【感想】「献身」こそがしんどくてつらい。映画『劇場』(又吉直樹原作)が抉る「信頼されること」の甘美と恐怖

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:山﨑賢人, 出演:松岡茉優, 出演:寛一郎, 出演:伊藤沙莉, 出演:井口理, Writer:蓬莱竜太, 監督:行定勲, プロデュース:坂本直彦, プロデュース:古賀俊輔, プロデュース:谷垣和歌子, プロデュース:新野安行, プロデュース:清水理恵
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

永田が沙希と出会ったことは、良いことだったと言えるだろうか?

犀川後藤

永田も沙希も、出会ったことでお互い、良い風に変われただろうか?

この記事の3つの要点

  • 私の中には「永田」がいて、いつでも「永田」に戻れてしまう
  • 不安を紛らわすためには、誰かのせいにするしかない
  • 「才能がないと気づかれたらこの関係は終わってしまう」という恐怖が永田の中に芽生えた時点で、2人の関係は終わっている
犀川後藤

沙希が悪いわけでは決してないが、沙希のような女性は、永田のような男を追い詰めてしまう

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「永田」のようにはなりたくない。でも、いつでもなれてしまう

自分の中に「永田」がいる

映画を見て、とても怖くなった。
自分の中に「永田」がいることを、私は知っているからだ

気を抜けば、いつでも「永田のようなダメな人間」になれる
そうはなりたくない、といつだって願っているけれども、どうしてもその方向へ引っ張られてしまう自分を感じる。

いつまで保つだろうか?
次に不安が押し寄せてくるのは、いったいいつだろうか?
朝までは保ちそうだ

私も昔、よくそんなことを考えていた。

あぁ、「永田」のようにはなりたくない

いか

「なりたくない」と思ってれば、ならずに済むんじゃない?

犀川後藤

そんな簡単な話じゃないのよ

理由なき不安と、常に戦っていた

今の私は、昔に比べれば随分落ち着いている。日常的に不安に襲われるようなことはない

でもそれは、人間が変わったとか、年齢を重ねたとか、そういう理由ではない。単純に、「生活がそこそこ安定している」「日常を押し流す”何か”がある」というだけに過ぎない。

ちょっとでも何かのバランスが崩れると、すぐにまた、訳の分からない不安に支配されてしまう。そのことは、分かっている。少し前も一瞬そういう時期があって、マズいと感じた。幸い、深く引きずられることはなかったが。

この「不安」は、原因が無いからこそ難しい

「原因」が分かっているなら、その「原因」に対処すればいい。対処できるかどうかは分からないが、とりあえず「何をすればいいかは分かる」という状態は、決して悪くない。

しかし、「原因」が分からないと、何もできない。できることといえば、「今までだってこんな不安に襲われてきたし、これはいずれ消えると分かっている」と、自分に言い聞かせることぐらいだ。

どこで鳴っているのか分からないが、ずっと微かに聞こえている異音のように、その不安は少しずつ私を蝕んでいく。その状態で、真っ当な思考をすることは困難だ。感情が支配されるだけではなく、思考力が奪われてしまう

そしてそんな状態に、いつでも戻ることができてしまう

いか

なんで不安に感じているのか分からないってことか

犀川後藤

まあ、そんな感じかな

不安を紛らわせるために「他人のせい」にするしかない

「原因」が分からない状態は、とても不安定だ。だから昔の私は、「自分以外の誰かのせいで、こんな不安な気分にさせられているのだ」と考えることにした

そう思うしかなかったのだ。それ以外、自分を上手く保てる方法がなかった。自分が悪いということにしてしまうと、余計にしんどくなる。でも、不安の「原因」は突き止めたい。だから、誰かのせいにするしかなかった

しかし、誰かのせいにする自分のことも好きじゃなかった。結局同じことだ。他人のせいにしたところで、「余計にしんどくなる」ことには変わりはない。

都合が良すぎる話だが、「私が誰かに責任を押し付けること」によって「その誰かが傷ついてほしくなかった」。自分のせいで誰かが傷ついているという事実は、心にグサグサと刺さる。だから、誰かのせいにしつつ、その人の傷は見ないようにしなければならない。

そんな自分が、嫌いだった

そして、そんな過去の自分はもろに「永田」そのものなのだ。

いか

お前も「永田」もなかなかやべぇな

犀川後藤

でも、こんな風に精神を保ってる人って、割といるんじゃないかなって思う

いつでも「永田」に戻れる。実際のところ私は、「永田」ほど酷くはないと思う。でも、そういう自分もあり得た。たまたま「永田」じゃなかった、というだけだ

沙希のような女性がもし自分の近くにいたら、もっと「永田」になる可能性は高かっただろう

それは甘美な想像でもあり、恐ろしい可能性でもある。

映画の内容紹介

高校時代の同級生と「おろか」という劇団を立ち上げ、脚本兼演出を担当している永田は、まさに劇団員から見放されつつある。前衛的な作風のため公演の度に酷評の嵐なのだが、永田は他人の意見をまったく聞かない。さらに、自分の理屈に合わない状況に対して苛立ちを抑えられず、議論に噛み付いてくるなどコミュニケーションに大いに問題がある。そんな状態が長く続いているのだ。

街をうろついていた永田は、画廊の絵を見ていた。近くに、同じ絵を見ている女性がいる。足元を見ると、スニーカーが同じだ。たったそれだけの理由で、極度の人見知りとは思えないほどの行動力で、その女性を喫茶店に誘った。誘ったはいいが金がない永田、はアイスコーヒーを奢ってもらうという体たらくだ。

女性は沙希といい、青森から女優を目指して上京した。今は服飾の学校に通っている。2人は付き合うことになり、常に金欠の永田は沙希の家に転がり込む。

ずっと演劇のことを考えてはいるが脚本を書くわけでもなく、かといって働くわけでもない永田。そして、そんな永田を献身的に支え、時に酷い扱いをされても笑顔でやり過ごす沙希。共に夢を追う2人の、希望と絶望が綯い交ぜになった恋と日常の物語。

映画の感想

物凄く良い映画だった。松岡茉優が好きというのも高評価の要因だと思うが、観ていて心をグサグサと突き刺されるような苦しさを抱かせる、気持ちが揺れ動く映画だった

観ながらずっと考えていたことがある。永田にとって、沙希と出会ったことは良かったのだろうか、ということだ。

私がこの映画の中で、最も共感したセリフがこれだ。

その優しさに触れると、自分の醜さが刺激され、苦しみが増すことがあった

あぁ、分かる、と思った。沙希の「無償の愛」とでも呼びたくなる「優しさ」は、実は相手を突き刺すトゲでもある

私は、永田が沙希を傷つける行動を取ってしまうその行動原理が理解できる。私自身は他人に暴力・暴言をもたらすことはないと思うが、気持ちは理解できてしまう。

いか

「優しい」のがダメなのか……

犀川後藤

そういうタイプの人、一定数いると思う

沙希と出会った頃の永田には、「自分の才能を認めてくれる人」はいなかった。永田に才能があるのかどうか、それはよく分からない。しかし、永田自身は、自分に才能があると信じているはずだ。そうでなければ、劇団員から総スカンを喰らいながらも、自分のやりたいことを貫くなんてできないだろう。

しかしどうしても、誰かに認められない状態のままでは自信を持ち続けることは難しいし、誰かに認められたいという気持ちはますます強くなっていくばかりだ

沙希と出会ったのは、そんなタイミングだった。

そして沙希だけは、永田の才能を信じて応援してくれる。それは永田にとって、震えるほどの喜びだっただろう。しかし同時に、恐怖を連れてもくる。

何故なら、永田は沙希の振る舞いを、「自分に才能があると思っているから、献身的にサポートしてくれる」と解釈するしかないからだ。これはつまり、「自分に才能が無いと分かれば、この関係は終わってしまう」ということでもある。

これはとても恐ろしいことだ。そしてこの恐怖が、永田を支配し続けたのだと思う

永田が一向に脚本を書かなかった理由は、この点が大きいだろう。自分の頭の中から出さなければ、それはいつまでも「傑作」のままだ。しかし、頭の外側に出した時点で才能を判断されてしまう。それは怖い。だから、脚本を書くわけにはいかないのだ。

もちろん、これがすべて杞憂だという可能性はある。永田に才能がないと分かっても、沙希は一緒にいてくれるかもしれない。しかし、それはあまりに楽観的すぎる希望だろう。永田は沙希に対して酷い振る舞いをすることもあるし、沙希の友人とは関わろうともしないし、本人も「自分といて楽しいはずがない」と考えている。そんな自分と一緒にいてくれるのは、やはり、才能があると感じてくれているからだろう。そう思うしかない。

私は、永田の葛藤がよく理解できるつもりだ

沙希と一緒にいることは、とても心地よいだろう。自分を肯定してくれるし、自分が酷い振る舞いをしても許してくれる。いつも笑って、面白くもなんともない自分と一緒にいてくれ、献身的なサポートをしてくれる。探せば世の中にこんな女性もいるかもしれないが、言ってしまえばこれは、男の妄想の中にしか登場しない女性と言っていいだろう。

そんな理想的な女性だからこそ、永田は己にムチを打って、沙希の元を離れなければならない、と私は思う

沙希が永田に、

ここが一番安全な場所だよ

と言うシーンがあり、非常に印象的だ。確かに沙希の隣は「安全」で、そこに砲弾は飛んでこないだろう。しかし、外から攻撃を受けない代わりに、内側から朽ちていってしまうのだ。

その怖さが理解できるからこそ、2人は出会うべきではなかった、と私は思う。私自身、沙希のような女性をある面では「理想」と感じるが、やはり出会いたくはない。

出会ったが最後、私の中の「永田」が現れ、そのまま朽ちていくことだろう

出演:山﨑賢人, 出演:松岡茉優, 出演:寛一郎, 出演:伊藤沙莉, 出演:井口理, Writer:蓬莱竜太, 監督:行定勲, プロデュース:坂本直彦, プロデュース:古賀俊輔, プロデュース:谷垣和歌子, プロデュース:新野安行, プロデュース:清水理恵

最後に

沙希は、男の目からは素晴らしい女性に見えてしまう。しかし「献身」は時に、相手も自分もダメにする。「誰かのためを想う気持ち」がその「誰か」を壊してしまうかもしれない悲劇を、改めて実感させられた。

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