【天職】頑張っても報われない方へ。「自分で選び取る」のとは違う、正しい未来の進み方:『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「いるべきところにいてなすべきことをなす生き方」に正しく反応できるかが大事

犀川後藤

どんな風に前に進んだらいいかよく分からない、という人向けの自己啓発本です

この記事の3つの要点

  • 自己啓発的な主張にどうしても抱いてしまう違和感
  • ある意味では、流されるように生きていく方がいい
  • 選択や決断が迫られるということは、それまでのどこかで大きな間違いを犯している
犀川後藤

自分に相応しい居場所って、確かにこんな風に見つかるんだろうなぁ、と思わせてくれます

著:内田樹
¥1,100 (2021/06/14 07:07時点 | Amazon調べ)

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「自ら選ばない」生き方

自己啓発的な主張への違和感

私は、あまり自己啓発的な本を読みませんが、たまにそういう類の本を読むと違和感を覚えてしまうことが多くあります。その違和感を一言で説明すると、

「どうして【それ】が成功の鍵だと思ったのか?」が説明されない

ということになります。

例えば、「学校の成績が急上昇した」とします。この時、

勉強時間を2倍に増やしたから成績が上がった

という主張は理解しやすいでしょう。あるいは、

朝ごはんを食べるようになったから成績が上がった

という主張も、まあ納得感があるかもしれません。しかし、

赤い下着を履いているから成績が上がった

という主張はどうでしょう? 多くの人が「そんなわけないだろ」と感じるはずです。

いか

さすがに赤い下着は関係ないだろ

犀川後藤

でも、絶対に関係ないって言い切れるか?

しかしそもそも、効率の悪い勉強の仕方をしていれば、その時間を2倍に増やしたところで成績が上がるとは思えません。「勉強時間を2倍に増やしたから成績が上がった」という主張も、正しいかどうか分からないでしょう。

つまり私が言いたいのは、こういうことです。「学校の成績が急上昇した」という結果があった場合、我々はその原因を、「なんとなくの納得のしやすさ」で選んでいる、と。

「学校の成績が急上昇した」という期間に起こった変化というのは、実際には様々に存在するはずです。

  • 「隣の人が引っ越した」(騒音が減って勉強に集中できたのかもしれない)
  • 「毎日ガムを噛むようになった」(あごを動かすことで脳への刺激になったのかもしれない)
  • 「漫画『キングダム』を読み始めた」(それで歴史を理解できるようになったのかもしれない)
  • 「シャワーだけではなくて湯船に浸かるようになった」(血流の変化が良い影響を及ぼしたのかもしれない)

変化だけを取り出せば様々なものがあるはずなのに、その中から「変化の原因として納得しやすいもの」だけを選んでいる。私は自己啓発的な主張に対して、そう感じてしまうことが多くあります。

あなたは確かに成功したでしょう。そこには何らかの要因が当然あったのだと思います。しかし、あなたがそうだと思っている要因とは違う何かが強く影響している可能性は十分にあります。それなのになぜあなたは【それ】を成功の鍵だと考えているのでしょうか

という疑問に対して明確に答えを出す自己啓発本は、ほとんどないと感じます。まあ当然ないでしょう。もしこの主張を厳密に行うとすれば、科学的な観点を取り入れた実験をしなければならないでしょうし、そんなこと、実人生においてできるはずがないからです。

いか

めんどくせーやつだな

犀川後藤

でも、理屈としては間違ってないと思うんだよなぁ

自己啓発本を否定しているわけではありません。トップランナーがどういうタイミングで何を考えどう決断したのかという思考は興味深いことが多いですし、やはり、凄い人の経験や話は面白いものです。ただ、「◯◯したから成功した」「◯◯すれば上手くいく」というような主張は、基本的には眉唾で受け取るしかない、とも考えています。

自己啓発的ではない、内田樹の主張

そう考えた時、内田樹の主張は非常に面白いです。一般的な自己啓発本とは、まったく次元の違う話をするからです。

内田樹の主張の要点は、「自分で選択するな」ということになるでしょう。

いか

自分で選んじゃいけないの?

犀川後藤

いけないわけじゃないんだけど、選ばない方がいいんじゃない? って感じかな

流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、適切な機会に過たず「なすべきこと」を果たしている。
そのことに事後的に気がつく。

本書を読んでも、「自分がどう行動すればいいか」についてはまったく分かりません。「こういう行動をすればいい」というような主張を、基本的にはしないからです。それは、自己啓発的な主張に慣れている人を戸惑わせるでしょう。「ん? じゃあどうすればいいの?」と感じるはずです。

しかし、そういう受け取り方は間違っています。

どんなとき、どんな場所でも、僕たち一人ひとりには、自分にできること、自分にしかできないことがあります。とりあえず、その場にいる他の誰もできないことが、自分にだけはできるということがある。
でも、ふつうはそれがなんだかはわからない。
修行を積むと、「今、ここでだと、私だけができること、他ならぬ私が最もそれに適した仕事がある」ということがわかるようになる。
そのときに、ふっとそれが「自分が前からずっとしたいと願っていたこと」のように思えてくる。
これが武運の勘所です

いか

どういうこと?

犀川後藤

まあ、これだけだとよく分からんよね

内田樹の主張は、「本来的に自己啓発本が必要な人間」には、上手く届くのではないかと私は考えています

選ばない方が良い選択ができる

自己啓発本を実際に買っている人は、「自分の意思でバリバリ前進できるのだけれど、より良い道、より良い進み方があるのではないかと模索している人」が多いのではないでしょうか。そして、私の感触からすれば、そういう人は既に「啓発」されているので、自己啓発本なんか読まなくてもいいじゃないか、と思っています。

本来的に自己啓発的な主張を必要とする人というのは、私のように、自分の意思ではバリバリ前進できず、どうしても立ち止まってしまうことが多い人ではないでしょうか。そういう人こそ「啓発」してほしいものです。

いか

前に進みたい気持ちはあるけれど進めない、みたいな人、結構いるだろうしね

犀川後藤

そういう人を勇気づける主張が、もっとあってもいいと思うんだけど

そして内田樹はまさに、そういう人を啓発する主張をします。

先程の引用をもう少し具体的にしたこんな文章があります。

「誰かこの仕事できる人いませんか?」という呼びかけがある。周りを見渡すと誰も手を挙げない。自分にその仕事ができるかどうかわからないけれど、なんとなく「やればできろう」な気もする。そこで、「あの~、僕でよければ……」とそっと手を挙げてみる。
僕たちが「天職」に出会うときのきっかけって、だいたいそういう感じなんじゃないかと思います

この文章を読んで、まさに自分の人生がそうだったな、と感じました。

私は今に至るまで、就職活動も転職活動もまともにしたことがありません。この文章を書いている時点で38歳ですが、それでも、どうにかこうにかなんとか生き延びてきました。そして私の人生も、「あの~、僕でよければ……」ということの連続でした。

本当に、自分の意思で働く場所を選んだことがほとんどなく、「そういうことならやってみます」という消極的な選択ばかりしてきました。自分に上手くできると思っていなかったことでも、やってみたら案外向いていると感じられることは結構多く、自分自身の決断よりも、「その時の状況に上手く流されていく」という振る舞いの方が実は上手くいくのではないか、と感じています

いか

まあ、運も良かったと思うけどね

犀川後藤

それは確かにそう思う

「決断」や「選択」は「手遅れ」の証である

確かに運の要素も大きかったでしょうし、誰もが同じようになんとかなるわけではないかもしれません。しかし一方で本書には、「そもそも決断とか選択をしなきゃいけない時点で手遅れだよ」という、実に明快なメッセージもあります。

さあ、この先どちらの道を行ったらいいのかと悩むというのは、どちらの道もあまり「ぜひ採りたい選択肢」ではないからです。どちらかがはっきりと魅力的な選択肢だったら、迷うことはありません。迷うのは「右に行けばアナコンダがいます。左にゆくとアリゲーターがいます。どちらがいいですか?」というような場合です。そういう選択肢しか示されないということは、それよりだいぶ手前ですでに「入ってはいけないほうの分かれ道」に入ってしまったからです。
決断を下さなければいけない状況に立ち入ったというのは、いま悩むべき「問題」ではなくて、実はこれまでしてきたことの「答え」なのです。今はじめて遭遇した「問題」ではなく、これまでの失敗の積み重ねが出した「答え」なのです。
ですから「正しい決断」を下さねばならないとか「究極の選択」をしなければならないというのは、そういう状況に遭遇したというだけで、すでにかなり「後手に回っている」ということです。
決断や選択はしないに越したことはない。

この指摘には、目からウロコが落ちました。なるほど確かにその通りだと感じます。目の前の選択肢の中に、ずば抜けて良いものがあれば、それは「決断」や「選択」と呼ばれません。同等に嫌な選択肢だからこそそういう表現になるわけです。そして、そういう状況に追い込まれているのは、それよりずっと前に何かを間違えているのだ、という主張は、非常に納得感があるでしょう。

そういう意味で内田樹は、決断や選択はすべきでない、と考えているのです。

いか

でも結局、「今どうしたらいいか」はよく分かんないね

犀川後藤

だから最初からそう言ってるじゃん

ただ、「今どうしたらいいか」についてヒントになるような、こんな文章もあります。

稽古に行くつもりだったけれど、朝起きてみたら「なんとなく行きたくないな」と思ったら、その直感を優先した方がいい

こういう場面でどう行動するかで、「あとあと決断や選択を迫られるかどうか」が決まる、ということでしょう。

「なんとなく行きたくない」という感覚は、別に無視することもできます。気のせいだとか、そんなこと言っていられないとか、何か理由をつけてやり過ごすのは簡単です。

また、「なんとなく行きたくない」というのは他人に説明する「理由」としては成立しませんし、だから「行かないという選択肢」をそもそも思い浮かべない人もいるでしょう。

しかしこういう場面で、身体感覚を無視した行動を取ることで、あとあとツケが回ってきます。内田樹は、ブラック企業のような環境で働かされて回復不能なところまで追い詰められる若者がいると指摘した後で、

そこまで我慢するのは、申し訳ないけれど相当に身体の感覚が鈍っているということです。「こんなところにいたらそのうち死んでしまう」ということは、働きだしてしばらくすればわかったはずです。(中略)
やりたくないことは、やらないほうがいい。

と書いています。「生活もあるし、簡単に辞められない」という主張もあるでしょうし、それももちろん理解できますが、身体感覚を無視すれば、結局あとあとドカッと負債を支払うことになるだけです。私も、「就職なんかしたら心が死ぬ」と思い、就職活動を避けるために大学を中退した人間なので、この感覚は理解できるつもりでいます。

犀川後藤

やって当然のことをやらないのは勇気が要るけれど、自分が壊れるよりはマシ

いか

自分が壊れると、結局周りに迷惑かけることになるしね

世の中には、決断や選択をどう行うべきかについての知見が様々に存在することでしょう。しかし内田樹は、そもそも決断や選択などしないに越したことはない、と主張します。そして、決断や選択を回避するためには、自分の身体感覚に正直にならなければならない、と言うのです。

これらの考えは、一般的な自己啓発本とはまるで違うでしょうが、そういう自己啓発的な主張に違和感を覚える人にはスッと理解できる内容ではないかと思います。そして、「未来の自分が決断・選択するという状況に追い込まれないために、今どう行動すべきか」という、比較的シンプルな行動原理が手に入るでしょう。

マガジンハウス
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最後に

この記事では、生きる上での内田樹の考え方を中心に取り上げましたが、本書は基本的に、内田樹のこれまでの人生を振り返るような内容です。日比谷高校を中退し、大検を取って東大に合格するような頭の良さがある一方で、もの凄くアウトローな生き方をしていて、あまりよく知らなかった内田樹という人物を知ることができました。

内田樹の人生はあまりにも特殊すぎて一般人には参考になりませんが、それらの経験を踏まえた上で抽出される人生訓みたいなものには、普遍的な強さがあると感じます。

生き方を自分で見定めることが難しく、何をしたらいいのかよく分からないと悩む人にこそ、内田樹の考え方は響くでしょう。いるべき場所にいれば、なすべきことがわかり、それが実はやりたいことだったと気づく、というスタンスは、「自分の意思でバリバリと突き進む」という強い生き方ができない人への福音として届くのではないかと思います。

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