は「原子など非常に小さなもの」に適用される理論であり、それぞれの領域で見事に現象を説明する。

しかし時には、この2つの理論を同時に適用しなければならないこともある。例えば「ブラックホール」や「誕生初期の宇宙」など、「非常に小さいが重力がもの凄く大きいもの」には、「一般相対性理論」と「量子力学」が同時に使われるわけだ。

しかしこの2つの理論は、一緒に適用するとあまりに折り合いが悪いことが知られている。そこで科学者は、「一般相対性理論と量子力学を融合する新たな理論」を待ちわびているというわけだ。

そしてそんな候補の1つになるかもしれないと目されているのが「超弦理論」なのである。

そんな批判と可能性を内包する理論の最前線にいるのが著者であり、現役の研究者が「超弦理論」の知見を示してくれるのが本書だ。決して「易しい」とは言えない作品で、文系の人に勧められる作品ではないが、科学的な知識に関心がある人はついていけるだろうと思う。

そんな難しい「超弦理論」をこの記事ではどう紹介するかと言うと、著者の主張の1つである「空間は幻想かもしれない」という点に絞ろうと考えている。本書で触れられる話題は多岐に渡るが、すべてを紹介することは無理なので、本書の中で最も衝撃的だった話題に絞ろうと思う。

「空間は幻想かもしれない」という文章の意味がまず謎だと思うが、その辺りはおいおい説明していく。「超弦理論」が示す、「もしかしたら世界はこんな風になっているのかもしれない」という刺激的な描像を体感してほしい。

「空間」はどのように捉えられてきたのか

まずは、科学の世界で「空間」の捉えられ方がどのように変わっていったのかについて触れていこう。

まず登場するのは天才・ニュートンである。ニュートンは「絶対空間」と呼ばれる考え方を提示した。これはいわば、「私たちが『空間』を捉える際に最も馴染み深い考え方」だと言っていいだろう。

「絶対空間」というのは、非常にざっくり言えば「宇宙空間という『箱』が存在しており、その『箱』は変化せず不動だ」という考え方だ。例えば私たちは、「渋谷のハチ公前に集合」というような待ち合わせをする。これは要するに、「緯度・経度・高さ」の3要素を指定することで地球上のある地点を定めているわけだ。つまり、「宇宙空間という『箱』の中の1点を指定している」わけで、これは「変化せず不動」という「絶対空間」の考え方でなければ実現しない。

しかしその後、天才・アインシュタインがニュートンの「絶対空間」を否定した。彼は、「空間(や時間)は相対的だ」という発想から「相対性理論」を生み出し、それまでの空間(や時間)の概念を一変してみせた。

アインシュタインが「絶対空間」を否定したということは、私たちが行っている待ち合わせのやり方(宇宙空間という「箱」の1点を指定するやり方)は間違いだ、ということになる。厳密には確かにその通りだ。しかしアインシュタインの主張は、「速度がもの凄く速い場合」にしかその変化が現れない(感知できる程度の現象にならない)ので、私たちの日常生活には問題はないのである。

さてそれでは、アインシュタインがどのような主張をしたのか見ていこう

Xさんが東京ドームの観客席に、Yさんがその上空を飛ぶ飛行機の中にいるという状況を思い浮かべてほしい。Yさんが乗っている飛行機は特別仕様で、もの凄く速い(例えば、光速の50%)で飛ぶとする。そして(止まっている)Xさんから見て、Aさんが東京ドームのピッチャーマウンドに立っている、としよう。

ニュートンの「絶対空間」の考え方からすれば、Xさんから見てもYさんから見ても、「Aさんはピッチャーマウンドにいる」ように見える。私たちの感覚からすればそれが当たり前だろう。しかしアインシュタインは、そうではないと主張した。止まっているXさんの状況は変わらないが、光速の50%の速度で進んでいるYさんからは、「Aさんはピッチャーマウンドではない場所(例えばバッターボックス)にいる」ように見える、というのである。

つまり、「Aさんがどこにいるか」という情報は、「どんな立場の観察者が見るかによって変わる」というわけだ。私たちの感覚からすれば信じられない話だが、現時点ではこのアインシュタインの捉え方が正しいとされている。私たちは、ニュートンが主張するような「変化しない不動の空間」にいるのではなく、「観察者次第で見え方が変化する空間」に生きているというわけだ。

本書ではこのように、これまでの「空間」の捉えられ方について確認をしていく。

「空間は幻想かもしれない」という文章の意味を説明する

それでは「空間は幻想かもしれない」の話に移るが、まずそもそもこの文章の意味が分からないだろう。本書には「温度」を例にした説明が載っているので、それを使って解説していこうと思う。

私たちにとって「温度」というのは馴染み深いものだ。天気予報では予想気温が発表されるし、実際に温度を測らなくても、「水が冷たい」「お湯が熱い」という感覚は日々感じているだろう。

科学の世界でも当然「温度」という指標は使われる。「℃」という馴染みのものより「K(ケルビン)」という絶対温度を示す単位がよく出てくるが、きちんと単位が存在するぐらい、「温度」というのは「当たり前に存在するもの」として扱われる。

しかし「温度」というのは、実際には存在しない。私たち人間が「存在しているように感じている」だけだ。

私たちが「温度」だと思っているものの正体は、実際には「分子のエネルギー(の平均)」である。マクロな世界(私たちが生きている巨視的な世界)では「温度」は存在するように感じられるが、ミクロな世界(原子・分子などの微視的な世界)に分け入っていくと、そこでは「温度」などというものは存在しない。ただ、分子が振動することによって生まれる「分子のエネルギー(の平均)」があるにすぎないのだ

マクロな世界では存在するものがミクロな世界では消えてしまう。このような状況を「幻想」と呼んでいるというわけだ。

本書に載っているものではないが、私が考えたもう少し身近な例を出してみよう。

以前テレビで、「何故ホコリはすべて灰色なのか」という問題が取り上げられていた。考えたことはないが、確かに不思議な話だ。「ホコリ」になる前の小さなゴミは様々な色を持っているはずだが、「ホコリ」になると灰色になってしまう。

答えは、「様々な色のゴミが集まることで、色が混ぜ合わせるようにして灰色に見える」ということのようだ。「ホコリ」を顕微鏡で見ると、「ホコリ」を構成するゴミには赤・青・緑など様々な色があることが分かる。しかし「ホコリ」という大きなまとまりになると個々の色は消え、すべて灰色に見えてしまうのだ。

これは先程とは逆で、ミクロな世界では存在するものがマクロな世界では消えてしまう例である。「ホコリ」の場合、それを構成するゴミの中に灰色のものがなかったとしても、「ホコリ」全体としては灰色に見えるので、「ホコリの灰色は幻想だ」と言っていいだろう

そして著者は同じように考えて、「空間も幻想かもしれない」と主張する。「マクロな世界の『温度』はミクロな世界の『分子のエネルギー(の平均)』」「マクロな世界の『ホコリの灰色』はミクロな世界の『ゴミの様々な色』」であるのと同じように、「マクロな世界の『空間』は、ミクロな世界の『???』」という可能性があるのではないか、というのだ。「???」にあたるものが何なのか分かっているわけではないが、ミクロな世界の何かがマクロな世界の「空間」として見えているのではないかと考えているわけである。

何故そんな思考に至ったのか。その点を次で見ていこう。

「空間は幻想かもしれない」と考えるに至った2つの理由

本書で繰り出される説明はかなり難しく、私自身も正直ちゃんとは理解できていない。私が説明できる範囲で分かりやすい解説を試みたいと思う。

1つ目は、以下のような理由である。

9次元で成立するある理論のパラメーターを少しずつ大きくすると、10次元で成立する別の理論に連続的に変化することが分かったから

9次元とか10次元とか、もはやなんだそれという話だが、私なりに具体的な例で説明してみたいと思う。9次元とかはちょっと想像できないので、2次元と3次元で考えることにする

「2次元のマンガ」と「3次元のフィギュア」を例に取ろう。マンガとフィギュアは「次元が違う」ので、マンガに何か手を加えてもフィギュアに変えることは出来ないし、その逆もまた然りだ。つまり普通に考えれば、「マンガとフィギュアを”連続的に変化させること”は不可能」と言っていい。

しかし「超弦理論」の研究をする中で、「パラメーター(要素)を少しずつ大きくすることで、1つ上の次元に連続的に変化できる理論」が見つかった。これはつまり、「マンガのある要素(例えば「線の太さ」)を少しずつ大きくすることで、連続的にフィギュアに変換できる」ようなものだ。2次元に固定されているはずのマンガが、線の太さを変えるだけで3次元のフィギュアに変わるというわけである。

こんな理論が見つかったことで、「次元という捉え方は本質的なものではないかもしれない」と考えられるようになった。9次元のものと10次元のものが本質的に同じ、ということなのだから、そういう捉え方にもなるだろう。そして「次元」とはまさに「空間」を指定する要素なのだから、「空間」の認識も変えざるを得ないかもしれない、ということになるわけだ。

また2つ目の理由としてこんなものも紹介される。

3次元空間における「重力を含まないある理論」と、9次元空間における「重力に関するある理論」が完全に一致する

先程とは少し違う形だが、これも次元を超えたもの同士が同じだということが分かった例だ。

同じような事例として「ブラックホール」も挙げられる

「ブラックホール」というのは当然3次元の存在だが、「ブラックホール」に関するすべての情報は、「ブラックホールの表面」から得られるという。「ブラックホールの表面」というのは2次元なのだから、つまり、

3次元の天体である「ブラックホール」は、2次元に存在する情報ですべて記述できる

ということになる。この話を別の事例に応用することで、

3次元空間の重力現象が、重力が存在しない2次元空間の現象として描き出せる

と判明したのだという。これは「重力のホログラフィー理論」と呼ばれている。

このように「超弦理論」では、「空間」を規定する「次元」という考え方が不要であるかのような発見が様々になされている。このようにして、「私たちが確かな存在として捉えている『空間』という概念は実は本質的なものではなく、別の本質的な何かがマクロな世界では『空間』に見えているだけなのではないか」という発想が生まれるようになった、というわけだ。

あくまでもイメージでしか伝えられていない(というか私も理解できているとは言えない)ので実感しにくいかもしれないが、非常に刺激的な発想だと感じてもらえるのではないかと思う。

「超弦理論」は人類史上初めての「次元が限定される理論」

さて、ここまでで「空間が幻想かもしれない」という話に触れてきた。ここからは、「超弦理論では何故そのような議論が可能なのか」に話を移したいと思う。

その理由の要点は、「超弦理論は、適用できる次元が限定されるという、これまでに存在しなかった理論だから」である。

人類はこれまで、様々な科学理論を生み出してきた。「万有引力の法則」「相対性理論」「量子力学」など何でもいいが、これらの理論はすべて、「どの次元であっても適用可能な理論」なのである

例えば私たちは3次元空間(時間まで含めると4次元時空となるが、ややこしくなるので空間次元だけにする)に生きているが、例えば「85次元空間」に生きる生物がいるとして、そこでも「万有引力の法則」「相対性理論」「量子力学」は同じように適用可能である。

さて一方、科学者というのはこの世界について何でも説明したがる種族であり、彼らはこんなことまで考えている。

なぜ私たちが生きているこの世界は「3次元」なのだろうか?

科学者は、「たまたまそうだった」という説明で終わらせたくはない。もしかしたら私たちが「3次元」に生きているのはたまたまかもしれないが、科学者はそこに何か理由を見い出せないか、と考えてしまうのである。

そして、一部の科学者が「超弦理論」に注目する理由の1つが、「超弦理論は適用する次元が限定される」という点にある。このような理論を、人類はこれまで手にしたことがない。適用可能な次元が限定される理論なのだから、「私たちが生きている世界が3次元である理由」も解き明かされるかもしれない、と期待するのも当然だろう。

しかし、「超弦理論」が適用できるのはなんと「9次元空間」のみだという。「9次元」でしか適用できない理論など研究していて意味があるのだろうか? 我々が生きているのは「3次元」なのだから、真っ先に捨て去るべき理論なのではないか? そう感じる方もいるだろう。

しかし科学者は、その点は問題ないと考えている。具体的には説明しない(できない)が、「私たちは実際には9次元空間に生きているのだが、何らかの理由によって6次元が丸まっていて見えない(これを「カラビ―ヤウ空間」と呼ぶ)ので、私たちは3次元空間に生きているように感じているにすぎない」と捉えられているからだ。

要するに、「9次元空間でしか適用できない」という問題は後回しにするとして、まずは「次元が限定される」という点に着目して研究を進めようと考えているのである。

科学者と同じレベルで理解できているわけではないが、確かに「適用可能な次元が限定される初めて理論」だという点は非常に重要だと私も感じた

「超弦理論」のざっくりした歴史

今でこそ研究者も多く存在する「超弦理論」だが、不遇の時代も長かったと著者は語る。素粒子物理学という分野においては長らく「場の理論」と呼ばれるものが支配的で、「超弦理論」は主流の存在にはなれなかったそうだ。

しかし、著者のかつての同僚だったシュワルツという物理学者が、「自分は超弦理論に一生を捧げる覚悟だ」と決めて孤軍奮闘し、「超弦理論」という火を絶やさずにいた。彼のお陰で後に大発見がもたらされ、「超弦理論」は息を吹き返したのだ、と著者は語る。

またそもそも「超弦理論」というのは、「弦理論」から発展している。ここまで説明してこなかったが、そもそも「弦理論」というのは何かと言うと、

粒子を「0次元の点」ではなく「1次元の弦(ひも)」として捉える

という考え方を出発点とする理論だ。

私たちは学校で「原子」を「点」のようなものとして習う。しかし「弦理論」では、「点」に見えるものは実は「振動している輪ゴムのようなひも」だと捉える。そしてこの考え方を使って、今まで説明できなかった事柄を解決しようという試みが発端となっているのだ。

しかし「弦理論」には大きな問題があった。素粒子物理学の世界では、「フェルミオン」と「ボソン」という2種類のクォークの存在が知られているのだが、「弦理論」の考え方からは「ボソン」しか作り出せなかったのだ。

しかしその後、「『超空間』の内部で『弦理論』を考える」という発想が生まれる(「超弦理論」の「超」とは、「超空間」の「超」である)。これによって「フェルミオン」と「ボソン」両方のクォークを生み出すことができるようになり、理論として生き延びることになったというわけだ。

さてそんな風に発展していった「超弦理論」だが、そのベースとなる「弦理論」を生み出したのはなんと南部陽一郎だという。南部陽一郎についてはこのブログでも、「自発的対称性の破れ」を発見した人物として取り上げている。

とにかく「魔術的な発想」を持つ天才だったようで、この「自発的対称性の破れ」1つとってみても、その後の物理学のあり方を一変させるような驚愕の発想だったという。しかしそれだけではなく、「超弦理論」のベースとなる「弦理論」を生み出し、もちろん他にも多数の功績がある。あまりに時代を先駆ける科学者だったようで、その天才性が改めて理解できることだろう

著:大栗博司
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最後に

現時点では「超弦理論」が今後どう展開するのかまだまだ分からない。相対性理論や量子力学のように、「超弦理論は21世紀物理学の至宝だ」などと捉えられるかもしれないし、「やはり実験による検証が行えないから机上の空論に過ぎない」と受け取られて終わってしまうかもしれない。

私としては、「超弦理論」が一般相対性理論と量子力学を融合し、「世界の真理」を捉えるための一助になってほしいと思う。私が生きている間に、そういうドラマティックな展開が実現してほしいものだ。

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