【感想】映画『野火』は、戦争の”虚しさ”をリアルに映し出す、後世に受け継がれるべき作品だ

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:塚本晋也, 出演:リリー・フランキー, 出演:中村達也, 出演:森優作, Writer:塚本晋也, 監督:塚本晋也
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「ドラマティックな悲惨さ」には感動の涙を流せても、「虚しさ」からは目を背けたくなる
  • 兵士たちが闘っているのは「敵」ではなく、空腹・病気・不信感・絶望だ
  • 実際に観て「体感する」以外に、この作品の凄まじさを受け取ることはできない

私はこの映画を観て、「戦争に巻き込まれたら絶対に逃げよう」と決意した。全国民必見の凄まじい映画

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『野火』は、戦争を体験したことがない人間に、その「虚しさ」を痛感させる不朽の名作だ

戦争の「悲惨さ」には触れる機会がある

物語であれドキュメンタリー・ノンフィクションであれ、「戦争」をテーマにしたものは多数存在する。私も観たり読んだりする機会は多い。

そういう作品に触れる度、「戦争はなんて悲惨なんだ」と感じるはずだ。戦場でたくさんの人が死ぬ。原爆投下や特攻など様々な形で死者が出る。捕虜となって強制労働させられた者もいるし、消せない記憶に今も苦しんでいる人もいるだろう。

そういう「悲惨さ」を知る度に、「戦争は二度と起こしてはならない」と思う。そしてその「悲惨さ」をみんなが共有することで、世界的な大惨事を回避したいと考えているはずだ。

しかし、映画『野火』を観て、戦場には「悲惨さ」以上のものがあることを知った。それが「虚しさ」である。

もちろん、どんな作品であれ戦争が描かれるのなら、そこに「虚しさ」を見出せるとは思う。古今東西様々な映画・小説などが、同じように戦争の「虚しさ」も描き出してきたことだろう。しかし、「戦争」がテーマになる場合、やはり必然的に「悲惨さ」も盛り込まれていく。そして、「虚しさ」と「悲惨さ」では、後者の方が圧倒的に受け取り手に与えるイメージが強いため、印象に残りやすいはずだ。

だから私たちはなかなか、「戦争の虚しさ」を実感する機会がないのだと思う。

映画『野火』が凄まじいのは、全編「戦争の虚しさ」だけで作られているという点だ。私がこれまで触れてきた作品には、そのようなものはなかったと思う。

映画で描かれるのは、「戦争」であって「戦場」ではない。冒頭からして、主人公が置かれた状況は凄まじいものだ。

肺炎を患った男は、所属していた部隊から追い出される。なんとか自力で病院へと向かうも、彼より遥かに重症である患者たちの手当に精一杯で、結局男は病院からも追い出されてしまう。そこは確かに「戦場」と認識されている場所ではあるのだが、男がしているのは、肺病を抱えながら部隊と野戦病院を往復することだけだ

あまりにも不毛な時間

他にも、あまりにも虚しい状況が描かれていく。

現地住民を脅して食事やマッチを手に入れようとする兵士。

僅かに残っているイモを盗んで逃げようとしてボコボコに殴られる兵士。

生き残るために”猿”を撃って食べる兵士。

動けなくなり、所持していた手榴弾で自殺する兵士。

幽鬼のようにただあてどなく彷徨う存在となった兵士。

「戦争」であって「戦場」ではない、という言葉の意味が分かっていただけるだろうか

この「戦場」には「敵」がいない

そう、兵士たちが死に直面しているこの「戦場」には「敵」がいないのだ。彼らが立ち向かっているのは、「圧倒的な空腹」「恐ろしい不衛生」「人間に対する不信感」「希望を微塵も感じさせない絶望」などである。銃で立ち向かえる相手ではない。

映画には「敵」が出てくる場面はないと言っていいだろう。部隊が「敵」と思しき存在に銃撃を受ける場面は出てくるが、その姿が見えるわけではない。そして、「おそらくいるのだろう敵の存在」よりも、「いかに空腹を凌ぐか」の方が兵士たちにとっては遥かに重大な問題なのである。

兵士が、銃撃戦ではなく飢えと病気で命を落とす「戦場」。私たちはそんな「戦争」をなかなかイメージすることはできない。しかしこれが、戦争の現実なのだと思う。

表現が適切ではないかもしれないが、物語の中で「戦争」は「ドラマティック」なものとして描かれることが多い。というか、「『悲惨さ』は『ドラマティック』に描きやすい」という言い方の方が正しいだろうか。

しかし、映画『野火』を観て、戦争はきっとそういうものではないのだと感じた。Youtube動画では会話の間を編集で切り落としてテンポを早めるように、”つまらない”部分を切り落とせば「ドラマティック」に見える、というだけなのだろう。本当は、その切り落としてしまう部分にこそ「戦争」の本質がある。そして、その「本質」の方を凝縮したのが映画『野火』というわけだ。

「ドラマティック」であるかどうかは、「悲惨さ」と「虚しさ」が後世にどう伝わるかにも影響するだろう。「悲惨さ」は「ドラマティック」だからこそ、物語として後世に残り、語り継がれる可能性がある。しかし「虚しさ」は決して「ドラマティック」にはならない。それどころか、目を背けたいと感じる現実の可能性もある。「悲惨さ」には感動の涙を流しても、「虚しさ」は直視したくないというわけだ。

物語で「悲惨さ」ばかりが扱われるのもそれが理由だろう。また戦争を生き抜いた人たちも、「悲惨さ」は語れても「虚しさ」には触れたくないかもしれない。

だから私は、『野火』にはとても大きな価値があると感じている。「戦争」が語られる場面では前面に出ることが少ない「虚しさ」を核に据え、「ドラマティック」な「悲惨さ」に頼らずに作品を成立させて、「こんな状況は絶対に嫌だ」と心底感じさせる作品など、そうあるものではない。

「敵」のいない「戦場」で、苦しみながら死んでいく。そのあまりの「虚しさ」には絶望しかない。

「観る」のではなく「体感する」しかない映画

こうやって感想を書いてはいるものの、『野火』については言葉で何かを語ることに、それこそ「虚しさ」を感じる。実際に観て「体感する」以外に、この作品を受け取る方法はないと思うからだ。

敢えて言葉で表現してみよう

フィリピンのジャングルの圧倒的な美しさと、その中でせせこましく生きる人間の虚しさ。

人間が生きているとは思えないような静寂の中で響く、銃声や爆発音の異様なコントラスト。

極限を遥かに通り越した、絶望そのものを顔に浮かべたような表情。

画面越しに臭いさえ感じさせるような不快感と、人間があっさりと死んでいく空虚な空間。

あらゆる意味で”人間”の形を保つのが困難だと思わされる、何もかもが”不正解”な世界。

同じ地球上に、かつてこのような異様な空間が存在していたとは信じがたいほどだ

俺がお前を殺して食うか?
お前が俺を殺して食うか?
どっちだ?

この世界では、こんなやり取りがさも当然のように行われる。「戦争」という環境が生み出した状況ではあるが、しかしこの状況は「戦争」そのものには何も影響しない。戦争に勝つ、あるいは戦場から生き延びるために行われるやり取りではないのだ。そういう「当たり前」はとっくに通り越してしまっている。どこにもはまらないジグソーパズルのピースのように、彼らの存在は世界から浮いてしまうだけだ

「戦争」になれば、誰もがこのような状況に直面する可能性がある。今の時代は大丈夫、自分だけは大丈夫、なんてことはあり得ない。「戦争」では、どんな酷いことも、どんな無意味なことも起こり得る。

俺が死んだら、ここ、食べてもいいよ。

私は、戦争を直接経験したことはない人間が、そういう人間なりに現実を理解していると思う。だから、自分が「戦争」に巻き込まれたら、絶対に逃げようと決めている。逃げれば、投獄されるかもしれないし、殺されるかもしれない。しかしそうだとしても、『野火』のような世界を経験するよりはずっとマシだ

死ぬ最後の瞬間まで、”人間”でありたいと思う。「戦争」は、「”人間”として生きること」を極端に困難にする。私は、私自身のために、全力で「戦争」から逃げると決めた。

出演:塚本晋也, 出演:リリー・フランキー, 出演:中村達也, 出演:森優作, Writer:塚本晋也, 監督:塚本晋也
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最後に

この記事を書いた日に、ロシアがウクライナへ侵攻した。状況がどう変化するか分からないが、とにかく私としては、被害に遭う人が1人でも少なくなるように事態が収まってほしいと願うばかりだ。

日本も、いつ「戦争」に巻き込まれるか分からない。『野火』の世界には、人生のどこかで一度は触れておくべきだと私は思う。

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