【感心】悩み相談とは、相手の問いに答える”だけ”じゃない。哲学者が相談者の「真意」に迫る:『哲学の先生と人生の話をしよう』(國分功一郎)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

朝日新聞出版
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「相談を言語化できる」時点で、悩みはほとんど解決されていると言える
  • 「書かれていない事柄こそが最も大事」と主張する哲学者のスタンス
  • 「相談者としての適性がない人」に自覚を促し、まずスタートラインに立たせようとする

相談内容そのものに共感できなかったとしても、著者が思考をどう展開させるのかにも刺激を受ける1冊だと思います

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

哲学者である國分功一郎は本書『哲学の先生と人生の話をしよう』の中で、相談者の「相談内容」ではなくその「真意」に回答する

本書は、一般の方からの相談とそれに対する著者の回答が34個収録されている。すべての相談、すべての回答が面白かったわけでは決してないが、全体的には相談内容もそれに対する回答のアプローチも面白かった。すべての哲学者が相談に向いているというわけでは決してないだろうが、著者にはその適性があったのだろう。

面白い相談とその回答についていくつか触れるが、その前にまず「相談とは何か?」という話から書きたい。

「相談」とはどのような行為であり、それに回答するとはどういう意味を持つのか?

本書に収録される相談内容は、恋愛・仕事・人間関係など、割と類型化しやすいジャンルに収まるものが多いが、1つ非常に異質な質問があって興味深かった。質問内容を具体的には載せないが、

相談というのは、どうやってすれば良いのか?

という趣旨である。つまり、「相談についての相談」というわけだ。著者は、自身も他人に相談をするのが苦手だと打ち明けた上でこの相談に回答している。その中で、

誰かに話を聞いてもらうと気持ちが楽になるのはなぜなのか、哲学的には全く未解明

と書いており、なるほどそうなのか、と感じた。

私も、誰かに相談をするのはあまり得意ではない。いくつか理由はあるが、「『他人に相談できる状態』は、既に悩みがある程度解消されている段階だと思っているから」というのは大きい。

悩みを解決する最大のポイントは、「自分が何に悩んでいるのかを的確に捉えて言語化すること」だと考えている。そして、「相談する」というのは「言語化する」ことと同じだ。つまり、誰かに相談出来ているということは、既に解決段階に入っていることを意味するわけである。

逆に、自分が何に悩んでいるのかよく分からない、あるいは悩んでいる理由は分かっているがそれを表現する的確な言葉が見つからない、という場合、他人に相談することはできない。そして、まさにそういう「他人に相談できない」状態の時ほど、誰かの力を借りたいと感じることだろう。

「相談」という行為には、このような矛盾が内包されている、と私は考えている。悩みを捉え、言語化出来れば、悩みの8割は解決していると言っていい。あとは、いくつか浮かぶ選択肢のどれを選ぶか決断する、みたいな段階に進むだけだ。そうなればもう、ほとんど他人の力は必要ない。しかし、まさに他人の力を必要とする時、つまり「悩みを具体的に捉えたい」という時には、まだ言語化出来ていないが故になかなか他人の力を借りにくいのだ。

私はそういう風に理解しているので、逆に、誰かから相談を受けるのは比較的得意だと自分では思っている。というのも私は、「相談」を「相手の頭の中を整理してあげること」だと捉えているからだ。

私は「悩みに対して自分の意見を伝えること」を「相談」だとは考えていない。人はそれぞれ考え方も価値観も違うのだから、自分の意見が相手の悩みの解決に繋がる可能性は限りなく低いはずだ。

私は誰かから「相談」を受ける際、その人に様々な質問をするようにしている。「質問に答える」という形で相手に「言語化」してもらうわけだ。そしてそのようなやり取りを繰り返すことで、「さっき◯◯って言ってたし、今△△って言ったよね。ってことは、★★のように考えてるってことじゃない?」と、相手の思考を整理できるようになる。

私は、これこそが「相談」だと思う。

本書の著者にも、似たような雰囲気を感じる。紙上の相談では「質問に答える」という相互のやり取りは不可能なので、前述のようなやり方はできないが、対面の相談では著者も同じような対応をするのではないか、と感じた。

というのも著者は、かなりメタ的な形で相談内容を読み解こうとするからだ。

「書かれていないことの方が大事」という哲学的思考

あとがきに、哲学者らしいこんな文章がある。

相談への返信にあたっては特に方針を決めていたわけではなかったが、ある程度進めた段階で、自分が相談相手の文面を、まるで哲学者が書き残した文章のように一つのテクストとして読解していたことに気がついた。哲学者の文章を読む時には、哲学者が言ったことだけを読んでいるのではダメである。文章の全体を一つのまとまりとして眺め、そこを貫く法則を看破し、哲学者が考えてはいたが書いていないことにまで到達しなければならない

言われてみればなるほど、という視点である。これは、自分が誰かに相談する時のことを考えてみればイメージしやすいだろう。

相談内容というのは大体、「自分が恥ずかしいと思っていること」が多いだろう。「恥ずかしい」には「普通と違う」「弱いと思われる」「酷い人に見られる」など色んな要素があるが、何らかの形で「誰にでも話せることじゃない」という部分が含まれるだろうと思う。

そして、「相談して悩みを解決したい」と思ってはいても、一方で「恥ずかしいと思われたくない」という心理が邪魔をして、ちょっとずつ「嘘」や「正確には正しくないこと」を入れ込んでしまう

だから相談内容というのはそもそも、言葉通りに受け取ってしまっては間違いなのだ。

途中で気がついたのだが、人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない

こういうスタンスで相談に臨む人物が対面で相談を受けるなら、「相手が言い淀んでいる点は何か?」と推測するために質問を繰り出すだろうし、相談者が「本当に悩んでいること」が何なのかを掴もうとするだろう

紙上の相談の場合はそれが、「文章の細部」に着目するという形で現れる。この点については、すぐ次の項で具体的に触れることにしよう。

さて、相談に臨む著者のスタンスについて、同じく哲学者である千葉雅也が解説でこんな風に書いている

だから本書は、「本当の相談」を開始させるための、相談の前の相談なのである

この指摘も、非常に納得感のあるものだった。どういうことか、ざっくりと説明しよう。

「相談」においては「不適切な依存」が一番問題となると著者は言う。利用する/されるといった関係性に陥ることで、問題の解決が遠ざかってしまうというのだ。だから著者は、「一旦相談者の悩みを受け入れること」によって、「はい、今ここに『不適切な依存』が存在していますよ」と指摘する。

そして相手にその「不適切な依存」を正しく認識させた上で、「『不適切な依存』を取り払ってから、周りにいる大事な人に改めて相談するように」というメッセージを伝えるようにしているという。つまり、「相談者としての適性がない人」を「正しく誰かに相談できる個人」に仕立て上げる手助けをしているというわけだ。

これもまた非常に面白い捉え方だと思う。確かに、「悩みを解決したい」「話を聞いてもらいたい」以外の思惑を持つ人もいるかもしれないし、そんな状態で相談に乗っても本人のためにならない。だからこそ、相談内容そのものに言及するのではなく、「あなたは相談者としての適性がありませんよ」と指摘するというのは、双方にとって意味のある解決だと感じさせられる。

最も感心させられた相談

著者の返答で私が最も感心させられたのは、「アキラさん(大阪府・35歳・男性)」による、

義両親の態度が「ゴネ得」に感じられてしまいます

という相談に対するものだ。著者の凄さを実感してもらうには、相談内容の全文を読んでもらう必要があるので、長いが引用する。

私には結婚して丸三年の妻がいます。妻の両親との付き合いで大きな悩みを抱えていてご相談です。価値観が合わず、お互いに歩み寄れないのです。
結婚したのならば「マイカー、マイホームを購入し、子どもを作るべきだ!」という考え方にどうしても同意できません。私は車が好きな人は車を、家がほしい人は家を買えばいいと思っています。が、それが絶対的な義務(正義)だと主張されるとどうしても反発する気持ちが生まれて来てしまいます。
「高度成長信仰」とも言うべき、別の価値観を想像しない固い信念が受け入れられないのです。車や家や子どもがイヤなのではなく「価値観の押しつけ」がイヤだという事を伝えたいのですがどうしても伝わらず悩んでいます。
また妻の両親は「親の老後は子どもたちが面倒を見るべきだ」という考え方を強く持っています。「自分たちも親の面倒を見て来たのだし、大変でもそれが当たり前だ」とよく言われます。主張は強烈です。
私の親は「子ども夫婦にこうして欲しい」という主張は基本的にはありません。「二人で決めればいい」というスタンス。つまり「注文の多い親」と「注文をつけない親」が私たち夫婦にはいて、そうなってくると多少お互いに妥協をするとしても「注文の多い親」のほうが結果として得をする状況が生まれてしまっています。
私にはこれが「ゴネ得」に感じられてしまい、どうしても妻の両親が好きになれず悩んでいます。
愚痴っぽい相談でスミマセン。どうぞよろしくお願いします。
※ちなみに妻は私の主張に半分は同意してくれるのですが、実家に遊びに行く度にリセットされて帰ってくる感じです

さて、ここで少し、自分がこんな相談を受けたらどんな回答をするのか考えてみてほしい

私なら、誰もがイメージするようなありきたりのことしか言えないだろうと思う。要約すれば、「義両親とは距離を置くしかない」という感じだろうか。そして、相手の価値観の中でその主張の説得力を高めるためにどういう理由付けをするかを考えるぐらいしかできないと思う。

しかし著者はまったく違う。著者がこの相談内容で最も注目したのは「※ちなみに」以降である。そして、この「※ちなみに」の文章から論理的に想像を膨らませ、アキラさんの相談に回答していく。

その回答の要点は、「問題の根本原因は、『アキラさんと義両親の関係』ではなく『奥さんと両親の関係』にあるのではないか」というものだ。

上記の相談内容には、アキラさんの奥さんに関する記述はほとんどない。しかし著者は、文章の端々に現れるニュアンスや、本来だったら書くべきなのに書かれていないことなどを加味して、「アキラさんの奥さんが置かれているかもしれない状況」を心配するのだ。

この相談に対する著者の回答はお見事という感じだった。もちろん先ほど触れた通り、紙上での相互のやり取りができないので、著者の想像が的外れである可能性もある。しかし確かに、上記の相談内容から合理的に推察できると感じられるし、それが正しいとすれば、『アキラさんと義両親の関係』より遥かに重大な問題だと言える。

私も、こんな風に回答できるようになりたいものだ、と思わされた。

最も面白かった相談

ではもう1つ、今度は爆笑させられた相談を紹介しよう。「希志あいのは天使さん(東京都・21歳・男性)」の、

マスターベーションばかりしてしまうのですが、どうすれば良いですか?

という相談である。こちらも、相談内容をすべて引用しよう。

暇な大学生(男)なのですが、マスターベーションばかりしてしまいます。どうすれば良いですか? 暇で退屈なので性欲を消費(浪費?)しています。彼女はいるのですが社会人で忙しいし、それにそういうことばかり求めるのもなんだか申し訳ない気がします。浮気やナンパにも手を出してみたのですが長続きしません。本当はもっと映画を観たり英語の勉強をしたりして自分に投資したいのですが……性欲が強い私のような人が、時間をもっと有意義に使うにはどうしたらよいと思いますか?

何も隠すことなくド直球でぶん投げてくる相談で、かと言ってほのかに知性も感じさせるので、相談内容単体で捉えても本作中トップの面白さだ。

さらにこの相談、回答も素晴らしいの一言に尽きる。著者はディオゲネスという古代の哲学者の話を延々と始めるのだが、なぜかと言えばこのディオゲネス、オナニーが大好きだったという逸話が残っているのだ。

彼は、人が見ていようと、ところ構わず、どこでもオナニーをはじめたらしいのです。ある時、彼は広場でオナニーしながら、「ああ、お腹もこんなぐあいに、こすりさえすれば、ひもじくなくなるというのならいいのになぁ」と言っていたそうです

そして最後には、「オナニーばっかりしてても立派なことをした人もいるんだから気にしなくていい」と言って締めくくるのです。なかなか凄まじいと言えるでしょう。

しかもこの相談、相談者のペンネームに「希志あいの」というAV女優の名前が入っていることもあって、文章全体からカオス感が漂うことになる。例えばこんな具合だ。

では、なぜ希志あいのは天使さんにディオゲネスを紹介するのかというと、このディオゲネスという人はオナニーが大好きだったからなのです

古代の哲学者とAV女優の名前が同じ一文に並ぶことはなかなかないだろう。相談内容も回答も文章も、すべてが渾然一体となって見事な相談だったと感じた。

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最後に

著者は相談者に対して常に優しい言い方をするわけではない。例えば、一見すると恋愛相談をしているように思える相談者本人に対して、

「プライドが高い」人で一番ブザマなのは、時たま、他人を見下す自分の気持ちに対して罪悪感を抱くことなんです。

かなり厳しい言い方で、本人の物事の捉え方や感情の動きを批判する。あるいは、別の相談者に対して、

したがって次のような結論が導かれます。プラス志向の人は、そもそもたくさんの事柄を考えないで済ましており、また、たくさんの事柄を考えないで済ますために多大なエネルギーを必要としているから、考えられる事柄が限定されている。ということは、プラス志向の人はあまりものを考えていないということになります

と言ったりもするのだ。対面の相談だとしても著者は同じスタンスを崩さないかもしれないが、なんとなく印象としては、紙上相談だからこその振る舞いであるようにも感じられるし、そういうピリ辛の部分もまた興味深い

相談者と同じ悩みを持っていれば本書は直接的にも役立つかもしれないが、そうでなかったとしても、思考の展開のさせ方や価値観の捉え方などに刺激を受けることだろう。

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