【病理】本田靖春が「吉展ちゃん事件」を追う。誘拐を捜査する警察のお粗末さと時代を反映する犯罪:『誘拐』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:本田 靖春
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「犯人逮捕」は決して「事件解決」とイコールではない
  • 「『犯罪者』とは『社会的弱者』のこと」「『犯罪』は『社会の暗部に根ざした病理現象』」であるという捉え方
  • 事件記者や被害者遺族も感嘆した、凄まじいまでの取材

「あの犯罪者は私とは全然違う」という捉え方をしていては、社会から犯罪を無くすことなど出来ないと実感させられる

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

東京オリンピック前年に起こった誘拐事件「吉展ちゃん事件」を丹念に追い、事件と時代を焙り出すノンフィクション

本書で扱われるのは、東京オリンピックを翌年に控えた1963年に発生した誘拐事件だ。後に「吉展ちゃん誘拐殺人事件」として知られるようになる。警察ですらまだ、誘拐事案への対応が明確に定まっていなかった時代の事件であり、事件そのものを巡る顛末も興味深い。

しかし著者が本書で書きたかったのは、「『吉展ちゃん誘拐殺人事件』で何が起こっていたか」に留まるものではない。その背後にどんな時代背景があったのかを、この事件を徹底的に描き出すことによって炙り出そうとしたのだ。

私たちは日々、様々な事件の報に触れる。しかし、「何が起こったのか」「犯人が逮捕されたのか」「動機は何なのか」など通り一遍の情報だけを目にして終わってしまうことがほとんどだと思う。

事件にはそれぞれ、”個性”とでも呼ぶべきものがある。報道やネットニュースでは、なかなかその”個性”は見えてこない。事件ノンフィクションとして非常に高く評価される本書から、その”個性”を感じる経験をしてみるのもいいのではないかと思う。

「犯人逮捕」は「解決」ではない

「文庫版のためのあとがき」で、著者はこんな風に書いている

その一つの表れが、犯人逮捕を伝える際の見出しに用いられる「解決」の活字である。
なるほど犯人が挙がれば、捜査本部は一件落着とばかり祝杯を上げて解散する。しかし、それは社会全般に通じる解決を意味しはしない。
私は十六年間の新聞社勤めの大半を社会部記者として過ごした。そして、その歳月は、犯罪の二文字で片付けられる多くが、社会の暗部に根ざした病理現象であり、犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語であることを私に教えてくれた。

確かに、普通に考えれば「犯人が逮捕された」からと言って「一件落着」とは言えないだろう。犯罪に駆り立てた原因が分からないからだ。そして著者は、「犯罪」とは「社会の暗部に根ざした病理現象」だと書いている。これは、「誰しもが犯罪者になり得る」という指摘だと捉えるべきだろう。

しかし、世の中の大多数の人はそうは捉えない。「犯罪」は「個人の問題行動」であると信じたがる。その理由は明白だ。「自分は『犯罪者』になんかならない」と安心したいからである。

今は昔ほどではなくなったと思うが、ワイドショーや週刊誌などでは、罪を犯した人間の「過去」を様々に掘り返し、「『犯罪』を起こすような異常性」を見出そうとする。何故なら、そのような情報には需要があるからだ。犯罪者の過去が、視聴者や読者のものと違えば違うほど、「自分はああはならない」と安心していられる。「やっぱり犯罪者は、犯罪を起こすような素質を生まれながらに持っていたんだ」と信じていられる。そうして「自分は犯罪と無縁でいられるはずだ」という確信を強めるのだ。

そんな風に捉える世の中が、「『犯罪』とは『社会の暗部に根ざした病理現象』である」などと考えるはずもない

そういう社会に生きているからこそ、本書を読んでみてほしいと思う。犯罪者もまた、「社会の被害者」なのだと実感できるかもしれない

著者は本書執筆までに膨大な取材を行った。その凄まじさを示す文章を2つ抜き出したい。

吉展ちゃん事件を警視庁担当記者として手掛けたかつての同僚が「あの事件を自分ほど知ってる人間はないと思い込んでいたが、実に知らないことだらけだったことを教えられた」と読後感を寄せてくれたのは、彼の立場が立場なだけに、うれしい励ましであった。

当時「吉展ちゃん事件」を担当した記者から、自分を上回る凄まじい取材だったと評価されたというわけだ。さらに、被害者遺族のこんな言葉も載っている。

これをもとにテレビ化された二時間番組が放映されたあと、担当のプロデューサーと監督が村越家に挨拶に出向いた際、遺族が「私たちは被害者の憎しみでしか事件を見てこなかったが、これで犯人の側にもかわいそうな事情があったことを理解できた」という趣旨の感想を述べられたと聞き、原作者としてたいへんありがたく、やっと救われた気持ちになった。

被害者遺族が加害者の置かれていた立場に理解を示すような発言があったというのだ。これもまた、凄まじい評価だと言っていいのではないかと思う。

繰り返しの引用になるが、

犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語であることを私に教えてくれた。

という一文は様々なことを考えさせる。

当たり前の話だが、辛い境遇にいる者が全員犯罪者になるわけではない。しかし、だからと言って、「辛いのはあなただけじゃない」なんて言葉が慰めになるはずもないだろう。犯罪を起こさなかった人は「たまたま起こさなかった」のだと考えるべきだと思う

犯罪とは少し違うが、私は昔自殺を考えたことがある

生きていることが何だか嫌になり、「死にたい」というよりは「生きていたくない」という感覚で自殺を考えた。結局、死ねはしなかった。しかし、自殺を果たした人と私との間には、特別な違いがあったわけではないとも思う。私は、「たまたま死ななかった」だけだ

犯罪は悪だ。それは間違いない。どんな事情があれ、罪を犯したのであれば、適切に裁かれ、定められた罰を受けなければならないだろう。しかしそのことと、「事件解決」は無関係だ。犯罪者を刑務所あるいは絞首台に送ったところで、彼らを犯罪に駆り立てた要因がまだ社会に残っているのであれば、何の「解決」にもなっていない

改めて、より大きな枠組みで物事を捉えなければならないと感じさせられる作品だった。

本の内容紹介

村越吉展(当時4歳)が、自宅近くの公園に遊びに行ったきり帰ってこない。両親は誘拐を疑い警察に通報するが、警察は当初誘拐だとは考えていなかった。警察の対応に業を煮やした父親は、自宅の電話に自ら録音装置を取り付ける。すると見計らったかのように、直後に身代金を要求する電話が掛かってきた。ようやく警察も事件だと認識する。

しかし、当時はまだ誘拐事件そのものが少なく、警察でも誘拐事件に対する対応策が定まっていなかった。何せ当時はまだ、「逆探知」がルール上認められていなかったのだ。3年前に発生した誘拐事件の二の舞いにならぬよう、初めて報道機関に対して「報道の自粛」を求めたものの、警察の初歩的なミスによって身代金を奪われた上に犯人を取り逃がしてしまう

警察は汚名返上のため、161名という異例の数の捜査員を投入し捜査を続けるが、最終的に犯人逮捕に到るまで2年3ヶ月もの時間を要した。当時「戦後最大の誘拐事件」と呼ばれたこの事件を、ジャーナリスト・本田靖春が徹底した取材で追う。

本の感想

「吉展ちゃん誘拐殺人事件」という名前にはなんとなく聞き覚えがあった。しかしどんな事件なのかまったく知らないまま本書を読んだので、そのあまりに異例づくしの展開に驚かされてしまう。現代とは色んな点で違いがあるとはいえ、様々な点で「警察の不手際」が露呈してしまった事件である。

最終的に犯人逮捕に至る展開も興味深い。逮捕された小原保は、実は何度も捜査線上に上がっていた。しかし、アリバイの存在、決定的な物証が見つからないこと、身体的なハンデなど様々な要因から、「小原保はシロだ」という意見が警察内では多かったそうだ。最終的には、昭和の難事件を幾度も解決に導いた有名な刑事・平塚八兵衛の執念の捜査によって、解決の糸口が見つかることになる。

そんな注目度の高かった事件を、著者は徹底的に調べ尽くした

圧巻だったのは、本書冒頭の描写だ。著者はここで、事件当日公園にいたすべての人(ただし、身元が明らかになっている者に限る)の行動を詳らかに描き出していく。

正直なところ、この冒頭の描写は、事件全体とはほとんど関係がないと言っていい。被害者とその家族である村越家の面々以外の動きは、重要な要素ではないからだ。

ただ、事件当日の公園の描写を冒頭に持ってきたことで、「著者が取材に費やした膨大な労力」を想像させることができる。それは、本書のありとあらゆる描写の「真実性」を担保するような力を持っているように感じられた。

そして、そこまで深く深く掘り下げるからこそ、「犯罪者は社会的弱者だ」という捉え方にも説得力が出てくる。当然だが、著者は決して犯人を擁護しているわけではない。繰り返しになるが、「誰もが犯罪者になり得る」と警鐘を鳴らしているのである。

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最後に

「あの犯罪者と私は全然違う」と考えることは、結局、「犯罪を生み出す社会を放置する」という結果に繋がってしまう。もちろん犯罪者の中には、あまりに身勝手でまったく同情の余地もないと感じさせる者もいる。しかし、すべてがそうとは言えない。「犯罪」という一線を越えるのには、それ相応の理由があるそのことに対する想像力を失ってはいけないと、私はなるべく意識するようにしているつもりだ。

半世紀以上昔の事件であり、事件の顛末や警察の捜査体制などは現代では参考にならないかもしれない。しかし、「著者の徹底した取材が、『社会の病理』を炙り出す」という点については、一級品と言っていい作品だろう。ジャーナリストとして名高い本田靖春の、ノンフィクション史に残ると言ってもいい作品を是非読んでみてほしい。

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