【考察】映画『テネット』の回転ドアの正体をネタバレ解説。「時間反転」ではなく「物質・反物質反転」装置だ:『TENET』(クリストファー・ノーラン)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ジョン・デイビッド・ワシントン, 出演:ロバート・パティンソン, 出演:エリザベス・デビッキ, 出演:ケネス・ブラナー, Writer:クリストファー・ノーラン, 監督:クリストファー・ノーラン, プロデュース:クリストファー・ノーラン, プロデュース:トーマス・ヘイスリップ, プロデュース:エマ・トーマス
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

この記事の3つの要点

  • 「反物質」は、時間を遡る
  • 「回転ドア」を通ったものは、物質から反物質に変わるという設定のはず
  • 「量子力学の観測問題」から、「銃弾と壁」の謎を解く

ノーベル賞を受賞した科学者キップ・ソーンが監修しており、考察しがいのある映画です!

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「TENET テネット」には、「反物質」「観測問題」など、量子力学の知見が満載

量子力学的に「TENET テネット」を解説する記事です

この記事では、「TENET テネット」の内容にも当然触れるが、基本的には、この映画がいかに量子力学的に描かれているかについて書くつもりである。

私は「TENET テネット」を二度観に行った。一度目は何の予備知識もないまま、そして二度目は様々な考察サイトを読みまくってから観た。一度目も二度目も非常に面白かったし、私が元々理系の人間ということもあるので、そういう観点からも知的好奇心がバシバシ刺激される映画だった

この記事では、量子力学的な観点を踏まえ、なかなか理解しにくい「回転ドア」の設定から、作品に対する私なりの解釈まで書いていこうと思う

私は一応、割と有名な私立大学の理系学部に通っていたが、専門課程に進む前に中退しているので、量子力学に関する私の知識は、一般向けの本を読んで得たものだけだ。致命的な誤りはないと思うが、専門家ではないので、細部に間違った記述があるかもしれない。「映画好きの一個人の見解」程度に読んでもらえたらいいと思う

「陽電子」と「反物質」と「時間の逆行」

映画の中で、「陽電子」という単語が登場する場面がある。恐らく、文系の人にはまったく理解不能だろうし、理系の人でも量子力学方面に関心を持っていないと触れる機会が少ない単語かもしれない。

本書の私の主張は、

「TENET テネット」の回転ドアは「物質・反物質反転装置」だ

というものであり、「陽電子」は人類が初めてその存在を知った「反物質」である。なのでまずは、「陽電子」の説明から始めよう。

「陽電子」は、「電子」とほぼ同じ性質を持っているが、電荷だけが「電子」と逆でプラスである。発見された当初は「反電子」という名前だったが、今では「陽電子」という呼び方に変わっている。

「反電子(陽電子)」はアンダーソンという科学者が発見したが、その存在を予言していた人物がいる。ディラックという天才科学者だ。しかし彼は当初、結果的に自分が予言することになった「陽電子」なんてものを信じていなかった。では、ディラックはどんな経緯で「陽電子」を捉えたのだろうか?

当時ディラックが取り組んでいた課題は、「特殊相対性理論に量子力学を組み込む」という難問だった(とりあえず、特殊相対性理論や量子力学が何か分かっていなくても問題ない)。特殊相対性理論も量子力学も、それぞれ単体では素晴らしい予測や結果を生み出す見事な理論として知られていた。しかし、特殊相対性理論と量子力学を同時に使わなければならない場面では、残念ながらまったく使い物にならなかったのだ。

そんなわけで当時、特殊相対性理論と量子力学を同時に適用しても上手く成り立つような方程式を科学者たちは待ち望んでいた。そして、そんな待望の方程式を完成させたのが天才ディラックだったのだ。

その式はディラック方程式と呼ばれるようになり、その完璧な融合に誰もが唸った。しかしたった1つだけ問題があった。方程式を解くと解が2つ出てくるのだが、その一方が謎だったのだ。例えば、答えの1つが「電子」だとしたら、もう1つの答えは「電子」と電荷だけが異なるものなのだが、当初これが何なのか誰にも分からなかった。

ディラック自身も、自ら導き出した方程式の解であるのに、「電子と電荷だけが違う存在」など信じなかった。しかし、ディラックが方程式を生み出して数年後、アンダーソンが「陽電子」を発見した。科学では、発見までかなり時間がかかることも多いので、予言から数年というのはかなり早い。そのお陰でディラックは「陽電子の予言者」として生前にきちんと評価された。非常に運が良かったと言っていいだろう。

ディラックは、「自分の理論は自分よりも賢かった」と、自分で生み出した理論を自ら信じきれなかったことについて自虐的に語っている。

「陽電子」ように、ある物質と電荷だけが反対の物質を「反物質」と呼ぶ。そしてこの「反物質」は、実は、「時間を逆行」しているのである。どういうことか? 

「陽電子」というのは先程説明した通り、「プラスの電荷を持つ電子」だが、より正確に表現すると、「プラスの電荷を持ち、時間を順行している電子」である。そしてこれは、数学的には、「マイナスの電荷を持ち、時間を逆行している電子」と同じ、だそうである。

「だそうである」と書いたのは、私はこの辺りのことを詳しく説明できないからだ。しかし量子力学は、とにかく日常感覚からズレる話が満載なので、あまり難しいことを考えない方がいい。より詳しいことを知りたいという場合は、ネットで「ファインマン・ダイアグラム」と調べると、なんとなく理解できるようなことが書かれているかもしれない(「ファインマン・ダイアグラム」は量子力学を簡単に説明する画期的なものとして登場したが、それでも私にはなかなか難しい)。

要するに何が言いたいかというと、「反物質」は理論上「未来から過去へと時間を遡っている存在」だとみなしていいということだ。

これが、「陽電子」という単語が「TENET テネット」に登場する理由である。

「時間の逆行」は科学的にOKなのか?

ここまで、「陽電子」という単語を皮切りに、「反物質が時間を逆行している」ことを示したが、そもそも、「時間を逆行する」なんてことが科学的に許容されるのだろうか? と感じるかもしれない。

結論を書けば、問題ない。基本的に物理法則には、「過去から未来に時間が流れていなければならない」という制約はない。仮に時間が未来から過去に流れていたとしても、物理法則は同じように成り立つ。もちろん、現象そのものは逆回しのようになるだろうが、それでも我々は、同じ物理法則を使って予測したり結果を導き出したりできる、ということだ。

また、あの有名なアインシュタインも、タイムトラベルについて真剣に考えていたことがあると言われている。アインシュタインは、「もし光の速度よりも早く動けるとしたら、それは時間を遡ることになるはずだ」というようなことを思い巡らせていたそうだ。

ただしそもそもアインシュタイン自身が導き出した「特殊相対性理論」(ディラックのところで少し出てきた)には「光速不変の原理」という「光より速く移動できない」というルールが存在する。さて、アインシュタインが考えていたタイムトラベルは理論上可能だろうか?

実は、量子力学的な発想を組み込むことで光速を超えられる可能性が出てくる。ヒントになるのは、「不確定性原理」である。

ここで、マジシャンの話をしよう。マジシャンは様々なテクニックを駆使して観客を騙す。例えば、右手に持っていたはずのコインが左手に移るなど朝飯前だろう。観客は、いつどのタイミングでどうやってコインが移動したのか分からない。しかし現に、コインは右手から左手に移動している。

この場合、「右手から左手にコインが移動している間のことは、観客は観測できなかった」と表現していいだろう。

同じようなことが量子力学の世界でも起こる

量子力学には「プランク時間」と呼ばれるメチャクチャ短い時間が存在する。数字で書くと、「5.391×10のマイナス44乗秒」である。とにかく短い時間っぽいということは分かるだろう。そしてこの「プランク時間」より短い時間で起こることに関して、理論的な制約は受けないのである。

よく分からないだろうから、先程のマジシャンの例を再び出そう。まず、マジシャンは実際に右手から左手にコインと飛ばしているとしよう(2枚持っているみたいなトリックは無し)。そして人間の目は、右手から左手へのコインの移動が0.1秒以下なら見破れない、とする。

この場合、もしマジシャンが失敗して、コインの移動に0.2秒掛かってしまえば、観客は「あ、今コインを右手から左手に飛ばした」と見えることになる。しかし一方で、0.1秒よりも短くコインを飛ばせば、観客の目には見えない。

これと同じようなことが量子力学の世界でも起こる。「プランク時間」よりも長い時間で起こることに関しては、物理法則の制約を受ける。つまり、光速よりも速く移動はできない(「特殊相対性理論」による制約)。しかし、「プランク時間」よりも短い時間で起こることに関しては物理法則の制約を受けず、つまり光速より速く移動しても科学のルール違反にはならないのだ。

この記事の趣旨から外れるので、これ以上深くは書かないが、例えば「仮想粒子」や「トンネル効果」などで検索してもらえれば、「プランク時間」よりも短い時間で起こる現象が存在することは理解できるはずだ。

さて、何が言いたかったと言えば、「特殊相対性理論」によって光速より速く移動することは禁じられているが、「プランク時間」より短い時間なら光速を超えてもOKで、そしてもし光速を超えられるなら、それは時間を遡っていることになる、ということだ。

我々人間が実際にタイムトラベルを行うことはなかなか難しいが、少なくとも物理法則においては、過去へのタイムトラベルも禁じられていないし、物理法則は時間が遡っても同じように成立するのである。

だったらなぜ、時間は過去から未来へと流れているように感じられるのだろうか? この辺りのことは、科学者もまだ研究中のはずだが、古くから言われているのは「エントロピー」との関係である。しかしこの「エントロピー」に関しては後で触れよう。

「回転ドア」は「物質」を「反物質」に変換する装置?

映画の中で「回転ドア」のようなものとして登場するのが、時間反転装置だ。詳しい仕組みの説明はほとんどなされず、普通に映画を観ている人は、「あの回転ドアを通ると時間が逆行する」という理解になるだろうと思う。

しかし、恐らくそうではない。というのも、映画の中で主人公が、

こちらの世界の自分自身には接触しないで。対消滅して大爆発を起こすから

と忠告を受ける場面があるからだ。「対消滅」とは一体なんだろうか?

実はこれは、「物質」と「反物質」が接触した場合に起こる現象である。例えば、「電子」が「陽電子」とぶつかると「対消滅」が起き、「電子」も「陽電子」も消えて無くなるだけではなく、大爆発が起こる。

この映画では、実際の物理法則は無視して、「物質の自分」と「反物質の自分」が出会うことで「対消滅」が起こるとされているようだ。しかし実際には、「物質でできた何か」が「反物質でできた何か」と接触すれば「対消滅」が起こるはずだ。それを厳密に適用してしまうと、「反物質化した主人公」は「反物質でできたモノ」にしか触れなくなってしまい映画の展開に支障が出るので、その制約を緩めているのだろう。

いずれにせよ、「対消滅」という単語が出てくるので、「回転ドアを通った物質が反物質に変換される」という仕組みで間違いないと思う

この理解でも実はまだまだ問題はあるのだが、その説明の前に、一度目観ている時にはこの「回転ドアのそもそもの機能」が理解できなかった、という話をしよう。

「TENET テネット」はとにかく情報が多すぎて、何がどうなっているのかがまるで理解できない。一度目の時点でとりあえず、「回転ドアを通ると時間が逆行するのだろう」というところまでは当然分かったが、彼らがその回転ドアを使って何をしていたのかがまったく分からなかった

そして、一度目を観終えた後、映画館から帰る道筋で散々考えて、ようやく、「彼らはこの回転ドアを使って過去に向かっていた」ということが理解できた

つまりこういうことだ。「回転ドア」を通ると時間が逆行する、つまり、その状態で1週間過ごせば1週間過去に戻れる、という設定さえ、一度目を観ている最中には理解できなかったのである。だから、爆発炎上している飛行場にキャットを連れて何をしようとしていたのかとか、カモメが逆に飛ぶのが窓越しに映る船内にいる目的などは、映画を観終えて散々考えてようやく理解できた。

難しすぎるだろ。

「目に入る光の向きが変わる」という私の仮説

しかし、回転ドアが物質・反物質反転装置だとしても、問題は解決しない。なぜならその設定の場合、「回転ドアを通ったものしか時間を遡らない」ことになるからだ。

しかし、回転ドアを通った主人公は、鳥が逆に飛んだり、風が逆に吹いたりといった視覚を経験する。鳥も大気も回転ドアを通っていないのだから「反物質」ではなく「物質」のはずだ。それなのになぜ、時間を逆行しているのだろうか?

この点に関して散々考えた挙げ句、私なりの仮説を導き出せた。それが、「目に入る光の向きが変わる」というものだ。どういうことか。

回転ドアを通ると反物質になるということは、目も反物質に変わるということだ。反物質に変わると時間を遡るのだから、通常なら「目の外側から光が入る」が、反物質の目の場合は「目の内側から光が出ていく」のではないか。私はそんな風に考えた。

もちろん、「見える」というのは「外から入った光を網膜がキャッチすること」だから、「目の内側から光が出ていく」となると、「何も見えない」ということになるかもしれない。しかしそういう科学的な厳密さは置いといて、「目の外側から光が入る」=「世の中の現象が順行に見える」とすれば、「目の内側から光が出ていく」=「世の中の現象が逆行に見える」ということなのではないか、と考えたのだ。

つまり、鳥は実際には逆に飛んではいないのだが、反物質の目を持つ主人公の脳内では逆に飛んでいるように見える、ということだ。

ここには、この映画を理解するための大事なポイントがある。「TENET テネット」の場合、順行も逆行もすべて一つの世界の中で起こっているということだ。並行世界みたいなものがあるわけではない。

例えば、1月1日に私が渋谷のスクランブル交差点を歩いているとする。そしてその1週間後の1月7日に回転ドアに入り、そのまま1週間待って渋谷に行くと、そこにはスクランブル交差点を歩いている私がいるのだ。つまり、「1月1日の私」と「1月7日に回転ドアに入り1月1日まで戻った私」は、同じ世界の中に存在するのである。

同じ一つの世界の中で違う現象(「鳥が前に飛ぶ」と「同じ鳥が後ろに飛ぶ」)が同時に起こることはない。だからこそ、鳥はある一つの行動を取っているのだが、立場によって見え方が違う、とならなければおかしい。であれば、私が考えた「反物質の目は、光を目の外に出す」という考え方も、大きくは外していないだろうと思う。

しかしこの解釈でも、まだ問題があるのだ。映画のかなり冒頭で登場した、研究所らしき施設で出てきた「逆行弾」の存在である。

「反物質製のモノに初めて起こること」と「エントロピー」の関係に関する仮説

研究所では、机の上に置かれている拳銃の弾が、主人公の手のひらに勝手に載る(これをビデオカメラで撮影し逆再生すると、主人公が手のひらに載せた弾を机に落としているような映像になる)。

この研究所にいる時点ではまだ、主人公は回転ドアを通っていない。つまり、「反物質の目」にはなっておらず、上述の仮説が通用しない。それなのに、拳銃の弾は逆行する動きを見せている。

この点に関して私は、「反物質製のモノが、その世界で初めて起こることを経験する場合、エントロピーが減少する現象として観察される」という仮説を考えた

「エントロピー」の説明は後でする。まず「初めて起こる」に触れよう。

「反物質の目」で捉える現象は、「その世界で既に起こったこと」であるはずだ。回転ドアを通った時点で「反物質の目」になり、そこから時間が遡るのだから、「反物質の目」は、「過去に起こった現象を逆回しに捉えている」ということになる。つまり、上述の「反物質の目」の仮説は、「既に起こったこと」に適用できるものなのである。

しかし、回転ドアを通った反物質製のモノが目の前に存在する場合、その反物質製のモノは初めての出来事も経験する。先程の、「机から手のひらに弾が戻る」という現象も、主人公が研究所にやってきたことで、初めてこの世界で起こったことだ。

そしてそういう初めてのことが反物質製のモノに起こった場合は、「エントロピー」が減少する現象となる、というのが私の仮説である。

「エントロピー」については、既に名前だけ出している。なぜ人間は時間の流れを感じるのかという説明の中で、「エントロピー」が関係すると考えられている、という風に軽く説明した。

この「エントロピー」は「乱雑さ」とも訳され、熱力学第二法則として有名な科学法則では、「エントロピー(乱雑さ)は時間と共に増大する」ことが知られている

子ども部屋を考えてみよう。最初は母親が綺麗に整頓しているが、子どもが遊ぶことで部屋の中は汚く(乱雑に)なる。これが「エントロピーが増大した状態」である。そしてエントロピーは、勝手には減少しない。子ども部屋であれば、「お母さんの片付け」という労力(エネルギー)を掛けなければ部屋は綺麗に(エントロピーが低い状態に)はならない。

そして、「エントロピーが増大する方向こそが、時間の矢印の向きである」という解釈がなされることもある。しかしこれも、「時間の流れが存在する理由」としては不十分だ。確かに、「エントロピー」と「時間の流れ」には何か関係があるだろうが、エントロピーが増大するから時間の流れが存在するのかどうかは不明だ。

ただし、一つ確実に言えることは、「エントロピーが減少する方向が、時間が逆行する向きだ」ということである。

時間が順行に進んでいる場合、エントロピーが低い方向から高い方向にしか現象は起こらない。「手のひらに載せた弾を床に落とす」という動作も、「エントロピーが低い状態」から「エントロピーが高い状態」への運動である(どちらの状態のエントロピーが高いかは、逆向きの現象が勝手に起こるかどうか、という観点から考えれば分かりやすいだろう)。

そして、反物質製のモノに初めての出来事が起こる場合は、まさにこの逆、つまり「エントロピーが高い状態」から「エントロピーが低い状態」への運動が起こるのではないか、というのが私の仮説である。これはまさに「エントロピーが減少している」ということであり、反物質が時間を遡る、という話とも合致している。

ちなみに、この映画の中で「エントロピー」が最も強く意識される場面がある。それが「ガソリン爆発による低体温症」である。通常、ガソリン爆発が起これば「熱」が発生し、「火傷」を負う。しかしこの場面では、エントロピーが高い状態から低い状態への運動となるので、「熱の発生」とは反対の「冷却」が起こり、それによって「低体温症」になってしまうのだ。よく考えるものだと思う。

「エントロピー」を考えることで、研究所での「手のひらに銃弾が戻るシーン」は解決するし、「銃弾の打ち込まれた壁から拳銃に銃弾が戻るシーン」も、概ね解決するだろう。拳銃も銃弾も反物質製だとすれば、「拳銃から発射された銃弾が壁に打ちこまれる」の逆、つまり、「銃弾の打ち込まれた壁から拳銃に銃弾が戻る」こそが「エントロピーが減少する」運動だとなるからだ。

ただ、この「銃弾と壁」にはまだ謎がある。「壁に打ち込まれた銃弾は一体どこからやってきたのか?」という問題だ。「普通に考えれば、その銃弾は、壁に打ち込まれる前は別の場所にあったはずであり、ならばどこにあったのか問うことができるはず」だと私は思うのである。

そしてこれに関しては、量子力学の「観測問題」の考え方が使えるかもしれない。

「銃弾と壁」の謎を「量子力学の観測問題」から考える

この項の解釈のベースとなる部分は、「TENET テネット」に関して別の方と議論している中で出てきたもので、私のオリジナルではない。

量子力学には、「二重スリット実験」と呼ばれる非常に有名な実験がある。詳細は是非検索してほしいが、とにかく科学史上最も不可思議と呼んでいい実験だ。

そしてその実験から、「人間が観測することで、『出来事が起こるかどうか』が確定する」という、非常に理解不能な説明が登場することとなる。これは要するに、「ドアを開ける人を私が観測した」ではなく「私が観測することによってその人はドアを開けた」と主張するようなものだ。非常に奇妙な結論だが、しかし量子力学の世界では、このような説明でなければ理解できない現象が存在している。

そしてこの「観測問題」の考え方を使うことで、「銃弾と壁」の問題が解き明かせるかもしれないということだ。

「銃弾と壁」の問題をおさらいすると、「壁に打ち込まれた銃弾は一体どこからやってきたのか?」である。しかし、「観測問題」の考え方からは、この問いそのものが間違っているということになる。実際には理屈を逆転させて、「壁に打ち込まれた銃弾を観測したから、銃弾は拳銃に戻ることができる」と解釈すべきというわけだ。

つまり、「壁に打ち込まれた銃弾は一体どこからやってきたのか?」という問いは「答えのない無意味な問い」だということだ。そして、「壁に打ち込まれた銃弾を観測したから、『拳銃から壁に向かって銃弾が発射された』という出来事が確定し、だからこそ壁から拳銃に銃弾が戻る」と考えるべきだ、ということである。

しっくりこない部分も残るのだが、この解釈を採用すると理解できるシーンも多く存在する。空港での戦闘時に「銃弾が打ち込まれたガラス」を観測したから、主人公が拳銃を打つという出来事が確定するとか、最後の戦闘シーンで「既に爆破されたビル」を観測したから、戦闘員がビルを破壊するという出来事が確定する、などだ。

原因と結果がねじれているのだが、「結果が起こったことを観察するからこそ、原因が発生したことが確定する」という「二重スリット実験」が示唆する結論を受け入れると、色んなシーンが理解しやすくなるのも事実である。

「観測問題」を利用した「回転ドア」の不思議の解消

「TENET テネット」の回転ドアには、「入った人間が2人とも消える」や「同じ人物が同時に2人出てくる」など、普通には理解できない現象が起こる。これは量子力学の「対生成・対消滅」という現象と対応しており、まさにこれこそ、冒頭で少し名前を出した「ファインマン・ダイアグラム」と関係してくるものだ。

この「2人消える」「2人出てくる」については、色んな考察サイトを読んでも全然理解できなかったが、「ファインマン・ダイアグラムのことです」と言われてようやく分かった気になれた(ファインマン・ダイアグラムそのものをちゃんと理解していないので、あくまでも「分かった気」でしかないが)。

「対生成・対消滅」についてはここでは詳しく説明しない。とりあえず、そういう現象が量子力学の世界には存在するのだな、と思ってもらえればいい。「対消滅」「対生成」が「回転ドア」で起こることで「2人消える」「2人出てくる」という見え方になるというわけだ

さて私にはさらに、映画を観ていてイマイチ理解できないことがあった。それが、「この回転ドアに扉が2つ無ければならない理由」だ。私の仮説通り、物質・反物質反転装置だとすれば、別に扉は1つでいいだろう、と思う。しかしこれも、「対生成・対消滅」の考え方で理解できるのだ。

というか、「対生成・対消滅」が起こらなければ「反物質」が生まれない、という理解でいいかもしれない。正確な表現ではないが、「対生成」が起こることで「2人出てくる」ことになり「反物質」に変換される、そして、「対消滅」が起こることで「2人消える」ことになり「物質」に戻る、みたいなざっくりしたイメージでいいだろう。いずれにしても出来事が「2人」に同時に起こる必要があるので、扉も2つなければならないのだ。

で、この回転ドアに入る前の注意として、「もう一方の扉に自分が入っていくか目視しろ」というものがある。これも、考察サイトを読んでもあまり理解できなかった点だが、「観測問題」という視点を教えてくれた方の説明で理解できた。

つまり、「もう一方の扉に自分が入っていくことを観察する」ことで「自分がこの扉に入るという出来事が確定する」というわけだ。これもまた、原因と結果の順番が逆になっている奇妙さ故の理解できなさということだと思う。

「回転ドア」そのものの謎

「回転ドア」や「時間の逆行」などに関する最後の疑問として、「回転ドア」そのものの謎を取り上げようと思う。

そもそも、なぜこの回転ドアは「現代」に存在するのだろうか? 基本的な理屈は決して難しくない。この「回転ドアの部品」を、別の回転ドアに通して反物質化させれば、理論上その反物質は「過去」に向かうことができる。反物質化させた部品を組み立てれば、「現代」に回転ドアを送ることは、原理的には可能だ。

しかし、実際にそんなことができるだろうか?

映画の中で具体的には触れられていなかったが、この回転ドアを作ったのは、かなり遠い未来の人たちではないかと思う。彼らが回転ドアを作った理由は、環境破壊などによって地球が壊滅的な被害となり人間が住めなくなっていることによる危機感からだ(時間を巻き戻すことで現実に対処しようとしている)。そして、かなり高い技術力がなければこの回転ドアは作れないだろう。少なく見積もっても今から100年ぐらいは先の未来で作られたのではないか、と私は考えている。

そしてこの回転ドアの仕組みは、同じだけの時間を遡れば過去に行ける、というものだ。例えば今から100年後に回転ドアが開発され「過去(我々からすれば「今」)」へ送る計画が立てられたとして、その実現には100年という長い時間が掛かる

回転ドアを通したモノ(反物質化したモノ)を未来から過去に送るには、ざっと2つ方向性が考えられるだろう。「同じく回転ドアを通った人間が持っていく」か「どこかに埋めておく」かである。

100年掛かるとしたら、複数人によるリレー形式だとしても「人間が持っていく」のはなかなか難しいだろう。しかし「埋めておく」というのもそう簡単ではない。100年間、その地層に何も起こらなかった場所を探さなければならないからだ。例えば「埋めた場所」が、「過去100年の間に土砂崩れを起こしたが、きちんと対策が取られた場所」だとしよう。分かりやすいように具体的に設定する。

2121年から2021年に部品を運ぶとしよう。そして、2121年にA地点に埋めたとする。しかしこのA地点では、2025年に土砂崩れが起こり、その後きちんと埋め戻された。この場合、土砂崩れが起こったことを知らずにいたら、埋めたものは壊れてしまうかもしれない。2121年から2026年までは無事だが、2025年に土砂崩れ(の逆の現象)が起こるからだ。

100年間何事も起こらずに安全に埋めておける場所、というのは、結構探すのに苦労するだろう。ある土地の100年分の記録をチェックしなければならないからだ。

回転ドアを通したものを過去に送ることは、原理的には可能だ。しかし現実的には難しいのではないか、と感じた。そういう回転ドアが、「現代」に複数個存在するので、さらにその苦労は倍増するだろうと思う。まあ、フィクションなのだから、こんなに厳密に考える必要はないのだけれど。

「時間の逆行」に関係する余談

科学的な話は以上にして、あと2つ、この映画の「逆行」に関して個人的な感想を書いて終わろうと思う。

まずは、2度目に気づいたある矛盾について。この矛盾は恐らく、制作側が意図しているもので、たぶんミスではない。映像的な分かりやすさを優先したのだろうと感じた。

それは、「喋った音声は、逆行時にどう聞こえるか?」に関するものだ。

まずはカーチェイスの場面。ここで「順行主人公」が「これエストニア語だろ?」と言う場面がある。しかしこれは実は、逆行の人が喋っている言葉が逆再生に聞こえるからエストニア語だと感じた、ということが後で分かる。

つまりこのカーチェイスの場面では、「逆行の人間が喋ると、逆再生したような音声になる」という設定というわけだ。

一方、キャットが撃たれる場面では違う描写になる。ここでは、ガラスを挟んで反対側にいる「逆行セイター」が喋ると、逆再生にはならず、「音声が聞こえた後で口が動く」という描写になっている。

つまり、同じように「逆行の人間が喋る」という場面なのに、「逆行」の描き方が異なる、ということだ。

ただこれは、演出の問題だと分かる。「音声しか聞こえない電話において逆行であることを伝える」ためには逆再生しかない。一方、キャットが撃たれるシーンでは、セイターがなんと言っているのかが聞き取れなければ意味がない。そのためこのような違いが生まれているのだろう。

ただ、実際に時間が反転したら、どちらの現象が起こるのだろう? と考えるのは楽しい。私は恐らく、逆再生だろうと思う。「口を開く動作」と「音声を発する行為」はほぼ同時に起こるので、逆行したからといってそこにズレが発生するのはおかしい、と感じるからだ。しかし逆再生が正しいとしたら、順行の人間と逆行の人間では会話が成り立たないことになり、それはそれで寂しい。

さて最後に、2度目に観に行った時の鑑賞ポイントについてだ。私は、「逆行中の演技」に注目していた

クリストファー・ノーランという監督は、可能な限りCGを使わないことで有名だ。だから、「主人公は順行で動いているが、鳥や風が逆行しているシーン」というのは実は、「主人公に逆行で演技してもらい、それを逆再生している」のである。

1度目を観に行った後、様々な考察サイトをまわったが、その過程で、主人公のインタビューも読んだ。そこには、「まばたきが一番難しかった」と書かれていた。「逆再生にした時に自然なまばたきに見えるような演技が難しかった」という意味だ。なるほど、これは興味深いと思い、2度目は、「登場人物が逆の動きをしているだろう場面」を特に注目して見た。

激しい戦闘の場面などは、1度目に見た時から多少不自然な動きを感じていたが、2度目に見てもまったく違和感がなくて驚いた場面も多くある。船上で懸垂をしている場面なんかもそうだ。画面の中では、鳥が逆に飛んでいるので再生の映像であることは間違いないのだが、主人公が行っている懸垂は普通に自然に見えた。こういう苦労が随所にある映画なのだろう、と感じた。

出演:ジョン・デイビッド・ワシントン, 出演:ロバート・パティンソン, 出演:エリザベス・デビッキ, 出演:ケネス・ブラナー, Writer:クリストファー・ノーラン, 監督:クリストファー・ノーラン, プロデュース:クリストファー・ノーラン, プロデュース:トーマス・ヘイスリップ, プロデュース:エマ・トーマス
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最後に

私は結局まだ2回しか観ていないが、機会があればまた鑑賞したい。恐らく、見る度に新たな発見があるのではないかと思う。

この映画では、「インターステラー」の監修も行った物理学者のキップ・ソーンが関わっている。映画を見る前からその情報だけは知っていたが、まさかこれほどまでに物理ネタオンパレードの設定だとは思わなかったので驚かされた。

新しい作品を生み出す度に驚かせてくれるクリストファー・ノーランが、次にどんな映画を撮るのか、また楽しみでならない

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