【おすすめ】柚月裕子『慈雨』は、「守るべきもの」と「過去の過ち」の狭間の葛藤から「正義」を考える小説

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:柚月裕子
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「犯してしまったかもしれない過ち」に、私たちはどう向き合うべきだろうか?

犀川後藤

弱い私はとにかく、ひたすら「逃げる」という選択肢しか思い浮かべられません

この記事の3つの要点

  • ノンフィクションである『殺人犯はそこにいる』に対する「アンサー小説」とでも言うべき作品
  • 「組織の過ち」を「個人の責任」に帰着させることは許容できない
  • 警察小説というより、家族の葛藤を描く物語
犀川後藤

「人はどう生きるべきか」という大きなテーマに直球で向き合う作品だと感じました

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

『殺人犯はそこにいる』の「アンサー小説」とも言うべき柚月裕子『慈雨』。警察小説だが、「後悔を抱く人間」に焦点が当たる作品だ

とても素晴らしい作品でした。本書は、「刑事を主人公にした、殺人事件を扱う小説」なのですが、そういうまとめ方をすると作品の良さのほとんどが失われてしまう気がします。決して、事件そのものやその解決に主眼が置かれているのではありません。この物語は、「真実を追う刑事」と「殺人事件の真相」が擦れ合うことで発する凄まじい摩擦に翻弄されそうになりながらも、刑事として、そして何よりも人として「真っ当」であろうとする姿を追う作品なのです。

いか

こういう作品を読むと改めて、「自分も『真っ当』側に立ち続けたい」って思わされるよね

犀川後藤

それが難しい状況は多々あるだろうけど、みんながどうにか「真っ当」側に踏ん張れれば、世の中もう少し良くなると思うんだよなぁ

本書は、その存在を知っている人には明らかだと言えるほど、現実に起こったある事件をベースにしています。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という、一般的には「存在しないもの」として扱われている殺人事件です。「『存在しないもの』として扱われている」とはどういうことでしょうか。それは、「告発があったにも拘わらず、警察が『連続殺人』であることを公式には認めていない」ということです。

事件を告発したのは、日本テレビに勤める記者・清水潔。彼が「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の存在に気づき、そのように命名し、事件について調べ、ある冤罪を晴らし、その後「真犯人」にたどり着くものの、それでも警察が一向に動かないという、その顛末を1冊にまとめたのが『殺人犯はそこにいる』ですドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」(関西テレビ)の参考文献の1冊であり、それがきっかけで知ったという方も多いかもしれません。

いか

「文庫X」としても話題になった1冊だね

犀川後藤

『殺人犯はそこにいる』は、1人でも多くの人に届いてほしい作品だからなぁ

『慈雨』は、まず間違いなく「北関東連続幼女誘拐殺人事件」をベースにしています。そして、やりきれない未消化の想いを存分に含んだ『殺人犯はそこにいる』が「問い」だとするなら、『慈雨』はその「答え」だと言っていいかもしれません。いや、より正確に言えば「答えであってほしい」という感じです。現実は残念ながら、『慈雨』のようには動いていません。

「北関東連続幼女誘拐殺人事件」がどのような事件なのか、そして『殺人犯はそこにいる』がどんな本なのかについては、先のリンク先の記事を読んでほしいのですが、『慈雨』と関係する部分にだけは触れておきましょう。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」において警察はなんと、「警察の信用を守る」という大義を掲げた「自己保身」によって、信じがたい「現実歪曲」を行うのです。警察も司法も、「臭いものに蓋をする」と言わんばかりにこの事件を「無かったこと」にして、二度と触れたくないと思っているのでしょう。

犀川後藤

こういう社会に私たちは生きているんだ」って理解するためにも、『殺人犯はそこにいる』は絶対に読んだ方がいい

いか

「ノンフィクションが苦手」みたいな人でも絶対に読めるしね

そして『慈雨』は、「過去の過ちを認める覚悟を決めるまでの物語」なのです。16年前に終わったはずの事件が「パンドラの箱」として目の前に現れた時、それを開ける勇気を持つことができるか。読者もまた、そのように問いかけられる作品だと言っていいでしょう。

柚月裕子『慈雨』の内容紹介

3月に定年を迎えた元刑事・神場智則は、警備会社への再就職が1年先送りになったのを良い機会と捉え、退職したらチャレンジしたいと思っていた四国八十八ヶ所のお遍路に行こうと決めた。主な目的は、かつて自身が関わった事件の被害者への供養である。

目的が目的なこともあり、妻の香代子を連れて行くつもりはなかった。しかし彼女も同行を希望したため、止む無く受け入れることにする。これまでの刑事人生において、妻には散々迷惑を掛けた。妻が一緒に行きたいというなら、断ることはできない。

妻と共に霊場を巡る中で頭を過ぎる思考は、これまでの人生についてのものだ。片田舎の駐在所勤めに苦労したこと、刑事になってから出会った様々な人々のこと、娘の幸知のこと、彼女が元部下の緒方圭祐と付き合っている事実を未だに認めていないこと。そういう様々な事柄が頭を駆け回る。また、陽気な妻とは違って無口な神場にとっては、霊場巡りは久々に妻と話をする時間にもなっていた。

しかし、どれだけ霊場を巡ろうとも、どうしても心穏やかにはなれずにいる。むしろ、お遍路を続ければ続けるほど、神仏に救いを求める行為に対する違和感が募るばかりだった。

未だに悪夢を見るのだ。16年前のあの事件での、自分が犯してしまったかもしれない「過ち」を。刑事としての自身の存在を揺るがし続けたあの事件が、神場の心に今も巣食っている。

なにせ、現在進行形の話かもしれないのだ。

お遍路中も、緒方から度々連絡が来る。群馬県で事件が発生した。愛里菜ちゃんという小学1年生の女の子が、陵辱され遺体で発見されたのだ。その捜査の進捗状況を、緒方は神場に報告している。

まさか、16年前のあの事件と……

過去の過ちと向き合うことは容易ではない

物語は、神場が抱く葛藤を軸に展開していきます。その葛藤は、16年前に起こったある殺人事件に関係するものです。神場は、「あの事件で取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないか」という想いを、未だに拭えずにいます。

いか

刑事とか医者とかレスキュー隊員とか何でもいいけど、「他人の人生を預かるような職業」はしんどいよね

犀川後藤

「誰かの人生に深く責任を持つ」ってのが怖すぎるし、ちょっと踏み出せない世界だなって思っちゃう

神場の葛藤が短くまとまった文章を引用してみます。

いまここで、十六年前の事件と向き合わなければ、自分のこれから先はない。過ちを犯していたならば、罪を償わなければならない。そうしなければ、自分の人生そのものが偽りになってしまう。家族、財産、すべてを失ったとしても、それは過ちを犯した自分に科せられた罰だ。

彼がかなり大きなものを背負っているのだと理解できるでしょう。もちろん、他人の人生に責任を持たざるを得ない人たちは、多かれ少なかれこのような感覚を抱いてしまうものなのかもしれません。ただやはり、そうではない生き方をしている私からすれば、神場のような状況に置かれることはあまりにもしんどいだろうと感じてしまいます。

いま、十六年前の事件から目を背けたら、俺は警察官である前に、人でいられなくなる。そう思っているのは、神さんも同じだ。

犀川後藤

まあ、「目を背けたら、人でいられなくなる」って感覚は分かる気がするよなぁ

いか

そんな風に思わされるのが嫌だから、そういう領域に足を踏み入れないみたいなところはあるよね

私は、出来るだけ「責任を取る」みたいな状況に陥らないように生きてきたのですが、それでも時々、「何か行動に移さなければならない」と感じるような場面に直面することがありました。そういう時、私は残念ながら「逃げる」という選択肢しか思い浮かばなくなってしまいます。どうしても、目の前の現実と向き合うという勇気が持てないのです。これまで、現実から逃げたことで様々な人に迷惑を掛けてきました。しかし、そうなると分かっていても「逃げる」しかないと感じられてしまうのです。そういう自分の性格が分かっているからこそ余計に、「『責任を取る』みたいな状況になるべく陥らないこと」についてはかなり意識して生きてきました。

だからこそ、過去の過ちに対して今も真摯に向き合おうとしている主人公の姿に、私は圧倒されてしまうのです。「私もそういう人間でありたかった」と願いつつ、残念ながらそうはなれない自分を理解しています。

同僚から誘われて近場の山にトレッキングに行ったときも、有名な写真家が撮った神々しい山の写真集を見たときも、美しいと神場が感じるのはわずかな時間で、眺めているうちに荘厳たる景色は、梅雨時の鬱蒼とした山中を這いずり回ったときの記憶に取って代わられる。どんなに素晴らしい山の景色も、神場のなかでは、十六年前の純子ちゃんの遺体発見時へと繋がる。

いか

「正しい形で責任を取るつもりがある」からこそ許される行為って結構あるよね

犀川後藤

警察の捜査を含めた「正義の実現」に関わる行為は、全部そういう類いのものだって感じちゃう

神場は、「刑事」という職業にとても真摯に向き合ってきました。その姿勢は、次のような文章からも理解できるでしょう。

われわれは神じゃない。人間だ。人間がやることに、完璧という言葉は存在しない。常にどこかに、微細とはいえ瑕がある。だからこそ、われわれ捜査員は、疑念を限りなくゼロに近づけなければならない。

人間だからミスをゼロにはできないが、限りなくゼロに近づけなければならないのだと、彼は明確に意識しています。そのような指針で刑事人生を歩んできたのでしょう。にも拘わらず、16年経った今でも、「過ちを犯したかもしれない」と葛藤させられているのです。なかなかしんどい人生と言えるでしょう。

犀川後藤

過ちが起こってしまっても、その当事者が神場のように葛藤していると知れれば、少しは捉え方も変わる気がする

いか

内面って外側からはなかなか見えないから、実際にはそういう判断をするのは難しいけどね

「警察の過ち」が「個人の責任」として矮小化されてほしくはない

神場は、四国八十八ヶ所のお遍路巡りをするほどに、かつての過ちを今も心の裡に抱え続けている人物です。すべての刑事・警察官がそうとは限りませんが、少なくとも神場はもの凄く高い倫理観を持っているし、真実を追う者として「疑念を排除しなければならない」という心構えもかなり強く持っています。しかしそのような人物でも、「犯したかもしれない過ち」に対して16年間何も出来ず、葛藤を抱え続けたままになっているのです。自身の葛藤を周囲に明かすことも躊躇われるほどの過ちであり、そんなものを抱え続ける辛さを想像することさえ困難に思えてしまいます。

『殺人犯はそこにいる』を読んだ時も『慈雨』を読んだ時も、「確かに自分だったら逃げてしまうだろう」と感じました。私は、大体の場合「逃げたい」と考えてしまうのであまり参考にはなりませんが、少なくとも私は「隠蔽に関わった者」を単純に批判したりはできません。自分が同じ立場にいたとして、「真っ当な決断」を下せた自信がないからです。だから、過ちを犯したからといって安易に批判することはできないと感じてしまいます。

いか

世の中に存在する「批判」に対しては、「あなたならその状況で正しく振る舞えましたか?」って聞き返したくなるものも多いよね

犀川後藤

「批判」はあって然るべきだけど、「想像力のある批判」であってほしいなって思う

さてその一方で、本書を読んで私は、「『個人の責任』として矮小化されてほしくはない」とも感じました。

組織が所属する個人を「トカゲの尻尾切り」のように切り捨て、幕引きを図ろうとする状況は世の中によくあるでしょう。もちろん、「本当に個人のみに責任がある状況」もあるとは思いますが、やはり組織として関わっている以上、「組織にも責任がある」と判断されることがほとんどのはずです。それなのに、組織が有するべき責任まで個人に押し付けて、組織は知らん顔するような状況を、私はなかなか許容することができません

『殺人犯はそこにいる』を読んだ時には、「被害者の無念」「著者の執念」「警察への不信感」などを強く感じたのですが、『慈雨』では逆に、「警察組織の中にいる個人」に目が向きました。『殺人犯はそこにいる』を読んでいる時には「警察」という大きな括りでしか捉えられていなかったのですが、『慈雨』を読むとそこに個人が浮かび上がります。当たり前ですが、捜査を行うのも不正を行うのも、「警察」ではなく「個人」です。刑事として葛藤を抱き続ける神場を描く『慈雨』を読んだことで、初めてそこに対する想像力を発揮できたと感じました。

犀川後藤

なるべく想像力を持とうと考えてるけど、「怒り」は想像力を鈍らせるなって改めて思ったかも

いか

だから、世の中のあちこちで「炎上」が起こってるんだろうね

そして、そんな風に「警察組織の中にいる個人」に目が向いたからこそ、改めて「警察が組織として行った捜査において、個人が『葛藤』を抱き続ける状況はおかしい」という感覚を強く持てるようにもなったのです。

『殺人犯はそこにいる』でも『慈雨』でもいいですが、読めば明らかに「個人に責任がある話ではない」と理解できるでしょう。しかし、組織が「隠蔽」を決めてしまえば、個人には為す術もありません。組織は「組織を守るため」という大義名分で極論を押し通そうとするでしょうが、その行為が組織に属する個人を苦しめることにもなるわけです。

殺人事件で命を落とした当人やその家族が直接の被害者であることは間違いありません。しかし、「組織に翻弄された個人」もまた、ある意味で被害者だと言っていいはずです。「真実を捻じ曲げる行為」がどれほどの影響を周囲に及ぼすのか実感させられました

犀川後藤

「隠蔽を行う」と決断した組織の上層部も、こういう葛藤を抱えているものなのかな

いか

抱えていてほしいって願いたくなっちゃうよね

『慈雨』は家族の物語でもある

ここまで見てきたように、『慈雨』は「元刑事・神場の葛藤の物語」なのですが、同時に「家族の物語」でもあります。ここでは具体的には触れませんが、神場の家族もまた様々なものを抱えているのです。

妻の香代子には積年の葛藤があるし、娘の幸知も緒方との交際を父に認めてもらえない悩みを抱えています。また緒方も、彼女と同様の葛藤を抱きつつ、同時に、ほとんど手がかりのない事件の捜査に疲弊しているというわけです。

そしてそれらはすべて、16年前の事件と根を同じくしています。その事実を理解しているのは神場だけ。神場は自身の葛藤を家族にも明かしていません。そして、それを明かせば家族にも迷惑が掛かると分かった上で、パンドラの箱を開けるべきかどうか葛藤しているのです。

犀川後藤

家族にも話せないっていうのは、辛すぎるよなぁ

いか

一番身近な存在にも言えないほどの葛藤を抱えるのはキツいよね

当然、香代子も幸知も緒方も、神場が抱えている葛藤を知りません。それゆえ、その葛藤を知らなければ理解できない神場の言動に不安を抱きます。しかし彼らは同時に、神場が「正義を体現する人間」であることを正しく理解してもいるのです。「彼が何を抱えているのかは分からないけれども、きっと何か大事なことに違いない」みたいに考えています。

そしてそんな神場の真摯さが伝わるからこそ、彼が葛藤を押し退けて決断を下す様に、周囲の人間も読者も心打たれてしまうのです。

神場の周囲にいる人間の中では、特に妻の香代子が素敵だと感じました。彼女は、駐在所勤務時代から夫と苦労を共にしています。また、「刑事の妻である」というだけではない苦労も抱えているのです。しかし、そんな大変さを一切感じさせないように、彼女は明るく振る舞っています

犀川後藤

ホント、こういうマインドで人生生きられたら良かったなって気もする

いか

そういう人なりの苦労はもちろんあると思うけど、やっぱり「どういう状況でも明るく振る舞える」っていいよね

具体的には触れませんが、ラスト付近のある場面はとても素敵でした。神場がある想いを妻に伝えた際の返答ですこんな風に言いきれる人は、男女問わずなかなかいないと思います。夫が抱え続けたことも、これからやろうとしていることも、あまりに重大で恐ろしささえ含むものなのですが、彼女はそれを夫と共にすべて呑み込もうとするのです。彼女の覚悟もまた、読者の心を震わせると言っていいでしょう。

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最後に

1つの事件が、地中で繋がる根のようにあらゆる葛藤や後悔の元となり、作品全体を覆っている物語だと感じました。16年間もたった1人で抱え続けた大きすぎる葛藤が、再び現実の事件と呼応している事実を知った神場は、一体どのような決断を下すのか。周囲の人間も巻き込んだその苦悩こそ、『慈雨』の核と言っていいでしょう。

現実の事件を下敷きにしながら、「人としての尊厳」や「家族の在り方」を突きつける作品に仕上げた著者の力量は見事です。もし自分が神場と同じ立場に立たされたとしたら、どんな振る舞いができるか、本書を読んで想像してほしいと思います。

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