【肯定】社会不適合者こそ非凡。学校・世の中に馴染めなかった異才たちの過去から”才能”の本質を知る:『非属の才能』(山田玲司)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

才能は、“どこにも属せないという感覚”のなかにこそある

犀川後藤

子どもの頃、こんな風に言ってくれる大人に出会いたかったと思います

この記事の3つの要点

  • 数百人のトップランナーにインタビューを行った経験からの主張
  • 「みんなと同じ」に従わなかった異才たちのエピソード
  • 「わかりやすくない才能の芽」を見つけてあげる子どもの育て方
犀川後藤

「みんなと同じじゃなくていい!」って力強く肯定してくれますよ

この記事で取り上げる本

著:山田 玲司
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

才能は、“どこにも属せないという感覚”のなかにこそある

「非属」というキーワード

この作品の核となる考え方は、

才能というのは、“どこにも属せないという感覚”のなかにこそある

です。本書はまさにこの点について、徹底的に主張していきます。

そして、「どこにも属せない感覚」を、本書では「非属」と呼んでいるのです。学校や会社、家族など、様々な場に「馴染めない」と感じる方も多いでしょうが、そのような方に向けた本です。

今自分が囚われてしまっている思考から「なかなか抜け出せない」と感じている人に、別の角度から考え方を提示してくれる作品なので、是非手にとって読んでほしいと思っています。

「本を買う/読む」という部分に抵抗がある方もいるでしょう。そういう人のために、以下のサイトで全文無料で公開されているので、こちらで読んでいただくのもいいと思います。

「どこにも属せない感覚」を、私は昔から強く感じてきました。家でも学校でも職場でも、「この場/人たちとは上手くやれないなぁ」という感覚を抱いてしまうことが多いです。ごく稀に、自分の感覚と非常に合う人と出会えることもあるので、結局のところ、自分の価値観や考え方がもの凄く少数派ということなんだろう、と今では理解しています。

いか

友達になるのも大体、周りと感覚が合わないってタイプの人だもんね

犀川後藤

ホントそう

周囲と馴染めない時、自分が悪いんだと感じてしまうことの方が多いと思います。それで、コミュニケーションが上手く取れなかったり、引きこもったり、消えてしまいたくなったりするのです。その気持ちは、私もとても良く理解できるので、そう感じてしまう人には是非、本書を読んでほしいと思います。

何故なら、「どこにも属せない感覚」こそが、他人と一線を画す”才能”の源泉だと、著者は主張するからです。自分が悩んでいるまさにその点が、実はプラスなのだという発想の転換を意識させてくれます。

なぜそんなことが言えるのか。それは、著者がこれまでに数百人以上の著名人にインタビューをした経験があるからです。オノ・ヨーコ富野由悠季忌野清志郎など、様々なジャンルのトップランナーを始めとする様々な人々から話を聞いています。

著名人の「非属」エピソード

著者はこれまでに、様々なトップランナーにインタビューをし、それを『絶望に効くクスリ』という漫画にして発表してきました。その中で、大成功を収めている者たちの過去の「非属」エピソードを知り、自身の経験も踏まえた上で、「どこにも属せない感覚こそが才能の源泉だ」という考えに行き着くことになります。

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例えば、爆笑問題の太田光や大槻ケンヂは、学校に1人も友人がいなかったそうです。お笑い芸人のほっしゃんは、高校の3年間で5分間しか喋りませんでした。研究者であり小説家の荒俣宏は、15歳にして女性と付き合う可能性を100%諦めて研究に没頭、漫画家の井上雄彦は、小学校のクリスマス会を「自主参加でいいですよね」と言ってサボったなど、様々なエピソードが出てきます。

これだけではなく本書には、他にも随所に著名人のエピソードが散りばめられています。そのどれもが、「当たり前」とか「常識」に違和感を抱き、自分の感覚を信じて貫き通した話ばかりです。いかに同調圧力に屈しないかという点で、彼らは共通していると言えます。そんな彼らの人生には勇気づけられるだろうと思います。

いか

ホント、シンプルに言って「社会不適合者」だろう、ってエピソードの人もいるしね

犀川後藤

社会に認められるかどうかって、結構紙一重って感じ

もちろん本書を読んだ人からは、「都合のいいエピソードを集めただけだろう?」という批判が出るだろうとも思います。確かにそうかもしれません。ただ、別にそうだとしてもいいじゃないか、と私は感じてもいます。

「非属」であれば誰でも成功できる、なんてことはもちろんないでしょう。しかし、「非属」だからダメなんだと、スタートラインにも立たずに諦めてしまうのはあまりにもったいないと感じさせてくれる作品だと思います。どんな偉業も、まずスタートラインに立たなければ始まりません。そしてスタートラインに立つ勇気を得るためには、「ダメなことは良いことだ」と力説してくれる存在は重要だと言えるでしょう。

「どこにも属せない感覚」を持っていると、自分が悪いという感情を抱きがちです。しかしそういう時に、「非属」こそが才能の源泉なんだ、と言ってくれる人がいたら、違った未来の可能性を見ることができるかもしれません。本書や本書の主張は、そういうものとして受け取られるといいなと私は思っています。

著者のメッセージ

この記事では、様々に著者の主張を紹介していきますが、まずは著者の主張が凝縮されていると感じる文章を引用しておこうと思います。

みんなと同じじゃない子はダメな子だ。
こんな大嘘がいまでも信じられている。
そしてこの国では、今夜も孤独なエジソンが眠れぬ夜を過ごしている。団地のジョン・レノンは学校を追い出され、平成のトットちゃんは病気扱いされている

僕がこの本を書いた最大の理由は、この国にあふれる援軍なきエジソンやトットちゃんたちに援護射撃をしたかったからだ

非常に明確なメッセージだと思います。

今の社会は以前より、様々な考え方・価値観・生き方が認められるようになっているでしょう。しかし一方で、インターネットやSNSなどで「多種多様な”常識”」が可視化されることによって”常識”が細分化し、そのせいでさらに溝が深まっている、ということもあるのではないかと感じます。

私が子どもの頃には、SNSどころかインターネットもまだそこまで当たり前のものとしては広まっていなかったので、「他人の価値観や生き方」を知る方法はあまりありませんでした。テレビや伝記などで紹介されるのは、あまりにも自分とかけ離れていると感じられる人生ですし、後は家族や友人などの身近な人について知るぐらいしかなかったと思います。

ただ今は、SNSが広まる前には恐らく一生知ることはなかっただろう、遠い外国に住むまったく関わりのない人の価値観や人生まで、割と簡単に触れることができます。それは、若いうちから様々な可能性に触れられるという意味でとても素晴らしいことだと思います。しかし一方では、「大量に存在しすぎるが故に、全体のごく僅かしか触れられず、結果的に情報が偏る」ということも起こるでしょう。

確かに、「選択肢が多い」という意味では多様性は確保されていると言えるかもしれません。しかし、選択肢があまりにも多すぎ、しかもそれらがフラットに並列に存在するため、「膨大な情報から、何らかの理由付けをして自分で選ばなければならない」という状況にあります。そういう世の中では、みんなが全然違う情報に接しているでしょうし、そうなればなるほど「自分はみんなと違う」という感覚を、誰もがより強く抱きやすいと言えるでしょう。

だとすれば余計に、今の子どもたちの置かれている状況は辛いだろうと感じます。

犀川後藤

私も、特に子どもの頃は狭い考えに囚われてたし、自力で抜け出すのかかなり大変だったなぁ

いか

子ども時代って、どんな大人と関われるかで、大分変わってきちゃうからね

もし、あなたが「自分にはみんなと違うところがある」と感じているなら、そのみんなと違う部分をもっともっと誇っていい。
もし、あなたのなかに奇人変人の気質があるなら、どうかその気質を恥じるのではなく、思いっきり自信を持ってほしい。
もし、あなたがまわりからハミ出し、孤立して、絶望しているなら、いずれその経験があなたの人生を素晴らしいものにしてくれることを知ってほしい

自分が子どもの頃に、こんなことを言ってくれる人が周りにいてくれたら良かったなと今でも思います。そうだとしても劇的に人生が変わったとは思えませんが、それでも、もう少し違う道もあったのかもしれないと、時々想像してしまいます。

結局のところ「多様性」というのは「選択肢の数」ではなく、「どんな選択をしても許容される」という受け取る側の理解の問題のはずです。しかしどうしても、「選択肢が多いから素晴らしいじゃないか」という大人の感覚が、特に子どもたちを辛い立場に追いやっているのではないかと感じます。

私はなるべく、そんな「ダサい」大人にはならないように意識しているつもりです。

同調圧力という巨大な敵

著者は、「非属」こそが才能だと主張する中で、日本社会における「同調圧力」の強さにも警鐘を鳴らしていきます。

ところで、僕たち日本人がどんな教育を受けているかといえば、どんな場面でも空気を読み、協調性を持つことがいちばん優先されるような教育だろう。
しかも、その多くは「協調」などではなく「同調」の圧力だ。
「みんながそう言っている」という顔のないモンスターに逆らうと、とたんに仲間外れにされ、生きる場所を奪われる。

本書の出版は2007年なので、この本の記述の中には、今では変わっている部分もあるかもしれません。また、教育の現状に関しても、著者自身が受けた教育の経験が色濃く反映されているでしょうから、それも今とは異なっている部分もあるでしょう。ただ、個々の事例そのものはともかく、「同調圧力が強い」という現実は今も昔も変わらない、という点は共感してもらえるのではないかと思います。

犀川後藤

子どもの頃は本当に、この「同調圧力」から逃れるのが大変だったなー

いか

「同調圧力」って言葉さえ知らないから余計に、何と闘ってるのか分からない辛さもあるしね

「同調圧力」の話と少しずれるかもしれませんが、女性の「化粧」に関するこんな話を聞いて、確かにこれは大変だ、と感じたことがあります。

女性は、高校生ぐらいまでは、「化粧なんかするな」と禁じられます。しかし就職活動中や社会人として働きはじめたら、「化粧は最低限のマナーだ」と言われるようになるのです。私は男ですが、もし自分が女性でこんな風に言われたら、「何それ、おかしくない?」と感じるだろうなと思いました。

こういうことは、世の中のあちこちにあります。そしてそれらは、社会の前提として当たり前に組み込まれてしまっているので、違和感に気づけないまま「そういうもんなんだよな」と思っている人もたくさんいることでしょう。また、社会に生きる誰もが、自分が意識しない内に、誰かに対して「同調圧力」を与える存在になってしまってもいるはずです。

その状況に違和感を抱いたり、辛さを感じたりしないのであれば、それはもちろん何の問題もありません。しかし、「これが当たり前だよね」「こうするのが正解でしょ」というような決めつけに「それってホント?」と立ち止まってしまう人ももちろんいます。

そういう人の存在を受け入れ、「あなたの価値観は理解できないけれど、否定はしないよ」と考えるのが多様性ある社会だと私は感じますが、現実の世の中はまだまだそこにたどり着いているとは言えないでしょう。「それってホント?」と立ち止まる人間を、「無能」「邪魔」「使えない」と無意識の内に排除してしまうことの方がどうしても多いと感じます。

いか

そういう人を排除しちゃうと、凸凹のない均質な世の中になっちゃうよね

犀川後藤

私はそれを怖いと感じるけど、多くの人は、均質な方が安心なんだろうなぁ

立ち止まってしまう人の方が、より本質的な何かに気づいていたり、危険の兆候を察知していたり、誰も気づいていなかった新たな価値を掘り出そうとしていたりすると私は感じます。しかし、そういう部分が的確に評価されず、「みんなに合わせられない=無能」という烙印がただ押されてしまうのが、辛いところです。

「みんなと同じにしなさい」という同調圧力は恐ろしい。逆らえば、自分以外はみんな敵になってしまうかもしれない。しかも、本気で本人のためだと思い込み、「指導してあげている」つもりのバカもいる。
そんななかで、寂しくて怖くて我慢してしまう人がたくさんいる。
僕は、そんな人たちの魂を解放したい。僕だけでも「心配しなくていいよ」と言ってあげたいのだ。

私も、そういう苦しさを抱える人と個人的に知り合う機会があれば、「心配しなくていいよ」と感じてもらえるような言葉をかけようと努力しています。私自身が「みんなと同じ」に馴染めませんでしたし、「正解がある」という環境が得意ではなかったので、せめて私と関わっている間だけでも「同調圧力」から解放されてほしいな、と考えているのです。

犀川後藤

余談だけど、「正解」が存在するのは「数学」だけだと思ってる

いか

学問の中で唯一、「証明されれば100%覆らない」のが「数学」だからね

親や教師に伝えたいこと

この作品は基本的に、「みんなと同じ」にできなくて苦しんでいる人向けに書かれています。しかし本書は、子どもに教育を与える側である親や教師にとっても非常にためになることが書かれていると言えるでしょう。

この点に関しては、本書では特に著者自身の両親の方針について触れられています。

僕はダメ人間なりに自分で考えて生きてきたので、なんだかんだ逃げたり、ごまかしたり、騙されたふりをしたり、本当に騙されたあとであわてて引き返したりしながら、なんとかこれまでやってこれた。
とはいえ、これも「自分で考えて自分で責任をとれ」という父の理解や祖母らの圧倒的信頼があってのことだ。僕の努力ではなく、運が良かったのだ。
でも、もし誰も味方がいなかったら?

父は、僕のことを世間一般の価値観で計るようなことはしなかった。
父がよく言っていたのは、「自分の価値観は自分の世代で終わり。自分の人生は支えてくれたかもしれないが、子供の人生は子供が考えるものだから邪魔はしない」という種類のことだった

著者は、家族の方針に助けられたと語ります。もちろん、子育てというのはそれぞれの家庭ごとに問題があり、それに見合った解決法があるはずです。1つの事例が、他のすべての事例の解決になるとは考えていません

ただ、本書で語られているのは、個別の具体策というよりは「非属」を否定しないための大きな枠組み・大前提についてであって、それに関しては、自分の家庭用にアレンジしながら、多くの場面で活用できるのではないかと思っています。

犀川後藤

子育てに限らず、世の中の「こうした方がいい」ってアドバイスは、大体、何も考えずにそのまま取り入れたら失敗すると思ってる

いか

「何をするか」より「なぜそれをするか」を考える方が大事だったりするしね

著者は様々なアドバイスをしますが、その中でも繰り返し語られるのが「失敗」の重要さです。

だから、親が本当にすべきことは、子供に失敗させることだ。
それなのに、失敗というすばらしい体験を子供から奪ってしまってはなんにもならない

子供の未来は、「親が子供の失敗をどれだけ許せるかで決まる」と考えていいと思う。

私も、この点はとても大きいと感じます。

私は子どもの頃、親から「◯◯をしなさい」「◯◯をしてはいけません」と言われたことがほとんどありません。勉強は自発的にやっていましたし、優等生風に生きていたので、悪いこともほとんどしませんでした。だから、「親から直接的に何か強制があった」ということはありません。

しかし一方で、思い返してみると、自分で「これをしなきゃいけない」「これをしてはいけない」とブレーキを掛けていたとも感じます。長男だったことも関係しているとは思いますが、「勉強はしなければならない」「悪いことはしてはいけない」という風に考えていたはずです。

犀川後藤

とはいえ子どもの頃から、「これがやりたい!」って感じるようなことも特になかったわけなんだけど

いか

もうちょっとそう感じる何かがあれば、人生違ったかもねぇ

もしも子どもの頃に、「こんなことまでやってもいいんだ」「これをしても怒られないんだ」と感じるような機会がたくさんあれば、もしかしたらもっと様々なことにチャレンジしていたかもしれません

幼稚園なんかで友達と遊ばず、ひたすらアリの行列を眺めていたり、粘土でしか遊ばないような子供を見ると、大騒ぎして無理やり友達の輪に混ぜようとする親や先生がいるが、そういう余計なことはぜひやめていただきたい

親や教師の価値観で子どもの行動を判断してしまえば、それは「才能の芽」を摘んでしまう行為でしかないかもしれません。著者は、

1%の「わかりやすくない才能の芽」を見つけてあげるのが本来の親の役目のはず

とも書いています。

その芽がどんな風に育つか分かりませんし、残念ながら実や花を咲かせることなく終わってしまうかもしれません。実や花を咲かせない可能性があるなら、最初から「普通」の道を進ませた方がいい、と感じる方もいるかもしれません。

しかし私はそうではないと考えています。私自身の経験ですが、「どこにも属せない感覚」は、子どもの頃から今に至るまで結局消えませんでした。薄まってはいるかもしれませんが、自分の中にきっちりと根を下ろし、これからもそれは変わることはないでしょう。その状態で「普通」の道を進めば、常にしんどさを感じる人生になってしまうだけです

それが本当に、本人のためになるのかどうか。

「みんなと同じ」から外れていることを恐れて「普通」の道を進ませるよりは、「どこにも属せない感覚」を否定せずに、花開くかどうか分からないけれども、「非属」という道の上に可能な限り未来の選択肢を見せてあげることの方が、「非属」に生きざるを得ない人のためになるのではないかと私は考えています。

いか

「普通にできるけどしたくない」じゃなくて「普通にはできない」って感覚だからね

犀川後藤

甘えとかそういうことではないんだってことは分かってほしい

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最後に

私が日々感じてしまうことは、「社会の役に立たない人間は去れ」というような世の中の風潮です。そんな風に強く思っている人は多くはないかもしれませんが、心のどこかにそういう感覚を持っているという方は結構いるのではないでしょうか。

私は、自分が「社会の役に立たない人間」だと思っているので、そういう視線に接するたびに辛いなと感じます。

社会の役に立てなくても、他人や世の中に意思を持って害を与えないのであれば、そういう人間をそっと社会の片隅に生き延びさせてほしい。私はいつもこんな風に考えています。

そういう社会が実現すれば、「社会不適合者」と判断される人の中から、今以上に「社会を変革する才能」や「社会に新たな価値をもたらす天才」が生まれてくるのではないかと私は信じているのです。

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