【感想】飲茶氏の東洋哲学入門書要約。「本書を読んでも東洋哲学は分からない」と言う著者は何を語る?:『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「本書を読んでも東洋哲学を理解できない」というほど、西洋哲学とはあまりに異質な特徴
  • 釈迦は何故出家し、いかなる境地にたどり着き、死後何が起こったのか
  • 中国で孔子・老子などの思想家が誕生した理由は「春秋戦国時代」にある

「東洋では、知識を理解したり他人に説明できても『知った』という状態にならない」という説明も興味深かった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「東洋哲学」は「西洋哲学」とはまったく異質だと理解できる超絶面白い入門書

飲茶氏は、数学・科学・哲学について、基礎知識のない人間にも分かりやすく面白く説明してくれる天才だ。このブログでも何冊か感想を書いており、哲学の本に絞っても、「正義」をテーマにした『正義の教室』や、「西洋哲学」を扱った『史上最強の哲学入門』がある。

本書『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』は、『史上最強の哲学入門』の続編だ。前作が「西洋哲学」だったのに対し、本作は「東洋哲学」が扱われる。順番通りに読まなければならないわけではないのでどちらから読んでもいいが、このシリーズの場合むしろ本書から読んだ方がいいかもしれない

というのも本書の冒頭には、「東洋哲学」と「西洋哲学」の違いが詳しく語られているからだ。この記事でもまず、この両者の違いについて触れてから、個々の東洋哲学の思想の紹介に移りたいと思う。

相変わらず、知的好奇心をバシバシと刺激される、べらぼうに面白い作品だ。

「東洋哲学」は「最終回しか存在しない連続ドラマ」

本書の冒頭に、こんな文章がある。

まず最初にはっきりと断っておくが、本書を読んで東洋哲学を理解することは不可能である。

いきなりの試合放棄だ。「そんなこと言っちゃっていいのか?」と感じるが、続く説明を読むと納得できるだろう。「東洋哲学」が「西洋哲学」とはまったく異なる理屈で成り立っているが故に、どの東洋哲学入門書を選ぼうとも「読むだけでは理解できない」のである

ではまず、「西洋哲学」について説明しよう。西洋哲学は基本的に「無知」を前提とする。つまり、「私はまだ何も知らない」というのが出発点なわけだ。そこから、様々な人間が協力し、階段を一段一段上るようにして知見を積み上げていく、というのが西洋哲学のスタンスである。これは西洋哲学に限らず、歴史や科学など、一般的に「知」と呼ばれるものの順当な発展形式だと言えるし、誰もがイメージしやすいと思う。

しかし「東洋哲学」はまったく違うと著者は語る。東洋哲学では「無知」が前提になることはなく、それどころか、「私は全部理解した!」と主張する人物が現れるところからすべてが始まるというのだ。著者は東洋哲学をこんな風に簡潔に説明している。

ある日突然、「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであると言える。

確かに禅でも仏教でも、「『悟った!』みたいな状態」が存在する印象はあるだろうし、それは「私はすべてを理解した」みたいなものと捉えていると思う。しかしやはり、分かったような分からないようなイメージになってしまうだろう。

そこで著者は、この両者の違いを連続ドラマに喩える

「西洋哲学」は、「現時点の知見」を最終回とする全13話の連続ドラマだと思えばいいと著者は言う。第1話にアリストテレスなど古代の哲学者が登場し、そこから順を追って話が進んで最終回に辿り着くという、我々が連想する「連ドラ」のイメージでいいというわけだ。

こう捉えた場合、「西洋哲学の難しさ」についての理解の仕方が変わるだろう。「西洋哲学が難しい」と感じられる理由は概ね、「全13話の連続ドラマの第5話しか見ていない」のと同じと考えていいからだ。5話ぐらいまでドラマが進めば、大体の主要登場人物は出きっていて既に紹介もされないし、舞台や世界観の設定も既に終わっているので、5話だけ見ても話の筋は理解できないだろう。

西洋哲学の場合もこれと同じで、連綿と続く「知」の一部しか切り取っていないから、「なんだかよく分からない」という感覚に陥りがちだと著者は指摘する。

さて、同じく連続ドラマで喩えた場合、「東洋哲学」はどう理解されるのか。それは、「最終回しか存在しない、全何話かさえ不明な連続ドラマ」のようなものだという。

「連続ドラマの最終回を、最終回だと知らずに見る」という状況について少し想像してみてほしい。初めて見る登場人物たちが、それまでのやり取りを踏まえているのだろう会話をし、とりあえず何か解決に向かったのだ、ということぐらいは理解できるだろう。つまり、「ドラマの内容はよく分からないが、それはここに至るまでの様々なやり取りが抜け落ちているからであり、きっとこれは連続ドラマの最終回なのだろう」と推定できるはずだ。

そして「東洋哲学に触れる」ことは、「連続ドラマの最終回を、最終回だと知らずに見る」ことと同じだ、というわけである。何だかよく分からないが、とりあえず自分たちは「最終回」に触れているのだということは理解できるはずだ。そして、そんな「最終回」を色んな人が見て、そこに至るまでの過程についてあれこれ想像したものが「東洋哲学」なのである

実際のドラマの最終回の場合は、「この2人は兄弟なのではないか」「このようなラストの展開を迎えたということは、恐らく主人公はかつていじめに遭っていたのだろう」のように想像することになるだろう。同じく東洋哲学の場合も、様々な人が「『悟った!』と主張する人物の思想(=最終回)」に触れ、あーでもないこーでもないとやり取りをしているというわけなのだ。

この説明で、「西洋哲学が理解できない理由」と「東洋哲学が理解できない理由」の違いがはっきり分かるだろう。「西洋哲学が理解できない理由」は連続ドラマの途中の回だけ見ているからであり、1話から見れば理解できる可能性がある。しかし、「東洋哲学が理解できない理由」は最終回しか存在しないからであり、そもそも「理解が及ぶものではない」というわけである。

このように説明してもらえると、「東洋哲学」を学ぶ際の心構えが出来て良いのではないかと感じた。

西洋と東洋では、「『知った』とみなされる状態」が異なる

さらに西洋と東洋では、「何かを知っている」という状態に関する理解が異なる。意味が分からないと思うので、まずは本書から該当する箇所を引用してみよう。

西洋であれば、「知識」として得たことは素直に「知った」とみなされる。(中略)
しかし、東洋では、知識を持っていることも明晰に説明できることも、「知っている」ことの条件には含まれない。なぜなら、東洋では「わかった!」「ああ、そうか!」といった体験を伴っていないかぎり、「知った」とは認められないからだ。

西洋では、知識を頭の中で理解する、あるいはそれを他人に説明できる、という状態に達すれば「知った」とみなされる。しかし東洋ではそうはならない。東洋では、「分かった!」という感覚こそが重要だからだ。そしてこれは、東洋哲学が目指す「『悟った!』という状態」の話にも繋がっていく。

本書ではこの点について、「『白』と『黒』しかない部屋にずっと生きてきた人に、『赤』をどのように説明するか」という問題を取り上げながら説明していく。

西洋的な基準で言えば、「波長が◯◯の光は赤色に見える」という知識を理解していれば「知った」とみなされる。しかし東洋では、言葉での説明をいくら理解しようが意味はない。実際に「赤いもの」を目にして「これが『赤』なのか!」という実感が伴わなければ、「知った」とは見なされないのである。

このように東洋では、「真理はそもそも言語化できないものであり、言語で捉えようとする試みは誤りでしかない」という考えが主流なのだ。

このような東洋のスタンスを知ることで、禅の「公案」も理解しやすくなる。「公案」とは、言ってしまえば「意味不明ななぞなぞ」のことであり、一番有名だろう「公案」は以下のようなものだ。

両手で拍手するとパチパチと音がするけど、では片手でやるとどんな音がする?

禅の世界には、このような「なぞなぞ(公案)」を提示し、弟子がそれについて一生懸命考えるというプロセスが存在するのだ。そして本書では、禅におけるこの「公案」という仕組みが、一体どんな意味を持つのかが解説される。その緻密な説明はここでは触れないが、重要なポイントは、「公案の答えを、西洋哲学的な意味で『知る』ことには何の意味もない」ということだ。

「公案」で重要なのは、「意味不明な問いについて、自力で超真剣に考え続ける」という点にある。答えを知っているかどうかはもちろん、答えに辿り着くかどうかも重要ではない大事なポイントは、「考え続けるという過程」そのものにあるのだ。そして、考えて考えて考え続けた結果として「悟り」に達する可能性が生まれるのであり、このプロセスは西洋的なスタンスでは捉えがたいのである。

つまり「公案」は、意味不明だからこそ意味があるのであり、その根本となる仕組みを理解してしまえば、「公案」が持っている本来的な役割は発揮されなくなってしまうのだ。著者も巻末で、自著を皮肉るような形でこんな風に書いている。

そう、だから、ネット検索による知識の公開、そして本書のようなお手軽な入門書といったものは、本当は伝統的な東洋哲学を破壊してしまう存在なのだ。

東洋哲学は「知識を得ること」を重視しない、それどころか、知識を得ることでマイナスの効果さえ生まれる可能性がある。だからこそ「本書のようなお手軽な入門書」を読むべきではないのだ。

東洋哲学がいかにややこしい存在なのかがなんとなく理解できるだろう。

「『悟る』ためなら嘘も方便」と考える

さらに東洋哲学には、「嘘も方便」という考え方が根底にある。本書には、

東洋哲学はあらゆる「理屈」に先立ち、まず「結果」を優先する。

と書かれているが、これは要するに、「『悟る』という結果を得るためなら手段を選ばない」という宣言なのだ。

このように東洋哲学は「とにかく釈迦と同じ体験をすること」を目的とし、「その体験が起きるなら、理屈や根拠なんかどうだっていい! ウソだろうとなんだろうと使ってやる!」という気概でやってきた。なぜなら、彼らは「不可能を可能にする(伝達できないものを伝達する)」という絶望的な戦いに挑んでいるからだ。そういう「気概」でもなければ、とてもじゃないがやってられない!
そして、事実、東洋哲学者たちは、そのウソ(方便)を何千年もかけて根気強く練り続けてきた。

「悟ること」が何よりも重視されるのだが、それは大変難しい。そしてそんな難しいことをどうにか成し遂げようと、様々な天才たちがあらゆる手法を開発してきた歴史こそが東洋哲学なのである。

東洋哲学における「嘘も方便」を理解するために、本書では、「法華経」に載っているあるエピソードが紹介される。それは次のような話だ。

父親が帰宅すると家が家事になっていたのだが、その燃え盛る家の中で子どもたちが遊んでいる。子どもは「火事」を知らず、その危険性に気付いていないのだ。さて、この状況であなたなら子どもたちになんと声を掛けるだろうか?

父親はこう考えた。子どもたちに「火事の危険性」を伝えられるならそれが一番良い。しかし、もう火の手はすぐそこまで迫っている。子どもたちに、「火事というのはこういう恐ろしいものだから早くそこから離れなさい」と言っても理解できない可能性もあるし、遊びに夢中で父親の話など聞かないかもしれない。

そこで父親は、悩んだ末こう叫んだ。「おーい! こっちに凄く楽しいおもちゃがたくさんあるぞ!」と。子どもたちは、火事の危険性を理解できたわけではないが、楽しいおもちゃがあると聞いて結果的に火事から離れ、命を落とさずに済んだ。まさに「嘘も方便」だろう。

そして東洋哲学も、まさにこれと同じことをしているのだ、と著者は語る。師匠は弟子に、嘘かどうかに関係なく様々なことを言う。それが「悟り」に繋がる手段だと考えるなら、東洋哲学においてはすべて許容されるのだ

そんなわけで東洋哲学では、宗派によって言うことが違うし、師匠は弟子に何も教えないし、修行中に理解不能な状況に置かれることもある。そそこに一貫性を見出すのは難しいかもしれない。しかし、東洋哲学は「悟りに達すること」を究極の目標に据えているのであり、その点で共通しているのだ、と著者は主張している。

さてここまでで、「西洋哲学」と「東洋哲学」の違いについて触れてきたが、両者がまったく異なるものだと理解できただろうと思う。まずこのような理解に立ってそれぞれの哲学に挑むと、学びが進みやすいはずだ。本書の冒頭で詳しく説明されるこれらの差異を理解するだけでも、本書を読む価値があると言っていい。

インド哲学はいかにして始まったのか?

それではここから、東洋哲学の個別の思想に触れていくことにしよう。

まずはインド哲学である。ここでは、釈迦や仏教について語ることになるが、まずはインド哲学の生みの親であるヤージュニャヴァルキヤの話から始めよう。

彼は「梵我一如」として知られる考え方を打ち出した。これについてはざっと書くに留めよう。この記事の説明ではきっと意味不明だと思うが、本書の記述以上に短く説明することは恐らく不可能なので、ここでは深入りしない。是非本書を読んでほしい。

「私(=アートマン)と世界(=ブラフマン)は同一である」という考え方を「梵我一如」と呼ぶ。そしてヤージュニャヴァルキヤは「アートマンを捉えることはできない」と主張した。説明は以上である。しかしこれではなんのこっちゃ分からないだろうと思うので、本書に登場する映画館の例を紹介しておこう。

映画館で映画を観ているとしよう。暗闇で映画の世界に没入していると、「自分が映画の世界の中にいる」ような錯覚を覚えることもあるだろう。実際にはただの観客に過ぎないが、映画の世界にあなたが入り込み、登場人物たちと共にその映画世界を体感しているかのように感じられる。そして、映画の中の出来事が自分自身に起こったことのように思えてしまうというわけだ。

しかし、映画が終わり電気がつく(あるいはエンドロールが流れる)ことで、あなたは「映画を観ていただけだ」と、その錯覚から醒めることができる。

ヤージュニャヴァルキヤは、我々の人生における「悩み」も同じようなものだ、と説いた。つまり、「不幸だ」「辛い」と感じることがあっても、それは映画の中の出来事でしかない、というわけだ。映画の中で何が起ころうとも、観客である自分が傷ついたり壊れたりしないように、あらゆる悩みも、自分とは異なる世界の話でしかない。そんな境地に達することができさえすれば、あらゆる不安は消えてなくなる、というのがヤージュニャヴァルキヤの主張である。

さてこのような「梵我一如」という考え方の中で、当時のインドで特に受け入れられたのが、「アートマンを捉えることはできない」という部分だ。ヤージュニャヴァルキヤは「アートマン」を、「~ではない」という形式でしか捉えることができない、と主張した。つまり、「アートマン」が何かは分からないが、「Aではない」し「Bではない」し「Cではない」……ということは理解できる、というわけだ。

そしてこの考え方から、「身分制度の存在はおかしい」とヤージュニャヴァルキヤは主張した。「アートマン」が「~ではない」という形式でしか捉えられないということは、「アートマンは特権階級ではない」し、「アートマンは奴隷ではない」となるからだ。ヤージュニャヴァルキヤによる「アートマン」の捉え方を敷衍することで、「身分制度の矛盾」があぶり出されたのである。

この主張は、バラモン(特権階級)から奴隷まで様々な身分格差が存在した当時のインドにおいては画期的なものだった。そして彼の哲学は、身分制度に抑圧されていた特権階級以外の人たちを勇気づけ、支持を集めていくのである。

釈迦による方針転換

そしてそんなヤージュニャヴァルキヤの哲学に勇気づけられた者の中に釈迦がいた。ヤージュニャヴァルキヤに後押しされるようにして彼は出家し、当時のブームだった「『老病死の苦しみを克服する境地』を目指すために苦行」に励んでいたのだ。

そう、当時のインドでは「苦行を行うこと」が流行していた。そこには、こんな納得の理由がある。「悟った人物を見分けるのは難しい」のだ。

悟っていようがいまいが言動に差はなく、見た目ではその区別をつけられない。だったらどうすればいいかが問題になっていたのだ。

そこで、こんな風に考えられるようになった。「悟った人」はあらゆる苦痛から解放されているとされる。つまり、ボコボコに殴られたとしても苦痛を感じないはずだ。だったら、「痛くて苦しい状況に耐えられる人物」ほど「悟っている」と判断できるのではないか。

そんな理屈を背景に、当時のインドでは、「俺は悟っているぞ」と示すための”ガマン大会”が行われていたのである。

もちろん釈迦も、最初はこの”ガマン大会”に参加した。しかし、苦行に耐えども耐えども一向に悟る気配がない。というかそもそも、「悟っているかを判断するために苦行を行う」のであり、「苦行を行うことで悟ることができる」わけではないのだ。しばらくして釈迦は、自分が身を置いている状況のおかしさにようやく気づいた。

そして、「苦行こそ悟りの邪魔である」という「中道」の考え方に行き着いたのだ。非常に真っ当な判断だと言っていいだろう。

さて、釈迦の「中道」という考え方で最も重要な点は、「アートマンは存在しない」という主張だ。この考え方は当時のインドに衝撃を与えた。何故なら、「アートマンは『~ではない』という形式でしか捉えられない」というヤージュニャヴァルキヤの主張と真っ向から対立するからである。

実は釈迦は、ヤージュニャヴァルキヤの主張に反対していたわけではない。というか、「中道」という考えを打ち出してからもヤージュニャヴァルキヤの主張に賛成していた。では何故、ヤージュニャヴァルキヤと対立するような主張をしたのだろうか?

それは、ヤージュニャヴァルキヤが見落としていた「大衆は誤解する」という事実を、釈迦が正しく理解していたからだ。

ヤージュニャヴァルキヤの言うように、「アートマンは『~ではない』という形式でしか捉えられない」のだが、正直、この主張はスパッとは理解しにくい。だから大衆は、この考えを理解するために、「アートマンは『~ではない』という形式でしか捉えられないものである」のように、「である」という形で概念化して理解するようになってしまった。しかし、そう捉えることは、ヤージュニャヴァルキヤの主張から遠ざかることになってしまう。本末転倒なのだ。

そこで釈迦は、大衆の勘違いを正すために、「アートマンは存在しない」と敢えて強烈な主張をすることにしたのである。

釈迦の理屈をまとめよう。ヤージュニャヴァルキヤの「アートマン」に関する主張は正しいのだが、その主張を正しく理解することは難しい。それゆえ大衆は誤った解釈をしてしまい、結果としてヤージュニャヴァルキヤが言いたかったことから遠ざかってしまった。そこで釈迦は、大衆の考えをヤージュニャヴァルキヤの主張に近づけるために、実際には正しくない「アートマンは存在しない」という主張をしたのである。

まさに釈迦も「嘘も方便」を上手く利用したというわけだ。

釈迦の死後の混乱と、天才の登場

釈迦は生身の人間なので、当然いつかは死ぬ。「食あたりで死んだ」というのが通説だそうだ。

いつの時代も変わらず、トップがいなくなると組織は混乱する。仏教でも同じである。

そもそも釈迦は、自らの教えを言葉として残すことを好まなかったらしい。さらに東洋哲学は「悟るためなら何でもアリ」だ。釈迦も弟子ごとに全然違うことを言っていたという。

だから釈迦の死後、弟子たちが釈迦の考えをまとめようと話し合っても折り合いがつかなかったのは当然だ。そして仏教は分裂した。元々の釈迦の思想をなるべく継承する形で存続した小規模な集団と、より大衆向けにアレンジした大規模な集団に分かれたのだ。そして後者の集団が「大乗仏教」と名乗り、小規模な集団の方を「小乗仏教」と下に見るようになっていったのである。

現在我々が知っている「仏教」は、いわゆる「大乗仏教」だ。当たり前と言えば当たり前だが、大衆向けにアレンジされたものが残るのは当然と言えるだろう。「小乗仏教」はよほどの覚悟がなければ続けられない厳しいものだそうで、所帯としても規模の大きかった「大乗仏教」の方がその後主流になっていった。

問題は、そんな「大乗仏教」を先導する人物がいるかどうかだ。そして運良く、龍樹という天才がいたのである。龍樹は「空の哲学」と呼ばれるものを完成させた。現在「般若心経」として知られているものだ。

本書ではこの「般若心経」についても詳しく説明されるが、先程同様、本の内容よりも短く易しく説明することなど不可能なので、是非本書を読んでほしい。

ざっくり書けば、「すべてのものは実体としてそこに存在するのではなく、人間が言葉で区別を生み出しているにすぎない」となる。

この世には実体など存在しないのだが、言葉で世界を捉えていると、どうしても実体が存在するような気がしてしまう。だからこそ、言葉ではない形で物事を捉える「無分別智」が「空の哲学」では推奨されるのだ。

しかし「無分別智」で物事を捉えようとしても、どうしても残ってしまう「違い」がある。それが「私と他者の区別」だ。「無分別智」を駆使して、世の中の様々なものの「違い」を「ない、ない、ない!」と言って否定し続けたところで、「そんな風に『ない!』と否定している私」のことはどうしても、他者とは違う存在として区別されてしまうのである。

「般若心経」ではその最後に残った「区別」をいかにして乗り越えるのだろうか? 本書によると、なんと「呪文」だそうだ。「呪文」によってその「違い」を突破しろ、という超展開について説明がなされたところで、インド哲学の説明は終わりということになる。

中国哲学を大雑把に捉えつつ、「孔子」「老子」の凄さに触れる

中国哲学については、孔子莊子韓非子荀子老子など、私でも名前を聞いたことがあるような人物の哲学が様々に紹介される。しかしこの記事では、それら個別の話には触れない。ここでは、中国哲学のパートで私が面白いと感じた、「彼らのような哲学者が中国で現れるようになった理由」についての説明に触れようと思う。

古代の中国には、「堯」「舜」「禹」という3人の英雄がいた。彼らは、生活に欠かせない存在でありながら、氾濫によって大きな被害をもたらす存在でもある「大河」に立ち向かった者たちだ。ドデカイ河が洪水を起こさないように治水工事を行うという、絶望的とも言える難事業に手を出したのである。

あまりにも壮大な計画であるがゆえに、国のトップは血縁ではなく優秀さで選ばれていた優秀な人物が率いなければ実現不可能な事業だからだ。しかしその伝統は「禹」を最後に途切れてしまう。その後は世襲によって後継者が決まるようになってしまったのだ。

そうなると誰もが想像できるように、アホみたいな王も出てくる。そして、そんなアホみたいな王に耐えられないと革命が起こってしまう。「世襲制のせいでアホが王になり、革命が引き起こされる」という流れが幾度も繰り返されることになったのだ。

しかし、そんな愚かなやり方をいつまでも続けるわけにはいかない。そこで「周」という国が方針を転換する。「ちょっとぐらい王がアホでも崩れないような強固な政治体系を作る」ことに決めたのだ。それが「封建制度」である。国を分割し、それぞれの土地を有力な貴族に統治させたのだ

もちろん、ただ国を分割して貴族に任せたところで上手く行くはずもない。必ず不届き者は出てくるからだ。そんな不届き者は中央の力で蹴散らしたいところだが、そうもいかない。なぜなら、中国は国土が広いこともあり、地方の貴族が武力を結集させることで、中央が太刀打ちできない勢力を獲得できてしまうのだ。

そこで上手い方法が考えられた。

当時の中国では、「天」という神様的な存在が素直に信じられていた。「天」というのは、「人間の頭上にいて、世界のすべての現象を司っている神秘的な存在」である。そして周王は、「自分は『天』の使いであり、『天』から命を受けて地上を支配している」と宣言した。さらに「周王は地方貴族の『本家』であり、地方貴族の先祖を祀る儀式は周王にしか行えない」とも主張したのだ。

つまり地方貴族に、「周王に逆らうことは『天』に逆らう行為だ」「周王に逆らえば先祖を祀る儀式は行われず、先祖の霊を怒らせることになる」と理解させたのである。

このやり方は実に上手く行き、周王は安泰を得た。しかしこの仕組みによって新たな問題も生まれてしまう

各地方を統治する貴族は、その地方における「王」なのだから、やはり好き放題やりたいと考える。しかし周王の宣言により、中央に逆らうことなど考えられない。だったら他の地方から奪えばいい、と考える地方貴族が現れる。周王には刃向かえないが、他の地方にだったら何をしても問題ないからだ。

このような流れで、地方貴族同士が争う「春秋戦国時代」が幕を開けることになる。そしてそんな時代の変化こそが、平民にとってのチャンスを生むことになったのだ。

どの国も、自国を強くしてどこかをやっつけたいと考えている。となれば、「国を強くする能力を持つ者」を探し出して登用することが急務となるだろう。これにより、貴族でない者でも、学問を身につけその実力を示しさえすれば、大出世が見込めることになったのである。

このような背景があったからこそ、孔子などの天才が活躍できる余地が生まれたのだ。

さてそんな孔子だが、何故ここまで高く評価されているのかという説明が興味深かった。というのも孔子は、ざっくり要約すれば、「思いやりの気持ちを大切にして礼儀正しく生きましょう」程度のことしか主張していないからだ。それなのに、世界4大聖人の1人に数えられている。ありきたりな主張をしていただけの孔子は、一体何故これほどの評価を得ているのだろうか?

その理由は、孔子が「空気を読まなかった」ことにあるという。

孔子の主張は、当時の支配者たちの流行の考え方とはかけ離れたものだった。しかし孔子は、正しいと思う政治の実現のために、王に嫌われても自らの考えを変えずに主張し続けたのである。孔子ほど能力のある人物であれば、王に気に入られるようなことを言いさえすればすぐにでも出世が叶ったことだろう。しかし孔子はそれを良しとせず、だからこそ孔子自身は不遇な人生を送ることになってしまった

しかし、後に弟子たちが孔子の考えをまとめ、それを広めたことで、時流に流されずに自らの主張を続けた孔子の心意気が理解され、後世に残る哲学者として評価されるに至った、ということのようだ。

また、老子の話も興味深かった。老子は、インドから伝わった仏教を中国に根付かせた人物だそうだ。そんな老子は、周の国の衰えを感じ取り、国を去ろうとしていた。しかし国境で弟子に捕まってしまう。そしてこの弟子が、「あなたの教えを書き残してください」と詰め寄るファインプレーを成し遂げたのだ。

何故これがファインプレーなのか。それは、この弟子が引き止めて詰め寄らなければ、恐らく老子の考えが後世に残ることはなかったからだ。老子も釈迦と同じく、自分の哲学思想を言葉で残していなかったのである。

このように、哲学の中身そのものだけではなく、多彩なエピソードに触れることで、難しい印象のある哲学をとっつきやすくしてくれているのだ。

「禅」に関する驚愕の話

本書には当然、日本の哲学の話も紹介される。しかしこの記事では、「禅」だけに絞ろう。禅は元々、中国に伝わったインド仏教が老荘思想と融合して生まれたものだが、成熟したのは日本だとされている。世界でも「禅」は「ZEN」という日本語の音で知られているそうだ。

そんな禅に関する、一番面白かった話を紹介してこの記事を終わろう。

禅では伝統的に、「悟った者」が後継者になると決まっているそうだ。禅を生み出したのは達磨という人物で、そこから数えて5代目に弘忍がいる。そしてその弘忍に続く6代目の選定でドラマが生まれたのだ。

弘忍には何人か弟子がおり、その中でも最も優秀とされ、6代目の後継者に選ばれるだろうと目されていたのが神秀である。一方、弘忍のいる寺には、慧能という雑用係もいた。彼は極貧の木こりであり、読み書きは一切できない。後継者候補とはとても考えられない人物だった。

しかし弘忍の後継者として選ばれたのは、慧能の方である。一体何があったのか?

ある時弘忍は弟子たちに、「自分がたどり着いた境地を詩にしろ。悟った者がいれば後継者にする」と告げた。弟子たちは頭を振り絞り詩を考え発表するが、やはり神秀のものが素晴らしい。

さてそこに慧能が通りかかる。字が読めない慧能だが、神秀の詩の内容を口頭で教えてもらうとなんと、「この詩を書いた人物はまだ悟っていないみたいですね」と口にしたのである。弟子たちは当然爆笑した。読み書きもできない雑用係に何が分かる、という態度だ。そして弟子たちは、だったらお前も詩を書いてみろよと挑発する。慧能は口頭で詩作し、字は書けないので弟子たちに文字にしてもらった。

さて、ちょうどそこに弘忍が通りかかる。そして慧能の詩を見るや、「こんなくだらない詩を書いたのは誰だ。全然悟ってない。消せ」と命じたのである。

その夜のこと。弘忍は慧能の寝室にやってきて、自分が着ている袈裟を渡した。この袈裟を受け継いだ人物こそが、後継者とみなされるのだ。そして弘忍は、「弟子たちの中で悟っているのはお前だけだ。だからお前を後継者にするが、そのことを知れば他の弟子は怒り狂い、お前はきっと殺されるだろう。だからこの袈裟を着てすぐに逃げろ」と告げたのである。

翌朝、弟子たちは弘忍が袈裟を着ていないことに気づいた。そして慧能の不在を知り、慧能が後継者に選ばれたのだと理解するに至る。やはり彼らは怒り狂い、慧能を探し出そうと必死になるが、その頃には慧能は無事南に逃げ延びていた。

そしてそのお陰で、現在に至るまで禅が継承されている、という話である。

なんとも壮大で、イカれた話だ。そんなイカれた話が満載の本書は、とにかくメチャクチャ面白い

最後に

著者自身が書いている通り、東洋哲学というのは、入門書を読んで知識を得ることがマイナスに働いてしまう非常にややこしい学問である。東洋哲学を突き詰めたければ、知識を積み上げるのではなく、「悟った!」という状態にどうやったら到達できるかを真剣に考えなければならないというわけだ。

しかし、単純に東洋哲学を知識として知っておきたいという動機であれば、本書ほど面白い入門書はなかなか存在しないだろう。かなり分厚い本だが、非常に読みやすく書かれているので、臆することなく手に取ってほしい。

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