【挑発】「TBS史上最大の問題作」と評されるドキュメンタリー『日の丸』(構成:寺山修司)のリメイク映画

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:高木史子, 出演:シュミット村木眞寿美, 出演:金子怜史, 出演:安藤紘平, 出演:今野勉, 出演:堀井美香, 出演:喜入友浩, 監督:佐井大紀

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

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この記事の3つの要点

  • 前置きもなくマイクを向けられ、突然「日の丸」に関する質問を浴びせられる一般人をテレビで放送しバッシングの嵐に晒された問題作『日の丸』
  • 新人研修で『日の丸』の存在を知って衝撃を受け、令和の時代に同じフォーマットを持ち込んだ佐井大紀の挑戦
  • 「日の丸」に関する質問から現実と呼応する様々な問題を掘り起こされる、非常に多岐に渡るテーマを内包する作品

トークイベントで語られた内容も含め、とにかく思考をメチャクチャ刺激させられた1本

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

寺山修司が関わった「TBS史上最大の問題作」と評されるドキュメンタリー『日の丸』を、佐井大紀が令和にリメイクした衝撃作

メチャクチャ面白い作品だった。これは凄い。観ようかどうしようか迷うぐらいの期待値の低さだったが、想像の100倍ぐらい面白くて驚いた。私は、ヒューマントラストシネマ渋谷で行われていた「TBSドキュメンタリー映画祭2022」で鑑賞したが、その後『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』というタイトルで劇場公開されたようだ。この記事を書いている時点では劇場公開も終了し、配信等でも観れなさそうだが、興味を持った方は機会を見つけてぜひ観てほしい。

まずは映画とは関係のない「日の丸」のエピソードから

映画『日の丸~それは今なのかもしれない~』では、街行く人に「日の丸」について唐突に質問する。これは、後で詳しく触れるが、寺山修司が関わった「TBS史上最大の問題作」であるドキュメンタリー『日の丸』を踏襲したものだ。日本人に「日の丸」についてのイメージを問うことで、そこから炙り出される「何か」をそのまま映し出そうという趣旨である。

というわけでまずは、映画を観る前の時点で知っていた「日の丸」に関するあるエピソードから紹介しよう。映画で語られる話ではないのだが、「日の丸」が持つ「不確定であやふやな印象」みたいなものを象徴する逸話である。

「白地に赤丸」という、いわゆる「日の丸」は、昔から日本を象徴するものとして存在していた。しかし、国旗としての「日の丸」を最終的に決定したのが実は1人の大学生だったという事実については恐らく知らない人の方が多いだろう。

時は1964年、東京オリンピックの年。ある1人の大学生が、「世界中の国旗に詳しいから」というだけの理由で、オリンピックの国旗担当に任命された。オリンピックともなれば、様々な場面で国旗は登場する。その際に間違いがあってはマズい。そこで彼に託されたのは、世界中の国旗についての情報を様々に収集し、配色やサイズなど「各国が定める正しい規格」をまとめることだった。

さて、当然彼は日本の国旗である「日の丸」の規格についても調べ始めた。しかし思いがけず、「日本の国旗」こそが彼の最難関として立ちはだかったのである。

何故なら、誰も「日の丸」の正しい規格を知らなかったからだ。彼は日本のありとあらゆる省庁に問い合わせ、「『日の丸』の規格を教えてほしい」と尋ねたが、どこからも明確な回答は返ってこなかったのである。散々調べて「規格など存在しない」と確定したが、そこからがまた大変だった。規格が無いなら誰かに決めてもらうしかない。しかし、そういう打診をしても、「そんな重大な問題を自分の権限では決めることが出来ない」と、誰も「決断」さえしてくれなかったというのだ。

困り果てた彼は、最後にこう開き直る。もう、自分が決めるしかない

「日の丸」の規格はこのように、東京オリンピックという国家的行事を背景にして、たった1人の大学生の手によって定められたのである。

このエピソードは、「日本」という国家にどこかずっと付きまとう「不確定な揺らぎ」を象徴するようなものだと私は感じた。日本は国名についても、「ニホン」と「ニッポン」という2つの読み方を許容している。これは国家の正式決定だ。2009年、麻生太郎内閣の閣議決定で「国名の読み方はどっちでもよい」と決まったのである。国旗は大学生が決めた、国名の読み方はどっちでも良い。このような「曖昧さ」は、日本という国性や日本人という国民性が色濃く反映されたものであるように私には感じられる。

そしてだからこそ、「『日の丸』と聞くと何を思い浮かべますか?」と問われた時に、多様な受け答えが生まれ得るのだとも思う。日本以外の国で同じドキュメンタリーが成立するのか分からないが、国旗について問われた際の回答が多様に発散していくのは、日本ぐらいなのではないだろうか

「TBS史上最大の問題作」の誕生と、その存在を知った佐井大紀による令和の挑戦

本作『日の丸~それは今なのかもしれない~』は、繰り返し紹介しているように、詩人・寺山修司がその構成に関わった、「TBS史上最大の問題作」と評されるドキュメンタリーが土台になっている。それが『日の丸』である。放送されたのは1967年2月9日。制定されたばかりの「建国記念の日」の2日前のことだった。『日の丸~それは今なのかもしれない~』の中でも、1967年当時放送された白黒の『日の丸』の映像が流れるのだが、観れば確かに、「TBS史上最大の問題作」と呼ばれる理由が理解できるだろう。

『日の丸』は、街頭インタビューのみで構成されている。画面に映るのは、マイクを持った女性と、受け答えをする街中の人だけ。カメラはどうも遠景からロングショットで狙っているように思える。恐らく、カメラの存在を回答者に意識させないためだろう。となると、そう説明があったわけではないのだが、『日の丸』はきっと、回答者の許可を得ずに撮影・放送しているのではないかと思う。インタビュー前に許可を取っていないのは見ていて明らかだが、恐らく、インタビュー後も許可が取られていないのではないか。私の想像通りだとすれば、『日の丸』とまったく同じ手法は、コンプライアンスに厳しい現代では行えないだろう。

マイクを持った女性は、何の前置きもせず、突然「『日の丸』といったら何を思い浮かべますか?」と質問をぶつける。相手が何か答えても、それに対して一切反応せず、すぐさま次の質問を繰り出す。マイクの女性はテープレコーダーのように、ただ決まった音声を出力するだけの存在というわけだ。そして、そんな不審極まりない状況で平然と回答する人々の姿だけを、なんのナレーションも加えずにただ流し続けたのが『日の丸』なのである。

なかなか凄まじい映像だった。放送当時もやはり衝撃をもって迎えられたようだ。放送中から苦情の電話が鳴り止まず、新聞でも報じられたという。「問題作」と評される所以である。

そんな『日の丸』を新人研修で目にして衝撃を受けたのが、『日の丸~それは今なのかもしれない~』の監督・佐井大紀だ。彼はドキュメンタリーやニュースなどに関わる部署に所属しているわけではないと思う。しかし、新人研修で観た『日の丸』の映像が忘れられず、「同じことを現代で行ったらどうなるだろうか?」と考え続けたそうだ。

そんな風にして生み出されたのが『日の丸~それは今なのかもしれない~』である。

本作は決して、街頭インタビューのみの構成ではない。『日の丸』のフォーマットは、あまりにも完成されすぎているために、そのまま再現しても「単なる真似」以上の何かにはならないのだ。佐井大紀は、様々な要素を積み上げることで、「『日の丸』という最大の問題作」をまるっと取り込んだドキュメンタリー映画を完成させたと言えるだろう。私はとても興味深い作品だと感じたし、本当に観て良かったと思う。

1967年との奇妙な「類似性」と、街頭で突きつけられる質問について

佐井大紀は映画の中で、この映画を「今」撮ることについての意味について語っていた。

『日の丸』が放送された1967年というのは、東京オリンピック(1964年)と大阪万博(1970年)に挟まれた年だった。またベトナム戦争が起こり、世界情勢も混沌としていたのである。一方、映画が撮影された2022年も、東京オリンピック(2021年)と大阪万博(2025年)に挟まれており、コロナウイルスによって世界が混乱に陥っていた。また、映画撮影時には当然想定されていなかったことではあるが、映画公開時にはロシアによるウクライナ侵攻が始まっていたのである。

もちろん、どの年を比較しようが、そこに何らかの共通項を見出すことぐらい出来るとは思う。ただ、「東京オリンピック」「大阪万博」「戦争」の3つが重なるという状況は相当に稀有だと言っていいだろう。そして、「そのような共通項がある年なのだから、かつて物議を醸した『日の丸』を改めて現代に持ち込んでみることに何か意味があるのではないか」と語っていた。「それがどうした」と思う人もいるだろうが、いずれにせよ、「時代の必然性」みたいなものを感じさせる状況と言えるだろう。

それではここで、街頭で人々に突きつける10の質問を列記しておこう。映画館内でのメモを元に再構成しているので正確なものではないが、内容は大体次のようなもの感じである。佐井大紀は意識的に1967年の質問内容と揃えているので、若干の差異はあるはずだが、概ね『日の丸』でも同じ質問がされていたと考えてもらっていいだろう。

  1. 「日の丸」といったら何を思い浮かべますか?
  2. 「日の丸」の赤は何を意味していると思いますか?
  3. 「日の丸」をどこに掲げるのが美しいと思いますか?
  4. 国と家族、どちらを愛していますか?
  5. 外国人の友人はいますか?
  6. もし戦争になったら、その人と戦えますか?
  7. 「日の丸」を振ったことがありますか? それはいつですか?
  8. 「日の丸」に対して誇りを感じていますか?
  9. 「君が代」に対して誇りを感じていますか?
  10. 最後に「日の丸」について一言お願いします

街中を歩いている普通の人に、何の前置きもなくマイクを向け、矢継ぎ早にこんな質問を突きつけるのである。相当に奇妙なシチュエーションであることは想像できるだろう

質問された人たちの反応と、興味深い答え

1967年でも2022年でも、質問された人たちは最初から特に動じることなく、不審そうな様子さえも見せずに答えを返す。まずその姿がとても印象的だった。

1967年であれば、そもそも「マイク」が高級品だったはずなので、「マイクを持って街中でインタビューしている人」はテレビかラジオの人だと想像がついたかもしれない。しかし現代であれば、YouTuberや新手のキャッチなど様々な可能性を想定し得る。そう考えるだけでも、インタビューの難しさがイメージ出来るだろう。また、1967年のインタビューアーは女性だったのに対して、2022年は男性である佐井大紀が自ら街頭で質問を投げかけている。心理的にはどうしても、男性より女性の方が答えやすさが増すだろう。そういういくつかの要素を考え合わせると、2022年の街頭インタビューの方が遥かに困難が多かっただろうと想像する。

実際、映画上映後の舞台挨拶に登壇した佐井大紀は、「特に若い人には数百人単位で断られ、実際に使えたのは数十人」と話していた。まあそうなるだろう。また、映画の中でもインタビュー後の様子が一部使われていたが、映画等で使用するためだろう許諾書みたいなものにサインをしてもらう様子も映っていた。インタビューに答えてもらっても、その後の許可取りでOKをもらえなかったケースもあるはずだ。そういう点でも苦労が忍ばれる作品である。

映画で使われるのは「結果として質問に答えてくれた人」だけであり、ある意味では「特殊な人」と言えるのかもしれない。佐井大紀は1967年の踏襲をしているに過ぎないのだが、質問を突きつけられる人にはそんなことは分からない。当然、前置きなしで奇妙な質問をしてくる奴がいたら「ヤバい奴」としか思えないはずだ。「早く終わらせたかった」とか「怖くて逃げられなかった」など色んな理由があるとは思うが、いずれにしても「この状況で平然と答えを返している人々」の姿はとても興味深いと感じた。

回答はかなり多様なものになっており、冒頭で触れた通り「日本の国性」「日本人の国民性」を感じさせられた。面白かったものをいくつかピックアップしてみよう。

  • 「日の丸」と言ったら何を思い浮かべますか? → タクシー
  • 「日の丸」の赤は何を意味していると思いますか? → いちご
  • 「日の丸」をどこに掲げるのが美しいと思いますか? → 空とか。映えますよね。
  • もし戦争になったら、その人と戦えますか? → 相談します。
  • 最後に「日の丸」について一言お願いします → 日の丸弁当は美味しいです。

一番爆笑したのは、「タクシー」という答えだ。聞かれて間髪を入れずに答えていたのが印象的だった。普段からタクシーを使っているからこその連想なのだとは思うが、「日の丸」と聞かれて即座に「タクシー」が出てくる発想はなかなか面白い。あと、「相談します」と答えた人に対しては「誰に?」と疑問に感じたが、回答者に何も聞き返すことなく淡々と質問をぶつける形式でインタビューを行っているので、その答えは分からなかった。しかし本当に、誰に相談するんだろう?

「日の丸」に関する返答から「『日本人』とは誰なのか?」について考える

「もし使うなら顔を隠して下さい」と言ってインタビューに応じていた人が、すべての質問に答え終わった後、こんなことを言う映像がある。

日本人が日本人のために戦うことは大事だと思いますよ。
じゃあ、誰が日本人なのか、っていう定義が問題ですよね。

この発言を受ける形で、映画は「日本人とは?」「アイデンティティとは?」という方向に話が展開していく

さて、少し映画の話から逸れるが、「『日本人』とは誰なのか?」に関する振る舞いに対して、私は時々違和感を覚えてしまうことがある。それはオリンピックなど国際的なスポーツ大会が開かれる際に感じることが多い。分かりやすいように名前を出すが、それは「八村塁や大坂なおみを応援する人」に対する違和感だ。誤解されたくないので強調しておくが、これは決して、「八村塁や大坂なおみ」に対する違和感ではない。あくまで「八村塁や大坂なおみを応援する人」に対する違和感である。

私はそもそも、「日本的なものに長く触れている人なら『日本人』だろう」と考えている。ただ、私が今言及しているのは、法律などの厳密な定義のことではない。例えば、何か福祉的な制度の条件に「日本人であること」という制約があるのなら、何らかの形でもう少し厳密に「日本人」を定義しなければならないだろう。今私が言っているのはそういうことではなく、あくまでも「どういう人を『日本人』だと感じますか?」と問われた際のイメージについてである。そして私は、日本的なものに長く触れていたら日本人だと思うし、それは概ね「日本に長く住んでいる人」と言っていいだろう。

つまり、国籍や人種に限らず、日本に長く住んでいれば、私にとっては「日本人」だ。逆に言えば、「両親は日本人だがずっと海外で暮らしている人」を、私は「日本人」とは感じられないかもしれない。

以下の話は、私が持つこの前提と共に捉えてほしい

八村塁や大坂なおみなど、「外見は日本人っぽくないが、日本国籍を持っている人」がスポーツなどで活躍すると、テレビやSNSなどで「日本人として誇らしい」みたいな言い方が溢れる。もちろんそれは良いことだ。純粋に八村塁や大坂なおみを応援している人が多いだろうし、だから、彼らを応援することに対して違和感があるみたいな話ではない

ただ私は、いつもこんなことを考えてしまう。彼らは、もし八村塁や大坂なおみが「偉大なスポーツ選手」ではなかったとしても、同じように「日本人」と扱うのだろうか? と。私はいつもこのようなモヤモヤを抱えながらスポーツニュースを見ている。もし、「八村塁や大坂なおみが『偉大なスポーツ選手』だから『日本人』として受け入れられている」のだとしたら、それは「外見は日本人っぽくないが、日本国籍を持っている人」全体にとってみたらむしろマイナスだろう。「『偉大なスポーツ選手』ではない自分は『日本人』として受け入れられない」ということなのだから。このような違和感を、私は未だに拭えないでいる。

さて、映画の話に戻るが、『日の丸~それは今なのかもしれない~』には「ウルトラセブン」の話も出てくる。『日の丸』と同じく1967年に放送された第42話「ノンマルトの使者」のエピソードだ。この回の脚本を手掛けたのは沖縄出身の金城哲夫であり、「ノンマルトの使者」のエピソードは「沖縄と日本の関係を反映した」と言われているという。どんな話なのだろうか?

「ウルトラセブン」にはそもそも、「ノンマルト」と呼ばれる存在についての言及がある。そして、ウルトラセブンの故郷M78星雲では、「ノンマルト=地球人」と捉えられていた。しかし、「ノンマルトの使者」の回に登場するある少年は、「ノンマルト」のことを「本当の地球人」と呼んでいる「本当の地球人」は「地球人」よりも前に地球に住んでいたのだが、「地球人」に海へと追いやられてしまったというのだ。人間は自分たちのことを「本当の地球人」だと思っているが、実際には海に追いやられた「ノンマルト」こそが「本当の地球人」なのであり、人間は侵略者に過ぎないと少年は訴えている。そんなストーリーだ。

では、どうしてこんな話が映画の中に出てくるのか。それは、「日の丸」についての質問を「アイヌにルーツを持つ女性」にも問いかけているからだ。日本の先住民であるアイヌ民族は、戸籍上は「日本人」とされている。しかし、アイヌ独自の文化は禁じられ、言語も矯正された。アイヌこそが「本当の日本人」であり、私たちは侵略者に過ぎないのだが、私たちは普段そのことを意識しない。まさに「ノンマルトの使者」と重なる話と言えるだろう。

アイヌにルーツを持つ女性は、「『アイヌ』というのは『人間』という意味であり、何か他の存在と区別するような言葉ではない」と口にしていた。これは、否応なしに「マイノリティ」という枠組みに組み込まれてしまう難しさについての言及と言えるだろう。「『日本人』とは誰なのか?」という問いは、このような指摘を内包するのである。

『日の丸』を生み出した萩元晴彦と寺山修司

映画の前半では、佐井大紀が実際に街中でインタビューした際の様子と、そこから様々な掘り下げを行っていく展開が映し出されるが、後半では、1967年にテレビ放送されたドキュメンタリー『日の丸』の方へとその焦点を移していく。『日の丸』のディレクターはTBSの萩元晴彦という人物なのだが、構成として寺山修司が関わっている。萩元晴彦にとって寺山修司は早稲田大学時代の後輩だそうで、この2人が「街頭インタビューのみのドキュメンタリーを作ろう」と決めて制作がスタートしたのだ。

恐らくパイロット版という位置づけだったのだろう、『日の丸』を放送する3ヶ月前に、同じく街頭インタビューのみで構成された『あなたは……』というドキュメンタリーが放送されている。『日の丸』と同じく、通りすがりの人に前置きなしで唐突に質問をぶつけるというスタイルだった。「あなたは幸福ですか?」「あなたが欲しいものは何ですか?」「あなたが総理大臣になったら何をしますか?」と様々な質問を畳み掛け、最後に「あなたは誰ですか?」と聞くという内容だ。この番組の反響がどうだったのかについての言及はなかったが、悪くはなかったから『日の丸』が制作されたのだと思う。

映画には、安藤紘平という映像作家も登場した。彼はTBSの社員だったが、元々は寺山修司が作った劇団「天井桟敷」のメンバーである。上映後の舞台挨拶にも登壇しており、映画では触れられていない当時の思い出について次のような話をしていた。

彼はTBSの3階にあった喫茶店でよく奢ってもらっていたため、「TBSは良い会社だ」と思い、寺山修司に「TBSを受けようと思うんですけど」と相談したそうだ。そして寺山修司が、「1人ぐらいスパイがいてもいいだろう」と言ったので、試験を受け入社した。しかしその直後、テレビで『日の丸』が放送され、局内は大騒ぎになってしまう。安藤紘平はまだ見習いに過ぎなかったが、『日の丸』に寺山修司が関わっていると知った重役が彼を呼び出し、「天井桟敷かTBSかどちらかを選べ」と突きつけられたのだそうだ。『日の丸』がいかに大きな影響を与えたか、そしてTBSがどれほど寺山修司を問題視したかが伝わるエピソードと言えるだろう。

そんな安藤紘平は映画の中で、『日の丸』を通じて寺山修司がやりたかっただろうことについて語っていた。彼はをれを「『情念の反動化』に一石を投じること」と表現する。これだけだと理解しにくいが、後に寺山修司が『日の丸』について語った文章が映画の中で紹介されたので、まずはその内容にざっくり触れてみようと思う。

いきなりマイクを突きつけて質問をする。「あなたは何をしている時が幸せですか?」という問いに対しては、大部分の人が「昼寝」や「テレビを観ること」などと答える
それに対し、何か偽証といった想いを抱くだろう。どこか間違っている、と。
では、それに代わる答えは何かと問われれば、聴取者もまた口をつぐんでしまう。
日常的な小生活を幸福と捉えるためには、想像力の助けがいるのだ

『あなたは……』で人々に唐突に質問した際の返答は、寺山修司には「どことなく嘘くさいもの」に感じられたというわけだ。まあ確かにそうかもしれない。私も、嘘くさいかどうかに関わると思うが、返答が「浅い」と感じた。ただもちろん、突然マイクを向けられれば、自分も大差ない返答をしてしまうかもしれないとも思う。いずれにせよ寺山修司は、それを「嘘くさい」と感じた。そしてその原因が「想像力が硬直化している」ことにあると考えたのだ。だからそれを、『日の丸』によって突き動かそうとしたのである。

正確に捉えられたのかどうか自信はないが、恐らくこれが、安藤紘平が語っていた「『情念の反動化』に一石を投じること」の具体的な中身だと思うし、劇団員だった彼が想像する「寺山修司がやりたかったこと」というわけだ。

「言葉から出なければならない」と考えていた寺山修司

上映後のトークイベントでは、安藤紘平がさらに寺山修司について掘り下げて語っていた。それは、1967年の『日の丸』と、佐井大紀が監督した『日の丸~それは今なのかもしれない~』の差について言及していた時に出た話である。佐井大紀監督作の特徴については後で触れるとして、まずはこのまま寺山修司の話をもう少し続けていこう。

安藤紘平は、「萩元晴彦がやりたかったことと、寺山修司がやりたかったことは若干異なるはずだ」と前置きした上で、寺山修司が何を考えていたのかについてさらに深掘りしていく。寺山修司は「死ぬまで詩人でありたいと思っていた人」であり、とにかく徹底的に「言葉」にこだわっていた。そしてだからこそ「『言葉』から出なければならない」という想いを抱いてもいたそうだ。寺山修司は映画・演劇・競馬評論など様々なことに関わっていたが、この点についても、「詩」というシンプルに「言葉」だけで構成されたもの以外の形で「詩的なもの」をバラ撒きたかったのだろうと指摘していた。

寺山修司はよく「ヒトラーのナチ党大会の映像」にも言及していたという。彼にとってヒトラーは「政治家」ではなく「詩人」なのだそうだ。つまり寺山修司は「詩」を、単なる「言葉」ではなく、「行為としての『詩』」と捉えていたのである。映画の中で安藤紘平が、

言葉と言葉が非常に離れていることによる虚構性を大事にしていた。

と語る場面があるが、これもまた「『詩』は単に『言葉』によるものではない」と示唆するものと考えていいだろう。

このような、「既存の考え方から外へと出ていく」という捉え方を、寺山修司は様々なものに対して行った。その1つが「国家」である。映画の中で、寺山修司がかつて行った『市街劇 人力飛行機ソロモン』について触れられるのだが、この話は抜群に興味深かった。「1メートル四方1時間国家」という絶妙なキャッチコピーで喧伝されたこの演劇は、「市街劇」という名前の通り街中で行われる。演劇を行う空間を「国家」と捉えるのだが、そんな「国家」の領土が1時間毎に倍になっていく、という設定になっているのだ。12時間以上行われるため、最終的に「国家」は非常に広い範囲に及ぶことになる。

凄まじいと感じたのは、『市街劇 人力飛行機ソロモン』の記者発表の中で寺山修司が語っていた構想だ。彼は、「国家の領土内に停まっている車があれば、それを演劇の流れの中で壊してしまう可能性だってある」と口にしていたのである。「国家」を「閉じ込めるもの」として捉えていた寺山修司は、演劇の中で新たに「国家」を定義することで、その「閉じ込めるもの」から飛び出そうとしたというわけだ。

寺山修司の著作には、『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルのものもある。彼はずっと、「閉じ込められているところからいかに抜け出すか」をテーマに据えていたというわけだ。

著:寺山 修司
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国家という閉じ込められた概念から、政治的にではなく、詩的な方法で出ていく。

このような重要性について、常に考えていたのである。

そして、そのような「解放」をもたらす手段として、寺山修司は『日の丸』を捉えていたというわけだ。安藤紘平はそのことを、「虚構としての詩的なアジテーション」と呼んでいた。これこそが、寺山修司がやりたかったことなのだ、と。

だから寺山修司にとっては、「質問内容」や「それに対する回答」は重要ではなかったはずだ。少なくとも安藤紘平はそう考えている。重視していたのは、「唐突に質問するという行為」や「答えに躊躇する間」であり、それらすべてを「テレビ」という枠組みの中で行うことによって「虚構としての詩的なアジテーション」を実現しようとしたというわけだ。そういう意味で言えば、『日の丸』の放送によって引き起こされた異例の反響は、寺山修司の目論見通りだったと考えていいのだろうと思う。

「佐井大紀の頷き」に対する安藤紘平の分析

さて、今話しているのは『日の丸』と『日の丸~それは今なのかもしれない~』の差についてだ。そしてトークイベントの中で安藤紘平は、

佐井君は、相手の返答に対して頷いていた。

と指摘した。そして、「だからこそこの映画はとても良いものに仕上がった」と言うのである。この点について説明するために、また『日の丸』の話に戻るとしよう。

映画の中で、『日の丸』のディレクターである萩元晴彦が、「インタビューアーにアナウンサーを使わなかった理由」について触れていた。当初はアナウンサーにやってもらうつもりでいたそうだ。しかし、試しにインタビューアーをやらせてみたところ上手くいかなかった情緒的なコミュニケーションを取ってしまうのである。それはアナウンサーが持つ「技術」なのだが、『日の丸』のインタビューにおいては、相手の返答に頷いたり何か反応を返したりすることは「邪魔」でしかなかったのだ。

だから彼らは、アナウンサーではなく素人を起用した。そして、相手の返答に対して何の反応もしないように伝え、無機質に質問を繰り返すことに専念させたのだ。確かに、映画の中で流れる『日の丸』の映像内の女性は、非常に機会的な喋り方をしていたのが印象的だった。萩元晴彦はインタビューアーを「人格」ではなく「単なる記録用紙」と捉えており、そのことが何よりも重要だったと語っている。

この事実は、寺山修司の目論見と同じく、「質問内容」や「それに対する回答」ではなく、「問われた人間の反応を丸ごと捉えること」に重点が置かれていたことを意味すると言えるだろう。「言葉」以上に「画面を通じて伝わる視覚情報」の方こそが重視されていたというわけだ。

そしてこの点について安藤紘平は、「『日の丸』には『テレビとは何か?』という問いかけも含まれていた」と言及している。この指摘は『日の丸』を捉える上で非常に重要と言えるだろう。1967年というと、テレビが登場してまだ間もない時代。つまり、「『テレビ』というものが持つべき役割・存在感」がまだ明確ではなかったのである。萩元晴彦はラジオ出身だそうで、それゆえに作り手自身からの「テレビには何が出来るのか?」という挑発的な問いかけも多分に含まれていたというわけだ。これが、「視覚情報」が重視された理由である。なるほど、非常に面白い。

そして、安藤紘平が「佐井君が頷いていたことが良かった」と言及していた背景には、『日の丸』のこのような点が関係している。つまり、佐井大紀が相手の返答に頷き返すことで、必然的に「質問内容」や「それに対する回答」の方が重視される作りになったというのである。そしてだからこそ、インタビューを行っている時点で始まっていなかったウクライナ侵攻にも呼応するような作品に仕上がったのだろうと指摘していた。確かに、「質問内容」に重点が置かれるからこそ、「もし戦争になったら、その人と戦えますか?」という問いやその返答が重要なものとして浮き上がることになる。安藤紘平の指摘にはなるほどと感じさせられた。

安藤紘平は映画出演のオファーを受けた際、「テレビで同じことをやるのはもう古いのではないか」と感じたとトークイベントの中で語っていた。もちろん、先に説明したような「『視覚情報』を優先した作り」のことが頭にあったからだ。もはや「テレビとは何か?」という問いに意味など見い出せる時代ではないのだから、『日の丸』のフォーマットをそのまま踏襲することに何か意味があるだろうか、と考えていたという。

しかし、相手の質問に対して頷き返す佐井大紀のスタイルを見て、結果としてとても良い作品に仕上がったと語っていた。

安藤紘平のこの指摘に対して、佐井大紀は「頷きを返していたことも含め、意図してのことではない」と返している。彼は、街頭インタビューを行っていた時点では、「視覚情報」を重視するという『日の丸』の演出意図をまだ理解しておらず、映画製作の過程で少しずつそのことを理解していったのだそうだ。だから街頭インタビュー中に頷き返していることは、あくまでも無自覚の行為であり、萩元晴彦・寺山修司の意図を踏まえた上での意識的なものではなかったと素直に告白している。まあでも、結果としてその「頷き」が、『日の丸~それは今なのかもしれない~』という作品を成り立たせることになったのだから、結果オーライと言っていいだろう。

最後に

トークイベントの中で佐井大紀が語っていた話で印象的だったのは、『日の丸』に対する認識の変化についてである。

萩元晴彦・寺山修司による『日の丸』を観た佐井大紀は、寺山修司の著作などを読んだ印象も踏まえた上で、「挑発」「悪意」といった意図をそこに読み取った。「不躾に質問を投げかけるというスタイル」は、まさに「挑発」「悪意」を込めてのものなのだろうと解釈していたというわけだ。

しかし、実際に同じ形式で質問を投げかけたことで考えが変わったという。企画した2人は、「挑発」や「悪意」などとは違う、もっと切実な想いを持ってこのドキュメンタリーを企画したはずだ、と感じられるようになったそうだ。「『性悪説ではなく性善説によって社会を動かしたい』という気持ちを持っていたはずだ」という思いが湧き上がってきたのだという。だからこそ、その意図が世間に正しく伝わらず、バッシングという反応が返ってきたことを残念に感じていたのではないかと語っていた。これも、実際にあの特異なインタビューを身を以て体験しなければ分からない感覚だろうから、非常に興味深い捉え方だと言えるだろう。

「日の丸」というテーマは、なかなかに政治的な匂いを感じさせる。特別な意識を持つ人以外は、正直なところ「あまり触れたくない」という感じかもしれない。そのような雰囲気を理解しつつ、佐井大紀はトークイベントの中で、「この映画を『自分を包むラベルを疑うきっかけ』にしてほしい」と語っていた。私たちは、海に囲まれた島国に、同質性の高い集団を保ったまま生活を続けている。そしてそれ故に、自分たちがどんなラベルに包まれているのかを意識する機会は非常に少ない。「日の丸」に関する質問は、その「覆い」のようなものを浮き彫りにするはずだし、普段なかなか認識できないその「覆い」を見つめ、疑問を呈してみてほしいというわけだ。

私はとても面白い映画だと感じた。是非観てほしい。

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