【思考】「”考える”とはどういうことか」を”考える”のは難しい。だからこの1冊をガイドに”考えて”みよう:『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「考えるという行為」に必要な「◯◯」を伝授してくれる作品です

犀川後藤

「◯◯」が何なのかは、是非本書を読んでみてください

この記事で取り上げる本

寄稿:ウエダ マコト, その他:野矢 茂樹
¥550 (2022/01/06 06:14時点 | Amazon調べ)
いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事の3つの要点

  • 「『考えること』について考えること」はとても難しい
  • 「包丁」無しで料理をするのが難しいのと同じで、「◯◯」無しで「考えるという行為」をするのは難しい
  • 知識を蓄えることで、解くべき問題に出会うことができる
犀川後藤

「共感よりも違和感や反感の方がだいじ」というメッセージも、非常に重要だと思います

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「『考えること』について考えること」は大事だが、それはとても難しい

「『考えること』について考えること」ってどういうことだろうか?

私たちは、「考えるという行為」を当たり前のように行っている、つもりです。学校の宿題をしている時、会議の資料を作っている時、新しい企画をひねり出そうとしている時、私たちは「何かを考えている」つもりでいるはずだと思います。

では、何かを考えている時、一体あなたは”何をしている”のでしょうか

いか

いや、だから、「考えてる」んだって

犀川後藤

そうじゃなくて、もう少し具体的にイメージしてみようよ、って話

例えば、宿題に取り組む際にしていることは「考える行為」と言えるでしょうか? 宿題の場合で言えば、実際にしていることは、「計算する」「覚えるまで何度も書く」「暗記する」など、「考える」以外の単語で表現する方がぴったりくるのではないかと思います

「いや、ちゃんと考えてるよ」と感じる方は、宿題の際に自分がしていると思う「考えるという行為」について、他人に説明できるぐらい深堀りしてみてください。なかなか難しいと感じるのではないかと思います。

企画やアイデアの立案はどうなんだ、と感じる方もいるでしょう。確かにこれは、私がイメージする「考えるという行為」にぴったりくるものです。ただし、「宿題」と「企画立案」では何が違うのかを明確に示すことはなかなか難しいと思います。また、それが「考えるという行為」だとして、じゃあどんな手順で行っていて、どういう状態を指すのかなどについて具体的に説明することは困難でしょう。

こんな風に、誰もが当たり前のように行っている「考えるという行為」ですが、「じゃあそれって何なの?」と聞かれた時に、スパッと答えられる人はなかなかいないのではないかと思います。

本書は、そういうモヤモヤをクリアにし、「『考えるという行為』の本質」を深堀りする作品です。もう少しシンプルに言えば、「『考える』ために必要なものを与えてくれる本」だと言えます。

いか

自己啓発本みたいな感じ?

犀川後藤

そういう類の本とは全然違う雰囲気なんだよねぇ

将来について思い巡らすことも、目の前にある情報を分析することも、誰かの想いを想像することも、すべて「考えるという行為」が関係しています。私たちは、「考えるという行為」が何なのか、はっきり分かっていないままなんとなくやれてしまっていますが、「なんとなくやれてしまっている」が故に、ふとした拍子に躓いてしまうこともあるはずです。

そうなってしまった時、あるいはそうならないようにするために、本書のような「『考えるという行為』の本質について深堀りする作品」は役立つのではないかと思います。

本書は、「料理における包丁」を手に入れるような作品

本書の内容を説明するのはなかなか難しいのですが、本書がどんな役割を持つ作品なのかについて、「料理」を例に説明してみたいと思います。

今あなたは料理をしようとしていますが、何故かあなたは「包丁」の存在を知りません。「包丁」に限らず、スライサーやピーラーなど、「食材を切るための一切の道具の存在」を知らないとしましょう。重要なのは、「『包丁』の存在は知っているけれど、手元にない」というわけではないという点です。あなたは「包丁」を含め、「食材を切るための一切の道具の存在」を知らない、とします。

さて、料理をするのですから、あなたは野菜や肉を切りたいと考えます。しかし、食材を切るための道具の存在を、あなたは知りません。さて、どうするでしょうか?

キャベツなら手で剥けるでしょうか。きゅうりぐらいなら手で折れるかもしれません。では、にんじんの皮はどんな風に剥きましょう? スプーンでガリガリやるとか、たわしで擦ってみるとか、いろいろ試すことになると思います

そしてそんな奮闘の末に、あなたはきっとこう考えるはずです

料理ってなんて難しいんだろう」と。

さて、そんなあなたの調理風景を見ている人がいたら、きっとこう感じることでしょう。「包丁を使えばいいのに」と。

つまり、「料理が難しい」わけではなく、「包丁を使わずに料理をすることが難しい」というわけです

この話を、「考えるという行為」にも当てはめてみることにしましょう。

「考えるという行為」に対して、難しさを感じたり苦手意識を持ってしまう人もいると思います。そういう人は、先ほどの例の「料理って難しいな」と感じている人と同じです。一方世の中には、「考えるという行為」を得意とする人もいます。そういう人が、苦手だと感じている人を見た時、先ほどの例と同じように「◯◯を使えばいいのに」と感じるかもしれません

そして本書は、そんな「◯◯」を教えてくれる作品だ、というわけです。

いか

「◯◯」ってなんなん?

犀川後藤

説明できないから「◯◯」って書いてるのよ

本書を読んでもらえば分かりますが、「料理における包丁」に相当する「考えるという行為における◯◯」は、パッと一言で説明できるようなものではありません。「考えるという行為」はとても捉えにくいので、その熟達のために必要な要素もまた簡単には言葉に出来ないのです。本書を読んでもらえば、なんとなく「◯◯」について分かった気になれると思います。ただ、それを他人に説明するのはなかなか難しいでしょう。

そして「◯◯」を理解することで、「考えるという行為」に苦手意識を抱いている人も、「包丁」を使って料理するのと同じくらいやりやすくなると思います。もちろん、「包丁」も使い方を練習しないと上手くならないように、「◯◯」もただ理解しただけでは不十分でしょう。しかし、知ってると知らないのとでは大違いだと思います。

「料理」に関しては、「包丁を持った最初の日から飾り切りが出来た」なんて人は存在しないわけで、「ある程度やらないと熟達しない」と誰もが理解しているだろうと思います。しかし「考えるという行為」については、誰もがいつの間にか自然とやれているし、そのせいで「訓練しなければならない」という思考にもなかなかなりにくいでしょう。

「料理」の場合は、他人とやり方を比較できるし、その過程で「そうか、そもそも自分には『包丁』がなかったのか」と気づけるでしょうが、「考えるという行為」の場合は、どんな風にやっているのか意識できないし、だからこそ他人とやり方を比較することも難しいです。やり方が比較できなければ、自分には「◯◯」が欠けているのだと気づく機会もなかなかないし、「自分のやり方を改善しなければならない」という考えるに至ることもないでしょう。

犀川後藤

昔あるミステリ作品で、他のコップと比較することで「実はコップの取っ手が2つ付いていた」と判明したことがヒントになる話を読んだな

いか

取っ手が1つのコップを観れば、「元から1つだったんだろう」って思って疑問にも感じないもんね

そういう意味で本書は、非常に有益な作品だと私は感じます。

「問題」はいかに生まれるか。そしてどんな「問題」に答えるべきか

本書には様々なことが書かれており、すべて紹介することは難しいですが、少しだけ中身に触れてみましょう

まず、こんな文章があります。

無知や無秩序から問題が生じるんじゃないということ。むしろまったく無知だったり無秩序だったりしたら問題は生まれようもない。いろんな知識をもち、いろんな理論を引き受けるからこそ、問題は生じる。だから、別に奇をてらった言い方ではなく、学べば学ぶほど、よりたくさんのことが鋭くより深く問えるようになる。そういうこと。

ざっくり要約すると、「知れば知るほど問題が増える」という感じだと思います。一体どういうことでしょうか?

この説明のために本書には、「惑星」という名前の由来について語られます。

「惑星」というのは、恒星を回っている星のことです。太陽は恒星であり、そんな太陽の周りを回っている地球、水星、金星などは「惑星」ということになります。

この「惑星」、読んで字のごとく「惑う星」であり、昔の人は「惑星」を「さまよう星」と捉えていたわけです。では何故「惑星」は「惑う(さまよう)」ものとして受け取られたのでしょうか

そこにはこんな理由があります。

惑星が「さまよう星」として問題になったのは、「たいていの星は円運動をする」ということが認められたからだった。

天文学にはかつて、「たいていの星は円運動をする」という共通理解がありました。そしてその共通理解から外れる存在だからこそ「さまよっている」と受け取られ、「惑星」という名前がつけられた、というわけです。

いか

「不動産」の場合は、「動産」っていう概念が先にあって、「そうではないもの」っていう意味だよね?

犀川後藤

でも調べてみると、「動産」は「不動産以外のもの」って定義らしい。変な名前の付け方だよなぁ

ここから、こんな結論が導かれます。

つまり、規格はずれのものごとが問題として姿を現すわけだけど、そのためにはまず規格がなければならない。だから、長い時間がかかる

「惑星」の動きを観察していても、「たいていの星は円運動をする」という「規格」を知らない人が見れば「さまよっている」という風には受け取らないでしょう。つまり、「惑星」の動きを「さまよっている」と捉えるためには、「たいていの星は円運動をする」という「規格」を知っている必要があるというわけです。他の状況でも同じことが言えるでしょう。

これが、「知れば知るほど問題が増える」ことになる理由です。答えるべき「問題」に行き着くためには、何よりもまず「知ること」が大事だということになります。普段の生活の中でなかなかこのようなことに思い至る機会はないでしょう。

また、こんな文章もあります。

問われて、それに答えるために何をすればいいのかわかっている問題は、答えるのに考える必要はない

これもまた、普通の感覚では捉えにくいものでしょう。有名なアルキメデスの王冠の例を使って説明してみようと思います

目の前に王冠があるとして、「この王冠の重さは?」という問いに答えることはそう難しいことではないでしょう。秤など重さを量るための道具を使えばすぐ答えを導くことができるからです。これが「答えるために何をすればいいのかわかっている問題」であり、そのような「問題」を解くのに「考えるという行為」は必要ないと言えます

では「この王冠の体積は?」と問われたらどうでしょうか。「どんな形をしたモノでも体積を測れる機械」なんてものも世の中にはもしかしたら存在するかもしれませんが、そうだとしてもそうそう身近にあるものではないでしょう。「重さ」のようには簡単に解決しません。もちろん、アルキメデスの有名なエピソードを知っている人には簡単な問題でしょうが、知らない人にとっては、これこそ「答えるために『考えるという行為』が必要な問題」だと言えます。

ちなみにご存知ない方のために正解を書いておくと、「風呂いっぱいに水を入れ、そこに王冠を沈めた時に溢れ出る水の体積が王冠の体積と同じとなる」というわけです。

このように「問題」の中にも、「考えなくても解ける問題」と「考えなければ解けない問題」が存在することになります。

いか

クイズ番組でも、「知識があれば解ける問題」と「知識があるだけじゃ解けない問題」があるよね

犀川後藤

「謎解き」って呼ばれるものはだいたい「知識があるだけじゃ解けない問題」だね

では、「考えなければ解けない問題」にはどうやってたどり着けばいいのでしょうか? これはなかなか難しい問いです。

試験などでも、教師は答えを知っているから、問題をうまく作れる。逆に、答えを知らず、答えの方向もわからない人には、うまく問題が立てられない。だけど問題がうまく立てられないと、うまく答えることもできない。
じゃあ、答えがわかる前に、どうやって問題を立てればいいのか

確かにその通りでしょう。このように本書では、「考えるという行為」の難しさや不可思議さをあぶり出し、読者に問いかけるような形で「考えるという行為」の本質を探ろうとするのです。

本書には、人工知能につきまとう「フレーム問題」に関わる問題も出てきます。短く紹介するのが難しいのでこの記事では触れませんが、「R2D1」(「R2D2」ではない)というロボットを題材にした思考実験を紹介することで、人間の「考えるという行為」がいかに奇妙なものなのかを明らかにしていく内容です。

私たちが当たり前のようにしている行為は、実は複雑でややこしく一筋縄ではいきません。そんな大変な「考えるという行為」との向き合い方を改めて”考えさせてくれる”作品だと思います。

寄稿:ウエダ マコト, その他:野矢 茂樹
¥550 (2022/01/29 20:30時点 | Amazon調べ)

最後に

本書は横書きでイラストもついていて、文章もとても易しいです。見た目はとてもとっつきやすそうに感じられるでしょう。実際、文章をささっと追って読んだ気になるのも簡単です。

ただ、書かれている内容をきちんと理解しようと思ったら注意深く読まなければならないですし、読めば読むほど奥深さが伝わる作品だと感じられることでしょう。

さて最後に、「考えるという行為」そのものとは少しズレるかもしれませんが、現代社会を生きていく上で重要だと感じられる文章を抜き出してみたいと思います。

その意味では、共感よりも違和感や反感の方がだいじだ。
変なひとと出会う。変なものと出会う。そして、変な本と出会う。この本が、もしきみとって、ささやかでもそんな出会いのひとつになってくれたら、ぼくはすごくうれしいと思う

私も、本当にその通りだと感じています。私は普段から、できるだけ「共感」からは遠ざかるようにしていて、普通から外れているように思えるもの、批判的な意見も多数出ているものにも積極的に手を伸ばそうと意識しているのです。

「考えるという行為」にとっては、「共感」はむしろ邪魔になる、と理解しておくといいかもしれません。

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