【あらすじ】嵐莉菜主演映画『マイスモールランド』は、日本の難民問題とクルド人の現状、入管の酷さを描く

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:嵐莉菜, 出演:奥平大兼, 出演:平泉成, 出演:藤井隆, 出演:池脇千鶴, 出演:アラシ・カーフィザデー, 出演:リリ・カーフィザデー, 出演:リオン・カーフィザデー, 出演:韓英恵, 出演:サヘル・ローズ, Writer:川和田恵真, 監督:川和田恵真, クリエイター:「マイスモールランド」製作委員会, プロデュース:濵田健二, プロデュース:森重宏美, プロデュース:伴瀬萌
¥1,100 (2022/10/06 20:49時点 | Amazon調べ)

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

この記事の3つの要点

  • 欧米諸国とは比べ物にならないほど、日本はとにかく難民を受け入れようとしない
  • 働いてはいけない、許可なく県外に出てもいけない、理由なく拘束される。それでどうやって生きていけばいいのだろうか
  • 自身もアイデンティティの揺らぎを経験した嵐莉菜の演技は、観る者の感情を揺さぶるだろう

入り口はこの映画でなくてもいいので、是非とも「日本に住む難民が置かれている現実」を多くの人に知ってほしい

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

ろくでもない国・日本を象徴する「難民問題」を、フィクションでリアルに描き出す映画『マイスモールランド』の衝撃

は日本の難民問題を扱った映画が公開される度になるべく観るようにしている。これまでにも、『東京クルド』『牛久』『ワタシタチハニンゲンダ!』などのドキュメンタリー映画を観てきた。

恥ずかしながら私は、日本にいる難民が置かれた状況についてほとんど何も知らなかったので、映画『東京クルド』を観て衝撃を受けた。日本というのはこんなクソみたいな国だったのか、と。

そして、そんな日本の現状をフィクションで描き出すのが映画『マイスモールランド』だ。ドキュメンタリー映画はちょっとハードルが高いという方にオススメしたい。この映画を観るだけでは、決して、日本に住む難民を取り巻く制度や仕組みについて理解できるわけではないが、彼ら彼女らがどれほど悲惨な状況に置かれているのかを知ることはできるはずだ。

日本に逃れてきた難民が置かれている状況。そして、『東京クルド』『牛久』などのドキュメンタリー映画との比較

映画『マイスモールランド』はフィクションであり、主に「人間の感情」に焦点が当てられている。だから、この映画だけを観ても、「難民がなぜ刑務所のようなところに収監されているのか」や「『仮放免』の意味」、「難民に仕事をする権利が認められていない理由」などは理解できないだろう。それらについては、先に紹介した映画『東京クルド』の記事に詳しくまとめた。映画を観る前でも観た後でも構わないので、一読していただけると、日本が難民に対してどれほど酷いことを強いているのかが実感できるだろう。

『東京クルド』の記事に書いていないことで触れておきたいのは、ロシアによるウクライナ侵攻と少しだけ絡む話についてである。

ウクライナ侵攻が始まって以降、日本政府は「ウクライナからの避難民を受け入れる」と発表していた。このニュースを見て、「なんだ、日本も難民を受け入れているではないか」と感じた方もいるかもしれないが、そうではない。日本政府にとって、「難民」と「避難民」は言葉の定義が違うからだ。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、「難民(refugee)」と「国内避難民(Internally Displaced Persons: IDPs)」を明確に区別している。前者は「国外に逃れた人」、後者は「避難はしているが国内に留まっている人」という意味だ。そして、このUNHCRの定義に照らせば、戦争を背景にウクライナから日本へとやってきた人たちは「難民」と呼ばれるべきだろう。しかし日本政府は、意識的に「避難民」という単語を使っている。国民に向けて、「あくまでも『避難民』を受け入れるのであって、『難民』を受け入れるのではない」という意思表示をしているというわけだ。

私が以前テレビのニュース番組で見た限りでは、ウクライナからの「避難民」には「期間限定の在留資格」を与えるとされていたと思う。「期間限定」という扱いからも、彼らを「難民」として受け入れる意志がないことが分かるだろう。日本政府は、これほど頑なに「難民受け入れ」を拒んでいるのである。

『東京クルド』の記事の方で詳しく書いているが、日本がどれほど難民を受け入れていないのかについて少しだけ触れておこう。欧米などでは、「申請者数に対する認定数の割合(難民認定率)」が少なくとも20%程度はあるし、国によっては60%近くにもなるのだが、日本はたった0.7%である。これだけでも、日本がどれほど異常なのか、理解できると思う。

さて、私は『東京クルド』や『牛久』といったドキュメンタリー映画を先に観ていたので、映画『マイスモールランド』が「現実」を描いているのだと理解できた。しかしもしも、日本に住む難民の現状を知らないまま『マイスモールランド』を観たとしたら、そうは思えなかっただろう。「これは『現実そのもの』ではなく、『理論上起こり得る状況』なのであり、さすがにこんなことが今の日本で起こっているはずがない」なんて風に考えたかもしれない。というか、「そうであってほしい」と願いたくなる作品だ。

しかし残念ながらそうではない。映画『マイスモールランド』で描かれるのは、紛れもなく「現実」なのだ。私たちが生きている同時代の日本で起こっている、嘘偽りのない「事実」なのである。

エンドロールで、「この物語は、取材を基に構成されたフィクションです」というような文章が表示された。公式HPによると、映画制作のための取材は2年に及んだそうだ。エンドロールではさらに、「顔も名前も出すことができない、日本に住むすべてのクルド人へ」というような表記もあった。決してクルド人だけが苦しい思いをしているわけではないが、日本でクルド人が難民認定を受けた例はほぼないというのもまた事実だ。

ドキュメンタリー映画の場合は、まさに「現実そのもの」を映し出すことができる。やはり「現実」が訴えかけるものはとても強い。しかし、現在進行形で問題が継続している場合、映せなかったり描けなかったりする部分が出てきてしまうだろう。また、取材対象者がどこまで「感情」「本心」を表に出してくれるのかも未知数だ。

そういう意味で、映画『マイスモールランド』にはフィクションだからこその価値があると感じた。

『マイスモールランド』が描くのは「現実そのもの」ではない。しかし、だからこそ「人間そのもの」をリアルに描き出せているとも言えるのではないだろうか。

日本の制度は、あまりに酷い「難民など人間ではない」とでも言わんばかりの仕組みであり、いち国民として承服し難い現実だ。そして、そんな「現実」を「日常」として生きなければならない者たちがたくさんいる。それは本当に、想像を絶する世界のはずだ。働くことを禁じられ、理由もなく拘束され、家族と離れ離れにさせられる。収容施設では劣悪な環境に置かれ、どれだけ申請を繰り返しても難民認定を勝ち取ることはできない。

そんな残酷な「日常」を、この映画はリアルに実感させてくれるのだ

私は基本的に、「すべての人を平等に救うことは難しい」と考えている。どんな仕組み・制度を用意したところで、「たまたま網からこぼれ落ちてしまう人」をゼロにするのは不可能だと思うし、残酷な物言いだと分かっているが、「たまたま網からこぼれ落ちてしまったのなら仕方ない」とさえ考えている。自分がそういう状況に置かれたとしても、この考えはきっと変わらないだろう。

ただ、日本での難民の扱われ方については、そもそも「救う意志がない」という点でまったく以って理解しがたいし、許容できない。この映画で描かれる者たちは「たまたま網からこぼれ落ちてしまった人」なんかではないのだ。そもそも「網」が存在しないわけで、全員こぼれ落ちるしかないというだけなのである。

そんな社会は、絶対に間違っていると私は思う。

そう思う人が一人でも増えれば、状況は改善されるかもしれない。そう期待したいところだ。

映画の内容紹介

高校3年生のサーリャは、埼玉県川口市に住んでいる。クルド人だが、日本での生活が長いこともあり、クルド人としてのアイデンティティはほとんどない。祖国で反体制的な運動に参加していた父親は、立場が危うくなったため、子どもたちを連れて日本へやってきた。サーリャが小学生の頃だ。当初は日本にも学校にも馴染むのに苦労したが、努力して日本語を学び、今では日本人と普通にコミュニケーションが取れる。それどころか、日本語が上手く喋れないクルド人のために、通訳や翻訳の手伝いをしてあげるほどだ。来日時に幼かった妹と弟は日本語しか喋れず、クルド語で会話するのは父とサーリャだけ。日本に亡命する前に、母親は祖国で亡くなった。

努力したお陰で、大学も推薦が狙えるラインにいるし、仲の良い友人もいる。家では食事の前にクルド語の祈りを捧げるが、サーリャにとってはあくまでも形式的なものに過ぎない。自身のルーツがクルド人にあることは分かっていながら、意識としては日本人のように日々を過ごしているのだ。

進学の費用を貯めるために、サーリャは父親に内緒でコンビニのアルバイトをしており、そこで聡太と出会った。オーナーの親族で、頼まれて時々バイトに入っているそうだ。父親にバレないようにと、サーリャは川を越えて東京のコンビニにまで自転車で来ている。だから聡太とはバイト先でしか関わらない関係なのだが、ひょんなことからやり取りが始まり、人生で初めて、クルド人であるという自身の背景や生い立ちについても話すことができた。会う度に、お互いがお互いに惹かれていく。

このまますべてが上手くいくはず。そう信じていた矢先、「難民申請の不認定」という通知が届く。これにより、サーリャの一家は、それまで与えられていた在留資格が無効となり、「仮放免」という状態に陥ってしまった。「仮放免」になると様々な制約が課され、人間が人間として生活するためのあらゆる「権利」が認められなくなる

サーリャの生活は一変した。大学推薦の話は一気に難航するようになり、コンビニでのアルバイトもクビになってしまう。

さらに追い打ちをかけるように、父が入管の収容施設に拘束されることが決定し……。

映画の感想

この映画で初めて「日本の難民の現実」を知った人は驚愕するだろう

もし、「日本の難民の現実」についてまったく何も知らずにこの映画を観たとしたら、驚きの連続だろうと思う。「仮放免」になると、働くことも、許可なく県外に出ることも出来ない。さらにその状態で、一家の大黒柱である父親が理由なく入管に拘束されてしまうのだ。

この状況で、どうやって生きていけばいいのだろうか

映画『マイスモールランド』が突きつけるのは、「難民の家族の現実」である。いわゆる「難民2世」のことだ。サーリャの一家がまさにそうだが、幼い頃に日本に連れてこられた子どもたちは、生活の基盤が日本にしかない。妹と弟は、クルド語が話せないほどだ。

そんな「生活の基盤が日本にしかない難民2世」に対しても、日本という国は「”自国”にお帰りください」という姿勢を崩さない。「勝手にやってきたのはあなた方なのだから、どうするかはあなた方で考えて下さい」ということなのだろう。凄まじい対応だと思う。

この映画は、フィクションにも拘わらず、希望を抱かせる未来を描くことができない。2年間の取材で現実を知った監督恐らくは、たとえフィクションだとしても「明るい未来」を描くことに抵抗を抱いたのだと思う

恐ろしいほどの幸運でも起こらない限り、日本にやってきた難民が僅かでも「希望」を抱くことは難しい。そんな社会になっているのは、日本政府が「難民は日本に来るな」「日本にいる難民は全員出て行け」と考えているからだ。そして私たちは、「無関心」というやり方でその姿勢に間接的に賛同しているのである。これまで難民の現実を知らずにいた自分を恥じたし、多くの人に同じように感じてほしいと思う。

『マイスモールランド』で描かれる制度や仕組みについては、『東京クルド』『牛久』などを観てあらかじめ知っていたことばかりだったが、ある展開には驚かされた。それは、「父親の勇敢な(と言っていいかは分からないが)行動」に関するものであり、ネタバレになってしまうので具体的には触れない。映画『ワタシタチハニンゲンダ!』の中で、この父親の行動の元になったと思われる、かつて日本で起こった衝撃の事件が取り上げられていたことで私はその存在を知った。「カルデロン一家」で調べれば出てくるので、気になる方は調べてみてほしい

そしてこの映画の物語は、このような「日本の難民の現実」をサーリャが一手に引き受ける構成となっている。一瞬にして奈落の底へと突き落とされてしまったサーリャが、それぞれの場面でどのような葛藤を抱くのか。映画ではまさにその点に焦点が当てられる。父親はともかく、子どもたちは望んで日本に来たわけではない。自分に一切非がない中で、想像を絶する不条理に晒される少女が抱く苦しみと、どうにか現実と闘おうとする姿がとても印象的な物語である。

あらゆる場面で胸が引き絞られるように苦しくなるが、中でも、サーリャが「行きたくなくなった」「もう頑張ってます」と口にする場面はとにかく辛かった。どんな理由があれ、子どもに「現実の辛さ」を押し付けるような社会は、やっぱり最悪だと思う。

嵐莉菜・奥平大兼の演技について

ドイツ・イラク・ロシアなど、様々な国へのルーツを持つ嵐莉菜が、この映画ではクルド人役を演じている。公式HPによると、当初は日本に住むクルド人をメインキャストにする予定だったが、「就労禁止」の原則に違反することで不利益を被る可能性を考慮し、「日本以外にルーツを持つ者」に広く声を掛けてオーディションが行われたそうだ。

彼女自身もアイデンティティの問題に悩むことがあるそうで、だからサーリャと気持ちが重なる部分があったのかもしれない。映画初出演にして初主演だが、彼女の表情やセリフ回しから、「これまでずっと我慢してきたけど、もう限界」という、「抑えに抑え込んだ末の悲しみ」みたいなものが非常に良く滲み出ていたように感じられた。

ちなみに、サーリャの家族として登場する者たちは、嵐莉菜の本当の家族である。鑑賞前にたまたま観ていたテレビ番組で嵐莉菜が映画の番宣を行っていて、そこでこのエピソードが明かされていた。だからだろう、サーリャ一家がラーメンを食べるシーンでは特に「本物の家族感」が滲み出ている。この点もまた非常にリアルに感じられた。

聡太役の奥平大兼は、映画『MOTHER』に出ていた役者だ。見覚えはあったのだが、鑑賞中は思い出せなかった。

彼もまた、非常に上手い役者だと思う。彼は、「仲良くなった女の子が難民2世で、まさに今キツい状況にいることを知ってしまう」という、なかなか難しい役を演じている。その上で、今どきっぽい若者の感じをきちんと醸し出しながら、戸惑いは戸惑いとして、好奇心は好奇心として適切に出す感じが上手かったと思う。奥平大兼が「受けの演技」を上手くやったことで、初めて演技をする嵐莉菜もとても良く見えたという側面はあると思うし、だからこそ彼の存在は、この映画を成り立たせる重要な要素だったと感じた。

出演:嵐莉菜, 出演:奥平大兼, 出演:平泉成, 出演:藤井隆, 出演:池脇千鶴, 出演:アラシ・カーフィザデー, 出演:リリ・カーフィザデー, 出演:リオン・カーフィザデー, 出演:韓英恵, 出演:サヘル・ローズ, Writer:川和田恵真, 監督:川和田恵真, クリエイター:「マイスモールランド」製作委員会, プロデュース:濵田健二, プロデュース:森重宏美, プロデュース:伴瀬萌
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最後に

とても良い映画だった。「感情を揺さぶるフィクション」という意味でも良く出来ているし、「日本の難民問題を知るための入り口」としても適切だろう。

何がきっかけでも構わないが、一人でも多くの人が日本の難民の現実を知り、「日本がいかに異常な国なのか」を理解してほしいと思う。

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