目次
はじめに
この記事で取り上げる本
著:森 達也
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ポチップ
この本をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 「現象が観察者を迎合する、あるいは観察者から隠れたがる」という性質を持つものとして「オカルト」を捉える
- 私は「オカルト」に限らず、「不思議な出来事」をすべて「不思議なもの箱」に分類する
- 「『オカルト』が科学に馴染まない」としたら「科学的な検証が出来ないからインチキだ」という主張には難がある
読者がどのようなスタンスで本書を読むかによって作品の存在理由が変わる1冊だと言っていい
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ドキュメンタリー作家でもある森達也は、かつて『職業欄はエスパー』という映像作品を発表し、同名の著書も執筆している。『職業欄はエスパー』は、「超能力者」と呼ばれる人たちに焦点を当てた作品だが、さらに広く「オカルト」と呼ばれるものを多数取材したのがこのノンフィクションだ。森達也はシンプルに現象を追いかけることに注力しており、議論を呼びそうな「解釈」には可能な限り足を踏み入れない。そのようなスタンスが非常に興味深いと感じる。
著:森 達也
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ポチップ
扱われる対象と著者のスタンス
著者が「オカルト」という括りで取り上げる対象はとても広い。本書は全20章から成り、概ね章ごとに対象が変わると考えていいだろう。扱う対象をざっくり挙げると次のようになる。
- スプーン曲げの第一人者と呼ばれる男
- 恐山のイタコ
- オカルトハンター
- 占い師
- 幽霊が出没すると言われる寿司屋
- 永田町の陰陽師
- UFO観測会
- ダウジング
- 臨死体験者
- メンタリスト
確かに、「オカルト」という括りを提示されればなんとなく納得できそうなものばかりではあるが、しかしシンプルに捉えると、あまりにまとまりのない雑多な印象を受けもするだろう。
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本書で著者は、「オカルト」についての明確な定義を行わない。しかし、森達也が繰り返し主張する事柄から、そのエッセンスを拾い上げることはできるだろう。森達也が繰り返し行う主張というのは、ざっくり要約すると以下のようになる。
「現象そのもの」が観察者を迎合しようとする。あるいは、「現象」が観察者から隠れたがる
森達也はこのような主張を何度も口にするのだ。
何を言っているのかは、なんとなくイメージできるだろう。例えばオカルト的な現象は、「見たいと思う人間には見えるが、否定したいと思う人間には見えない」という場合が多い。これは、オカルト的な現象に対する胡散臭さを助長するような性質ではあるのだが、森達也はそのような「解釈」をしない。状況をとりあえずそのまま受け入れた上で、「『見たいと思う人間には見えるが、否定したいと思う人間には見えない』という性質を持っているのではないか」と考えるのだ。これが、「迎合しようとする」の意味である。
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あるいはオカルト的な現象の場合、写真に撮ったはずなのに何も写っていなかったり、カメラを取りに戻ろうとしたら既に消えていたり、間違いなく録音したテープを紛失したりといった話も多い。これらについても森達也は、「そのような『隠れたがる性質』を持っているのではないか」と考えるようにしているのである。
このスタンスはとても興味深いと思う。「オカルト」に対する私の考え方については後で触れるが、「『上手く捉えられない』という性質をそもそも有しているのだ」と考えることは、オカルト的な現象に本気で向き合おうとする場合には非常に有効な姿勢であるように感じられた。
それではまず、「オカルト」に対する森達也のスタンスから触れていこうと思う。
彼は「オカルト」に対して、否定も肯定もしない。ただその一方で、「『オカルト』と呼ばれるものの大部分が勘違いや気の所為」だとも主張している。この主張は、本書に登場するほとんどの人物に共通する見解だ。玉石混交でしかない「オカルト」のほとんどが「石」、つまり「本来的には『オカルト』と呼ばれるべきではない何か」である。しかし中には、どう説明しようとしても上手くいかない、なんだか全然理解できない、「宝石」かもしれないものが、ごく稀に存在する。これが基本的なスタンスだ。
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森達也は、「物理法則に反しているからおかしい」とも、「目の前で起こっているのを見たのだから真実だ」とも主張しない。彼自身は、「どちらかに自分の意見を振り切れる方が楽だ」というような言い方をしている。極端な肯定派、あるいは極端な否定派になれるならその方がいい、というわけだ。しかし、どうしてもそうはなれない。そのどっちつかずなスタンスが本書の特徴だと感じるし、面白さに繋がっていると思う。
「オカルト」に対する私のスタンス
それでは、私のスタンスについても書いておこうと思う。
私は理系の人間で、基本的に「科学」を信頼している。人類が生み出した「科学」という手法は、世界の現象の真偽を正しく判定してくれる見事なツールだと考えているし、「科学」というプロセスを経た結論は受け入れるというのが私の基本的なスタンスだ。
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しかし同時に、すべてを「科学」で捉えられるわけではないことも理解している。
例えば、少し専門的な話になるが、量子力学の世界に「ハイゼンベルグの不確定性原理」と呼ばれるものがある。これは、「極小の物質の場合、『位置』と『速度』を同時に正確に測定することは”原理的に”不可能」という主張だ。私たちは、例えば「100m走の選手がゴールラインを割った瞬間の速度は時速◯km」など、「位置」と「速度」を同時に正確に測定する手段を持っている。しかしこれは、「大きな物質」にしか当てはまらないルールだということが、物理学の研究から明らかになった。分子や原子などの非常に小さな物質の場合、「位置」と「速度」を同時に正確に測定することは不可能なのだ。これは、「測定技術に限界があるから不可能」という意味ではない。世界のルールがそれを許容していないのである。
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つまりこれは、「科学の限界」だと言える。「科学」によっては立ち入れない領域なのだ。
あるいは、現在の「科学」では、「ビッグバン以前」について知ることは”原理的に”不可能だと考えられている。「ビッグバン」が時間も空間も生み出した。つまり「ビッグバン以前」は、時間も空間も何もないという意味での完全な「無」なのだ。そんな「ビッグバン以前」について考えることは、「科学」の領域ではない可能性が高いと考えられているのである。これもまた「科学の限界」だと言っていいだろう。
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つまり、「『科学』で捉えることができるもの」については科学的知見こそが真実だと言えるが、「『科学』で捉えることができないもの」については「科学」は無力だ、というわけだ。
そして私は、「オカルト」と呼ばれるものの中にも、「『科学』で捉えることができないもの」が含まれていてもおかしくはない、と考えている。「『科学』という箱」にそもそも入らないと考えられているものが実際に存在しているのだから、「オカルト」と呼ばれるものの中にも「『科学』という箱」に入らないものがあっても不思議ではないだろう。
さて、一方で、当たり前の話だが、「『科学』で捉えることができないもの」が存在するとして、それを即座に「『オカルト』という箱」に入れるわけではない。というか私の場合は、「不思議なもの箱」という分類がある。
この「不思議なもの箱」は決して、「『科学』で捉えることができないもの」だけを入れるのではない。科学的に解明されているだろう事柄でも、私が「不思議だ」と感じたものはすべて「不思議なもの箱」に分類されるというわけだ。
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分かりやすい話で言えば、マジック全般はすべて「不思議なもの箱」に入る。そこに「トリック」があることは理解しているが、「不思議だ」と感じるから「不思議なもの箱」行きなのだ。また、「体重計に乗るだけで筋肉量や基礎代謝量が測定できる」というのも、私には不思議に感じられる。もちろんそこには何らかの仕組みが存在するのだろうが、私はそれを知らないので「不思議なもの箱」に分類されるというわけだ。
このように、科学的に解明されているかどうかに関係なく、私にとって「不思議だ」と感じられる物事は世の中にたくさんある。そして、「そういうものの一種として『オカルト』も存在する」というのが私の捉え方だ。「オカルト」は私にとって、「不思議なもの箱」の中にある「『科学』で捉えることができないもの」の一部ぐらいの扱いである。僕にとって、そこに「特別さ」はない。他の「不思議なもの」たちと同レベルに存在するものでしかないからだ。
だから私としては、「オカルトだけが特別なものとして注目されること」の方に疑問を抱いてしまう。
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その理由については、森達也がこんな風に指摘していた。
オカルト的な現象には、人間的なものが、つまり擬人化したくなるようなものが付随するからだ。
なるほど、という感じではないだろうか。例えば「原子の振る舞い」や「体重計の計測」などには、「擬人化したくなるような何か」はあまりイメージされない。しかし、いわゆる「オカルト」と呼ばれるものは、そこに「擬人化したくなるような何か」が思い浮かんでしまう、というわけだ。UFOは地球外知的生命体を、臨死体験や心霊現象は死者の存在をイメージさせるし、曲がるスプーンやダウジングの棒などについては「物自体に意志が宿っている」ような捉え方もできる。「『擬人化したくなるような何か』がイメージしやすいと『オカルト』と呼ばれやすくなる」というのは一理あると感じた。
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先程、本書における「オカルト」の捉え方として、「『現象そのもの』が観察者を迎合しようとする。あるいは、『現象』が観察者から隠れたがる」という点に触れた。また、本書で森達也は、
オカルト的な能力は「心の動き」に強く影響を受けるのだから、再現性を強く求める科学とは相性が悪い。
という主旨の記述を何度も繰り返す。この辺りの話をもう少し深めてみたいと思う。
「科学」では基本的に、「反証可能性」と「再現性」の2つが常に求められる。「反証可能性」については下の記事を読んでほしいが、「再現性」は言葉通りの意味で、「同じ状況を再現できるか否か」という指標である。
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基本的には、この「反証可能性」と「再現性」の2つが揃っていなければ「科学」とは認められない。というか、この2つを大前提として科学は発達してきたと言った方がいいだろう。つまり、「再現性の低いもの」はそもそも「科学」の枠組みに入りようがないというわけだ。
分野によって異なる考え方も存在するが、基本的に「科学」は、「同じ条件であれば、同じ結果が導かれるはず」と考える学問であり、そのような「再現性を持つ現象」に対しては威力を発揮すると言っていい。
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しかし、それがトリックの入り込む余地のないものなのだとして、「スプーン曲げ」や「透視」、「ダウジング」などは、「常に成功するとは限らない」という点に難しさがある。「同じような腕の振り方でボールを投げれば、同じような球速・曲がり具合のボールが投げられる」からこそピッチャーの育成は成り立つわけだが、「オカルト的な能力」は決してそうではない。その能力を持つと主張する者であっても、100%は成功しないことが多いはずだ。
著者はこれについて、「オカルト的な能力は『心の動き』に強く影響を受けるのではないか」と考える。もし本当にそうだとするなら、「科学的検証」には馴染まないということになるだろう。
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一方、本書ではなく別の本で知った知識だが、かつてアメリカで、超能力などを研究するいわゆる「超心理学」の研究を衰退させた「プロジェクト・アルファ」と呼ばれる出来事が起こった。簡単に説明すると、「超心理学の研究所に『超能力者』だと偽ってマジシャンを送り込み、様々なマジックを駆使して研究員を欺き、超能力者であることを認めさせた後で、マジックだったと明かした」というなかなか壮大なものである。
私たちは、マジシャンのマジックを見てもそのネタを見破ることができない。であれば、「オカルト」と呼ばれる現象にも、私たちが真相に辿り着けないだけで、簡単に説明がつく何かがあるのかもしれない。そのような疑惑も常に残り続けてしまう難しさがあるというわけだ。
このように「オカルト」は、どうしても様々な要素が入り混じるため、取り上げるのが難しくなってしまうが、森達也の冷静で客観的でどちらの立場にも肩入れしない姿勢は、「現象そのもの」に着目しやすくなると感じられた。「オカルト」に対して馴染みのない人ほど読みやすく感じる作品だと思う。
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著:森 達也
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最後に
本書は、「読者がどのようなスタンスを取るかで、作品そのものが変わる」と言っていい作品だ。
例えば、誰もいないグラウンドでたった1人でボールを投げている人物がいるとしよう。あなたがそれを遠巻きに見ているだけなら「知らない人がボールを投げている」というだけのことだ。しかし、あなたがバットを持ってそのボールを打ち返せば「バッティング」になるし、大勢の人が集まって守備につく者が出てくればそれは「野球」になるだろう。「黙々とボールを投げ続ける森達也」に対して、読者がどんなアクションを起こす(どんな読み方をする)かで、作品そのものの存在理由が変わる作品に感じられたというわけだ。
賛成にせよ反対にせよ、「オカルト」に対する態度を既に決めている人にはあまり向かない作品かもしれない。しかし、オカルト的なものをどう捉えるべきか考えあぐねているという人には、最良の1冊と言っていいのではないかと思う。
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私は、世の中に「不思議なもの」がたくさんある方が面白いと感じるタイプだ。もちろん、何かが科学的に解明されるのであればそれも素晴らしいのだが、「分からないまま」のものがあってもいいように思う。「この世の中のすべてを理解する」という姿勢は傲慢に感じられてしまう。「理解できない」という謙虚さで踏みとどまる領域があってもいいのではないだろうか。
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