【驚愕】あるジャーナリストの衝撃の実話を描く映画『凶悪』。「死刑囚の告発」から「正義」を考える物語

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:山田孝之, 出演:ピエール瀧, 出演:リリー・フランキー, 出演:池脇千鶴, 出演:白川和子, Writer:高橋泉, Writer:白石和彌, 監督:白石和彌
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編集:「新潮45」編集部
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

この記事の3つの要点

  • 「記者側の話をノンフィクションで描く原作」と「犯罪者側の話をフィクションで描く映画」で1セット
  • 実話とは思えない、あまりに「異例づくめ」の出来事
  • 映画では、主人公・藤井修一(山田孝之)の存在が「正義」について問いかける

死刑囚と雑誌記者の執念が、娑婆にのさばる極悪人を追い詰める緊迫感が凄まじい

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

死刑囚が雑誌記者に獄中から信じがたい「告発」を行った実話を基にした衝撃作

映画と原作で「ワンセット」と捉えると良い

私は、先に原作を読んでおり、後から映画を観た。どちらも、凄まじい作品だった

内容についてはこれから触れるが、この作品で描かれるのは、原作の解説を担当した佐藤優が

少なくとも過去十年に私が読んだ殺人事件を扱ったノンフィクションのなかで最大の衝撃を受けた作品である

「凶悪」(「新潮45」編集部/新潮社)

というコメントを帯に寄せるほど凄まじい現実だ。死刑囚が雑誌記者に、「自分より悪いやつが娑婆にいる」と訴え、その記者が死刑囚の言葉を受けて捜査まがいのことを行って、事件の真相究明に関わっていくのである。ドラマや映画で採用したら「嘘くさい」と受け取られるだろう。とても現実に起こった出来事とは思えない状況だ。

原作と映画、共に触れた私の意見としては、この『凶悪』という作品は、2つ併せて1作品、というような印象が強い。原作と映画で、焦点が当てられる部分が違うからだ

原作は「ノンフィクション」であり、そう打ち出す以上は、「記者側の話」がメインになるのは当然だろう。犯罪者側の話は、どうしたって「憶測」が混じることになる。だから、ノンフィクションである原作は、この件を追いかけた雑誌記者側の話が中心になるわけだ。

一方、映画でももちろん「記者側の話」は描かれるわけだが、それ以上に「犯罪者側の話」に焦点が当てられる印象が強い。映画の冒頭で、「この映画は事実を基にしたフィクションです」という表示が出た。犯罪者側の描写は、本人の証言や物的証拠などから「想像」するしかないわけで、映画ではフィクションとしての要素も強いというわけだ。

このように、「記者側の話をノンフィクションで描く原作」と「犯罪者側の話をフィクションで描く映画」の組み合わせによって、合わせて1つの作品という印象が強くなる。どちらかだけに触れるのでも充分だが、原作と映画、どちらの視点からも捉えると、より深く作品に触れられるだろう。

この実話のあまりの「異常さ」

少し設定に触れながら、この物語がどれほど「異常」なのかをまずは説明していこうと思う。

まず何よりも、「死刑囚からの告発」によってすべてが始まったという点があまりにも異例だと言える。後藤という死刑囚は、死刑判決は受けていたが、当時はまだ最高裁に上告中であり、いわゆる「死刑確定囚」ではなかった。しかし細かな呼び方はともかく、「死刑判決を受けている人物からの告発」という時点で既に普通ではないと言っていいだろう。

さらに、死刑囚が秘密を告発する相手として雑誌記者を選んだことも異例だ。何をもって「普通」と呼べばいいか悩む状況ではあるが、しかし普通はまず弁護人に相談するのではないだろうか。後藤死刑囚は、囚人仲間の伝手をたどる形で雑誌記者にアプローチしている。かなりまどろっこしいやり方だと言っていいだろう。警察さえまだ把握していない事件について、まずマスコミに話をしようと考えたこともなかなか異例ではないかと思う。

しかも、単なる偶然ではあるが、後藤死刑囚が「雑誌記者」を選んだことは正解だった。この点については、後藤死刑囚から直接話を聞いた『新潮45』の記者・宮本太一が原作の巻末で説明している。雑誌記者以外に話をしていたら、その後の展開はなかったのではないかと

テレビや新聞は、警察発表のない事件については扱わないという。警察が事件を認知し、立件するか立件が確実になるかしない限り報道としては扱えないそうだ。その背景には「記者クラブ」の存在がある。警察に限る話ではないが、公的機関には取材全体を取りまとめる「記者クラブ制度」が存在し、公的機関は「記者クラブ」に一括で情報を流すのが慣例だ。「記者クラブ」から外されてしまえば情報が得られないし、だから公的機関の意に沿わない報道には慎重になる

つまり、もし仮に、テレビや新聞が宮本氏と同等の情報を得ていたとしても、「警察が認知していない事件」という時点でその後の取材等には繋がらなかった可能性があるのだ。そして、ほとんどの雑誌(週刊誌)が記者クラブに加盟していない。雑誌ジャーナリズムだからこそ起こり得た展開だったというわけだ。

また、死刑囚の告発をとりあえず信じて雑誌記者が取材に動いた、というのもまた異例だと思う。もちろん宮本氏も、「所詮死刑囚の話だ」と眉唾に感じていた。「どうせ嘘だろう」と放置されてもおかしくはなかったはずだ。しかし宮本氏は、嘘かもしれないと思いながらも、死刑囚の話に乗ってみることにした。だからこそ、「異例の展開」が導かれることになったのである。

最終的にどのような展開を迎えたのか。後藤死刑囚は、警察が把握していない3件の殺人事件を告発したが、その内の1件が実際に立件され、裁判にまでこぎつけたのだ。彼が告発したのは大分昔の事件であり、最後まで死体は発見されないままだった。物証もほとんど存在せず、立件など不可能に思える事件だったのだ。にも関わらず、記者の執念と奇策、そして偶然も味方し、最終的に裁判にまで至る奇跡的な展開が生まれたのである。

そしてすべてにおいて恐らく最も「異例」だったのが、「死刑確定囚を改めて裁判にかけたこと」だろう。後藤は、雑誌記者に告発した時点では上告中だったが、その後死刑判決が確定している。そしてそんな後藤を、再び裁判の場に立たせたのだ。もちろん、「死刑が確定した者を改めて裁判にかけることに意味はあるのか」という議論が出たそうだが、最終的には「真相解明が何より優先される」という理由で裁判が行われた。法務省でも、このような事態は少なくとも戦後では初だろうという見解を示しているそうだ

もしもフィクションだったら、「そんな偶然や奇跡が何度も起こるはずがない」と受け取られ、リアリティに欠けると判断されてしまうだろう。それぐらい、後藤死刑囚の告発から事件の立件まで、薄氷を踏むようなギリギリの道筋を辿っていく。普通ならまず結実しなかっただろう展開には実話とは思えないスリリングさがあり、結末が分かっていてもその緊張感に圧倒されてしまうだろう。

内容紹介

ノンフィクションとフィクションという違いはあれど、描かれている内容は原作と映画で大差ないと思うので、ここでは原作の内容を中心に触れていくことにしよう。

宮本氏が囚人からある話を聞いたことを発端に物語は始まる

彼は以前「FOCUS」という雑誌の編集部におり、取材対象として高橋という男と知り合っていた。取材終了後も個人的に関わりを続けていたのだが、その高橋が「後藤という死刑囚からとんでもない話を聞いた」と言ってきたのだ。

後藤は元暴力団組長。起訴された事件について一審・二審ともに死刑判決を受け、当時は最高裁に上告中の身だった。高橋を通じて後藤を紹介してもらった宮本氏は、直接面会に向かう。

そこで驚くべき話を耳にすることになった。なんと、彼が起訴された犯罪は、ある人物と一緒になって行ったものだというのだ。後藤はその人物を「先生」と呼んだ。そしてこれまで何度も金に困った人間を探し出して誑かし殺害してきたというのだ。高橋から聞いた通り、後藤はこの話をまだ警察には言ってないと主張していた

宮本は当然、彼の話を疑う。死刑を遅らせる作戦かもしれないと考えたのだ。死刑が確定したとしても、未解決の事件の解明のために後藤の存在が必要だとなれば刑の執行が先送りになる可能性はある。そんな狙いがあるのではないかと突きつけた。

後藤は、確かにそういう考えがないとは言わないが、別に理由があるのだと口にする。後藤は捕まる際に、可愛がっていた舎弟を「先生」に託したのだが、「先生」はその舎弟をすぐに自殺に追い込んだという。そのことがどうしても許せない、だから「先生」を追い詰めたいのだと力説する。

とりあえず宮本氏は、後藤の話を聞くことにした。後藤は、「先生」が関与した3件の事件について告発する

1つ目は、後藤が「先生」と知り合ったばかりの頃のこと。「先生」から、「金の返済の話で揉めて人を殺してしまった」と連絡があり、後藤はその死体の始末の手助けをした。

2つ目は、土地の所有者を殺し転売した件。2人は、20年間失踪中の身で親兄弟がいないという土地所有者と知り合い、彼を殺して土地を奪っただ。

3つ目は、保険金殺人だ。バブルのあおりを受けて会社が倒産、多額の借金を背負ってしまった内装業者社長。「カーテン屋」と呼ばれたその社長の家族が、保険を掛けた上で彼を殺し、その保険金で借金を整理しようと考える。その計画を「先生」にも持ちかけて協力を仰ぎ、手数料を受け取った。

3つの告発を聞いた宮本氏は、半信半疑のまま裏付け取材を始めることにする。しかし、取材を進める中で、後藤の証言が事実だと確認できるような話が複数耳に入ってきた。もしかしたら後藤は本当に事実を話しているのかもしれない。

ある程度の確信を持てるようになった宮本氏は、後藤と協力しながら、実際に警察を動かして「先生」を立件するための闘いに挑むことになる……

本・映画の感想

原作は、「後藤との出会いから、『先生』をいかに追い詰めるかに至る事実を描く」という点がメインになり、やはりその「事実の強度」には圧倒される。印象的だったのは、2つ目の事件の被害者を埋めた場所を後藤が思い出す場面。最初から後藤は宮本氏に、「たぶん思い出せません」と言っていたのだが、宮本氏が拡大した住宅地図を見せたところ一気に記憶が蘇っていくのだ。

このシーンに限らず、宮本氏と後藤の執念が噴出する場面が多々ある。2人の執念が、「獄中からの告発」という”あり得ない状況”を、ピリオドを打てる地点まで前進させた推力になっていると感じた。

映画の方は「フィクション」と謳っていることもあり、恐らく事実ではないだろう脚色が含まれている。そしてその脚色によって、「ジャーナリズムとは?」「家族とは?」という問いが浮き上がるのだ。

そしてその問いの中心に、主人公である雑誌記者・藤井修一(山田孝之)がいる。ちなみに、映画では関係者の名前が変更されており、そのような言及はないが、基本的には「宮本太一=藤井修一」と考えればいいだろう。死刑囚の後藤も、映画では「須藤」である。

藤井は、須藤が告発した事件の取材にのめり込む。もちろんそこには、ジャーナリストとしての使命感や興味もあった。埋もれたままではいけないと感じる現実が目の前にある。そしてそれを暴くことこそがジャーナリストとしてやるべき仕事だ、という思いももちろん彼の中にはあるというわけだ。

しかし一方、映画の中では、「ジャーナリスト」は「印象の良くない存在」として扱われる。一昔前と比べれば今の時代は大分マシだと思うが、昔は「報道被害」という言葉ができるぐらい、加害者側のみならず、被害者側も報道によって傷つけられていた。被害者家族には、「良いジャーナリストと悪いジャーナリストを見分けること」などなかなかできない。藤井が「良いジャーナリスト」なのかはともかくとして、彼が取材先で「敵」のような扱いを受けることもある程度仕方ないことではある

藤井は、「ジャーナリスト」としての使命感で真相究明を目指す。しかし一方で、そんな「ジャーナリスト」を許容できないと感じる人も描かれる。相手の傷口に土足で入り込むような状況をゼロにはできないのがジャーナリズムの現場だとは思うし、恐らく藤井自身矛盾を抱えながら突っ走る日々だろう。ジャーナリストとして取材に打ち込む藤井の姿から、「ジャーナリズムとは?」という問いが浮かび上がるというわけだ

さらにこの映画では、「家族とは?」という問いも突きつけられる。具体的には触れないが、取材に没頭する藤井は、実は「ある家族の問題」を抱えているのだ。しかし彼は、須藤の事件の取材に忙しいことを理由に、その「問題」と向き合うことを避ける。というかむしろ、その「問題」と向き合わずに済むように須藤の事件の取材にのめり込んでいる、と表現してもいいかもしれない。

藤井はその「問題」から逃げ、すべてを妻に押し付ける。完全に、「家族」としては破綻してしまっているのだ。彼は「ジャーナリズム」を理由に家族の問題を後回しにするのだが、果たしてこのスタンスは「正義」と言えるだろうか? 観る人次第で様々な感想になるだろうが、いずれにしても「藤井を100%善」と捉えるのはなかなか無理があると感じる。確かに、藤井がこの事件に執念を燃やさなければ真相は明らかにならなかったわけだが、しかしそのために足元の「家族」を置き去りにしていいのだろうか?

私は生きてるんだよ。

「凶悪」(監督:白石和彌、主演:山田孝之)

そう藤井に零す妻の言葉が非常に印象的だった

また、須藤や「先生」が関わった事件の描写でも「家族とは?」という問いが突きつけられていく。須藤らが絡む犯罪には、何かしら「家族の問題」が関係するからだ。

当然だが、悪いのは事件を起こす須藤や「先生」である。しかし、仮に須藤らを排除したところで問題は解決しない。根本の問題が「家族」にある以上、別の「先生」が現れて事件が起きるだけだ。「凶悪な事件」を映し出すだけではなく、その背景に何があるのかを描くことで、「家族の問題」にも焦点を当てようとする作品だと感じた。

誰がどんな場面で言うセリフかには触れないが、

自分だけはそんな人間じゃないと思ってたんだけどね。

「凶悪」(監督:白石和彌、主演:山田孝之)

という一言は、「家族とは何か?」という問いを強烈に浮かび上がらせるものだと思う。

表面的には「藤井が須藤らの事件の真相を暴こうとする物語」だが、そこに「ジャーナリズムとは?」「家族とは?」という問いが付随することで、「誰が正しくて誰が間違っているのか」「誰が一番『凶悪』なのか」などについて様々な判断が可能になると思う。実際にあった出来事をベースにしながら、そこに脚色を加えることで、「正しさとは?」「正義とは?」と観客に突きつける作品にもなっているのである。

出演:山田孝之, 出演:ピエール瀧, 出演:リリー・フランキー, 出演:池脇千鶴, 出演:白川和子, Writer:高橋泉, Writer:白石和彌, 監督:白石和彌
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編集:「新潮45」編集部
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最後に

原作を読んで「事実の強度」に驚くもよし、映画を観て「様々な問い」を突きつけられるもよし。冒頭で書いた通り、合わせて1作品と捉えると分かりやすい作品だ。また、この記事ではあまり触れなかったが、扱われる事件そのものはあまりにも胸くそ悪いもので、「こんなことができてしまう人間がいるのか」と衝撃を受けるだろうと思う。

現実の「複雑さ」と「恐ろしさ」を是非体感してほしいと思う。

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