【葛藤】部活で後悔しないために。今やりたいことをやりきって、過去を振り返らないための全力:『風に恋う』(額賀澪)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「全力で打ち込む」ことを咎めようとする大人のことは無視しろ!

犀川後藤

それがなんであれ、「やりたくてやりたくて仕方ないこと」を持っている人間は強いよ、ホント

この記事の3つの要点

  • 「ブラック部活動問題」に正面から向き合った物語
  • 「過去の栄光」に囚われた大人が、生徒に偉そうなことを言えるのか? という葛藤
  • 今日が良いかどうかを決めるのは、明日以降の自分だ
犀川後藤

社会に出ると否応なしに問われる、「お前は一体何ができるんだ?」って問いは辛いです……

この記事で取り上げる本

「風に恋う」(額賀澪)

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

全力で打ち込めるものがあるか?

この作品のテーマの一つは、「ブラック部活動問題」です。かなり厳しい練習で生徒を追い込むことが一時期問題視されたことで、状況は以前より改善したのだろうと思います。

しかし、「働き方改革」などとも通じることでしょうが、この指摘からは「やりたくてやっている人間はどうすればいいのか?」という別の問題も生まれます。「無理やりやらせるのは止めよう」と「やりたい人間には徹底的にやらせよう」は、残念ながらなかなか両立しません。

大人の言っていることは無視でいい

確かに高校を卒業してからも音楽を続ける奴は一握りだよ。やめる奴が大半だよ。確かにそうだよ。なのに必死に練習してるんだよ。勉強も受験も将来もコンクールのことも、二十年も生きていない子供が必死に悩みながら一生懸命やってるんだよ。親や担任に「部活ばかりやるな」って言われて、自分でもその通りだって思いながらそれでも音楽をやろうとしてるんだよ

この作品で描かれている葛藤の核となる部分は、この引用で表現できるでしょう。確かに、学生時代の部活動でやっていたことを、大人になっても継続し続ける人は、それが趣味であれ仕事であれ多くはないでしょう。大半の人は、かつてどれだけ力を注いでいた部活動であっても、大人になあれば止めるものです

この作品で取り上げられるのは部活動ですが、私は勉強も同じだと考えています。学生時代に行う勉強(つまり、試験のための暗記や大学時代の卒論の研究など)だって、大人になって同じことを続ける人はほんの一握りでしょう。

犀川後藤

勉強はやればやるだけ人生の役に立つ、と思うかもだけど、別に部活動でも同じだと思うし

いか

それがなんであれ、全力で打ち込んだ経験があるかどうか、ってことだからね

部活動なんかに打ち込んでも就職の役に立たないとか、そんなことしている暇があるなら勉強をしろとか、大人は知ったような口で色んなことを言うでしょうが、そんなのは無視していいと私は思います。

「後悔するかどうか」なんて、今は分からない

君等が千学を卒業するとき、大学に入ってから、社会人になったとき……その先もだけど、とにかく、先々で「あのとき部活なんてやってなかったら」って思ってほしくない

この作品では、指導者側の葛藤も描かれます。

少しだけ物語の設定に触れましょう。

千学というのは、かつて吹奏楽の強豪校だったが、今は何年も全日本コンクールに進めていない。しかしそんな千学に、かつて吹奏楽部の黄金時代を築いた不破瑛太郎が指導者として戻ってきた。

生徒は、「あの千学で、あの不破先生から教われる」と期待しながら一層の熱を込めたいと思っている。しかし不破は、時代背景や自分の今の境遇も踏まえつつ、生徒たちにかつての自分と同じように部活動に打ち込ませていいものか葛藤する。

不破のこの葛藤が、全編を通じて描かれます。彼は母校を再び強豪校にするために戻ってくるのですが、不破は今、

じゃあ他に何をしたいのか、何になりたいのか、未だにわからない。強いて言うなら、吹奏楽の世界で、ずっとコンクールを目指していたかったのかもしれない。ずっとずっと、森崎さんが密着していた頃の自分でいたかったのかもしれない

という状況にいます。高校時代の不破はスターでした。しかし今はくすぶっているような状況で、ある意味では高校時代が人生のピークと言えるような状態です

そんな自分が、「あの千学で、あの不破先生から教われる」と期待する若者たちに、「部活に打ち込め」なんて言っていいのか?

確かにこれは、不破じゃなくても悩んでしまうでしょう。この作品は、表向きのテーマとしては「ブラック部活動問題」なのですが、実際のところは、「部活動に打ち込みたい生徒と、『打ち込め』と心の底から言えない指導者の葛藤の物語」と言っていいでしょう。

いか

あんたならどうする?

犀川後藤

私が不破の立場なら……うーん、悩んじゃうなぁ

全力で打ち込める何かがある羨ましさ

悩んでしまいますが、それでも私は、「全力で打ち込みたい」という生徒に対しては「全力でやれ」と言うのではないかと思います

何故なら、「全力で打ち込める何か」があるというのは、非常に得難いことだと感じているからです。今の私はとにかく、「何かに全力で打ち込めること」に羨ましさを感じます

いか

何もないの?

犀川後藤

そうねぇ、他人から見たら「ある」ように見えるかもしれないけれど、私の感覚としては「全然ない」って感じ

子供の頃は勉強ばかりしていましたし、大人になってからは本ばかり読んできました。どちらも、他の人からすれば、「よくそんなにやれるね?」と感じるぐらい時間を費やしてきたと思います。しかし私の感覚としては、勉強も読書も「逃げるため」の行為でしかありませんでした。

心の底から沸き上がるような欲求からではなく、「いろんなめんどくさいこと、耐えられないこと、辛いことから逃げるために勉強・読書に打ち込んでいた」というのが正しいです

今まで本当に、「心の底からこれがやりたくて仕方がないと感じるようなこと」に出会えたことがありません。だから、そういう何かを持っているように見える人が羨ましくて仕方ありません。

どんなことでも構いません。世の中には、自分の好きを突き詰めることでお金を稼げる人もいると思いますが、そういう類のものである必要はありません。一銭のお金にならなくても、むしろお金が出ていく一方であったとしても、打ち込める何かがあるといいなとずっと感じてきました。

まったく偏見でも嫌味でもなく、私は「オタク」の人が羨ましいといつも感じています。それがアニメでもアイドルでもマンガでもなんでもいいのですが、「これにお金をつぎ込むために働いている」みたいな感覚の人はたくさんいるでしょう。そういう人の存在を知ると、自分もそっち側になりたかった、といつも思います。

犀川後藤

何かハマれそうなものに出会っても、「どうせお前はすぐ飽きるんだろ」みたいなもう一人の自分の声が聞こえてくる……

いか

そういう声が聞こえちゃうと、自分でブレーキ掛けちゃうよね

大人になると、「お前は一体何ができるんだ?」と無言で問われる

大人になって日々感じることは、「お前は一体何ができるんだ?」と、あらゆる場面で問われているような気がしてしまう、ということです。もっと言えば、「お前はこの集団にどんな利益をもたらしてくれるんだ?」という視線を感じてしまいます。

そして、そういう無言の問いかけに直面する時、自分には何もないことを改めて突きつけられるような気がして、しんどいさが募ります

仕事において目に見える成果を出し続けられる有能な人ではない場合、「お前は一体何ができるんだ?」という問いには、「心の底からこれがやりたくて仕方がないと感じるようなこと」を答えるしかありません

今の時代、まさにそれが求められていると強く感じます。それが一般的な仕事では役に立たないようなことであっても、他の追随を許さないほどのめり込んでいる何ががあれば、そこを起点として社会に関わることができる時代なのです。

そして世の中は、ますますそういう方向に進んでいくと私は感じています。「AIが人間の仕事を奪う論」が正しいかどうかはともかく、AIの方が有能である状況は今後ますます増えていくことでしょう。

そういう世の中で求められることは、「あなたがどこまでも深く潜っていける領域って何?」という問いに答えられるかどうかだと私は考えています。そして、私はその問いに答えられないので、これからも社会とはうまく関わっていけないでしょう。残念。

お前が歩いてきた道を、正しい道にしろ

この言葉は、まさに激変の時代を生きる者たちに贈られるべきだと感じます。これまでは、「未来に正しい道を歩けるために、今から正しい道を進め」という時代だったでしょう。良い大学に行き良い企業に就職して……というロールモデルが正しいと信じられていた時代には、それが間違える可能性の少ない正解だったことでしょう。

しかし今は違います。これから未来がどう変わるかは誰も分からないし、様変わりする未来に対して今から準備できることはそう多くありません。だからこそ、「今まで歩いてきた道を、どうやって正しかったことにするか」という逆転の発想が必要になるのです。

いか

こういう考え方は、学校で教えてほしいよね

犀川後藤

まあでも、大体の先生には期待できないだろうなぁ……

そしてその時に人生を支える核となるのは、「自分が何に全力を注ぎ込めたか」でしょう。だからこそ私は、不破と同じ立場に立たされた時に「全力でやれ」と言うのではないか、と考えています。

全力で打ち込もうとする子供を止めるような大人にはなりたくない

だって……だって演奏できなかったことがこんなに悔しいんだ。最後までやり切って、全部、手に入れてやる

何度でも書きますが、本当に、こんな感覚を抱ける対象に出会えていることが、私は羨ましくて仕方がありません。そして、そんな人間がいたら、「徹底的にやれ」と言える大人になりたいと思います。

ただ、冒頭でも書きましたが、この作品の表向きのテーマは「ブラック部活動問題」です。色んな問題が入り混じっているでしょうし、問題の本質は学校の指導者側にあるのだと思いますが、「親が子供にあまり部活をさせたくないと考える」というのも、ある意味で同じ問題の枠組みに入るのではないか、と私は考えています。

親としても、これまでのロールモデルを正しいと信じたいでしょうし、勉強して良い大学に行って……という人生を子供に望む気持ちも分からないではありません。しかし、それでは世の中を生き延びられないだろう時代が、もうすぐそこまでやってきていると私は考えています。

勉強をすることより、「止めようと思っても止められないほど熱中してしまうことに打ち込むこと」の方が、遥かに大事かもしれないと、私は考えています。

犀川後藤

異才と言われる人は、子供の頃に親から「止めろ」って言われなかった、みたいな話を聞くこともあるし

いか

全員に当てはまることじゃないかもしれないけれど、確かにって感じもするね

様々な葛藤の中で、不破は生徒たちにこんな言葉を掛けます。

君達も、よく覚えておくといい。今日という時間がどれだけいいものだったかを決めるのは、明日以降の自分だ。だから、今日のためだけに生きるなよ。明日の自分のために生きろよ

今日のことなんて、さっさと忘れてしまえ。忘れてしまえるくらい、いい人生を送ってくれ

今の自分のあり方に後悔している不破だからこその言葉だと言えるでしょうし、同時にこの言葉は、受け取る側をマイナスの感情で縛らない前向きなものだとも感じます。特に、「今日が良いかどうかを決めるのは、明日以降の自分だ」という言い方は、素敵だなと思います

止めろと言われても止められないほど打ち込みたい何かがある人は、不破のこの言葉を胸に抱きながら、他の追随を許さないほどに全力でやり続ける選択をしてみるのもいいかもしれません。

本の内容紹介

ここで改めて本の内容を紹介します。

文藝春秋
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茶園基は、小学生の時に決めた。吹奏楽をやると。そう決めさせたのが千間学院高校(千学)だ。テレビで取り上げられた千学の吹奏楽部を見て、絶対にここに入ると決めた。そして彼は、“かつて”憧れていた千学に、入学を果たす。

茶園は、疲れ切っていた。中学時代、吹奏楽漬けの毎日を送っていたのに、一度も全日本コンクールに出場できなかった。すべてを犠牲にして打ち込んだのにこれ以上何をすればいいのか分からなくなり、彼は、二歳年上の幼馴染で千学の吹奏楽部の部長になった鳴神玲於奈に、吹奏楽部には入らないと伝えるのだ。

茶園と鳴神は、千学で一緒に全日本を目指そうと約束していたのだが、吹奏楽を止めると茶園が決めたことで、彼らは道を違えるはずだった。

状況が変わったのだ。千学に、あの男が戻ってきた。茶園を吹奏楽に引きずり込んだまさに張本人。千学の黄金時代を支えた部長であり、茶園が釘付けとなったドキュメンタリー番組でまさに中心にいた人物。

不破瑛太郎が、強豪校ではなくなって久しい千学に指導者として戻ってくることになった。

不破の存在は、茶園の気持ちを大きく変え、入部を決意させた。しかし吹奏楽部は緩みきっていた。現状を知った不破も、抜本的に何かを変えなければ、全日本コンクールなんて夢のまた夢だと分かっていた。

不破は荒療治を敢行する。なんと、一年の茶園を吹奏楽部の部長に据えたのだ。その日から、激動の日々が始まるのだが……。

本の感想

時々泣かされてしまうほど、グッと来る物語でした。物語全体は「王道の部活小説」という感じがするのですが、教育現場における部活動の現実的な問題を無視せずに組み込んでいく感じが、非常に現代的だなと感じました。

部活動にただ熱中するだけではなく、生徒を取り巻く環境や時代の変化、そして指導者である不破の葛藤などが絶妙に織り込まれ、「全日本コンクールを目指す」というだけではない、ある意味で社会問題を切り取るような側面も持つ小説に仕上がっています

今まさに部活動に打ち込んでいる中高生が読んでももちろん様々なことを感じさせる物語だと思いますが、不破瑛太郎の存在によって、大人にも考えさせる物語になっています

「今まさに部活動に打ち込んでいる若者」を活写するだけではなく、「かつて部活動に全力を注いだ人物が、不甲斐なさを抱えながら大人になり、指導者として様々な葛藤に苦悩する」という設定に、様々な状況に置かれている大人が何かを重ね合わせて読んでしまうのではないかと感じます。

文藝春秋
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最後に

不破瑛太郎が、ある種の自己矛盾を抱えながら、どのように生徒と向き合っていくのか。そして、そんな彼がどんな結論にたどり着くのか。

「分かりやすい正解」がどんどん消えていく社会の中で、葛藤を抱えながらどのように折り合いをつけていくのかという過程は非常に読み応えがありますし、「全力で何かに打ち込むことの大事さ」みたいなものも改めて実感できる作品ではないかと思います。

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