【観察者】劣等感や嫉妬は簡単に振り払えない。就活に苦しむ若者の姿から学ぶ、他人と比べない覚悟:『何者』(朝井リョウ著、三浦大輔監督)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画・本

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出演:佐藤健, 出演:有村架純, 出演:二階堂ふみ, 出演:菅田将暉, 出演:岡田将生, 出演:山田孝之, 監督:三浦大輔, Writer:三浦大輔
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いか

この映画・本をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

安全圏から他人を批判する「観察者」として生きていくことの怖さを実感させられる

犀川後藤

「何事も俯瞰的に客観的に捉えられる俺」という自己評価はイタい

この記事の3つの要点

  • 固有名詞に頼らずに「今っぽさ」を感じさせる、朝井リョウの視点の凄さ
  • 「就活」と対峙する若者の言動から、広く人生との向き合い方を考えさせられる
  • 気をつけていないと誰もが「『観察者』として振る舞う拓人」のようになってしまう
犀川後藤

誰に共感してもバッサリ斬られてしまう、読者/観客をグサグサ突き刺す言葉に溢れた作品

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「就活」から逃げた私は、この物語の”傍観者”にしかなれないが、それでも凄まじく共感させられる

「就活」から逃げた私は、この物語の”傍観者”にしかなれないが、それでも凄まじく共感させられる

まずは少し私自身の話をしたいと思います。

私は現在38歳ですが、これまで、就職活動も転職活動も一度もせずにここまで生きてきました。フリーランスではなく一応常にどこかしらの会社に属しているし、正社員だったことはありませんが、ずっとアルバイトというわけでもありません。本来なら就職活動や転職活動をしなければならない場面でも、なんとか上手いことそれらを避けてきました。

いか

ホント、よくそんなんでここまで生きてこれたよね

犀川後藤

まじで運が良かったって思ってる

自分には就職活動なんて乗り切れるはずがない、と思い悩んで大学を中退し、その後15年近くフリーターを続け、それからは一応契約社員みたいな感じで色々転々としているという感じです。「職選び・職探し」という点で真剣さを一度も発揮しなかった割には、それなりに上手いところに落ち着いているなぁ、とは思っています。

つまり、「就活」がどれほど苦しく、どんな風に人間を変質させるのかを経験していません

だから私は、この小説も映画も、「メッチャわかる」「自分もそうだった」みたいに自身の体験と照らし合わせて共感するような受け取り方はできないと感じました。しかしそれでも、「就活」というメガネを通じて、今の時代や人間関係のリアルみたいなものを炙り出してくれる作品で、そういう部分に関してはもの凄く共感できる作品です。

とりあえず、「この記事を書いているのは、『就活』から遠い人間なのだ」ということは頭に入れて読んでいただけるといいと思います。

本・映画の内容紹介

拓人は、就職活動をスタートさせる。同居人である光太郎は、ボーカルを務めるバンドの卒業ライブを先日終え、そのまま髪を黒く染めた。2人の共通の友人で、ちょっと前に留学から戻ってきた瑞月と話している中で、瑞月の友人・理香がたまたま2人の1つ上の部屋に住んでいることが判明し、だったら4人で就活対策をしよう、と意気投合する。理香は、付き合い始めたばかりの隆良と同居しており、理香の部屋を対策本部として、5人で就活の準備に立ち向かうことになった。

就活開始前から練習用のESを作成したり、面接対策を行ったりする者もいれば、何かやらなきゃと思いながら手をつけられない者もいる。企業に就職しようとする者もいれば、就活はせずに自由な生き方を模索する者もいる。

ESや面接で落とされ続けて努力の仕方が分からないと迷ったり、内定が出た友人を祝福できなかったり、就活と並行して家庭の事情にも対応しなければならなかったりと、同じように「未来をどう生きていくか」を考えている者同士でも、歪み、ねじれ、すれ違うような日々が続くことになってしまう。

「みんなに見せる顔」と「SNSで見せる顔」を使い分け、「内定」という聖杯を奪い合う者たちの協働と競争は複雑に交錯していく。

「就活」という門をくぐる者たちに強制的に降りかかる変化と、そんな変化の只中で踏ん張る若者たちを、煌めくような繊細さで切り取る物語

朝井リョウという作家の「『今』の切り取り方」の凄さ

私は、朝井リョウの小説をいくつか読んでいるのですが、そのどれにも共通すると感じるのが「『今』の切り取り方」の上手さです。

小説でも映画でも同じだと思いますが、分かりやすく「今っぽさ」を打ち出すのに、「固有名詞」を多用するという手法はあるでしょう。ある種の固有名詞は時代と結びついており、そういう固有名詞を使うことで、それに付随する時代の光景をパッと思い浮かばせるというやり方は、「今」を切り取るという意味で分かりやすいと言えます。

でも、朝井リョウは、そういうやり方をしません。正確な記憶ではありませんが、朝井リョウの作品には、「時代を象徴するような固有名詞」はほとんど出てこないと思います。

それなのに、凄く「今っぽい」。これが朝井リョウの作品の凄さだなぁ、といつも感じます。

いか

「固有名詞」に頼ると、すぐに作品が古びた印象になっちゃうから諸刃の剣だよね

犀川後藤

そういう意味でも朝井リョウの作品って、いつ読んでも「今っぽい」って感じる気がする

私が思う、朝井リョウの「『今』の切り取り方」のポイントは、「どこから時代を見るか」という「視点」にあると感じます。写真や映像で言うなら「アングル」でしょうか。

まったく同じ光景を前にしても、どの方向から、どの角度から見るかによってまったく違う印象になるでしょう。朝井リョウは、「今の時代を切り取るならこの角度がベスト」というアングルを的確に見定めて、それをシンプルで本質を衝く言葉で表現する能力にもの凄く長けていると感じます。そしてそれが、作品の「今っぽさ」に繋がっている、というのが私の分析です。

この作品でも、「SNS」や「就活」など、選んでいるテーマそのものがある種の現代性を帯びるという要素は確かにありますが、それ以上に、どこに「視点」を置くのかという朝井リョウの選択にこそ「今」が現れていると感じます。特に、後で詳しく触れますが、この作品においてその「今っぽさ」を体現する人物が拓人であり、拓人の視点から物語が俯瞰されることによって非常に奥行きのある作品に仕上がっていると感じました。

拓人は、常に誰かの言動を客観的に分析してしまう「観察者」です。この拓人の立ち位置は、SNS上で誰もがコメンテーターのようになれてしまう現代性や、自分ごととして真剣にならなければならない「就活」に対してどことなく距離を感じてしまう精神性など、この作品を「今っぽく」仕上げるための非常に重要なファクターとなっています。

犀川後藤

私は拓人にある意味でもの凄く共感できてしまうから、そういう意味でもこの作品は興味深かった

いか

意識して自制しないと、誰もが「拓人風」に陥ってしまう時代だからね

また本書は、「就活」という特定のテーマを持つ作品でありながら、そのテーマを掘り下げることで、「人格の分離」という恐らく誰にでも関係のある普遍的な事柄も抉り出していきます。

SNSの登場によって、私たちはそれまで以上に「様々な顔」を持つことができるようになり、それ故に自分の人格は分離していると言ってもいいでしょう。しかし、日常生活を送る上でその不都合さはあまり表に出てこないし、当たり前の毎日を送れてしまいます。

ただ「就活」のような、「人格の分離」を嫌でも意識させ強調させられもするイベントによって、日常は大きく変わってしまいます。この物語では「就活」がそのキーとなるイベントとして描かれるわけですが、同じ機能を持つイベントは決して「就活」だけではありません。誰もが何らかのきっかけによってこの物語のような「人格の分離」を否応無しに意識させられるでしょうし、その時に自分がどう振る舞うのかを考えさせるだろうと思います。

そういう意味でこの作品は、決して「就活」だけの物語ではない、と言えます。

「就活」に対峙する若者たちのリアル

作品のメインとなる「就活」は、登場人物たちを様々な形で揺さぶることになります。「正解」が何なのかまったく分からない中でもがくしかない、という悲哀や諦念や奮起などが繊細に描かれるわけです。

就職活動において怖いのは、そこだと思う。確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

やったことがないので想像ですが、就活では「ルールも基準も分からないまま評価され、合否が判定される」のでしょう。もちろん、正解らしきもの、対策らしきもの、アドバイスらしきものは多々存在するのでしょうが、それらが正しいのかどうかはほとんど誰にも分からないのだと思います。

そしてだからこそ、「内定をもらった人間が正解」という受け取りをするしかなくなってしまうのでしょう。

なのに、就活がうまくいくと、まるでその人間まるごと超すげぇみたいに言われる。就活以外のことだって何でもこなせる、みたいにさ。

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

確かにこれは辛いでしょう。ちゃんと「内定」をもらっている奴はいて、でも何だかよく分からないけれど自分は面接で落とされ続けて、何をしたらいいんだか全然分からない、という状態に陥ってしまうのも仕方ないだろうと思います。

犀川後藤

就活してたら、私も絶対に内定もらえない側だっただろうから、想像だけでもこの辛さが分かるわ

いか

50回ぐらい人生やり直さないと、「内定を複数もらえる人」にはなれないだろうね

就活をしている人は、地図を失っているように見える

『何者』(監督:三浦大輔 主演:佐藤健)

自分が向いている方向が正しく「前」なのかどうかさえも疑ってしまうでしょうし、大海原で遭難しているような感覚にだってなってしまうでしょう。まさにタイトルの通り、自分は「何者」なんだろうと自問する日々だろうと思います。

小説でも映画でも、登場人物の誰かに共感してしまうことでしょう。誰に共感するかは人それぞれだと思いますが、この作品の凄まじい点は、誰に共感してもどこかで斬られてしまうという展開です。

「就活」によって、普段の仮面を被った虚飾が剥がれ、否応なしに本来の自分がむき出しにされてしまいます。そしてそうなればなるほど、皆が口にする「言葉」は厳しくなっていくわけです。それぞれ「言葉」が別の登場人物に刺さり、それによって、その人に共感していた「読者/観客」もまた斬られることになってしまいます。

全然油断できません。

それ以外に、私に残された道なんてないからだよ

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

個人的には、大学時代のほんの僅かな時期に、その後の人生の大部分が決まってしまう(ように感じられる)状況というのは、望ましいとは思えません。「人生に残された道」はもっとたくさんある、と感じさせてほしいものです。ただ、そんな風に嘆いていても何も変わらないでしょうから頑張るしかないのですけど。

ただ、「就活」には、人生と真面目に向き合い、「覚悟」を決める環境に身を置くという側面もあるでしょうから、強制的にそうせざるを得ない状況は悪くないのかもしれません。

犀川後藤

「就活」を経なかったからなのか、未だに「人生に対する覚悟」みたいなもの持てないんだなぁ

いか

あなたはきっとこれからもフラフラ適当に生きていくだろうね

生きていく上で刺さる言葉

この作品では、「就活」に対峙する若者を描く過程で、生きていく上で重要と感じられる価値観も様々に登場します。

その中でも特にグサッと来たのはこの言葉です。

十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

これは本当にその通りだよなぁ、と感じます。

今は、「ポジショントーク」と呼んでいいのか、「『自分は批判されない立ち位置にいる』と思い込んでいる人物が、他人を批判することで自分の存在価値を誇示するような言説」が多くまかり通ってしまう時代です。例えば、誰も反論できない「正論」を主張して他人を攻撃することで、自分を安全圏に置きながら優越感も得る、というようなやり方です。私はこういうスタンスがとても嫌いですが、気をつけていないとそういう言動を自分がしていることに成りかねないとも注意しています。

安全圏から他人を批判するだけの人物は、自分の中から何も出していません。というか、自分の中から何も出さないことで「批判され得る要素」を排除している、と言っていいでしょう。「点数がつかないこと」を「批判される要素をゼロにすること」とポジティブに捉えているとも言えます。

本当に、そんな言説が多くてうんざりします

具体的には、「好き/嫌い」ではなく「良い/悪い」で話す人が多い印象です。もちろん、専門知識や技術を持つ人が、他人の成果に対して「良い/悪い」で判断するのは真っ当だと思うのですが、専門家・技術者ではない人まで「良い/悪い」で物事を判断しすぎだ、と感じています。

いか

ビジネスの現場では、仮に素人でも「良い/悪い」で判断しなければならない状況もあるとは思うけどね

犀川後藤

むしろビジネスだと「好き/嫌い」で話してたらダメなんだろうなぁ

私は、個人的な感想である「好き/嫌い」については、別に制約なく自由に発信すればいいと思っていますが、「良い/悪い」については、それを発する資格が自分にはちゃんとあるだろうかという自問は必要だと考えています。

そしてその1つの指標が、「自分の中から何かを出しているかどうか」だと思うのです。自分も点数がつく土俵に立って初めて、別の誰かの何かを「良い/悪い」で判断する資格を得られる、と考えるようにしています。

「十点でも~」という言葉は、今を生きる我々が陥りがちな振る舞いを正してくれるような、グサッと来る言葉でした

また、

自分の努力を実況中継しないと、もう立ってられないから

『何者』(監督:三浦大輔 主演:佐藤健)

という言葉もまた、「就活」以外の場面でも多くの人に響くものではないかと思います。

私はほぼSNSをやっていないので、この「実況中継」についてはそこまで共感できるわけではありません。しかし世の中全体の雰囲気としてはこういう流れを感じます

いつの時代であっても、努力がそのまま結果に直結するわけではありません。しかしSNS時代では、「私は努力しているんです」というアピールが容易に行えるようにもなりました。この行動は、「仮に結果に結びつかなかったとしても『自分は頑張ったんだ』と思えるし、他者にもそれを認めてもらえる」というようなモチベーションの基盤として機能しているのだろうと思います。

しかし一方でこの状況は、「努力をアピールすることもまた努力の内である」という暗黙の了解をも生み出していると感じています。人前に出る仕事や、何かを売る立場の人は、「努力をどうアピールするか」によって結果が変わることを実感していることでしょう。

そうなってくると、「努力をアピールしないこと」が「努力不足」のように映ってしまうことにもなります。

犀川後藤

まあそんな時代だからこそ、私は、SNSを使わずに上手くいっている事例に惹かれるけどね

いか

そうだけど、ホントにそういうスタンスが厳しい時代にもなってるよね

元々は「モチベーションの基盤」でしかなかったものが、いつの間にか「努力そのもの」へと変質してしまい、結局、努力をアピールする人もしない人も全員苦しくなる、という悪循環を生んだにすぎない、というのが私の感覚です。

こんな風にこの作品では、「就活」を通じて発せられる言葉が私たちの日常にも突き刺さってくることになります。受け取る側の読み解き方で、様々に見え方が変わる作品だと言えるでしょう。

SNSそのものへの言及

この作品では、登場人物たちによる「SNSの捉え方」も描かれていきます。「SNSの存在」が大前提となる日常の中で、SNSを使うにしても使わないにしてもそこに意味が発生してしまう現実を切り取っていくのです。

なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

ツイッターもフェイスブックもメールも何も無ければ、隠されていたような気持ちはしなかったかもしれない。ただ話すタイミングが無かったんだ、と、思えたかもしれない。

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

誰かの「本心」について思い巡らせる時、SNSがない時代には「相手の言動」だけが頼りだったはずで、だから状況の捉え方はシンプルだったでしょう。

しかし今の時代ではそこに、「SNSにあげているかどうか」という要素が加わるので、状況は非常に複雑になるでしょう。「SNSには書いているけれど私は聞いてない」「私が聞いた話とSNSに書いていることが違う」「私は聞いたけれどSNSではアピールしていない」などなど、「本心」を捉える際に考えなければならない選択肢が増えることになります。

だからこそ、

だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う

『何者』(朝井リョウ/新潮社)

という感覚を抱いてしまうのも理解できるでしょう。「SNSに書いているのに私が知らないってことは、自分は友達だと思われていないかもしれない」「SNSでアピールしてないってことは、この前聞いたあの話は嘘ってことかも」「SNSにも上げてるってことは、この前の相談は大したことじゃなかったんだ」などなど、SNSが存在することで、「何らかの形で表に出てきた『言葉』への信頼感が揺らぐ」ことになってしまいます

だからこそ、「選ばれなかった言葉」、つまり、「SNSにも会話にも出てこない言葉」にこそ一番の「本心」が隠れている、と感じてしまうのも当然の流れと言えるでしょう。

いか

ただ、「SNSにも会話にも出てこない言葉」を知る方法がないよね

犀川後藤

結局のところ、「本心」なんて分かんないって結論になっちゃうよね

この作品では、「ツイッター」を舞台装置として組み込むことで、登場人物の言動や本心を揺さぶります

小説や映画などでSNSが登場する場合、単なる「小道具」程度の存在にしか見えないことの方が多いでしょう。しかしこの作品におけるSNSは「舞台装置」としてその存在感を大いに主張しています。「SNSというフィルターを透過させることで、人間の価値観や本音はどう変質していくのか」を非常にリアルに描き出していて、この点もまた本書の「リアルさ」「今っぽさ」に繋がっていると感じさせられるポイントです。

SNSによって「見せたい自分」を作り出すのが容易になった一方、「他人から求められる自分」に沿った振る舞いも簡単にできるようになりました。そしてこの作品ではそういう「他者の視線による人格分裂」みたいなものも見事に描いていると感じます。生きている中で感じる「息苦しさ」の要因は様々にあるでしょうが、その要因の一端としてのSNSの性質を、この作品で実感できることでしょう。

SNSは生活の一部と言えるので、小説でも映画でも当たり前に出てきますが、この作品は、「SNSは本質的にどんな風に私たちの日常に影響を与えているのか」という点にも自覚的なので、そういう意味でも非常に示唆に富むと感じました。

拓人という「観察者」

作品の中でメインの人物として描かれるのが拓人です。そして、彼の立ち位置をシンプルに表現すると、冒頭でも触れた通り「観察者」となります。

彼は、自分を含めた物事を客観的に捉え、それを冷静に言語化することに長けた人物です。自分が今何を感じているのか、友人たちの言動にどんな意味があるのか、社会の動きは今どうなっているのか。拓人はそういう事柄について分析してしまうし、それを「分かった風」にツイートしてしまいます。

この「分かった風」というのが、この作品における拓人のスタンスの肝であり、「読者/観客」に突き刺さる要素でもあると私は感じるのです。

拓人は、「観察者」として振る舞うことで、「私は広い視野を持って外側から全体を見ていますよ」というポジションを得ることができます。そして、その立ち位置をきちんと保持し続けるために、自分の感覚を言語化して「分かった風」に表に出すわけです。

その姿は、「『観察者』=『外側にいる立場』を自ら選び取った」という風にも見えるでしょう

いか

こういう人、結構多いよね

犀川後藤

これから「私は拓人に共感してしまう」って展開になるから、私はそう言いづらいな……

私も昔から、割と拓人寄りの振る舞いをしてきたと思っています。物事を俯瞰で捉えて言語化するみたいなことは好きだし得意です。こういうポジションは状況によっては必要とされるし、だから「自らそういう立ち位置を選んだんだ」というスタンスを示せるとも感じています。

ただ、それは幻想でしかない、ということも一方では理解しているつもりです。「外側にいることを自ら選び取った」のではなく、単に「内側に入れないだけ」に過ぎません

単純に、自分から積極的に他者の輪の中に入っていくのが得意ではないというだけです。声を掛けてもらえればどんな場にも溶け込める自信はあるのですが、自分から扉を開ける勇気はなかなかありません。でも、特に若い頃はそういう自分がダサい気がして、「内側に入れない」のではなく「外側が好きなんだ」という風に見せていました。

また、先ほどの「自分の中から何かを出す」と同じ話ですが、「内側に入っていく」というのは同時に、「誰かから評価される」ことでもあり、それを過剰に恐れていた、という側面もあります。

「観察者」としての立ち位置を保持できていれば、「自分が評価される側に回ることはないだろう」という安心感を抱くことができるでしょう。しかし内側に入れば、その外側にいる誰かに「観察」されてしまいます。さらに、自分が「観察者」としての視点を持っているからこそ、余計にその視線を怖く感じてしまうことにもなるわけです。

私はどこかのタイミングでそういう「欺瞞」に気づきつつ、それをごまかすようにしてずっと、「外側にいることが好きなんだ」というスタンスを崩さないように頑張ってきたように思います。

この作品で描かれる拓人も、まさにそういう人物でしょう。「就活」という状況に対して全力を出したり真剣になることができません。何故なら、100%の全力でやったのに上手くいかなかったら自分のすべてが否定されたような気になってしまうからです。それは怖い。

でも、そんな弱い自分を直視するのも怖くて、だから「観察者」として拓人は、「就活」をマジでやっていたり振り回されていたりする人間を「サムい」「イタい」と見下すことにするのです。

犀川後藤

凄く嫌だけど、拓人のその感覚は理解できてしまうんだなぁ

いか

この作品に触れて、自分もそうだって気づく人も多いかもね

映画の方では後半、視覚的に非常に分かりやすく、ある「反転」が表現されます。具体的には書きませんが、これは、「『観察者』だと思っていた自分が、実は観察される側だった」ということを鮮やかに示してみせる演出です。ある意味では、拓人が守り続けていた世界の崩壊を描いている場面であり、非常にインパクトがあります。

拓人は「観察者」としての居場所を確保できているつもりだったし、「内側に入らない」ことで自分を守っているつもりでした。しかし「就活」という、つけていた仮面を剥がさなければ太刀打ちできない状況下で、拓人は、自分が堅牢に築いていたつもりの壁があっさり壊れてしまうという現実を経験することになるわけです。

小説でもこの崩壊が描かれるのですが、この点に関して言えば映像による表現の方が圧倒的に印象深かったと言えます。

SNS上では誰でもコメンテーターになれてしまうし、自分が見ている狭い世界が「全世界」であるという錯覚に陥りがちので、誰もが拓人のようになってしまう可能性があると言えるでしょう。私自身も、気をつけていなければ危ないと、常に自戒しているつもりです。

小説と映画の違い

私は、小説・映画のどちらにも触れているわけですが、全体的な評価で言えばやはり、小説の方が勝るでしょう。何故なら、この作品に限らず朝井リョウの小説全般に言えることですが、やはり「言葉」によって何かを抉る力が強いからです。

朝井リョウは、会話ももちろん面白いし鋭いのですが、やはり、観察や内面描写などが非常に優れていると感じます。会話の妙であれば、映像でも再現できるでしょうし、場合によっては映像の方がより良い表現になる可能性もありますが、観察や内面描写はどうしても、映像表現では難しくなります。特に、キレッキレの言葉でそれが行われている小説を映像の世界で上手く表現していくのは、かなり困難を伴うでしょう。

そういう意味で、全体的には小説の方が作品としてのレベルは高いと感じます

ただ、先ほど触れたように、ある「反転」の描写は見事だったし、他にも、ツイートをどう物語に落とし込んでいくのかという点についてもやはり映画の方が秀逸です。映画には映画の良さがあると思うので、どちらも触れてもらうのがいいでしょう。また、原作との比較ではなく、映画単体で捉えた評価で言うなら、非常に好きな映画です。

著:朝井 リョウ
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最後に

様々なややこしさの中でSNSと共に生きざるを得ない現代性みたいなものを、「就活」という、期間的には一瞬ながら人生全体を大きく決する重大な局面を通して切り取ることで、普遍性を生み出す作品だと感じました。色んな言葉にグサグサ突き刺されるかもしれませんが、生きていく上での新たな考え方みたいなものを感じ取れる作品だとも思います。

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