【現代】これが今の若者の特徴?衝撃のドキュメンタリー映画『14歳の栞』から中学生の今を知る

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

https://www.youtube.com/watch?v=GCACOyERq8k

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • カメラに撮られながら、ホワイトデーのチョコを渡す男子
  • 「今の友達と離れられるから早く大人になりたい」とカメラ前で平然と語る少女
  • 「そこら辺のゴミには適当に遊ばせとけばいい」と達観するパソコン少年

中学生の時の自分だったら……こんな振る舞い、カメラの前じゃできないよなぁ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

ある中学校の2年6組に密着するドキュメンタリー映画『14歳の栞』は、あまりにも衝撃的な作品だった

映画『14歳の栞』の内容紹介

本作『14歳の栞』にはかなり衝撃を受けたのだが、その衝撃を説明するには、まずどんな映画なのかを説明しなければならないだろう。

この映画は、14歳の少年少女たちを「ありのまま」に映し出した作品だ。

舞台となるのは、埼玉県春日部市のある中学校の2年6組。「修了式まであと50日」という時点からカメラの密着が始まる。学校側とどのように話をつけたのか知らないが、カメラは授業中の教室にも、不登校の生徒がいる「さわやか相談室」にも入っていく。

2年6組の生徒は35人。本作は、この35人全員を一人ひとり掘り下げながら、14歳という一瞬を映し出す作品だ。

正直なところ、これといってドラマティックなことは起こらないし、中学生の日常がひたすら淡々と進んでいくだけの映画である。しかし私は、観ながらずっと「どうなってんのこれ?」と驚きっぱなしだった。「こんな映画が、実現するんだなぁ」と。

「カメラの存在を気にしない」という振る舞いに驚かされた

何に驚いたのか。それは、中学生たちがカメラの存在をまったく気にしていないように見えたことだ。というわけで、それを一番強く感じた、最も印象的だった場面の話から始めよう。

本作には、「女子からバレンタインのチョコを受け取った男子が、休日に女子へのお返しを買いに行く」というシーンがあるのだが、私からすればちょっと信じられない。今の年齢ならもうそこまでの恥ずかしさはないだろうが、中学生の頃に同じ状況に置かれたら、とてもじゃないが普通には振る舞えないと思うし、というかそもそも撮影を断ってしまうだろう。

しかし本作の男子は、撮られているのに普自然な振る舞いをしているように見える。それどころか、その男子が女子にホワイトデーのお返しを渡す場面さえ収められていた。

男子が女子の家まで行ってチャイムを押す様子が遠目から撮られているし、さらになんと、チャイムを押された女子の家の中ではまた別のカメラが待機しており、ホワイトデーのお返しを受け取る女子の様子を撮影していたのだ。

凄くないだろうか? まさかこんな場面がドキュメンタリーで観られるとは思ってもいなかった

ここまで書いたことに対しては、色々と反論が出てもおかしくないとは思う。例えば、「カメラがいても素で振る舞っているように”見える”だけで、実際は普段の様子と違うんじゃないか」という反論は想定できるだろう。

確かに観客は、取り上げられている中学生の普段の姿を知らないのだから比較のしようはない。だから断言は出来ないわけだが、しかし映画を観ると、カメラの前でナチュラルに振る舞っているようにしか見えないんだよなぁ。

ふとした瞬間に、「あぁ、今この場面には、カメラを持った大人がいるってことだよな」と気付いて驚かされてしまう。そんな風には、まったく感じられないからだ。

あるいはこんな批判もあるかもしれない。「ナチュラルに振る舞えるのはクラスの中心人物だけで、バレンタインのやり取りをするような人気者だから素に見えるだけじゃないか」と。しかしこれには明確に反論できる。決してクラスの真ん中にいるわけじゃない人物の内面も、するりと引き出しているからだ。

カメラの前で「今の仲間と離れられるから」なんて答えちゃっていいのだろうか

衝撃的な場面の多い映画だが、ある少女の発言には特に驚かされた

本作『14歳の栞』では個別のインタビューも行われており、そこでは「どんな大人になりたいか?」など、「大人」を絡めた質問が多くなされる。本作は何故か馬が疾走する場面から始まるのだが、それも「生物としての、子どもから大人への成長」というテーマと絡めてのものであるようだ。

そして、「早く大人になりたい?」という問いに対して、

なりたいです。今の仲間と離れられるから。

と答えていた少女がいて、度肝を抜かれた。なにせ、2年6組の生徒は絶対に本作を観るはずだし、その場合、彼女がそういう発言をしていたことがハッキリしてしまうからだ。

彼女は、当然そのことを理解している。撮影スタッフからさらに、「◯◯ちゃんと仲良いと思うけど、今の発言を知られたら傷つかない?」と聞かれるからだ。そして彼女は、

うーん、傷つくかも。でも◯◯ちゃんはキラキラした人生を送ってるから。

みたいな返答をしていた。

彼女はクラスの中心人物ではないが、友達がいないわけでもない。本作中では、周りと仲良くやっているように見えた。

ただ、小学生の頃に仲が良かった子たちから3年間も一斉に無視られた経験があり、人間を信用していない。そんなわけで、「中学のたった3年間で他人なんか信用できるはずがない。できれば友達になりたいけど、裏がない人間なんているはずがないし」と淡々と語るのだ。

「私ならできないな」と思った。仮に同じことを感じていたとしても、カメラの前でそんな風にはっきりとは言えないな、と。だから、とにかく驚かされてしまったのだ。

「自分のことは嫌いです」「子どもからやり直したい」と口にする中学生たち

本作には他にも、「カメラの前でそんなこと言えちゃうんだ」と感じさせる中学生がたくさん出てくる

個人的に凄く好きだったのが、文芸部の少女だ。彼女は、「部活の時はオンで、教室ではオフです」と、勉強やクラスメートとの関係にやる気のなさを隠さない。さらにその上で、撮影スタッフが彼女に「今インタビュー受けているこの瞬間はどっち?」みたいに聞くと、彼女はダルそうに「オフです」って答えるのだ。その雰囲気がとても良かった。

他にも色々と挙げてみよう。

自分のことは嫌いです。何かあったら好きになれてたかもしれないですけど

みんな小学校からの仲で、僕には居場所がないから、早くクラス替えしたい

できるなら子供からやり直したい

悩みそのものは”ありふれている”と言えるかもしれないが、それをカメラの前で口に出すことに驚かされた。しかも、少なくとも私には、彼らに「躊躇」があるようには見えなかったのだ。ありきたりの雑談でもしているかのようなフラットさで、自分の内面を吐露するのである。

他に印象的だったのが、「パワコンオタク」と言われて誰もがイメージするようなタイプの少年だ。彼は作中で、川辺でパソコンを操作しながら自作した何かの機械でGPSへの接続を試みていた。

パソコン少年は、クラスメートと馴染んでいるように見えたかと思えば、男子に「キモいから近づくな」と言われていたりもする。よく言えばいじられキャラなのかもしれないが、軽くイジメにも見えるというような状況だ。そんなパソコン少年に撮影スタッフが、「運動部の子とか強いじゃん? ムカッとすることないの?」みたいな質問して、彼が次のように返す場面がある。

ムカッとしたら負けなんですよ。そこら辺のゴミには適当に遊ばせとけばいいんです。

中学生でこんな割り切り方ができるものなんだなぁ」と私は驚かされてしまった。大人になって今は同じように考えられるが、学生時代にこんな思考はできなかっただろうなと思う。

また、「研究みたいなことしてて、からかわれたりしない?」という質問には、

そういう奴らと関わりたくないんですよね。ああいうのって、反応してほしいだけなんですよ。だから反応しちゃったら負けなんです。

と返していた。とにかく、「目指したい場所が明確にあって、そのために自分の時間を目一杯使うつもりでいるから、それ以外のことなんかどうでもいい」というスタンスが明確で、とてもカッコイイなと思う。しかし、性格もあるんだろうが、「中学生でこんなにクールにいられるものなのか」とビックリさせられた。凄いものである。

撮影スタッフが凄いのか? それとも中学生が凄いのか?

私は本作を観ながら「撮影スタッフが凄いってことなのか?」みたいなことをずっと考えていた。

私には、本作をどんな風に撮ったのかが正直全然イメージできていない

いやもちろん、「一般の人がこの映画の趣旨や撮影方法に賛同している」って状況なら想像できる。でも、「クラス全員が協力し、しかもカメラの存在を気にすることなく自分をさらけ出していく」なんてことが実現できるとは思えないのだ。とはいえ実際撮れているわけで、「何らかの方法で生徒たちと信頼関係を築く」という膨大な手間を掛けて撮影したって考えるしかない気もする。

ただ一方で、こうも感じた。これが現代の中学生ってことなんだろうか、と。「カメラがあったらいつもと違う自分になってしまう」みたいな感覚が、彼らにはもはやないのかもしれない。

私はほとんど観ないので詳しくないが、YouTubeやSNSなどには「自分の日常をさらけ出すような企画」がかなりあるはずだ。また、特に若い世代に人気だろう「恋愛リアリティショー」も、それがリアルなものなのかはともかく、状況や感情を赤裸々に切り取っていくものだと思う。そして、そういうコンテンツに当たり前のように触れている世代は、「カメラで撮られること」に対する感覚が全然違うのかもしれない。

もちろん、「恋愛リアリティショー」的なものは昔から存在したが、インターネットやSNSがそこまで普及していない時代には、「一般人には関係ない世界」みたいに受け取られていた気がする。しかし今は、「望めば関われる世界」ぐらいの認識に変わっているんじゃないだろうか。さらに、「インフルエンサー」的な生き方も割と一般的になっているだろうし、だから余計に「撮られること」への抵抗が薄かったりもするのかもしれない。

もちろん、そういう時代の変化があるのだとしても、本作の撮影に際してはもの凄く苦労しただろうし、そもそもクラス全員の協力を得るのだって容易ではなかったはずだ。しかし何にせよ、この点にもしジェネレーションギャップがあるのだとすれば、それには驚かされてしまうなと思う。「生まれながらに、スマホやSNSが当たり前に存在する」という環境はやはり、人間のあり方を劇的に変えるんだろうな、と改めて実感させられた。

「車椅子の生徒」と「不登校の生徒」に対する振る舞いから感じられる「当たり前の日常」

「撮られることに臆しない中学生の振る舞い」が時代の変化によるものだとしても、本作『14歳の栞』の撮影にはなかなかに大きな困難があっただろうと想像される。というのも、2年6組には車椅子の生徒と不登校の生徒がいるのだ

で、本作ではこの2人を「特別扱い」しない。あくまでも「35人クラスの中の2人」という扱いなのだ。そしてこの扱い方が余計に、本作全体の「フラット」なスタンスを如実に伝える役割を果たしているように思う。

本作には、「不登校の生徒に対してクラスメートがどう感じているか」について撮影スタッフが質問する場面もある。しかしそれは、「特異な状況だから」ではない。「不登校の生徒がいることが、2年6組の日常だから」だ。それは車椅子の生徒にしても同じ。車椅子に乗った少年がいる状態が2年6組の日常だから、本作でも映し出されるのだ。特別な状況として扱われるわけではない。

そして「日常」だからこそ、クラスメートの返答も日常感に溢れている。「不登校の生徒に対してどう思うか」と聞かれたある少女は、

最初は気にしてましたけど、いないのが当たり前になってきちゃったんで、失礼ですけど最近はあんまり考えることないです。

みたいな返答をしていた。まったく、よくもまあそんなに素直に答えるものだなと思う。

本作はとにかく「特別」を探さない。「敢えて『特別』を避けているのではないか」と感じさせるほどだ。だから、「特別」なことは何一つ起こらない。ひたすら「日常」を追いかけるだけである。「これが2年6組の日常だ」という土台の上に様々な要素を積み上げようとしているということなのだと思う。

そのスタンスがとても好ましく感じられた。

ある中学校の2年6組35人の日常をありのまま捉えた、2年生が終わるまでの50日

冒頭でこんな字幕が表示されるのだが、この言葉に偽りはないなと思う。まさに「ありのまま」である

最後に

彼らの3倍以上の年月を生きている私には、中学時代というのは遠い遠い過去の話だ。しかも、中学に限らず学生時代は全般的に苦しかったので、蘇ってくるようなキラキラした思い出もない。しかしそんな人間でも、食い入るように観てしまう魅力に溢れた作品だった

時代の変化なのか、撮影スタッフの努力の賜物なのか、2年6組の生徒が特別なのか。いつか答えを知れたらいいなと思う。

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